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NHKスペシャル ルポ中高年ひきこもり 親亡き後の現実 NHKスペシャル取材班著 宝島社新書 2021年11月発行

NHKスペシャル  ルポ中高年ひきこもり  親亡き後の現実    NHKスペシャル取材班著    宝島社新書    2021年11月発行
これが本当に現実なんだろうかというほどひどい状況。
本書は2020年11月に放送されたNHKスペシャル「ある、引きこもりの死 扉の向こうの家族」とドラマ「こもりびと」の取材を担当したチームによるルポルタージュ。
私はそのテレビ番組を見ていないが、この酷い現実が十分に伝わってくる。
特徴的なのは、本人が行政の支援を拒絶する場面が多いことだ。
なぜ、命を落とすまで引きこもり支援を拒み続けるのか。
死に直面した人たちは驚くほど多くいた。そして異口同音に「自分は必要とされていない」と語る。地域も体験も異なるのに彼らが見せる社会は、一つの像を結んでいた。
本書では、それを『効率と成果を優先してきた社会。そこに適合するコミュニケーション能力を求めるシステム』だという。
最後の手段として生活保護があるが、彼らはそれを拒む。
ある人は言う。『生活保護は絶対に嫌だったんです。知ってます?生活保護って子供にも連絡が行くんですよ。それだけは避けたかった』
子どもに家族に知られたくないという思いが、支援を拒否する。つまり、『日本の家族の後ろ盾を前提としている社会福祉制度が、かえって無縁化を加速しているという皮肉は私の心にズシンと響いた。』
と、そして支援を拒んだまま、亡くなっていく。そんな事例がいくつも紹介される。
本書の中のインタビューでこの問題に以前から取り組んでいる池上正樹さんは言う。
『もし人生を完全に諦めているのなら、自死を選んでしまうのではないかと思うのです。そうではない「空蝉」ではないのです。親御さんにしてみても、我が子をそういう風に捉えてしまう方もいるかと思うのですが、引きこもっているというのは生きていることの証。
誰かがそこで「生きていてくれてありがとう」という気持ちを本人に伝えられたのなら、生きているということ、ただそれだけでいいというメッセージを毎日繰り返し伝え続けていくことが大事だと思います』と。
また、著者たちが行った支援窓口へのアンケートの中で次のような自由記述があった。
『引きこもり支援とは、本人からの相談ということはほとんどない。いわば本人にとっては「おせっかいな支援」です。それぞれの方に理由があり、原因があります。おせっかいから始まる手紙や訪問、外出の同行などから徐々に自分のペースで自信を取り戻して、あの時嫌々でも来てくれていて良かったという言葉が聞こえてくる。多くの方が社会とのつながりを取り戻すことができる』と。
最後に番組のディレクターは「ひきこもりUX会議の林恭子さんにインタビューしています。
林さんは『支援者の方は良かれと思って、前に立って引っ張って行こうとすることもあるのですが、それは当事者からしたらものすごく怖いことなんです。どこに連れて行かれるのかわからない。支援者の方には前に立たないで下さい。本人の後ろから支える支援をしてほしいと伝えています』
自分の尺度で考えてはいけないということですね。おせっかいな支援が必要な人もいるし、後ろから支える支援が必要な人もいるということ、支援のあり様は百人百様、どちらも大切なんですね。

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コメント: 1
  • #1

    通りすがりの名無し (金曜日, 27 1月 2023 12:32)

    200万人はいるという日本の引き篭もりの現状を述べた著書。
    まず引き篭もりに対する社会に蔓延する誤解を列挙して「果たしてそれは正しいのか?」と疑問を投げ掛けて、1つ1つ検証をしていきます。
    ・引き篭もりは犯罪者予備軍なのか?
    ・引き篭もり者は男性ばかりなのか?
    ・引き篭もりは日本だけの現象なのか?
    ・引き篭もり者は精神疾患者なのか?
    ・引き篭もりは就労すれば解決なのか?
    等です。

    そして、実際に自分の家族が引き篭もってしまった場合の対処方法、行政への相談窓口や支援団体へのアクセスの仕方等を教えてくれます。
    こういった情報は本来なら行政が積極的に発信すべきものなのかもしれませんが、行政の発信は引き篭もりの当事者やその家族にはなかなか届いていないのが現状のようです。
    都会ならまだしも田舎では交通機関の不備から高齢者の移動がままなりません。
    また高齢の親はインターネットなどが不得手ということもあるようです。

    引き篭もりは「病気」でなく、誰でもなる可能性があります。
    それを行政が社会復帰へ支援するとしていますが、「上からの押し付け」になることが多く、それは著者も推奨していません。
    あくまで「受身の姿勢」での支援でないと、当事者や家族の意思を無視したミスマッチ支援になってしまうようです。「引き篭もりは怠けているだけ」とか、「恥ずかしいこと」とかいう社会に蔓延する偏見とも戦わなければならないでしょう。
    引き篭もりは社会が成熟したから起きた現象ともいえます。
    「引き篭もりでも普通に生きていける」そんな社会になることが理想であるとしていますが、収入をある程度確保する道筋をつけることをシステム化出来ればそれも可能かとも思えてきます。