新型コロナウイルス禍で、人類全体が「試練」と立ち向かっている。
どうにもならない試練を前にしたとき「神様は、乗り越えられる試練しか与えないよ」といった励ましを受けることがある。
しかし、どうやらこの言葉の元となった『聖書』のことばは、実はちょっと違う意味らしい。一体どういうことなのか『キリスト教って、何なんだ?』より紹介する。
聖書のことばが「誤解」されたわけ
聖書の中に、こんなことばがあります。
神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。
(コリント人への手紙第一 10章13節)
これをもとにした「神は、乗り越えられる試練しか与えない」というフレーズが、何年か前にTVドラマで流行りました。「何か辛いことがあったときはこの言葉を思い出して頑張るんだ」という方もずいぶん増えたようです。
聖書のことばがこんな風に世の中に広まっていくのは嬉しいことです。
しかし、このことばが大嫌いだ、という人も世の中には少なくありません。特に、辛いこと悲しいことがあって誰かに相談したときにこれを言われると、「耐えられるはずのものに耐えられない自分が悪いと言うのか」「これ以上どう耐えろと言うのか」と、傷ついてしまうケースも多いようです。
しかし、聖書はそんな酷いことは言っていません。
勘違いの鍵は「試練」という語の解釈です。英語版の聖書を見ると分かりやすいのですが「試練」にあたる部分にはTemptationという語があてられています。これを訳せば「試み、誘惑」となります。
けれど日本語では「試練」と訳してしまっているために、「辛いこと、悲しいこと」という間違った意味に思われがちなのです。
ですから、さきほど引用した聖書のことばは「神様は、あなたを耐えられない誘惑にあわせることはない」という意味になります。「罪」は様々なルートで私たちを誘惑してくるけれど、神様は必ずその誘惑から逃れる道を備えてくださっている、と言っているわけです。
この箇所は前後も読むと、特に「偶像礼拝」について戒めていますから、もう少し思い切って意訳すれば「ほかの神々を拝む誘惑も、お酒とか享楽とかほかの何かにすがる誘惑もある。だけどそれに陥らずにすむように神様は道を用意してくれてるんだよ」ということになります。
「乗り越えられない試練」はある
ただし、神様は「辛いこと悲しいこと」という意味では、人に「越えられない試練」を与えます。人間は限界のある存在ですから、何もかもを自力で乗り越えられるはずがありません。
たとえば重い病気の人を「神様は乗り越えられない試練を与えないから必ず治るよ」と励ますのは、はたして本当に優しいことでしょうか。この励まし方を聖書は肯定していません。病気が治るか治らないかは神様の領域のことで、人には分からないからです。
もし、この励まされ方をした人の病気が治らなかったら、その人は「やっぱり神様はいない」とか「神様は嘘つきだ」とか思ってしまわないでしょうか。
「治るはずの病気が治らないのは自分が悪いか、神様が自分を見捨ててしまったからだ」とか思ってしまわないでしょうか。そう考えると、この励まし方は必ずしも優しくないということになります。
すべての苦しみや悲しみを自分の力で越えられるなら、人間は神様を必要としません。イエス様のことも必要としません。
越えられない困難は神様に頼る
そもそも、人間には絶対に越えられない「死」という困難があります。
人間は自力ではどうやってもこの困難を越えることができません。そして「死」のあるところ、それに付随する不安や苦しみや悲しみは必ずつきまといます。
また「生」にも苦しみや悲しみはつきまといます。アダムが禁断の実を食べたときに「お前はこれから、苦しんで食を得なければいけない」と言われた通りです。
神様はときに人に、自分ではとても越えられないような苦しみや悲しみや困難を与えます。
しかしそれは神様の意地悪ではないんです。そんな困難がなければ、人は決して神様に助けを求めないですし、赦しを求めることもありません。きっと聖書を開くことだって、教会に行くことだってなくなるでしょう。
聖書の偉人たちも、自分ではどうにもならない困難にみんな直面しました。
そんなとき、彼らは聖書を開いたり、祈ったりして、神様と一緒にその困難を乗り越えました。そして、神様と仲良しになりました。
子どものころ、ときどきプラモデルを作りました。でも自分で全部簡単にできてしまったプラモデルよりも、自分ではうまくできなくて父に手伝ってもらってやっとできたプラモデルの方が後々までずっと愛着が残りましたし、何より父との良い思い出になりました。
神様が与える「自分では越えられない困難」は、この「手伝ってもらわないとできないプラモデル」みたいなものです。そんな困難を与えるとき、神様は「これ、きっとお前には難しいから、一緒に作らないか?」って言っているんです。
そこで「嫌だ! 自分だけで作る!」と断ったらお父さんはがっかりしてしまいます。
人生は、神様と一緒に組み立てるプラモデルです。それはとても複雑で難しいプラモデルですが、神様が用意した完璧なプラモデルですから、「パーツが足りない」なんて事態はないんです。神様と一緒に丁寧に作っていけば、必ず完成するんです。
ですから、本当に辛いこと悲しいことに出会ったら「越えられない試練はないんだから越えてやる!」と思うよりも、素直に「神様、僕には越えられません。助けてください」と告白してしまう方が、いいんです。
強がらなくていいんです。
お父さんに手伝ってもらった方が、綺麗なプラモデルができ上がりますし、何より楽しい思い出になって、仲良しになれます。
この本は、キリスト教がどんなものかを知るための入門書……ではありません。世の中にはキリスト教の「入門書」がすでにたくさんありますけれど、その多くが「いやいや、これでもまだまだ難しいよ」とか「退屈で途中で挫折してしまう……」とか読む人に感じさせてしまうものです。
もちろんそれらの本はとても素晴らしい本です。挫折せずに読めれば非常に楽しくもあります。が、その楽しさや素晴らしさに到達するためのハードルはなんやかんや言ってまだまだ高め……。
と、いうわけで、この本は、そんな「入門書」を読む前に、キリスト教の基本的なところをざっくり知っておくための本、「入門書のための入門書」、言わば「超入門書」です。なるべくざっくりと、なるべく楽しく、キリスト教の基本を説明しています。気軽に読んでいただければ幸いでございます。
そもそもですが、皆様、キリスト教って知っていますか? キリスト教は、知名度でいえば宗教の中でもダントツでしょう。しかも皆様はこの本を手に取ってくださっているわけですから、恐らくはほとんどの方が「知ってるよ」と答えるのではないかと思います。
いくら「世界一キリスト教が普及していない国」と言われる日本でも、キリスト教の存在を知らないと言う方はほとんどいません。クリスマスやバレンタインといった祝日、西洋絵画やクラシック音楽といった文化など、日本でも「キリスト教的なもの」に触れる機会は多いですからね。
しかし少しだけ質問を変えて「キリスト教ってどんな宗教ですか?」と聞かれたら、どうでしょう?
「イエス・キリストの教えを守ってる宗教?」「クリスマスをお祝いする宗教?」と、一気にずいぶん曖昧な答えになってしまう方が少なくないのではないでしょうか。
存在と名前は知っていても、「中身」となると実は案外知らない、というのが多くの日本人のキリスト教観のような気がします。
『キリスト教って、何なんだ?』の「何」の部分は、この「中身」のことを意味しています。つまり本書は、キリスト教がどんな宗教なのかを皆様に説明するための本でもあるんです。
書店に行けば、そういう目的で書かれた本もすでにたくさん出ています。このことはクリスチャンとしても嬉しいことです。私たちのアイデンティティについて知りたいと思ってくださる方が増えているということですから。
けれども、それらの多くはクリスチャンでない方が「教養として」書いた本であり、いわば、「外側からのキリスト教」を記した本です。
そういった「外側からのキリスト教」と、実際にそれをアイデンティティとしているクリスチャンの「クリスチャンとして生きている感覚」は、実はずいぶん違うものなんです。そして「内側」の人たちは「外側」からの視点に、違和感を覚えていたりします。
では、もしも「内側」にいる私が見ているキリスト教の中身を、楽しく分かりやすくお伝えできたら、それは皆様にとって新しい視点になるのではないか。そう思ってスタートしたのが、この企画です。
しかしながらごめんなさい。この本はあくまで私MARO個人の視点で書くものですから、所属している上馬キリスト教会の公式見解ではありませんし、ましてすべてのクリスチャンの統一した解釈でもありません。
「このように信じている信徒が一人いる」と、最終的にはそれだけの意味しかありません。その点はご了承ください。クリスチャンにもいろいろな教派や考えがありますから、実は「これが正しい公式見解!」という「完全な正解」はないんです。でもむしろだからこそ「公式でない、牧師でもない一信徒だからこそ書けるリアルなクリスチャン像」を書ければ嬉しいなと思っていますし、それこそが皆様の「ハードルを下げる」一助になるのではないかと思っています。
たとえば「街のバーで一人で飲んでいるクリスチャンがいたから話しかけてみたらこんな話をされた」くらいのイメージで読んでいただけるとちょうどいいかもしれません。(え? クリスチャンってバーでお酒飲んだりするの? 教派によりますが少なくとも僕の教会ではOKですし、実際僕はこの本で書いたようなことをときどきバーで飲みながらお話ししたりしています。)
サクサク読めて、ためになる!
◆第1章「ざっくり知るキリスト教」
「キリスト教って、実際何をどんな風に信じているの?」という疑問をお持ちの方も多いと思います。と、いうわけで大ざっぱに概要をまとめてみました。
◎「キリスト教」を定義するのは難しい
◎教派がいろいろある理由
◎教派がいろいろある理由
◎キリスト教を信じてる人=「クリスチャン」ではない
◎洗礼は、ゴールではなく「入学式」
◎聖書の著者は、神です
◎自力で聖書を理解するのは無理
◎意外とNGは少ない
◎精霊とか三位一体とか、どういうこと?
など
◆第2章「クリスチャンはなんでキリスト教を信じているの?」
現実にクリスチャンとして生きてみるとどんなことを考えたり、どんなメリットがあるのでしょうか。キリスト教的ライフハックのすすめ。
◎誤解されがちなクリスチャン
◎クリスチャンは「清く正しく美しく」ない!
◎PDCAサイクルを知っていますか?
◎人間は、ずっとがんばれない
◎つらいときは、聖書の偉人が勇気をくれる
◎聖書は無茶なことは言いません
◎「乗り越えられない試練」はある
◎困難をひとりで抱えない
◎イエス様だって怒った
◎大切なのは「問い続けること」
◎答えてくれる人がいない「問い」はどうすればいい?
など
◆第3章「ゆるーくたどる聖書ストーリー」
1500年越えの伏線回収があったりと、とてつもなく壮大でありつつ、登場人物は想像以上に人間臭かったりもする聖書のストーリーをざっと追いかけます。
◎この世界の何もかもは、神が作った 天地創造
◎人間の「罪」はここから始まった アダムとイブ
◎神様は厳しいけど、愛がある カインとアベル、そしてセツ
◎ろくでもない人間をリセットして、世界をやり直す ノアの方舟
◎人間は、神になろうとする バベルの塔
(略)
◎波乱万丈の「救世主」誕生 イエスの誕生
など
上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ?
MARO(上馬キリスト教会ツイッター部) 著
<内容紹介>
知ってるようで、じつはよくわからない「キリスト教」の世界一わかりやすい入門書 世界史を学ぶにも、文学を読むのにも、絵画を見るのにも、マンガを楽しむのにも必須の教養! twitterフォロワー10万人の超人気アカウントの中の人がゆる~く教える! とっつきやすく、面白く、だけどきちんとわかる本
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さとる (水曜日, 28 12月 2022 23:01)
確かに乗り越えられない試練も、たくさん与えて頂きました。コロナ感染、戦争、災害、暗殺 等
神も仏もない。人それぞれ、解釈の違いで、良くなったり最悪になったり。
それが、宗教心