
先生は泣いていた。 そして僕を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。
ある日、僕の父親が赤ん坊の僕を抱えて先生の所へやってきたこと。 検査結果は最悪で、僕の耳が一生聞こえないだろうことを父親に伝えたこと。 僕の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。
そして次の言葉は僕に衝撃を与えた。
「君は不思議に思わなかったのかい。 君が物心ついた時には、もう手話を使えていたことを」
確かにそうだった。 僕は特別に手話を習った覚えはない。
じゃあなぜ・・・
「お父さんは僕にこう言ったんだ。 『声と同じように僕が手話を使えば、 この子は普通の生活を送れますか』とね。 驚いたよ。 確かにそうすればその子は、声と同じように 手話を使えるようになるだろう。 小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。 だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら ・・・でもそれは決して簡単なことじゃない。 そのためには今から両親が手話を 普通に使えるようにならなきゃいけない。 健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。 全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、 とても間に合わない。 不可能だ。僕はそう伝えた。 その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。 君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。 だから死にたいなんて、言っちゃ駄目なんだ」
聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、僕のために手話を勉強したのだ。
僕はそんなこと知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。
僕が間違っていた。
父さんは誰よりも僕の苦しみを知っていた。 誰よりも僕の悲しみを知っていた。 そして誰よりも僕の幸せを願っていた。
濡れる頬をぬぐうこともせず僕は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。 なんて馬鹿なことをしたのだろう。
あの人は僕の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。 父さんが負けなかったように。幸せになろう。そう心に決めた。
今、僕は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。
僕の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。 父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。 そして遺影を見たまま話し始めた。
僕の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。 僕を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと僕はひどい状態だった。 僕は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。 「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」 父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして僕に異常が見つかった。 「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって、 約束を守れないんじゃないかってなぁ。 でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。なぁ…母さん」
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。 でも僕には何て言っているか伝わってきた。
僕は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。
「ありがとうございました!」 僕は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。
父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。僕、いま幸せだよ。

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