· 

ザ・グレート・カブキ、今年いっぱいで愛された「居酒屋」閉店…25年間の歴史に幕を引く理由を明かす「今年で75歳…そろそろいいんじゃないか」 2023年8月24日 12時0分スポーツ報知

カブキさん(右)と妻の安子さん

 日米のマット界でペイントレスラーの元祖として活躍した元プロレスラーのザ・グレート・カブキさん(74歳。本名・米良明久)が今年いっぱいで1998年11月から25年にわたり営んできた居酒屋の幕を閉じる。

カブキさんは、1964年に日本プロレスに入門。その後、ジャイアント馬場さんが設立した全日本プロレスへ移籍し、81年に米テキサス州ダラスのリングでペイントレスラーの「ザ・グレート・カブキ」に変貌し『東洋の神秘』の異名で毒霧を駆使するオリジナル殺法で全米でトップヒールに登り詰めた。日本マットでもトップとして活躍しSWS、新日本の平成維震軍、WAR、IWAジャパンなどで活躍し2017年12月22日に正式に引退した。

 居酒屋は、現役時代の98年11月18日に飯田橋で「串焼き ちゃんこ かぶき」をオープン。2016年3月21日に現在の文京区春日に移転し店名を「BIG DADDY酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」と変えて営んできた。妻の米良安子さんと切り盛りする店は、カブキさんの手作りちゃんこ鍋など抜群の味と夫妻の温かい人柄で連日、満席の大繁盛店だったが今年9月8日に75歳の誕生日を迎え主に体調面の理由から閉店を決意した。ファンの間ではSNSを中心に店が幕を閉じることへ惜しむ声が続出する中、WEB報知は、カブキさんと安子さんを取材。店ののれんを下ろす心境とお客さんをもてなしてきた思いなどの秘話を連載する。

 (取材・福留 崇広)

 飯田橋で開店してから25年。プロレスファンはもちろん、数多くの常連客に愛された居酒屋が今年いっぱいで幕を閉じる。カブキさんは、閉店を決断した理由を「肉体的には、プロレスの試合よりこっちのほうが全然楽なんですよ。だけど、試合で痛めた右膝が最近痛むようになってきました。このケガは、入門した15歳の時に練習で痛めて、右膝の内側のじん帯はありません。左の膝もガタガタです。そんなんで、だいぶ体に疲れも出てきましたから、74歳になりましたし、もうすぐ75歳です。もうそろそろいいんじゃないかなと思って決めました」とほほえんだ。

 厨房(ちゅうぼう)で夫を支え続けた安子さんは、夫の言葉にうなずきながら言葉をつないだ。

 「ずっとここ何年か終わりを考えていたんです。長年のプロレス生活でお店の仕事をしてても首、腰、ひざ…全部悪いのが私はいつも隣にいますからわかります。体が痛いとやっぱり気力も落ちていきます。主人は、そういうことを絶対に口にしない人なんです。だけど、私は、毎日一緒にいますから、それが仕事をしていてわかるんです。なので、ここ何年かは、どっかで店を辞めることを決めないとっていうのはずっとどっかで考えていました。次の人生を歩むには、体がボロボロになってしまったら悲しいじゃないですか?なので、このタイミングで決断しました」

 安子さんは、閉店の理由がもうひとつあることを明かした。

 「娘たちから『一緒に住もうか』と提案があって、そのためには自宅を大リフォームするんです。その間は、一時的にどっかに住まいを借りなければいけません。店をやりながらリフォームは難しいなと私は思って、主人の体力と気力がダウンしてきたことも見て、そんなもろもろの条件が重なっての決断です」

 閉店は、今年6月5日にSNSで発表した。以来、席は予約で埋まっている。カブキさんは「ありがたいことに発表してからいつも満席です。ただ、予約も断っているので、それが申し訳なくて」と頭を下げた。四半世紀の歴史を支えた味。カブキさんに自慢の逸品を尋ねると即答した。

 「それは、やっぱりちゃんこです。そっぷ炊きですね。日本プロレスの合宿所で15歳の時から作ってますから」

 そう目を細めたカブキさんがちゃんこの「秘密」を明かした。

ザ・グレート・カブキ、四半世紀にわたる「居酒屋」で自慢の「ちゃんこ」秘話…「馬場さんは黙って…猪木さんはなんでも食べてくれました」 2023年8月25日 12時0分スポーツ報知

ザ・グレート・カブキさん(左)と妻の安子さん

 日米のマット界でペイントレスラーの元祖として活躍した元プロレスラーのザ・グレート・カブキさん(74歳。本名・米良明久)が今年いっぱいで1998年11月から25年にわたり渡り営んできた居酒屋の幕を閉じる。

 カブキさんは、1964年に日本プロレスに入門。その後、ジャイアント馬場さんが設立した全日本プロレスへ移籍し、81年に米テキサス州ダラスのリングでペイントレスラーの「ザ・グレート・カブキ」に変貌し『東洋の神秘』の異名で毒霧を駆使するオリジナル殺法で全米でトップヒールに登り詰めた。日本マットでもトップとして活躍しSWS、新日本の平成維震軍、WAR、IWAジャパンなどで活躍し2017年12月22日に正式に引退した。

 居酒屋は、現役時代の98年11月18日に飯田橋で「串焼き ちゃんこ かぶき」をオープン。2016年3月21日に現在の文京区春日に移転し店名を「BIG DADDY酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」と変えて営んできた。妻の米良安子さんと切り盛りする店は、カブキさんの手作りちゃんこ鍋など抜群の味と夫妻の温かい人柄で連日、満席の大繁盛店だったが今年9月8日に75歳の誕生日を迎え主に体調面の理由から閉店を決意した。ファンの間ではSNSを中心に店が幕を閉じることへ惜しむ声が続出する中、WEB報知は、カブキさんと安子さんを取材。店ののれんを下ろす心境とお客さんをもてなしてきた思いなどの秘話を連載する。2回目は、店の自慢「ちゃんこ」にまつわる秘話。

 (取材・福留 崇広)

 妻の安子さんと居酒屋を切り盛りしてきたカブキさん。メニューはすべてが2人の手作りだ。その中でも多くの客を満足させてきたカブキさんの自慢は「ちゃんこ鍋」だ。料理のベースは、中学を卒業し15歳で入門した日本プロレスだった。練習生から若手時代に赤坂にあった合宿所で練習後の食事を作る「ちゃんこ番」と呼ばれる仕事を務めた時に基礎を学んだ。

 「料理は好きだったんです。とにかく好きでした。ちゃんこを作るために、大根やにんじんをそそいで、ゆがいて…たまねぎを切ってとか、いろんなことやらないといけないんです。あれは、料理が好きじゃないとやれませんよ」

 好きになった理由は、当時の日プロ合宿所の食事が絶品だったことにあるという。

 「入門するまで、あんなおいしくて豪勢な食事は食べたことがなかったですからね。会社から『ちゃんこ銭』と言って、食材を買うためのお金を渡されるんですけど、昭和39年で1日1万円でした。当時の大学生の初任給なみの金額ですよ。だから、入門した時は『こんな豪華なモノを食ってたらみんな体大きくなるはずだよな』って思いました」

 カブキさんは、力道山が亡くなった後の昭和39(1964)年に入門した。当時、合宿所には、アントニオ猪木さんら13人ほどの若手レスラーが生活していた。中でもカブキさんが料理を学んだのが北沢幹之さんだったという。北沢さんは、カブキさんの3年前となる1961年10月に日プロに入門した先輩レスラーだった。

 「北沢さんが作った料理は、うまかったですよ。ちゃんこの作り方も教えていただきました」

 様々なスープがあるちゃんこ鍋だが、カブキさんの自慢は鶏ガラでだしを取る「ソップ炊き」だ。

 「ソップのスープは鶏ガラがベースなんです。それを3、4時間、ことことことこと煮込むんです。その上でしょうゆとざらめで味つけをするんです。この味付けが一番、多くの人が好きですね」

 味付けのポイントがある。

 「それは甘さでしょうね。甘ったるくするのか、さらっとした甘さにするのか、そこがポイントです。ざらめ、酒、みりんのちょっとした入れ方で味は変わってきます。自分はさらっとした甘さが好きなんですが、こってりした味が好きな人もいますから、そこはしょうゆを足したりして味を調節していました」

 日プロの「ちゃんこ番」時代は先輩レスラーの好みに合わせて味付けを変えていたという。そうした若手時代の「修業」が月日を経て居酒屋を営んでから花が開き、多くの客を魅了した。妻の安子さんもカブキさんの味に絶大な信頼を寄せる。

 「ウチの味は主人の味を信じてます。他のメニューは私も作りますが、ちゃんこと煮込みは私にはできないんです。鶏ガラからだしを取るあの味は、鶏ガラスープの素じゃ絶対に出ません」

 料理が好きで熱中したカブキさんの「ちゃんこ」は日プロ時代、先輩レスラーから好評だった。デビューした1964年当時、エースで社長だった豊登は、いつも喜んでくれた。

 「トヨさんは何でも好きでした。当時は、日本全国を巡業で回っていたんですが、シリーズが長いとみんな泊まっている旅館のご飯に飽きてくるんです。そんな時に試合が休みの日に自分が『じゃあ、今日、ちゃんこやりますか』って言うと、『やれ、やれ』って喜んでくれてね。それで旅館の台所を借りてちゃんこを作ったんです。出来上がるとトヨさんは『おぉ、ありがとな。これ美味いんだよな』って声をかけてくれましたよ」

 絶大な人気を誇ったエースのジャイアント馬場さんは、黙々と食事をしていたという。

 「馬場さんは、こっちが出したものに一切、文句を言わないんです。黙って食べて『うまいな』って、ぼそっとほめてくれました」

 馬場さんの声色をモノマネしながらカブキさんは、その様子を再現してくれた。馬場さんとは、反対に昭和40年代の日プロで“若獅子”と呼ばれたアントニオ猪木さんは、ちゃんこになると積極的だった。

 「猪木さんは、合宿所でも巡業中でも『ちゃんこができました』って声をかけるといの一番に来るんです。だけど、食べ終わるのが一番、最後でした。アゴが長いせいか、しっかりかんで食べましたよ。食べるのはものすごく遅いんですけど、出したモノはなんでも食べてくれました。先輩レスラーはそうやって、みんなおいしく食べていただきました」

 カブキさんは、昭和50年代に所属していた全日本プロレスを離れ、米国を主戦場として活躍した。当時は、主にマサ斎藤さんとのタッグで全米を席巻した。

 「米国でも休みがとれたらマサやんと『ちゃんこ食いたいな』ってお互いに言って買い出しに行って、作りましたよ。その当時は、大根がロサンゼルスとかサンフランシスコなんかにある日本人街にしかなくて、フロリダはなかったんです。だから、中国の野菜で代用していました。マサやんも自分が作ったちゃんことを『おいしい』って喜んで食べてくれました」

 そんな思い出と秘話が詰まったカブキさんの「ちゃんこ」。現在、店で提供している鍋は4種類。鶏の水炊き「オリエンタルクロー」、そっぷ炊き、豚キムチ味の「赤い毒霧」、牛カレー味の「連獅子」と名前は、カブキさんの必殺技、キャラクターから命名した。

 他にもメニューは、「アブドーラ・ザ・ブッダ串」、「ドリーテリー焼き」、「アッジー・フレアー」、「元祖!タッグサラダ」などプロレスから命名されたカブキさんならではのメニューが用意されている。安子さんは、こうしたネーミングは「2人で考えました。ウリがあるお店の方が絶対にいいですから。私のお気に入りの名前は、鶏の照り焼きの『ドリーテリー焼き』です」とほほえんだ。

 カブキさんは「料理が好きだから居酒屋をやったんです。お客さんがおいしいねって言ってくれるのが一番うれしいんですよ」とかみしめた。すべてはお客さんのために―。それは、「プロレスと同じですよ」とカブキさんは告白した。

コメントをお書きください

コメント: 10
  • #1

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:52)

    入場シーンの盛り上がりは日本人レスラー屈指ではないか

    マスクのバリエーションは連獅子、忍者マスク、武者兜の三つ
    私がいちばん好きだったのは武者兜で刀をクロスして高々と掲げてみせる演出は絶品でした。
    相手レスラーもビビッたのでは。その位の迫力があった。

  • #2

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:53)

    小学校の時に、毒霧を吐くカブキさんを見て、衝撃的でした。全日本時代です。
    アッパーとトラースキックがとても格好良く、憧れました。
    後年、御自身の本を読み、セメントの強さも持ち合わせてないと、アメリカでは生き残れなかった事を知り、プロレスの奥深さを知りました。

  • #3

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:53)

    「入場だけでも金が取れる」レスラーでしたね
    マスカラス、カブキさん、三沢さん、蝶野さん、近年だと内藤選手など
    息子のムタも偉大なレスラーだったけど、入場シーンだけなら「東洋の神秘」の勝ちかな
    レスラー時代の経験を引退後に活かしているのは素晴らしいですね。

  • #4

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:54)

    カブキさんのトラースキックとアッパーにはキレが在りましたね。
    入場曲も良く、リング上でのヌンチャク捌きと、時より毒霧を上空に吹き上げる姿に神秘性を秘めていた。

  • #5

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:54)

    You Tubeで前田さんと船木さんが、カブキさんの店を訪れ、何を食べても美味しいと絶賛していた。他にもライガーさん小林邦昭さん…カブキさんを大先輩として立てているのは新日本系ばかりのように感じるのは気のせいか?ちゃんこなら、若手の頃から自信あったろうけど、集客となるとそれだけでは厳しいから色々メニューを工夫したんでしょう。東京に行くチャンスがあったらぜひ店に行きたかったが…

  • #6

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:55)

    プロレスのエンターテイメント化を築いた先駆者だと思います。
    試合前のセレモニーと言えるヌンチャクの妙技に少年時代に魅せられた一人です。
    多分、カブキ氏もブルース・リ一に熱中してた一人なのかなと。

  • #7

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:55)

    日本人ってわかったけどグレートカブキさんの本名は知らなかったなあ。毒霧とヌンチャクパフォーマンスはかっこよかったです。店閉店するのではなく、どなたか引き継いでやって欲しいなあ! カブキさんの色がなくなるかもしれないけど、引き継ぐ方がいたらカブキさんが喜ぶと思います!俺の店、後世に続いてるよ!って思うし、いろいろ備品導入してるのでもったいない。って思う

  • #8

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:56)

    この店、前から行ってみたかったのだけど、中々行く機会がなく、そのままずるずると日が過ぎてしまい、今では閉店まで予約が埋まっていて、予約も取れないし、ましては一見さんが当日行っても無理な状況になってしまった。
    もう行ける機会が無いのが残念。

  • #9

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:57)

    当時のファンはシビアに
    各レスラーの実力を見ていた。
    鶴田やブロディとは…
    売り出しても不完全燃焼…
    アメリカに留まるべきだったと思う。
    高千穂としてなら
    若手育成コーチが適任だったかと!

  • #10

    名無し (金曜日, 25 8月 2023 23:58)

    飯田橋時代から数えて二桁通いました。
    予約が取れた最後の一回、楽しんで味わいたいと思います。
    長い間お疲れ様でした。