【そろそろ本格的に仏教経典にあたりたい!と思っている方必見!】

ブッダが入滅する前に経典は存在した!?
【そろそろ本格的に仏教経典にあたりたい!と思っている方必見!】
最古の仏典『スッタニパータ』の第四章「アッタカ・ヴァッガ(八なるものの章)」を通じて、ブッダの肉声に迫ります。
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 「尊き方よ、わかりました」と、まさに、尊者ソーナは、世尊に答えて、アッタカ・ヴァッガの十六〔の経〕を、まさしく、〔それらの〕全てを、声をあげて読誦した。(ウダーナ5・6)

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 ブッダを前にした新人比丘のソーナが、暗記していた「アッタカ・ヴァッガ」を読誦する場面です。「アッタカ・ヴァッガ」についてのこのような言及の存在は、まさしく、「アッタカ・ヴァッガ」が、その時点で独立テキストとして意識されていたことを物語るものであり、かりに、上記ウダーナの記述が事実だとすれば、「アッタカ・ヴァッガ」は、ブッダ存命中に成立し存在していたことになります。そこまで言うと言い過ぎかもしれませんが、上記記述から言えることとして、スッタニパータ第四章が『ウダーナ』成立以前に存在し、当時の教団において、それなりの位置を占めていたことは、まず間違いのないところです。何と言っても、ブッダの前で復唱するべきテキストなのですから。このテキストを学ぶことで、当時の修行者がそうであったように、私たちもまた、覚者の教えの真実に、まさにその真髄に、触れることができるのです。
 これは個人的な推測ですが、『義足経』の存在と『ウダーナ』の記述から想像するに、「アッタカ・ヴァッガ」は、教団成立当初から、「ダンマパダ(法句経)」と同じ程度に重要視され尊重されていたテキストだったのではないでしょうか。もし、『義足経』が『法句経』のように翻訳者にめぐまれていたなら、漢訳経典中に占めるその位置も、大いに変わっていただろうことは想像に難くありません。ですが、残念なことに、私たちが手にする『義足経』は、有する価値とは裏腹に、その存在を知る者は少なく、その内容に検討のメスを入れる研究者も多くはありません。私たちもまた、ここで、『義足経』の難解な訳文に付き合うつもりはありません。タイトルこそ、「義足経精読」とありますが、本稿で扱うテキストは、漢訳経典『義足経』ではなく、『義足経』に該当する初期仏教経典、つまりは、パーリ経典『スッタニパータ』に収録された「アッタカ・ヴァッガ」となります。もちろん、そのほうが、直接の原典を題材とするので、ブッダの教えにより肉迫できるからです。
 「義足経精読」というタイトルは、「アッタカ・ヴァッガ」の独立性を確認し、その重要性を強調するためのものです。もともとは一本の独立テキストだった「アッタカ・ヴァッガ」が、『スッタニパータ』のなかの一つの章に組み込まれたことで印象が薄められてしまった事態を指摘し、その再評価をうながすためのものです。ですから、これ以降、本稿において使用される「義足経」という言葉は、漢訳経典の『義足経』ではなく、もっぱら、パーリ経典『スッタニパータ』の第四章を意味するものとなります。これは、「法句経」という言葉が、漢訳経典のみならず、パーリ経典の『ダンマパダ』をも意味するようなものであり、以下、そのようにお考えいただければ幸せです。もちろん、パーリ経典と言っても、パーリ語の原典ではなく、拙訳による和訳を学びの糧とするのですが、そこのところは、『義足経』漢訳者の轍を踏まぬよう、できるだけ正確な和訳を提供するべく努めますので、御理解と御寛恕のほどをお願い申し上げます。

本書まえがきより

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