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吉田拓郎は今の阪神・岡田監督を見てどう思っているのだろう

 阪神の優勝マジックが「5」になった。岡田彰布監督は「ファンの皆さんも、楽しんでほしい」というニュアンスのコメントを残した。うれしくなった。阪神ファンは心置きなく、優勝へのカウントダウンを楽しめばいい。

 吉田拓郎はいまの岡田監督を見て、どう思っているのだろうか。昭和32年1月生まれのわたしは、ど真ん中の拓郎世代。イメージの詩からマーク2、結婚しようよ、リンゴ、どうしてこんなに悲しいんだろう、伽草子、春だったね、ひらひら…。青春は吉田拓郎とともにあった。

 拓郎の歌に「岡田監督」が登場したときは、衝撃的だった。広島から上京した拓郎は、当然ながら広島ファンだった。ところが広島市民球場で巨人・王貞治の本塁打に立ち上がったらカープファンのおっちゃんに怒鳴られた。

 「子供のときの体験で、巨人ファンになりました」と上岡龍太郎さんとの対談で明かしている。そんな拓郎の歌に、岡田監督が登場した。2009年、7月4日のライブを収録した「18時開演」というアルバムに収録されている。

 特筆すべきは4枚組アルバムに、拓郎の署名入り直筆を印刷したメモが、添えられていることだ。ブルーのペン書き署名。2009 秋 吉田拓郎とある。岡田監督に関する部分を抜粋する。

 「追伸 タイガースの元監督岡田さんが現役時代 実は彼の大ファンでした」

 収録曲の中に「真夜中のタクシー」という曲がある。東京の深夜、タクシーに乗った客と運転手の掛け合い。拓郎の人生や生きざまを語る曲の対極で、得意とするややコミカルな曲だ。運転手が語る。

 「わたしはね東京生まれなんだけど、タイガース好きでね。去年は前半で優勝すると思ってたんですが、岡田監督がねえ、もう後半は地獄、最後は悪夢でした」

 そんなやりとりが続く。2009年の曲。歌詞にしたものの、拓郎には気掛かりが残ったのだろう。前にも後にもない、本人直筆のメモを付けて、精いっぱいのフォローをした。

 2009年秋、発売直後のCDを購入して、岡田監督本人に手渡した。「拓郎が岡田監督のこと、歌ってるで。とにかく帰りの車の中で聞いてみて」と、ゴルフ場のラウンド後だったことをはっきり覚えている。

 「ふうん、そうなん」。驚くほど手応えのない反応だった。同じ昭和32年11月の生まれだが、岡田監督はフォークに全く関心がない。「フォークなあ、別になあ」とその後も、大した反応はないから恐らく、拓郎のCDも聞いていないのだろう。

 その割にカラオケでマイクを握ると十八番は「白いブランコ」(ビリーバンバン)「街の灯り」(堺正章)で、澄んだ高音がフォーク系の曲を歌い上げる。「何言うてんの、あれは(カラオケの)点数が出やすいから選んでるだけやん」とらしい反応だ。

 「岡田さんごめんね」と拓郎の手紙がやっと生きてきた。それから15年。「地獄で悪夢」とまでタイガースファンの運転手に言わせた拓郎は、15年後に同じ岡田監督が「マジック5」の夢を見せている現実を、どんな歌詞にするのだろうか。

 フォークソングに興味はないが、点数を出すためにカラオケでは歌う。好きなテレビ番組は「サスペンス劇場」で、だれより渡瀬恒彦の演技がうまいなあと。心から漏らす。不思議なタイガース監督・岡田彰布が宙に舞う日のカウントダウンがいよいよ始まりましたよ。拓郎さん。(特別顧問・改発博明)

 ◇改発 博明(かいはつ・ひろあき)デイリースポーツ特別顧問。1957年生まれ、兵庫県出身。80年にデイリースポーツに入社し、85年の阪神日本一をトラ番として取材。報道部長、編集局長を経て2016年から株式会社デイリースポーツ代表取締役社長を務め、今年2月に退任した。