私は数年前まで、ある一家にまさに飼われていた状態で…首輪もはめられペットにつける名前で呼ばれていました。青空と向日葵の会

私は関東の大学を出たあと、同じく関東の会社に内定を貰い、一人暮らしの部屋も確保してあとは4月を待つだけ。
という形で3月に大学を卒業しました。
大学を卒業し、卒業式の何日か後に用意していた部屋に移り住み、実家から持って来た電気カーペットの上で寝転びながら新しい家具を携帯(当時は携帯とスマホの割合は半々でした)でネットサーフィンしながら探していました。
そこまでが、私が覚えているかつての生活の私の最後の記憶です。
本当に、説明の仕方がわからないのですが、そこから先は「気がついたら」としか言いようがありません。
物心が着く頃から、という感じで気がついたらある一家と一緒に暮らしていました。
それは今思うとただの居候などではなく、明らかに「ペット」としての扱いでした。
しかし当時の私はそれを不満に思うことはなく、まるでこれが私のあるべき姿であるかのように受け入れ、充足した日々を過ごしていました。
その一家は若い父と母(お互い30代前半くらい)と、小学校中学年くらいのお嬢さんの3人でした。
私は実名でなく、明らかにペットにつける名前で呼ばれていました。
(犬っぽい名前。ポチ、とかゴン、といったそういう名前。)
かと言って、裸にさせられていたわけではなく 私だけが着るユニホームのような扱いでスウェット生地の服がありました。
それは毎日同じ色ではなく、時に茶色だったり時に生成りだったりと、地味な色ではあったものの汚らしいものではなく、いい匂いのする清潔感のある服でした。
しかし首には当然の様に首輪がはめられていました。
確か青だった気がします。
本当に犬用の、ホームセンターのペットコーナーに売っているようなやつです。
また、私は毎日お嬢さんからご飯をもらっていました。
それは自分の手で食器を使って食べる。 という形ではなく、お嬢さんがお嬢さんの手から私の口に運んでくれるというものでした。
食べ物はパンやおにぎりが主でしたが、私はそれに不満など感じず毎日お腹いっぱい食べていたように思います。
しかし飲み物は水だけで、これは大きなペットボトルを逆さにしてストローをつけたものでした。
ウサギやハムスターなどの小動物のゲージで良く見るやつと同じ仕組みだと思います。
お風呂は毎日ではありませんが、定期的に入れてもらっていました。
毎日お嬢さんが私の髪をブラッシングしてくれていたおかげか、自分の体臭が気になったことはありません。
というよりも、その当時の私にはお風呂という概念がなかったようにも思えます。
髪と書きましたが、当時の私の容姿は間違いなく人型でした。
お嬢さんと一緒に遊んでいた時も、ふと鏡を見た時も 私は二足歩行でしたし、見た目も間違いなく人間でした。
お嬢さんとあやとりをしたことも覚えています。
あの一家と暮らしていた家は和室もありましたが洋室がほとんどで、少し手狭な様な気もしますが普通のどこにでもある一軒家。と言った感じでした。
庭は庭と呼べるほどの大きさではありませんでしたが、お母さんプランターでガーデニングをしていて、お嬢さんはプチトマトがなるのを楽しみにしていました。
私は普通に日本語を話しており、お嬢さんはいつも私に話しかけて(一家は全員現代の日本人という感じでした)くれました。
私はお嬢さんの話をうんうんと聞くだけでしたが、何か問いかけを受けた時だけ言葉で返事していました。
(例えばその日お嬢さんが着る服について「赤がいい?青がいい?」→「赤がいい。」など。)
時間という概念にも疎く、お嬢さんに起こされて起き、ご飯を食べ、お嬢さんが学校へ行き
お父さんが仕事に出かけ、お母さんが仕事部屋に入ると私は与えられた寝床に寝転がりうとうとしながら気がついたら寝て、また帰ってきたお嬢さんに起こされる。
といったはっきり言ってなんの役にも立たない存在として生活していました。
お母さんは何か家で作業する仕事をしていたのだと思います。
たまに疲れたように首を回しながらコーヒーを入れに部屋から出てきました。
たまに私が「お疲れ様です。」と言うと優しく笑って頭を撫でてくれました。
私の世話はほとんどお嬢さんがしてくれていて、お父さんやお母さんとはあまり話した覚えはありません。
とくにお父さんとは挨拶以外の会話をしたことがないように思います。

 

そうして私はその生活を「満喫」していました。
お嬢さんや一家の顔や声はまだちゃんと覚えており、会えば絶対にわかります。
お嬢さんの名前もわかるのですが、さすがにここで書くのはやめておきます。
お父さんとお母さんの名前はわかりません。名字も正直曖昧で、多分これじゃないか…というくらいです。
そしてここまで書いておいて本当に申し訳ないのですが、話はこれで終わりなのです。
この「ペット」としての生活をどのくらい過ごしたのか、いつ、どうやって抜け出したのか。何も覚えていないのです。
生活の終わりは突然でした。
その家でいつものように寝床で寝ていて、庭に出ていたお嬢さんがリビングに入ってくる気配がしました。
(私の寝床はリビングにあり、深緑のカーペットの上が私のスペース。という感じでした。
そこに無⚫︎良品の人をダメにするクッションソファーがあり、それが私の寝床でした。)
そして、「○○」と私のペットとしての名前を呼ばれ、返事をしようと振り向いた時
次の瞬間には私は今の私に戻っていました。
これが、私が覚えている最後の状態(一人暮らしの部屋で携帯をいじっていた状態)のままなら「長い夢だった。」で終わるのでしょうが
私が今の私として気がついたのは、交差点の信号待ちの状態だったのです。
瞬きもした覚えはありません。
寝転がった状態から肩越しにお嬢さんを視界に入れようと頭だけ後ろに動かした瞬間に、私は都心の交差点に立っていたのです。
そこは大通りというわけでもありませんでしたが、何度か通ったことのある横断歩道でした。
全くわけがわからないまま、歩行者信号は青になり、周りの人の動きに合わせるように自然に足が動きました。
とりあえず信号を渡り終わったあと、その場で止まって周りを見回していたらベビーカーを押す女性に「通ります。」と言われて歩道の真ん中にいたことに気づいて道を譲り、それをきっかけに妙に冷静になりました。

 

幸い知っている道だったので、最寄りの駅まで歩きながら持ち物を確認しました。

 

その時の持ち物と服装は、いつものリュックにいつもの「ちょっとそこまで」程度の服装でした。
リュックの中には飲みかけのペットボトルのお茶と数千円入った財布とポータブルの充電機器。
それと何故か買った覚えのない新品のイヤフォン。
携帯電話は上着のポケットに入っており、日付を確認すると大学を卒業して2週間弱ほど経った平日でした。
時間は夕方の4時過ぎ。
そこからはなにがなんだかわからないまままっすぐ一人暮らしの家に帰りました。
その日はお風呂にも入らず着替えもせず、カーペットの上で上着を着たまま寝てしまいました。
次の日、実家や友達に電話をしましたがどう説明すればいいかもわからず、悩んだ末に「ここ2、3日の間に私と連絡を取ったという人はいないか」といつことを聞いてしまい、両親にも友達にも訝しがられてお終いでした。
その後は予定通りに入社し、なんの変哲もない毎日を過ごしています。
未だにあれが夢であったとも現実であったとも判断が尽きません。
夢だとしたら長すぎるしリアル過ぎたし、交差点にいたことを考えると夢遊病など他の心配も出てきます。
かと言って、現実だとしたら異常過ぎますし、なにより時間軸がおかしい。
いくら時間に縛られない生活をしていたとはいえ、あれは間違いなく2、3日という短い期間ではありませんでした。
最低でも1ヶ月。下手したら半年近い期間だったように思います。
ちなみに、当方女です。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    今井 斉藤 (木曜日, 19 2月 2015 18:53)

    意味分からないな。夢か?