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母の日【母の愛】青空と向日葵の会

◆◆母の愛◆◆
 “母の日” 今年は5月14日。この日が近づくと3年ほど前に、ある新聞のコラム欄に掲載された女性の投稿文を思い出します。ちょっと長くなりますがお付き合いください(管理人様、不適切であれば削除してください)。
【樫本 ユウ子 73 東京都北区(仮名)】
《母の涙》
  母が亡くなって昨年末で13年になる。そんなになるんだなあ、と思いつつ、母が生きていたときは、月に二回ほどは新幹線や夜行バスを利用して帰省していた。母がいなくなったことで、郷里の秋田へはお盆や彼岸の日に行く程度に減ってしまった。母に申し訳ない気持ちがしている。
 私は東京で働いていたので、母は寒い北国でひとりで暮らしていた。元気な人だったが、しだいに認知症のきざしが表れたため、市の福祉課に相談して、ヘルパーさんの家庭訪問やデイサービスを活用した。その後、老人保健施設へ入所もした。施設に会いに行ったときは友人の車に乗せてもらって、気晴らしに母を地元の温泉に連れて行くことがあった。楽しそうな母にほっとしたものだ。
 あるとき、温泉でくつろいだ後、施設に帰る車中で母は「次の角を左に曲がって!少し行ったら家だから」と言った。確かにその通りだったが施設に戻るには角を曲がらずまっすぐ進むしかない。母は再度、「お願いです、曲がってください。ユウ子が学校からお腹をすかして帰ってくる。ご飯を作らないといけないから家に帰してください、お願いです!」と必死に頼むのだ。
 「ユウ子は私だよ、ここにいるよ。」と言っても、母は首を横に振って、家に帰して、と言うばかりだ。ほとんど涙を見せたことがない母の目に涙があふれていた。
 車は曲がることなくまっすぐ走った。「ああ…」と母は声を上げ、下を向いてしまった。
 あの日あのときの母のことばや涙を思い出すと、いまも私は涙がこみあげてくる。子供の私を心配し育ててくれたこと、そして、切れ切れの母の記憶のなかに、確かに私が存在していたことに、ただただ感謝している。(以上、原文のまま)
 私も母は18年前に亡くなりました。歳を重ねるにつれ思考力や記憶力や認知力が衰えても、子を思う母の気持ちはずっと変わらないんだなと、この文章を読んでいて、つい私の母と重なってしまいます。
 母への感謝はもちろんのこと、当時できなかった母への恩返しを妻や子や孫たちにと、手を合わせながら思いを新たにする「母の日」になっています。