
「たぶんK君はこの世の人じゃないよね。 彼がね、アンタに伝えて欲しいって言ったことをそのまま言うね」
「思い出してくれてありがとうございます。 僕はもっと走りたかったけど出来ませんでした。 Mさん(私)には僕の分も走って欲しい。 僕はもう生まれ変わっています。 またスポーツを仕事に出きるように頑張ります。 明日からの仕事、黄色かオレンジ色のユニフォームになったら 怪我に気を付けて下さい。」
冷静に話す妻とは逆に、 私は声を上げて泣いてしまいました。
余りの驚きと嬉しさで泣きながら 「たった1回一緒に走っただけなのに」と堪らず言いました。
短い時間でも絆に思っている。
事故の瞬間は、頭の中で火花が散った感じがしただけで苦しまなかった。 ということも言ってたそうです。
その翌日から私は、千葉県の松戸競輪の出場でした。
松戸では夕べのことをK君の先輩に言うかかなり迷いました。
「うさん臭い。ふざけるな」って言われるんじゃないかと。
迷ったあげく、夕べのことをその先輩に話しました。
何も足さず、何も変えず心を込めて。
「仲間が集まってコーヒーを飲む時にでも 彼の思い出話をしてあげて下さい」とだけ最後に加えました。
その夕方、私の話を真剣に聞いてくれたその先輩が 興奮して私の所に来て言いました。
「M(私)!Kの命日、今日だった」
その日の宿舎での夕食は、K君と同じ県の選手のテーブルに空席を設けて、 彼が好きだったビールのグラスを置いて、彼の話で盛り上がったそうです。
「死んでも仲間の心の中で生き続ける」 なんて臭いセリフを耳にしますが、嘘じゃないと思いました。
水子の霊とか、人は死者を恐れますが、 彼らは自分の大切な人にいつまでも 覚えていて欲しいと願っているだけです。
死んでしまって肉体がなくなっただけで、必ず存在してます。
お墓に行っても亡くなった人は居ません。
想いを馳(は)せるだけで安らぎ、見守ってくれるのだと妻は言います。
松戸競輪では私は黄色(5番車)とオレンジ色(7番車)の ユニフォームを着ることもなく、無事に3日間走り終えたのは、 K君のお陰だと信じています。
私はそれから引退するまで、 K君に恥じないレースを心掛けて必死に走りました。
「うそくせぇ。読んで損した」と思われても仕方ないとわかります。
しかし本当の出来事だから仕方ないんです。
妻にはこういう話を他言しないよう固く言われます。
しかし大切な人を亡くし、 立ち直れずにいる人への勇気や癒しになればと思い、 妻を裏切って投稿させていただきました。
2ちゃんねる掲示板より

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