2代目中村吉右衛門が襲名50年、初代の偉大さ痛感

初代中村吉右衛門の舞台を見た人はもう少なくなっているだろう。初代は62年前の1954年に亡くなったが、その時の年齢は68歳。6代目尾上菊五郎と並んで「菊吉」と呼ばれた名優だった。吉右衛門という名跡は、母方の祖父の名から採ったもので、生涯をかけて、大名跡に押し上げた。

 初代に男子はなく、娘の正子さんは8代目松本幸四郎と結婚し、9代目幸四郎と2代目吉右衛門を生んだ。兄は幸四郎家を継承する道を歩んだのに対し、弟は吉右衛門家を継承するため生まれて間もなく、祖父である初代の養子になり、4歳で萬之助を名乗って初舞台を踏んだ。祖父の厳しい薫陶を受け、10歳の時に祖父が亡くなった後、66年に22歳で2代目吉右衛門を襲名した。

 今年は初代の生誕130年、2代目襲名から50年となる。2代目は10年前に初代の芸を継承するため「秀山祭」を始めたが、今年も9月に東京・歌舞伎座で行われる。「やればやるほど初代の偉大さが身にしみます。毎年、秀山祭の千秋楽には、まだ足りないと思います」と明かした。襲名から50年の感想を聞かれて、「早かった。追われて、戦い続けた50年でした。我々の年代は、教わったことだけを見つめて走って来たので、横を見たり、自分を振り返ることがなかった。やっとこの頃、余裕が少し出てきたので、役者の味も出せるのではないかと思います」と謙虚に話した。

 今年5月の「団菊祭」で尾上菊之助の長男で、孫の和史くん(2)が初お目見得した。「やっぱり孫はかわいくてね。目の中に入れても痛くないということわざ通り、本当にそんな感じなんですよ」と目を細めた。人間国宝となり、数々の大役を演じているが、「やりたい役はいくらでもある。前を向いて、これからもやっていこうと思います」。和史くんとの祖父・孫共演も多くなりそうだ。【林尚之】

『一条大蔵譚』(いちじょうおおくらものがたり)

本名題:『鬼一法眼三略巻』(きいちほうげんさんりゃくのまき)

源平の争いに巻き込まれて暮らす貴族、一条大蔵の生き方をえがく話。 
彼は舞にうつつをぬかすアホウで通っていますが、実は平清盛の横暴を憎しみ源氏に味方をする本心をカモフラージュしているのです。 天真爛漫なアホウ振り、それで本心を語るさわやかさ。世をあざむいて生きる哀愁を俳優が演じます。 
この役を現・中村吉右衛門が、十七代目中村勘三郎に習ったのは、十六歳のとき。 正座が長びいて足の感覚がなくなり、思わず涙目になったのを見て、「い、いいんだよう。今にちゃんと出来るようになるよう」と、慰めてくれたとか。 ”稽古のきびしさに音を上げた”と勘違いされたんです。