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山下達郎ラジオでの不遜発言に「ファンやめた」の大合唱 性被害者への想像力と社会性の欠如を露呈

 当人はラジオで「一切やってません」と語ったSNSは、「ファンやめた」「CD捨てた」「目が覚めた」「もう聞かない」という残念極まりない言葉の数々で埋め尽くされている。

 音楽プロデューサーの松尾潔氏(55)がシンガー・ソングライター山下達郎(70)も所属する音楽プロダクション「スマイルカンパニー」との契約を6月末で中途解除になった一件。松尾氏がジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川氏の性加害や藤島ジュリー社長の対応についてメディアで言及したことが社内で問題視され、山下も契約解除について賛成したと松尾氏が今月1日にツイッターで明らかにした。

 これに対して山下は自身のラジオ番組「山下達郎サンデー・ソングブック」(TOKYO FM系)の9日放送回で本件について“大切な報告”を行うと宣言していた。

 ラジオで山下は開始30分ごろから、およそ7分間にわたって騒動について言及。契約解除については〈今回、松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して臆測に基づく一方的な批判をしたことが、契約終了の一因であったことは認めます〉としたが、理由はそれだけではないと含みを持たせた。

■松尾氏の契約解除と山下氏のジャニーズ事務所忖度が混在

 しかしながら、音楽ジャーナリストの富澤一誠氏が「基本的に松尾さんとスマイルカンパニーの契約解除の話と達郎さんがジャニーズ事務所に対して忖度をしているという話が混在しており、すれ違いがおきていると思います」というように、ジャニー喜多川氏の性加害については〈今回の一連の報道が始まるまでは漠然とした噂でしかなくて、私自身は、1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした〉〈本当にあったとすれば、それはもちろん許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば、第三者委員会での事実関係の調査というのは必須であると考えます〉。

ただし自分はあくまで一作曲家、楽曲の提供者に過ぎず、〈音楽業界の片隅にいる私に、ジャニーズ事務所の内部事情など全くあずかり知らぬことですし、まして性加害の事実について私が知るすべは全くありません〉。さらに〈数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません〉として、〈自分の人生にとって一番大切なのは、ご縁とご恩〉だと話し、〈私が一個人、一ミュージシャンとしてジャニーさんへのご恩を忘れないことや、それがジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的倫理的な意味での性加害を容認することとは全くの別問題だと考えております〉とコメントした。

「そういう方々には私の音楽は不要でしょう」

 そして番組の最後では「このような私の姿勢を、忖度あるいは長いものに巻かれていると解釈されるのであればそれでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう」と、ジャニーズを徹底的に擁護し、「嫌なら聴くな」といわんばかりの不遜な言葉で結んだ。

 松尾氏の発言について“臆測に基づく一方的な批判”と語った山下だが、性加害問題はすでに被害者も声を上げ、社会問題化しており、決して臆測などではない。それでもジャニーズをかばう姿勢を崩さず、被害者への想像力と社会性を欠いた山下に対して、リスナーの反応が冒頭のように厳しいものばかりとなったのは当然といえるだろう。

■松尾氏は「残念です」とツイート

 松尾氏は山下のラジオでの発言を受けて9日夜に「残念ですね。メロウじゃない日曜日」と短くツイート。山下が7分間もの“冗舌”で失ったものは、ジャニーズへの「ご縁とご恩」で得てきたもの以上に大きいことを人生の最後に気づかされるだろう。 

松尾潔
音楽プロデューサー
1968年、福岡県出身。早稲田大学卒。音楽プロデューサー、作詞家、作曲家。MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。プロデューサー、ソングライターとして、平井堅、CHEMISTRY、SMAP、JUJUらを手がける。EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲)で第50回日本レコード大賞「大賞」を受賞。2022年12月、「帰郷」(天童よしみ)で第55回日本作詩大賞受賞。

「スマイルカンパニー契約解除の全真相」弁護士を通じて山下達郎・竹内まりや夫妻の“賛成事実”を確認

 おだやかな時間をこよなく愛して生きてきた。そんな自分が、55歳にもなって週刊誌記者に初直撃されようとは。ちっともメロウじゃないなぁ。短い、でもそこそこ長い人生には、時として想像もつかぬ場面が待っていることを思い知った。

 きっかけは、先週土曜(1日)のツイートだ。

「15年間在籍したスマイルカンパニーとのマネージメント契約が中途で終了になりました。私がメディアでジャニーズ事務所と藤島ジュリー景子社長に言及したのが理由です。私をスマイルに誘ってくださった山下達郎さんも会社方針に賛成とのこと、残念です。今までのサポートに感謝します。バイバイ!」

 これがバズった。3日間で表示は何と2800万回を超えた。関心の矛先が向けられたのはまず、スマイルカンパニー(以下、SC)とジャニーズ事務所(以下、J)の関係だったようだ。次が達郎さんだろうか。

 ツイートから24時間以内に、ぼくのもとには10社を超えるメディアから取材依頼が届いた。なかにはアポなしで仕事場を訪ねる記者も出てきたというわけである。彼らには一様に、丁重に断りを入れた。次のコメントは「メロウな木曜日」で出すと決めていますから、と言い添えて。

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2009年から業務提携

 1978年に山下達郎のマネージメント会社として始まったSCは、大所帯ではなく、強い営業力を誇るわけでもないが、たいへん居心地のよい事務所だった。ブラックミュージック愛好家同士で10年にわたる交流があった達郎さんに誘われて、ぼくの個人事務所は2009年に業務提携を結んだ。

 ぼくは41歳になったばかりだったが、プロデューサー、作詞家、作曲家として、日本レコード大賞や年間最多セールス等は経験済み。だからSCに育ててもらったという感覚はない。むしろ、高まるリタイア願望を持てあましていた時期に、活力を得る場としてSCに合流したというのが実情だ。達郎さんは、いい音楽とおいしいワイン、そして往年の優れた日本映画を教えてくれる最高の先輩だった。時にはそれぞれの配偶者をまじえて多くの夜を一緒にくぐり抜けたことは、人生のうつくしい記憶としてこの先も色褪せないだろう。

 もちろん一緒に仕事もした。アルバム制作のお手伝い。何回ものラジオ共演。達郎さんが序文を寄せたぼくの音楽エッセイ本を、彼の番組でリスナーにプレゼントしたこともあった。出版パーティーでのスピーチも忘れられないなぁ。社長(当時)の小杉理宇造さんのキャリアは寡聞にしてよく知らなかったが、達郎さんがビジネスパートナーとして絶大な信頼を寄せていたのが、そのままぼくが小杉さんを信頼する理由にもなった。はしかのようなリタイア願望は自然と治まった。

 小杉さんはJの関連会社の社長も兼務していたから、洋楽畑出身で邦楽事情に明るくないぼくでも、SCがJと近い関係にあることは知っていた。80年代からJのアイドルに作品提供を続けてきた達郎さんも、ジャニー喜多川氏を尊敬していることをメディアで公言していたし。「ジャニー喜多川ってヤバいんでしょ?」とゴシップ趣味で質問をぶつけてくる知人には、たまにJのグループに作品提供したり、番組で共演するくらいの関係のぼくにわかるはずないと答えていた。

 実際よくわからなかったし、そもそも喜多川氏にはさして興味もなかった。そんなことより、SCの旗艦アーティストが山下夫妻という事実がぼくには何より重要だった。ふたりがこの国屈指の高い音楽的イメージと好感度を兼ね備えた夫婦であることは疑いようがない。憧れと、尊敬と、信頼と。それゆえぼくも、当初1回かぎりの予定だったSCとの年間契約を、その後14回も更新したのである。

批判ではなく提言

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 蒙を啓かれたのは今年3月。喜多川氏の性加害疑惑の実態を暴く英BBCのドキュメンタリーを観たぼくは、したたかに打ちのめされた。これまで自分は一体どこに立って何を見てきたのだろう。いや、何を見逃してきたのだろう。はげしい悔恨の念に襲われた。だが、過ちては改むるに憚ることなかれ。まずは注視、そして気になるところがあれば声をあげればいい。変えていけばいい。そう自分に言い聞かせた。

ジャニーズ性加害問題に向きあうとき、自分につよく律しているのは、被害者の古傷をえぐり出すような物言いは絶対にしないこと。それよりは建設的な提言をしたい。なぜならぼくの主目的のひとつはタレントを守ることであり、特定の誰かを攻撃あるいは断罪することではないからだ。

 SCで過ごした15年のなかで、Jが魅力的な才能の宝庫であることを痛感してたし、個人的に連絡をとるタレントもいる。彼らの活動をサポートしたいという強い気持ちがある。だからこそ、つとめて理性的で品格を失わない話し方を心がけてきた。

 BBCの番組放映後、元J所属タレントの性被害告発が度重なり、それを受けて藤島ジュリー景子社長が動画と文書で公式見解を発表した。5月14日夜のことだ。たまたま翌15日の朝に福岡RKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』に生出演を予定していたぼくは、スタッフの求めに応じて番組内で見解を述べた。社長は記者会見を開きましょう、第三者委員会を設置しましょう等々。今もネットでその書き起こし記事を読むことができるが、突飛なことは何ひとつ言っていない。終盤のくだりを原文のまま引用する。

「今回の疑惑を放置することは、ジャニーズ事務所だけの問題じゃないと思っています。一番の弊害は、今回の報道やマスコミの有り様を見た子供たちが、もし性犯罪・性暴力の被害者になったとき『声を上げても無駄だ』という諦めの気持ちになるかもしれないことです。疑惑を放置することで、社会全体が諦めの気持ちを子供たちに植え付けかねないのではと怖れを感じています。メディア、広告業界、芸能界だけでなく、みんながこの問題を直視しない限り、性加害や性暴力は、この先もなくならないでしょう。音楽業界に身を置く私も正直つらいです。ましてや、こういう世界に憧れたことがある、あるいは憧れている家族がいる、といった人たちも胸を痛めているはずです。私たち一人一人が、この国が抱える問題として当事者意識を持ち、みんなで膿を出すというところに、舵を切るべきじゃないでしょうか」

 読めば瞭然、これは批判ではなく提言だった。

ジャニーズ事務所と藤島ジュリー景子社長に言及、不敬罪による一発退場

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 書き起こし記事がYahoo!ニュースになって配信されたのが翌16日。それを読んだ小杉周水SC社長に本社オフィスに呼び出されたのが18日。理宇造氏の長男の周水くんは作曲家の顔を持ち、ぼくにとっては親しい後輩でもある。付き合いも家族ぐるみだ。彼は、こんなことで松尾さんと向きあいたくはなかった、性加害は当然許されないことだし、松尾さんの話も正論、でも……と、Jやジュリー社長の名前をメディアで口にすること自体を問題視し、マネージメントの中途解約を切り出した。いわば不敬罪による一発退場である。

 無論ぼくは納得できない。その場で逆に提案をした。SCは時代の声に耳を澄まし、対症療法ではなく体質改善を図っていくべきでは。具体的にはJに依存せずに済むよう、自社の新しい才能育成を強化すればと。同時にJに対しても提案したいことがあるので、ジュリー社長とつないでくれるよう請った。だが周水社長が首を縦に振ることはなかった。涙を流しながら解約の弁をくり返す彼に、ティッシュを差し出すぼくまでもらい泣きしたのは一生忘れられないだろう。

ぼくは周水くんも守りたかった。それでも彼の主張は変わらず、これから山下夫妻の意向を確認する、それをふまえて来週以降もう一度会いましょうと紳士的に言った。その場で達郎さんに電話したい衝動を必死で抑えながら、ぼくは社長の発言を尊重して、メールを含む夫妻への直接の連絡は一切控えた。

■山下家、小杉家、藤島家は「義理人情」

 6月2日、SCオフィスで再会した周水社長は、ぼくの契約の中途終了に山下夫妻が〈賛成〉であることを告げた。RKBラジオ等での発言はいかにも松尾らしく正論でもあるが、これまでの山下家・小杉家・藤島家のつきあいの歴史を考えると、SCに松尾が在籍し続けるのを認めるのは難しい。なぜなら、三家のつきあいはビジネスではなく「義理人情」なのだから、ということだった。

 ぼくはかつて達郎さんに、これこそ人生の一本だと1937年の名画『人情紙風船』(山中貞雄監督)の存在を教えてもらったことを思いだした。

どうしても飲み込めないことが一点だけあった

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 SCは6月末での契約終了を強く求めてきたが、業務の引き継ぎを考えるとそれはあまりに性急だとぼくは感じた。せめて8月末まで待ってほしいと希望を伝えたのだが、SCはあくまで6月末にこだわったので、ぼくも折れるしかなかった。契約終了の合意書の作成にあたっては素人の手に負えないので、かねてからその仕事ぶりに敬意を抱いていた喜田村洋一弁護士に代理人をお願いした。

この期に及んでも、どうしてもぼくに飲み込めないことが一点だけあった。周水社長からの報告という形でしか聞いていない山下夫妻の〈賛成〉だ。周水くんを疑ってはいない。ただ、四半世紀におよぶ付き合いのなかで自分が知る達郎さん、そしてまりやさんなら、本当に〈賛成〉するだろうか。その疑問が払拭できなかった。

「義理人情」という言葉はたしかに重い。それはいいだろう。だが、その形は、時代にあわせてしなやかに変わっていくべきではないか。紙風船のように。

 周水くんとの信頼関係を考えれば、だからといって達郎さんに直接コンタクトを取るのはやはりためらわれた。ぼくは喜田村弁護士に、先方の代理人を務める弁護士へ尋ねてもらった。「松尾は、『山下氏と竹内氏が契約解除に賛成している』と社長から説明を受けているが、それは事実か」と。返ってきたのは「そうである」。この回答を確認したぼくは、契約終了の最終合意に応じた。

 SCとの業務提携を終了後の初日となった7月1日のツイートは、事実関係に基づき一言一句を喜田村弁護士が確認済みの140字だった。達郎さんの名前を出したのは、彼とぼくの両者を知る人が当然抱くであろう疑問に予めお答えするためであり、それ以上の意味はないことを強調しておきたい。人生のなかで優先するものの違いに気づくのに、ぼくは少々時間がかかったということだ。

 奇しくもその翌日(2日)、東京・中野区の中野サンプラザが閉館して50年の歴史に幕を閉じた。最後の日のステージに上がったのは、サンプラザ最多公演数を誇る達郎さんだった。真夏のように暑い日曜日、サンプラザに響いたのはエンド・オブ・イノセンス(無邪気の終わり)を描いて秀逸な名曲 「さよなら夏の日」だろうか。あるいはSnow Man目黒蓮出演CMで話題の新曲「Sync Of Summer」だったのか。

■社会的弱者に寄り添う眼差しは…

 昨年6月に発表された山下達郎11年ぶりの力作アルバム『SOFTLY(ソフトリー)』は大した評判をとった。その中でもぼくが白眉と位置づけるのが、ゆったりとした、しかし骨太のリズムで歌われるビル・ウィザーズ調の「OPPRESSION BLUES(弾圧のブルース)」である。

 アフガニスタン、香港、ミャンマーなどの騒乱に想を得て21年までには書いていたと本人が語る歌詞は、社会的弱者に寄り添う眼差しがすばらしい。古参ファンであれば、名曲「蒼氓」を思い出さずにはいられないだろう。そして否応なくロシアのウクライナ侵攻も連想させる。この自作自演歌手が高い社会意識を持ち〈炭鉱のカナリア〉としての機能を備えていることのあざやかな証左となる1曲だ。

 山下が声を振りしぼって熱唱する言葉たちは、まさにぼくの現在の心境とシンクロする。

「許してはならないこと あったはずじゃなかったのか ねえ、違うの? なぜ、言えないの? 何も、出来ないの? どうして? どうして? 何も言えないの? どうして? どうして?」