「練鑑ブルース」 辛い過去を乗り越えて・・・

今から50年位前に、この歌が流行ったことがあります。非行少年が逮捕されて練馬鑑別所へ連行されるときの心境を歌っていたと記憶しています。
この歌は替え歌です。原曲は、可愛いスウチャン(軍歌)だと思います。

Apex product 代表 柳

「練鑑ブルース」

人里離れた塀の中
この世に地獄があろうとは
夢にも知らない娑婆の人
知らなきゃ甥らが教えようか


身から出ました錆びゆえに
厭なポリ公にぱくられて
手錠かけられ意見され
着いた所は裁判所


鬼の検事に蛇の判事
付いた罪名は傷害罪
廊下に聞こえる足音は
地獄極楽分かれ道


青いバスに乗せられて
揺られ揺られて行く先は
その名も高き練馬区の
東京少年鑑別所


薄い青テン着せられて
硬いベッドに寝かされて
三度の飯も麦しゃりで
食っちゃ寝、食っちゃ寝の鑑別所


格子の窓から空見れば
鳥はさえずり花さえも
二度とここへは来るなよと
俺に言うように論ずように


新入り新入りと馬鹿にされ
便所掃除や床掃除
三度の食事も二度、一度
夜は涙で頬濡らす


余りの辛さに耐えかねて
ぶくろの駅までずらかれば
張り込み看守にぱくられて
もとの練馬に逆戻り


一年三月の刑終えて
やっとの思いで娑婆に出りゃ
かわいいスケちゃん人の妻
おいら一人で男泣き


父さん母さん許してね
これからまじめになりますと
誓った言葉も上の空
またも踏み入る馬鹿の道

人里離れた寒いとこ
こんな所があろうとは
夢にも思わぬ娑婆の人
知らなきゃおいらが教えましょ


身から出ました錆びゆえに
嫌なポリコにパクられて
手錠はめられ意見され
着いた所が裁判所


父さん母さん許してね
これから真面目になりますと
言った意見も上の空
可愛いあの娘の事ばかり


青いバスヘと乗せられて
ゆらりゆらりと行く先は
その名もたかき堺市の
大阪少年鑑別所


小さな窓から空見れば
あの星あたりが女(スケ)の家(ヤサ)
あの子今頃何してる
写真片手に目に涙


三年三月の刑終えて
やっと出ました娑婆の空
愛しい母さん土の下
可愛いあの娘は他人(ひと)の妻


二度と会えない二親と
晴れて会うのは夢の中
布団被って十七の
初なあの日に返りたい


いつか来る春来ない春
いつか来るやら来ないやら
身から出た錆バチだけど
せめて明日天気にしておくれ  

可愛いスウチャン(初年兵哀歌)
御国の為とは言いながら
人の嫌がる軍隊に
召されて行く身の哀れさよ
可愛いスウチャンと泣き別れ

朝は早よから起こされて
雑巾がけやら掃き掃除
嫌な上等兵にいじめられ
泣く泣く送る日の長さ

乾パン齧る暇も無く
消灯喇叭は鳴り響く
五尺の寝室藁布団
ここが我等の夢の床

海山遠く隔てては
面会人とて更に無く
着いた手紙の優しさよ
可愛いスウチャンの筆の跡


御国の為とは言いながら
人の嫌がる軍隊へ
入る我等の哀れ様
可愛い彼女と泣別れ

海山遠く離れ来て
面会人とて更に無く
着いた手紙の嬉しさよ
可愛お彼女の筆の跡

日は早落ちて月が出る
古兵の履いた泥靴を
月の光に照らされて
磨く我等の哀れさよ

アンパン齧る暇も無く
消灯喇叭は鳴り響く
五尺の寝室藁布団
これが我等の夢の床

夜の夜中に起されて
嫌な勤めは不寝番
もしも居眠りしたならば
行かなきゃならぬ重営倉

七日七日の日曜も
めぐり合わす祭日も
嫌な古兵の洗濯で
涙で送る日の長さ

一期の検閲二期三期
秋季演習も早過ぎて
嫌な古兵が満期する
見送る我等の胸の中

明ければ日も早や二年兵
花咲く春は今なるぞ
精勤賞や星の数
早く彼女に知らせたい


御国の為とは言いながら
人の嫌がる軍隊に
志願で出てくる馬鹿もいる
可愛いスウチャンと泣き別れ

朝は早よから起されて
雑巾がけやら掃き掃除
嫌な上等兵にゃいじめられ
泣く泣く送る日の長さ

乾パン齧る暇も無く
消灯喇叭は鳴り響く
五尺の寝室藁布団
ここが我等の夢の床

夜の夜中に起こされて
立たなきゃならない不寝番
もしも居眠りしたならば
行かなきゃならない重営倉

海山遠く隔てては
面会人とて更に無く
着いた手紙の嬉しさよ
可愛いスウチャンの筆の跡

私は、5才の頃から両親がいなく、身内と言えば2才下の弟だけでした 。
弟は、重度の脳性麻で歩けるのですが一切話しができませんでした。
私が12才になるまで、弟と同じ施設で暮し私も弟の面倒を見ていました 。
施設や学校で弟の障害の事や親がいない事で、毎日虐めにあい
私は、心を閉ざし中学生になって不良グループに入り何時の間にか
喧嘩や窃盗や強盗と悪事を働く事がヘにも思わなくなってました 。
中学2年で少年院に入り17才まで、少年院にいました。少年院を出て、街であても無くチンピラ生活をしている時です。あるヤクザの親分と知り合いになりそれからは、親分の所に行くようになりました。親分は、私を大切にしてくれたのです。
私のそれまでの人生にはありませんでした。私は、今思うと服を一緒に買いに行ったり食事をしたり、ささいな事でも、嬉しくて嬉しくてしかたがありませんでした。兄貴や組員達も私に文句を言いながらも可愛がってくれました 。
私が22才の頃に 親分が酒の席で揉めて殺されたのです 。私は悲しくて悲しくて、親分の仇打ちに行き懲役10年の刑を受けました。 
懲役7年目の夏に 身内か特別以外は、できない初めての面会がありました 。
その面会は、弟の死報でした 。今 私は、弟が最後まで暮していた
擁護施設で働いてます。

 

 

悪さをしてると寂しさが紛れたのでしょうが、
その代償として、唯一の身内の最後を看取れなくなってしまったんですね。

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コメント: 13
  • #1

    名無し (月曜日, 10 10月 2016 11:14)

    親父もよく歌っていたけど、陸軍への恨みは聞いたことがない。

  • #2

    名無し (月曜日, 10 10月 2016 11:19)

    終戦から今年で早70年、その戦争で戦死された多くの若者は数知れず、我が日本帝国のためと尊い命をささげたのです。戦後の日本は著しく発展途上国となり、私たちの若い当時は世界一の発展途上国となり、私もそのバブル時代を過ごしていたのです。ところがバブルが弾け、経済も低迷し始めた頃に生まれたのが今の新時代の若者で、もちろん戦争もバブルも知らない年代なのです。
    その当時の兵隊さんがよく歌っていたと言う「可愛いスーちゃん」先人の思い受け取りました。記載ありがとうございます。感謝です。

  • #3

    明子 (月曜日, 10 10月 2016 11:20)

    東京少年鑑別所懐かしい練鑑!

  • #4

    通りすがりの名無し (月曜日, 10 10月 2016 11:21)

    軍隊俗謡が鑑別所俗謡になるとは面白いですね
    まさに「徴兵、懲役、一字の違い」ですね
    まあ、鑑別所と刑務所は違いますが入れられてる側から見れば同じようなもんでしょう

  • #5

    伊津 (月曜日, 10 10月 2016 11:22)

    入ってました、鑑別所17歳の冬でした。
    検事、判事のお調べで(パイ)になりました。

  • #6

    今井 斉藤 (月曜日, 10 10月 2016 11:24)

    これ聴くと昔梅宮辰夫の不良番長を思い出す。

  • #7

    起て、楯の会 (月曜日, 10 10月 2016 12:37)

    今の時代に楯の会があったら、どんな行動をしていたのだろう。尖閣諸島や竹島を守ろうとしていたかもしれない。三島由紀夫のような毅然とした日本男子がいれば、日本も、もう少し背筋の通った国になっていたかもしれない。

  • #8

    ケンブリッジ建一 (月曜日, 10 10月 2016 13:39)

    鑑別所ってなんですか?刑務所ですよね。すみません。教えて下さい。

  • #9

    百日紅 (水曜日, 12 10月 2016 10:17)

    僕は⊂((・x・))⊃ 猿すべり。
    君達人間は、アホばかり。でも少し賢くなってきたのかな❓

  • #10

    ボブマーリーJr. (水曜日, 12 10月 2016 22:09)

    勉強になります。

  • #11

    さとる (金曜日, 14 10月 2016)

    みんな、同じですよ。辛い過去を背負い生きてます。いつからでも出直せます。そう決める事が大切。過去に縛られた人生は、つまらない。人は、変われます。罪は罪。償いは、終わりました。さあ、歩き出しましょう。

  • #12

    瑠美 (金曜日, 14 10月 2016 09:46)

    さとるさん。私もそう思います。

  • #13

    (金曜日, 14 10月 2016 17:58)

    この歌は、カラオケなかなか無いですね。放送禁止になったしね。