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「あき缶号」車いす100台の奇蹟【青空と向日葵の会】

【「あき缶号」車いす100台の奇蹟】
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大阪府松原市に、脳性マヒで車いす生活を余儀なくされている女性がいました。
名前は、福井千佳子さんといいます。
生まれてすぐに脳性マヒと診断された彼女は、
懸命なリハビリも功を奏さず、学校に通うことすらできませんでした。
さらに両親が離婚したり、同じ境遇の知人が急死したりして、
苦しい毎日を送ることに。
次第に彼女は心を閉ざすようになりました。
その様子を見かねた彼女の母親が、
市役所から電動式の車いすを借りてきます。
これで外の世界に触れ、少しでも自立をしてほしいという願いからでした。
車いすに乗って外に出かけた福井さんが見つけたものは、
家から40分くらいのところにある特別養護老人ホーム「新生苑」でした。
このホームへリハビリに通うことになった彼女は、
親切にしてくれたホームの人たちに
何か恩返しをしたいと考えるようになります。
「新生苑」の人たちの親切が身に染みていた福井さん。
助けてもらうだけの自分でいいのだろうか。
それなりに何か役にたつことがないだろうか。
日々、そのことを考え続けました。
しかし、福井さんにできることは限られています。
行動範囲も狭く、体も不自由だし、お金もありません。
あるとき、テレビのニュースで偶然見かけたのが、
空き缶を回収してリサイクルしている会社の存在でした。
「これだ!」
と福井さんはひらめきました

して40歳も間近に迫ったころ、 福井さんは釣竿を改良した棒を使って、 車いすに乗ったままアルミの空き缶を拾うという、 自立への第一歩を踏み出しました。

平成2年のことでした。

周囲からの好奇の目に晒されました。 また心無い人たちから中傷を受けることもありました。

もういやだ、…いったん動き始めた福井さんですが、 あきらめかけようとしていました。

そんなとき、弱気になる彼女を、その都度叱咤してくれたのは、 じっとそばについている母親でした。

母親も一緒に朝の5時からごみ収集場所を回り続けます。

そのうち彼女の活動に賛同した酒店が、 アルミ缶をまとめて出してくれるようになりました。

また周囲の人たちも、彼女の一途な気持ちを理解して、 空き缶を貯めておいてくれるようになりました。

活動をはじめてから半年が経ち、 約36,000個のアルミ缶を業者に引き取ってもらい、 そのお金であの老人ホーム「新生苑」に 車いすを1台寄付することができたのです。

目に涙をためて「ありがとう」を言ってくれるスタッフの方々。 入所の高齢者の方々からも「ありがとう」の声をたくさん受けました。

でも、誰よりも嬉しかったのは、 福井さん本人でした。 「ああ、私でも誰かに”ありがとう”を言ってもらえるのだ」

福井さんの気持ちに火が付きました。

その後も彼女の活動は続けられ、 5年後には、100台を超える車いすが、 全国の福祉施設に寄付されました。