【自分が行きます!】
あえて言葉にしなくても、自衛隊と彼らを支える家族や企業に「誰かのために」という思いが息づいている。
自衛隊のことを全く知らなかった、縁がなかった方にも、
その活動の一部である災害派遣の真実について知っていただければ幸いです。...
全ての自衛隊員と関係する人々に敬意を表し…
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「自分が行きます!」
全ての隊員が口を揃えた。
福島第一原発に放水をするため、陸上自衛隊のヘリコプター「CH-47」が出動することになった時のことだ。
「任せろ、これくらい大したことないさ」
「今、無理しなくてどうする」
被爆覚悟の作戦にもかかわらず、そんな声があちこちから聞こえてくる。
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目をつむると、目の当たりにした遺体の残像が浮かんでくる。
それは阪神・淡路大震災の時も同じだった。
当時、若かった隊員が、現在は曹長などリーダーになっており、その経験からか、
誰が命令したわけでもないのに、夜は5~6人の作業部隊が車座になるのだという。
つらかった光景、ひどく悲しかったことなどを、黙々と作業し続けたその日の全てのことを声にして
吐き出し、そして泣く。
やがて、明日も任務を精一杯やろうと誓い合って、一日を終えるのである。
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「日ごろ、いろいろと問題を起こすヤツもいますが、国難にあたってはすさまじい使命感でやってます。
彼らと同じ制服を来ていることを誇りに思います」
慌しくすれ違ったベテラン自衛官が、ふと立ち止まり、振り返って言った。
「そういえば、娘から初めて敬語でメールが来ましたよ」とちょっと恥ずかしそうに言った。
その内容は、
「日本に生まれ、自衛官の娘に生まれてよかったです。お父さんを誇りに思います」
とのことであった。
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大震災後に津波に遭い、
24人の園児たちとともに護衛艦「たかなみ」に救出された宮城県石巻市の幼稚園教諭。
乗組員にも家族がいて、聞けば、連絡もとれていないのだという。
震災が発生した直後、休暇をとっていた者も皆、自分の艦に急行し、取るものも取りあえず
出港したため、実際、彼らは家族の安否も確認できていなかった。
それなのに、そんな事情は一切、口に出さず、あの恐ろしい海の中で助けてくれた。
子どもたちが不安にならないように、ずっと励ましてくれた。
年の頃も若い自衛官ばかり、年下なのかもしれないが、どれだけ心強かったか分からない。
あらゆる思いが去来するが、こうして生きていて、一緒に、誰かのためにおにぎりを握っている
自分が、無性に幸せだと感じた。
「先生、どうして朝から『おはよう』とか『こんにちは』じゃなくて、『ありがとう』ばかり言っているの?」
園児があどけない顔で言う。
「だって…『ありがとう』しか出てこないよ」
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無理だと誰もが思っても、むなしい時間だと知っていても、人々は毎日、
同じ場所に来て行方不明の家族を探す。
その側で懸命に活動する自衛官の姿が、どんなに支えになっているだろうか。
「俺、自衛隊に入る」
ポツリと小学生が言った。
なぜ?と聞くと、次のようなことだった。
津波にのまれた父親が帰ってくるのではないかと毎日、ずっと海を見つめていたところ、
若い自衛官に声を掛けられた。
そこに佇(たたず)む理由を話すと、その自衛官は何も言わずに肩に手を置いて、
しばらくの間、一緒に海を見てくれたのだという。
震災の悲しみを乗り越えたとき、彼らの姿はもう被災地にはないかもしれない。
しかし、強く優しい戦士たちの物語は日本人の心に刻まれるだろう。
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3歳の男の子の遺体を発見したときのことだ。
母親が探していたのを知っていたので、連絡して確認してもらうことにした。
変わり果てた姿だったが、母親は服装でわが子と分かったようだった。
どうしても最後に抱っこをしたいという。
「収納袋のままでした。
お母さんはその子を抱きしめると『よかったね。自衛隊さんたちが助けてくれたよ。
お前も今度生まれ変わって、大きくなったら自衛隊に入れてもらおうね』と泣いていました」
隊員たちは手を合わせ線香をたいて見送った。
出典元:(日本に自衛隊がいてよかった 産経新聞出版)
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ナチス水晶の夜 (木曜日, 22 9月 2016 19:28)
ヒトラーが、始めた戦争で5500万人の尊い命が亡くなった。許されない独裁者だ。しかし、そいつもまた人間で決してモンスターでは無かった。人の心には、残虐性が潜んでいる。自己コントロール出来なくなれば人間失格。常に己に厳しく生きたいものだ。