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今や引く手あまた「あのちゃん」の知られざる一面 テレビやバラエティで活躍、「今年の顔」的存在に 2023/09/24 10:00 太田 省一 : 社会学者、文筆家

少し前から注目を集め始めていたあの。特にここ最近の活躍には目を見張るものがある。テレビを見ても、番組にCMにと1日に何度も彼女の姿を目にするようになった。音楽の分野での活躍も目覚ましい。
ただ、世間一般にはまだ“正体不明”という印象もあるだろう。彼女はいったいどんな存在で、どこが新しいのか? ここで少し掘り下げてみたい。(文中敬称略)

アイドルからのスタート、カリスマ的人気を獲得

そう思っている方も多いかもしれないが、芸名は「あのちゃん」ではない。「あの」である。なぜ最初にわざわざこんな話をするかと言うと、実はこの2つの呼び方の違いに彼女の本質が隠されているように思うからだ。

パーソナリティを務める『あののオールナイトニッポン0(ZERO)』でも、「あのちゃん」とばかり呼ばれてしまうが、自分は「あの」だと強調する場面があった。

(写真:オールナイトニッポンHPより)

芸能界でのスタートは、アイドルグループだった。グループ名は「ゆるめるモ!」。一般的な知名度はまだそれほどないかもしれないが、アイドルファンのあいだではよく知られた存在である。

「ニューウェーブガールズグループ」、すなわちアイドルの固定概念にとらわれず新たな波を生み出していこうというのが基本コンセプト。音楽的なこだわりも強く、生バンドを従えてのパフォーマンスや自ら楽器を持っての演奏、さまざまなアーティストとのコラボなど、ここでもよくあるアイドルグループとは一線を画す。

あのが加入したのは、2013年9月。「あの」という芸名もこのときに付けたものだ(本名と年齢は非公開)。

それまでの彼女は、不登校になり、ひきこもり生活を送っていた。原因はいじめ。それもかなりハードなもので、その結果学校のなかに居場所がなくなり、ひきこもることになったという(『NHKラーニング』2023年7月24日付記事)。

その後学校は辞め、アルバイトを始めた。お金が必要というよりも、「普通に生きられる社会性と居場所」が欲しいというのがその理由だった(『FromAしよ!!』2019年2月14日付記事)。

ゆるめるモ!のオーディションを受けたのは、そんな頃である。いわゆるアイドルには興味がなかったが、「音楽が好きな人」「お笑いが好きな人」という募集要項を見て、それなら大丈夫かと思い、応募した。ただ加入したものの、他のメンバーはアイドル経験者ばかり。慣れないダンスなどには苦労もした(同記事)。

しかし、独特のファッションセンスや言動、そして客席にダイブしたり、絶叫したりするパフォーマンスが評判になり、熱狂的なあのファンが生まれるようになった。

アイドルの世界に詳しいタレントのでか美ちゃんによれば、あのの圧倒的なステージパフォーマンスに影響され、当時アイドルのなかにも容姿やキャラを真似た“あのちゃんみたいな女”が大量発生していた(『人志松本の酒のツマミになる話』フジテレビ系、2023年5月19日放送回)。

また同じくアイドル出身の橋本環奈が“天使”だとすれば、あのは“悪魔”だとも称された。いずれも彼女のカリスマ性を物語るエピソードである。

 

テレビバラエティで活躍、「今年の顔」的存在に

そんな評判があり、テレビのバラエティ番組への出演も増えだした。これはゆるめるモ!時代のものだが、『ほぼほぼ 〜真夜中のツギクルモノ探し〜』(テレビ東京系、2016年放送開始)でもVTR中に眠ってしまったりする超マイペースながら、MCの山里亮太の強烈なツッコミにも動じない大物ぶりをすでに発揮していた。

そしてゆるめるモ!脱退後の2020年10月には、初の冠番組となる『あのちゃんねる』(テレビ朝日系)が始まる。あののユルさを生かした深夜番組だったが、これから本格的にテレビの世界に羽ばたこうというあのに出川哲朗がリアクション芸の極意を教えるなど、芸能界の先輩がレクチャーする企画が印象的だった。

『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ系)でのある企画も、彼女の存在を世に知らしめた。

まだいまほど有名になっていない頃、あのは『ラヴィット!』(TBSテレビ系)に出演した(2021年10月13日放送回)。『ラヴィット!』といえばお笑い芸人がメインの生番組で、芸人以外の出演者も面白いコメントを求められる。するとあのが芸人も顔負けの切れ味鋭い面白コメントを連発。意外な展開にMCの川島明らを驚嘆させた。

だが実は、これは『水曜日のダウンタウン』の企画。別室から大喜利自慢のお笑い芸人たちがあのにどんなコメントをするかを遠隔でこっそり指示していたのである。反響は大きくネットニュースでも取り上げられ、あのの存在がさらに知られるようになった。

その後、『日本シン人種図鑑』(テレビ東京系)にレギュラー出演。個性的な生きかたをしている一般人を紹介するバラエティ番組だが、そのなかでMCのひとりであるあのの普段のユニークな生活に密着する特別企画もあった。

現在は、深夜の音楽トークバラエティ番組『あのちゃんの電電電波♪』(テレビ東京系)でMCを務める一方、『呼び出し先生タナカ』(フジテレビ系)への出演など各バラエティ番組で引く手あまただ。固形物の野菜が食べられず、グミなどのお菓子ばかり食べているという偏食エピソードもいまや有名だろう。

KDDI「au三太郎シリーズ」での印象的な「あまのじゃ子」役など、CMにも続々登場している。その売れっ子ぶりは、気が早いかもしれないが、「今年の顔」のひとりになりそうなくらいの勢いを感じさせる。

 

「ちゅ、多様性。」でアーティストとしてブレーク

とはいえ、バラエティ番組での活躍だけならば、「不思議ちゃん」や「おバカキャラ」といったよくいるバラエティアイドルのひとりとして片付けられてしまっていただろう。バラエティでの活躍ももちろん簡単なことではなく称賛されるべきことだが、あのにおいて特筆されるのは、音楽の分野でもブレークを果たしたことである。

ゆるめるモ!脱退後「ano」の名義でソロアーティストとして2020年9月に「デリート」という曲でデビュー。その後、2022年4月にはメジャーデビューを果たした。その第3弾となった配信限定シングルが、「ちゅ、多様性。」(2022年11月発売)である。

この楽曲は、人気アニメ『チェンソーマン』第7話のエンディングテーマとしてつくられたもの。あのはボーカル以外に作詞(元・相対性理論の真部脩一との共作)も担当している。

詞の内容は、「熱く とろけるくらいに溢れた気持ち」「このまま中毒になるまでチューしよ」のようなフレーズもあるように、軽快な曲調に乗せて綴られる熱烈なラブソング。だが所々に「我愛你(ウォーアイニー)」のような中国語、さらには「ポンチーカン」と麻雀用語(あのの趣味のひとつでもある)まで混じるところは遊び心満載だ。

そしてサビは英語詞になるのだが、そこでの「Get on chu!」が「ゲロチュー」と聞こえるところがキャッチーで、この部分の振り付けも可愛らしい。それがフックとなってTikTokなどSNSで「ゲロチューダンス」がバズり、ヒットにつながった。それを受けて、テレビ地上波の音楽番組にも出演が相次いでいる。

「熱烈なラブソング」と紹介したが、必ずしもそこで描かれる恋愛は男女のそれに限定されたものではない。「ちゅ、多様性。」というタイトルが、まさにそのことを表している。あの自身も、以前テレビで自らが多様性の代表であると語っていた。

“正体不明”という印象は、自身も認めるこの多様性という部分から来るものだろう。他人が定めたひとつのカテゴリーや場所に縛り付けられたくないという強い思い。それがあのという人間を突き動かしているように思える。

最初にふれた、「あのちゃん」ではなく「あの」だという点もそうだ。「あのちゃん」は周囲からの呼び名で、自分から名乗ったものではない。「あのちゃん」と呼ばれること自体が嫌なわけではなく、そこはきちんと区別してほしいということだろう。

二者択一ではなく、ただ一個の多様な存在として生きる

あのが使う「ぼく」という一人称も同様だ。女の子だから「わたし」を使うべきというのは、周囲が決めたこと。自分が一番しっくりくるのが「ぼく」であれば、それでよいということに違いない。それは、二者択一の一方を否定するということとは違う。どちらを選んでもよいということだ。

こうした二者択一の拒絶、選択の自由の主張は、仕事の面でも一貫している。

例えば、アーティストとアイドル。これもどちらかを選ばなければならないわけではない。バラエティ番組ではアイドル的存在でありつつ、音楽では自分で曲もつくるアーティストというように、むしろ両方の面があっていい。

そしてアーティストとしても、ポップさと過激さの両面があって構わない。「ちゅ、多様性。」のようなポップなアニソンとして表現されるものでもよいし、あのがソロ活動と並行して活動しているバンド、I’sのようなパンクロックとして表現されてもよい。

またテレビでのバラエティ出演でも、キャラか素かということはどちらでもよい。「それキャラでやってるんでしょ?」というのはバラエティの定番のいじりではあるが、根本的にはキャラか素かではなく、たとえ時々矛盾する部分があったとしても、すべての言動や振る舞いが「あの」という一個の存在の欠かせない一部なのだ。

「かわいい」と「かっこいい」の二者択一をただ単に拒絶するのではなく、両方を軽やかに行ったり来たりしながら、主張するところはしっかり主張して新しい世界を目指す存在。それが、あのということではないだろうか。

あの自身が経験してきたように、そうすることは生きづらさにもつながりかねない。だがそれでもあののように生きたいと願うひとも少なくないだろう。そこには、まさに「いま」という時代が見える。