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お母さんのマフラーが教えてくれたこと

【お母さんのマフラーが教えてくれたこと】
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中江友里さんは、女優で作家業。
テレビのコメンテーターとして活躍しつつ、
新聞にエッセーなどの連載を持っています。
中江さんは、小学校のころ、
お母さんからある考え方を教わりました。
ほんのちょっとした出来事でしたが、そのときのことが、
その後の中江さんの生き方に大きい影響を与えたといいます。
子どもの頃から手先を使うこと、
ものを作ることが好きでした。
小学校高学年になると手芸部に入りました。
部活動は楽しかったのですが、
課題があることをすっかり忘れていたのです。
明日が期限というのに、
課題のマフラーは半分ほどしか編めていませんでした。
これから夜なべをしても完成するとは思えない。
半泣き状態でいると、見かねた母が言いました。
「泣いても出来ないで」
そうして、お母さんは中江さんの手から、
未完成のマフラーを受け取りました。
お母さんがそこでやって見せたこと、
それが小学生の中江さんへの大きな教訓になったのでした

は未完成のマフラーを手にすると、 なんとマフラーの端と端をつなぎ合わせたのです。

「ほら、腹巻きが完成した」

「帯に短し、たすきに長し」と言いますが、 マフラーに短いなら、輪にして腹巻きに、という発想の転換。

面白い上に実用的なアイデアに驚き、 涙が吹き飛びました。

翌日、その腹巻きを学校に持って行くと、 なんと課題の期限を守ったのはわたしだけだったのです。

「中江さんを見習いなさい」 と先生が腹巻きを高く掲げておっしゃった時は、 ちょっぴりの恥ずかしさと 母の機転で完成させることが出来た誇らしさで 胸がいっぱいになりました。

この経験は、強烈にわたしの中に焼き付きました。

「最後まであきらめず、次の道を探す」 という教えになったように思います。

中江さんは、15歳の時、 大阪から上京して芸能界に入りました。

学業と仕事の両立がうまくいかず、 定時制の高校を含め三度の転校をしました。

学校に通えない日々が続き、結局退学を迫られました。

最後は通信制の高校に通い、 高校を卒業できたのは20歳になっていました。

それでも、文学の勉強に対する熱意があり、 法政大学への入学を果たすことができました。

学校をやめても、学業を続けることはできる。 そのように文学への学びを続けたことが、 自分のキャリアとなり、現在の仕事に役立っていると、 中江さんは語っています。

マフラーを腹巻きに変身させた母のアイデアが、 「あきらめない」というきっかけをくれましたが、 あきらめないで頑張るのは自分です。

だからいつもピンチになると、 「よしチャンスが来た」と思うようにしています。

ピンチをチャンスに変えるのに必要なのが、 あきらめない力。

どんなときも楽しむことをあきらめない。 そうすればピンチは、楽しむチャンスになるのです。