· 

大パニックのとき、二人の宣教師は落ち着いて…【青空と向日葵の会】

【大パニックのとき、二人の宣教師は落ち着いて…】
https://yuru2club.com/wp/?p=8024
1954年9月26日、青函連絡船「洞爺丸」が、
津軽海峡上で座礁転覆。
1155人の死者・行方不明者を出す大惨事になってしまいました。
これは日本海難史上最悪の事故といわれています。
その中には、米人リーパーとカナダ人・ストーンという名の、
二人の宣教師が含まれています。
船が座礁転覆する前、船内放送で
救命胴衣の着用指令が出されていました。
船内は慌てふためく乗客、
泣き騒ぐ子どもたちで、パニック状態に陥りました。
そのような中、せめて子どもたちを落ち着かせようと、
リーパーさんは、手品などで気をそらせる心遣いをしました。
ストーンさんも周りの子どもたちをあやすのに懸命でした。
この二人は、結局この事故の犠牲となり、
命を落とすことになりました。
ただ、生存した乗客たちの証言から、二人が、
ギリギリまで救命行為をしていたことがわかったのです

教師リーパーさんは、 救命胴衣の紐が切れて泣いている少女を見つけます。

リーパーさんは、迷うことなく自分の救命胴衣を外し、 「私よりあなたのほうが若いから」と、 その少女に着せてあげました。

またストーンさんは、救命胴衣の行き渡らなかった青年に、 胴衣を譲りました。

その結果、少女と青年は無事に生還し、 リーパーさんとストーンさんは帰らぬ人となりました。

来日したストーンさんの息子の話によれば、 ストーンさんはまったく泳げなかったといいます。

そして、自分の命を顧みず、青年を救った父のことを 誇りに思うと語っていたそうです。

ちなみに、この事故をきっかけとして、 本州と北海道を地続きにする「青函トンネル」構想が 急速に具体化されることになったのです。