「野球は、夏の大会の前には、出場各校の部員全員の名前が新聞に載ります。 また、球場に行けば、写真入りの冊子に自分が載ります。 軟式は分からないけど、硬式は確実に載るんです。 だから、僕たちは野球で頑張っているんです」
山野さんは、最初聞いたときは、 何を言っているのか意味が分かりませんでした。
しかし、その答えは、他の選手に聞いてみても同じ。
そこで、山野さんはもう少し選手に聞いてみました。
「どうして新聞や冊子に名前が載るのが良いんだ? そんなに名前が載りたいのか?」
選手たちの答えはこうでした。 「父ちゃんか、母ちゃんが、新聞や冊子を見て、 俺の名前を見つけてくれるかもしれないと思って」
そう。実は、この水戸南高校の選手たちの多くは、 近くの孤児施設出身の子どもたちだったのです。
顔も知らない、記憶にも無い親に会えるかも知れない大きなチャンスが、 この夏の県予選だったのです。
そんなことも知らず、自身は野球のレベルのことを考えたり、 義理でグランドに立っていた自分が情けなくなり、自分を恥じたそうです。
それからというもの、山野さんは母校関係者からボールをかき集め、 朝練も始めました。
そして、それでもまともなユニフォームも無かったので寄付をお願いし、 背番号は墨で書きました。
当然ながら、夜の練習にもより一層熱が入りました。
その夏、水戸南高校は、県予選に出場しました。
試合は0-38。1回戦で敗れてしまいました。
しかし、山野さんは恥じる気持ちなど一切なく、 選手たちをとても誇らしく思ったそうです。
この体験が、この現・水城高校校長である山野さんの原点。 『野球はすべてを結集させる』という信念が生まれた瞬間でした。
そしてその後も、山野さんは荒廃し、 野球部も休部状態だったような高校を、野球の力を使って立て直したり、 その信念を貫き通して、ここまでやってきたのです。
そして2010年夏のこと、自身が校長を務める水城高校で、 初の甲子園出場を果たしました。
この水城高校は、私立校ではありますが、 「単純に良い選手を野球留学させて、強くしましたよ」 というチームではありません。
山野さんの高校野球に対する信念が、選手たちを強烈に支援し、 ノーシードのノーマークから、甲子園出場へと押し上げていったのです。
参考URL:http://kiyotoshiaraki.hatenablog.jp/entry/20100730/1280454982
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