
ひとりぼっちは、僕だけじゃないのだ、と。
人は誰でも、実はさびしくて、ひとりぼっちで、人見知りなのだ。
それはきっと正直な自分、ありのままの自分を、 他人に分かってもらうことがどんなに難しいか。 そのことを誰もが、心の中ではよく知っているからなのだろう。
≪中略≫
「オレな、きょう初めて、友だちができたって思う。 ありがとう。うれしかったよ」
こういって、降りしきる雨の中、 いつもの元気な後ろ姿で駆け去っていった彼。
彼はこうして、僕という友だちを得た。
しかし、引っ込み思案型の僕だったら、 こういう本当に友だちになり得る子をも、 その子の本質を誤解したまま、 その横を通り過ぎていってしまっただろう。
その子から僕が学んだことは、だからこういうことだ。
さびしさを孤独にしてはいけない。
僕は僕のさびしさを、より多く他人の中できたえよう。
他人の中に飛び込んで、その中で自分の愛しい、さびしい、 傷つきやすい心を見つめてみよう。
こうして僕は、より広い世界の中に、 旅立つ決意をしたのである。
≪中略≫
大人になってから、三十年ぶりに、 僕は小学校時代の同窓会に出席した。
昔、僕の友だちであったその子にも 久々に会えるかと楽しみにしていたのだが、 その友人は数年前、交通事故で亡くなったのだと聞いた。
そこで僕は、当時の級友たちに、 彼のかくれたさびしさと、 それを伝えるエピソードを語って聞かせた。
すると驚いたことに、当時の彼を取り巻いていた、 同じように陽気で元気のいい連中が口をそろえて言った。
「そうだよ。あいつはさびしい奴だったよ。 だってよく、ふっとそんな顔をしていたじゃないか。 オレたち、みんなそれを知っていたから、 あいつとはむしろ、むやみと陽気に付き合っていたんだぜ。 だから、君があいつと友だちになってやってくれて、 オレたち喜んでたんだよ」
さびしいのは自分だけだと思って過ごしていた僕は、 結局、ひとのさびしさを思いやることのできない、 本当に孤独で嫌な子どもだったろう。
その心を開いてくれた遠い日のあの子のことを思いながら、 僕は勇気をもって、ますます他人の中へ、広い人間世界の中へ、 自分のさびしい心の生んだ言葉をみがいて、 語りかけ、語りかけしていこう、と決意を新たにしたのである。

コメントをお書きください