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村西とおる監督 80年代に性被害告白の故・北公次さんへ思い「公ちゃんの名誉は回復できたよ」

 AV監督の村西とおる氏(75)が、9日放送のTBS系「情報7daysニュースキャスター」(土曜後10・00)にVTR出演し、ジャニーズ事務所の故ジャニー喜多川元社長による性加害問題についてコメントした。

 7日に事務所が開いた会見では、藤島ジュリー景子氏が社長を退任し、少年隊の東山紀之が5日付で新社長に就任したことを発表。東山は性加害問題を事実と認め「鬼畜の所業」「人類史上、最も愚かな事件」と断罪した。今後は年内でタレント業を引退し、被害者対応に当たる。会見を受け、複数のスポンサー企業が同事務所所属のタレントの広告起用を見送る方向性を示している。

 元「フォーリーブス」のメンバーで、1980年代にジャニー氏からの性被害を告白した故・北公次さんの思いを受け、村西氏はジャニー氏の罪を暴露するビデオを発売。しかし、大きな話題になることはなかった。命を懸けて公表した北さんの無念さに、村西氏は「気の毒で仕方がなかった」と回想。「自殺未遂を2回も、やっぱりしたんだろうなと思って。怒りですよ。こんなのは許せないなと」と、憤りをあらわにした。

 それから30年以上の時がたち、ジャニーズ事務所が性加害を認め、謝罪した。しかし、北さんは12年に肝臓がんで死去。生前に無念を晴らすことはできなかった。

 村西氏は「公ちゃん、良かったね。自殺未遂して人生ボロボロになってこの世を去って行ったけど、公ちゃんの名誉は回復できたよ。あだを取ってやったよ。頑張りが実って良かった」と、天国の北さんに呼びかけた。その上で、「ジュリー景子さんが公ちゃんのお墓に行って、“申し訳ございません”と言って、しかるべき弁済金、補償金をしてくれることを夢見ています」と願いを込めてコメント。「それまではね、追及の手を緩めませんよ」と覚悟を口にしていた。

北公次は性被害とアイドルからの凋落で壊れていった…ジャニー喜多川氏からは花輪も届かず

ジャニーズ事務所の草創期、1960年代に人気絶頂だったグループといえば67年に結成されたフォーリーブス。北公次、江木俊夫、おりも政夫、青山孝史。2009年に青山、12年に北が亡くなったが、青山の葬儀の際、北がこう呟いた。

「花輪のひとつぐらい贈ってくれてもいいのに」

 北の死去後、「北公次はこうして逝った」を連載したが、これが書き出しだった。

 フォーリーブスが解散したのは78年、ジャニーズに残ったのはおりもだけで、北はグループ結成前からのジャニーズ事務所の暴露本「光GENJIへ」などを出し、ジャニー喜多川とも疎遠になっていたが、事務所を支えたメンバーへのねぎらいがないことに「冷たい」と悔しさをにじませた。

 そして12年に北が肝臓がんで亡くなる。その直前に死期を察した北はジャニー喜多川、メリー喜多川に向けメッセージをつづった。

「本当に本当にありがとうございました そして最後にどうしても言わせて頂けるなら ジャニーさん、メリーさん ありがとうございました」

 青山の葬儀にも立ち会った友人は亡くなった北を思い、「ジャニーさんも花輪のひとつぐらい出してくれたら、コーちゃんは喜んだろうに。彼も浮かばれない」と語った。

 中学を卒業し、和歌山から芸能界に憧れて上京した美少年は東京・四谷のお茶漬け屋の2階に住み込んだ。ここにジャニーさんが通うようになる。性加害の根っこ。「光GENJIへ」で「おそらくジャニーズ事務所のなかでは今もきっとこれと同じことが行われているだろう」と書いた。

 それでも北は最後の最後にジャニーさんを慕う気持ちを伝えたかったということだろう。

 ジャニーズ事務所を離れる前から耐え切れずに北は覚醒剤に手を染めた。貯金魔だったはずが解散した時には銀行の口座に1円も残っていなかったという。性被害、アイドルからの凋落の中ですさんでいった北。それでも最後のよりどころがジャニーさん。

 そろそろそんな呪縛からジャニーズも、だんまりを続けたメディアも解き放たれてもいい時ではないのか。話は飛躍するが、性加害には向き合わず、LGBTQ+に必死になっているメディアを見ていると、泥棒はダメとわかっていて、泥棒にも人権があるみたいな話をしている人たちとしか思えない。

(峯田淳/日刊ゲンダイ)