いつも、ご訪問頂きありがとうございます。
2011年3月11日の東日本大震災と、東京電力福島第1原発事故から4年。犠牲者は1万8000人を超え、いまだ20万人以上が避難生活を送っています。一方、復興への取り組みは本格化し、産業面など新たなモデルを目指す試みもあります。東日本大震災に関連するニュースをまとめました。ご覧下さい。そして忘れないで下さい。
まだまだ、これからです。私達に出来ることをやっていきましょう。
今も苦しんでいる全ての人に、笑顔が戻るその日まで。援助支援活動は続きます。震災で亡くなられた方々のご冥福と被災された方々の安寧な生活が一日も早く訪れますことを、町が元気に復興されますことをお祈り申し上げます。
2015年3月11日
- 青空と向日葵の会 Apex product 代表 柳 伸雄-
13年ぶりの町内開催!
2022年8⽉30⽇に双葉町の⼀部の避難指⽰が解除されたことで、住⺠居住が進み双葉町での⽣活が11年ぶりに再開しました。⼀⽅で震災前の賑わいや地域の担い⼿が減少し、双葉町の⽂化継承が難しくなっており、町の賑わい創出と担い⼿育成を⽬的に未来双葉会を発⾜しました。
13年ぶりの双葉町内での盆踊り。たくさんの⽅にご来場いただけたら嬉しいです。ぜひお運びください。
【双葉町盆踊り開催概要】
日時 2023年7月15日(土) 17:00-20:00
場所 双葉駅前広場(双葉町大字長塚字町西39-2)
雨天決行 ※荒天の場合は中止します。中止の場合は
前日までに本イベントページでお知らせいたします。
【タイムスケジュール(予定)】
17:00 開会式・来賓挨拶
17:15-19:55 盆踊り櫓競演
19:55 閉会式
【出店者(予定)】
双葉町ペンギン
ハンバーガー(チキン・ビーフ・フィッシュ)/お好み焼き棒/フランクフルト/ハムカツ/コロッケ
ハイボール/レモンサワー/焼酎
夢ふたば人
焼きうどん/枝豆/生ビール/ノンアルコールビール/紫蘇ジュース/ソフトドリンク
商工会青年部
かき氷
【会場図】
【主催・協力・協賛】
主催 未来双葉会
協力 双葉町 / 双葉町商工会 / 夢ふたば人
協賛 福島クリエイト / 福田工業 / 勝山工業 /
双葉郡地域観光研究協会
【問合せ】
未来双葉会 事務局(山根) 070-5074-9804 / yamane@f-atras.jp
【いわき市海水浴場の海開き】
いわきで夏を満喫しよう!
Aloha!今年もいよいよ、「フラシティいわき」が輝く夏の季節がやってきました!
そして夏といえば「海」。「海」をなくしていわきの夏は語れません!
いわき市では、7月15日(土)から8月15日(火)までの約1カ月間、「四倉(よつくら)」、「薄磯(うすいそ)」、「勿来(なこそ)」、「久之浜・波立(ひさのはま・はったち)」の4カ所の海水浴場で海水浴が楽しめます!
7月15日(土)には、各海水浴場で海開き式が行われ、メイン会場である四倉海水浴場では、フラガールズ甲子園出場校によるフラダンス披露などが行われます❀
〔詳しくはこちら〕▸ https://kankou-iwaki.or.jp/event/50470
今年の夏は、いわきを満喫してたくさん思い出をゲットしましょう!
以上、いわき地方振興局の観光盛り上げ隊長♪佐藤がお伝えしました(*^_^*)/~
※写真は、昨年の海開きの写真です。
【ボランティア精神】
ボランティアとは何でしょう?
倫理用語集にこう書いてあります。
「個人が自由意志に基づき、
自分の時間や労力を提供して社会に貢献すること。
ラテン語で『意志する』を意味する【volo】に由来する。
形態は多様だが、
ふつう、
自主性を前提に、
非営利目的で、
政府や企業とは無関係に公共の利益のために行われる民間活動をさす。
また、
これらの点から、
公平性を重視する政府や私的な利益追求を最優先する企業には生み出せないサービスを提供できるという独自の強みがあり、
保健・医療・福祉を筆頭に、
街づくり、教育、
文化・芸術・スポーツ、
環境、国際協力、災害救援など、
社会の様々な分野で独自の大きな役割を果たすとされる。
歴史的には、
キリスト教の隣人愛や市民社会の精神を基盤として、
イギリスやアメリカなど欧米諸国で発展してきた。
欧米諸国と比べ日本ではまだ定着していないものの、
1995年の阪神大震災を機に普及しつつある。」
では、
ボランティアにとって大切なことは、
何だと思いますか?
これについて、
NPO法人アジアチャイルドサポート代表理事の池間哲郎さんは、著書
『最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること』
(著者 池間哲郎 現代書林)
の中で、
ボランティア活動に必要な戒めとして、
次の4点を挙げています。
(203頁〜206頁)
「① 心から尊敬すること
まず1つ目に大事なことは
『現地の人々を心から尊敬すること』
です。
現場での上から目線は、
絶対にダメです。
現地の人々を変えてみせる、
助けてあげる、
教えてあげる、
つくってあげる、
お金をあげる、
物をあげる。
こうした
『あげる、あげる』
という姿勢は、
非常に失礼なことだと私は思っています。
まず、
そういう上から目線を取り除くことです。
懸命に生き抜く人々の精神的なものは、
豊かさの中で暮らしている日本人よりも、
はるかに高いものがあると私は感じています。
親のために懸命に働く子どもたちには、
いつも頭が下がります。
『なぜ、これほどまでに苦しい中で笑顔が出てくるのか』
と感動します。
国際協力の基本は、
その土地の人々を心から尊敬することです。
② 知ることも大切なボランティア
同じアジアに暮らす人々でさえも、
毎日、貧しさのために多くの命が奪われています。
失われる命のほとんどは子どもです。
アジアだけではありません。
日本人のように豊かな国で暮らしている人々は、ごくわずかです。
途上国の現実を、
懸命に生き抜いている人々のことを知ってください。
知ることも大切なボランティアです。
③ 少しだけ分けること
3番目は
『少しだけ分ける』
ことです。
知って理解すれば、
それに対して、
どうすればボランティアになるのでしょうか。
自分のやさしい心を少しだけ分けることです。
100%の愛はいりません。
ほんのちょっと1%だけでいいのです。
私は100円のお金がないために失われる命を見てきました。
日本人の私たちにとってはわずかなお金ですが、
それが確実に大きな命に変わっていくのです。
やさしい心を、
ほんの少しだけ、
一生懸命に生きている人々、
子どもたちに分けてください。
余裕があるから、
いらないからあげるのではありません。
少しだけ何かを我慢し、
分ける心が大切なのです。
④ 自分自身が一生懸命に生きること
最後は
『最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命生きる』
ということです。
これが一番お伝えしたいことであり、
私が自らにも毎日言い聞かせている言葉です。
一番大切なボランティアは何かということです。
『誰かのため、人のため、貧しい国の恵まれない子どもたちを助ける』。
それも大事です。
しかし、
もっと大切なことがあります。
それは自分自身が一生懸命生きることです。
最初のほうでお話したように、
私が国際協力ボランティアに本気で取り組むようになったのは、
ゴミ捨て場で生きる子どもたちとの出会いでした。
深刻な貧しさの中でも、
決して笑顔を失うことなく必死になって生き抜いている彼らの姿に衝撃を受け、
大きな感動を得たからこそ、
この活動を本気で生涯続けていこうと決断したのです。
『最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること』。
これは自己体験から自然に出てきた言葉です。
(中略)
フィリピン・スモーキーマウンテンのゴミ捨て場で、
素っ裸の5歳くらいの男の子が懸命に働く姿に出会ったときのことです。
足の先から頭のてっぺんまで真っ黒。
足は傷つき血が流れている。
ゴミを拾う手を見ると爪がめくれている。
そんな少年を見ていて最初は
『可哀想だなあ』
と思いました。
しかし、
しばらく見ていたら自分の中で信じられないことが起きたのです。
突然、私の目から涙がボロボロ流れてきました。
そして、こう思ったのです。
『こんな小さな子どもでさえも必死に生きている。
それなのにオレは一体、今まで何をしていたのだ。
恥ずかしい』
『真剣に生きていかないと、この子たちに失礼だ』
と心の底から思いました。
これまでの自分の無様な人生、生き方に深い反省が生まれたのです。
そして、一生懸命に生きることを誓いました。
すると、
子どもたちを心から尊敬し、
大切だと思うようになったのです。
一生懸命に生きるからこそ自分の命も他人の命も尊いと思えるのです。
真剣に生きてこそ、
人の痛みや悲しみは胸に伝わってくると思います。
最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きることです。
断言します。」
煎じ詰めれば、
仕事もボランティアも生き方そのものも、
『自分自身の最善を尽くすこと』
のようです。
天性を活かし、
天職に就き、
天命を全うしましょう❗
天命とは、
『世の為、人の為、天の為に最善を尽くすこと』
です。
『我が為になすは我が身の為ならず 人の為こそ我が為と知れ』
“Do good; thou doest it for thyself.”
(慈悲を施せ、それは汝自身のためにすることになる)
『最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること』
(著者 池間哲郎 現代書林)
自衛隊の東日本大震災での活動の様子がわかります。
自衛隊に感謝。
ホリエモンこと実業家の堀江貴文氏(50)が25日、YouTubeチャンネルを更新。東京電力福島第1原発処理水の海洋放出を批判する声に対し、「お前ら一回、中学校からやり直せ!」と怒りをあらわにした。
堀江氏は「十分に放射性物質を薄めた上で海へ排出するということが、何か知らないけど一部のマスコミと左翼の活動家みたいなアホが大騒ぎしてるんで、コイツら本当、頭が悪すぎて、“薄める”っていう概念が理解できないみたいですね」と、あきれ笑いを浮かべつつ言及。放出される処理水について「本当に微量だけトリチウム(が含まれ)、そしてそれ以外の汚染物質等はできる限り除去して海洋放出する。十分に海水で薄めた状態で環境にほぼ影響が無いような状態で排出をする」と解説した。
続けて「福島第一原発の高レベル放射性物質なんかは半減期が何千万年とか、そういった物質に関しては厳重に保管されてもちろん海洋放出なんかしないわけですけど、低レベルの放射性物質、あるいはそれを洗浄した、主にトリチウムなんかが含まれている処理水は、自然の放射線よりも放射線が出ないような状態にまで十分に薄めて、海水と混ぜて環境に最大限配慮して放出している」と、処理水に関する説明を繰り返し、「これに文句言うのは、本当に難癖」とした。
その上で、処理水放出に反対する政治家や著名人らに向け、「お前ら一回、中学校からやり直せ!科学の教科書読め、バカ。芸能人とかインフルエンサーで『福島や東北の魚は食わねえ』とか言ってるバカ。お前のことだよ!お前らちゃんともう一回勉強しろ。少なくとも経済産業省が出してる処理水のホームページくらい読め。あなたたちがあおってることが国益を害している。東北の人達を苦しめている。胸に手を当てて考えろ!」と訴えた。
堀江貴文氏(2023年1月撮影) © 日刊スポーツ新聞社
『釜石ラーメン物語』
地味な映画です。東日本大震災後に崩壊に瀕した家族の再生と地域との「絆」を描いた作品。シネコンしかない当地での上映は望めず、高速を使って宇都宮のマイナー館「ヒカリ座」で観ました。シニア割りで1,200円ですが、駐車場代に900円を要し高い鑑賞代です。
実に単純明快なストーリー、予想された通りに展開します。そしてその単純なお話に単純に泣かされた単純な私…。「単純」って高度な脚本技術なのかも知れません。ミステリーじゃないのですから、予想外の展開に騙される必然はありません。良作だとは思うのですが、宣伝力もないしエンタメ性も無し、地方都市宇都宮での上映も1週間限り、人知れず埋もれてしまう作品なのでしょう。勿体ない。
東日本大震災から十一日で丸十一年。あの日の実話から一つの新作落語が作られていた。タイトルは「ユキヤナギ」。作者は、岩手県衣川村(現奥州市)出身の落語家桂枝太郎(44)だ。「当たり前の日々は簡単になくなる。震災の記憶を風化させてはいけない」。重い話を笑える落語ネタにして寄席で語り続ける枝太郎の思いを、ダイジェスト版とともに紹介する。 (ライター・神野栄子)
「おまえたち、掃除をしなさい。今日からおばあちゃんが来るんだ。十年ぶり? いや十一年ぶりだぁ」
「ピンポ〜ン」「来た来た! 遠いところすまなかったねぇ。上がってよ!」「久すぶりだンね、あんだも元気そうで」「お母さま、ご無沙汰しております」「ユミコさぁん! あんだも久すぶりだね。これ、岩手県のみやげだ。『かもめの玉子』。食(け)ぇ」
「マユミ、お茶ぐらい出せよ」「うぃーす! ばあちゃん、お茶」「バ〜カ。こういう時は『粗末なお茶でございます、緑茶をどうぞ』って言うんだよ」「粗末なお茶でございます、緑茶をどうぞ」「お茶菓子も出せよ!」「粗末なお茶菓子でございます。『かもめの玉子』をどうぞ」
「わだすが持ってきたンだけんども。ケンイチ、おばあちゃんだよ。忘れぢゃったンだべが?」「ばあちゃん、お願いがあるんだけど」「膝まくらでもすてほすいが?」「会わなかった分のお年玉たまってるよね。今すぐ全部ちょうだい!」「二人どもあんだの子だ。よく似てっぺ」「すみませんね、甘やかして育てちゃって。陸前高田はどう? 何か変わった?」
「きれいになったよぉ。掃除すて、花植えっぺって。ユキヤナギがきれいに咲いでっぺ。一本松って知ってっちゃ?」「あぁ、津波で流されたんだけど、一本だけ松が残ってたって」「今じゃ防腐処理もすてな、モニュメントどして立ってる。待ち合わせ場所なんかでも使われでっぺ」
「だろうね。松(待つ)っていうくらいだから…」「…ツッコミが必要だべが? 町のみんなはな、親しみを込めで『松ちゃん、松ちゃん』って呼んでんだ」「ワイルドだろ〜」「それはスギちゃんだ!」
「あの日…大っきな地震きた…津波きた…昔から『津波てんでんこ』って言葉があってな、津波がきたら誰かれかまわず逃げろって。自分の命だけ大切にすろって。でもなぁ…母親が柱につかまって…子どもの手を離せずに二人とも流されでった…ンな光景、いっぺぇ見できた…」「子どもの手は離せないよ。なぁ母さん」「父さんの手ならすぐ離しちゃうけど! むしろ蹴飛ばしちゃう」「おい!」
「おら、捜すたんだ、おめぇだづのごと。でも見つかんねくてなぁ…やっと見つけだ、一週間後。安置所で、ろう人形のように固まってよ…情げねくてなぁ。『何、ババァ一人で生ぎ残ってんだ』って、首くぐって死のうとしたンだ。でも、もう少しすれば寿命で死んづまう。だったら、被災地がどれだけ復興すたがを目に焼き付けて、おめぇだづに話してやるんだって、みっともねぐ生ぎできた」「知ってたよ。おばあちゃんはさ、闘ってたんでしょ。風化させないように」
「皆、変わったよ。町の人だづの意識も、チャラチャラすてだ若者も。人の嫌がるごどを進んでするようになった」「俺だって前からやってたよ。満員電車の中で屁(へ)をしたり」「そういうことじゃねえんだ! 名物も盛んだ。牡蠣(かき)の養殖がうめんだ」「高いんじゃないの? 牡蠣(火気)現金(厳禁)って言うから」「いいかげんにすろ!」
「こっちは意外と快適だよ。会社だってあるし。学校だってある。おじいちゃんはね、老人ホームに行ってる。そっちの方が気楽だって。すごいんだぜ、松方弘樹、田村正和、田中邦衛に、歌舞伎は団十郎、三津五郎、勘三郎、吉右衛門、寄席だって三遊亭円丈、柳家小三治、笑福亭仁鶴、桂歌丸もいるんだよ! あっちの世界も大変だったでしょう。コロナだっけ? でも、人間そんなに弱くないよ。絶対に復興する! 今日から一緒に暮らすんだ、じしん(自信)はあるの?」「いや、じしん(地震)はもうこりごりだぁ」
<かつら・えだたろう> 1977年生まれ。桂歌丸に入門し、2000年二つ目、09年真打ち。乃木坂46への落語指導、世界初のVR落語会出演など多彩に活動。
津波被害の旭市で地元の子どもたちがクロマツの苗木植樹 千葉
02月18日 15時19分
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた千葉県旭市で、海岸沿いの保安林を再生させようと地元の子どもたちなどがクロマツの苗木を植樹しました。
千葉県旭市は海岸沿い86ヘクタールにわたって保安林が整備されていましたが、13年前の東日本大震災の津波の影響で被害を受けました。
保安林は強風への対策のほか、津波の力を弱める効果も期待できることから市が再生の取り組みを進めていて、18日は井戸野地区で地元に暮らす26人の親子が植樹を行いました。
子どもたちは保安林の管理を委託されている造園会社の担当者に教わりながら、クロマツの苗木を2メートル間隔で植えていました。
苗木は250本用意され、順調に育てば10年から15年ほどで2メートルほどまで成長するということです。
初めて参加した男性は「松林について詳しくはなかったので知るきっかけになりました。体験を通して先人たちの知恵がつながっていけばと思います」と話していました。
また、毎年参加しているという女性は「毎年やりかたが違いますが、うまくできたかなと思います」と話していました。
旭市農水産課の池田勝紀課長は「5年から10年で保安林としての効果が出てきます。自分たちの地域で保全活動をすることで思い出だけでなく郷土愛にもつながることを期待します」と話していました。
東日本大震災津波の発生から13年となる3月11日(月曜)に、尊い命をなくされた多くの方々の御冥福をお祈りし、心から哀悼の意を表するため、県民の皆様には地震発生時刻(14時46分)に黙とうをお願いします。
東日本大震災から3月11日で13年となります。 岩手県内の被災地の現状はどうなっているのか、データで見ていきます。 まずはハード面です。まだ整備が終わっていないものもあります。
国が整備している湾口防波堤は、宮古港・釜石港・大船渡港の3カ所で工事が完了していますが、久慈港では資材の高騰などを理由に完成は当初から5年遅れの2033年度となる見込みです。(釜石港湾事務所調べ) 県や市町村が整備する防潮堤などの海岸保全施設は、計画された区間の76.8キロのうち76.7キロ整備済みで、99.9パーセントの整備が完了しています。
残るは宮古市の閉伊川の水門のみですが、地盤改良などのため工事は予定よりずれ込んでいて完成は2026年度の見込みです。 土地のかさ上げについては、工事は完了していますが、整備された308ヘクタールの宅地のうち129ヘクタール(42%)が今も空き地となっています。 特に陸前高田市では約60%の宅地が使われないままとなっています。(2023年12月末時点・国交省まとめ)
続いては、震災後に発生した課題が復興に影を落としているケースを見ていきます。 観光業は、観光シーズンの4月から6月でみると、沿岸への観光客数は新型コロナウイルスの影響が続き、2023年は震災前の82%にとどまっています。(県調べ)
また水産業も設備の復旧や整備は完了していますが、漁業者の減少に加えて深刻な不漁も続き、2023年の県内の魚市場での水揚げ量は震災前の41%にとどまっています。(岩手県水産技術センター水産情報配信システム調べ)
こうした中、2023年、県が沿岸の住民を対象に「復旧・復興の実感」について調べたアンケートでは、「進んでいる・やや進んでいる」と答えた人の割合が、前の年(2022年)から0.7%減少しています。(県調べ) わずかではありますが減少したのは2013年以降初めてのことです。 県では不漁やコロナ禍・物価高騰による経済の不調が影響しているとみています。
そして沿岸12市町村の人口は、2月1日時点で21万396人、震災前と比べて22.9%減っています。(県調べ) 追悼式典については、震災から10年以上が経過した中で行わない自治体も増えてきています。 実施を予定しているのは、宮古市・大船渡市・久慈市・陸前高田市・釜石市・大槌町・山田町です。
一方で静かに追悼したいという遺族の声などを受けて岩泉町・田野畑村・普代村・野田村・洋野町では実施しないとしています。 また県による追悼式ですが2024年は初めて盛岡市で実施されます。
岩手めんこいテレビ
東日本大震災から11日で13年を迎える。地震と津波で大きな被害を受けた三陸鉄道の今はどうなのか。新型コロナウイルスの5類移行で観光客は増えたのか。過疎化への対策はどう考えているのか。今年開業40年を迎える三陸鉄道の石川義晃社長(62)に聞いた。 【写真】唐丹(岩手県釜石市)ー吉浜(大船渡市)駅間を走る三陸鉄道
三陸鉄道は岩手県北部を走る第三セクターの鉄道会社だ。2011年の東日本大震災発生時には、地震や津波の被害により、北リアス線71キロ、南リアス線36・6キロの全線で運転を見合わせた。全線運転再開は2014年のこと。その後2019年にはJR東日本から山田線の一部区間が移管され、現在は久慈(岩手県久慈市)-盛(大船渡市)のリアス線163キロを運営している。 ■観光客は増えたか
震災から13年、新型コロナウイルスの5類移行から1年弱を迎える。2022年度の三陸鉄道の乗車人員は61万人だったという。2023年度の三陸鉄道の利用者は観光客の回復などもあって増えたのだろうか。 石川社長「本年度の乗車人員は2022年度より若干増える見通しではあります。観光客は増えていますがコロナ前には戻っていません」
山田線の移管によるリアス線全線開業やラグビーワールドカップの釜石市での試合開催に沸いた2019年度の乗車人員は90万8千人だった。しかし、コロナ禍以降の乗車人員はその3分の2程度の60万人程度にとどまっている。 ■こたつ列車、洋風こたつ列車は予約多く
厳しい中、三陸鉄道は県外からの誘客を進めようと、社員や住民が東日本大震災の被災当時の記憶やその後を語る「震災学習列車」をはじめ、車内に置かれたこたつで飲食できる「こたつ列車」「洋風こたつ列車」などを走らせている。
「震災学習列車は全国の小、中、高生や社会人の方に使っていただいています。2022年度、約1万2000人の利用がありました。本年度の利用者は1万人を超えてくるはずです。こたつ列車、洋風こたつ列車は予約が取れないくらいでありがたいです」
さらに2023年には岩手県が舞台のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の放送10年を迎えた。これを記念し、登場人物のイラスト入りラッピング列車が運行された。 「『あまちゃん』ファンのみなさんがクラウドファンディングをしてくださいました。金額は当初の目標額を超えて800万円近く集まりました。出発式にはあまちゃんに主演したのんさんが来ていただきました」 ■開業40年で乗り放題切符
今年、2024年は三陸鉄道の開業40年にあたる。40年を祝い、さまざまな企画が計画されている。 「開業日の4月1日には記念列車を走らせます。4月13日には宮古市で記念式典を開きます。この日限定で乗り放題の切符を40年にちなみ400円で発売します」 こうしたイベントで2024年度は一時的に乗客の増加が期待できるかもしれない。しかし、その後はどうするのだろう。
「これまでの40年を振り返り、これからの三陸鉄道を続けていくためには、それなりの仕組みを考えていかなければいけないと思っています」 ■課題は人口減少 大きな課題は人口減少だ。沿線の大船渡市の場合、震災前年の2010年には4万737人あった人口は2020年には3万4728人になった。久慈市などでも同様に減少している。
「三陸鉄道の場合、一番のお客さまは高校生です。地域の高校生が10年で約4割減りました。高校生の数は15年先まではもう人数が決まっているわけです。人口減少はこれからも進んでいきます」 ■収益性よりは… 打開策はあるのだろうか。石川社長は「黒字」「赤字」といったことにとらわれない視点が重要だという。
「収益性というよりは、ウェルビーイング(住民の幸福度)の向上を目指さなきゃいけないんじゃないかと考えています。採算性のことを考えると赤字で便数を減らすしかないという話になって、どんどん不便になっていく。不便になると、またお客さんが減る、という負のスパイラルに入ってしまう。鉄道は社会生活を営むベースになるという考えのもとに戦略を立てないといけないのです」
苦境が続く三陸鉄道だが、岩手県外の人々ができることはあるだろうか。その一つとして震災学習列車への乗車を呼びかける。 「自然災害は日本全国で毎年あります。災害を人ごととして考えるんじゃなくて、身近な問題として考える機会にしてもらいたいです」 ■三陸に来ることが支援に 三陸鉄道の沿線では震災の爪痕や復興の現状を学ぶことができる。だが沿線一帯は食や風景などの魅力にもあふれている。
「鉄道の旅は楽しいんですよね。こたつ列車では弁当が食べられますし、お酒も飲めます。4人で一つのテーブルを囲む旅って楽しいんです。また伝統芸能がすごく多い地域ですし、素朴な人柄を感じてリフレッシュするのもいいと思います。震災のこともちょっと気にかけながらも、やっぱり楽しんでいただくことが大事です。来ていただくことが最終的には地域の振興あるいは復興にもつながると思っています」
(まいどなニュース/京都新聞・浅井 佳穂)
まいどなニュース
明治三陸大津波の15.2mを教訓に建設された15.5mの普代水門
東北一の高さを誇る普代水門が機能し、村の中心部の家屋等に被害はありませんでした。
奇跡の普代水門
普代水門建設は、故和村幸得元村長が、明治、昭和と過去2度の大津波で犠牲者が出た教訓から構築を訴え、県営工事で実現。計画当初は財源や土地活用に村内でも賛否が分かれました。しかし和村村長は反対派を説得し、12年の歳月をかけて1984年総工費35億6千万円を投じて完成させました。高さは明治の大津波の15メートル級にこだわり、15.5メートルの威容を誇ります。
新成人フラガールの金尾陽菜さん(スパリゾートハワイアンズ提供)
東日本大震災から11日で13年。千葉市出身の金尾陽菜(ひな)さんは、甚大な被害を受けた福島県いわき市にあるレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」のダンスチーム「フラガール」で活躍している。当時の記憶や被災地への思いを聞いた。
大震災で、いわき市は468人が犠牲になり、9万棟以上の建物被害が出た。ハワイアンズも休館した。
フラガールは踊る場所を奪われた。だが、発災後、全国をキャラバン隊として慰問し、福島の復興のために元気な姿を発信した。
「自らも被災者でありながら、ひたむきに頑張る先輩たちの姿に感銘を受け、私もフラガールになりたいと思った」
高校時代は浦安市のフラダンス教室に通っていた。
「踊ると気持ちが高ぶる。自分を表現できることが楽しくて仕方がなかった」
令和4年春にハワイアンズに入社した。デビューに向けて寮生活を送りながら、練習に打ち込んだ。限られた時間でハワイの文化を学ぶ講座を受けたり、クラシックバレーも学んだ。
同年7月に初めてステージに立った。舞台袖から多くの観客が見えたとき、頭が真っ白になったが、先輩たちの励ましもあり、無事に乗り越えられた。それから連日、昼と夜のショーで笑顔と元気を届けている。
「これまで60年の歴史あるハワイアンズの舞台で歴代の先輩方が築き上げてきた思いを自分も引き継ぎ、次世代につなげたい」
千葉からいつも背中を押してくれる両親や妹への感謝の気持ちを忘れることはない。
1月6日にはフラガールの成人式があった。晴れ着姿で「何事にも向上心を持ち、さまざまな可能性に挑戦し、一人の大人として自己研鑽(けんさん)に努めたい」と抱負を語った。自分が生まれた年にリリースされた一青窈(ひととよう)さんの恋愛ソング「ハナミズキ」をハワイ語でカバーした曲「カアナアレ」を華麗に踊った。
元日には能登半島地震が起きた。故郷では、2月下旬から千葉東方沖での地震活動が続いている。
「いつまた3・11のような大地震が来て、当たり前の生活ができなくなるか分からない。ステージで踊れなくなる日が明日かもしれない。だからこそ私は一回一回のステージを大切にしている。大好きな踊りができることに感謝し、笑顔で舞台に立ち続けたい」
(村上智博)
非常食を使った献立の給食を食べる旭市立飯岡中の生徒たち=11日、同校(松崎翼撮影)
東日本大震災は11日、発生から13年となった。千葉県内で最大の被害が出た旭市内の小中学校では、震災の記憶がない児童、生徒らに食を通して防災への意識を高めてもらおうと、備蓄食品を使った「防災給食」が提供され、災害に備えることの大切さを学んだ。
【表で見る】「防災給食」の献立
市内の給食センターでは、自然災害などへの備えとして、東日本大震災をきっかけに開発された3年6カ月保存可能な非常食「救給カレー」と「救給コーンポタージュ」を令和5年9月から各5千食備蓄している。それぞれ温めずに食べることができる。
この日の献立は、「救給カレー」のほか、日持ちする野菜を使ったあえ物や、常温保存の豆乳などを使ったカップケーキなどで、18校に計3674食が振舞われた。
旧校舎が大津波で浸水した市立飯岡中学校(同市横根)では、2年の生徒約60人が防災給食を味わった。食前には大震災の当時の状況とともに「非常食は災害時に命をつなぐもの。備蓄について家族と相談してみましょう」と呼び掛ける動画を鑑賞した。
2年の橋本陽茉里(ひまり)さんは「非常食は被災したときにも便利だし、思っていたよりも味はおいしい。災害に備えて備蓄品を準備したい」と力を込めた。消防士だった父親から市内の津波被害の状況を聞いたという伊藤菜々海さんは「災害はいつ起こるかわからないので、家族との時間を一日一日大切に過ごしていきたい」と話した。(松崎翼)
メッセージを書いたハト形の風船を飛ばす参加者(11日午後2時52分、宮城県名取市閖上で)
東日本大震災の発生から13年となった11日、津波で約800人の死者・行方不明者が出た宮城県名取市閖上(ゆりあげ)では、伝承施設「閖上の記憶」で追悼の集いが行われ、県内外から訪れた約400人が地震発生時刻に合わせて黙とうした。
発生時刻に手を合わせる人たち(11日午後2時46分、宮城県東松島市で)
施設を運営する一般社団法人代表の丹野祐子さん(55)は長男の公太君(当時13歳)を亡くした。丹野さんは「今日の青空は(犠牲となった)天の子供たちからのプレゼントだと思う」とあいさつ。参加者らはハト形の風船を手に1分間の黙とうを行った後、空に放った。
地震発生時刻に合わせ、黙とうする被災者ら(11日午後2時46分、宮城県南三陸町で)
300人以上が犠牲となった同県東松島市大曲浜地区では、地区を襲った津波の高さと同じ約6メートルの慰霊碑の前に地元住民らが集まり、黙とうをささげた。
午後2時46分に合わせて黙とうをささげる来園者(11日、宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園で)
同県南三陸町では、町職員ら43人が犠牲になった旧防災対策庁舎周辺に遺族らが集まり、犠牲者の冥福(めいふく)を祈った。同庁舎は今年7月から町有化し、震災遺構として保存することが決まっている。
多数の犠牲者が出た同県石巻市南浜地区の石巻南浜津波復興祈念公園では、「がんばろう! 石巻」と書かれた看板の前に来園者が集まり、大切な人に思いをはせながら手を合わせた。
仙台市宮城野区の宮城野体育館では同市主催の追悼式典が開かれた。遺族ら約220人が参列し、同市の郡和子市長は式辞で「震災の記憶を風化させることなく、広く世界と次の世代へ伝えていく」と決意を述べた。
【母親としての本能が働いたのでしょうか】
https://yuru2club.com/wp/?p=273
3.11 東日本大震災で自らを犠牲にして
わが子を守ったある母親の実話です。
地震の鎮まった後、救助隊は、ある若い女性の家に到着し、
そこで瓦礫に埋もれた彼女の遺体を発見しました。
しかし、彼女の遺体はどういうわけか
奇妙なことに膝立ちし、あたかも祈りを捧げるかのように、
身体を前方にやりながら、
両腕に何かを包み守っているかのようでした。
倒壊した家屋は、彼女の背中と頭にのしかかっています。
数々の困難な状況にありながらも、救助隊リーダーは、
狭い壁の隙間に手を入れ、
何とか彼女の身体に触れようとします。
彼は、彼女にまだ息があるものと信じていました。
ですが、彼女の冷えて硬直した身体は、
彼女がもう既に亡くなっていることを物語っています。
彼と隊員たちは、その家を後にし、
隣の倒壊したビルに向かおうとしました。
そこで途中、リーダーは思うところあり、
急きょ彼女の家に引き返す指令を出したのです。
彼はそこで再びひざまずき、
今度は瓦礫の隙間から、彼女の遺体の下の、
小さな隙間に手を入れてみました。
そこで彼は突如、興奮して叫びました。
「子 供だ!子供がいる!」
そしてチーム全体が協力し合い、 彼女の遺体周りの瓦礫を除去していきました。
するとそこには、母の身体の下で、 花柄の布に包まれた生後三ヵ月の小さな男の子がいました。
その母の姿は、明らかにわが子を救う、 究極の自己犠牲の姿でした。
家が倒壊する時に、 彼女は自分の身を投げ打って、 息子の命を守ったのです。
救助隊が救い出した時、 幼い男の子は、未だ静かに眠りについたままでした。
医師は速やかに幼子の容態を確かめに駆けつけます。
布を開くと、そこには携帯電話も包まれています。
そのスクリーンにはこう書かれていました。
「もしもあなたが生き残れたなら、 わたしがどれだけあなたを愛していたか、 どうか憶えていてね」
携帯はそのままその場の全員に手渡されました。
そのメッセージに皆涙をこらえきれませんでした。
「わたしがどれだけあなたを愛していたか、どうか憶えていてね」