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親子喧嘩が羨ましい。もっと本音でぶつかれば良かった。後悔しても今は両親はいない。Apex product 世直し桃太郎

私はケンカできる親子がちょっとうらやましいと思います。 ケンカというのは、お互いに自分のことを理解してほしいとか分かってほしいと思うから起こることです。 私が親とケンカしたことないのは、仲が良いからではなく、どうでもよかったからです。 親から何か言われても「はいはい」とスルー。そしたらケンカにはなりません。 家でいい子ちゃんしてれば何の問題もなく、平和に過ごせました。 ただ兄と妹とは違って、そりゃもうものすごいぶつかり合ってました。 親から「兄と妹とはなんであんなんなんだ」とか愚痴を聞かされたりもしていて、優越感に浸っていたこともあります。 でも「ダメな子ほどかわいい」んですよね…。 あなたは大丈夫よね。のように親から言われるたびに、疎外感を感じました。 まあ自分のせいなんですけど。 気が合うから仲が良い、気が合わないからケンカばかり。そんな単純なことでもないと思います。 どちらがいいかはケンカの有無では分かりませんね。

石橋 隆太郎 石橋 孝子 親子で喧嘩すればするほど、事業承継はうまくいく (経営者新書)

親から子へ、事業を一代で終わらせない会社の譲り方

中小企業経営者必読の親子による事業承継成功のノウハウ満載。
熾烈を極める飲食ビジネス業界で、生き残りをかけた親子の事業承継。

<親子の衝突が事業の承継を成功させる>
・親子で異なる知識、経験、考え方を徹底的にぶつけあう
・親子喧嘩で価値観のギャップを埋める
・ディベート式で喧嘩をする効果は絶大
・残すべき事業と変革すべき事業を本音で議論する...etc

大手飲食チェーンにはできない経営革新は、直感型の母親と、理詰めの息子の毎日の「喧嘩」があったからこそ生まれ得た。
親子で衝突する事業承継を通じて浮き彫りになる、会社経営の本質を著者2人の視点から紹介。
事業承継は企業変革の千載一遇のチャンス。6割以上が後継者不在と言われる中小企業の経営者必見、「喧嘩」しながらうまく事業承継をするためのノウハウを紹介。

〝事業承継は事務的な作業では成し得るものではないことは、みなさんもよくご存じだと思います。
創業時の想いや、多くの関係者と作り上げてきた歴史と実績をまるごと引き継がなければ本当の承継は完了しないのです。
しかし、それと喧嘩とどう関係があるのか、疑問をお持ちになるでしょう。
本書では、私たち親子がどんなことを議論して意見をぶつけ合い、行動に落とし込んで結果に結び付けてきたのか、
価値観の違いをどう埋めていけば良いのか、具体的に紹介しながら事業承継を成功させるための方法を解説していきます。(「はじめに」より抜粋)"

第1章 中小企業にとって事業承継は歓迎すべきこと
第2章 なぜ親の事業を子は継ぎたがらないのか?
第3章 事業承継は親子で喧嘩してこそ成功する
第4章 親子の喧嘩が必要な戦略を導き出してくれる

★石橋 孝子 (いしばし たかこ)★
ティオスグループオーナー。1944年東京都大田区生まれ。福島県郡山市で育つ。
1966年専修大学商経学部卒業。1975年大森駅前に喫茶とスナック「ラ・ジョロナ」を開業(現在はクラブ)し、同店を経営しながら一人息子の隆太郎を女手一つで育てる。
1981年割烹「だら毛」をオープンし、大森駅前エリアでの多店化を開始。
1991年ホテル「大森西洋館」を開業。両親が経営していた福島県磐梯熱海温泉の離れの宿「よもぎ埜」のリニューアルをプロデュースし、1995年その経営を承継。
2007年ティオスグループの経営を退き、現在はオーナーとして各店の指導に携わる。

★石橋 隆太郎 (いしばし りゅうたろう)★
ティオスグループ社長。1969年神奈川県大和市生まれ。東京都大田区で育つ。
1994年青山学院大学経営学部卒業。同年髙島屋に入社し、玉川髙島屋SC勤務。在学中ゼミ担当教官の寺東寛治教授の「子は親の会社を承継すべき」とする指導に感銘を受け、ティオスグループ入社を決意。
1997年髙島屋を退社して渡欧し、イタリアとフランスの外食事情を視察。渡欧中に日本料理に目覚め、帰国後エコール辻東京に入学し、卒業後銀座の料理店で修業。
2002年ティオスグループ経営企画室長。2007年より現職。日本ソムリエ協会認定ソムリエ。
誉めてあげれば
子供は明るい子に育つ
 
愛してあげれば
子供は人を愛することを学ぶ
 
認めてあげれば
子供は自分が好きになる
 
見つめてあげれば
子供は頑張り屋になる
 
分かち合うことを教えれば
子供は思いやりを学ぶ
 
親が正直であれば
子供は正義感のある子に育つ
 
- ドロシー・ロー・ノルト博士 -

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コメント: 13
  • #1

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:05)

    子供の頃母親が「お母さん達離婚したら一緒に来る?」って言ってきたけど
    母親は金稼ぐ能力なさそうだし正直ついて行きたくないから黙ってたわ
    母親の方ではまた違った感想を持ってたと思う

  • #2

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:07)

    親が想像している以上のことを、漠然と子供ながらに感じていたと思う。
    ある程度の年齢になると自然と母親のプロパガンダがとけてきて、どっちも大変だったのだろうなと考えられるようになった。
    決して良いものではないし多少の歪みも残ったようには感じるが、それなりに克服はできたように思っている。

  • #3

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:08)

    父母は仲良かったけど
    爺さんが気に入らない事あるとすぐにちゃぶ台ひっくり返すぐらいのレベルだったわ
    父ちゃんは仕事でほとんど休み無くいつも午前様でこの事をあまり知らなかったんだよね
    食事はいつも緊張感あって味わって食べた記憶が無い

  • #4

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:11)

    親も仲悪かったけど
    とにかく本気で姉に殺されると何度も何年も思った
    常に傷だらけ痣だらけだった
    部屋も片付けても片付けても即日グッシャグシャにされるから
    片付けなくなった
    「施設かなんかに預けてくれないか まともに学校に行けない」
    と親には何回も頼んだが
    「何馬鹿な事言ってんの 家族は一緒が一番幸せなの」
    とか取り合ってくれず
    あんまり暴力が酷かった日は
    流石にそろそろ警察に電話してもいいよねと電話しようとしたら
    親に電話線ブチ抜かれて電話隠された

    今はもう家出たけど
    今もし姉にされた一万分の一でも仕返ししたら
    速攻傷害罪とかで逮捕なんだろうなあと思うと理不尽でならない

  • #5

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:13)

    うちは家庭的には平均よりは相当裕福だったと思うよ振り返ると
    でも近所では「○○(苗字)城」とか呼ばれてたらしい(最近知った)
    そこそこ立派な見た目の実家の内部は
    ゴッチャゴッチャのボッコボコの穴だらけのボロ屋敷だった
    勿論来客なんか来た覚えはないけど
    流石に出入りの電気屋さんとか植木屋さんとかの目はそう長年誤魔化しきれるもんでもないと思うから
    今思うと近所でも知ってる人は相当ヤバイ家だって知ってたんだろうなあ
    閑静な住宅街なのに丑三つ時に怒号とか悲鳴とかしょっちゅうだったしなあ

  • #6

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:15)

    本気で仲悪いわけでは決して無かったけど
    一時期良く喧嘩してる時期があったな
    中学高校くらいの時だったから凄く嫌な気分になったわ
    喧嘩の行動原理が理解出来て納得も出来るのなら別にいいんだけど
    本当に下らないことで喧嘩してたからなぁ

  • #7

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:16)

    病気になるとね、自分がいかに大切な人間であるのかを実感するんだよね
    誰かに大切にされてるから私は尊い ではなくて 私は私にとって最も尊い ってことを
    健康を失った喪失感はその感情を思い起こさせるトリガーみたいなものだと思う

    デカルトは「われ思う 故に我在り」だったけど、「私は私にとって最も尊い」と構造が似てるんだよね
    何か真理に近いんじゃないのかなって個人的に思ってる

  • #8

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:18)

    子供より自分の感情を優先するようなクズ親に育てられるんだからそりゃ性格も歪むわなぁ
    子供が痛がっても手を離さない奴ってこういう奴等なんだろうな
    子供の事大事に思ってますなんて面しながらその実一番大事なのは子供を大事にしてる私なんだよ
    重要なのは自分が満足できるかどうかであって子供が幸せかどうかなんて関係ない
    自分が満足できるならむしろ子供が苦しんでも平気なキチガイみたいな人間

  • #9

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:22)

    俺が酒と煙草とパチンコを憎むのは、糞親父がそれに夢中なのが理由なんだろうか
    それが無ければ良い父親になってたかもしれないとか考えてるのかもしれない
    自分と同じ不幸な子供が増えて欲しくないと考えてるのかもしれない
    ほんとのとこは自分でもよくわからんが、とにかくこの3つは大嫌いだ世界から消えればいいと思う

  • #10

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:26)

    正月に親戚からお年玉をもらう中、俺の両親だけ誰にもあげてないのがほんとに辛かった
    貧乏だから仕方ないっていうのはわかるがとにかく恥ずかしくて泣きそうだった
    子供にとってお年玉っていうイベントは嬉しいもんなのにな

  • #11

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:28)

    教育に凄い投資してもらったが諦めつかない
    投資してくれた親には凄い感謝してるから老後の面倒は絶対見るつもりだが
    未だに些細なことで大喧嘩する二人の仲裁をこれから数十年続けると思うとお先真っ暗
    結婚する気はないから実家住みの予定で、親が死ぬまでこんな日々が続く
    だったら、普通の教育レベル+温かい家庭の方が良かったんじゃないかと思えてしまう

  • #12

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:31)

    あんたはウチの子じゃないのよって母から言われたわ
    そして大学卒業して社会人になる直前に母親から前の夫の子だと告白されたけど悲しみや怒りの感情すらわかなかった
    ふーん、あっそって感じで流した
    小中の頃に散々うるさい夫婦喧嘩を見たり父親から殴られまくったから完全に家族に対する感情が無くなってしまった
    社会人になって父親と二人で飲みに行く話を友人からよく聞くんだけど子供時代に親の喧嘩を見てると理解できない
    というか実家に帰るたびにどう接すればいいかわからないし、こんな告白までされたらなおさら両親と仲良くなんてできない
    結婚した時の感謝スピーチなんてとても考えられない
    それぐらい残酷なものだよ、生まれ育つ時の家庭環境って

  • #13

    名無し (火曜日, 21 2月 2023 15:37)

    変な言い方だが、親を見捨てられるやつは尊敬する
    クズだとわかっていても、親を見捨てることには抵抗がある
    そこまですることは無いんじゃないかという心の声が聞こえる
    その状態で見捨てても、自分で自分を責めるだけになるだろう
    ストックホルム症候群とかDVするパートナーから別れられない人の心理と同じものなのだろうか