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FASHION / TREND & STORY デヴォン青木が世界に放つ無二の光──「モデルは私のアイデンティティを輝かせる名誉ある仕事」

90年代のファッション業界を席巻したグランジムーブメントに乗って台頭したケイト・モスら“規格外”のモデルたち。そんな中、アメリカと日本のアイデンティティを武器に、唯一無二の輝きを放っていたのが、デヴォン青木だ。数多のトップクリエイターを魅了し、現在に続くファッション業界におけるダイバーシティを強く促進した彼女のキャリアとプライベートを深掘りする。

成功へと導いた故カール・ラガーフェルドとの絆

シャネル2008年春夏オートクチュール のショーにて、カール・ラガーフェルドと。

「1995年、NYでランシドのコンサートでエージェントからスカウトされた時、彼らに会えるバックステージパスと引き換えに『Interview』誌の撮影の仕事を引き受けました。これをきっかけに、モデルの仕事を始めましたのですが、キャリアのブレイクは、間違いなく1998年のシャネル(CHANEL)カール・ラガーフェルドとの仕事です。初めて彼の取り巻きに会った時、彼らは私をすぐに追い出そうとしましたが、カールだけは彼らが見向きもしなかった私の中にある“何か”を見抜いてくれた。だから今でも、彼には感謝しかありません」

2000年5月、東京・恵比寿ガーデンプレイスで開催されたシャネルのショーにて。裸足にウエディングドレス姿でフィナーレに登場した。

2017年、UK版『VOGUE』にデビュー当時のことをこう振り返ったデヴォン青木。この初仕事の直後に故郷のカリフォルニアを離れてロンドン移住した彼女は、以降シャネルを皮切りに、コム デ ギャルソンCOMME des GARÇONS)、パコ ラバンヌPACO RABANNE)、ジェレミー スコットJEREMY SCOTT)などのショーで頭角を現し、その独特の存在感で数多のクリエイターたちを魅了した。中でも彼女を寵愛し、ミューズとして起用し続けてきた故カール・ラガーフェルドとの絆には、並々ならぬ思い入れがあると語り、直近の2023年5月に受けたアメリカのテレビ取材では、カールとのこんなエピソードを披露している。

2001年シャネル春夏オートクチュールコレクションでは白のスーツを着用。

「シャネルの仕事は本当に楽しかったのですが、いつもシューズのサイズが問題でした。他のモデルたちは10以上ですが、私の足のサイズは6ととても小さいので、サンプルサイズがどれも合わなかったからです。そして日本でショーをすることになった時、仕方なく私はブカブカのシューズを持って向かいました。ですが当日の会場は階段だらけ。そこをウェディングドレスを着用してウォーキングしなければならなかった私は恐怖を感じ、カールに向かって「どうしよう、階段だらけで怖い!」と訴えました。すると彼はこう言ったのです。「だったら裸足でいいでしょう? ウエディングドレスに裸足なんて最高にシックだよ」と。カールのことを思う時、いつもこのエピソードを思い出すのです。モデルとしての私を育ててくれた、本当に素晴らしい人でした」

キャリアのターニングポイントに“ケイト・モス”

「私は子供の頃からパンクロッカーのようでした。だからファッション業界に入った当初も、ヴィヴィアン・ウエストウッドVIVIENNE WESTWOOD)にすごく憧れていたから、とにかくワクワクしたのを覚えています。そして、彼女が住むロンドンに移住して間もない頃、私はプライマル・スクリームのMV「Kowalski」(1997)で、ケイト・モスと車泥棒コンビを演じました。今思うと、これは後の映画『ワイルド・スピードX2』(2003)で演じたスーキー役の伏線回収だったのかもしれませんね(笑)」

こう語る彼女のモデルとしての成功に一役買ったのは、あのケイト・モスだ。しかし、二人の出会いについては、ケイトが雑誌に載っていたデヴォンを見出したという説もあれば、デヴォンのゴッドマザーが2人を引き合わせたという説もあり、どちらが本当かは定かではない。だが、身長わずか165cmというモデルとしては規格外のデヴォンを、同じく170cm弱のケイトが目をつけたのは必然であり、現在モデル事務所「ケイト・モス エージェンシー」のCEOとして新たな才能を発掘しているケイトには、デヴォンの成功を見抜く独自の審美眼が備わっているのは確かだ。

それを裏付けるように、セシリア・ディーンとスティーヴン・ガンが創刊した90年代NYアートシーンのカルトメディア『Visionaire(ヴィジョネア)』を筆頭に、『VOGUE』などのファッションストーリーに抜擢されるなど、ケイトとの出会いからモデルとして大きな飛躍を遂げたデヴォン。そんな彼女は、90年代後半の時代の変わり目に彗星の如く現れ、独特の存在感でファッション業界を永遠に変えてしまった稀有な存在だと言える。

周囲と“違う”ということ

「私の母は、自立心と情熱を持ち合わせた素晴らしい人。そして、私が見ても信じられないほど内面も外見も魅力的な女性です。今の私のポジティブシンキングを支えているのは、間違いなく母です。芸術家である母は絵を描いたり、ジュエリーデザインしたり……彼女は、私の理想そのものです」

1982年、NYで生まれ育ったデヴォンの父は元レスリング選手であり、レストラン「BENIHANA」の創業者としてアメリカを中心に日本食文化を根付かせた実業家“ロッキー青木”こと青木廣彰(2008年に他界)。そして、母はジュエリーデザイナーのパメラ・ヒルバーガー。さらに、異母きょうだいは世界的DJのスティーヴ・アオキ、姪は2021年に『スポーツ・イラストレイテッド』誌のスイムスーツ号にアジア系で初めて抜擢され、『VOGUE JAPAN』の2022年4月号でもカバーに登場したモデルでシンガーソングライターのユミ・ヌーだ。

そんな華やかな血統の中で育ったデヴォンだが、幼少期からティーンにかけての多感な時期には、自分のアイデンティティに当惑することが多かったという。

「母はアメリカ人、父は日本人なので、幼い頃は周囲から“あなたは他のアメリカ人とは違う”とよく言われたものです。でも、子供は皆周囲と同じ仲間になりたいと望むものでしょう? だから、いつも疎外感を感じていました。特に10代前半の頃は、私という人間の中に確かなものがひとつもないと感じた時もあり、いつも心が混乱していました。自分の居場所はどこなのか? 私は誰なんだろう?── そんな考えが頭をよぎると、いつもドイツ人とイギリス人のミックスである母と話をしたものです。そして時には感情的になりすぎて、“ママ、なぜ私を産んだの?”と問い詰めたこともありました」

こう幼少期を振り返り、自身の複雑なアイデンティティにコンプレックスすら抱いていたという彼女。しかし、それを唯一無二の“強い光”に変えてくれたのが、モデルという仕事だったと続ける。

「私にとってラッキーだったのは、ファッションが私を丸ごと受け入れてくれたこと。そして、“人と違う”ということが、この世界ではポジティブなパワーに変わることです。ファッションが注目を集める理由は、そういう勇気やパワーをもたらす力があるからこそ。そういった意味では、私にとってモデルという仕事はとても名誉ある職業であるとさえ言えます。常識を打ち破り、新しい価値観をもたらすことは、本当に素晴らしいことですから」

家族と謳歌する、素晴らしき人生

「モデルは移動が多い仕事。だから、iPad、ノイズキャンセリングヘッドフォン、ワークブック、色鉛筆、サーファー用に開発されたサンスクリーンは欠かせません。以前子供がまだ小さかった時には、絵本に加えて、ポール・スミスPAUL SMITH)、モスキーノMOSCHINO)、アディダスADIDAS)、プチバトー(PETIT BATEAU)など、着心地の良い子供服も欠かせませんでした」

そう語る彼女は、プライベートでは2011年にジェームズ・ベイリーと結婚。さらに、4児の母である彼女の後を追うように、娘のアレッサンドラも2018年にゲス(GUESS)の広告でモデルデビューを果たした。そんなデヴォンが、世界中で今一番気に入っている場所がチリ・サンティアゴから南へ約1時間のところにあるヴィーニャ・ヴィックだという。

「ここはチリのヴィークのブドウ畑の中に佇む素晴らしいホテルですが、美味しい料理ワインはもちろんのこと、芸術的な建築物や息を飲むような素晴らしい景色も見逃せません。大人も子供も楽しめる料理教室や、オーガニック・ガーデンで食材を収穫したり。そんな中を、家族で馬や自転車で敷地内を探検するのが大好きなのです」

そしてもう一か所、彼女がこよなく愛するのが故郷カリフォルニアのカリストガだ。

「私のお気に入りのワイン産地で、家族で過ごすには最高! 特に野鳥愛好家におすすめ場所でもあります。ここで私のお気に入りの“ナイツ・ブリッジ”と“ヒュージ・ベア”のワインを楽しんだり、メインストリートの近くの素敵なレストラン「ソルバー」でのんびり過ごすのが大好き。でも、飛行機での移動には時差ボケがつきもの。そこで私が実践しているのが、旅行の数日前から水をたくさん飲んで、塩辛いものは控えること。そしてフライトの前後には、生姜とウコンのウェルネスショットを飲んで自分なりに体内の調整をしています。ぜひ試してみてください」

<参考文献>
https://www.yahoo.com/lifestyle/being-barefoot-chic-devon-aoki-160000250.html

https://www.vogue.com.au/fashion/trends/devon-aoki-wrote-the-textbook-on-2000s-style-and-heres-proof/image-gallery/fb90d2a91e84d32ba77c7caab2ae5aa4

https://www.vogue.com/slideshow/devon-aoki-greatest-runway-moments

https://www.instagram.com/p/CDtonirnjFb/?hl=en

https://www.dazeddigital.com/fashion/article/37334/1/cult-model-devon-aokis-most-memorable-moments-jeremy-scott-moschino

https://i-d.vice.com/en/article/9kyyp8/devon-aoki-was-born-with-the-face-of-a-goddess

https://www.vogue.com/article/away-kids-luggage-collection-devon-aoki-david-mushegain

Photos: Courtesy of Getty Image Text: Masami Yokoyama Editor: Mayumi Numao