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芥川賞の市川沙央さん「重度障害の当事者性を意識して書いた」

 芥川賞に選ばれた市川沙央さん(43)の受賞作「ハンチバック」は、難病の筋疾患、先天性ミオパチーを患う重度障害の自身を投影した主人公の女性の視点から、社会の現実を突きつけてくる作品だ。当事者を主体にした文学作品が見当たらず「当事者性を意識して、日ごろ思っていることを書いた」と話す。

 タイトルの「ハンチバック」とは背中が曲がった「せむし」のこと。背骨がS字に湾曲した症状を抱えた主人公・井沢釈華が自身をそう称している。釈華は両親がのこしたグループホームで裕福に暮らす重度障害の女性。性的な体験はないが、ウェブライターとして性風俗のコタツ記事(ネット上の情報のみで書いた記事)の執筆で得た金は恵まれない子どもたちに寄付する一方、ネット交流サービス(SNS)の裏アカウントには「妊娠して中絶したい」との願望を書き込んでいた。ある日、健常だが収入の低いヘルパーの男性にアカウントを特定された釈華は、多額の金銭を払う代わりにある話を持ち掛け、対照的な弱者の2人が交錯する。

 市川さんは幼い頃に難病と診断され、中学時代から心肺機能が低下し、横になる時は人工呼吸器を使う生活になった。呼吸困難を引き起こす痰(たん)を処理するための吸引器は手放せず、10代後半からは電動車いすでの移動で外出も思うようにできなくなった。

 小説を書き始めたのは同世代が就職する20歳を過ぎた頃、自分なりの仕事を求めてだった。最初は純文学系の新人賞に挑戦するも筆が進まず断念。以降は慣れ親しんできたSFやファンタジー作品などライトノベル系を中心に新人賞を目指して20年以上書き続けてきた。湾曲した背骨に負担がかからないよう、もっぱら執筆に使うのは小さくて軽い「iPad mini」。寝ながらゲーム機のように両手で持ち、親指で創作してきた。

 異世界ではない、日常の中の重度障害像を描くことに市川さんを導いたのは、執筆時に在籍していた早稲田大の通信教育課程の卒論だった。「障害者表象をテーマに障害者や差別の歴史を調べるうちに暗い気持ちになり、怒りを小説にぶつけました」

 作中には、女性解放活動と障害者運動の異なる主張のはざまで葛藤した米津知子が「モナ・リザ」にスプレーを吹きかけた事件などが登場するが、卒論の資料を生かしたものだ。釈華が抱く「普通の人間の女のように妊娠して中絶したい」という屈折した欲望は、結婚や生殖から遠ざけられてきた障害者女性の差別や、性と生殖に関する権利を巡る複雑な過程を知る中でたどり着いたことを「文学界」8月号で明かしている。

 小説で「一番伝えたかった」というのが、バリアフリー化が進まない読書文化へのいら立ちだ。紙の本の重さや厚さは、曲がった背骨には大きな負荷になる。だが、電子化されていない書籍や学術書は多く、重度障害者が読者として想定されていない読書文化に問題意識を抱いた。作品の中のこんな指摘は痛切だ。

 <私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモ(健常者優位主義)を憎んでいた>

 <その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた>

 普段は考えることを避けてきたような角度からの糾弾に、読者は不意打ちを食らったような衝撃を味わい、小説が「文学界」5月号に発表されるや、SNSなどでは「心に突き刺さった」「視野が広がった」などと反響が広がった。「思った以上に通じたようで言葉が強いと言われ、申し訳なくもなったが、社会に通じたのは良かった」と振り返る。

 文学界では、重度障害を持つ難病の作家は珍しい。ただハンディキャップなどの当事者性を強調するほど、健常者と障害者の境は強まり、多様性のあり方を問う自身と矛盾する可能性をはらむようにも思えるが、ためらいはないという。

 「『女性初の~』などと形容することは批判されるようになったのと違って、障害者の場合はまだそのレベルに至っていない。文化や教育環境も遅れていて、当事者作家は出てきにくい。障害者表象を描くことを目的としてきたので『重度障害者の作家』という取り上げ方でも、私は全然かまわない」と言い切る。

 気管に開けた穴のために長い発話は難しい分、書くことによって表現をしてきた市川さん。そんな自分が小説家になった意義を問われると「私には『書く』というスキルがあり、それが自分の役目としてできることだと思っている」と答える。今後も障害に関わる作品を手掛けていく考えだ。

芥川賞に市川沙央さん 平野啓一郎さん「圧倒的な支持で決まった」

 第169回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が19日夕、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞には、市川沙央さん(43)の「ハンチバック」(文芸春秋)が選ばれた。

芥川賞選考委員・平野啓一郎さん

 圧倒的な支持で授賞が決まった。何らかの困難を起点に小説を書き始める作家は少なくないが、市川さんには強じんな批評性がある。「マイノリティーを包摂して理解する」といったロジックを解体するほどのものだ。ラストについてはフィクションライターとしての誕生を告げる決意表明だと解釈された。

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コメント: 7
  • #1

    通りすがりの人民 (木曜日, 20 7月 2023 09:29)

    ①著者の小説は読んだことがないが、読んでみて驚いた。生理的欲求、本能という言葉では表せない身体の内奥から湧き出る生への根源的エネルギー、バタイユの言葉で言えば「超出」(エグゼ)と呼ぶものに近いのではあるまいか?
    ②金には不自由せず、物欲がない主人公にとって、欲しいものは子どもであった。それが著者にとっては最も「人間らしい生活」だったのだ。そのためには妊娠·出産が必要であるが、本人の性的欲望や恋愛については語られない。ここに現実と理想の超えられないギャップがある。
    著者の心の叫びを聞きたい。
    「そこに愛はなくてもいいんか?」(笑い)
    お勧めの一冊だ。

  • #2

    通りすがりの人民 (木曜日, 20 7月 2023 09:30)

    障害を持ち、自らを「せむし(ハンチバック) の 怪物」という主人公が展開する、軽妙そうで深く、心を抉る作品です。
    同じ時期に、LGBTの男を主人公に、自らを曝け出す、気鋭の思想家のゲイ小説(モドキ)も読みましたが、この「ハンチバック」の方が数段心に突き刺さります。
    何が違うのか?
    小説としての「たくらみ」が違うように思います。いくつもの奥深い仕掛けが違います。
    感服しました。
    最近の芥川賞受賞作品にはほとんど失望してきました。村上春樹も吉本ばななも芥川賞は取っていないので、取る取らないはどうでもいいですが、久々にインパクトのある方が登場したと思います。

  • #3

    通りすがりの人民 (木曜日, 20 7月 2023 09:31)

    内容があまりに衝撃的で読み終わった後放心状態でした。なにがショックだったかわからないくらいあれもこれも自分が知らない大変な日常を送っておられる人がいて、壮絶に生き抜いているということ。またその心の内をあますことなく正直に吐露されている文章がすごかったです。でも淡々としていて重々しい感じはありませんでした。読後感も悪くなく、割り切りとか、悟りが深くてさわやかな感じを受けました。

  • #4

    通りすがりの人民 (木曜日, 20 7月 2023 09:32)

    仕事と育児で読書習慣から遠ざかっていた私でも、力強い文章にねじ伏せられるように一気に読んだ。彼女から溢れ出る文章が、もっと世に出る事を願う。

    2023/7/19追記
    芥川賞の受賞おめでとうございます。

  • #5

    通りすがりの人民 (木曜日, 20 7月 2023 09:33)

    期待して読んでみたがとてつもなく気持ち悪かった。
    健常者と身障者を分けているのは作者自身なのではないか?と思った。
    私の高齢の母も読みたいと言うので買ってみたがオススメしたくない。
    なぜならやたら横文字なのである。
    縦書きの和式の本にだ。
    わざわざ漢字にカタカナで書くことはないと思うし若い子あるあるの短縮語も多く、きっと母には理解出来ないと思ったからだ。
    それこそどの年齢でもわかりやすく書くのが平等ではないのか。
    一部の人だけわかる暗号の羅列を高齢者は読み解くことは出来ない。
    そこには高学歴、上から目線というような差別的なものが潜んでいるように思える。
    不思議なことにカタカナ用語は多いのに難解な漢字にはフリガナさえないのが読めて当たり前という形になっていて滑稽だった。
    たくさんの人に理解を求めたいならば平素な文章を取り入れることも頭に入れて書いて欲しかった。

  • #6

    通りすがりの人民 (木曜日, 20 7月 2023 09:34)

    健常者の読書(紙の本)に対する呪詛が、衝撃的だった。不快感よりもちょっと笑えた。そっかー、紙の本が好きなのも傲慢の一つだったとは。目から鱗。納得しました。
    人間は自分の立ち位置以外から他者を想像し、共感するのが徹底的に苦手だ。余りある不自由な身体をもつ主人公は、これまた余りある財産に守られて生きている。コタツ記事を書いたりして稼いだ小銭は、寄付をして悦に入っている。
    恋愛、性交への欲望をすっ飛ばして、妊娠と中絶を望む。
    周囲には経済的に余裕のある障害者と、ヘルパーしかいない。知的な主人公は、本を持つ事はできても読めない知的障害者への憐れみはない。いや、あるのか? だから寄付活動? でもそれって程々の額だよね。比べて性交できる男には億の金(かなり嫌味な計算方法がキライじゃない)が動く。
    矛盾と傲慢の乱立。でも痛快にさえ感じる。鉄壁の壁の財産を放り出し、もっともっと泥土を転げ回る姿を晒して欲しい! 読みたい!! と思った後のエピローグにガックリきた。そりゃないぜ! シャカちゃん!!

  • #7

    通りすがりの人民 (木曜日, 20 7月 2023 09:35)

    障碍者本人がかいているんだもの、リアリティというか、説得力というか、有無を言わさずに現実を突付ける力がある。

    一方で、どぎつさでインパクトを与えているだけのような気もする。 丸山正樹のようなストーリー性とかメッセージ性を求めるのは、健常者のエゴなんだろうか?

    ちょっと、評価しにくい。