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“月150万”荒稼ぎした不良高校生が、「未成年のうちに不良の世界から足を洗った」理由

 綺麗事に聞こえるかもしれないが、再起のきっかけさえあれば、人は変わる。  間違った方向へ人生が流れそうになったとき、自らの手にある“踏み止まれるもの”を自覚する者は幸福である。自分の人生をどう設計していくか。すなわち、私たちはどう生きたいか。一度道を外れて尚、現在は仕事で社会貢献する者たちの軌跡を追いかける。腫れ物だった彼らが這い上がるまでのドラマに、迫った。

“不良時代”の片口翔太氏

「中学受験の失敗」で歯車が狂う

 有名資格予備校の講師として人気を集め、現在は司法書士事務所を開業する片口翔太氏の人生も紆余曲折に富んでいる。 「中学受験で第一志望校に合格できなかったことは、私の人生にとって大きな出来事だったと思います」  片口氏が受験したのは早稲田大学の付属中学校。知らぬ者のいない難関校だが、届かない目標では決してなかった。事実、氏の不合格は多くの受験仲間の間で驚かれるほどだったという。やむなく滑り止めに進学することになった氏に追い打ちをかけたのは、親の決断だった。 「早稲田大学の付属校は高校受験でも門戸を開放していますから、私は当然受験する気でいました。ところが、親は高校受験へのチャレンジを認めてくれませんでした」  校名の記載は伏せるが、滑り止めとはいえ名門校。両親が「そのままで良い」と判断したのも頷ける。だが片口氏は納得がいかなかった。 「小6の私は、親が困り果てるくらい荒れました。『こんな学校には進学しても意味がないから、公立中学に行く』とまで言い放ち、とうとう塾の先生が家に説得に来ました。大の大人が『お前を受からせてやれなかったのは、先生のせいだ』と泣く姿を見て、進学だけは決めましたが、内心では『もう一度早稲田を受験するチャンスがほしい』と思っていました」  

警察の“不良名鑑”に登録されていた

 本格的に片口氏が荒れ始めたのは中学2年生の頃だ。夜は渋谷で遊び通して自宅に帰らず、朝登校しては机に突っ伏して寝る生活が続いた。中学生離れしたエピソードはどれも面白いが、なかでも警察の情報網の徹底ぶりを知ることになった話は、特に興味深い。 「通っていた中高は、文化祭になると女子高生を中心に多くの人が訪れるような人気校でした。すると他校の人間がその女子高生をナンパするために潜り込むようになったのです。たまたま私は参加していなかったのですが、仲間が『俺たちのシマで何をしているんだ』と他校の男子高校生を締め上げ、結果的に50万円の恐喝事件に発展しました。  ある朝、5時くらいに私の自宅に警察官がやってきて、『君の仲間がいなくなったから居場所を教えてほしい』と言うんです。私は心当たりもないので適当にやり過ごしましたが、その後、捕まって取り調べを受けた複数の仲間から『警察の取調室に“不良名鑑”みたいなデータベースがあって、お前の顔写真と名前もバッチリあったよ』と言われ、驚きましたね。虞犯(ぐはん)少年であっても警察はちゃんとリストアップしていますよ」

中3の時に「不良界隈で権限を持てるようになった」

現在の片口氏

 その後も片口氏は不良街道を順調にひた走った。 「街に繰り出しては喧嘩というのは当たり前で、イベサー(イベントサークル)の仕切りみたいなことをやって金を得ることを覚えました。当時はまだ名のある企業でも、そういう団体のイベントに出資をしてくれていた時代です。パー券(パーティー券)を売りさばけば遊ぶ金が入ってくる、そんな感覚でした。  中3のころ、渋谷で不良同士で揉めたとき、先方が高校生の不良をケツ持ちで出してきたことがありました。私は人脈を辿って、名うての不良といえどまともに目を合わせることすら憚られるような人物を呼び、解決に持ち込むことができました。不良は狭いコミュニティなので、すぐにその噂はまわり、私がどんな手段でも使う人間であることが知れ渡りました。そのあたりから、不良界隈で権限を持てるようになった気がしますね」  

高校生でスカウトに。月に150万稼ぐように

 一方で、中学生の終わりに経験した親友との離別が片口氏の荒み方に拍車を掛けた。 「中学入学と同時に仲良くなった親友がいました。同じく第一志望に合格できなかったなど、境遇が似ていて。彼が高校受験で早稲田の付属に合格したんです。祝福したい気持ちと、自分は挑戦することすら許されなかったのにという忸怩たる思いが入り混じって、複雑でした」  高校生になると水商売のスカウトをすることで、人脈と金脈を広げた。 「私が所属したスカウト会社では、女の子をそれぞれの店に“落とす”ことで与えられるポイントがあり、そのポイントに厳密に従って昇進が決められていました。当然ですが、昇進すればするほど、稼げる仕組みです。ポイント制は単純ではなく、店ごとに得られるポイントも違えば立場によってバック率も異なり、それらを瞬時に計算して立ち回る要領の良さが求められました。私は年齢を成人と偽って働き、最終的には幹部まで上り詰め、月に150万ほどもらっていたと思います」

不良の世界にいるのは「前科のつかない未成年まで」

 己の立ち回りひとつで高校生でも高給を叩き出せるきらびやかな世界。だが片口氏はそんな世界に骨を埋めようとは微塵も考えていなかった。 「思えば、私が不良に足を踏み入れたのは意地だったと思います。たった1回の入学試験とはいえ、私は合格が獲れず、その世界で成功できませんでした。再チャレンジも断念せざるをえなかった。だから、別の世界で成功してやろうと考えていました。不良の世界で成り上がり、周囲の学生が手にできない額の金を手に入れることで、自分を慰めていたようなところがあります。だからこの世界にいるのは、前科のつかない未成年までと決めていました」  

“制裁”によってパイプ椅子で殴られ、丸刈りに… 

一度踏み入れた世界は、容易に抜け出すことができない。片口氏は会社で意図的に“失敗”を犯すという荒業によって離脱を試みた。 「制裁はかなりのものでした。暗闇に連れて行かれて、パイプ椅子で複数人に殴られ続け、髪の毛はバリカンで刈られ……。頭は割れて血が流れ、顔は腫れ上がって、ドラマや漫画でみる光景そのままだと思います。その後、東京を離れて別の場所で仕事をするという“禊”を経て、無事に退職することができました」  想像を絶する苦痛を伴いながらも片口氏が足抜けしたのは、幼少期の記憶によるところが大きいという。 「私は幼少期を文化レベルの高い地域で過ごすことができました。教養のある人間像というものが、おぼろげにわかったように思います。小学生の途中で引っ越し、転居先の小学校の学力の低さに驚きました。同時に、学ぶことの大切さをはっきりと自覚しました。中学受験を志した根源には、そのこともあるかもしれません」

なぜ司法書士を志したのか

根から勉強が好きだったからこそ、困っている人のために役立つべく司法書士の道を志す

 司法書士を志したのも、自分の知性を社会に役立てたいとの思いからだった。 「不良のイメージと不整合が生じるんですが、根から勉強が好きなんですよね。物覚えも、昔から良いほうだったと思います。社会の規範を学び、構造を理解することで、困っている人に役立てるのではないかという思いはずっとありました。 不動産登記や商業登記を主戦場とする司法書士の資格を取れば、まだ社会にない価値を提供するベンチャー企業などの役に立つことができます。そういう思いから、司法書士を志し、1年間の勉強の末、受かりました」  

難関をわずか1年間で潜り抜ける

 合格におよそ3000時間程度の勉強を要するとされる司法書士試験は、紛れもない難関資格。片口氏はわずか1年間で、しかも全受験者中12位で受かった。 「合格後は、大手予備校からお声がけいただき、講師としてもキャリアをスタートさせました。いわゆるテキスト通りの講義はせず、自ら基本書を徹底的に読み込んで通説がどうなっているかを吟味して教えるので、生徒からの評判は良かったと聞いています。実際に合格実績も評価されていました。  何でもやり始めるとその道を極めたくなってしまう性分で、いい加減な授業をしたくないので、予習にかなりの時間を使いました。最初は事務所勤務をしながら予備校講師をしていましたが、そのうち司法書士事務所をアルバイト扱いにしてもらって、講師を本業にするようになりました。  5年ほど前に開業に伴って講師は廃業しましたが、学説を丁寧に調べ上げて、実務にどのように向き合うかを考えた時間は、私にとって財産になっています」  

表と裏の世界を住み比べたからこその視点

 現在は法的知識を活用してベンチャー企業の開業をサポートする片口氏。表と裏の世界を住み比べた氏ならではの視点がある。 「昔の私がそうであったように、一度やさぐれてしまうと人は自滅的な思考回路になりがちです。ただ、どんな世界にいても『どう立ち回ろうか?』と必死に手繰り寄せた日々は、案外無駄ではないと今では思います。事実、スカウト会社にいたメンバーの中には、誰もが知るエンターテイナーとして人に元気を与える仕事をしている人もいますし、さまざまな人から尊敬され頼られている人もいます。スカウトという仕事を通して得たコミュニティの広げ方によって、本来の自分を表現できるようになったのではないかと感じます。  悪い道に進んだとしても、『これでいい』と心底から思っている人はあまりいなくて、変わるチャンスを望んでいるのではないかと思うんですよね。過去に道を踏み外してしまった人でも、そのあと更生した場合は、私も知恵を貸して開業の手伝いをさせてもらいます。まだまだ私は成功したと胸を張れないですが、いろんな背景を抱えた人に寄り添い、その人々が社会貢献するための手助けをできる存在になりたいですね」  くすぶっていた頃の自分を切り離すのではなく、地続きの人生として背負うこと。片口氏が人生の連続性から逃げない強さを持つからこそ、失敗から立ち上がろうとするクライアントに差し伸べる手にも優しさが宿る。 <取材・文/黒島暁生>


黒島暁生
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki