懐かしのディスコ&竹の子族 Apex product

初春の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。 さて、このたび弊社は創立10周年を迎えるに至りました。 皆様方のご支援、ご厚情による賜物と深く感謝いたしております。
とうとう、10周年を迎えることができました。2013年の3月から数えて、10年が経ったわけです。どんなことでも、毎日10年やり続けられたら、一丁前になれるとある作家の方が言われていました。このことばを、一番信じていたのは、私達だったのかもしれません。大変なようで意外に短い期間のようでしたが、そして、とうとう待ち望んでいた10年に到達しました。これもひとえに皆様のおかげであると感謝をしております。の10年に向けて新しいスタートを切るにあたりどのようなことが必要になってきているかを日々考えてきました。私どもは伝えること、元気になること、頑張りたい人たちのきっかけとなり、力いっぱい背中を押す役割になることができますよう、幅広い視野を持ち常にチャレンジ精神を持って、皆様のご期待にお応えできるよう従業員一同最大限の努力をしてまいります。今後も格別のご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
2023年 3月吉日 Apex product 代表 柳伸雄

新宿(にいやど)は、池袋(ブクロ)・

六本木(ギロッポン)より怖い話!!

ハローミスターモンキーが好きです。

 

当時のくだらない話を致します。私が通っていたディスコは、カンタベリー・ツバキハウス・ニューヨークニューヨークでした。ほとんど毎日三件をはしごしていました。踊りが好きなのもありましたがストレス発散と、田舎には、まともなディスコが無かったからです。確かに一件ありましたよ。キャベツ畑の端に。キャベツが腐って何とも言えない臭いでした。近くの牛舎の臭いとあいまってそれはそれは、うんざりでした。お酒もカクテルが中心で何でもフリーなので、色々飲んだのを覚えています。特に頻繁に出入りしていたのが、ニューヨークニューヨークです。キーホルダーがパスがわりで、センスあると思ったからです。灰皿やライターも、常連になるとオーナーからもらったりしました。オールしても全然大丈夫だった時代です。今では考えられません。1000円2000円で飲んで踊って、知らない人と(VIP客)友達になりご馳走してもらってるので、遊んでも遊んでも財布の金が減らない。あれが今考えるとバブルの時代だったんですね。ごちになります!! こんな調子で毎晩楽しくやってました。踊りはロボット中心でしたが、皆で鏡の前で曲に合わせて練習するのも楽しかったです。たまに地下のサウナで仮眠とりましたが、入墨だらけでした。暑いサウナは、駄目なので普通のサウナに入ったら、やばいやばい。全員もんもんだらけでした。間違いなく怪しい集団。「あれ。ここ入墨お断りじゃないの?」私の心のこえでした。勿論口に出す勇気などございません。黙って座って少ししたら出るつもりでした。テレビを見ながら気持ちを落ち着けて、そろそろ出ようと腰を上げた瞬間。

「あら。あんたよく見るわね。上のディスコで」ぞぞぞぞ。

入墨愛好家のおかまちゃんでした。「今度、二丁目来なさいよ。来なかったら○○○とっちゃうからね」ですって。怖すぎる。それからあまり新宿のディスコで踊らなくなりました。チャンチャン 加齢なる親父より

【 DISCO 】 70年代~80年代

ディスコ・ブーム

 Wikiから『1978年、ジョン・トラボルタ主演の映画 「サタデー・ナイト・フィーバー」が日本公開されて大ヒットすると、新宿、渋谷、上野、池袋などの繁華街に多数のディスコが開業した。大勢の「ディスコでフィバる(熱狂する、の意)」若者を生み、・・・70年末からABBAやBee Gees、Chic、Boys Town Gangなどが流行、次いでYMOのテクノブームにより、テクノカットと呼ばれる、YMO風にもみ上げを鋭角にカットした刈り上げに、JUNやROPEのモノトーンスーツ姿がフロアのダンサーの大半を占めたこともあった。』 時代は竹の子族がホコ天で溢れていた頃です。DJという職業が確立したのも、この時代です。若者達の憧れの職業に躍り出ます。
 新宿歌舞伎町には300坪を超える大型店が次々とオープンします。週末にはディスコを訪れる人だけで3万人いたとされ、20を超えるディスコがあり、有名どころとで、「カンタベリーハウス」、「ニューヨーク」、「B&B」、「シンデレラ」、「アップルハウス」、国内最大で、2000人が入るダンスフロアをもっていた「ビックトゥゲザー」、「ブラックシープ」、「インディペンデントハウス」等々があったと言います。

 

新宿テアトルビル5Fに入っていたニュ-ウエ-ブ系のディスコ「ツバキハウス」、2丁目の「フルハウス」。中でもツバキハウスは宝島などの雑誌に取り上げられ、毎週火曜日に行われるロンドン・ナイツのDJ大貫憲章さんも有名になります。東京庭園というブログに当時の経験談が掲載されていました。リンクをどうぞ。こういうブログは何時まで掲載されているか分からないので、ツバキハウスのことに書かれた部分を一部、引用しておきます。
 『「新宿ツバキハウス」は新宿区新宿テアトルビル5Fに入っていたニュ-ウエ-ブ系のディスコだった。今はもう無い。当時「ディスコ」といったらソウル系の曲をかけるところがほとんどだったので、この店にその名称は不適切な気もするが、当時は「クラブ」ということばもなかったので仕方がない。
 ツバキハウスはテクノ流行の頃にはもうあって、雑誌に取り上げられる80年代初頭のテクノ系ディスコといったら、新宿二丁目の「フルハウス」かこの「ツバキハウス」だった。
有名な「ロンドン・ナイト」や「ヘビメタ・ナイト」は少し後になってからの企画だったと記憶している。・・・ツバキハウスの営業はもともと始発が動く少し前までであったが、新宿でディスコ帰りの娘が殺害されるという事件があり風営法が改正されてからは0時閉店を余儀無くさせられていた。当時のディスコでは珍しい、ロックファンの聖地のような場所だった。 』

 歌舞伎町のディスコはすべて千円程度で飲み食いでき、朝までいることで“顔”になる、常連客として優遇されたとあります。当時は、何軒かのディスコをはしごするのが当然であったようです。

82年、中学3年生の2人の少女がディスコの帰りに殺害される「新宿ディスコ殺人事件(未解決」が起こり、深夜営業の禁止・未成年者の入店規制など取締りによって、新宿のディスコは衰退していきますが、それに取って代わるように六本木が主役に躍り出てきます。


 
ディスコの聖地のスクエアビルは、地上10階、地下2階は1階、4階以外はすべてディスコで埋め尽くされ、ここにも週末1万人が押し寄せたといいます。スクエアビル内の「玉椿」、「JAVA-JIVE」、「GIZA」、「VENUS」、「BINGO BANGO BONGO」、「NEPENTA」、「fou-fou」、「KISSRADIO」、「レキシントン・クイーン」。 そしてサーフィン・ブームから、サーファー専用のディスコ、伝説の「キサナドゥ」が79年にオープンします。当時のスクエアビルなどの事情が詳しく掲載されているページがありましたのでリンクしておきます。2011年に亡くなられた谷本捷三氏は当時、スクエアビルの中に10軒のディスコを持っていたとされていますし、バブル時代には60軒のディスコを経営していたといいます。六本木の帝王という言葉は安易ですが、当時の雰囲気を伝えるものです。

 もうバブル時代は目の前に来ています。このディスコ・ブームが、マハラジャ、ジュリアナを誕生させる巨大なエネルギーになっていったのです。

オープン 店 名 所 在 地 備 考
'66 THE OTHER 新宿三丁目 オーナー福岡博之氏
'66 Crazy Spot 渋谷仁丹ビル裏 ジュークボックス式
'66(?) アングラポップ 新宿歌舞伎町 ソウル系 絨毯バー
'60年代後半 サンダーバード 新宿
'60年代後半 ナック・ザ・ボーイ 新宿
'60年代後半 怪人20面相 新宿
'60年代後半 リフレクション 新宿
'70年頃 スペース24 新宿
'70年ごろ スネーク 新宿
'68~
'87.2.15
MUGEN 赤坂3-8-17
CAESAR'S PALACE B1,B2
Pro.浜野安宏氏 生バンドの演奏
ウルフマンジャック、アイク&ティナターナー出演
'89.12.4~
'95
RONDE CLUB パンジャパンビルB1 日拓アミューズメント㈱
現キャバレー「Gentleman's Club」
'71~
'87.2.15
BYBLOS CAESAR'S PALACE1F,2F WORLD FAMOUS
日本で初めて服装チェックのシステム
'70年頃 アナグラ 赤坂
'70年頃 ゲットレディ
'71~'82 Get 新宿3-35-10
ローヤルプリンスビル4F
店長ニック岡井氏「若者のプラザ」
'78.4.26
17:00~
Pop Corn 歌舞伎町1-18-1
モナミビル7F,8F
7Fにダンスフロア
'60年代後半 CHECK 新宿 ソウル系
'60年代後半 らせん階段 新宿 ソウル系
'60年代後半 LSD 新宿 ソウル系
'60年代後半 ヤングメイト 新宿
'60年代後半 ベイビーグランド 新宿
'60年代 Pulse Beat 青山
'73~'77 スーパーコップス 赤坂3-9 メビウスOBの店
'70年代初中期~
'70年代中後期
フランス乞食 赤坂3-7 ソウル系 メビウスOBの店 小箱
'70年代 シンデレラ 赤坂2-14
'70年代 シェルハウス 赤坂6-14-1
ホテル陽光1F
'70年代半ば SOUL TRAIN
(PART Ⅰ)
新宿3-36-13
みよしビル3F
'70年代半ば SOUL TRAIN
(PART Ⅱ)
渋・神南1-22-7
岩本ビル3F
'70年代前半 tomorrow 新宿歌舞伎町29-3
東京スタッセ4F
スタッセグループ 中箱
'74年(?)~ Tomorrow U.S.A. 東宝会館7F キャパ800人以上の大箱
'73~ HAREM 赤坂3-21-15
東都ビルB1
「ハレム」黒人が多く独特の雰囲気
'70年代半ば ボンゴ 豊・池袋東口
西武デパート前
富士ビル5F
フロアは広く大人のムード
'70年代 White House 赤坂4-7-17 '70年代後半~'80年代始め
「BLACK & WHITE」となる
'80年代末 キャメル 赤坂4-7-17
'74~
'80年代
MANHATTAN 赤坂6-6-28
カムフィホームズB1
店長はドン勝本氏
'70年代後半 BOOTSY 赤坂3-9-4
扇やビル4F
ブッチー 店長は江守靄氏
'70年代半ば アップルハウス 新宿歌舞伎町27
中台ビル4F
日本アミューズメント㈱
DJブースがゴンドラで降下の大箱
(230坪) DJと生バンドが入る
'75~ BLACK SHEEP 歌舞伎町27-2
千代田ビルB1
生演奏有 ソウル系 大箱
'75~
'82
チェスターバリー 新宿歌舞伎町 パブライフ・チェスターバリー・チェーン
生バンドと半々
'70年代半ば~
後半
MILKY WAY 新宿歌舞伎町2-25-2
アラオビル3F
パブライフ・チェスターバリー・チェーン
'70年代半ば BLACK BOX 新宿5-4-1
QフラットビルB1
ゲイディスコのはしり
白人率高し
'70年代 MUGEN 新宿歌舞伎町18
モナミビル2F,3F
ソウル系
'70年代 Viva Young 新宿駅東口
ヒカリ会館4F
NKGパブチェーン
上野・千葉・新原町田にもあった
'70年代 ファンキーディスコ
V-ONE
新宿 NKGパブチェーン
'70年代 ファンキーディスコ
Q & B
西武新宿駅前
クインビー会館4F
NKGパブチェーン
'70年代半ば~
'80年代
CRAZY HORSE 歌舞伎町18
モナミビル5F
日新物産 バンドの生演奏
'70年代 キャステル 新宿 日新物産
'70年代 Scat 歌舞伎町1-12-6
歌舞伎町ビル3F
金曜日にオカマ・ダンス・コンテスト
'70年代 プレイハウス 歌舞伎町1-20-1
新宿ジョイパックビル4F
'70年代末 NEW YORK NEW YORK 新宿ジョイパックビル4F JOYPACK DISCO GROUP
'70年代 Big together 歌舞伎町1-19-2
東宝会館4F
スタッセグループ
プロのダンスショー
HELLO HOLIDAY 東宝会館4F
'80年代前半 XENON 東宝会館4F JOYPACK DISCO GROUP
現「CODE」
'80年頃~ ONE PLUS ONE 東宝会館6F '82.6に女子中学生殺人事件
'90年代初頭 NAPA j 東宝会館6F カラオケルーム
パーティールーム併設
CARNIVAL HOUSE 歌舞伎町1-21-1
東亜会館7F
「The Carnival」に改称
CIRCUS CIRCUS 東亜会館7F 後に「G.B. RABBITS」
82('83?)~
'90年代半ば
G.B. RABBITS 東亜会館7F Aプロ
'70年代半ば Independent House 東亜会館6F 後に「B & B」
'80年代 B & B 東亜会館6F サーファー系「Beach Breeze」の略
後に「CENTURY TWENTY-ONE」
'80年代後半 CENTURY TWENTY-ONE 東亜会館6F Aプロ ブラック系
カラオケルーム併設
'70年代末 Cinderella 東亜会館5F 映画サタデーナイト・フィーバー
そのままの雰囲気
'80年頃 カンタベリーハウス
シンデレラ館
東亜会館5F
'70年代後半~ カンタベリーハウス
ギリシャ館
東亜会館4F 新宿のファッション・ディスコ人気No.1
後に「GREECE」
'80年代 CH-Greece 東亜会館4F パラパラが盛ん
'70年代後半~ カンタベリーハウス
BIBA館
東亜会館3F 後に「ZEBRA」
ZEBRA 東亜会館3F
アイ 新宿3-36-16
国際会館ビル5F
'80年代 シャンゼリゼ 新宿
'82~ Samba Club Regency 西新宿2-7-2
ホテルセンチュリーハイアット1F
「六本木Regency」と同じ経営母体
Aプロ JOYPACK DISCO GROUP
'80年代 MOON CHILD CLUB 西新宿6-6-2
ヒルトンインターナショナルB1
Aプロ カラオケルーム5室併設
'80年代 カヤン 新宿
'80年代 Slap Me 5 新宿 ブラック系
'80年代 シャンバラ 新宿
'70年代後半 カンタベリーハウス
ペルシャ館
新宿三愛ビル4F
'80年代初め PUKA PUKA 新宿三愛ビル4F trfのDJ KOO氏が回していた
'78.5~ BOOGIE BOY 新宿2-18-5 ボーイズタウンディスコ
クレオ・パラッツィ 新宿
'75~'87 TSUBAKI HOUSE 新宿3-14-20
テアトルビル5F
火曜日ロンドンナイト
日曜日ヘヴィメタルナイトの歴史的名店
'80年代 JAVA-BAY 新宿3-14-20
テアトルビル5F
Aプロ
「TSUBAKI HOUSE」の後
'79~ RADIO CITY 新宿3-13-2
新宿文化ビルB1
大和実業㈱
'86.4~ RADIO CITY 千・有楽町1-5-2
東宝ツインタワービルB2,B3
大和実業㈱
学生お断り
'70年代 ウェディング・ロード 銀座8-9-4
産金ビルB1
後に「GALERIE」
GALERIE 産金ビルB1 パブ・ギャラリー
シーザース・パレス 銀座
JULIUS CAESAR 銀座8-5-6
中島商事ビル地階
'80年代後半~ CHIC 銀座5-10-6
第一銀座ビルB1
'80年代後半~ DAY BY DAY
DR・AN 銀座
'80年代後半~ CYGNUS 中・銀座8-6-18
第5秀和ビルB2
アンティークな雰囲気
70'sソウル中心
'80年代後半~ オビウム
'91.5.14~
'94.8.31
JULIANA'S TOKYO 芝浦1-13-10
東京ポートボール1F
多くの伝説を残す
~'93.12.31 O'BAR 2218 芝浦2-2-18 東海海運
滝があった
'89~ GOLD (芝浦)海岸3-1-6 7階建の倉庫を改造
佐藤篤氏のインテリアデザイン
'70年代半ば Whiskey A Go Go 青山5-9-12
アイサクビル3F
ジャンジャン 青山
'80年代 ヒップフェロー 青山
'86.12.8~
'93.12.31
King & Queen 港・北青山3-5-12
クリスタルビルB1
跡地は「ZZEX(ジェックス)」を経て
「ミューズ」(クラブ)
'90年代初頭 Ma Sarle 南青山3-1-5
ラ・クラースビルB1F
赤坂米穀グループ
'70年代後半 IVERIA 渋・神宮前6-5-3
イベリアビル7F
'80年代 club D 渋・神宮前2-33-12 札幌にもあった
'70年代後半 パブ野郎 渋・道玄坂2-3-2
大外ビル8F
'82~ Pithecanthropus 原宿 Pro.桑原茂一氏
デザインは安部讃平氏
スタジオハッチ 渋谷
'80年代初頭 LA SCALA 渋谷JOYPACKビル3F,4F JOYPACK DISCO GROUP
'81~ Candy Candy 渋・道玄坂2-3-2
大和銀行ビル6F
後に「PARADIAM」
'80年代後半 PARADIAM 大和銀行ビル6F
'70年代後半 Star Woods 渋・宇田川町33-1
グランド東京ビル2F,3F
後に「SPAZIO」
'80年代初頭 SPAZIO グランド東京ビル2F,3F 後に「Gaudi」
'90~ Gaudi グランド東京ビル2F,3F
'80年代後半 big Apple 渋谷区宇田川町21-6
MINEGISHIビル8F
センター街入口
'70年代 BLACK SHEEP 渋・宇田川町25-3
プリンスビル4F
'86.10.24~ LAYLA 渋・宇田川町29-4
ゼンモールビルB2
ライラ 音ユーロビート
'80年代後半 ZYX 渋・宇田川町3-5
LICAビル3F
フリードリンク・フリーフード
音ユーロビート
渋谷
HOT POINT 渋谷 ソウル系
HIP HOP 渋谷 ソウル系
'80年代 JUERGA 渋谷チトセ会館2F フェルガ 現在「カラオケ館」
'80年代 ABBA 渋谷チトセ会館
'80年代 ZIP 渋・神南1-17-7
ZIPビルB1,B2
'87.12.1~ S. I. joe 渋・道玄坂1-17-9
ホテルP&AプラザB1F
サウンドPro. M.I.D.
'80年代中期 MAHARAJA JUNIOR 渋・宇田川町30-5
JOWビル9F
後に「MAHARANI」を経て
「マハラジャ倶楽部」(パブ)
現在「L's」
'87.6~ J TRIP BAR
DANCE HALL
渋・宇田川町13-16
国際ビルB2
'91.6~
「J TRIP BAR DANCE FACTORY」
'90.12.23~ FLW 渋・恵比寿西1-34-17
Za HOUSE B1,B2
カジノを併設
'70年代 BLACK SHEEP 上野2-9-6
大和ビル3F
新宿と渋谷にも
'80年代初頭 SPANGLE 上野 大島ビル4F
'91年秋~
'95
ARX 上野4-9-6
ナガフジビルB1
日拓アミューズメント㈱
サラリーマン・OLをターゲット
'89~'91 サイカ 汐留
CRONOS 千・内幸町1-7-8 サウンドPro.磯辺俊次郎氏
'70年代半ば クラブ・セック 不明
'80年代 SHIRO 吉祥寺 ブラック系
'70年代半ば~
'80年代
ADAMS APPLE 豊・西池袋1-37-12
ローズ会館7F
池袋初のバイキング付ディスコ
HOT LINE 高田馬場
'70年代 J & R 銀座5-4-9
阿修羅 蒲田
'85年頃 VEGLIA 赤坂4-7 料理はイタリアン
'90.5.16~ TYO 目・自由が丘1-10-4
マイリッチビルB1
演出にシャボン玉の機械
ドミノ 立川
ベルファン 吉祥寺
'70年代後半~
'81
Studio54 吉祥寺
'70年代半ば Indipendent House 吉祥寺本町1-10-1
イナリヤ会館7F
'88.7~
'90.12
MZA ARIAKE
クラブ・ガディル
江・有明1-3-27
'90.9.21~ 3D CLUB TOKYO 北・王子1-18-5
アークホテルビルB1
洞窟っぽい
5spot 自由が丘
ブルドッグ 蒲田
'70年代 テンミニッツ 上野2-11-18
'70年代 BLACK SHEEP 上野2-9-6
大和ビル3F
'70年代 ジャック&ベティ 豊・西池袋1-3-11
'70年代 アリマ 葛・西新小岩1-10-1
カニ谷ビル4F
'70年代 720 中野5-56-15
'70年代 ピラミッド 葛・新小岩1-46-3
東栄ビル
'88.12~ M-CARLO 中・銀座7-5-4 毛利ビルB2
'70年代 ピンクパンサー
'70年代 ソウルハウス・ゴー
'90年代初頭~ GRACE CASTEL 渋・神宮前2-22-12
'90年代初頭~ La duc 渋・神南1-18-7
12ヵ月ビルB3

新宿N.Y.N.Y.@MARRS 

1968年〜1969年 頃
困っちゃうナーの山本リンダじゃなくて(^_^)
井上リンダ(当時18歳)オランダ系ハーフ!!
モデルを経て【赤坂マノス】の人気ゴーゴーガール(-_^)

「ダンシング・クイーン」(原題:Dancing Queen)は、スウェーデンのコーラス・グループ、ABBAが1976年にリリースしたシングル。作詞及び作曲は、ベニー・アンダーソン(Benny Andersson)とスティッグ・アンダーソン(Stig Andersson)とビョルン・ウルヴァース(Björn Ulvaeus)。公式に初めて披露されたのは、1976年6月18日に結婚したグスタフ16世の結婚披露宴の際。この模様はスウェーデン国営放送で放送されている。ビルボード(Billboard)誌では、1977年4月9日に、週間ランキング1位を獲得[2]。ビルボード誌1977年年間ランキングでは27位。全英シングルチャートにおいては1976年9月4日〜10月9日にかけて6週連続1位に輝き、1976年間チャートでは4位にランクインしている。世界13か国で1位となり、全世界で300万枚、日本で50万枚を売り上げた。

【 竹の子族 】

竹の子族(たけのこぞく)とは、野外で独特の派手な衣装でディスコサウンドにあわせて「ステップダンス」を踊るという風俗またその参加者の総称。

1980年代前半東京都原宿代々木公園横に設けられた歩行者天国でラジカセを囲み路上で踊っていた。ブーム最盛期は1980年昭和55年)で、この頃には名古屋等地方都市の公園や、東京では吉祥寺や池袋でも小規模ながら竹の子族が踊っていたという。

2012/03/30 に公開

80年代初め、毎週日曜日になると東京原宿の代々木公園前の歩行者天国には 派手で奇抜なファッションに身を包んだ若者達が集まり、アラベスクやジンギスカン等の­ディスコ音楽にあわせて集団で踊っていた。その数約2000人(全盛時)。いわゆるこ­れが「竹の子族」である。

概要

グループは主に首都圏の中学・高校生で構成され、歩行者天国が開催される休祭日に原宿歩行者天国(ホコ天)に集合し、ホコ天終了時まで踊っていた。また、歩行者天国が開催されなかった場合は、代々木公園内や公園入口、NHK渋谷方面へ向かう歩道橋近辺であった。

「竹の子族」の若者たちで原宿歩行者天国は溢れかえり、そのブーム最盛期にはメンバーが2,000名以上いたといわれている。ラジカセから流す曲は主にディスコサウンドが中心であった(「アラベスク」「ヴィレッジ・ピープル」「ジンギスカン」等の80年代キャンディーポップス)。

竹の子族の衣装は、そのチームごとに特色のある衣装をデザインし制作していた。これらは主に原色と大きな柄物の生地を多用したファッションで、アラビアンナイトの世界のような奇想天外なシルエットが注目を集め、化粧についても男女問わず多くの注目を引こうと鮮やかなメイクをしていた。竹の子族の生みの親として広く知られるようになった大竹竹則がオーナーを務める『ブティック竹の子』では、竹の子族ブーム全盛期の1980年(昭和55年)、竹の子族向けの衣装が年間10万着も販売されたという

ブティック・竹の子

「竹の子族」の由来は諸説あるが、自作以外の衣装を1978年昭和53年)に開業した「ブティック・竹の子」で購入していたことが「竹の子族」の由来の一つと言われている。街頭や路上で若者グループが音楽に合わせてパフォーマンスを表現するブームの先駆けともいえる。

若者集団の文化、ファッションとしても、1980年代前半で注目されるキーワードのひとつ。清水宏次朗沖田浩之も、街頭でスカウトされ芸能界にデビューした元竹の子族である。

それぞれの振り付けはチーム毎によって異なる場合が多い。

経過

1970年後半、東京新宿のディスコで流行ったステップダンスが始まりと言われている。

1980年初め、毎週日曜日の原宿代々木公園横の歩行者天国には、竹の子族のチーム約50グループ、メンバーがおよそ2000人に膨れあがっていた。 初期メンバーは30人前後であり、1年間で100倍近くに膨れ上がったことになる。 当の竹の子族以上に、ギャラリーの数も想像を超えるほど急増していた。毎週日曜日になるとおよそ10万人近くが「原宿ホコ天」に集まり、原宿歩行者天国は端から端まで身動きがとれなくなることも多々あった。

1980年後半、ローラーや、バンド、ブレイクダンス等、多様なパフォーマンス集団に押され、竹の子族ブームは下火になっていった。

1996年から1997年にかけての代々木公園前歩行者天国試験廃止および1998年8月31日の歩行者天国完全廃止と共に原宿から撤退、東京新宿のディスコに活動の場を移す。

2012年現在も当時のメンバーが中心となり、新メンバーを含む【平成竹の子族】として、clubイベント【原宿ホコ天Night☆】を毎月第二土曜日の夜【東京上野のオマール海老のイタリアンロブス】で開催、 このイベントは当時を全く知らない参加者の当日参加も可能である

尚イベントスペースであるオマール海老のイタリアンロブスは他の週末にはブライダルなどの各種イベントにも貸し切りが可能である

また竹の子族の基本概念である野外でのイベントも開催している。

平成竹の子族 in 東京・浅草

主なグループ

※五十音順

  • 愛・愛 (あいあい)
  • 愛・花・夢 (あい・か・む)
  • 愛羅舞優(あいらぶゆう)
  • 加速装置 (アクセル)
  • 唖朶琉斗 (アダルト)
  • 悪夢瑠(アムール)
  • 異次元 (いじげん)
  • 一心会 (いっしんかい)
  • 一日一善 (いちにちいちぜん・ヒョウ柄の衣装を特許にしていたチーム)
  • 一日一善・紅(くれない)
  • 一日一善・北斗(ホクト)
  • イマジネーション
  • 恵女羅流怒(エメラルド)
  • Elegance (エレガンス)
  • 天使(エンジェルス)
  • エンドレスサマー
  • 緒巣架留(オスカル)
  • 可愛娘不理子(かわいこぶりっこ)
  • クリスタル
  • 幻遊会 (げんゆうかい)
  • 西遊記(さいゆうき)
  • 沙汰泥夜 (サタデーナイト)
  • 皇帝(シーザー)
  • 嫉妬心 (ジェラシー)
  • 呪浬悦賭 (ジュリエット)
  • 獅利亜巣 (シリアス)
  • 紫流美亜(シルビア)
  • 神義嫌 (ジンギスカン)
  • 竹取物語 (たけとりものがたり。「異次元」から分裂して出来たチーム)
  • 怒羅絵門(ドラえもん)
  • 夢幻(ドリーム)
  • PAJAMAS(パジャマズ)
  • 破恋夢(ハーレム)
  • 犯婦禁 (パンプキン)
  • 英雄 (ヒーロー)
  • 卑弥呼(ひみこ)
  • 微笑天使(びしょうてんし)
  • 妖精(フェアリー)
  • 不恋達 (フレンズ・ラメサテンの衣装を特許にしていたチーム)
  • 男女マジシャン(ペアマジシャン)
  • 翼馬(ペガサス)
  • 魔呪夢亜 (マジムア)
  • マリア
  • 命(みこと)
  • 流星(ミーティア)
  • ミッキーマウス
  • 未来(みらい)
  • 夢英瑠 (ムエル)
  • 憂斗妃鳴 (ユートピア)
  • 妖貴妃(ようきひ)
  • 来夢(らいむ)
  • ラブリーズ
  • 乱奈阿珠 (ランナーズ。沖田浩之が所属したチーム)
  • 龍虎舞人 (りゅうこぶじん)
  • 琉珠 (ルージュ)
  • 流紫亜 (ルシア)
  • 紅玉蘭 (ルビー)
  • 麗堕亜巣(レイダース)
  • 麗羅 (レイラ)
  • 麗院宝(レインボー)

主な事件

  • 1980年(昭和55年)4月14日 「竹の子族」襲われる。(朝日)
    東京代々木公園で昨夏から日曜になると歩行者天国に派手な格好をした若者たちが集まり、青空ディスコを繰り広げ話題を集めていたが、13日の夜にこの路上ディスコグループが、以前から対立していた公園内の「のぞきグループ」に襲われ、高校生3人が頭にけがをした。
  • 1983年(昭和58年)10月 暴力団と竹の子族リーダー100万円を脅し取る。
    「お前たちが思いきり踊れるよう、ヤクザから守ってやる」と竹の子族の少年ら300人から「踊り代」として計数百万円を脅し取っていた暴力団構成員と竹の子族グループの総リーダーら3人を恐喝で逮捕という事件も起きた。

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