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実家が破産、両親が離婚…「夢グループ」CMの“愛人キャラ”保科有里(61歳)の知られざる人生

 通販会社「夢グループ」のCMで社長の横で「お願い!安くしてぇ〜」とおねだりしている女性を見たことがあるだろうか。社長の隣で相槌を入れるとても色っぽいあの女性だ。社長と2人でのやり取りがとても親密そうで、テレビ番組『週刊さんまとマツコ』(TBS)にも出演し話題となっている。

保科有里さん

 社長の横にいるアシスタントの女性は、実は、夢グループ所属の歌手である保科有里さん@yurihoshina)だ。今年8月には、61歳にして初の自叙伝『愛人!? 困っちゃう…』(山中企画)を出版。社長との噂を逆手に取ったタイトルの著書を出版した保科さんに、疑惑の真相、そして今までの人生について、夢グループ本社にて話を聞いてきた。

会社員時代に実家が破産

 

 

――保科さんと社長の夢グループの通販CMでは、保科さんの甘えた声で愛人だと思っている人が多いようですが、本当のところはどうなんでしょうか? 保科有里(以下、保科):あのCMとは全く違うキャラですよ(笑)。本当の私は買い物するのに、「まけて~」と言った事もなく、言うのなら「まけてよ!」ってハッキリ言うタイプで、「お願い!安くしてぇ〜」なんて甘えたことありません。でも、社長の「自然に値段を安くするためには、やっぱり女性からお願いしてくれないと」ってことで頑張って言ってるんです。  最初は社長からの「かわいく、甘えるように」の指示にも必死で抵抗しましたが、CMを見た方から「わざとらしい」とか「棒読み」とか言われて、今では収録の前に歌の時より2オクターブぐらい高い声が出るように必死に発声練習しています(笑)。 ――著書によると、若い頃にお父さんが破産したりしてなかなか苦労をしたようですね。 保科:しっかりせざるを得ない人生でした。高校を卒業して早く働きたくて、自動車会社に入ったんですが、23歳の時、実家のクリーニング屋が破産。家も抵当に入っていたので、破産宣告して親が離婚。母の親戚から借りたお金を必死に返していました。

27歳の時、1年の期限付きで上京

 

 

 

保科有里『愛人!? 困っちゃう…』(山中企画)

――それは大変でしたね。 保科:離婚をしたとはいえ、真面目で酒も博打もしない、仕事のミスをしただけの父親も放っておけないから助けていました。でもやって良かった。5年ぐらいかかって返済し終えました。 ――それから師事していた作曲の先生のすすめで歌手デビューしたわけですよね? 保科:OL時代に歌を習いながら、お祭りで歌ったりした時に何度か話をもらったんですが、すでに働いているし、歌手にならなくてもいいのかなと。でも借金が終わりかけだった27歳の時、作曲家の先生に誘われたので「そろそろ自分のために挑戦してもいいかな」と思って、上京しました。母親には「歌手なんてなれると思ってるの!?」と心配されたので、「1年間の期限付きで勉強しに行きます」って言いました(笑)。  

芸能人になりたいわけじゃない

 

 

――東京に出てきてからは、有名な先生の下で修行していたんですか? 保科:電話番や秘書、カバン持ちなど、付き人みたいな仕事をやっていました。ここでOL時代につちかった給料計算や運転の技術が役立ちましたね。先生の当時の愛車、BMWの運転もしていました。 ――確かに、そうですね。歌のレッスンはしていたんですか? 保科:歌のレッスンは3年間で3回だけ。あとは「僕が誰かにアドバイスをしてるのを聞いて学べ」と言われて、ライブとかレコーディングしているところを見ていました。そこで「自分の生きてきた背中で歌え!」とか「歌うときは指先から恋しがれ!」なんて、その当時ならではのアドバイスを受けました。

ホテルのラウンジで社長との出会い

 

 

石田社長(左)と保科有里さん

―実際にデビューできた時はうれしかったですか? 保科:修行時代、3年がんばったからと、ようやくデビューすることができました。デビューして先生のもとを離れ、4〜5年経ってホテルのラウンジで歌わせてもらえるようになって、ずっと歌いたかったカーペンターズとか洋楽を歌えるようになリました。別に芸能人になりたかったわけじゃないから、歌える喜びのほうが嬉しかったです。 ――夢グループに入るきっかけも、そこのホテルのラウンジですよね? 保科:そうなんです。社長はラウンジ好きなので、ディレクターさんからの紹介で私が歌ってるところに来てもらいました。当時は事務所を3回変わって1年間フリーの時期で、ぼちぼち田舎の金沢に帰ろうかなと考えていた頃でした。だから夢グループに所属することになって、とにかく居場所ができて良かった。

島倉千代子、小林旭…大御所たちとの交友

 

 

―夢グループに所属してからは、夢グループが運営する「夢コンサート」へも出演していましたね。 保科:歌は2曲じゃなくて、1ハーフだったりしたんですけど、2部構成で時代劇もやりました。外部から島倉千代子さん、浅丘ルリ子さん、小林旭さんたちを呼んでいました。 ――すごい大御所の方々と時代劇をやられたんですね。お芝居の経験もあったんですか? 保科:ないない~、全くない(笑)。だから大変でしたけど、先輩方はみんな優しいの。夢グループに入って、現在も狩人の(加藤)高道さんをはじめ、あいざき進也さん、おりも政夫さんなど昔からテレビに出ていた方と同じコンサートに出演できて今はファミリー。やっぱり先輩が下に降りてきてくださるのが仲良しの秘訣ではないでしょうか。ありがたいです。

ヒット曲がないので司会もやる

 

 

――そもそも歌手から通販番組に出るきっかけは何だったのでしょう? 保科:コンサートはもちろん、通販も頑張っていかなければいけない。そこで責任を持って社長がCMに出演することになりましたが、誰か横にいてもらおうと。ただ有名な方に出てもらうと商品じゃなくてタレントさんに目が行ってしまう。商品を引き立てて社長の横で邪魔にならない人物として、私が出ることになりました。  だから今思うと、ヒット曲があれば私は歌しかできなかったと思うんですよ(笑)。無名だったので、CMにも出演できたんです。 ――ナレーター的なおしゃべりも非常に上手いですよね。 保科:私、OL時代に結婚式の司会もやってたんですよ。友達の結婚式で評判が良かったから、一般の方へも「新郎新婦のご入場です!」って感じでやっていました。キャンドルサービスでは、エコーかけて椎名恵さんの『LOVE IS ALL』なども歌いました。結婚式では、歌手の人を呼んできたりしますけど、私だったら司会も歌もできる二刀流ですね(笑)。

石田社長は宇宙人で、ひらめきの天才

 

 

――現在、テレビに呼ばれることも多く、出ていてどうですか?  保科:社長が面白いのであって、私は愛人キャラとして、その場にいるだけでいいのかなあって思っています。石田社長は宇宙人で、ひらめきの天才。何を聞いてもすぐに答える。その代わり、昨日とすぐに気持ちが変わったりする(笑)。  ――本にも書いてありましたが、社長とはいい意味で「上司と部下」で「男と女」の関係とはかけ離れているとありましたね。保科さんが30年以上も歌手として、この世界でやってこれたのは、なぜだと思いますか?  保科:私はずーっと流れのままにやってきたからですかね。人生無理をしたら歪みがくる。父の借金を返したから、歌手デビューできたのかもしれない。マイナスなことがあっても、いずれはプラスが来るのかなあと。自分のことだけ考えて生きるのではなく、マイナスも受け入れて頑張って生きていると、いいこともあるのではないでしょうか。この先も「やってください」ってことがあれば、社長がOKならばやっていこうと思っています。 <取材・文/谷亜ヒロコ 撮影/スギゾー。>  【保科有里】 1961年石川県金沢市出身。地元でのOL生活を経て、1993年歌手デビュー。今年31年目に入る。現在は「夢グループ」所属、コンサート、テレビ、CMなどで活躍中。

自叙伝『愛人!? 困っちゃう…

(山中企画)売中。

 


谷亜ヒロコ
放送作家を経てフリーライター&作詞家として活動中。好きなテレビ番組は「ザ・ノンフィクション」、好きなラジオはTBSラジオ、得意料理は春巻き。得意領域はカルチャー、音楽、芸能、住宅、美容など。Twitter:@rokohiroko