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なぜ「権利を使う人間」を叩くのか…不当解雇で計4700万円を勝ち取った私を「当たり屋」と呼ぶ日本人の闇 「我慢するか、逃げるか」しかないのはおかしい 佐藤 大輝 佐藤 大輝 ブラック企業元社員

会社を慕うことは悪いことではないが…

「ヤクザと一緒」「この人、友達いなさそう」「読んでて腹が立つ」
「当たり屋でもやれば?」「この記事は作り話」「訴えずにとっとと辞めろ」

私は可能な限り、執筆した記事に対するコメント(ヤフーニュースやツイッター(現X)など)にリアクションするよう心がけている。しかし、このような批判を目にする機会も多く、軽く傷ついている。

7月に書いた記事〈解雇通知書はカネになる…2社から裁判で計4700万円を勝ち取ったモンスター社員の「円満退社」の手口〉では、「この記事は作り話」とか「訴えずにとっとと辞めろ」といったコメントが散見された。

前者に関しては獲得金額が大きいため、納得できないが理解はできる。しかし後者に関しては大金を手にしたことへの嫉妬心だけでなく、日本人特有の「会社を信頼しすぎている問題」が隠れているように私は感じている。

別に会社を親のように慕うことが悪いといっているわけではない。だが、過度な信頼を会社に抱くことで、逆に、自分の人生を不安定にしてしまう可能性も高いのではないか。

オフィス街を歩く人々

日本人が会社を信頼してしまう3つの理由

例えば会社員の特権として年功序列と終身雇用が挙げられるが、少子化と人口減少が進み、大量の高齢者が希少な若年層を圧迫している日本社会において、今後も年功序列を維持することは難しい。終身雇用に関しては、私が証明した通り解雇のハードルが高いため今も健在しているが、その企業が未来永劫えいごう存続するという困難な前提に立たなければならない。

雇用慣行が機能不全を起こしつつあるにもかかわらず、なぜそれでも多くの日本人は「会社への信頼」を失わないのだろうか。私は大きく3つの問題があると考えている。

・同調圧力の問題
・教育の問題
・会社と戦うことに関する情報不足の問題

まずは、なぜブラックな職場でも我慢して働いている人が多いのかを想像してほしい。誰しもパッと思いつくのは「お金のため」「転職活動が不利にならないため」といった回答を推測するが、おそらくこれらの理由は表層的だ。

スタンフォード大学教授のジェフリー・フェファー氏が書いた『ブラック職場があなたを殺す』(日本経済新聞出版)によると、悪しき職場でも辞められない人にはプライドの問題があると指摘されている。

ブラック企業は変わらないし、反省もしない

会社を辞めることは自他から実力不足のレッテルを貼られることと同じ。屈辱は避けられない。なぜならその仕事を選んだのは他でもない、自分自身の判断だからだ。これは心理学でいう「コミットメント効果」と呼ばれるもので、人間は一度こうだと決めた判断にとらわれ、初志貫徹を押し通そうとする傾向が強い。

そのほか、異常状態が正常になっていく適応能力の問題。転職活動するエネルギーが残っていない「悪しき職場の罠」についても指摘されている。

このように自分から会社を辞めることは困難なわけだが、そうはいっても現状は改善してほしい……。企業や政府などへ労働環境の改善を期待、あるいは責任転嫁する人が多いのはこのためだろう。もちろん長時間労働や低賃金、違法労働が横行する企業や業界についての改善は必要だ。声を上げることは大切だし、企業や政府がやるべきことはたくさんある。

その上で、私は「自分の人生を他者に委ねて良いのか」といった素朴な疑問を抱いている。なぜなら他人の考えや行動を変えることは非常に難しいからだ。

実際、私が訴えた2つの会社は私の知る限り、裁判後も労働環境に大きな変化は起きていない。またどちらの会社からも裁判中に謝罪は一度もなかった。そう、会社は簡単には変わらないのだ。他力本願はリスクが高い。自分自身が変わるほうが手っ取り早いし、確実だ。

雪山のゲレンデにも会社携帯を持参していた

こう言うと「お金がない」「時間がない」といった批判が飛んできそうだが、申し訳ないがお金も時間も何とかして自分で捻出するしかない。今どきはネットで情報収集できる。労働局では予約不要の匿名無料相談を受け付けているし、弁護士への相談も初回無料のところが多い。法テラスを使う手段もある。

私は思う。必要なのはお金や時間ではなく「人と違うことをする勇気」の問題ではないだろうか。

かくいう私も、実はけっこう同調圧力に弱い。月100時間近くのサービス残業をこなしていたブラック企業時代が好例だが、労務知識と訴訟経験があった2社目の隠れブラック企業時代も同じ過ちを繰り返しているので簡潔に紹介したい。

人生2回目のクビを宣告されたのは中途入社4年目を迎えた頃。主な解雇理由は、勤務時間外に仕事の電話に対応しないから(つまり、サービス残業をしないから)。だが、これはそれまでの期間はキチンと対応していたという裏返しでもあった。

事実、私は渋々ながらも無休で無給の電話対応をほぼ完璧に遂行していた。スノーボードが趣味なのだが、雪山のゲレンデにも会社携帯を持参する徹底ぶりだ。リフトに乗っているタイミングで着信やメールが来ていないかを確認していた。

同調圧力の元凶は日本の学校教育にある

もちろん都度、総務部へ違法労働の問題提起はしていた。が、仕事相手との信頼関係が一度構築されてしまうと、たとえサービス残業になろうが「相手が困っているのであれば助けてあげたい欲」が生まれてくる。また、相手を想う自分の姿勢や考え方を含め、ほんの少しだけ「休日でも仕事してる俺ってカッコイイ」といった自負があったことも告白する。

職場の空気感や同調圧力の影響は強力だ。あまり舐めないほうがいい。モンスター社員の私ですら抗うのは困難だった。クビを宣告されたからこそ「窮鼠猫を噛む」が実行できたわけだが、見方を変えると、それまでは違法労働を強いられようが会社に服従する傾向があったわけだ。

この問題の根の根にはおそらく「教育の問題」がある。

春の一斉入学と新入社員。制服はスーツに、先生は上司に、イジメはパワハラに変わり、もちろん遅刻は厳禁。与えられた問題に対して模範解答できる生徒は優秀で、問題そのものに疑問を持つ生徒は誰もいない。もちろん「学校を辞める」という選択肢は基本NOで、まして「学校と戦う」なんて言い出したものなら親御さんはビックリ仰天するだろう。

コンピューターの授業
写真=iStock.com/ferrantraite
※写真はイメージです

「良い子」だった私はなぜモンスター社員になったか

ハッキリ言おう。私たちは過去の学校教育に今も洗脳されている。みんなと同じであることが当たり前といった価値観を、知らず知らずのうちに骨の髄まで刷り込まれている。炎上覚悟で言うと、多くの日本人の思考は停止しているように私は見える。大人になった今も「先生」を求め、周りから「良い子」だと褒められたいと願っている。

なお勘違いしている方も多いので一つ補足すると、私の中学時代の成績はオール5だった。高校は神奈川県の有名進学校。絵に描いたような「良い子」として育った。世間で正しいとされている考え方や生き方はインストール済みで、むしろ忠実に生きてきた自負がある。

そんな私がなぜ、どこからどう見ても「変わり者」の生き方を選択するようになったのか。複数のきっかけがあるが、分かりやすく言えばこの生き方が「日本社会で生き抜く唯一の方法」だと理解したからである。

学校内や会社内では「みんな平等」の思想が採用されがちだが、一歩外に出ると、のび太をイジメるジャイアンのように弱肉強食が幅を利かせている。

日本人は自らレッドオーシャンに飛び込んでいる

そんな社会で少数派でいることは希少性と同義であり、だからこそ、誰もやっていないことにチャレンジする変わった人をファーストペンギンと呼んで称賛する文化がある。誰も攻めていない市場はブルーオーシャンと呼ばれ、逆にみんなが集まっている市場はレッドオーシャン。過酷な競争が待ち受けているので参入は控えたほうが無難だと言われている。

正直に申し上げて、日本人の多くは自ら進んでレッドオーシャンの競争に飛び込んでいるように見える。なぜなら、人間は大衆の言動に従う傾向が強いからだ。これは「社会的証明」といって、自分が決断する際に、他人の行動や他人から得た情報に影響を受ける心理作用が働いている。多くの人が会社と戦うという選択肢に抵抗を感じるのも、この社会的証明のせいだといえる。

レッドオーシャンで勝てるならいいが、中学オール5から高校オール3、時には2に近い成績に転落した私は「あんな努力の化け物たちと同じ土俵で戦うなんて無謀だ」と素直に実力不足を認め、他者と差別化できる道を模索するほうが賢明だと考えて生きてきたし、その戦略は正しかったと今の私は確信している。

「我慢するか逃げるか」以外の選択肢があってもいい

個人的に一番厄介だと思うのが、会社と戦うにあたっての情報不足だ。労働法のプロである弁護士や社会保険労務士の発信している情報は簡単に見つかるが、正直眠くなってくる。

例えば「労働契約法第十六条によると、解雇は客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」……。こんなお堅い情報を紹介されても、スッと頭には入ってこない。

かといって訴訟体験者の発信している情報は少なく、やっとこさ見つけたとしても被害者感情で占められているケースが多い。負の感情は感染するため、こういった情報を吸収すると私は気が滅入ってくる。

もちろん労働基準監督署や弁護士のところへ直接相談に行くのは敷居が高く感じるだろうから、最終的に悩める労働者が行き着くのは「逃げるが勝ち」といった、ありきたりな結論になるのではないか。

在職か転職か、二つから一つを選ぶのは窮屈だ。私は「会社と戦う」という選択肢を提唱はできても推奨はできないが、第三の選択肢がもっと身近になればいいなとは願っている。

もちろん、「辞めずにとっとと訴えろ」といったトレンドが来るのはいかがなものかとは思う。しかし、だれもが会社員としての正当な権利を遠慮せずに行使することができれば、健全な経営で成り立っているホワイト企業はより利益を上げるだろうし、劣悪な労働に苦しむ人の数は減る。国全体の幸福度も底上げされるのではないか。

これからも私は稀有な経験を発信していきたい。どうか応援していただけたらうれしい。

 

解雇通知書はカネになる…2社から裁判で計4700万円を勝ち取ったモンスター社員の「円満退社」の手口 「賠償金を払うなら円満退社する」と会社側と交渉する

年収500万円。でも、唯一納得いかないことが…

私は人生で2度、勤めていた企業を訴えたことがある。23歳の時は不当解雇された美容の商社を訴え、20カ月ほど法廷で争った後、和解金700万円を獲得した。安心したのもつかの間、中途入社した運送会社でも2回目の解雇通知書を渡されてしまう。しかしここでも約2年争った結果、最終的に解雇は撤回。4000万円の和解金(賠償金)を受け取る条件で、円満退社する運びとなった。

なぜ、私は合計4700万円もの和解金を得ることができたのか。今回は2社目との訴訟経験をもとに、不当解雇が抱えるリスクと会社との戦い方を解説する。

人生2度目の解雇通知書を渡されたのは運送会社から。私は配車係と呼ばれる仕事を担当していた。具体的な業務内容は、例えば大型免許を持つドライバーさんへ「大阪で荷物を積んでから、神奈川の工場まで走ってください」といった指示を出すもの。約15人のドライバーを担当し、基本給は額面で約22万円。月の残業は平均40時間前後。年収は残業代や賞与等、諸々込みで500万円ほどだった。

劣悪な雇用条件だとはまったく思わなかったが、唯一納得いかないことがあった。それは、突発的な事故や荷主とのトラブルで週休2日のうち1回は電話がかかってくることだ。

役員からの説教後、わずか5日後に解雇通知

緊急対応の仕組みが組織的に整っていればいいのだが、残念ながらそこは考え方が古い会社で、「運送業だから」「ウチの会社はこうだから」といった企業勝手な理由により、勤務時間外のトラブル対応は配車係がセルフサービスで行うことになっていた。もちろんすべてサービス残業で、手当はつかない。

クビを宣告されたのは中途入社4年目を迎える頃、29歳の時だ。無休かつ無給のトラブル対応(会社携帯の対応)に疑問を覚えた私は、転勤を機に、仕事のオンとオフを切り分けることを上司に宣言した。けれどもサービス残業、言い換えるなら労働者の善意によって業務が成り立っている会社側からすると、私が自分勝手でワガママな権利を主張しているように感じたのだろう。また、これは実際に総務部長から言われたのだが、「自分たちが頑張ってやってきた努力をバカにされたような気持ちになった」そうだ。

在職中に一度だけ、総務部長と執行役員から「ちゃんと休日も電話対応しろ」と会議室でカミナリを落とされたことがある。真っ向から拒絶した私は、この説教日からわずか5日後、解雇通知書を渡されてしまった。そこには〈貴殿が希望する帰宅後、休日の電話が無い環境を会社が用意できないため〉との記載があった。裁判での会社側の主張によると、私のような社員の考え方、働き方ではお客さまの迷惑になるし、周りの社員にシワ寄せがいくことの懸念が根底にあったようだ。

「解雇の撤回」を主張すべき理由

私が裁判で請求したのはシンプルに一点のみ。解雇の撤回だ。これは言い換えるなら「私は解雇されていない。今も従業員のままだ」と主張するのと同じ意味を持ち、つまり裁判期間中に支払われるはずだった賃金を請求できる。また、解雇無効が認められた場合、解雇されていなかったことに経歴が修正され、復職の権利も手に入る。

これは「地位確認請求」と呼ばれるもので、地位確認が認められると企業にとって大きな痛手となる。なぜなら解雇無効が法的に認められた場合、まとまった金銭の支払い義務が企業側に生じるからだ。

「解雇時の給与(月給)×紛争期間(月)=企業側の支払う金額」

上記の計算方法で算出した金額が、和解あるいは判決の際、企業側が支払う金額設定の一つの目安、判断材料になってくる。専門用語で「バックペイ」(民法第536条第2項)と呼ばれるこの支払いは、労使共に覚えておいて絶対に損はない。

企業からすると「ノーワーク・ノーペイの原則」を主張したいところだが、残念ながら「会社に貢献していなかった」という事実は関係ない。なぜなら会社の誤った判断のせいで「働きたくても働けなかった」からだ。よって地位確認が認められた場合、解雇していなければ支払っていたであろう給与を全額遡って支払う義務が企業側に生じる、というわけだ。

「絶対に判決は避けたい」という状況に持ち込む

勘のいい方はお気付きかもしれないが、バックペイは長く争えば争うほど高額になる。企業側は「あんな問題社員に負けてたまるか」といった感情論ではなく、損得を合理的に計算する勘定論で、原告との戦いを慎重に進めなければならない。

一方で訴える側にとっては、「いかにして会社にとっての脅威になるか」という考え方で争うことが弱者の生存戦略として有効であることをお伝えしたい。多くのサラリーマンは「真面目に頑張って働いて、結果を出して、良い評価を得れば待遇が上がる」と考えがちだ。

しかし、「不真面目で解雇されるくらいの問題社員だが、復職したら会社に大損害を与える力を持っているので、絶対に判決は避けたい」といった状況に持ち込むことができれば、おのずと和解金額は上がるのだ。なぜなら会社側からすると、いくら払ってでも退職させたい迷惑極まりない存在だからである。

これら「法的知識」と「性格の悪さ」に加え、裁判期間中に「交渉術」の知識を学んだ私は、裁判序盤~最後まで「4000万円の賠償金を支払うなら和解(円満退社)する。支払わないなら判決(バックペイ+復職)で構わない」と一貫して主張し続けた。