震災で職を失いAV女優になった66歳の現実

女性の貧困が社会問題となっている。1990年代までは風俗やAV業界で働けば「高収入」が得られたが、2000年頃から人妻・熟女風俗嬢が急増し、数万円の生活費を稼ぐために普通の主婦がカラダを売っているのが現実だ。
東洋経済オンラインでは、風俗業界やアダルトビデオ業界で働く女性を取材し続けてきた中村淳彦氏のルポを「貧困女性の現場」として連載していく。そのスタートに先がけ、2月発刊の中村氏の著書『熟年売春』から、ある熟年女性が直面した貧困の実態をお伝えする。■ 4畳半の木造アパートで一人暮らし

 練馬区のある私鉄駅前。年齢66歳、元ピンサロ嬢、現在超熟AV女優の香川夕湖さんと待ち合わせた。近年、風俗嬢やAV女優に高齢女性は多い。視聴者の高齢化と若者の草食化、性の細分化で裸の世界で働く女性に実質年齢制限がなくなったためだ。風俗の世界では55歳を超える女性は「超熟女」と呼ばれている。

 「どうも、こんにちは。夕湖です」

 夕湖さんは年齢通りの老女だった。水商売の老齢ママといった雰囲気だ。何度も洗濯し、ゴムが伸びるシャツを着ている。駅から徒歩5分のアパートに一人暮らし、家族はいない。

 「このアパートは外国人と生活保護受給者ばかりですよ。1Kに4人家族で暮らす外国人もいますよ」夕湖さんは、そう言う。古びた玄関の扉を開けると、4畳半程度のおかしな形をした狭い部屋があった。部屋が四角くない。よく眺めると、建物が建つ土地が台形だった。一番手前の最も狭い101号室が自宅だった。少し傾いている。まるで、うさぎの小屋のようだと思った。

 平成25年厚生労働省は、65歳以上の女性一人暮らし世帯の貧困率は44.6%と半数近くに達したことを発表している。台形のおかしな形の老朽した部屋で暮らす夕湖さんは、明らかな貧困層だった。

 「家賃は4万8000円、狭いですよ。貧乏だけど、なんとか生活はできますよ。夜は電球を点けないでテレビを観るし。暑いときは窓を全開にしてエアコン切っているし。食生活も大丈夫です。お金が入れば、まず5キロ1500円の格安米を買います。5キロあれば1カ月半から2カ月はもつ。おかずはもやしとか安いじゃないですか、20円とか。もやしを買って肉とか魚はあまり食べないから、なんとかなりますよ」

 自宅でくつろいでいるからか、夕湖さんは饒舌だった。夕湖さんはTシャツ姿、左手首と左腕にリストカット痕があった。

 「ああ、これね。死のうとして切ったの。血がたくさん出るだけで全然死ねなかった。それでAV女優になったの」

 タングステンの電球が一つしかない部屋に、夕湖さんの低い声が不気味に響く。

■ 震災の煽りでホテルの仕事を失った

 昭和24年生まれ、団塊の世代。高齢女性が「死ねなかったのでAV女優になった」とは凄惨な話だが、その言葉を当たり前のように言う。

 「15年前に離婚して、50歳のときに一人で東京に来たんですよ。前は仙台に住んでいて、元旦那と3人の子供は仙台に置いてきた。東京に来てからはこの部屋に住んでいます。ずっと目黒のホテルでベッドメイクの仕事をしていたの。おかしくなったのは、東北の震災から。そのホテルは外人がメインのお客さんだったけど、突然旅行客がホテルに来なくなった。それでベッドメイクを解雇になった。

 私、その後に仕事を一生懸命探した。毎日、毎日探した。でも、どんなホテルに応募しても、何度ハローワークに行っても、福島の被災者が優先みたいなことを言われて断られてばかり。年齢的にも60歳過ぎて厳しくて、本当に仕事が全然見つからなかった」

 ベッドメイクの仕事は時給1000円だった。朝9時半~15時まで、月給は10万円ほど。家族から逃げて東京で暮らしてからは月給10万円、年収120万円程度の質素な生活をした。2011年に東日本大震災が起こり、突然の解雇。最低限の暮らしもできなくなった。

 「クビになったのは、震災から1カ月後くらい。2011年4月ですね。それからいくら探しても仕事は見つからなくて、クビになって半年くらいでお金が完全になくなった。仕事探すのにも面接に行くのにも電車賃がかかるじゃないですか。頑張って毎日、毎日仕事を探したけど、最終的には電車賃もなくなった」

 通帳の残高が底をつき、所持金は数枚の10円玉だけになった。部屋に閉じこもって、何日間か飲まず食わず、じっとしながら、これからどうやって生きればいいのか考えた。なにも浮かばなかった。飢えをともなう貧困である。高収入求人誌を必死に眺めると「AV女優、セクシーモデル」という募集広告があった。年齢は「18歳~70歳迄」と書いてある。

「10円玉があったから公衆電話から電話したんです。女の人が出て、私『62歳です。62歳です』って言って、すぐに面接に行った。お金がなかったからプロダクションのある新宿まで歩いて、女性のマネジャーさんに事情を話したら1万円を貸してくれました。あのときは本当に助かりました。それで採用してくれて、AV女優になった。裸になるのが恥ずかしいとか、そういうのはなにもなかったです。捨てるものとか、なにもないですし、元旦那とは絶縁状態だし。とにかく貯金がなくなって、焦って、お金が欲しかった。70歳までOKと書いてあって、仕事があったって。もしかしたらできるかも、お金になるかもと思って。あのときは、ただただよかった」

■ 62歳でAV女優デビューしたものの……

 2011年6月、超熟AV女優になった。夕湖さんはカメラの前でセックスをして数本のマニアックな超熟AVに出演する。

 「最初の数カ月間だけ、たまに仕事があった。男優さんと絡む仕事ですよ。AVに出演して5万円とかもらったことあるけど、ほとんどは3万円くらいです。最初だけ月収15万円くらいもらえて、普通に暮らせました。それでしばらくして、だんだんと撮影の仕事がなくなって、家賃も払えなくなって、もう一度ベッドメイクの仕事を探したけど、また断られてばかりで食べ物にも困るような状態になった」

 超熟AV女優は、数えるほどのメーカーしかリリースがない。覚悟を決めて裸になっても、すぐに消費される。ギャラも安く、出演料は1本3万円程度。ほとんどの超熟AV女優は多くても10本も出演すれば終わり、必然的に使い捨てとなる。

 2012年、AV出演の依頼は完全になくなった。ベッドメイクの仕事をしたくても、どこのホテルに電話しても年齢を言っただけで断られる。もやしを食べるばかりの最低限の暮らしも維持できなくなり、再び100円もなくなった。

 そもそも夕湖さんは、どうして家族を置いて仙台から逃げ、飢えをともなうレベルの貧窮に喘ぎながら、東京で一人暮らしをしなければならなかったのか。

 「離婚した旦那が最悪の人間だった。DVとかギャンブルとか。私は仙台では旦那の借金の返済に追われて、地獄だった」

 ずっと無表情でしゃべっていたが、元旦那の話になると顔をしかめてウンザリしたような顔になった。夕湖さんは22歳のとき、土建業経営者だった元旦那と結婚している。

「離婚したのは東京に逃げたときだから、15年前ですよ。もう、ずいぶん前ですね。酷過ぎる旦那だったけど、親の責任として下の子が20歳になるまで我慢しようと決めたんです。結婚生活は嫌なことしかなくて、旦那は外見もすごいデブで、なにもかも最低の人間だった。ギャンブルやめられなくて、人の財布からお金を盗っていく人だったから。お金盗られるし、暴力ふるわれるし。だから下の子が20歳になった15年前、息子の誕生日の次の日、仙台の家から黙って東京に出て来た」

 高校を卒業して、19歳からホステス。元旦那は土建系の会社経営者で客だった。しつこく口説かれて、結婚している。結婚するまでは気前のいい優しい男だったが、一緒に暮らすようになってすぐに暴力をふるうようになった。

■ ギャンブルに狂った経営者のDV夫

 「DVは凄まじくて毎日ですね。一度だけ子供の前でDVしたけど、そのとき子供に『お父さんの鬼』って言われて、それから子供がいるときは暴力ふるわなくなった。元々、そういう人間なんでしょうね。

 もう40年くらい前だけど、元旦那は結婚したとき土建系の有限会社をやっていた。経営者ですね。代表取締役で、使っている従業員の人たちがいて、新婚の頃は自分も現場仕事に出ていたけど、そのうちギャンブルとか賭場に出入りしだした。仕事に行かないどころか、家にも帰って来なくなった。従業員の人たちも、社長の賭博狂いに嫌気が差してみんな辞めちゃって。経営がおかしくなって、不渡り2度だして倒産させているんです。それから借金取りとか、自宅に毎日、毎日来る。借金取りが家に来ても、本人はいつも家にはいないから、私が脅されるわけ。借金取りの人に『見ていてあまりにもかわいそうだから、離婚した方がいい』って言われて。そうすれば楽になるって。子供はまだ小学生だし、離婚は無理だと思って、私が昼夜働いて借金返済した」

 借金取りに対して、なんの規制もない時代である。昼夜問わずに自宅にやってきて、恫喝と脅迫。ダンプやユンボ、自宅を売却しても全然返済額には達することはなく、数千万円の借金が残った。

 「玄関に“金返せ、ドロボー”とか貼り紙を貼られたり。すごかった。借金は、銀行は当然、いろんなところ。サラ金とか闇金にも手をだして。本人はお金を借りても返済するんじゃなくて、賭場に持っていく。本人は借金を返さない。私が働いてちょこちょこ返した。結局、何千万円ってあったから、働いて返せる金額じゃなかったけど」

借金を背負わされた夕湖さんは、昼は飲食店でパート。夜はホステスを辞めて、時給のいいピンサロで働いた。

 「借金抱えたのは長女が小学生のときだから、30代。その頃はけっこうお客を呼んで、月50万円か60万円はもらっていた。旦那は倒産した後、タクシーに乗った。タクシーで勤務しても、車をどこかに隠してパチンコに行く。だから給料はほとんど入れてもらえなかった。人間の屑ですよ。飲食店と風俗しながら、子育てはなんとかやりましたよ」

 働き詰めの生活が祟って45歳でカラダを壊し、風俗嬢を引退している。それから仕事は、ずっとホテルのベッドメイキングである。

 「元旦那は去年死んだ。汚い生き方をしてきた人だから、死んだときに兄弟、親戚、友達、誰一人も葬式に来なかったって。子供3人だけで通夜と葬式をしたって。最低。旦那のお姉さんは生きているけど、『死んで清々した』って。それくらい酷い男。息子には言いましたよ。『あんた、この惨めな葬式を覚えておけ』って。『あんたは間違っても、そういう生き方はしないでね』って」

 そして50歳。下の息子が20歳の誕生日の翌日、夕湖さんは単身で東京に逃げた。3人の子供は仙台で独立し、現在はそれぞれの生活を送っている。

■ 空腹で死のうと思って手首を切った

 話を戻そう。夕湖さんは「70歳まで可」というAVプロダクションの求人に飛びつき、超熟AV女優になった。AV女優として細々と活動できたのは半年程度。使い捨てられた。そして再び貧窮状態に陥る。

 「あれは2年半くらい前かな。100円もなくなっちゃって、何日間かは飲まず食わず、お米もなくなって、この部屋に閉じ籠って動かないで我慢した。動かなくてもお腹が空くわけで、1週間くらいでどうにもならなくなって、死のうかなって頭に浮かんだ。本当に死のうと思って、包丁で手首を切ったんですよ。切ったのは、あそこの玄関のあたりですね。けど、血がだらだらでるだけで、全然死ななくて。紐でくくって部屋で首を吊ろうと思った。紐みたいなのを見つけて首輪を作ったけど、ここで自殺しちゃうと大家さんとかに迷惑かかるなって。それで首つりは諦めて、包丁を持ってそこの公園に行ったんです。誰もいなかったし、大丈夫かなって、カラダを刺して死のうとしたけど、どうしても包丁を自分のカラダに刺す勇気がなかった」

 部屋は天井が高く、ロフトがある。部屋の灯りは電球が一個で薄暗い。夕湖さんがこの部屋で首を吊り、ロフトからぶら下がる姿は容易に想像ができた。寒気がした。

 時計を眺めると20時、外は暗かった。自殺の話をする夕湖さんがタングステンの灯に浮かびあがり、気持ち悪さを超えて怖くなった。私は話を遮って外に出ようとしたが、夕湖さんは無表情で語りながら近づいてくる。

「60歳過ぎてから、友達もどんどん自殺しているの。みんな死んじゃったから、私も死のうかなって。死ぬのがこわいってわけじゃなくて、自分を包丁で刺すのができなかっただけ。だって仕事もお金もなくて、ずっと空腹でしょ。そんなんで生きていてもしょうがないし、生きていく術もないし」

 夕湖さんは台の下にあるビニール袋から手帳を取りだした。自筆の文字が綴られている手帳をペラペラとめくり、「これ友達、みんな死んじゃった」とあるページを見せてくれた。

 友人らの名前とともに「電車に飛び込み」「投身自殺」「飛び降り」など、薄暗い電球の灯りからゾッとする文字が浮かぶ。地元の同級生や、東京でできた友人たちが60歳を超えて、続々と自殺しているようだった。あまりにも多すぎる。

■ 逮捕、留置場、そして福祉

 「みんな60歳過ぎて、生きていけないから自殺しちゃった。苦しんでいるのは、私だけじゃないの。でも、私はみんなみたいに死ねなくて、ダメだと思った。どこまでもダメな人間だって。死ぬには首を切るのが一番でしょ。何度も何度も首を切ろうとしたけど、どうしてもダメで、包丁を持ったまま駅前の交番に行った。交番でおまわりさんに死ねなかった事情を話して、包丁を出したんです。そしたら刃渡りを測って、銃刀法違反で現行犯逮捕って。その場で手錠されて、逮捕された。なんか大騒ぎになって、パトカーで警察署の留置場に連れて行かれた」

 腰縄をつけられて、10日間拘留。毎日、刑事と検事の取り調べがあった。何度も訊かれる「どうして?」という質問に、飲まず食わずで自殺しようとした、とそのまま同じことを話している。

 「検事さんに『あなた来るところ間違っているよ』って言われました。警察じゃなくて、福祉でしょうって。検事さんは『事情が事情だから』って不起訴にしてくれた。書いてくれた保護カードを持って『福祉事務所に行きなさい』って。釈放されて、そのまま福祉事務所に行きました。保護カードを見せたらケースワーカーの人が事情を聞いてくれた。それで、すぐにお金が出ました。生活保護です。本当に助かりました。そのとき精神的にもおかしくなっていて、福祉事務所は精神病院も紹介してくれた。留置場では、全然眠れなかったし。精神病院には今も通院して、睡眠薬と安定剤をもらっています。それから、ずっと生活保護ですよ」

 時給1000円のパートを解雇になって超熟AV女優、自殺未遂、留置所と遠まわりをして、ようやく福祉にたどり着いている。

 日本の高齢者の貧困は餓死をともなうレベルになっている。夕湖さんのケースは氷山の一角で、現在は裸になってセックスを売っても、一時期が救われるモラトリアムに過ぎない。裸の世界は最後のセーフティネットとして機能せず、カラダを売っても最低限の生活すらできない現実がある。そして、追い詰められる人々の多くは生活保護制度を知らなかったりする。

 「今は生きてはいける。けど、一人が寂しくてツライ。私は死ねないから、このまま死ぬのを待っているだけ」

 最後、夕湖さんは溜息まじりに、そうつぶやいた。

中村 淳彦

最終更新:4月27日(水)6時5分

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