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関東大震災で帝国ホテルが無事だったのはなぜ?「ライトの耐震設計」は神話か 博物館明治村でライト館竣工100年の特別展「東洋の宝石」が開幕

博物館明治村に移築されている帝国ホテル・ライト館の中央玄関(建物の写真は宮沢洋、2015年撮影)

(宮沢 洋:BUNGA NET編集長、編集者、画文家)

 100年前の1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が起こった。そしてこの日は、帝国ホテル・ライト館の落成披露宴の日でもあった。

 愛知県犬山市の「博物館明治村」では、9月1日(金)から12月17日(日)まで、「帝国ホテル・ライト館竣工100年」を記念する各種イベントを村内各所で開催する。その1つ、特別展「東洋の宝石」では、竣工当時の資料などを基にしたライト館インテリアの色彩の再現展示など、ライト館の魅力を紹介する。

特別展「東洋の宝石」の展示風景。会場は博物館明治村内の「千早赤阪小学校講堂」(展示風景の写真は博物館明治村提供)

 その前に、9月1日は防災の日でもあるので、BUNGA NETらしい「関東大震災×帝国ホテル・ライト館」のうんちくを少々。地震で東京中の建物が壊滅的な被害に逢う中で、帝国ホテルが無事だったのはなぜなのか──。とっかかりとして、先日、読売新聞に載っていた記事を引用する(太字部)。

 東京・日比谷にあった旧帝国ホテル本館「ライト館」は、落成披露宴が予定された1923年9月1日、関東大震災に遭った。世界的な建築家、フランク・ロイド・ライトが設計した建物は、周囲の中小ビルが崩落する中でも、ほぼ無傷で残った。

 地盤が軟弱だと知ったライトが、「浮き基礎」と呼ばれる特殊構造を採用したことが、奏功したとされる。造形美と防災が両立できることを知らしめ、母国でも「米国人建築家の日本での快挙」だと報じられた。

 老朽化により一度は解体が決まったが、国内外で反対運動が起きた。当時の佐藤栄作首相が、「明治村に持って行けば幸せだと思う。一部でもいい」と話したことが移転の決め手となった。(読売新聞2023年8月22日[TOKYO考 都市再生の100年]<1>から引用)

 一般向けの新聞とは思えないディープな技術情報…。「浮き基礎」って何? ネットで調べるとこう説明されていた。

浮き基礎:フローティング基礎。建物の重量と同量の地盤を取り除いて建物の沈下を防止する基礎工法。船が浮力を得て水に浮かぶのと同様の原理。軟弱地盤に用いられる。

 なるほど地下部分に空間をつくってお椀みたいにして浮かすということか。バランスが難しそう。鉄筋コンクリート造の黎明期に、しかもコンピューターのない時代によくそんなデリケートな構造設計ができたなあ…。

 感心しつつも、それだけが無傷で残った原因とは思えない。なぜ大丈夫だったのかが気になってネットをいろいろ調べてみた。調べてみると諸説ある。

「ライトの天才的耐震設計」は神話?

 筆者は構造の専門家ではないのでそれぞれの正しさはジャッジできないが、一番納得感があったのは、構造エンジニアで東京工業大学名誉教授、元地盤工学会会長でもある吉見吉昭氏(1928年生まれ)によるこの説明だ(太字部)。専門家が書いたとは思えない、やわらかい解説にうなった。

 当時はこの建物(帝国ホテル)が全く無被害であって、それがライトによる天才的耐震設計によるものであったというニュースが一人歩きして、神話にまで発展しました。それだけが理由ではなかったのかもしれませんが、1960年代になって取り壊す話が出ると、国の内外から保存の要請が起りましたので、大正末期の建築であったにもかかわらず、例外的に明治村に一部が移設されたほどです。

 組積造の2枚の壁の間にコンクリートを詰めた構造が主体で、耐震建築の泰斗であった内藤多仲(1886~1970)は「柱はすこぶる貧弱で小さく、大体4本の鉄筋しか入っていない。上下に不連続なものもある。外壁下は連続基礎で、内部はフーチング基礎。次の強震には耐えられないように見えた。」と書いています。

 確かに震害は小さいほうでしたが、東京では、煉瓦建物の19%と鉄骨・鉄筋コンクリート建物の20%が旧帝国ホテルより被害が少なかったようです。旧帝国ホテルの震害が軽かった理由としてはつぎのことが考えられます。

・軟弱地盤の長い卓越周期と対比して、建物の高さと幅の比(アスペクト比)が小さく、壁が多いため,建物の固有周期が格段に短かかったので、地震応答が小さかった。

・屋根が軽い銅板葺きであった。(これは建物の固有周期をいくらか短くする方向にも作用した。)

ホテル時代は、写真左手から両翼に広がる形で本体が続いていた

なるほど、この解説は腑に落ちる。当時の全景はこんな感じ↓だった。確かに建物の高さに対して幅が広く、内部も壁が多そう。

往時の俯瞰イラスト。このイラストは隈研吾氏の書籍『建築家になりたい君へ~14歳の世渡り術』のために筆者が描いたもの。隈氏は、自分が“ライト派”であることを公言している(イラスト:宮沢洋)

 浮き基礎についても、吉見氏は触れている。

 

 つぎに基礎の設計に移ります。ライトは「泥の上に建物を浮かす」という表現を用いましたが、べた基礎ではなく、地下部分もほどんどなかったので、真の「浮き基礎」ではなかったのです。

 (中略)杭は、約1.5mのクサビ形の木杭を打ち込んで引き抜いたあとの穴にコンクリートを流し込んで造られました。この杭は、クサビ形であろうとなかろうと、このような深い軟弱地盤に対してはほとんど効果はなく、地震によって孔雀の間の中央塔屋が60cmほど沈下し、その後も圧密沈下が進んで、長手方向の不同沈下は130cmくらいに達したようです。

 終戦後は進駐軍に接収されていましたが、私が1948年頃に通訳として調査に同行した経験では、軒の線が上下にひどく波打っていました。基礎に関しても、その耐震効果が謳われましたが、これも神話の域を出ないものです。

 しかし、旧帝国ホテルが建てられた1923年は、土質力学の父であるカール・テルツァーギ(Karl Terzaghi,、1883~1963)が粘土の圧密現象のメカニズムを初めて解明し、ドイツ語の本にまとめつつあった時期なので、ライトが圧密沈下を知らなかったのはむしろ当然です。

 ほら、筆者の“素人の勘”は当たっていた。真の「浮き基礎」ではない、と。いや、別にライト神話をディスりたいわけではないのだが(筆者もライトの建築は大好き)、災害の教訓としては「幅広で壁が多かったから」の方が学ぶべき点が多い。

 吉見氏は、ホテルがなぜ火災にならなかったかについても指摘していて、これもなるほどだ。

 ライトが地震時の防火を意図したのかどうかは不明ですが,結果的に防火に役立ったことが二つありました。

・当時としては先駆的な電化厨房であったため、熱源を即時に停止できたこと。

・正面の大きな池が防火用水の機能を果たし、類焼防止に役立ったこと。

 うんちくというより、すべて吉見氏の考察の受け売りだが、今日は防災の日なので建築の安全について考えるヒントにしてほしい。(吉見氏の原文はこちら

ライト館竣工100年の特別展が9月1日

から開催

 さて、ここからは、博物館明治村で開催されるライト館竣工100年の特別展「東洋の宝石」について。開幕直前の会場写真を博物館明治村からお借りしたので、これは「速報」である。テキストはリリースより。

特別展 東洋の宝石
○期間/9月1日(金)~12月17日(日) ※休村日を除く
○時間/10:00~16:30 ※11月は10:00~15:30(土日祝は~16:30)、12月は10:30~15:30
○会場/千早赤阪小学校講堂 ※博物館明治村内
○入場料/700円(中学生以下は無料) ※料金は税込み ※入村料は別途必要
○内容/竣工当時の資料や図面等を基にしたライト館インテリアの色彩やライト館で開催された渋沢栄一の米寿のお祝いメニューを食品サンプルで再現した展示をはじめ、初公開のテーブルを含むライト館で使用された家具や最新のVR映像等、竣工100年の「帝国ホテル・ライト館」の魅力をご紹介します。

トークセッション「帝国ホテル・ライト館 ―未来へのメッセージ―」
○開催日/11月26日(日)
○時間/13時30分~(約90分程度)
○会場/呉服座 ※博物館明治村内
○参加料/無料 ※入村料と事前応募(当選通知)が別途必要
○内容/マガジンハウス『Casa BRUTUS』の副編集長として「フランク・ロイド・ライト特集」などを手掛けた白井良邦氏をゲストに迎え、ライト館の魅力について阿川村長、中川館長とともに語っていただきます。
○応募方法
オンラインまたは郵便はがきでご応募ください。オンライン→https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSePlndA5n-gjKMnRETmlg6DZ_psM36C4c0GONzhf4J4aPkopA/viewform

阿川 佐和子氏(明治村村長)

撮影・枦木 功

中川 武(明治村館長)

 

白井 良邦氏(編集者/慶應義塾大学SFC 特別招聘教授)


参考まで白井良邦氏は以前、BUNGA NETでもインタビューさせていただいた。

建築の愛し方09:新刊「世界のビックリ建築」はキッチュな建築集ではなく、「建築の王道」─白井良邦氏

 現館長の中川武氏は、建築史家で早稲田大学名誉教授。阿川氏は説明不要だろう。

 筆者も博物館明治村には行ったことがあるが、11月26日のトークセッションがすごく面白そうで、また行きたくなる。構造の話もするかなあ…。「帝国ホテルの移築って玄関だけでしょ」と思っている方、見たら絶対に価値観が変わります。この秋は犬山市にぜひ。

◎本稿は、建築ネットマガジン「BUNGA NET」に掲載された記事を転載したものです。