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「日本最古のバッティングセンター」閉店の裏にあった ニッポン企業を悩ます「大難問」

現存するなかでは “日本最古”とも言われるバッティングセンターが58年の歴史に幕を閉じる。数々のテレビ番組のロケ地や国民的アイドルの“聖地”としても知られる「東京の隠れた人気スポット」だが、突然の終焉の裏にはイマドキの意外な事情が隠されていた。

 

 JR山手線の大塚駅南口を降りて徒歩1分の距離にある「大塚バッティングセンター」が6月30日をもって閉店する。1階にパチンコ店、2階にバッティングセンターが入った現在の複合アミューズメント施設の形になったのは1976年。ただし、バッティングセンターの創業自体は1965年にまで遡るとされる。

 施設を運営する「大久保商事」の担当マネージャーがこう話す。

「バッティングセンターが建つのは、もともと解体関連の資材置き場として利用されていた土地でした。取引先だった当時の銀行の支店長が“最近はバッティングセンターというのが流行っているそうだ”と、先代オーナーに提案したことが創業のきっかけです。実際、支店長の言葉通り、1980年代前半頃まではお客さんが打席に入るため、列をなして待つほど盛況だったと聞いています」

 いまでも年中無休で「1ゲーム(20球)300円」、1000円払えば4ゲーム分「まとめ買い」できるという、昔ながらの良心的な料金体系を維持。大塚駅を降りるとすぐ目に飛び込んでくる大きな屋上看板とともに「地元のランドマーク」としても愛されてきた。

 閉店を目前に控えたバッティングセンターを訪れてみると、別れを惜しむ多くの客に出会った。

常連客の回想

 平日の午前中、球速130キロの最速マシーンの打席に立とうとしていた69歳の男性(都内・練馬区在住)に声をかけると、こう話した。

「4年前の定年を機に、定期的に体を動かすため週2~3回のペースで通っています。スポーツジムに入会するより、ずっと気軽に汗をかくことができるので重宝していました。7月以降は、遠くなっても他のバッティングセンターへ通うか、ウォーキングの習慣を取り入れるかで迷っているところです」

 また30年以上も通っているという常連客の一人(40代)はこう想いを吐露した。

「小学生の時に父に連れて来られたのが最初でした。当時は少年野球も盛んで、いまより子供たちが店内にひしめき合っていた。学生時代には彼女とのデートで訪れたこともあります。社会人になってからは気晴らしや何も考えない時間を持ちたいと思った時に一人でフラリと立ち寄っていました。私にとっては色んな思い出が詰まった場所なので、なくなるのは“寂しい”の一言です」

 デートスポットとして利用される機会は減っていたものの、近年は「女性同士で来るお客さんが増えていた」(前出・マネージャー)という。

 

閉店の意外な理由

 実際、夜7時過ぎ、交代で打席に入ってゲームを楽しんでいた20代の女性2人組に話を聞くと、

「1000円で手軽にストレス解消できるので、たまに仕事帰りに訪れています。女性だけで来ても安心して遊べるし、コスパ的には“最強”です」

 と笑顔で答えた。また人気アイドルグループ「乃木坂46」のメンバーが自分たちの冠番組内で大塚バッティングセンターを訪れたことから、一部の乃木坂ファンには「聖地」と化しているという。他にもこれまで多くのテレビ番組のロケの舞台となってきたことから、店内には北大路欣也や舘ひろし、上戸彩、足立梨花など、有名芸能人のサイン入り色紙が数多く飾られ、歴史の重みを伝えていた。

平日にもかかわらず、夜になると子供を連れたファミリー層の客が増え、打席はすべて埋まるほどの活況を見せ始めた。一見すると閉店の理由が見当たらないが、なぜ60年近くの歴史に幕を下ろすのか?

「オーナーは現在が2代目となりますが、事業を受け継ぐ後継者がおらず、また(パンチコ業も含めた)業界の先行きは厳しいものとも予想されています。それらを総合的に勘案した結果、お客様や株主など関係各位にご迷惑をかける前に、まだ余力のある今のうちに廃業するのが最善と判断した次第です」(同マネージャー)

 決断を後押ししたのは「後継者不在」と「業界の先細り」という、少子高齢化などを背景とした日本企業の多くが直面する課題だったのだ。

 閉店後の跡地利用については「現時点で未定」(同)というが、地元の不動産業者によると「いずれ取り壊されることになるのでは」と話した。「昭和の風景」がまた一つ、消えることになる。