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【生きる喜び】夫から妻への生体肝移植 Apex product

「私には、二つの誕生日があります」


そう表現する、新たな誕生日とは2005年4月18日。


この日、Aさん(49)は夫の肝臓の一部を移植する
「生体肝移植」の手術を受けた。


第一子の長女が生れたのは23歳のときだった。
直後の検査で「肝臓の数値が悪い」と医師に言われ、内科に通い始めた。


3年後に長男が誕生。

さらに翌年、次女を授かったとき、体調不良の原因が分かった・・・

 

「原発性胆汁肝硬変」という、厚生労働省の特定疾患だった。

胆管が炎症を起こし、少しずつ肝細胞が破壊されていく難病である。

 

 

肝臓の不調で、顔が黒ずんでいく。

だが、格闘技のリングにいるような子育ての日々。

 

 

「だんだん使うファンデーションが濃くなっていくな、と。

そのくらいにしか自分のことを思う余裕がありませんでした。」

 

 

しかし、病は確実に進行する。車で近所のスーパーに行っただけでも、

疲れて布団に倒れ込むようになった。

 

 

38歳を迎える2003年、医師から本格的に「肝移植」の話をされた。

肝移植には2種類ある。

脳死と判断された人の肝臓を移植する「脳死肝移植」と、

健康な人の肝臓の一部を移植する「生体肝移植」。

 

 

Aさんは、前者の待機患者として登録した。

 

人生の先輩が訪ねてきてくれた。

Aさんは「大丈夫ですよ」と玄関先で笑顔を作る。

先輩は、笑わなかった。

「あなた、生き抜こうと思っていないでしょう」

 

 

 

確かに、心の底に迷いがあった。

一つはお金のこと。子どもたちの教育費や家のローンに、治療費が重なっていく。

漠然と受け止めていた「死」よりも、そちらの方が怖かった。

そして、もう一つ迷いがあった。

 

 

このころAさんの症状はますます悪化し、目は黄疸で黄色くなっていた。

医師は生命の危機を指摘し、「生体肝移植」を勧めた。

 

血液型の同じ妹が、ドナー(提供者)として名乗り出てくれた。

しかし、検査の結果、妹の肝臓はAさんには合わなかった。

 

号泣する妹にAさんは心の底から感謝した。

とともに、ホッとする思いもあった。

 

もちろん、本当は生き抜きたい。

 

「でも、家族がいる妹の体を切ってまで、私は生きるべきなのか━━

そんな迷いが拭えなかったんです。」

 

 

 

さらに1年たった。

入院。

下血が続く。

 

 

「もって、あと半年」。

2005年に入って早々、夫は医師から告げられた。

 

 

そんなとき、「血液型不適合の生体肝移植」を行ってくれる病院が見つかった。

2000年代に入って徐々に増えた治療法だが、当時はまだまだ少なかった。

手術後の生存率も、適合する血液型での移植より落ちる。

 

B型の夫と、O型のAさんは「不適合」。

「それでも手術できるなら、自分意外にドナーはいない」と夫は思った。

 

 

「妻が病と分かったとき、本当はすぐに休ませたかった。

だが、自分の給料だけでは生活できない。

結果、妻は、体調を維持できる限界まで仕事を続け、

それでも負けまいと、前を向いていた。

それに比べて、自分は、真剣に彼女の回復を祈って行動したか━━。」

 

 

”絶対に死なせない!”。

 

 

親族も、移植に賛成してくれた。

 

 

 

Aさんも、とにかく生きて、元気な姿で皆の励ましに応えよう━━それが自身の使命だと。

 

 

2005年3月下旬、新たな病院へ。

手術に向けて準備が始まる。

白い病室の外では、桜が満開を迎えようとしていた。

 

4月18日━━手術は、18時間に及んだ。

術後は拒絶反応もあり、感染症にも見舞われた。

ベッドであえぎながら、ある詩を読んだ。

「・・・人生とは、自ら『山』をつくり、自ら乗越え、幾つ越えたかを楽しみにしてる生き方なのである・・・」

 

それが、生きる力になることを、病の身で知った。

 

 

 

そして━━。

8月31日の夜、夫に付き添われ、退院。

 

 

自宅の玄関で、子どもたちが迎えてくれた。

目が合った、2人の娘たちが、無言で涙をこぼす。

Aさんも泣きながら、腰を下ろし、靴を脱ぐ。

「頑張ったね」。

中学2年生の息子が手を伸ばし、ぎこちなく頭をなでてくれた。

 

 

 

今年、Aさんは9歳になった。

幸い、夫婦とも元気だ。

 

 

今、あらためて思うことがあるという。

「生体肝移植」という治療に至るまで、深く苦悩した。

「でも、たとえ他の選択肢があったとしても、夫も私も、やっぱり同じように悩んでいたと思います。」

 

 

”正解”のない現実。

だからこそ、自分にとっての正解をつかむまで悩みぬく、希望を決して手放さない、精神力が必要だった。

 

 

肝臓を問題なく働かせるため、Aさんはこれからもずっと、免疫抑制剤を飲み続けなければならない。

それでも、皆に支えられ、新たにもらった命。

 

 

『恩返しのために使いたい。

人を励まし続ける生き方に、自分も生涯、連なっていきたい。

その姿が一家にとっての”太陽”になれば・・・』

と願っているという。

 

 

 

手術から9年。

その間、5人の孫が生まれた。

生きる理由が、また増えた。

 

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コメント: 2
  • #1

    山岡鉄舟Jr. (日曜日, 26 10月 2014 13:17)

    泣けました。

  • #2

    清水次郎長 2世 (日曜日, 26 10月 2014 13:17)

    おれも、泣けました。やばい。男泣き。