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父からはDV、母からは“菜食主義の強要”…「精神を蝕まれた」アイドルが呪縛から解放されるまで

“世界に違和感を覚える人と共に生きるコミュニティを目指す完全セルフプロデュースアイドルグループ”――地下アイドル『アイドル失格』の公式X(旧Twitter)のプロフィールに書かれた言葉だ。  若さや可憐さを武器にするアイドルのイメージと一線を画し、世の中に媚びない強い意志さえ感じられる。  表現者なら誰しもその裡に耐えがたい葛藤を抱えているが、華々しくステージを舞う蝶たちが見た「違和感」の景色とはどのようなものか。その生き様に迫る。 「両親と暮らした自宅はかなり年季が入っていて、ゴキブリやネズミがよく出ました。部屋も狭いので、私の押入れで寝ていました。鍵も鍵の役割を果たしていないので、誰でも入ってこられちゃうんです。トイレはむき出しの和式。お風呂はついていないので週に2回だけ銭湯に行けました」  アイドルグループ『アイドル失格』のメンバー・ふかあいちえ氏はそう話したあと、「それだけならただの貧乏話で終わるんですが……」と笑った。  これは、貧乏を売りにしたアイドルの話などではなく、都会的で軽やかなその雰囲気からは想像しがたい壮絶な家庭環境を生き抜いた一人の女性の半生だ。

ふかあいちえ氏

ふかあいちえ氏

「些細なこと」で暴れてしまう父

 

 

都内のアパートで家族三人暮らし。父親は薬学系の大学で教鞭を執り時折メディアにも出演するなど、高い収入を安定的に得ているはずだった。極貧とも呼べる家庭環境になった理由について、「未だにわからない」とふかあい氏は首を傾げる。 「かたい仕事をしていた父は、外でのストレスを発散するかのように、家で暴れることがありました。胸ぐらを掴まれて殴られることもたくさんありましたし、怒鳴るのは日常茶飯事です。理由は『洗い物をしていない』などの些細なことばかりです。小学生くらいになると自然に父の顔色を伺うようになり、怒らせてはいけないと思って生きてきました」

癌で入院した母が菜食主義に傾倒していく

 

 

父親の怒りのスイッチが入れば、家族で止められる人間はいない。ふかあい氏にとって父親はいつ爆発するかわからない爆弾だった。くわえて、ふかあい氏が小学生4年生のころ、それまで緩衝材の役割を担っていた母親が闘病のために入院してしまう。癌だった。 「母は入退院を繰り返し、父との二人暮らしが基本になりました。以前にも増して息苦しい生活は続き、事あるごとに私は殴られました」  家庭内暴力そのものがすでに耐え難いが、思わぬ方向からも理不尽な矢が飛んできた。 「母の入院中、もっとも衰弱したときに、とあるビーガンの団体の方が菜食主義の良さを母に啓蒙しました。『あなたの癌も治せる』とその方たちは言ったそうです。母はその宗教的な活動に心酔し、少しずつおかしくなっていきました

給食も「野菜しか食べさせてもらえない」

 

 

精神を摘み取る闘病生活のなかで、ふかあい氏の母親は菜食主義にのめり込んでいった。かつて暴力でねじ伏せられていた夫に対しても、「今の私には必要なことなの」と撥ね退けたという。 「母は、極端な菜食主義を私にも強要しました。具体的には、口にして良いのは野菜、水、それからその団体からもらっているサプリメントだけです。学校にも連絡し、『うちの娘の給食は、ブロッコリーなどの野菜のみでお願いします』と強硬に伝え、私はみんなが給食を食べているなか、ひとりだけブロッコリーのみを食べることになりました。それは卒業まで続き、中学に入学してからも、お弁当はすべて野菜でした」

お菓子を食べているところを母に見られ

 

 

その徹底した管理は、育ち盛りの子どもの身体に異変をもたらした。 「朝、登校の前にサプリメントを20〜30錠飲まされるので、おそらくそれが原因で気持ち悪くなってしまって、みんながドッヂボールをしているときに一人でトイレで吐いたりしていました」  ふかあい氏が中学校2年生のころ、両親は離婚に至る。父親からのDVに怯える日々は終わりを告げたが、母親による菜食主義の強要は変わらず続いた。 「一度、どうしても食べてみたいという欲求を抑えられず、お菓子を口にしました。ちょうど母が部屋に入ってきたタイミングと重なり、現場を見た母は宥めるのが困難なほど発狂しました

「匿ってくれた花屋」に警察が…

 

 

壊れていく母親と向き合う生活は、父親のDVに耐える日々とはまた違うベクトルの辛さがあった。 「中学生になっても、『弁当箱に野菜しか入っていない』私に対する周囲の視線は厳しいもの。小さい頃から自分の意見を言うことが怖かった私は、いじめに遭うように……。学校にも次第に行かなくなりました。父がいたころは登校しないとうるさいので、制服に着替えて違う場所で時間を潰していましたね。  家や学校の環境に耐えきれなくて、何回か家出をしたことがあります。ひとりで路地裏に佇んでいると、いろんな大人が声を掛けてきました。いかにも危なそうな人の誘いは断って、ある花屋の夫婦に話を聞いてもらうことにしました。とてもいい人たちで、5日間くらい泊めてもらいました。  ただ、当然捜索願を出されていたので、花屋にも警察が来て、夫婦は未成年者略取の容疑がかかってしまったようです。結局、私が必死になって警察に事実を話し、誤解はとけました。それはよかったのですが、父の暴力の件はうやむやにされて、私は自宅に連れ戻されることになりました」

今は「野菜を見るのも嫌」…長く尾を引いた両親からの影響

 

 

両親からの影響は長く尾を引いた、とふかあい氏は話す。 「今は野菜を見るのも嫌です。逆にジャンクフードや甘いものに依存するようになってしまった時期があって、健康に良くないのはわかっているのに、なかなか止められませんでした。菜食主義を否定はしませんが、自分から望んでやるものであって、巻き込まれてやるものではないなと思います。  また、父の影響だと思いますが、他人の顔色をすぐに伺ってしまう癖はあります。『怒っていたのではないか?』とあとから不安になってずっと考えてしまったり、帰宅後も自分の言動を振り返る時間が多い時期がありましたね」  ふかあい氏の精神は静かに蝕まれていた。 「父に精神科の受診を阻まれていたので正式な診断はなかったのですが、高校時代から気分のアップダウンが激しいのを自覚しました。大学生になり、両親からの制約がなくなったタイミングで受診してみると、やはり躁うつ病でした。おそらく中学校のころに不登校になったときにはもう、精神を病んでいたのかもしれません」

「まぁいいかな」と思えるようになった今

「楽しいことばかりではなかった人生」だが、少しだけ前向きになれた

 その不登校で見つけたのは、映像制作という道標だった。 「独学で映像を学び、現在も大学で学びながらショートフィルムの制作をやっています。アイドルというエンターテイメントの世界に飛び込もうと思えたのも、不登校時代の制作欲が基盤にあると思います」  現在はステージに立ちながら、ときに自らの生い立ちについても明るく語ることがあるという。 「『アイドル失格』のメンバーは、抱えているものが大きい子も多いので、それぞれの背景を分かり合えます。たまにSNSのライブなどで自分の話をすると視聴者から相談が来たりするので、『みんないろいろなことを抱えているんだな』と再認識します」  自らが育った環境について、現在のふかあい氏はどのように考えるのか。 「私たちはセルフプロデュースを行うグループなので、自分たちのありのままを自由に発信できます。これまでの人生は決して楽しいことばかりではなく、ときに生きている意味がわからなくなるほど不条理な目にも遭いましたが、それが現在のキャラクターに繋がっていることは事実です。だから、よくないけど、まぁいいかな。そう思えるところまでは、『アイドル失格』に出会えて回復しました」  ふかあい氏はそう言って目を細めた。多感な時期に家族から翻弄され続け、あらゆるものを差し出すことで何とか生き延びたが、感性という翼は守り抜いた。柔くも鋭いその武器で、彼女はこれからも観客を魅了する。 <取材・文/黒島暁生>