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④『おすすめの本・まとめ』Apex product 読書好きな方々・興味がわいた方、是非読んでみてください。

ドリアン助川さんの「あん」。
ある理由で一般社会から隔離された老女と冴えない中年男性とのかかわり。
想像するに難しく、軽々しく感想なども述べられませんが、生きる意味とは何か、を改めて考えなければ、と思ってしまいました。
花を添えている女子学生の今後、主人公の男性はどら焼き屋を再開するのか。気になります。
ドリアン助川さん、早稲田学報にも記事を書いていてとても読みやすいなぁと。
余談ですが、個人的に和菓子党です。
平和博『チャットGPT vs. 人類』(文春新書)です。
著者は、ジャーナリスト出身で、現在は桜美林大学の研究者です。実に、タイトルがとても正確なので、私もついつい手に取って読み始めてしまいました。本書では、GPT-2くらいのバージョンから話が始まって、GPT-3、GPT-3.5、そして現在のGPT-4くらいまでをカバーしています。AIの影響が大きいのは、軽く想像されるように、学校とメディアです。特に、私が勤務する大学教育のレベルでは、例えば、リポート作成にAIが活用されると、学習の達成度は測れませんし、果たして、人類が頭を使ってAIを使いこなすという教育と、人類がAIに回答を作成するよう依頼する教育と、どちらを実践しているのか、まったく不明になります。ここは混乱するのですが、何かの目標に向かって、例えば、売上げ目標達成のためにAIを活用して戦略を練る、というのはOKなのですが、その目標が授業のリポート作成だったりすると困ったことになるわけです。今年から急に持ち上がった点ですので、大学教育の現場でも試行錯誤で決定打はなく、しばらく混乱は続きそうな気もします。
ということで、私自身の身近な困惑は別にして、果たして、AIは人類とどのような関係になるのか、という点が本書の中心です。ただ、やや本質からズレを生じている気はしました。すなわち、AIが「もっともらしいデタラメ」、あるいは、はっきりとしたフェイクニュースを作成し始める、という事実はいくつかありますし、プライバシーが侵害されるという心配ももっともです。そして、こういった観点から本書で指摘されているプライバシーの侵害、企業秘密の漏出、雇用の消失、犯罪への悪用といったリスクだけではない、と覚悟すべきです。
こういった本書で指摘されているリスクは、あくまでAIが悪用されるリスクであって、例えば、ウマから自動車に交通手段が切り替わった際に、交通事故が増えた、という点だけに本書は着目している危惧があります。私はむしろAIの暴走がもっとも大きなリスクだと考えています。今までの技術革新では、自動車や電話やテレビが、自分から暴走することはなく、それらを製造する、あるいは、利用する人類の不手際がリスクの源泉だったわけですが、AIの場合はAIそのものが暴走してリスクの源泉となる可能性が十分あります。
人類のサイドからすれば「暴走」ですが、AIのサイドからすれば「進化」なのかもしれませんが、それはともかく、その暴走あるいは進化したAIに人類は太刀打ちできない可能性が高いと私は考えています。その上、本書では経済社会面だけに着目していますが、軍事面を考えると暴走・進化したAIが人類を滅亡させる、そこまでいわないとしても、人類がその規模を大きく縮小させる可能性も私は否定できないと考えています。そうです。私はAI悲観論者だと、自分でも自覚しています。
千早茜 「赤い月の香り」
「透明な夜の香り」の続編が出ていたので買ってみました。
 
主人公の男性は調香師である男性からの誘いで彼の館で働くこととなった。彼は優れた嗅覚を持っており、過去の思い出の香りなど依頼人からオーダーされた香りを作り上げる仕事をしていた。人間嫌いである彼が自分から人を招くことは珍しく、主人公を館に誘ったのには何か理由があるとのこと。前科持ちである自分をわざわざ雇いに来たことを不審に思いつつも、様々な欲望を満たすためにやってくる依頼人たちの要求のために仕事をする、というお話。
 
匂いと人にまつわる話を描いた作品です。
どんな欲望から人は匂いを求めるのか、など匂いと人間がどのようにつながっているのかを描いています。本作の見所は心理描写の仕方が非常に上手いところ。本作は欲望を中心に描いているので生々しい描写がたくさん描かれています。自身の欲望を満たすために高額を払って香りを作ってもらいに来るという設定なので依頼人たちの欲深さもすごくて、その不気味さの描写がとても上手く描かれていました。
また前作「透明な夜の香り」に出てきた人物たちに深く関わる話がいくつかあるため、より楽しむのであれば読んでおくと良いです。本作のメインの話は前作の内容を知らなくても大丈夫なので続けて読むことにこだわる必要はありません。
 
描写は少々重たいですが話の内容自体は軽めに作られているので、気になる方は気軽に手に取ってみてください。
「下級武士の食日記」(筑摩書房)
 紀州藩の下級武士で禄高30石の酒井伴四郎という藩士が、江戸赴任の1年余りの間に書いた日記である。
 酒井伴四郎は、天保5年(1834)に紀州で生まれ、万延元年(1860)5月に江戸藩邸勤めを命じられ江戸に赴いた。
 叔父の宇治田平三も江戸藩邸勤めで禄高は25石であった。
 職務は衣紋方という藩主の服装を選ぶ係であった。
 江戸藩邸での仕事はほとんどなく、年間のほとんどが休日であった。
 従って、暇を持て余して、遊山や食べ歩きをたまにはするが、微禄のためほとんどが自炊である。
 暇であるため、詳細な日記を残している。
 日々の食事の内容や江戸の名物などが記されている。
 現在では、薪の準備、火起こし、水汲みをしなくても良いに食事の準備は大変だと感じるのは、現代人は他にすることが多くて忙しすぎるからだと思う。
 万延元年は桜田門外の変が起こった年であるが、政治的なことはほとんど記載がなく、赴任生活を楽しんでいた。
 翌年の文久元年(1861)12月に赴任を終えて、紀州に帰った後に、慶応2年(1866)の第二次長州征討にも参加しているが、無事に帰還している。
 第二次長州征討の石州口の戦いでは、紀州藩はほとんど戦っていない。
 職務以外はほとんど自発的にしない、すれば罰せられるなどの、幕藩体制の宿痾とも言えるものも幕府の敗因の一つであろう。
 廃藩置県以降の酒井伴四郎の動静は不明で、没年も不詳である。
ある一部の大人の卑劣で嫌らしい行動により、その被害にあった子供…
そして本人だけでなく、その被害を受けた子を助けてあげられなかった…と悩む子供…
どんな大人になって行くのでしょうか…
"小学二年生の友梨は、同じ団地に住む、親友の里子が虐待されていることを知る。
しかし、誰にも言えなかった…。
そして中学生になった時、憧れの存在・真帆が公園で不審者に襲われそうになった時、友梨は男が持っていた包丁で男を刺してしまう…
しかし、捕まるのは…"
     =一部裏表紙より=
「インフルエンス」とは…
影響力、感化、と言う意味です。
友梨、里子、真帆。
この小、中学生の頃に受けた事の影響力は、大きかったでしょう。
「もう、こんな過去は忘れたい❗️」
しかし忘れたい反面、影響力が大きければ大きいほど、何かある事に思い出してしまう…そして仲間意識も蘇ってきて…
そしてまた、何かが起きてしまいます。
三人の将来は❓
幸せな道は待っているのでしょうか❓
実はこの物語は、いずれ小説になります。
(私)と言う小説家が導いています。
そのあたり…
最後、どんでん返しがあります。
興味がわいた方、是非読んでみてください。
「インフルエンス」
        近藤史恵
作品名「レモンと殺人鬼」
著者 くわがきあゆ
父親が少年の通り魔に殺され、10年後に妹が遺体で発見される。その頃、父親を殺した犯人が出所していた。そして被害者のはずの妹には生命保険殺人を行なっていたのではないかという疑惑が浮上する。噂の出所は、昔妹と交際していた男だった。姉は妹の潔白を信じて、疑いを晴らすべく行動を起こすが…、家族や犯人、関係者の知られざる過去が徐々に明らかになり、二転三転の展開となっていきます。
わたしの美しい庭(ポプラ社)凪良ゆう
本当のお母さんの前の夫に育てられる天真爛漫な百音。その百音の父親になって育てることを選んだ統理。全てをカミングアウトしながらも失恋してしまい、現在では統理や百音に助けられながら、食事や細かい仕事など助ける役目を担う路有。この3人と同じマンションに住み、統理や路有を昔から知り、高校時代の恋人を事故で亡くして今も独身の桃子。そして桃子の恋人だった男性の弟で、現在うつ病で療養中の基。
自分の元妻と他の人との間に出来た子供を育てることは、本当にできるのか?周りの目は?
ゲイであること、ゲイであることをカミングアウトすることがどれだけ大変なことなのか?
40歳を迎える女性の気持と周りの目は?
仕事に押しつぶされて、考えてもいなかったうつ病になってしまう働き盛りの男性の気持はどんなもの?
町田さんはどれからも逃げずに真っ向から描く。そこが辛いが、引き込まれる。
いろいろ考えさせてくれた私にとっては、とてもいい小説だった。
ルビンの壺が割れた 宿野かほる様著作 新潮社版 
「突然のメッセージで驚かれたことと思います。失礼をお許し下さい」ー送信した相手はかつての恋人。フェイスブックで偶然発見した女性は、大学の演劇部で出会い、二十八年前、結婚を約束した人だった。やがて二人の間でぎこちないやりとりがはじまるが、
それは徐々に変容を見せ始め……。
先の読めない展開、待ち受ける驚きのラスト。前代未聞の読書体験で話題を呼んだ、衝撃の問題作!
あらすじは、原文通りで。
感想は、確かに、ルビンの壺⁉️( ̄▽ ̄;)、
もしくは、万華鏡‼️
決して、最後から読まないで下さい
「明日の空」貫井徳郎 著
あの『乱反射』の貫井さんの中編作品です。
これは読んでいない方には本当にお勧めです。人という種の中に僅かでも希望があると言う感動作です。
第一部は主人公の帰国子女の高校生活の話で、第二部は黒人とのハーフアンディと友人となったもう1人の主人公の友情の話。この一見無関係な話が第三部で見事に重なり合います。
人間の悪意は表面に浮上しない、それ故優しい人間は孤立し時に大きな傷を負ってしまう。また人間は悪意はあっという間に拡散してその本流に飲み込まれてしまう。けれども人の善意は悪意とは違って殆ど拡散しない。それが表面的なものでなければ尚更です。けれどもその善意や良心を繋げていくことは出来る。
色々な意味で救われる話でした。
世界史の中のヤバい女たち
黒澤はゆま
昨日読了。
…した後に、著者が男性だということを知りました。すっっっかり女性だと思って読んでました😅。イメージ変わりそうなので、もう一度読んでみますね、男性が書いたんだ、と思いながら。😅
元々最近はノンフィクション好きな私なので、こういう題名にはとても惹かれます。
紹介されている女性も、あんまり知らない方々で、新鮮でした。
第一章 すべての女性が望むことは〜魔女ラグネルの結婚
第二章 アステカ王国を滅ぼした女〜神の通訳マリンチェ
第三章 男を犯して子をなす〜女戦士部族アマゾーン
第四章 早馬を駆る〜女騎手すみとスミス
第五章 戦場の女〜ジャンヌ・ダルクの百年戦争
第六章 女性として根絶出来ない部分〜独ソ戦と女性兵士たち
第七章 敵はとことんやっつけるもの〜ウクライナの聖人オリハ
第八章 残忍な女戦士〜偉大な女王ンジンガ
第九章 苦しむ人のために戦い抜く〜冷徹な天使ナイチンゲール
第十章 非情剛毅を貫いた皇后〜中国三大悪女・呂后
前から知っていた人、全く聞いたことのない人、色々でしたが、正直5・9・10は知っていました。それ以外は初めて聞く物語だったので嬉しかったです😊
よろしかったら、是非読んでみてください。
内舘牧子さんの『老害の人』を読みました❗内容の面白さに笑いながらも、いつか行く道(まだ自分は違うと思っている❗時点で危ない?)85歳の福太郎がコロナ禍の中、仲間と老人の為のサロン(ボードゲームを楽しむ場所)を作るために奮闘する(この奮闘がすでに老害😱)お話です。老人にとって、教育=今日行く、教養=今日用なのだ❗今日することがある‼️ということが生き甲斐なる。
 世の中からは必要とされず、いつも頭のどこかに「死」がある老人の不安。それは「老人うつ」なる病名にたどりつくこともある。福太郎が作ったサロンの役割は大きなぁ、と感動もさせられた?傍迷惑な老人は元気だ‼️
平谷美樹『大一揆』。
実際にあった三閉伊一揆(1853年)を題材とした小説。
一揆というと、筵旗を立てて砂塵の中を猛突進したり、代官所や豪農や商家を襲ったりするイメージがあるが、ここに描かれている一揆はとても静かだ。
三閉伊地域の領民6万人に対して1万6千人が参加したという。近郷の村々から人や食料を調達しながら、目的地までひたすら行進する。
盛岡藩や仙台藩の役人それぞれもちゃんと描き分けられていて、百姓と侍の丁々発止が面白い。
一揆側も一枚岩ではないし、仙台藩にも盛岡藩にも思惑がある。
物語はハッピーエンドっぽく終わるが、主人公の命助はその後捕えられて獄死している。田野畑村の多助(太助?)は自害によって生涯を閉じたという。
夏山かほる『新・紫式部日記』(PHP文芸文庫)です。
著者は、本書の巻末の紹介では短く「主婦」とされているのですが、学歴としては九州大学大学院博士後期課程に学んでいますし、本書で日経小説大賞を受賞して作家デビューを果たしています。本書は2019年に日本経済新聞出版社から単行本で出版され、今年になってPHP文芸文庫からペーパーバックのバージョンが出版されています。
ということながら、広く知られている通り、『紫式部日記』というのは存在します。本家本元の紫式部ご本人が書いています。当然です。なお、私自身は円地文子の現代訳で『源氏物語』を読んでいますが、本書の基となった『紫式部日記』は読んでいません。そして、紫式部というのは『源氏物語』の作者であり、来年のNHK大河ドラマで吉高由里子を主演とし「光る君へ」と題して放送される予定と聞き及んでいます。
何と、その新板の『新・紫式部日記』なわけです。ストーリーはもう明らかなのですが、本書では紫式部ではなく、多くの場合、藤原道長より与えられた藤式部で登場しますが、紫式部は学問の家にまれ育って漢籍にも親しみながら、父が政変により失脚して一家は凋落します。しかし、途中まで書き綴った『源氏物語』が評判となって藤原道長の目に止まり、お抱えの物語作者として後宮に招聘され、中宮彰子に仕えることになります。帝の彰子へのお渡りを増やそうという目論見です。まだまだ、亡くなった先の中宮の定子の評判が高い中で彰子を支えて、さらに、物語の執筆も進めるという役回りを負い、さらに、紫式部自身が妊娠・出産を経る中で、藤原道長が権謀術数を駆使して権力を握る深謀に巻き込まれたりします。
もちろん、この小説はフィクションであって、決して歴史に忠実に書かれているわけではない点は理解していますが、実に緻密かつ狡猾に練り上げられています。フィクションであることは理解していながらも、かなり上質の「宮廷物語」ではなかろうか、と思って読み進んでいました。
「今夜、すべてのバーで」中島らも
 表紙とタイトルだけ見ると、なんだか都会的でロマンチックな恋愛小説かと一瞬思うが(そうか?)とんでもない!
 これは、アルコール依存症になった若き独身男の凄まじく辛く悲しい闘病記だ!!!
「この調子で飲み続けたら、死にますよ、あなた。」
それでも酒を経てず、肝臓を壊し、緊急入院するハメになった主人公・小島容。35歳の作家である。
 物語序盤の主人公は、食欲もなく、頑張って食べれば戻し、歩くのも辛いほど衰弱していたが、アクの強い医師や入院患者を冷静に観察しネタにできるほど、精神的な余裕があった。
 しかし、入院生活が続き、肉体が健康に近づけば近づくほど、精神は崩壊していく。
 「自分はなぜ酒がやめられないのか・・・」
と自問自答し、その結果が「死」と直結しているとわかった瞬間、主人公はさらに自問自答する。
中島らもらしく、全体的にコミカルな語り口で、小説として読めばものすごく笑える作品。
しかし、作者の実体験をベースに描かれたという事なので、彼のその後(この本の出版は1994年)を知ってから読むと、ただただ笑ってもいられない。
「酒、コワッ! 依存症、コワッッッ!」となってしまう。
人間て、本当に肉体が「死」と直面している状態の時は意外と平静でいられて、いざ肉体が「生きよう」としている瞬間の方が辛いのかもしれない・・・
そんな事を考えさせられた一冊だった!!!
【余談】
昔、朝日新聞に連載されてた「明るい悩み相談室」って、めちゃくちゃ面白かったよね〜

いま、話題のテレビドラマ『#VIVANT』を観てたら、自衛隊の秘密諜報組織「#別班」が出てきた。マスコマ報道でもまったく聞いたことのない「別班」が出てきたことにびっくり。「エルピス」もそうだけど、政治の闇の部分を取り上げていることに、テレビ局の意欲を感じる。画像は「赤旗」特捜班著『#影の軍隊 「日本の黒幕」自衛隊秘密グループの巻』新日本出版社(1978年)、と石井暁著『#自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体」講談社現代新書(2018)。

「幻夏」太田愛
毎日が黄金に輝いていた12歳の夏、少年は川辺の流木に奇妙な印を残して忽然と姿を消した。23年後、刑事となった相馬は、少女失踪事件の現場で同じ印を発見する。相馬の胸に消えた親友の言葉が蘇る。「俺の父親、ヒトゴロシなんだ」以上あとがきより
この暑い夏にぴったりなお話。23年前に出会った相馬少年と水沢兄弟の3人を軸に、悲劇は少しずつ明らかになってゆきます。
冤罪が発生してしまう過程は、ものすごくリアルで空恐ろしくかつ憤りを感じました。今、現在の話であるとも思います。司法とは、罪とは、裁きとは、償いとはなど大変考えさせられます。
近い未来、このお話読んだ方が「以前の日本では今と違ってこんなムチャクチャな取り調べがまかり通っていたんだ~」と過去形で語られるような取り調べ完全可視化が1日でも早く実現する事を望まずにはいられない。そんなお話。
「私だけ年を取っているみたいだ」水谷 緑
表紙のイラスト少女は、元気いっぱいで買い物をお手伝いの明るいキャラのイメージです。しかしサブタイトルを見ると「ヤングケアラーの再生日記」とあり、タイトルとのギャップを感じます。この 8歳の女の子を、頑張り屋さんと讃える第三者の目こそが、ヤングケアラーの実態に他ならないと分かります。
一見フィクション仕立の漫画ですが、複数の個人からの取材をもとに、特定されないように編集した実際のエピソードです。
小学2年生の「ゆいちゃん」は、お爺ちゃんと統合失調症のお母さんと幼い弟のお世話のため、学校帰りに買い物をし、料理やお掃除をするのが日課です。唯一の収入源であるお父さんは仕事が忙しくてゆいちゃんに任せ切りですが、褒めてくれるのがちょっと誇りで自分が支えなければと頑張るのでした。
本人は気付きませんが、すでに幼少期のストレスが発症しています。ぬいぐるみをハサミで壊し、縫い直して再生したり、腕に機械のマークを書いて自分はロボットになれるイメージを抱きます。ロボットだから傷つかないし痛みもないと思うのです。こういう行為を彼女はポジティブ思考と感じているのです。家の状況を友達にも先生にも訴えることはなく、他人に言ってはいけないとさえ思っています。
中学生になるとお母さんの病気が益々悪化し、被害妄想でゆいちゃんを責めたりしますが、自分の気持ちを殺せば収まるのだと無感情を一時的な措置と覚えるようになりました。感情を抑える行為は自己防衛に直結しているので、身に付ける必然であった訳です。家事や家族のサポートは日常であり、自分がヤングケアラーである認識が起きることはありませんでした。不思議なのはお父さんは弟に対しては手伝いをさせなかったことで、自分は女だから当たり前だと思っていました。
大学に行き看護師の資格を取り、社会人としてようやく独立できる考えを持てるようになりましたが、自身を抑制し自己否定が染み付いてしまっているので、成人しても生き辛さを抱えるようになりました。
成人後のヤングケアラーにとって、トラウマからの回復をどのようにさせるか、専門知識と周りの理解が大切だと具体的に知ることが出来る漫画です。
前回澁谷 智子氏の「ヤングケアラー」(新書版)をレビューさせて頂きましたが 、この本は漫画という手法にしたことでハードルを下げ、読みやすくしてくれています。
また、成人後の苦しみや快復過程はたいへん読みごたえがあります。
まんがでわかる正義中毒 
-人は、なぜ他人を許せないのか?
-中野信子2021年アスコム
誰もが陥ってしまう「正義中毒」
まんがでわかりやすく解説!
有名人の不倫報道。
SNSで匿名での攻撃性のあるコメント。
他人に「正義の制裁」を加えると、
脳の快楽物質ドーパミンが放出される。
意見の違いが、人格攻撃になってしまう。
正義がひとつしかないという前提があるから、
議論に昇華しない。
ネット社会は、興味のあるものだけの
情報が出て気がちになる。
つながる人も同じ考えの人になる。
するとそれが「正義」「真実」だと
考えるように仕向けられてしまう。
本人はネットで新しい知識を得ていると
思っていても実はフィルターに
かけられた情報ばかりで、
自分の世界は非常に限定的かもしれないと
意識する必要がある。
☆正義中毒を乗り越える鍵は
■「メタ認知」
常に自分を客観視する習慣をつけること。
■自分にも他人にも「一貫性を求めない」
それを求めるから「裏切られた」
「そんな人だと思わなかった」と怒りを感じる。
自分も今までと矛盾がないように
振る舞わねばという思い込みに縛られる。
人は変化するもの。
■対立でなく並列
相手をいったん受け止める。包み込む。
評価する。否定する前になぜ相手はそう思うのか、
そこから新しい知見が得られないかと考える。
【感想・行動】
これは気をつけないと、陥りがちになる。
スマホが持ち主によって、
検索結果が全然違うことを最近知った。
全く別の世界を生きているように。
ネット検索が価値観の違いを更に
加速させているのかもしれないと思った。
だからこそ、違いを尊重し合わないと、
対立を産んでしまいますね。
『ソース焼きそばの謎』(塩崎省吾著、ハヤカワ新書)
鉄板焼き料理の代表格にして、お祭りの屋台における定番の食べものでもあり、そしてカップ麺売り場の人気商品としても身近な存在であるソース焼きそば。それがいつ、どこで生み出され、どのように広まっていったのかを解き明かしていく食文化本です。
著者である塩崎省吾さんは、国内外1000軒以上の焼きそばを食べ歩き、その成果をブログ「焼きそば名店探訪録」にまとめておられる焼きそば探究の第一人者。先月(6月)、早川書房から刊行が始まった「ハヤカワ新書」の創刊第2弾の一冊として刊行されました。
ソース焼きそばといえば、おそらく多くの人が「戦後に生まれた食べもの」というイメージを持っているのではないでしょうか。かくいうわたしも、ソース焼きそばは戦後まもない頃のヤミ市がルーツなのではないか、というふうに考えておりました。
ところが、まだ戦前である昭和11年に出版された露天商売開業マニュアル本の中に、焼きそばの屋台、それも現在のソース焼きそばとほとんど変わらないものを提供する屋台の開業ノウハウが記されていたのです。そこから著者の塩崎さんは、昭和10年頃にはすでにソース焼きそばが存在していた、という仮説を提示します。
では、一体いつ、どこでソース焼きそばは生まれ、どのようにして広まっていったのか・・・?塩崎さんは膨大な資料をもとに検証を重ね、ソース焼きそばをめぐる俗説を反証すべく仮説を立て、それを立証していくのです。その過程は、まさにミステリーの謎解きといった趣き。そこから浮かび上がってくるさまざまな事実が、また実に興味深いものでした。たとえば・・・
お好み焼きはもともと和洋中のいろいろな料理の模倣、もしくはパロディとして生み出されたものであり、お好み焼きのバリエーションとして作られるようになった焼きそばも、そもそもは中国料理の「炒麺」のパロディとして誕生したものだった。
焼きそばを卵の薄焼きでくるむ「オムそば」も、すでに戦前から存在していた。
戦後まもない時期に生産されていたソースは、加熱すると添加されていた人工甘味料が変質して苦くなってしまったので、そこからソースを焼きそばに後がけするというスタイルが生み出された。
・・・などなど。小麦粉の需給事情が、焼きそばを含む小麦粉食に与えた影響を検証していくくだりも、大いに勉強になりました。
本書の後半では、全都道府県におけるソース焼きそば事情が詳細に記されています。そこからは、ソース焼きそばが各地に広まっていくなかで、さまざまなバリエーションが生み出されていたという事実が浮き彫りにされていて、ひとつの食文化が伝播していくモデルケースとしても、まことに興味尽きないものがありました。
各地で親しまれている多種多様なソース焼きそばの写真も、本書にはカラーでたっぷりと収録されております。具はキャベツかモヤシだけという、昔ながらのシンプルなものから、「富士宮やきそば」や「横手やきそば」などのご当地焼きそば、焼きそばの上にミートソースがかかった「イタリアン」といった変わり種。さらに、中華麺の代わりにうどんを使った「焼きうどん」や、それにホルモンを加えた「ホルモン焼きうどん」・・・。見ていると片っ端から食べたくなってしまいました。
子どもの頃からずっと、身近な食べものとして親しんできたソース焼きそば。その背後に興味深い歴史とエピソードが、それこそ濃厚なソースのごとくたくさん絡みついていることを、この一冊で知ることができました。
知的好奇心と食欲を、大いに刺激してくれる快著であります。
魔女    坂東眞砂子著    角川文庫    
2011年1月発行
中世イタリアの田舎町チェネダ。豪商の娘タミラは、父親の部下が、資金を持ち逃げされたため、この街に移り住むことになった。
退屈なこの街、しかし森の中で美しい修道士のアルノルフォと出会ったことから、彼女の生活は一変する。
そして、タミラに仕える使用人のアウレリアには、誰にも言えない秘密があった。さらに、アルノルフォが仕えるドナート神父の奇蹟とは…
舞台は、魔女狩りが広まった中世の世界です。神父の奇蹟と魔女狩りは表裏一体の世界ですね。
そして、タミラとアルノルフォのふたりは惹かれあい、どうにもならなくなる。さて、高慢なタミラと真摯なアルノルフォの二人の恋の行く末は…
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200頁に満たない小品ですので、すぐ読めますが、短い作品の中にいろんなものが詰め込まれています。
坂東眞砂子さんは、2014年に亡くなられました。「死国」をはじめ多くのホラー小説を書いており、ホラー大好きな私としては注目作家のお一人ですが、何を読んだのか、整理されていない状態になっています。
私と同世代の作家さんなので、惜しまれてなりません。残された作品を丁寧に読んでいきましょう。
本書の原題は「血と聖」です。
ちょっと絵本の話題なのですが…
『年をとったワニの話』って、ご存じですか?
 雑誌『an・an』『ポパイ』『ブルータス』等の創刊に貢献・寄与した伝説のアートディレクター堀内誠一が『別冊太陽45 絵本』でストーリーを紹介している文章が原作より面白いのでご紹介します。
▼以下、ネタばれあります…
 「すごく齢をとって、自分で魚をとることもできなくなったワニが、ある日、同族のひい孫を食べちゃう。それで仲間から噛み殺されるという刑を受けて、みんなが噛むんだけど、古すぎて噛めないの。かえって歯が折れちゃう。そこで年をへたワニは、ああ!と思ってね、こんな年寄りに恩知らずの仲間たちとはおさらばだと、ナイルをずっと下って、海に出る。そこで、タコの女の人に会うんです。メスダコというべきかな(笑)。それがまた気のいい女の人でね。新しい男友達に魚なんか取ってきてくれるんです。ところが、ワニはまた悪い考えが浮かんじゃう。で、タコが寝ている間に「おまえ愛しているよ」なんていいながら、足を1本食べちゃう(笑)。でもタコは気がつかないんです。数が勘定できないから。
 足がだんだん減っていって、とうとう一本になっちゃうのね。それでもワニのために魚を取ってきて「私どうも最近リウマチになったみたいだわ」なんて言う。とうとう足を全部食べられちゃうと、「今日は休みます」と言って(笑)、頭だけになって、岩の上で寝てるの。腹が減っても我慢しようと心に決めたんだけど、やっぱり食べちゃう。それで"ワニの涙"(フランス語では空腹の意味)を流してね。それから紅海までいくのかな。
 後悔しながらスエズ運河を通って、またナイル河に帰ってみると、身体が紅くなっちゃってた、という筋なんだけど、奇妙な味の話だよね」。
逸木裕 「世界の終わりのためのミステリ」
逸木さんの新刊が出ていたので買ってみました。
 
舞台は人間の意識と記憶を移植できるヒューマノイドが開発された世界。ある女性型ヒューマノイドが目覚めると人類は消失しており、数少ないヒューマノイドだけが活動している世界になっていた。本来ヒューマノイドは移植元の人間の記憶によって生きる目的を持っているのだが彼女は記憶が無くなっていて生きる目的がなく、組み込まれた安全装置によって自身を破壊することも出来ないために絶望してしまう。その後クイズプレイヤーの記憶を持ち人類が消えた理由を解くために旅をするヒューマノイドと出会い、自身の記憶を探すために旅を始めるというお話。
 
SF系のミステリ作品となります。
世界観の作りが非常に凝っていて面白い。作中に登場するヒューマノイドの仕組みや制約は実際に現実に現れたらそういったものがありそうだと思えるほどによく練られたリアリティのあるものとなっています。また、それらを踏まえるとヒューマノイドではこういった行動が出来ないはずなのにどうやって実施したのか?もしかして人間の生き残りなのか?というミステリ要素へのつなげ方も上手くて読んでいて思わず感心してしまいました。
また登場するヒューマノイドたちが意識と記憶を移植するに至った背景や心情についても上手く描かれています。無限に生きられることで無限に作品を創れること喜ぶ芸術家、五体満足に戻って再び活動したかった登山家など、こういった理由なら作中のヒューマノイドは実際に出てきたら需要ありそうだと思えてくるような内容だったのでこちらも見所になるでしょう。
 
話としては全体的に軽めに作られているので、気になる方は気軽にチェックしてみてください。
君をおくる、泉ゆたか著、光文社
ペットを見看取る四話の短編集です。覚方美月さんのレビューを読み、図書館で予約しました。
かくいう我が家も2年前に15年一緒に暮らした黒いトイプードルを看取りました。10歳位から腎臓に病気を抱えてしまい、定期的な受診は欠かしませんでしたが、気付いた時にはあっという間に体調が悪化し、最後は息子に抱かれて息を引き取りました。
息子が中学受験の合格祝いで祖父から貰ったお金で犬を飼いたいと言い出した時に、家族皆がなぜかその気になってしまいました。
ペットショップでその子と出会った時に、何故か運命と思ってしまいました。
ペットショップの管理が悪く、実は皮膚病を持っていて、連れて行った最初の病院がヤブ医者で、辛い治療を強いてしまいました。
転院した先の獣医さんは「痛かったね。」と言ってくれ、その後信頼できる主治医として最期を看取ってくれました。
飼い主が未熟だったので、ずいぶん辛い目に合わせてしまいました。でも、思い出をたくさんくれました。
そんなことが、走馬灯の様にグルグルしながらこの本を読了しました。ぜひ読んでください。
アフリカ少年が日本で育った結果 
星野ルネ 2018年8月出版
1984年生まれの著者ルネさん。
ご両親がオフィスラブならぬ、
ジャングルラブで恋に落ち、
母親の再婚を機に
4歳でカメルーンから姫路へ。
絵が得意なので現在はタレント活動の傍ら、
SNSで表現活動をしている。
このまんがもそのひとつ。
まんがなのでわかりやすい!
日本とカメルーンの文化の違いが面白いです。
食べ物、遊び、習慣、概念等など。
4歳で全く日本語がわからない状態で
保育園に行くってどんな感じなんでしょうね。
でも子どもは順応性が高いから(^▽^)/
フランス語と播州弁を話すルネさん。
日本ではよく観光客と間違えられて
苦手な英語で話しかけられるそうです(*^^*)
向こうも親切心なので、
たまに日本語わからない振りして
ご好意を無駄にすることなく受けることも。
平均的アフリカ人より動物園があるぶん、
日本人の方がたくさん動物を
見ている気がするんだって。
ルネさんのお父さんが
「文化は人間そのものだ」と。
文化はモノではなく
その時代時代に生きている
全ての人間の営み。
【感想・行動】
日本でずっと育っている私には
見えてこない感覚がたくさん!
こういう本はモノの見方が
変わるので面白いですよね。
普段の生活では絶対に味わうことのない世界。
【愛されれば、人は変わる】
人は愛され、大切にされることで変わります。
人を愛し、
人を大切にしましょう。
NPO法人アジアチャイルドサポート代表理事の池間哲郎さんは、著書
『アジアの子どもたちに学ぶ30のお話』
( リサージュ出版)
の中で、
誰からも見捨てられ、
生きる力をなくしていた女性が、
愛され、大切にされることで、
変わっていく姿を
次のように記しています。
(99頁〜102頁)
「ミャンマーでハンセン病の人たちをとじこめていたマヤンチャウンの森の中に、
ボロボロの小屋がありました。
はきけがするほどの、
すさまじいにおいの中にいたのが当時38歳のドゥーティンラーさんでした。
右足は曲がってしまい、左足はひざから下がありません。
両手の指は、一本も残っていませんでした。
髪をふりみだし、
おそろしい顔で私をにらみつけました。
ドゥーティンラーさんは、とつぜん泣きだして、いいました。
『こんなみにくい体になってしまって、私はもう人間ではありません』
『どうか殺してください』。
私は
『どうか生きてください。
あなたが人間としてちゃんと暮らせるように、
家を作り、
薬も食べ物もとどけます』
といいました。
ドゥーティンラーさんは
『信じません』
といい、
『殺してくれ』
とさけびました。
私は、
なんとしてでもドゥーティンラーさんとの約束をはたしたいと思いました。
ハンセン病にたいするまちがった理解のために、
マヤンチャウンの森に来てくれる大工さんはいませんでした。
しかたなく、
ふつうの10倍のお金を出すことにすると、
やっと2人の大工さんが来てくれることになりました。
2人だけでは工事はできませんから、
マヤンチャウンの森のハンセン病患者さんに協力してもらいました。
足が残っている人は荷物をはこび、
手が残っている人はペンキをぬったりくぎをうったり――。
こうして工事がはじまってから3か月後、
すばらしい家ができあがりました。
ドゥーティンラーさんは、みちがえるように変わりました。
ドゥーティンラーさんはいいます。
『私は、こんなみにくい体になってしまい、
もう人間ではないと思っていました。
だれも私のことを愛してくれる人などいないと。
でも遠くの日本の人たちが約束を守って、
家をつくってくれました。
誰かが、私のことを愛してくれるとわかったそのときから、
私は “生きたい” と願うようになりました』
と。
今、ドゥーティンラーさんは、
自分のまわりにいる体がうごかないお年寄りのお世話をしています。
両足も、手の指もないドゥーティンラーさんが、
車いすにのって、
ひじでタイヤをまわしながら、
指のない手にタオルをしばりつけて、
お年寄りの体をやさしく洗ってあげています。
ドゥーティンラーさんは、
一生懸命に生きています。
2006年4月。
マヤンチャウンの森から
『どうしても来てくれ』
と連絡が入りました。
そこでは、
なんとドゥーティンラーさんの結婚式がおこなわれていたのです。
ドゥーティンラーさんの、
幸せいっぱいの笑顔をみて、
私はうれしさに涙があふれてきました。
私は、
ドゥーティンラーさんに心の底から感謝しています。
ドゥーティンラーさんは私に、
人間として、
いちばん大切なことを教えてくれたからです。
それは、
愛され、
大切にされることで、
人は変われるということです。
そして、
命が生きるということです。
ドゥーティンラーさんのお話は、
人をいじめたり差別したりすることのひどさ、
そして、
『人を愛することの大切さ』
を教えてくれます。」
人は、
愛され、
大切にされることで、
変わります。
人を愛し、
人を大切にしましょう❗
『人生には、
たった一つだけ
長続きする幸福がある。
それは、他者を愛して
生きることである。』
(トルストイ)
『究めれば 愛こそすべて』
『アジアの子どもたちに学ぶ30のお話』
(著者 池間哲郎 リサージュ出版)
 https://amzn.asia/d/c2qIYeY
ヘルムート・オルトナー著『ヒトラ-爆殺未遂事件1939-「イデオロギ-なき」暗殺者ゲオルク・エルザ--』(白水社)
ゲオルク・エルザ-は、第二次世界大戦勃発直後の1939年11月8日(ナチス・ドイツによるポーランド侵攻は同年9月)、ミュンヘンのビアホール「ビュルガーブロイケラー」に時限爆弾を仕掛け、ヒトラーの暗殺を試みた人物です。
同じくヒトラー暗殺を企てた、国防軍高官のフォン・シュタウフェンベルク伯爵は、戦後には英雄視され、日本でも比較的知られていることに比べ、エルザーは、長年、ドイツでも殆ど顧みられることがなかった存在でした。
しかしながら、エルザーに関する研究が進むに連れて、彼は早くから「ナチス政権の犯罪性を見抜」き、「ヒトラーとナチス政権の暴力を押しとどめるには彼らを暴力で排除しるしかないと確信」して、「確実に自らの死を招くであろう行為を引き受ける勇気をもった」人物であったとして、近年は高く評価されているとのことです。
本書は、エルザーが事件当日、スイスとの国境の街で税関職員に逮捕され、間もなく、ヒトラー暗殺未遂事件の犯人と判明するところから始まります。そして、ゲシュタポによる尋問に対する彼の供述等を引用しながら、彼の生い立ちから、ヒトラー暗殺を決意し、暗殺実行に至るまでの経緯が詳しく語られていきます。
エルザーは、ヒトラー暗殺を決意してから、3ヶ月間に30夜、ビュルガーブロイケラーに侵入し、ヒトラーが演説を行う場所の真後ろの柱から根気強く煉瓦を刳り貫き、爆弾を仕掛けるスペースを作ります。作業は両膝立ちで行うため、膝が腫れ上がって化膿し、寝込んだこともありました。
また、煉瓦を刳り貫くのには、ノミを打ち込んでいましたが、あまり大きな音を出して誰かに気付かれないように、ビュルガーブロイケラーのトイレの便器が10分置きに自動洗浄される仕組みになっていて、水洗装置が沈黙を破る数秒間を利用し、ノミを打ち込んだというようなエピソードも紹介されています。
因みに、本書の題名に「「イデオロギーなき」暗殺者」とあるとおり、エルザーは、質朴で優秀な家具職人であり、貴族階級出身であるとか、共産主義など何らかの信条を持つとか、特別な背景のない「普通の人」で、ゲシュタポが容易には信じなかったように、単独犯でした。
そのような「普通の人」が、何故、命を賭してヒトラー暗殺を決意したのか?残酷な独裁者を排除するのに、暗殺といった手段は正当化されうるのか?
色々と考えさせられる1冊でした。
ヒトラー爆殺未遂事件1939:「イデオロギーなき」暗殺者ゲオルク・エルザー https://amzn.asia/d/07hszlv
朝井まかて 「銀の猫」 文春文庫
「恋歌」に感動してまかてさん作品に目覚め、
ここでお薦めいただいたまかてさん作品を立て続けに読んでみました。
「先生のお庭番」「ちゃんちゃら」「すかたん」「落花狼藉」「阿蘭陀西鶴」「はらぺこ」。
そしてこの「銀の猫」でまたやられてしまいました。
現代にも置き換えられる介護の問題。
介護は身分に関係なくどの家でも起こり、家族やそれまでの人間関係が投影される。
そんな1人では過ごせなくなった時期とどう折り合いをつけるのか、だれに介抱されたいのか。
どう最後を迎えたいのか。
そして、その姿は子供・孫世代に何を伝えるのか。
たくさんのテーマを含んだお話でした。
暗くならない終わり方はさすがまかてさん。
さて、次は何を読もうかな。
『嫁ぎ先を離縁され、母親と暮らすお咲は、年寄りの介護を助けるプロの介抱人。
誠心誠意、年寄りに尽くすお咲のもとにはさまざまな依頼が集まる。
多くの病人に出会いながら、逝く人に教えられたことがお咲の胸に重なってゆく――
長寿の町・江戸では七十,八十の年寄りはざら。
憧れの隠居暮らしを満喫する者がいる一方、病や怪我をきっかけに
長年寝付いたままの者も多く、介護に疲れ果てて嫁ももらえずに朽ち果てていく
独り者もまた多い。誰もが楽になれる知恵を詰め込んだ「介抱指南」を作りたいと
思い立った貸し本屋から協力ををもとめられたお咲。だがお咲の胸には、
妾奉公を繰り返してきた母親への絶望感が居座っている。
自分は、あの母親の面倒を見続けることができるのだろうか。
いったい、老いて死に向う者の心にはなにが芽生えるのだろうか――?
江戸に暮らす家族の悲喜こもごもを、
介護という仕事を通して軽やかに深く描く、傑作長編小説。』Amazonの紹介文より。
長浦 京
「リボルバー・リリー」講談社文庫
綾瀬はるかさん主演 2023/8/11から劇場公開中。
関東大震災直後の帝都東京、現在の墨田区向島(むこうじま)地域の惨状から書かれています。
その場に作者が居たかのような臨場感。
私は向島地域へ、観光でかなり行っています。
迷路のような玉ノ井地区・長浦神社など、街の情景が理解できます。
東向島駅は、東京スカイツリーの数駅先。王貞治氏の生家の街。
*ちなみに「玉ノ井」は、永井荷風の小説の舞台になっている街。現在、この地名は有りません。
小説は、スピード感に溢れています。
読者を引き付けて離さない。
登場人物の体躯等から、その声までリアルに想像できる。
私は「しおり」も挟まず、休憩もせずに一気に完読。
本当に面白いです。
当時の文化、戦争前のきな臭い空気、政治が描かれています。
リリーのファッションも素敵です。
トム・クルーズ主演の「ミッションインポッシブルシリーズ」の様な、スパイの凄さが書かれています。
リリーが発する弾丸の匂い迄、リアルに感じます。
綾瀬はるかさんの、体当たりのアクション。
有名俳優も沢山出ている映画。弁護士役、軍人役、少年・・・。
私は徒歩でもチャリでも行ける映画館で、「リボルバー・リリー」を鑑賞したいと思います。
それだけ原作が素晴らしい、です。
彼は、映画「ブラックレイン」に出演したことで膀胱癌の症状が悪化し入院していた松田優作を、結婚したばかりの妻で元キャンデーズの伊藤蘭と2人で見舞いに行った。「ハリウッドからのオファーが何本か来てるけど、今はしっかり治療してから考えようと思うよ。」そうした方がいい。2人はその後すぐに、ニューヨークへハネムーンに出かける。楽しい旅を満喫して帰国した翌日、優作は他界した。急な知らせに、彼はパニックになった。
「治るものだと思い込んでいました。これからの仕事の話もしていたのですから。」
兄のように慕い、大好きだった優作の葬儀が終わり、火葬する前の最後の別れの時、彼は棺の中の優作の亡骸に覆いかぶさり声をあげて号泣した。
「優作ちゃんには会うべくして会った。会えてよかった。」
 
北海道で生まれ、東京に転居し12歳で劇団ひまわりに入り、子役から始まった彼の俳優人生の、様々な大俳優との出会い、最初の結婚と離婚、妻の「蘭ちゃんさん」のこと、娘の話、ドラマ「相棒」の共演者やスタッフに対する思いなど、これまでの半生を振り返る、俳優水谷豊氏の自伝です。聞き書きした作家の松田美智子さんは、優作さんの元妻で、水谷氏とは旧知の仲だそう。
「傷だらけの天使」で甘ったれた声でアニキ~と連呼するチンピラみたいな若者も、いつの間にか古希を迎え(若い!✨)パリっとしたスーツに身を包んだ、紅茶を愛するまるで英国紳士のような成熟したイケオジ刑事になるとは、人生とは何が起きるかわからない。(いやいやそれは役柄です💦)これからも健康で、まだまだ現役で、素晴らしい演技を見せてほしいです。
「水谷豊 自伝」水谷豊  松田美智子
アメリカに帰化した最初の日本人科学者、黒田和夫がブルーバックスに著した「17億年前の原子炉」昭和63年
ウランは地球上の身近な元素です。水の中、土や石の中、至るところにある普遍的な物質ですが、ものすごく希薄です。また、核分裂の連鎖反応を起こすウラン235はどんどん減っていくので、たとえウラン鉱床のような場所であっても天然の原子炉は地球上には存在しません。
しかし、大昔、もっとウラン235が大量にあった時代、天然の原子炉があったはずだという理論を提唱したのが黒田和夫教授です。1972年、フランスがガボンのオクロ鉱山で原子炉の遺跡を発見、黒田理論が実証されました。ブルーバックスなので複雑な計算の過程は省略されていますが、「オクロの原子炉」は黒田教授の予言通りでした。
この本は、天然原子炉の理論の話だけではありません。敗戦直後の日本から戦勝国であるアメリカに移住し、核化学の研究者となった黒田教授の様々な物語が含まれています。星の進化の話、日本が作った風船爆弾の話、核兵器の話、隕石と太陽系の謎の話、など。ボーアやアストン、仁科芳雄など歴史上の大人物も登場します。
昭和の本なので、今では最先端の科学ではありませんが、勉強になります。
【家族じまい/桜木紫乃(集英社文庫】
老いが紡ぐ家族の姿が胸に沁み入って😲
若い頃には想像できなかった老いゆく両親の介護。厳しい現実からは逃れたいものの、心の準備を進める必要性も感じている。とはいえ何から始めればいいのか。片隅に疼く思いが反応して、初の桜木紫乃作品に誘われた。
気儘な父親に翻弄された長女と、長女に秘めた対抗意識を抱く次女。痴呆症の母親の介護から過酷な現実にぶつかる娘たちとは対象的に、旅先の音楽家や姉から感じる細やかな優しさが、読者の胸に一抹の温もりを広げる。
過酷な老いの世界を、北海道の美しい情景と繊細な心理描写で静謐な深さを湛える物語に仕上げた力量は見事。介護の現実を物語のフィルターで受けとめたかった故に物足りなさも残るが、踏み出す勇気は貰えた気がした。
殿山泰司
1915-1989 俳優・エッセイスト。
21歳の時に『新築地劇団』に入団し、3年後に映画「空想部落」で映画デビュー。1942年に出征し中国戦線を転戦する。中国で終戦を迎え、復員後も巨匠の作品から児童教育映画、娯楽映画、ポルノに至るまで名バイプレーヤーとして活躍した。映画では禿頭にギョロ目という老人的な風貌が特徴的だったが、私生活は流行に敏感でお洒落であり、公私にジーンズにサングラスがトレードマークだった。またエッセイストとしても饒舌な独特の口調で語るエッセイや自伝的文章を多数執筆。波乱万丈なその人生は、2000年に盟友、新藤兼人監督により「三文役者」として映画化されている。
●お勧めエッセイ●
📕三文役者のニッポンひとり旅
 https://jp.mercari.com/item/m82551658815?utm_source=ios&utm_medium=share&source_location=share 
📕殿山泰司のミステリ&ジャズ日記
https://jp.mercari.com/item/m30679173313?utm_medium=share&utm_source=ios&source_location=share 
📕JAMJAM日記 
https://jp.mercari.com/item/m72300634842?utm_source=ios&utm_medium=share&source_location=share
【はじめて読む科学者の伝記 牧野富太郎】
文 清水洋美
絵 里見和彦
朝ドラらんまんの主人公、日本植物学の父、牧野富太郎の伝記、図書館本。
子供の頃から、植物が大好きで死ぬまで、植物を追いかけていた人。高知県出身。ほとんど朝ドラと同じで、少し時系列が違っていたが、読んで、とても為になりました。子供のころは裕福だったが、大人になり、実家の酒屋が潰れ、そこからは貧乏との戦い。それでも、明るくて、植物に対する情熱は死ぬまで枯れなかった。
この伝記を読んで人生後半は動植物に愛情を注ごうと、思えました。
元ヤクザ弁護士
諸橋仁智
世の中、凄いというか、色んな人がいてますねー!
学生時代から、不良になって、そこから覚醒剤を覚えて、ヤクザになってしまいます。
しかし、覚醒剤にハマり過ぎて、ヤクザをクビになり、心機一転、勉強の道へ!宅建、司法書士、最後に司法試験も突破されます。
机のない留置場の中でも、勉強されたそうなので、凄いです!
「あの花が咲く丘で
 君とまた出会えたら」
 汐見 夏衛 著
自分の趣味で買った本ではなく、姉から
プレゼントされて
読了しました。
戦争、特攻隊、ずっと昔の別な世界と思っていたけれど、
今も消えない事実として
感じることが重要である
気がしました。
政治が、庶民からかけ離れたものになって行ってる…。
庶民のための政治であるはずなのに。
今や、完全に行き詰まった感のある岸田内閣。
トリガー条項凍結解除してガソリン価格を引き下げた上で解散総選挙を画策しているとかいないとか。
そんな小手先だけのことで、票を集められるて思っているのだろうか?
するなら、さっさとやれやって、逆に怒りを買うとか、想像できないのか?
色々考えちゃいます(笑)
政界には政界に身を置かなきゃわからない価値観やパワーバランスや、色々な都合があって、気がついたら、あららって思うようなことを平気でやっちゃうようなことになるんでしょうねえ。
昔は、薩長藩閥政治の弊害がありました。
どんなに無能でも、薩摩や長州出身なら出世できる。どんなに優秀でも、それ以外、特に官軍に刃向かった会津藩などの出身であれば、出世に限界をつけられる。
それが現代では、東大卒、財務省閥、世襲という経歴の人が幅をきかせるような、新たな弊害ができてるような気がします。
そんな感覚で、田中角栄元総理の姿を眺めると、実に新鮮で痛快で、今こそこんな人が総理に欲しい‼️
そんな気分になります。
ロッキード事件も、不可解な点が多く、何かしらの権力によって嵌められた説が根強く残りますね。
新潟の尋常高等小学校卒の学歴で、尋常じゃない功績を残した、いま太閤とも呼ばれた人物。貧乏な中から、叩き上げて会社を作り、政界のトップにまで上り詰める姿は、凄い!の一言です。
宝島社出版の『知れば知るほど泣ける田中角栄』最高です(*^o^*)
様々な人の目を通した無類の宰相田中角栄の真の姿が垣間見えます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E3%82%8C%E3%81%B0%E7%9F%A5%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9%E6%B3%A3%E3%81%91%E3%82%8B%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84-%E5%AE%9D%E5%B3%B6SUGOI%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%88%A5%E5%86%8A%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4299045998
あめつちのうた
朝倉宏景
夏の高校野球が終わる前に読み終えたかっったけどできずでした…
舞台は甲子園。
本書の主役は、本来は裏方である、グラウンド整備の阪神園芸。
最近では「神整備」と呼ばれて有名ですね。
主人公は阪神園芸の入社1年目の雨宮大地。
運動神経が悪いが野球が好きで、高校時代は野球部のマネージャーになる。
そこで甲子園に出場し、甲子園に携わる仕事がしたいと思い、阪神園芸に入社する。
高校時代に雨宮に告白した同性愛者の同級生や、甲子園での優勝投手だった人が阪神園芸の先輩にいたり、売り子さんとも仲良くなったりと…
雨宮を含み、彼らはそれぞれ悩みがある。
そんな悩みを若者ならではの視点で描かれた本作を楽しく、そして少しじーんとしながら読めました。
野球好きはもちろんのこと、野球にそこまで詳しくなくても読める、良い一冊でおすすめです。
店長がバカすぎて 
早見和真
2021年
角川春樹事務所
本好きには憧れの職業、書店員。
現実は薄給で、体力勝負のハードなお仕事。
そんな書店を舞台にした小説。
はい、おバカな店長に失笑の連続。
天然なのか、なんなのか。
それでも憎めない
店長のおバカぶり😅
だんだん読むの疲れてきた。
バカさ加減にも疲れてきた。
が、ラストの伏線回収がお見事!
一気に、吸い寄せられ、
最後は大満足で見事着地!
「新!店長がバカすぎて」も
あるようです😊
そちらも読みたい。
「寅さん」が大好きです。
「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、
人呼んでフーテンの寅と発します。」
「寅さん」を観ると、笑って泣いて心を癒され
ます。とらやのみんなが一つ卓袱台で芋の
煮っころがしを食べる場面を観るたびに、
昔、故郷の田舎で家族全員わいわいがやがや
言いながら食卓を囲んだことを懐かしく思い
出します。
この本は、シリーズ48作品のポイントを
上手く解説してくれており、個々の場面が
頭の中に思い浮かんできます。
浅丘ルリ子、八千草薫、吉永小百合、、。
「寅さん」ファンには必携の本です!
総理の夫 原田マハ
「待ったなし」の日本に、史上初女性&最年少総理誕生!20✕✕年、相馬凛子は42歳の若さで第111代総理大臣に選出された。鳥類学者の夫・日和は、「ファースト・ジェントルマン」として妻を支えることを決意。妻の奮闘の日々を、後世に遺すべく日記に綴る。税制、原発、社会福祉。混迷の状況下、相馬内閣は高く支持されるが、陰謀を企てる者が現れ……。凛子の理想は実現するのか?
日本初の女性総理大臣になった妻を、陰ながら支える夫のお話です。相馬凛子は理想の政治家だと思います。今の日本に必要なのはこういう人だと思います。強くて、曲がったことが嫌いな凛子の生き方が、とても素敵だと思いました。それを陰ながら支える日和の存在も大切だと思います。お互いに支え合う夫婦愛の物語です。とても素敵なお話なので、ぜひ読んでみてください😊✨
「本を守ろうとする猫の話」 夏川草介
主人公夏木林太郎は、一緒に暮らしていた古書店を営む祖父を亡くしたばかり。
そんな時、古書店にあらわれたトラネコに「力を貸してほしい」とお願いされ、本を舞台とした非現実の世界に迷い込む。
そこには、
一度読んだ本は鍵付きのガラスケースに保管し、飾り物としてしまう紳士。
あらゆる本のあらすじだけを切り取り、単純化してしまう学者。
社会のニーズに沿った読みやすい本だけを大量に売りさばく社長。
お手軽に知識だけを詰め込んで読み捨てる社会を赦せない初老の女。
本や読書の本質とは何か、本の持つ力とは何か、作者の思いが強く感じられる一冊。
本文に登場する名著にも挑戦してみようと思いました。
染谷一『ギャンブル依存』(平凡社新書)を読みました。
著者は、読売新聞のジャーナリストであり、医療・健康を中心に活動しているようです。本書では、タイトル通りにギャンブルに対する依存を取材し、その破滅的な典型例を紹介しています。6章構成となっており、5章まではパチスロ、競艇、宝くじ、パチンコ、闇カジノの実例を取材に基づいて明らかにしています。最後の第6章で本書を総括しています。
平たくいえば、ギャンブルで身を持ち崩した実例、それもとびっきり悲惨な例を5人分取材しているわけです。依存症の対象はいっぱいあって、依存症というよりは「中毒」と呼ばれるものもあり、人口に膾炙しているのはアルコール依存症、あるいは、「アル中」と呼ばれるもので、タバコのニコチン中毒なども広く知られているのではないでしょうか。
そういった物質への依存と違って、ギャンブルの場合はモロにお金の世界ですので、ギャンブルをする資金をショートすれば誰かから借りることになります。最後は、いわゆる消費者金融から借りて雪だるま式に借金が膨らむ、ということになります。本書では言及がありませんが、大王製紙の御曹司がラスベガスで散財したのは例外としても、サラリーマンが数百万円を超える借金をすれば返済はかなり困難となります。日本の消費者金融は独特のビジネスモデルで、少なくとも以前は厳しい取立てで「有名」ということは広く知られているのではないでしょうか。
ですから、ギャンブル依存がある一定の限界を超えれば、金銭面から仕事も家庭も破綻するわけです。しかも、ギャンブルについては、確率的に必ず胴元が儲かるシステムになっていることは、ほぼほぼ万人が認識していて、それでもギャンブルにのめり込むということは、合理的な思考ができないわけですから、何らかの病気である可能性が示唆されています。それが、「依存」ないし「依存症」ということなのだろうと思います。
経済学は合理的な経済人ホモ・エコノミカスを前提にしていますので、基本的に、ギャンブルは排除されます。しかし、ギャンブルで金儲けをするのではなく、何らかの効用を見出す場合もあります。ストレス発散だったり、社交の一部として知り合いと親交を深める、とかの効用です。また、少し異質ながら、保険をどう考えるのか、という問題はあります。火災保険は決して家が火災になることにベットしているわけではありません。
私を含めて、ギャンブル依存で人生が破綻するまでのめり込むというのは、なかなか理解できない人が多いのではないかと考えます。でも、2030年秋には大阪に統合型リゾート(IR)という名のギャンブルをする場としてのカジノができるわけですし、こういった本で不足する情報を補っておくべきかもしれません。
高月靖『南極一号伝説』(バジリコ、2008年)
第一次南極越冬隊(西堀栄三郎隊長)は、極地における隊員の性の問題をどう処理すればよいのか、という深刻な課題をかかえていた。その難問を解決するために所管の文部省が用意したのが「南極1号」である。官名を「特殊用途愛玩人形」、愛称は「ベンテンさん」だ。現代風に言えば、ラブドール、すなわちダッチワイフである。
本書は、ダッチワイフの履歴書、素材革命——風船からシリコンへ、開発者の苦闘と喜び、ダッチワイフの主人たち、の四章からなる。第一次南極観測隊とともに極地で越冬した3体の南極1号から3号までの特殊用途愛玩人形たちは、結局、一度も使われることはなく、そのことを当時のマスコミ各社は「ベンテンさん、処女で帰国!」と報道した。ダッチワイフからラブドールまでの戦後史を描いた、あくまでも真面目な本である。お間違えなく…。
池井戸潤『ハヤブサ消防団』
(集英社)を読みました。
著者は、いうまでもなく小説家であり、『下町ロケット』で直木賞を受賞しています。日本で一番売れている小説家の1人といっていいと思います。本書はテレビ朝日系にてドラマ化されています。もう放送は終わったにもかかわらず、交通事故で入院中に図書館の予約が回って来たようで、予約を取り直して読んでみました。
まず、本書は作者の思惑は別として、私はミステリとして読みました。すなわち、作品の主人公がそもそもミステリ作家で、自然豊かな田舎に移住してきたところ、連続放火事件が発生し、さらに、死人まで出るわけですから、いわゆる名探偵という存在は明確ではないものの、動機や犯人探しなどからしてミステリと呼ぶにふさわしい気がします。少なくとも、以前の半沢直樹シリーズのような企業小説ではありませんし、「アリバイ」という言葉も登場します。そして、振り返れば、前作の『アルルカンと道化師』についても、半沢直樹シリーズながら、どうしてあの出版社をIT長者が熱心に買収したがるのか、という動機の点はミステリみたく読むことも可能であったのだろう、と今さらながらに思い返しています。
本書に戻ると、亡父の故郷のハヤブサ地区に主人公のミステリ作家が移り住んで来て、地元の人の誘いで居酒屋を訪れて消防団に勧誘され入団する、というところからストーリーが始まります。そのハヤブサ地区で不審な火事が立て続けに起こるわけです。その合間に、というか、ヤクザとも関わりあるとウワサされていた問題児の青年が滝で死体で発見されます。火事も、保険金目当てや怨恨からの放火という見方が出る中で、太陽光発電会社による土地買収や、その太陽光発電会社というのは実は新興宗教のフロント会社であったとか、いろいろと事情が入り組む中で、少しずつ事件の真相が明らかになっていきます。その意味で、最後に名探偵が一気に事件を解決するわけではなく、少しずつ真実が明らかにされるタイプのミステリで、私は大いに評価しています。ただし、新興宗教の信者が地区の中の誰なのか、あるいは、信者でないまでも教団と関係する人物は誰なのか、といった謎もあって、この意外性には私も大きく驚きました。
最後に、ドラマを見逃して後悔しているのは、新興宗教の教団が売りつけるロレーヌの十字架によく似た地区の名門家の家紋がどんなのであったのかをビジュアルに見ておきたかった点です。私は、一応、カトリック国の南米チリの大使館に3年間外交官として滞在してお仕事していましたので、ロレーヌ十字は知っています。この作品に明記されていたかどうか覚えていないのですが、ロレーヌ十字はフランス愛国の象徴で、たぶん、ハンガリー十字がロレーヌから伝わったのであろうといわれています。ですから、というか、何というか、ハンガリー十字も横2本です。なお、チリ人の中で日本でもっとも名前を知られているであろうピノチェト将軍はフランス系です。十字架に戻ると、ほかに、モラビア十字もあったと記憶しています。繰り返しになりますが、ハヤブサ地区の名門家の家紋も、したがって、横2本なのだろうと想像しています。
最後の最後に、まったくこの作品とは関係ないながら、最近のドラマでは「VIVANT」を熱心に見ていました。でも、公安のお仕事はともかく、スパイ、というか、自衛隊のスパイはああなんだろうか、とやや疑問に思ってしまいました。
集英社のナツイチで気になり買った本です。
お互いの連絡先も知らない、週に1度喫茶店で待ち合わせ。
今の時代ではなかなかない関係ですが引き込まれ一気に読んでしまいました。
「変態紳士」高嶋政宏
第一章のタイトルからして、
「遅すぎたSMとの出会い」
初めて興味本位で行ったSMバーにて、すごい状態になっているM女に思わず「大丈夫ですか!?」と聞いたら、きっと睨まれ、
「やめてください!好きでやっているんですから!」
好きでたまらないのなら「継続するためには」という概念もない。素直に欲望に忠実に、ただ偶然をキャッチしていけばいい。自分の感想を他人の採点で決めるようなデータにとらわれた栄光の現代に抵抗する生き方をしています。
プライドに縛られた心を解放するために、
最初こそ一人で行動するべきだという主張は自分主体な感覚再起への第一歩と思いました。
全オタクマニアの心の叫びのような天啓を経て、生きづらさから解放された悦びに溢れています。
SMに限らず健康や演劇など真面目すぎるほど自分の感覚を綴っているのですが、中でも妻シルビアとのエピソードの数々は強烈です。
夫にSMバーに連れて行かれた時など、
「吐き気がする。
行くならあなた一人で行って」
どんな女王様よりも女王様(笑)
この夫にしてこの妻あり、
幸せの形は人それぞれだなぁと思いました(^^;;
”無神経な人間は傷つかなければわからない。
引き裂いてやる。
見てろ、ずたずたにしてやる。“
「野蛮なアリスさん」
韓国開発の歴史に埋もれた、終わりのない、怒り。閉塞。怨恨。そして、、暴力。
信じられないかもしれませんが、隣国に憎しみを抱く人にこそ読んでほしい一冊です。
高木瑞穂【売春島】彩図社 ルポ小説
ノンフィクション
【ベストセラーノンフィクションの文庫化】
文庫化に際して、渡鹿野島を凋落に導いた重要人物「Y藤」の消息を追記。渡鹿野島の歴史のすべてが明らかになる!
“売春島"。三重県志摩市東部の入り組んだ的矢湾に浮かぶ、人口わずか200人ほどの離島、周囲約7キロの小さな渡鹿野島を、人はそう呼ぶ。島内のあちこちに置屋が立ち並び、島民全ての生活が売春で成り立っているとされる、現代ニッポンの桃源郷だ。
この島にはまことしやかに囁かれるさまざまな噂がある。
「警察や取材者を遠ざけるため客は、みな監視されている」「写真を取ることも許されない」「島から泳いで逃げようとした売春婦がいる」「内偵調査に訪れた警察官が、懐柔されて置屋のマスターになった」「売春の実態を調べていた女性ライターが失踪した」……
しかし、時代の流れに取り残されたこの島は現在疲弊し、凋落の一途を辿っている。
本書ではルポライターの著者が、島の歴史から売春産業の成り立ち、隆盛、そして衰退までを執念の取材によって解き明かしていく。伝説の売春島はどのようにして生まれ、どのような歴史を歩んできたのか 人身売買ブローカー、置屋経営者、売春婦、行政関係者などの当事者から伝説の真実が明かされる!
18歳の僕は、渡鹿野島に行きました。
それで、本を買いました。とても面白い本です。
行った感想は、想像とは違いました。
帰りのタクシーの運転士さんも、船の船長も、前は楽園だったと、色々な話を聞きました!
とても勉強になりました✨一生の思い出です。
最後の桃源郷 三重県志摩 渡鹿野島
『ドリフターズとその時代』 笹山敬輔
本書はドリフターズの誕生からの歴史を、当事者の発言および大衆文化史を絡めて書かれている。
ドリフはご存じのように結成当時はちゃんとしたバンドだった。当時は、進駐軍が日本各地に駐留しており、彼らを相手にしたジャズバンドが沢山あった。ドリフもそんな星の数ほどあるバンドの一つであった。ただ、彼らには、すでに目指すべき先駆バンドがあった。ハナ肇を中心としたクレージーキャッツである。彼らの特徴は、本格的な演奏の合間に楽器の音程をわざとハズしたり、楽器そのもので殴りあったりという笑いを入れ込んだコミックバンド形態であった。米兵たちにジャズやブルーズを聴かせつつ、言葉が通じないのでこういったドタバタ芸で彼らを楽しませたのである。そして、ドリフターズが目指したのも、卓越した演奏技術と身体性でアピールする「お笑い」を備えたコミックバンドだった。なので、知ってる方も多いと思うが、ビートルズの来日公演の前座はドリフターズだったし、年末によくやっていた隠し芸大会で、彼らは他の俳優たちとは比較にならないすばらしい演奏もできたのだ。つまり、ドリフはお笑いグループであったが、本格的なバンドだったのである。
そして、多くのヒトが指摘するように、日本のテレビというショウビジネス界の歴史のルーツは、進駐軍のためのエンターテーメントにその起源がある。ジャニーズもそこから形成された。ドリフもその流れに沿って、在日米軍の規模が縮小するにつれて、その活動をテレビに移していった。初期の頃は、クレージーキャッツの二番煎じであったドリフも、いかりやの強力なリーダーシップのもと、70年代後半には「8時だよ全員集合」によって大成する。
また、本書後半では、いかりやや加藤茶、志村けんなどメンバー個人にフォーカスを絞って語られていく。
例えば、メンバーやスタッフによる加藤の評価はおおむね、笑いに関して「天才」で一致している。彼は、相手から投げられた笑いを自ら受けて、それをさらに増幅させて返す能力があるという。それは「お笑いコンバーター」的な役割だったのだろう。また、彼の居住まい、たたずまい自体がおかしくて、存在自体がギャグだったのだ。
それに対して、リーダーのいかりやは、常に研究熱心で歌舞伎の舞台技法の「振り落とし」を取り入れたり、当時まだ開園していなかったディズニーランドの本場で使われた舞台装置を導入したりした。そして、彼はやはり生粋のバンドマンらしく「ライブ」としての「8時だよ全員集合」にこだわり続け、観客との一体感を第一に考えたという。そして、練られたネタを繰り返しメンバーと稽古をすることで「笑い」を純化するよう努力した。それは、戦前よりあった舞台中心の「喜劇」の流れを踏襲した「笑い」であった。
そういう彼らの姿勢に対して、少し遅れてやってきた当時のライバル「コント55号」の萩本欽一が面白いことを言っている。萩本は、1972年の浅間山荘事件の中継をみてあることを考えていた。この事件は、日本人のほとんどが固唾を呑んでテレビにしがみついて観ていたため、すさまじい視聴率を獲得したのだが、そんなにも国民を夢中にさせるものは何か?と萩本は考えたという。この事件から得られた彼の「気づき」とは、視聴者がこの中継に釘付けになった要因は、あらかじめ作られたネタや台本による「物語」に夢中になったのではなく、筋書きのない、この先どうなるかわからない「ライブ」感に心を持って行かれたのだと理解したといっている。そこから、ドリフが絶え間ない稽古という努力によって「笑い」を構成していったのに対し、萩本のコント55号は本人達や視聴者もどう転ぶかわからないアドリブの応酬を重視するようになった。そして、この流れはその後の漫才ブームにも継承され、現在に至っている。本書では、この潮流の変化を「笑い」から身体性が喪失したと言っている。つまり「言葉の笑い」に移行したというわけである。それは「テレビの時代」にふさわしい笑いでもあった。ここからわかるように、萩本はお笑いに関して極めて理論家であり、その後の「お笑い」の流れを読んだフォーチュンテイラーといえる。
メンバーの分析で最後に語られているのは、最近コロナで亡くなった志村けんである。志村は、当初ドリフの付き人に志願し、荒井注の後釜として正式にメンバーになった。志村は生前R&Bオタクで、相当黒人音楽に傾倒していたという。よく知られている通り「ヒゲダンス」はテディ・ペンダーグラスの'Do Me'のベースラインからの借用であり「早口ことば」はウイルソン・ピケットの'Don't Knock My Love'が元ネタとなっていた。そして、「8時だよ全員集合」が終了してから各メンバーが俳優やミュージシャンに転向していったのに対し、彼は頑なにコント一筋を貫いた。この「お笑い」に対する一途な純粋性は、いかりやと通ずるところもあり後年、彼との確執の原因にもなった。著者は、志村のこの古風な姿勢を「最後の喜劇王」と称している。晩年の志村は執拗に舞台での喜劇に拘っていたのだ。
本書を読んであらためて思うのは、ドリフが活躍した70年代後半から90年代という時期は、エンターテーメントとしてのテレビ業界が最も隆盛を極めた時代であり、まさにテレビによって笑いはもちろん「国民の総意」が形成された時期であったということだ。それに対して現在は、メディアの主流がインターネットに移行し、ネットによって民意や価値観がまさにスレッドのように細分化し、多様性という名のカオス状態になってしまった。
あと、唐突に思われるかもしれないが、本書を読んでいて「ローリングストーンズ=ドリフ説」というのを思いついた。絶頂期が70年代で終わっていて、後はその焼き直しである点。古式ゆかしい古典芸能(R&B、ロックンロール:喜劇)を継承している点。ライブを重視する点(ただし、両方ともアドリブやインプロビゼーションは無し)。等々、どうでしょう?
文・絵:いもとようこ「ねずみのすもう」
むかしむかし、おじいさんが芝をかついで山から帰る途中、「♪はっけよい!のこった、のこった♪」と可愛い相撲のかけ声が聞こえてきて、声のする方へ歩いて行くと…。
2匹のねずみが相撲をとっていたのです。
ちびねずみはおじいさんの家のねずみ、でかねずみは長者さんの家のねずみでした。
ちびねずみは、でかねずみに投げ飛ばされてばかりです。
おじいさんは、家が貧乏でろくなものを食べさせていないからだと、ちびねずみが可哀想になりました。
家に帰り、おばあさんにそのことを相談し、大切にとっておいた餅米でお餅をつき、屋根裏にそっと置いてやりました。
すると、力のついたちびねずみは、でかねずみを投げ飛ばし…。
最後、ちびねずみとでかねずみに友情が芽生える心温まる作品で、いもとさんの優しい絵柄にも癒やされますね。
「ピーク」
  堂場瞬一
私的には先に読んだ「決断の刻」より
読みやすくオススメ。
17年前
新人一年目にして、タイトルを総なめした投手、竹藤
しかし野球賭博に関与したことで球界を追放された
その疑惑をスクープしたのが
やはり社会人一年目の新聞記者永尾だった。
彼はこの記事で協賛賞を受賞。
17年の時を経て
その竹藤が今度は殺人事件を起こした。
そこからこの話は始まる。
疑問を持った永尾が調べていくと
そこには球界の裏事情が・・・
あの時がピークだった
真相がわかっていくにつれ
やりきれない気持ちになっていく
何事にも「〜たら、〜れば」という気持ち?後悔?はついてくるよね
そうしたら未来は違ったものになっていたのだろうか?
後悔しても想像しても仕方がない
そしてまた17年後のこの事件をきっかけに
竹藤も永尾も踏ん切りをつけ
未来へ進んでいけるのだろうか
塔山郁
「舌は口ほどにものを言う」
新宿で50年以上続く『漢方薬局てんぐさ堂』には、今日もさまざまな悩みを抱えた患者がやって来る。
木の実を怖がる元教師。
新型コロナウィルスにより味覚を失ったグルメリポーターを襲った悲劇。
毒草を探す会社員。
患者に不可解な忠告をする薬剤師。
てんぐさ堂の新米店長は、薬剤師試験に3回も落ちています。この店主と、漢方医学のプロが、患者が抱える不調と謎を解き明かしていきます。
店長のキャラが際立っていて面白い。
謎解きを楽しみながら、漢方のことも学べちゃいます。
心あたたまる系の、ほっこりする一冊。
さくさく~っと読んでしまいましたが、漢方薬学、なかなか愉快!
ミステリーグループで評判の本作を手に取りました。ラスト驚愕の大どんでん返しを期待してワクワクしながら読みました。果たして❣️
1952年の夏休み、東京出身の寺本進(14歳)は、六甲山に住む父の友人宅でひと夏を過ごすことになりました。友人宅には、同い年の浅木一彦がいて、早速意気投合。
浅木の別荘山小屋を拠点に、山を駆け巡ります。とある池のほとりで出会った倉沢香。やはり同い年の14歳。大きな別荘に暮らし、神戸女学院に通うお嬢様。でも、性格は至って明るくチャキチャキした女の子。全く性格も出身も違う3人が夏休みに過ごした楽しい夏休み。
物語は、1935年昭和初期、父親たちがベルリンで出会ったナゾの女性、1940年から45年の戦争中の叔母の逸話、ナゾの人物のエピソードなどが語られます。
進、一彦、香の親世代の複雑な家族構成、人物関係が徐々に明らかになり、ラスト数ページで驚きの真相が明らかになります。
このミステリーの興味深いところは、3人の男女中学生の淡い恋物語と、その親世代の秘められた過去の事件が平行線をたどっていることです。
大団円での真実は、神である読者だけが驚く仕掛けとなっており、3人の青春物語には一切触れることはありません。
最後の種明かしは、後出しジャンケンか、はたまたヒントは大いにあったと議論になるに違いありません。いつもメモを取りながら読んでいますので、不明箇所にはページと内容を書き出しています。なので最後まで分からなかったところを最後に言うか〜、と愚痴を言いたくなりました。ミスディレクションに引っかかった自分が悪いのでしょうけど。😅
舞台が六甲山、とても馴染みのある場所です。小学生の時、耐寒訓練と称して毎年冬に頂上まで遠足に行きましたので、寒い思い出ばかり。山の上に避暑のための別荘地があることは知りませんでした。1度夏に訪れたいと思いますが、昨今の夏では頂上でも暑いかもしれませんね。😅
「シュークリームとひじき」牧はる子(WAC)
パリの下町で一人暮らしを堪能し、現地で俳句会の「紫木蓮」を主催する「はる子」さんは、米寿を迎えられたご婦人ですが、彼女の父親はあの「洋菓子(シュークリーム)のヒロタ」の創業者の廣田定一さんです。
千葉県生まれの廣田定一さんこと「定やん」は、和菓子屋の丁稚奉公で修行を積んだ後に、銀座の風月堂に弟子入りします。早朝から勤務しているため、午後の暇な時間帯になると遊郭に出かけていく兄弟子たちを尻目に、一人厨房に残った彼は、文房具屋で購入した粘土をこねて、生地のこね方や型どりなどの練習に励んでいたといいます。その熱心な様子を見た女将さんから、
「定やん、手伝ってちょうだい」
と声がかかり、午後から売り場に立って接客するうちに、フランス語もマスターしてしまいます。
敗戦後は、迷うことなく進駐軍のベーカリーのシェフになり、あのマッカーサー元帥の誕生日には、自ら「桜と富士山をあしらったケーキ」を進呈して、感謝状を貰ったりもしています。
また、日本橋三越本店の催事会場では、それまでの「大きくて硬めの」シュークリームの概念をくつがえすべく、「一口大で食べやすく」しかも、「1個10円」という安価なミニシュークリームを販売して、大きな話題を呼びます。
この「定やん」の前向きで、既成概念に囚われない伸びやかな気質を受け継いだ「はる子さん」は、入試直前に「ものが二重に見えてしまう」という奇病に襲われながらも、長兄のすすめで聖心女子大学に現役合格します。
厳格なマザー・ブリット学長の下で、学友たちと楽しい寮生活を送った「はる子」さんは、大学4年の夏休みに、リーダー格の同級生からの誘いで、軽井沢にある彼女の別荘に仲間6人と出かけて行きます。この「丸顔で紅顔の美少女だった」リーダー格の女性というのが、後に皇太子妃となられた美智子上皇后だったという逸話には驚きました。実際に、学生時代には、自治会長を務められるなど、かなり積極的な性格だったようです。
大学卒業後は、父親の事業拡大に伴って、パリで初めての日本の和洋菓子店「フランス・ヒロタ」をオープンすることに尽力しますが、その直前に、両親の乗る飛行機が「日本赤軍」によってハイジャックされて、九死に一生を得たという逸話にも驚かされました。
その後、フランス人男性と結婚した「はる子」さんは、二人の娘さんを育て上げた後に、和食の総菜店「おかめ」を開業します。中でも、彼女が大阪の専門店に弟子入りして習得した「さつまあげ」は絶品で、パリジェンヌの中には、「3時のお八つ」として毎日買いに来られていたマダムもいらしたとか!
また、「おかめ」の顧客の中には、当時パリ在住だった元NHK欧州総局長兼ニュースキャスターの磯村尚徳さんや、指揮者の佐渡裕さんなどもいらしたそうです。
特に感動したのは、彼女が中学生だった夏休みに、父親に誘われて参加した思想家の中村天風さんの「鍛錬会」で、中村氏から、
「はる子、あなたの笑顔は太陽のようで、とてもよろしい」
と声をかけられたという件です。
波乱万丈な生涯を過ごしてきた「はる子さん」の座右の銘は、
「人生はバームクーヘンのようなもの。自分の中に芯棒のようなしっかりした信心をもって地道に努力していれば、成果は少しずつ現れるもの」
というもので、親子二代に渡るバームクーヘンへの特別な思い入れについては、是非本書を読んで頂きたいです。
美智子さまのお手元にも本書は届けられ、ご一読いただいたようですが、この本は、まさに、後世に語り継がれるべき貴重な一冊ともいえるでしょう。直感的に選んだ本でしたが、想像以上に、大当たりでした。
できる男はウンコがデカい(宝島社)藤田紘一郎

本当にいい本なのにこの題名では、多くの人が手に取りづらいではないか、と思って最後まで読んで、「おわりに」を読んだら、ウンコは若い女性編集者のからの提案だったとのこと。それなら仕方ないか、と思った次第。
さて、内容は確かにデカいウンコが健康のバロメータであり、多くのデカいウンコをするための手段が語られており、とてもためにはなるし、出来る男かどうかはわからないが、健康な男がデカいウンコであることは自らも経験から納得できる。ただ、それだけではなく、健康になるための様々な注意点が語られている。多くの学ぶべきことが語られているが、とにかく要は、「清潔にしすぎるな!」ということ。
著者は腸内研究の第一人者であり、昔、カイチュウの本やサナダムシの本を書いていたが、カイチュウやサナダムシが人間にとって大切だったと同様に、適当にからだの中に適当に菌を持っていることは健康にとって必要なのだと説く。消臭したり、徹底して無菌にするために薬用せっけんを使ったり、ウォシュレットを使ったり・・・はかえって人間を不健康にしているのだというのだ。
さらに、明日から、落ちたものは食べよう、とか、鼻くそを食べることは健康にいい、とか・・・。もちろん程度問題ではあるが、昭和生まれ私にとっては説得力があり、出来ることは励行してみたいと思った。
藤田先生、さぞ今も健康なのだろうと調べたところ、2年前に亡くなっていた。遅まきながらご冥福をお祈り致します。
「魂でもいいから、そばにいて」 奥野修司
2017年に発行されたのを、何度目かの再読。
3.11東日本大震災の被災者遺族の方々が語った霊体験を聞きとったルポルタージュ。
16話が収められている。
奇をてらった「幽霊話」集ではない。
まず、序章の「旅立ちの準備」は、じっくりと読みたい。
在宅緩和医療のパイオニア・岡部健医師が語る「お迎え」現象。
(千年以上前の天台宗の僧・源信のエピソードに繋がる。)
また、柳田國男の『遠野物語』、五木寛之の『大河の一滴』などが引き合いに出されている。(個人的には、読み慣れた方たち)
著者の真摯な姿勢が見て取られ、スムーズに本編に進めるはずだ。

さて本編だが、いずれの話も胸が打たれる。
日頃、スピリチュアル的な事象には関心が薄いのだが、引き込まれて読み進んだ。
斜に構えたバイアスを外せば、素直に共感できるものだ。
突然に理不尽な出来事に遭遇した時、収める事が難しい感情を、どう収めるのか?
答えの一つ(正答か否かは別にして)が、示されているようにも思う。

読後に、《死者の生前を忘れず、メメント・モリを日常としながら、生者の役目を果たすのが肝要。》
などと、柄にもないことを考えたりした。
こんなことも、たまには必要だろう。
「犬たちをおくる日」 今西 乃子

知られざる世界シリーズという児童書のひとつです。

保健所や動物愛護センターに捕獲されたり持ち込まれたりする犬たちを、殺処分しなければならない現実を追ったノンフィクションです。平易な文章、漢字に全ルビ、写真や図を多用して読みやすい本になっていますが、小学高学年向きとしてはかなり重いテーマです。しかし子供たちにこそ知ってもらいたいテーマでもあります。

獣医師の渡邉清一さんが携わってきた経緯を8つの章で紹介しています。

プロローグでいきなりハッとさせられます。1978年の愛媛県の保健所に3人の小学生が7匹の子犬を持ち込みました。県の野犬撲滅対策で1頭当たり500円の報酬が貰えるためです。勤務していた渡邉さんは「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか」と子供たちに尋ねるとポカンとするだけなので、あと数日で殺されることを諭します。しかし子供たちは「かまわん、はようお金ください!」と訴えるだけでした。野犬が危険だったり病気を持っていることもありますから、県としても野放しにしておく事は出来ないのでしょう。子供たちの行動を咎めるすべはありませんでした。

野犬と言っても日本に野生の犬は存在しません。すべて無責任な飼い主が飼育を放棄して野に放ち、繁殖した結果です。捨てられた犬たちは、生きるため身を守るために行動せざるを得ないだけです。

野犬の殺処分は保健所から県の動物愛護センターで集中管理され、渡邉さんはここに勤務先を変えました。せめて殺処分されるまでのあいだでも、十分な世話をしてあげたい気持ちでした。ここには年間で4000頭以上の犬が持ち込まれます。その内の約一割程の子犬が譲渡用に回されます。健康と性格の良さが基準になりますが、命の選別も辛い仕事です。だからこそ殺処分の決まった犬には清潔な環境を提供し高品質なフードを与え、「どうせ、殺す犬なんだから」と考える職員は一人もいません。まぎれもなく人間の仕業によってこんな運命にさせられたのですから。

センターでは「犬の飼い方としつけ教室」を開催していますが、「犬が好きだから、あえて犬を飼わない」という考え方も勧めています。犬がどんなに好きでも、犬を幸せに出来るという確信が持てなければ、欲しくても飼わないというのもひとつの動物愛護だと言います。この言葉は私の胸を打ちました。私は18年ほど前に飼っていた犬の最期をみとり、以来動物を飼いませんでしたが、最近自分の健康のためにも犬を飼いたいなと思っていたのです。考えてみれば、これから犬の寿命より自分が長く生きる保証はなく、そもそも犬を幸せにしてあげようという考え方さえ無かった事に気付かされました。「しつけ教室」もじつは飼い主のしつけが目的と知り、啓発される思いでした。

ある日「先日、役所で犬を引き取ってもらったものですが、まだ生きているでしょうか」と問い合わせがあり、まだ処分されていないと答えると「よかった!明日家族でそちらに伺います」との連絡がありました。ごくまれではありますが、自分の犬を放棄した事を悔やみ、連れ戻しに来る飼い主もあるそうです。犬は一度信頼関係を持つと死ぬまで忘れない動物です。元の飼い主に引き取られることは最上の喜びですから、話を受けた渡邉さんは涙が出るほど嬉しかったのでした。

翌日表れた家族は母親と二人の小学生でした。一人の子供が犬を見つけると「いた!チャッピー、元気だったかい?」と大喜び。チャッピーはちぎれんばかりにしっぽを降り、全身をふるわせて「やっぱり迎えに来てくれた」と跳び跳ねて喜びました。子供は「さあ、お母さん、早く撮らんと!!」と二人のあいだにチャッピーをはさみ、ピースサインをしました。母親は「じゃあ、撮るけん!笑ってー、チャッピー!」そして「これでチャッピーとのええ記念が出来たけんね!ほな、行こか。」渡邉さんは愕然として「連れて帰るんじゃないですか?」と尋ねると母親は「チャッピーはここで殺されるって聞いたけん、だから最期に記念写真を撮りに来ました。」と平然と言いました。渡邉さんは子供に「チャッピーが殺されてもええんか?」と訴えると「いらんけん。記念写真も撮ったけん、もうええ。」そして「チャッピー、バイバーイ!」と親子で出て行きました。チャッピーは吠えました。声の限り吠えました。「行かないで!ぼくを捨てないで!」と。こんな非情があるのかと耳を疑いますが、現実のようです。

愛護センターで死を待つ犬たちは、最期まで飼い主が迎えに来ると健気に信じて待ち続けているのです。大人の私でも涙を抑えることは出来ませんでした。

犬に限らず、ペットを飼うことの責任をこれ程明確に示してくれる本は、児童書として大変優れていると思いました。

余計な事ですが、この本の装丁は子供向けとは言え安易な感じがします。サブタイトルの「この命、灰になるために生まれてきたんじゃない」は重要なコピーなのに、墨文字をグレーの背景にのせて読めません。素晴らしい内容なのに、表紙の訴求が弱く残念です。