また1人、大御所アーティストが天国へ旅立った。今年は、1月に元YMOの高橋幸宏さん(享年72)、ロックバンドのシーナ&ロケッツの鮎川誠さん(享年74)、3月には坂本龍一さん(享年71)と、1970年代から活躍していた人気ミュージシャンが亡くなっていたが、谷村さんまで逝ってしまった。
3月から闘病生活をしていることは公表されていて、毎年、生放送のフィナーレで加山雄三(86)とともに「サライ」を歌っていた日本テレビ系24時間テレビ『愛は地球を救う』も欠席。往年のファンたちを心配させていたが、再びマイクを握ることは叶わなかった。
谷村さんを知る音楽関係者によれば「来年アリスとしてもう一度舞台に立つことを目標に闘病生活を送っていたが、病状は日に日に悪化。谷村さんの知人や友人たちも連絡がとりにくくなり心配していたところだった」とのことだ。
日本中が口ずさんでいた名曲『サライ』
息の長い歌手人生だった。太平洋戦争直後の1948年に大阪で生まれて、高校時代からフォークグループ『ロック・キャンディーズ』を結成。19才だった1968年にデビューした。1971年には、盟友の堀内と『アリス』を結成。当初は売れずに苦労したが、谷村さんがラジオ番組『MBSヤングタウン』や『セイ!ヤング』のDJとして人気者になり、1975年の『今はもうだれも』がヒットした。その後は『冬の稲妻』、『涙の誓い』、『ジョニーの子守唄』、そして、オリコンチャートや音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で1位を取った『チャンピオン』(1978年)などで、国民的な知名度を獲得した。
ソロとしても幅広く活躍した。1978年に作詞作曲した『いい日旅立ち』は、当時の超人気アイドル山口百恵に楽曲提供し、大ヒットに導いた。自身も1980年の『昴-すばる-』が60万枚セールスを記録して、NHK紅白歌合戦に初出場。同曲は、中国でも空前の大ヒットを飛ばして、中華圏を中心にした東アジアでも、その名を轟かせた。後の2004年からは、創立96年の歴史を誇る中国・上海音楽学院で、教授も任されていた。
また、1984年の女優・小川知子(74)とのデュエット曲『忘れていいの-愛の幕切れ-』でも、歌唱中に谷村が小川の胸元に手を入れるセクシーな演出で、お茶の間を大いに賑わせたこともあった。
1990年代は加山との『サライ』、2000年からはアリスを再始動と、デビューから55年間。ずっと歌手活動を続けていた。今年が初めての闘病、長期休養だった。
前出の音楽関係者は「これまで大病を患ったこともなく、ずっと元気でした。6年前には、22才の渡米中に失効して以来、再交付していなかった自動車の運転免許を68才で取得。『勉強も楽しかった。ゆくゆくは大型免許やけん引免許も取ってみたい』と意気揚々だったので、本人ももっと長生きしたかったはず」と惜しんだ。
毎年夏の終わりの8月末の日曜夜は、日本中が口ずさんでいた『24時間テレビ』の名曲『サライ』。すでに加山も昨年限りで歌手活動を引退していて、谷村さんの死去で、この名デュエットは、本当に永遠に復活しないこととなった。 1つの時代の終わりを告げる訃報だった。
シンガー・ソングライター、谷村新司さんが10月8日に死去した。74歳。大阪府出身。葬儀は15日に近親者のみで営まれた。 【写真】「谷村新司スタッフ公式X」に投稿された谷村新司さんの遺影と祭壇
今年3月に急性腸炎で手術を行い、療養を続けていた。
小林旭が「渡り鳥シリーズ」でギターを弾く姿を見て「自分もモテたい」とギターを練習し、バンド活動を開始。1971年に堀内孝雄と「アリス」を結成した。翌72年、「走っておいで恋人よ」でレコードデビュー。同年5月、矢沢透を加えて活動。1981年に活動を停止したが、09年に再始動。「冬の稲妻」「チャンピオン」が代表曲で幅広い世代に親しまれた。
今年4月「アリス」の全国ツアーの来年への延期、6月には公式サイトで年内治療に専念することが発表されていた。8月の日本テレビ「24時間テレビ」で「サライ」を出演者が歌唱する場面では、病床からのメッセージが紹介された。
盟友の死に堀内孝雄は「来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です。チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした」とコメント。矢沢透は「悲しいというより悔しいんです。谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい」と悲痛な思いを語った。
事務所の発表は以下の通り。 ご報告とご挨拶 平素よりご厚情をいただき心より感謝申し上げます 今年の3月に腸炎での手術を行い療養を続けておりました谷村新司ですが10月8日に息を引き取り永眠いたしました 本人も回復に向けて頑張っておりましたので本当に残念に思います 葬儀は近親者のみにて10月15日に執り行い とても穏やかな顔で旅立ちました事をご報告申し上げます 昨年は活動50年を迎えて
アリスの記念ライブ「ALICE GREAT 50(FIFTY)」を有明アリーナで開催し アリスメンバーの堀内孝雄・矢沢透と共にここからリスタートして10年続けようと目標を立てて本人も楽しみにしておりましたが残念ながらその夢は叶わず 満75年の生涯を終える事となりました 後日には 皆で集まって故人を偲ぶ場を設けたいと思っております
日本語の精神文化を大事に歌詞を紡いできた谷村でしたが代表曲でもある「昴―すばる―」は沢山の方々とのご縁の道を継いでくれました 生前「歌と音楽は目に見えないからこそ海も空も超えていく」と沢山の国にも出掛けていきました 歌を創作し 歌い 伝える旅を続けてきた人生でしたが この度来世への戒名を頂戴し 「天昴院音薰法楽日新居士」(てんぼういんおんくんほうらくにっしんこじ)と名付けられました
まさしく天にある星となって私達を照らし続けてくれる事だろうと思います 歌と音楽にピリオドはなく皆さまの心にいつまでも残る事を願って心よりの感謝を深く申し上げたいと存じます これまでに沢山の「愛」をいただき 本当に有難うございました
谷村新司さんの遺影(所属事務所提供)
音楽家の谷村新司さんが8日に亡くなった。所属事務所が16日に公表した。74歳だった。今年3月に腸炎で手術を受け療養を続けていた。葬儀は近親者のみで執り行われた。事務所は「本人も回復に向けて頑張っておりましたので本当に残念に思います」「とても穏やかな顔で旅立ちました事をご報告申し上げます」と伝えた。
昨年は活動50年を迎え、アリスの記念ライブ「ALICE GREAT
50(FIFTY)」を有明アリーナで開催し、アリスのメンバー、堀内孝雄・矢沢透と共に「ここからリスタートして10年続けよう」と目標を立てていた。しかしながらその夢は叶わず、満75年の生涯を終える事となった。後日、故人を偲ぶ場を設けるという。
堀内孝雄と矢沢透はコメントを寄せ、堀内は「良きライバルでした」「心から、ありがとう」、矢沢は「どうか谷村を忘れないで下さい。今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました」と偲んだ。
■所属事務所:発表文
平素よりご厚情をいただき心より感謝申し上げます
今年の3月に腸炎での手術を行い 療養を続けておりました
谷村新司 ですが
10月8日に息を引き取り 永眠いたしました
本人も回復に向けて頑張っておりましたので
本当に残念に思います
葬儀は 近親者のみにて10月15日に執り行い
とても穏やかな顔で 旅立ちました事をご報告申し上げます
昨年は活動50年を迎えて
アリスの記念ライブ「ALICE GREAT 50(FIFTY)」を有明アリーナで開催し
アリスメンバーの堀内孝雄・矢沢透と共に ここからリスタートして
10年続けようと目標を立てて本人も楽しみにしておりましたが
残念ながらその夢は叶わず 満75年の生涯を終える事となりました
後日には 皆で集まって故人を偲ぶ場を設けたいと思っております
日本語の精神文化を大事に歌詞を紡いできた谷村でしたが
代表曲でもある「昴-すばる-」は沢山の方々とのご縁の道を継いでくれました
生前「歌と音楽は目に見えないからこそ 海も空も超えていく」
と沢山の国にも出掛けていきました
歌を創作し 歌い 伝える旅を続けてきた人生でしたが
この度 来世への戒名を頂戴し
「天昴院音薫法楽日新居士」
(てんぼういんおんくんほうらくにっしんこじ)
と名付けられました
まさしく 天にある星となって私達を照らし続けてくれる事だろうと思います
歌と音楽にピリオドはなく 皆さまの心にいつまでも残る事を願って
心よりの感謝を深く申し上げたいと存じます
これまでに沢山の「愛」をいただき 本当に有難うございました
■堀内孝雄:コメント
チンペイさん
突然の別れに驚きを隠せません。
来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です。
僕にとってのチンペイさんは、50年来の親友であり、
「アリス」のリーダーであり、
そして良きライバルでした。
学生時代に、「プロにならないかと?一緒にアリスをやろう」と、
誘ってくれたとき、心の底から嬉しかった。
チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。
ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした。
また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね。
もうちょっと待っていてね、キンちゃんと、もう少しだけ頑張るね。
心から、ありがとう。
安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます。
堀内孝雄
■矢沢透:コメント
東京に住む僕と大阪に住む谷村と、何の因果か運命の出会いか
堀内を紹介され3人アリスとして歩み始めました
時にはいがみ合い、時には抱き合い
幾多の苦難も喜びも共有し、無我夢中で駆け抜けた
そして気が付けば51年という長きに渡って谷村と関わるとは・・・
あの日からは想像もしませんでした。
若さの灰汁も抜け「これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうね」
と新しいアリスの始まりに胸躍らせていた矢先のことでした。
谷村なら大丈夫、谷村ならきっと戻ってくる、
根拠のない確信めいたものを感じておりました。
でも谷村は戻ってきませんでした!
もういないんです。悲しいというより悔しいんです。
谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。
思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい。
今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました。
矢沢透
アリス(左から)堀内孝雄、谷村新司、矢沢透=2019年
「冬の稲妻」「昴」などで知られるシンガーソングライターの谷村新司さんが8日に死去したことが、16日に公式サイトで発表された。74歳だった。谷村さんがリーダーを務めたフォークグループ「アリス」の堀内孝雄、矢沢透が盟友を悼んだ。
【写真】祭壇に飾られた谷村新司さんの遺影
ボーカル、ギターの堀内孝雄(73)は、「チンペイさん 突然の別れに驚きを隠せません。来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です。僕にとってのチンペイさんは、50年来の親友であり、『アリス』のリーダーであり、そして良きライバルでした。学生時代、『プロにならないか?
一緒にアリスをやろう』と、誘ってくれたとき、心の底から嬉しかった。チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした」と感謝を記した。その上で「また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね。もうちょっと待っていてね、キンちゃんと、もう少しだけ頑張るね。心から、ありがとう。安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます」と天国の盟友に語りかけた。
ドラムの矢沢透(74)は「東京に住む僕と大阪に住む谷村と、何の因果か運命の出会いか堀内を紹介され3人アリスとして歩み始めました。時にはいがみ合い、時には抱き合い 幾多の苦難も喜びも共有し、無我夢中で駆け抜けた
そして気が付けば51年という長きに渡って谷村と関わるとは… あの日からは想像もしませんでした」と回想した。
そして「若さの灰汁も抜け『これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうね』と新しいアリスの始まりに胸躍らせていた矢先のことでした。谷村なら大丈夫、谷村ならきっと戻ってくる、根拠のない確信めいたものを感じておりました」と心境を吐露。「でも谷村は戻ってきませんでした!もういないんです。悲しいというより悔しいんです。谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないでください。今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました」と悲痛な胸の内を明かした。
谷村さんは大阪府出身。1968年にデビューし、71年には堀内孝雄とフォークオペラグループ「アリス」を結成。間もなく矢沢透が合流した。「チャンピオン」「ジョニーの子守唄」など多くのヒット曲を生み出した。谷村さんはバラエティ番組にも度々出演。清水アキラらモノマネ芸人からもネタにされ、お茶の間でもお馴染みだった。谷村さんは今年3月に腸炎での手術を行い療養を続けていたが急逝。葬儀は近親者のみで15日に執り行われた。所属事務所によると、後日、谷村さんを偲ぶ場を設けるという。
(よろず~ニュース編集部)
よろず~ニュース
谷村新司さん (C)ORICON NewS inc.
シンガー・ソングライターの谷村新司さんが8日に亡くなったことが16日、公式サイトで伝えられた。74歳だった。
【写真】穏やかな笑顔…谷村新司さんの遺影写真
公式サイトでは「《ご報告とご挨拶》平素よりご厚情をいただき心より感謝申し上げます。今年の3月に腸炎での手術を行い療養を続けておりました谷村新司ですが、10月8日に息を引き取り
永眠いたしました。本人も回復に向けて頑張っておりましたので本当に残念に思います。葬儀は近親者のみにて10月15日に執り行いとても穏やかな顔で旅立ちました事をご報告申し上げます」と報告。
続けて「昨年は活動50年を迎えてアリスの記念ライブ『ALICE GREAT
50(FIFTY)』を有明アリーナで開催しアリスメンバーの堀内孝雄・矢沢透と共にここからリスタートして10年続けようと目標を立てて本人も楽しみにしておりましたが、残念ながらその夢は叶わず、満75年の生涯を終える事となりました。後日には皆で集まって故人を偲ぶ場を設けたいと思っております」とした。
谷村さんは、1948年12月11日生まれ、大阪府出身。65年、高校3年生でアマチュアのフォークトリオ「ロック・キャンディーズ」を結成した。解散後、73年には「走っておいで恋人よ」にてアリスとしてデビュー。日本を代表するフォークシンガーのひとりとして活躍した。
■報告全文
《ご報告とご挨拶》
平素よりご厚情をいただき心より感謝申し上げます。
今年の3月に腸炎での手術を行い療養を続けておりました谷村新司ですが、10月8日に息を引き取り、永眠いたしました。
本人も回復に向けて頑張っておりましたので、本当に残念に思います。
葬儀は近親者のみにて10月15日に執り行い、とても穏やかな顔で旅立ちました事をご報告申し上げます。
昨年は、活動50年を迎えてアリスの記念ライブ「ALICE GREAT 50(FIFTY)」を有明アリーナで開催し、アリスメンバーの堀内孝雄・矢沢透と共にここからリスタートして10年続けようと目標を立てて本人も楽しみにしておりましたが残念ながらその夢は叶わず
満75年の生涯を終える事となりました。
後日には皆で集まって故人を偲ぶ場を設けたいと思っております。
日本語の精神文化を大事に歌詞を紡いできた谷村でしたが、代表曲でもある「昴-すばる-」は沢山の方々とのご緑の道を継いでくれました。
生前「歌と音楽は目に見えないからこそ 海も空も超えていく」と、たくさんの国にも出掛けていきました。
歌を創作し、歌い伝える旅を続けてきた人生でしたが、この度来世への戒名を頂戴し「天昴院音薫法楽日新居士」(てんぼういんおんくんほうらくにっしんこじ)
と名付けられました。
まさしく、天にある星となって私達を照らし続けてくれる事だろうと思います。
歌と音楽にピリオドはなく、皆さまの心にいつまでも残る事を願って心よりの感謝を深く申し上げたいと存じます。
これまでに沢山の「愛」をいただき、本当に有難うございました。
2023年10月16日
株式会社ダオ
売れる、売れないは気にしない
谷村新司さんは品のいい人だった。インタビュー中はずっと微笑みを絶やさず、時折ジョークを言い、こちらを和ませてくれた。
谷村さんは1971年、堀内孝雄(73)とアリスを結成。翌72年に矢沢透(74)が合流した。その後、映画のタイトルにまでなった「帰らざる日々」(1976年)や「遠くで汽笛を聞きながら」(同)などの名曲を世に放つが、売れなかった。当時のフォークの聴き手は中高生が中心だったものの、詞も曲もやや大人びていたことが一因だろう。
「アリスは売れないグループ」というレッテルが貼られたころ、「冬の稲妻」が大ヒットする。谷村さんが作詞し、堀内が作曲、ギターの神様・石川鷹彦(80)が編曲した。それまでのフォークと違い、ロックの香りが強く、イントロから刺激的だった。今度は中高生からも圧倒的に支持され、TBS「ザ・ベストテン」(1978~89年)で最高5位に入った。
世間は「アリスの時代が来た」と騒ぐ。だが、谷村さんはクールで、「売れる作品はいつでもつくれた」と言い放つ。後の実績を見ると、たしかに売れる作品は簡単につくることができたのだろう。
「流行るものは、いずれ廃れてしまう」
しかし、谷村さんは売るために曲をつくるのが嫌だったのだ。2015年のインタビューでこう語っている。 「売れる、売れないは気にしません。流行りものをつくろうと思ったこともないです。流行るものは、いずれ廃れてしまいますから」(谷村さん)
流行りものをつくろうとしたら、「いい日旅立ち」は生まれないだろう。この曲はリリースされた1978年当時、レコード売り上げが約54万枚に過ぎなかった。だが、2005年にNHKが実施した「スキウタ~紅白みんなでアンケート~」で紅組の10位になる。2007年に文化庁が発表した「日本の歌百選」にも選ばれた。作品もロングセラーとなり、累計では100万枚を突破している。
「周囲が『次の谷村の作品は、こう来る』と思っていたら、それには絶対に従いません」(谷村さん) プライドの高い人だった。一方で、音楽界で敵のいなかった人としても知られる。温厚な人格者だったからである。やはり大物の吉田拓郎(77)とも良好な関係を築いていた。2人が2014年に音楽番組で共演した後の打ち上げのエピソードが愉快だ。
吉田拓郎から「谷村に付いていく」
「打ち上げ会場は焼き肉店だったのですが、酒が入った拓郎さんが『谷村さぁ、おまえの歌はスケールがデカすぎるんだよ』と言い始めまして(笑)」(谷村さん)
確かに「昂」には♪宿命の星たちよ――など壮大な下りがある。「サライ」にも「空」が何度も出てくる。一方、吉田の作品には「俺」や「おまえ」がよく登場し、身近なことをテーマにしていることが多い。対象的である。吉田はそれを知った上でジョークを放ったのだろう。
「酔ってしまった拓郎さんは『こんな歌を作るヤツなんて、信用できねぇ』って(笑)。拓郎さんには独特の照れがあり、なおかつ少年みたいな人ですから、彼らしい言葉でした。ちなみに僕は拓郎さんの歌に違和感はおぼえたことがありませんでした。どんな歌であろうが、その人が作る世界ですから」(谷村さん) 谷村さんは吉田が突っかかってきたことを喜んでいた。親しみの表れだからだ。
「拓郎さんは最後には『分かった。俺はこれから谷村に付いていくわ』って言っていました(笑)」
商業用の音楽DVDを初めてつくったミュージシャン
それでも誤解を受けることはあった。「昂」、「サライ」などを歌ったことから、TBS「NEWS23」にゲスト出演した際、キャスターだった故・筑紫哲也さんから「あなたの歌は右寄り」と評された。名ジャーナリストとして鳴らした筑紫さんだが、さすがにこの判断は的はずれだろう。
「僕は命の尊さや鎮魂歌は歌ってきましたが、『右』とか『左』とか、そういう次元で作品をつくったことはありません。『防人の詩』(1980年)を歌ったさだまさしさんも同じような批評を経験しましたね」(谷村さん) 谷村さんは2004年、中国の上海音楽学院の教授に就任した。中国では偉人扱いを受けている。右寄りだったら、教授就任を依頼されないだろう。
「それでも筑紫さんは僕に対する自分の考えを堂々と目の前で言ってくれたのが良かった。僕は陰でコソコソと何かを言う人を信用しません」(谷村さん) ちなみに筑紫さんの誤解はすぐに解け、たびたび谷村さんのコンサートに訪れるようになったという。 谷村さんは古い物を大切にする一方、新しい物を積極的に採り入れる人でもあった。 「商業用の音楽DVDを初めてつくったのは僕なんですよ」
1996年に発売されたDVD「シンジ ラ ムニタ」である。 「このDVDの記者会見には音楽担当記者が誰も来なくて。産業担当や工業担当の記者ばかりでした(笑)」
チャリティにも熱心
チャリティにも関心が高い人だった。2011年に東日本大震災が起こると、実家のある茨城県北茨城市が甚大な被害を受けた石井竜也(64)と2人でチャリティソング「風の子守歌~あしたの君へ~」をつくり、歌った。谷村さんが作詞、石井が作曲を担当した。
リリースは翌2012年。売り上げも印税も全額を被災地の進学希望者を支援する毎日希望奨学金に寄附した。谷村さんは「一般の人がカラオケで歌うことでも(印税が)基金になるので、どんどん多くの方々に歌ってほしい」と呼び掛けていた。
1970年代には深夜放送のスターでもあった。「セイ! ヤング」(文化放送)や「ヤングタウン」(毎日放送)などの看板DJとして活躍した。特に人気だったのが「セイ! ヤング」のコーナー「天才・秀才・バカ」である。
3段オチのネタの投稿企画で、天才はこう、秀才はこう、オチのバカはこうという形で話は進んだ。大半は下ネタ絡みだったが、谷村さんはメジャーになった後も辞めようとしなかった。売れても変わらないのが谷村さんのダンディズムだったのではないか。
ラジオは断続的に2010年代まで続けた。ギャラが安く、聴いている人の数もそう多くないラジオを去って行く芸能人は多いが、谷村さんは少数派を大切にした。これも美学だったに違いない。 上海音楽学院の教授を務めてからは日本を学んでいた。
「学生たちが『先生、日本について教えてください』と目を輝かせるんです。ところが、自分には答えられないことがいくつもあった。これではいけないと思って、『よし、日本を学び直そう』と考え、勉強を始めたんです」(谷村さん) まだ、やりたいこと、つくりたい歌が無数にあっただろう。 高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。 デイリー新潮編集部
新潮社
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名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:45)
私にとって谷村さんの思い出はもちろんアリスの曲もありますが、
ラジオの軽快なしゃべりも思い出深いです。
特にばんばひろふみさんとの掛け合いでネタハガキを紹介する「天才秀才バカのコーナー」が楽しくて30分があっという間でした。
当時中学生だった私には生きる糧と言ってよく、それを楽しみに1週間を過ごしていました。
谷村さんが入院していたのは知りませんでした。
突然の訃報に驚くばかりです。
ご冥福をお祈りいたします。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:46)
学生時代81年だったかアリスの解散コンサートを後楽園球場でみました。
コンサートというと最後にアンコールがあるのが当たり前でその時も球場全体にアンコールの声がこだましました。しばらくしてもアンコールはおこなわれず、彼らのいた場所の電気が消えました。そこにいた人全員がアンコールは無いんだと理解したようです。なんか彼ららしいなと妙に納得したのを覚えています。40年以上前の青春の思い出です。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:46)
谷村新司さんは急性腸炎のためことし3月から入院療養中でしたね。5月からアリス3人でライブツアー予定でしたが、谷村さんの療養優先で延期になっていました。ツアーを実現出来ず本人もメンバーもご家族もファンも残念ですね。
昴をはじめ沢山の名曲を生み出して日本フォーク界を牽引された1人です。昭和46年アリスデビューから約52年。第一線で活躍された事は偉業ですね。
ご冥福をお祈り致します。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:47)
えっ!?急急性腸炎で手術したなら大丈夫だろうって勝手に思ってた…痩せるだろうなぁとは思ったけど…
今の時代74歳なんてまだ若いのに…
坂本龍一もすごいショックだったけれど、彼は難しいだろうなぁって思ってたところもあって悲しいけど驚くことはなかった。谷村新司さんは本当にびっくりした。
あの歌声と笑顔がもう見られないのか…悲しい
ご冥福をお祈りします
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:47)
中学生、高校生の頃だったでしょうか、ヤンタン金曜日を聞いていました。
女性立ち入り禁止コーナーが凄く楽しみでラジオのチューニングを合わしていた頃が懐かしいです。
小川知子さんとのデュエット等ちょっとエッチな感じがたまらないおじさんでした。
大人になって改めて音楽を聴き直してみると素晴らしい音楽ばかりで。。
今聞いてもいい歌ですね。改めてCD聞き直そうと思います。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:48)
10年以上前に銀座のレストランでお会いしたことがありました。
小さな店で客も私達家族と谷村さんとその連れの2組だけ。深夜放送のセイヤンク時代からのファンだった私は興奮して声をかけましたが、嫌な顔ひとつせずに笑顔で応じてくれたことを覚えています。
最近はテレビで見ることがなくなり、どうされたかと思っていましたが、とても残念です。
最後に握手した時の温かな手がまだ記憶に残っています。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:48)
谷村さんと言えばやはり私は「いい日旅立ち」です。
私が大好きな歌でもあります。
この歌は谷村さんが百恵さんに贈った歌としてみ有名ですが
谷村さん自身もセルフカバーされています。
そしてこの歌をきっかけにアリスの「チャンピオン」や
谷村さんがソロとなってからの「群青」などの楽曲も好きになったのです。
「いい日旅立ち」は百恵さんとデュエットされただけでなく
息子の祐太朗君ともデュエットされています。
その意味でも谷村さんは幸せだったと思います。
本当に残念ですが、謹んで谷村新司さんのご冥福をお祈り致します。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:49)
代表曲の1つである「昴 -すばる-」の歌詞は、意味をよくよく考えると?な部分もあるのだけど、とにかく歌った際のフレーズとして非常に素晴らしかった。他歌手に提供した楽曲にも?な歌詞が含まれたが、やはり人の心に刺さる。80年代に深夜ラジオを聴いていた者として、楽曲とトークのギャップも印象的だった。今日はベストコレクションのCDを聴いて谷村新司さんを偲ぶ事としよう。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:50)
チンペイさん、逝ったのか。。。
自分は中学に上がってすぐにバンドを組んだんだけど、そのバンドは当時「冬の稲妻」をヒットさせたアリスのコピーバンドだった。
今でもバンド仲間とは仲良くしてて、忘年会・新年会ではカラオケに行ってアリスのナンバーを何時間も歌ったりしてる。
楽しい青春のひと時と人生を通じての仲間を与えてくれた。
本当に感謝しています。
心からご冥福をお祈り致します。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:50)
一時期『コアなファンでもないが1度見てみたい大物歌手』のコンサートに興味本位で色々見に言ってた時期がありました。普段お茶の間のテレビでしか見てませんでしたが、谷村新司さんのコンサートにも行きました。知ってる曲も多く、とにかく歌が素晴らしく非常に感動して帰った記憶があります。色んな大物のコンサートを見て回った中で殆どの方は素晴らしかったですが、歌のすばらしさの感動のあまり涙が吹き出して最後に立ち上がってファンの皆さんとスタンディングオベーションをしたのは谷村新司さんのコンサートだけでした。
間違いなく大御所、素晴らしいアーティストでした。学生時代に深夜谷村さんの下ネタばかりのラジオを聞いて笑って過ごしていた青春時代も非常に良い思い出です。心からご冥福をお祈りします。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:51)
世代的に、音楽界の大御所という事は知っていても、アリスでのご活躍は知らず、紅白歌合戦などで谷村さんの曲を聴いた事があるという程度でしたが、今から20年くらい前に、女性パーソナリティと谷村さんのラジオ番組が、車に乗っている時間に偶然流れていて、楽しませていただきました。
訃報を聞いてビックリしました。
ご病気だったとの事なので、苦しみながら亡くなられたかも知れませんが、今は苦しみから解放されて、音楽を楽しんでいて欲しいと思います。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:51)
訃報に驚くとともに悲しい想いでいっぱいです
私が還暦の時に、私が谷村新司のファンなのを妻が知っていて、地元近くでコンサートがあるのに合わせてチケットをお祝いを兼ねて取ってくれました
コンサートではウイットにとんだトークも楽しく、ソロの歌唱力も抜群で唯一無二の存在で感動したのを覚えています
ご冥福をお祈りいたします
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:52)
両親が大ファンで、チャンピオン、狂った果実、冬の稲妻、遠くで汽笛を聞きながら、エスピオナージ、帰らざる日々、それぞれの秋、車の中、リビング、寝室、何処からでも、アリスの楽曲が流れており、子供の頃口ずさんでいた、その私も50を過ぎ、両親は谷村さんと全くの同世代。体制に抗った70年代とそれが終わった81年に解散したアリス。ソロ後も昴、群青、サライ等壮大な名曲を残してくれた谷村新司さん。本当にありがとうございました。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:53)
小学生の時代から姉の影響で谷村新司さんのラジオ「セイヤング」を聴きながら育ちました。
チンぺーさんとばんばひろふみさんバンバンの『天才・秀才・バカ』のコーナーが大好きで、夕方に移動した「青春大通り」でもお二人の掛け合いが面白く
はがき職人に憧れて毎週何枚ものはがきを送っていたのは良い思い出です。
チンぺーさんの歌もよく聴いていましたね、その中でも『昴』は特別で
歌詞の「目を閉じて何も見えず、悲しくて目を開ければ、荒野に向かう道より他に見えるものは無し」この一説は、モンゴルを走るアドベンチャー・ラリーに出場して、ミスコースで道に迷い遭難寸前まで行ったときに『昴』の歌を歌いながら満天の星の草原で夜を過ごしたことを思い出します。
チンぺーさん、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:54)
私がアリスの曲を初めて聞いたのが、母親が台所仕事をしながら聴いていたラジオを録音したと思しきチャンピオンだったかと思います。子供心にギターやボーカルのかっこよさに痺れたものでした。
冬の稲妻などの激しめの曲から、昴やいい日旅立ちなどのしっとりした曲もみんなよかったです。まだ74歳って早すぎますよね。ご冥福をお祈りします。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:54)
中学の頃から「MBSヤングタウン」を聴きはじめましたが、下ネタ満載だったので、当時私にとってはけっこう刺激的な性教育ラジオでした。
しばらくして「冬の稲妻」がヒットし、スターダムを駆け上がりましたが、好きな曲も多くて、アリスは青春時代の思い出深いアーチストです。
74歳はまだ若いですね。お悔やみ申し上げます。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:55)
腸炎は方便で実際は癌だったのかと思われる方もいるかもしれませんが
74歳と高齢なので手術自体リスクを伴います。
術後の感染症、敗血症、肺炎など併発すると予後が厳しくなることがあります。
無駄な詮索はせず、ただ冥福を祈るばかりです。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:55)
腸炎の手術をされたあと物凄く痩せていたから心配をしていました。
両親が同年代で小学生の頃長期ドライブのお供はアリスで、車内で家族で歌っていたのが思い出です。カラオケでも家族で歌っていました。
おかげで高校生になっても持ち歌はアリスだった。群青も昴もいい日旅立ちもいい歌ばかりで今も大好きです。
ご冥福をお祈りします。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:56)
初めて小遣いで買ったレコードがアリスの「チャンピオン」でした。あのギターで始まる前奏に衝撃を受け何回もレコードを聞き返しました。もう当時のレコードはありませんが、自分の音楽プレーヤーにはもちろんアリスの「チャンピオン」は入れてあります。この訃報を受け改めて「チャンピオン」を聴きたいと思います。チンペイ(谷村新司)さんのご冥福をお祈りします。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:57)
本当に突然の訃報でショックでした。
堀内さんも矢沢さんもショックだったと思います。学生時代からアリスの歌が好きで歌も良く聞いていました。谷村新司さん,74才で亡くなったと思うととても残念てす。坂本龍一さんも71才で亡くなられて歌手の方も70代で沢山の方が亡くなられています。皆さん70代で若くして亡くなられているのが本当に残念です。「昴」「冬の稲妻」「チャンピオン」など良い歌を沢山作ってくれて私達の気持ちを明るく元気にしてくれた事が感謝です。山口百恵さんの「いい日旅立ち」も良い歌でヒットした事も嬉しかったです。今まで沢山,心に残る曲を作って歌ってくれてありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:57)
谷村さんと言えばアリスからソロになってからは「昴」、「階(きざはし」、「三都物語」そして「サライ」や春のセンバツ現大会歌「今ありて」などの曲がとても印象に残っています。その谷村さんが闘病生活から再びステージに立てる日を信じていたのに今は驚きとひとつの時代がまた終わってしまったのかと言う気持ちでいっぱいです。まだまだやり残した事がいっぱいあった本人がとても悔しい事でしょう。心よりご冥福を御祈り致します。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:58)
驚きました。
お体の具合が良くないことは知っていましたが、こんなにも早く亡くなってしまうとは…
今60代半ばの私にとって、谷村さんといえば文化放送セイヤングの「天才秀才バカ」コーナーが1番印象的でした。中学時代クラスのみんなが聴いていて、翌朝はその放送の話題で盛り上がったものです。
あの頃自分は洋楽の方が好きだったので、アリスはあまりききませんでした。でも友達にはファンがたくさんいましたね。
谷村さん、どうぞ安らかにお休みください。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:59)
小学生時代、実姉とともにアリスに夢中でした。
中学生時代、『昴』や『群青』に聴き入りました。
『いい日旅立ち』『三都物語』
旅情を誘う国鉄→JRのキャンペーンソングが大好きでした。
名曲は永遠に世に歌い継がれます。
きっと新幹線の車内放送でも…。
長い間お疲れ様でした。
たくさんの感動を有り難うございました。
どうか、どうか安らかに。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 16:59)
中学時代は放送委員会。
給食の時間は好きな音楽がかけられた事をいいことに、アリスを大音量で流して何度先生から大目玉を喰らったことか。
冬の稲妻、チャンピオン、狂った果実、ジョニーの子守唄あたりはパワープレーしてたなぁ。
また一つ青春の一コマが消えちゃうのが辛いです。
ご冥福をお祈りいたします。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:00)
突然の訃報に驚くばかりです。
ニックネームで、”くずれパンダ”とか”チンペイちゃん”とか呼ばれていた時代もありました。深夜放送、セイヤングは我々世代。特にばんばひろふみさんとの掛け合いは、深夜ゆえに笑いを懸命に堪えた思い出が蘇ります。アリス結成と共に素晴らしいご活躍を筆頭に作曲にも手掛けられて名実ともに素晴らしい音楽家としてなられました。非常に悲しく残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:01)
中学生の70年代頃からか本当に沢山の素晴らしい歌を聞かせて貰いました。
正直NHKラジオで訃報の知らせで元アリスと聞いた時まさか谷川さんとはとても信じられませんでした。
嘘だと思い調べると急性腸炎で休養中を知り、えっこの病気で亡くなるのかと信じられませんでした。
人生100年と言うが60,70代と亡くなる方が多過ぎる。
また1人大事な方が亡くなってしまい痛恨の極みです。
心よりご冥福をお祈りします
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:02)
田舎に住んでたので文化放送は聴けず、ワニブックスの谷村さんの本を買い、友人が「あのアリスの人?こんな面白いの?」などと言ってたのを思い出す。タイに旅行に行ったらホテルのロビーで民族楽器を演奏してた人たちが、日本人が来たと思い「昴」を弾き始めた、というのもあったなあ。エロ本マニアだというのも好感(笑)が持てました。お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:02)
遠くで汽笛を聴きながら
自分たちがデビューして間もない頃売れずに苦労した思いを歌にしたのかな
なんて勝手な想像しながら聴いてました
若い頃谷村さんの著書を読んで相当苦労した事を書いてましたがその苦労が報われる日が来て幸せだったのかなと思いました
気さくな人柄で毎日放送のヤンタンでは下ネタも普通に喋る親近感の沸くミュージシャンだった
残念すぎる
ご冥福をお祈りします
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:03)
10年位前、出張帰りに新幹線新横浜で降りるときに谷村さんと偶然デッキで一緒になり、握手してもらったのを思い出した。グリーン車で周囲にそれほど人もいなかったせいか快く握手に応じてくれ、物腰が柔らかく穏やかでイメージ通りの人だった。特にファンではないけれど、アリス時代からの沢山のヒット曲は今でも耳に残ってる。合掌。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:04)
アリスのファンだったので突然の訃報を知り驚きました。ご冥福をお祈りいたします。腸炎についてネットで検索しましたが、重篤になるのはまれであると説明でした。手術は成功しても術後の経過が悪かったのでしょうか。平均寿命からみると、まだ10年近くは現役で活動できたと思いますが、残念です。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:05)
11才離れた姉の影響で私もアリスや谷村さんソロの曲を小学生の頃から聴いていました。
"青春"という言葉を眼にすると決まって谷村さんが思い浮かびます。力強い歌声、しっとりした歌声、美しい歌詞。。。
姉が大事にしていたカセットテープを留守中こっそり部屋に忍び込んで聴いた谷村さんの歌声。。。
有難うございました。お疲れ様でした。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:06)
速報で知ってビックリです。
谷村新司さんの想い出は、自分にとっては何と言っても、深夜ラジオのセイヤング。 特に「天才・秀才・バカ」のコーナーは好きでねぇ。
あのブルースリーの燃えよドラゴンのテーマ曲が流れてくるとワクワクして聴いたものでした。
アリスの曲も好きで、よく聞きましたよ。 今もカラオケではよく歌わせてもらってます。
そうですか・・・ お亡くなりになったんですねぇ。 本当に寂しいです。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:07)
学生時代81年だったかアリスの解散コンサートを後楽園球場でみました。
コンサートというと最後にアンコールがあるのが当たり前でその時も球場全体にアンコールの声がこだましました。しばらくしてもアンコールはおこなわれず、彼らのいた場所の電気が消えました。そこにいた人全員がアンコールは無いんだと理解したようです。なんか彼ららしいなと妙に納得したのを覚えています。40年以上前の青春の思い出です。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:08)
ゴゴスマで拝見しましたけど、10/8に亡くなられたということは一週間後というわけですね。
石井亮次アナは74歳まだ若いのにと発言していました。アリス復活コンサートツアーを目標に頑張っていたのに…。
数々の曲を提供してくださりありがとうございます。
記憶にあるのはチャンピオン・昴・サライなど有名曲があり過ぎて数えきれません。
ありがとうございました。
ゆっくりとお休みください。
名無し (月曜日, 16 10月 2023 17:09)
ご冥福をお祈り致します。亡くなられたのが8日、発表が今日の午後、テレ東のニュース速報で見てワイドショーに切り替えた。ミヤネ屋が以前北海道で谷村と二人で撮った写真を写してた。療養中であり、いつかはと思っていたか、其れとも逝去から日が経っていたから公表の日に備えて準備して居たか。それにしてもミヤネと二人の写真だとは、不愉快だ。
療養中であって、回復が見込めないなら、Xデーに備えて準備をするのは当然かも知らないけど。
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:51)
尖った強い信念を持ちつつも、温厚さを併せ持ち、敵を作らない。なかなか真似できる事ではないですよね。
すごく言葉を選ぶし、プロデューサー視点で物事を考えられるというのも、ミュージシャンにはなかなかいない方。
BS日テレ放送の地球劇場で、ゲスト吉田拓郎回を実現できたのも、チンペイさんのプロデュース能力あっての事だと思う。
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:52)
ビートたけしがホスト役のTV番組に谷村さんがゲストで出ていた。テーマは「団塊の世代」。二人ともまさにその年代。「同い年が陽水ですよ。一つ上が小田さんだし、もう一つ上が拓郎さんで…」スタジオからどよめきが起きていた。そういえば谷村さんの一つ下が矢沢さんだし。やっぱり数が多ければ逸材も多いんだろう。
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:52)
山口百恵ちゃんの「いい日旅立ち」・・・
当時大ヒットした。
当時の国鉄がキャンペーンを展開していたよ。
ポスターなどが貼られてね・・・
まだ子供だったけれど、大きく触発されてしまった。
大学に入ってからは、一人旅をするようになった。いつも脳裏に流れていたのが
「いい日旅立ち」
谷村新司逝去は悲しいが、あえてありがとうございますと感謝。
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:53)
谷村は人より一周はやく全てを洞察できていたような気がする。それは人はストレス、トラブル、
これらに見舞われるがやがて星や海、そこに
エネルギーを感じて充電され立ち直って行く。
人生とはそのようなものである。
だから人生の応援歌を作ろう。ならばきっと
共感してもらえるだろう。これが谷村のモチーフな気がする。壮大なスケールは現実逃避であり
同時に心の充電に結びついていく。谷村新司とは
明日へと希望をつなぐ吟遊詩人であったと思う。人々はそのような存在を苦難にあったとき求める。そこに応えるのが谷村新司であったと思う。
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:53)
コロナで活動がままならなかった頃、今どきの若い人の感覚を知るのには何がいいかと考えた末に最近のアニメの良作を見ようと思い立ち、若いスタッフに作品を色々と紹介してもらい自宅でひたすら見ているうちにすっかりアニメにハマってしまったそうです。ミュージックフェアで特に良かったと感じた作品をいくつか紹介しておられました
70歳を過ぎても、決して古い価値観に囚われず、みずみずしい感性を維持し続けようと努力しておられたこのエピソードを知って、改めてチンペイさんの凄さを感じさせられました
チンペイさんのようにカッコよくは生きられませんが、少しでも素敵な歳の取り方をしたいなと憧れています
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:54)
小学生の頃に好きになったアリス
楽曲もさる事ながらファンになって聴きこんだのは、彼等の人間性や詞の影響を受けたと思う
ジョニーの子守唄なんて、小学生が聴いてもええ詩やなあと思ったし大人になれば気持ちが分かるんだよなとも思った
チンペイは、お母さんが三味線のおっしょさんだったはず
だから、ギターを弾く姿が姿勢が良くカッコイイ
晩年は、東京都心に住んでたみたいだけど最後まで大阪人だったと思いたい
7~8年前、大阪城ホールでアリスLIVEを観た
凄いパワフルなステージで驚いた
最初で最後のアリスLIVEになってしまった
ご冥福をお祈りします
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:55)
拓郎さんとの会話は、流石に二人の巨人という風情ですね。
自分の感情の前に、相手の感情を読み取っている。
勝手に踊りださないというのは、大人の処世術の一つですよね。
こういう会話は嬉しいです。
右寄り、という話もありましたが、さだまさしさんの語った逸話があります。
防人の詩がヒットし、世間に右翼と言われていた頃、谷村さんは「群青」という曲を作り、映画の主題歌ということもありヒットしました。
さださんが「(防人…)が叩かれているのに何故」と問うと、谷村さんは「敢えて火中の栗を拾う」と答えたそうです。
カッコいいです!
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:56)
若い頃の拓郎と谷村さんには、あまり接点はなかったようですが、セイヤングのチャーミングなお客様コーナー?だったか、一度、拓郎さんがゲストに来た事がありました。コーナー名のチャーミングが拓郎的には引っ掛かっていたようで、冒頭、「突っ込み」していたと記憶しています。実はこのコーナー、今では考えられない方もゲストで来られており、中でも、キャロル時代の矢沢永吉さんが来たことは、あまり知られてない様です。会話の最中、永ちゃんが「金◯」と発言し、不意を突かれた谷村さんが大慌てした。
皆、売れる前、苦労していた時代です。
アリス初期のLPでは、バックコーラスにオフコース、ギターに桑名正博や高中正義。苦労はあっても、皆、いい時間を過ごされていたんだなと思います。
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:57)
>キャスターだった故・筑紫哲也さんから「あなたの歌は右寄り」と評された。
『群青』という曲が映画『連合艦隊』の主題歌で、右翼の大立者・野村秋介氏の愛唱歌だったから、そう言われるんでしょうね。
優れた挽歌である『防人の詩』を歌ったさださんが戦争賛美と散々叩かれたことに怒り、火中の栗を拾う覚悟で映画の主題歌を作ったそうです。あの歌は戦争を賛美するどころか、戦争のせいで親よりも先に逝ってしまった我が子を悼む慟哭なのに。いかにも筑紫“温泉街”哲也氏らしい、ピント外れの発言です。
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:58)
音楽家としても、相当なセンスと才能を発揮されたが、このひとの話術はまさに天才的なものがあった☆
いろいろなことをよく知っていらっしゃったので、硬軟取り混ぜたあらゆる話題を独自の切り口で語っていらっしゃったし、下ネタを話されても、何ともいえない気品を伴っていた!
そういえば、拓郎さンレギュラーのテレビ番組で、『オナラをするとき、一瞬ドキッとすることってないですか!?』とのチンペイさンの問いかけに、『アンタ、本当に【昴】作ったひと?!』と云われていたのは、ご愛嬌♪
名無し (木曜日, 19 10月 2023 12:59)
谷村新司さんは才能ある詩人でした。
さだまさしさんと比較できるくらいのレベル
いわゆる文学を感じる人でした。
吉田拓郎さんは書物で例えると、写真週刊誌のたぐいですね^_^
比較にならない^_^
旧ジャニーズで言うと、
良い悪い・好き・嫌いということではなく、
吉田拓郎さんは「木村拓哉」永遠の素人
谷村新司さんは「岡田准一」キレのある才能
というイメージですね^_^
谷村新司さん!本当にありがとうございました!
名無し (木曜日, 19 10月 2023 13:00)
拓郎ファンなら知ってるエピソードでTV番組で小田和正は歌いたい曲は没で谷村新司は歌わせてくれた「どっちがいい人?」というライブMCがあったのを思い出した。R.I.P.
名無し (木曜日, 19 10月 2023 13:01)
バンバンとのヤンタンでの聴視者からの投稿。
谷村新司が床屋に行き七三に分けてと言ったときの床屋の返答が7本と3本に分けるんですか?
谷村新司本人が読んでバンバンがあの笑い声で爆笑。今でも覚えています。当時から髪の毛は少なかったですね。