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知ってる? 牧野富太郎の名言「雑草という草はない」には続きがあった。朝ドラ『らんまん』のモデル 若き日の山本周五郎をたしなめた言葉でした。「これにはおれも、一発ガクンとやられたような気がしたものだった。まったく博士の云われるとおりだと思うな」

NHKの朝ドラ『らんまん』が4月3日からスタートしました。神木隆之介さんが演じる主人公・槙野万太郎のモデルは、高知県出身の植物学者、牧野富太郎博士です。

牧野博士は「雑草という草はない」という名言を残したことで知られていますが、実はこの言葉に続きがありました。「日本植物学の父」と言われる天才学者の知られざるエピソードを紹介します。

■「雑草という草はない」の出典、2022年になって判明

「牧野富太郎 」(コロナ・ブックス)の書影より
Amazon/平凡社

明治から昭和まで活躍した牧野博士。「雑草という草はない」という名言で知られていますが、実はこの言葉、長く出典となる資料が見つからない状態が続いていました。牧野博士が本当に言ったのか不明のままでした。

しかし2022年8月、牧野記念庭園記念館(東京都練馬区)の田中純子学芸員らの調査の結果、ついに出典が見つかったと高知新聞が報じました。

時代小説で知られる作家の山本周五郎が戦前、牧野博士に取材した際、その言葉を聞いたと話していたのです。

■取材に訪れた山本周五郎をたしなめた言葉だった。雑草だけでなく雑木林も非難

山本周五郎は作家として売れる前、1925年(大正14年)から1928年(昭和3年)にかけて、帝国興信所(現在の帝国データバンク)を母体とする雑誌「日本魂(にっぽんこん)」の編集記者を務めていました。

牧野博士にインタビューしたとき、当時20代だった山本周五郎が「雑草」という言葉を口にしたところ、牧野博士はなじるような口調で次のようにたしなめたそうです。

「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」

(木村久邇典『周五郎に生き方を学ぶ』実業之日本社より)

どんな植物にも固有の名前がある。それを無視して「雑草」「雑木林」などと人間にとって要不要だけで分類するのは、おこがましいという主張でした。

山本周五郎はこの言葉が胸に刻まれたようで「これにはおれも、一発ガクンとやられたような気がしたものだった。まったく博士の云われるとおりだと思うな」と振り返っています。

残念ながら、牧野博士へのインタビューはボツになったのか雑誌に載った形跡はなく、朝日新聞記者などを務めた木村久邇典(きむら・くにのり)に戦後になって回想した記述が残されているのみです。

■「昭和天皇の名言」としても有名

実は同様の言葉は、昭和天皇が言ったことでも知られています。

1965年(昭和40年)から侍従を務めていた田中直(たなか・なおる)が吹上御所で「雑草」を刈ったことを伝えたところ、「雑草ということはない」とたしなめられたというエピソードが『宮中侍従物語』(TBSブリタニカ)に記載されています。

昭和天皇は「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのいはいけない」と注意したそうです。

昭和天皇は1948年に牧野博士を皇居に招いて植物学のレクチャーを受けたこともあるため、影響を受けたのかもしれません。

朝ドラ「らんまん」のモデル、牧野富太郎とはどんな人? 「日本植物学の父」の波乱万丈の生涯とは 神木隆之介さんが主人公・槙野万太郎を演じるNHK連続テレビ小説(朝ドラ)の「らんまん」。モデルとなった牧野富太郎の功績を振り返ります。

神木隆之介さんが主演を務めるNHK連続テレビ小説(朝ドラ)の「らんまん」が、4月から放送スタートした。

激動の時代の渦中で、ただひたすらに愛する草花と向き合い続けた植物学者・槙野万太郎の波乱万丈の物語を描いたストーリー。

モデルは、「日本の植物分類学の父」と称される牧野富太郎で、登場人物名や団体名なども一部改称してフィクションとして描くという。

どんな人?小学校を自主退学も植物学を志す

物語のモデルとなった牧野富太郎とはどんな人物なのか。その歩みを振り返ってみよう。

牧野は1862年、現在の高知県高岡郡佐川町の裕福な商家「岸屋」の一人息子として生まれた。幼少期に父母と祖父を相次いで亡くし、体の弱かった牧野は、祖母・浪子によって大切に育てられた。

小学校に通うも、授業に飽き足らず自主退学を決める。一方で、幼い頃から植物に興味を持った牧野は独学で植物の知識を身につけ、植物学を志すようになった。

1884年、22歳で2度目の上京。東京帝国大学(現在の東京大学)の植物学教室に出入りを許され、植物研究に打ち込むようになる。熱心に研究を重ね、『日本植物志図篇』や『大日本植物志』などの刊行に携わった。

1889年には、大久保三郎と日本で初めて新種ヤマトグサに学名をつけて『植物学雑誌』に発表した。

めざましい活躍の一方、研究のために郷里の財産を使い果たすなどして実家の経営は傾いた。その後帝国大学理科大学の助手となり東京を基盤に活動するが、生活は困窮。多額の借金をしながらも、植物の研究に没頭し、全国をまわって膨大な数の植物標本を作製した。

牧野が遺した業績の一つに、全国規模の植物知識の教育普及活動がある。各地で観察会や同好会に関わり、講演会を行うなど植物知識の普及に尽力した。

26歳で結婚し、13人の子どもを授かる

私生活では1888年、26歳で寿衛(すえ)と結婚し、13人の子どもを授かった。牧野は生前、自身が生涯にわたって植物研究に身を委ねることができたのは妻のおかげだと振り返っている。1928年、寿衛が54歳で死去した際、牧野は新種のササに「スエコザサ」と命名した。

牧野は1957年、94歳で亡くなった。生涯で収集した標本は約40万枚といわれる。新種や新品種など1500種類以上の植物を命名し、日本の植物分類学の基礎を築いた一人としても知られる。1940年に刊行された『牧野日本植物図鑑』は改訂・増補により版を重ね、今なお広く親しまれている。

「らんまん」の意味は

タイトルの「らんまん」には、「春爛漫」と「天真爛漫」の意味がある。

制作統括の松川博敬さんは、「花がらんまんと咲き誇って植物の生命力が旺盛な様子を表すとともに、主人公の万太郎くんが笑顔で明るく天真らんまんに突き進んでいくさまをイメージしました」と、タイトルに込めた意味を明かす

牧野富太郎をモデルとした主人公・槙野万太郎を演じることが決まった神木隆之介さん。抜擢されたことについて、「人生でこんなに嬉しい事が起きるのかと驚きました」とコメントを寄せている。「僕も牧野さんみたいな素敵な笑顔が似合う人になれるように、また、観てくださる方が優しい気持ちに、そして、“笑顔” になっていただけるように精一杯頑張ります」と意気込みを語った

<参考文献・サイト>