Apex product 【Blog-⑧】

初春の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。 さて、このたび弊社は創立10周年を迎えるに至りました。 皆様方のご支援、ご厚情による賜物と深く感謝いたしております。

とうとう、10周年を迎えることができました。2013年の3月から数えて、10年が経ったわけです。どんなことでも、毎日10年やり続けられたら、一丁前になれるとある作家の方が言われていました。このことばを、一番信じていたのは、私達だったのかもしれません。大変なようで意外に短い期間のようでしたが、そして、とうとう待ち望んでいた10年に到達しました。これもひとえに皆様のおかげであると感謝をしております。の10年に向けて新しいスタートを切るにあたりどのようなことが必要になってきているかを日々考えてきました。私どもは伝えること、元気になること、頑張りたい人たちのきっかけとなり、力いっぱい背中を押す役割になることができますよう、幅広い視野を持ち常にチャレンジ精神を持って、皆様のご期待にお応えできるよう従業員一同最大限の努力をしてまいります。今後も格別のご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
2023年 3月吉日 Apex product 代表 柳伸雄

2023年

1月

13日

面白いネタ 大集合だ。!! 笑って過ごそうよ。Apex product

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2023年

2月

08日

文春新書 徳川家康 弱者の戦略 磯田道史

徳川幕府が二百六十年隠してきた真実を暴く! 信長、信玄、そして秀吉。圧倒的な強者を相手にしてきた家康はつねに「弱者」だった。それがなぜ天下人となったのか? そこには弱者だから取り得た戦略、ライバルからの旺盛な「学び」があった。第一人者が家康の実像に迫る。
磯田道史
1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年、国際日本文化研究センター准教授、21年より同教授。18年、伊丹十三賞受賞。著書『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞)、『天災から日本史を読みなお
 
家康が残した「名言」

幼い頃から人質生活が長く、苦労を強いられて育った家康らしく、忍耐に関する言葉が多いのが特徴。
若い頃は激情型の人物として知られていた家康だが、自らの体験から多くを学び、“狡猾”とも言われるほどの慎重さ、冷静な分析力を身につけていったのだろう。

最後には天下統一を成し遂げた家康だが、その道のりは長く失敗も多数あったが、
「勝つ事ばかり知りて負ける事を知らざれば其の害身に至る」という。
失敗を恐れがちな人間にとって心を揺さぶられる言葉だ。
また、人の上にたちながらも決して慢心せず、いさめてくれる家臣達からも多くを学び、強い結束力を固めていった。

信長や秀吉でさえかなわなかった夢、天下統一を現実のものにしたのも、徳川家臣団の結束力と自らの信念をもとに定めた数々の法律や掟にあるのかもしれない。

4世紀も前のこれらの名言の数々には、物事の本質を見る力が感じられ、今の世の中に忘れられがちな真理が数多く、なるほどと唸らずにはいられない。
家康のように人の上に立つものだけではなく、人としての心得として知っておいて損はない。
 
【徳川家康が残した名言集】

「己を責めても人を責めるな。」

「心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。」

「人間はの、最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄えるものじゃ」

「怒ったときには、百雷の落ちるように怒れ。」

「大事を成し遂げようとするには本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。」

「戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。」

「人生に大切なことは、五文字で言えば上を見るな。七文字の方は身のほどを知れ。」

「多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に働く。」

「いさめてくれる部下は、一番槍をする勇士より値打ちがある。」

「人は負けることを知りて、人より勝れり。」

「道理に於(おい)て勝たせたいと思う方に勝たすがよし。」

「決断は、実のところそんなに難しいことではない。難しいのはその前の熟慮である。」

「いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。」

「滅びる原因は自らの内にある」

「得意絶頂の時ほど隙が出来る。」

「つことばかり知りて、負ける事を知らざれば其の害身に至る。」

「堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。」


「及ばざるは過ぎたるより勝れり。」

「重荷が人をつくるのじゃぞ。身軽足軽では人は出来ぬ。」

「人間は、健康でありすぎたり、得意すぎたりする時にも警戒を要するのだが、疲れたおりの消極性もまた厳に戒めなければならない」

「早まって相手の肚」

どうする家康:忍者ではないが、忍者の代表!? 山田孝之が「人付き合いが苦手」な服部半蔵に

2023年大河ドラマ「どうする家康」で服部半蔵を演じる山田孝之さん (C)NHK

 松本潤さん主演の2023年NHK大河ドラマどうする家康」(総合、日曜午後8時ほか)第5回「瀬名奪還作戦」が2月5日に放送される。同回から、俳優の山田孝之さんが服部半蔵役で登場する。

 服部半蔵は先祖が忍びの郷(さと)・伊賀出身のため、忍者とよく間違えられる。本人は武士と思っているが、自分にプライドが持てず、人付き合いが苦手。命じられて伊賀忍者を使い、諜報活動をするが時々失敗する。

 キャッチコピーは「忍者ではないが、忍者の代表」だ。

 「どうする家康」は一人の弱き少年が、乱世を終わらせた奇跡と希望の物語で、「リーガル・ハイ」「コンフィデンスマンJP」(共にフジテレビ系)シリーズなどの古沢良太さんが脚本を担当。新たな視点で、誰もが知る歴史上の人物・徳川家康の生涯を描く、スピード感あふれる波瀾(はらん)万丈のエンターテインメント作となる。

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2023年

2月

08日

ドライバー2024年問題への対応 「給与維持には運賃3倍は必要」

2024年に向けて運送事業者は時間外労働を短縮する必要があるが、「月80時間以内に収められる可能性は皆無」という声も多い。

大阪府堺市で鋼材輸送や海コン輸送を展開する運送会社の社長は、「現状の賃金を維持するためには、運賃を3倍に値上げしないと経営が成り立たない」と話す。

「現在、当社のドライバーの賃金は、月6000kmの運行で、社保負担などを含めて約60万円。時間外労働が80時間以内になった場合、正直、20万円程度しか払えない」という。

大阪市浪速区に本社を構え食品輸送を展開する運送会社の経営者も同様の意見。「関東への長距離が中心だが、2024年問題をクリアできるような運行形態にすると、現状の運賃ではドライバーの給与は到底維持できない」と語る。

「いまは月に約1万km走ってもらって、賃金が社保含めて月70万円余り。運行回数や走行距離が減れば売り上げも減少するので、2024年問題に対応すると、いまのドライバーの給与を維持するのは厳しい」と説明する。

やはり大幅な運賃値上げは必須と言える。

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2023年

2月

09日

東京都新宿区の投資コンサルティング会社「FRich Quest(フリッチクエスト)」社長の森野広太(こうた)容疑者(38)を詐欺容疑で逮捕 200億円集金か

 投資ファンドへの出資を装い現金をだまし取ったとして、警視庁生活経済課は9日、東京都新宿区の投資コンサルティング会社「FRich Quest(フリッチクエスト)」社長の森野広太(こうた)容疑者(38)=東京都千代田区=と同社社員の計8人を詐欺容疑で逮捕したと発表した。同課は、同社が実際に運用していたのは全体の1・5%程度で、残りは遊興費などに充てていたとみて調べる。

 

同課によると、同社は2016年4月から6年間で、全国の約3300人から約200億円を集めていたとみられる。出資者は20~30代が6割を占めていた。

 逮捕容疑は21年10月~22年1月ごろ、海外の資産運用会社が分散投資をしているなどと偽り、宮城県の30代男性ら4人から計5680万円を集めてだまし取ったとしている。同課は認否を明らかにしていない。  捜査関係者らによると、同社は「毎月4%の配当」などとうたって現金を集め、出資した会員に「(インド洋の)セーシェル諸島にある合同会社が運用している」などと説明。しかし、合同会社の実態は無く、実際の運用は森野容疑者が仮想通貨(暗号資産)などに投資していただけだった。そのほかは会員の配当金を除けば無人島購入や社員の海外旅行などのために使われていたという。  元手のない出資者には消費者金融や銀行から借金をさせていた。会員を呼んで毎月開いたイベントでは、お笑い芸人をゲストに呼んだり、購入したクルーズ船を貸し切りにしたりして信用させていたという。  社員と会員のやりとりはメッセージを消せる匿名性の高い通信アプリ「シグナル」を使用。会員への配当金は手渡ししており、現金の流れを分かりにくくする意図があったとみられる。同社は22年1月から配当の支払いを停止していた。

 

◇手元には借金だけ 返済に追われる若者  

「出資金がないなら消費者金融で借りればいい。元本保証だから大丈夫」。コンサルティング会社「FRich Quest(フリッチクエスト)」(東京都新宿区)の社員はそう強調したという。その言葉を信じた多くの人が今、借金返済に追われている。  起業を目指していた東京都の無職男性(27)は2018年12月、若者が集うビジネス交流会で出会った人物を通じて同社を知った。その後、同社の関係者から出資を勧められ「配当を元手にすればビジネスの助けにもなる。これまで一度も配当が止まったことはない」と聞かされた。何度か話を聞くうちに興味が湧いた。  当時は社会人2年目で投資に回せる余裕はなかった。社員にそう伝えると、消費者金融から借り入れるよう提案された。14社を回り、計約500万円を借金することになった。  借り入れた全額を社員に預けると、なぜか約90万円を「コンサル料」と称して回収された。それまで借り入れる際の名目や金額などは、通信アプリを通じて社員から細かく指示されていたが、そのやり取りをすべて消去するよう言われた。  19年6月から毎月15万円の配当が入ったものの、すべて借金の利子などの返済に消え、利益にはならなかった。22年1月以降は配当が止まり、手元には約400万円の借金だけが残った。借金返済の不安などからうつ病になり、仕事も退職せざるを得なくなった。手元の財産はわずかで、自己破産も考えているという。  警視庁生活経済課は、詐欺容疑で逮捕した同社社長の森野広太容疑者(38)らが社員に対し、借り入れさせてでも会員から出資金を集めるように指示していたとみている。  男性は「いま思えば金融の知識がなかったのに、長年続いているビジネスだからなどと言われて信頼してしまった」と振り返る。そして「今は借金を返すので精いっぱい。だまされたお金を返すためだけに働き続けると思うと、ただただ悔しい」と言葉を絞り出した。

森野 広太(もりの こうた、1984年)     FRich Quest株式会社の代表取締役

人物

資産形成コンサルティング会社であるFRich Quest株式会社(フリッチクエスト)の代表取締役。

幼少期~学生時代

文武両道を掲げ何事にも懸命に取り組んでいた。子供のころは父親を超えたいと思っていた。高校生になり最も稼げる仕事として紹介されたのは『引っ越し屋さん』。1年も働くうちに月に100万は稼げるようになり、父親の年収を超えることができるようになった。

社会人時代

小売業の仕事をしていた時に3.11を経験。形あるものはいずれなくなってしまう。自分自身を向上させることが一番確かだと確信した。自分に投資することの大切さを感じ、現在の仕事に行き着く。

企業のきっかけ

起業してから、どんどん拡大したため自然の流れで会社設立となった。3.11をきっかけに、ロケーションの確保が大事だと考え、どこにいてもできる仕事というのが大切だと考える。時間をお金に換えることをひたすらやってきた中で、それも豊かさにつながっていないと感じたため、時間を余らせかつ収入は上がっていくものは何だろう、と探求していった。

現在の事業

会社は家族のような温かいものだと思っていると考える森野。今まで孤高という感覚が強かったが、会社にいるとベクトルが揃っていたり、周りが合わせようとしたりしてくれる。これはフリーランスや個人事業主だと味わえないものであった。会社が今では自分の価値観にとてもポジティブなものになっている。

今後の展望

自由と豊かさの探求とは、選択肢が増えるということ。選択肢が多くあるからこそ、自分の人生を自分で決めることができ、幸福度、責任感があがっていき、自立の精神が養われる。クライアントにもそのようになってほしいと考えている。また、会社=家族である会社家訓を広げていきたい。そのようなあたたかい考え方を持った経営者が増えれば、社会の役に立つことができると思っている。

  • 座右の銘:万燈照国
  • 好きな食べ物:自分で作ったカレー
  • こだわり:人一倍ではなく、何十倍も努力すること
  • 趣味:仕事、運動、知見を拡げる事
  • 特技:数字。人の思いつかない事を思いつく事。ビジネス。敵を作らない事。
  • 休日の過ごし方:家族と過ごす、休日でも仕事

 

略歴

  • 1984年 - 神奈川県生まれ
  • 2002年3月 - 神奈川県立大和高等学校 卒業
  • 2008年3月 - 慶應義塾大学SFC 総合政策学部 卒業
  • 2008年4月 - 株式会社ドン・キホーテ 入社
  • 2011年 - Frich Quest設立
  • 2016年4月 - Frich Quest株式会社 法人化 代表取締役(現任)
  • 2017年 - Frich Quest株式会社 現在の新宿区にあるビルに拠点を移す
  • 2020年6月 – Leaders Styleに掲載
  • 2020年11月 - LEADERS’ AWARD 2021にノミネート
  • 2020年12月 - TBSラジオ“Innovative Lounge”にて脚本家の宮藤官九郎さんと対談
  • 2021年1月 - TBSラジオ “テンカイズα”のインタビュー動画がYouTubeにて公開

 

エピソード

LEADERS’ AWARD 2021にノミネート(2020年)で語られた熱いメッセージ

『自己投資こそが人を幸せにする』

FRich Quest株式会社は、お金を「作る」「増やす」「守る」資産形成のコンサルティング企業。社名は、自由(Free)と豊かさ(Rich)を探求(Quest)するという意味で、この社名に私の歩みと理念が表れている。


小さい頃から「数字」に関心が深かった森野。百科事典や統計の本で、国の面積や人口、国や自治体の予算などの数字を飽きずに眺め、学校でもらった食品成分表の栄養素の数値まで読み込んでしまう子どもだった。ただ、数字をもとに自由に考えを巡らせるのは好きだが、算数の問題のように決まった一つの答えを出すことはつまらなく感じる性格でもあった。


高校時代の関心は引っ越しのアルバイトで少しでも多く稼ぐこと。そのころは500円お金があれば、一日でできることが大きく変わった。時間を見つけてはバイトに励み、1秒でも早く終わらせ、時間効率を上げることにこだわった。

大学時代には早くも正社員として働き、親以上の収入を得ていた。大学卒業後は小売企業に入社。早く成長するため最も売り上げが大きい部署に配属してもらい、数字を伸ばしていった。


しかし、雇用により時間をお金に変えることの限界を感じる出来事が起こる。2011年の東日本大震災。形あるものが一瞬にして失われる光景に衝撃を受け、本当の豊かさとは何なのか考えさせられた。結論として、自分の命がある限り確かなのは自分の存在だけであり、時間や場所に縛られない自由な人生を送るため、自己投資を行うことこそが、豊かに、幸福になるための最も確実な方法だと考えるようになった。


FRich Quest株式会社のコンサルティングで大切にするのは、お客さまに損をさせないことはもちろん、多様な選択肢を示すこと。自分の人生を自分で決めるという、自立の精神を持つことで幸福度を高めるサービスを追求している。また、雇用するスタッフとも自己投資の重要性を共有しており、社員教育に特に力を入れ、独立を希望する社員も全力でサポートしている。関わる人すべてが、自由と豊かさを探求できる会社を目指しているのだ。


人生において大切なのは、他者に依存せず、自らの目で物を見て、考え、失敗を含めた経験をたくさんすること。真実は、他人の言うことを鵜呑みにせず、自ら動いて掴み取るしかない。これから社会に出る方々にも、自分自身への投資で自由と豊かさ、そして幸せを得て欲しいと思う。

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2023年

2月

11日

【緊急支援】トルコ・シリア大地震への寄付はどこが良い?Apex product

【トルコ地震緊急支援】
2023年2月6日午前4時17分トルコ南東部、ガジアンテプ市付近で大きな地震が発生しました。マグニチュードは7.8。死者数は2月10日時点で2万人を超えていると言われています。東日本大震災で世界の皆様からあたたかいご支援を頂いた事を忘れないで下さい。
「被災されたトルコやシリアの人々のために寄付したい」方のために、すでに現地で支援している団体をご紹介します。ぜひご支援よろしくお願いします。Apex product
<日本ユニセフ協会>
被災した子どもの命を守る国際NGO
https://rua.jp/eBsP4mT 
<ワールド・ビジョン・ジャパン>
子どもの長期支援をする国際NGO
https://rua.jp/bOkrkoi 
<ピースウィンズ・ジャパン>
捜索医療団で人命救助を行う日本発NGO
https://rua.jp/kl4b1HR 
【緊急支援】トルコ・シリア大地震への寄付はどこが良い?

「混乱の中を不安な気持ちで過ごすトルコやシリアの人々のために寄付したい!」と思うものの

「どんな支援団体が寄付を募っているの?」
「寄付ってどうしたらいいの?」

と疑問を感じている方に、トルコ・シリアの人々を支援している団体についてご紹介します。

>>今すぐおすすめの寄付先一覧を見たい方はこちら

トルコ・シリア大地震に関する現状(2023年2月10日更新)

2023年2月6日午前4時17分トルコ南東部、ガジアンテプ市付近で大きな地震が発生しました。マグニチュードは7.8。
さらに、同日13時24分、ガジアンテプ市から北に100キロ弱の距離にある同国カフラマンマラシュ県のエルビスタン地区でもマグニチュード7.5の地震が発生しました。

死者数は2月10日時点で2万人を超えていると言われています。

救助活動は行われているものの、余震の影響により難航していています。今後建物の倒壊も増加すると予想されています。そのため、死者・負傷者は今後も増加すると見られています。

被災地から近いイスケンデルンの港では地震により大規模火災が発生。被災地に向かう貨物を積んだ大型船や救助隊が入港できなくなっています。

また、シリア北部への支援は反体制派の支配下にあるため困難を極めています。この地区は既に紛争によりインフラが破壊され、寒さをしのぐ術がありません。

トルコの人々を支援するために私たちができることとは

混乱が続くトルコ、シリアの現況は以下の通りです。

・寒さと余震が続く中、救助活動が困難を極めている
・建物の倒壊や政治的理由で、救助や支援物資を届けるルートが限られている
・避難場所はあってもテントなどの場合も。雪が降る氷点下でのテント生活は寒く車中泊をする人もいる
・死傷者が多く、医療施設が逼迫している

国連機関や各国政府、NGO・NPOなど多くの団体が物資提供やシェルターの用意などの支援を開始しています。しかし、まだまだ十分ではありません。

特に、臨機応変に動けるNPOなどの民間団体の活動には資金が必要とされています。

日本に住む私たちが今すぐできる支援は、トルコ・シリアの人々のために活動する団体へのお金の寄付です。

お金の寄付であれば、今この瞬間にインターネットを通じてクレジットカードで行うことができます。また、現地で活動する支援団体が判断し、その時に一番必要とされる支援に使われるので効果的です。

団体によっては継続寄付を受け付けている団体もあります。
食料や物資の支援により混乱を乗り越えた後は、復興のための持続的な支援が必要となります。

トルコ・シリアの人々の支援活動に寄付できる支援団体を紹介!

ここでは、「トルコの人々へ寄付したい」と考えている方へ向けて、トルコの支援活動をしている団体を紹介します。

トルコ・シリアの人々を支援している寄付できる団体

  1. 日本ユニセフ協会
  2. ワールド・ビジョン・ジャパン
  3. ピースウィンズ・ジャパン

【寄付先1】公益財団法人 日本ユニセフ協会:知名度の高さが信頼に


2月6日未明にトルコ・シリア国境で発生した大地震。ユニセフはトルコおよびシリアの被災地において、パートナー機関とともに支援ニーズの把握と緊急支援物資の配布を迅速に進めています。
病院や保健施設、学校校舎も深刻な損害を受けており、ユニセフは子どもの命と生活を守るために必要なライフラインの確保、基礎社会サービスの復旧に力を注ぎます

お寄せいただいたご寄付は、被災した子どもと家族が1日でも早く日常生活を取り戻せるように、安全な飲み水や衛生用品等の緊急支援物資の提供、教育の再開支援、子どもの心理社会的サポートなど、ユニセフが被災地で行う緊急・復興支援活動に役立てられます。

寄付金控除の対象団体です

【寄付先2】認定NPO法人 ワールド・ビジョン・ジャパン:長期的な支援活動をする国際NGO

 

ワールド・ビジョンは、国連に認定された世界最大の子ども支援団体です。
すべての子どもが「豊かないのち」を生きられる世界の実現を目指し、約100カ国で活動しています。

国際NGOワールド・ビジョン・ジャパンは、ワールド・ビジョンの支援国事務所として1987年に設立され、30年以上にわたり、貧困、紛争や自然災害などのため困難な状況で生きる世界中の子どもたちに支援を届けてきました。
東京都に認定された「認定NPO法人」で、国内6万人以上の支援者に支えられ活動しています。

国内では、東日本大震災後は約30万人を対象に、熊本地震では約16,400人に支援を届けました。また、西日本豪雨の被災地でも緊急支援を行いました。

寄付金控除の対象団体です

【寄付先3】認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパン:難民支援や災害救援の分野で20年以上の経験を持つ団体

 

ピースウィンズ・ジャパンは、発災後すみやかに情報収集を開始その日のうちにトルコ・シリア大地震に医師・看護師を含むスタッフを派遣し、緊急支援を開始しました。国内外の被災地・紛争地で活動してきた空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”のチームが、トルコの提携団体などとともに支援活動を行っています。

死者・負傷者の数は今後も増加が見込まれています。そして、厳冬期の寒さと余震の中、多くの人が助けを待っています。
私たちは、人命救助はもちろん、避難した方々への食料や生活必需品の配布など、総力を挙げて支援活動に取り組みます。

▼具体的な支援内容の一例
・医師・看護師等による医療支援
・レスキュー隊員による捜索・救助
・食糧、衛生用品の配付など緊急支援物資の配付
・その他、被災地のニーズに応じた支援などを行います。

極寒の被災地に、皆様のあたたかいご支援をお願いいたします。

寄付金控除の対象団体です

ユニセフ

2023年2月6日、トルコ・シリア国境付近で大地震が発生し、数千人の子どもたちと家族が危険にさらされています。この2カ国で、子どもたちを含む1万人以上が死亡、5万4,000人以上が負傷しています(2月8日時点)。この数字は今後も増加する見込みです。

ユニセフの当面の優先事項は、被災した子どもたちや家族が、切実に必要としている支援を受けられるようにすることです。

シリアにおいて、ユニセフは7日までに、避難所に計40万リットルの飲料水を給水車で届けるなど、迅速に人道支援を進めています。トルコにおいて、ユニセフは政府などと連携し、より広範な人道的対応に関する新たなニーズについて調整を進めています。また、子ども用の冬服、毛布、衛生キット、母子手帳の提供に関してもトルコ政府を支援しています。

被災地域では、学校、病院、その他の医療・教育施設が、地震によって損害を受けたり破壊されたりした可能性があり、子どもたちにも大きな影響を及ぼしています。また、道路や重要なインフラに被害が及ぶ可能性もあり、捜索・救助活動や幅広い人道的対応が困難になることが予想されます。この時期は気温が氷点下まで下がり、雪や氷雨が降ることが多いため、数千棟の家屋が倒壊し、家族が避難し、風雨にさらされる可能性があります。

ユニセフは被災した子どもたちとその家族を守るために、水と衛生、子どもの保護、栄養や教育などに焦点を当てた人道支援を行います。

国境なき医師団

トルコ・シリア地震。国境なき医師団は、発生直後からシリア北西部で医療援助を開始しています。

国境なき医師団の活動資金のほとんどは民間の寄付に支えられています。そのおかげで、援助が届きにくい地域でも、援助活動を行えます。
被災した人びとに医療を届けるため、皆さまのご協力をお願いいたします。

ピースボート災害支援センター(PBV)

トルコ南部で大地震が発生、広範囲で建物が倒壊

2023年2月6日早朝(現地時間)に、トルコ南東部カフラマンマラシュ県を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生。広範囲で建物が倒壊するなど大規模な被害があり、その後も強い余震が続いています。トルコと隣国シリアで計1万5383人以上が亡くなり、3万5,000人以上が負傷していると報じられています(2月9日時点)。

1999年8月には、トルコ西部の都市、イズミットを震源とするマグニチュード7.4の大地震が起き、17,000人以上が死亡しました。今回の地震は、1999年以来の大地震とも言われています。被害状況の全容はまだ明らかになっておらず、今後、被災者数、被災件数の数は増えるものと見られています。また、長らく紛争が続いてきたシリアでは、特に弱い立場の人々への影響が懸念されます。

あたたかいご支援をお願いします

これらの状況を受け、ピースボート災害支援センター(PBV)は調査を開始しました。現地支援団体などと協力し、刻一刻と変化する現地のニーズに、最適な支援ができるよう進めていきます。 皆さまからのご寄付は、緊急物資支援(食料品、飲料水、日用品の配布、医療サービスなど)の提供、その他被災地のニーズ合わせた緊急支援活動に大切に活用させていただきます。 現地の人々が安全な暮らしと笑顔を1日でも早く取り戻せるよう、皆さまのあたたかいご支援をお願いいたします。


  • 今後の現地ニーズとご寄付の合計額によっては、支援先団体を追加する可能性があります。
  • ご寄付のうち最大15%は管理運営費として活用させていただきます。活動に必要な費用をご寄付が上回った場合には、次の支援活動に活用させていただきます。あらかじめご了承ください。

AAR Japan[難民を助ける会]

トルコ地震緊急支援

トルコ南部カフラマンマラシュ県で6日午前4時17分(日本時間同日午前10時17分)、大地震が発生し、その後もマグニチュード6から7クラスの大規模地震が相次ぎました。

AAR Japan[難民を助ける会]は同日より被災地支援を開始し、現在、イスタンブール事務所の職員が現地に向かっているほか、被災地近県で緊急物資を準備しています。現地は非常に寒く、一刻も早い支援が必要です。

トルコ南東部での大規模地震では、7日午後(現地時間)トルコと隣国シリアで少なくとも5,000人の死亡が確認され、厳しい寒さの中、被害の拡大が懸念されています。

AARはイスタンブール事務所職員を現地に派遣するとともに、情報収集を進めています。また、被害の大きいガジアンテプ県の東側に位置するシャンウルファ県では、現地当局にニーズを聞き取り、緊急支援物資の調達準備を始めました。被災地では食料、ヒーター、子ども用のミルク、毛布などが必要とされています。
被災地地図

また、AAR日本人職員2人がトルコ東南部を訪問中で、大きな揺れを感じましたが、2人とも無事が確認されました。

AARはトルコ国内で1999年北西部地震、2011年東部地震の緊急支援を実施したほか、2012年よりシリア難民支援を継続しています。今回の震災でもこれまで築いた現地ネットワークを生かして、迅速な支援を実施いたします。皆さまのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。(7日情報更新)

デヴィ夫人、ウクライナ支援のきっかけは「火山が噴火するくらいの怒り」 「負ければ民主主義の墓場」「岸田首相も現地へ」83歳の熱弁

ハタチ基金

ハタチ基金とは

ハタチ基金とは東日本大震災の被災地の子どもたちに寄り添い、 20年間継続的に支援を行う基金です。

ハタチ基金は2011年から20年間、子どもたちに学び・自立の機会を提供するために、復興状況や現地のニーズに合わせて支援活動している団体の活動費用に活用させていただきます。皆さまの想いとともに寄せられたご寄付を、子どもたちのために役立てます。

まだ終わらない、東日本大震災
被災した子どもたちの心のケアは”長期戦”です。
 
貧困により進学を諦めたり、地域のコミュニティ崩壊により「居場所」がない子ども、取り残された心の傷に寄り添う、子どもたちとその家族への継続した支援が必要です。
 
「まだまだ山積する被災地の問題」
・貧困による学習機会、進学機会の損失
・被災地で育った子どもたちの心の内にあるストレスケア
・地域コミュニテイ崩壊による、居場所不足
・震災を経て生活を再建する中での子育て問題
・家族を失った子どもたちの精神的ケア
 
東日本大震災で大きく被災した、宮城、岩手、福島の3県で、子供たちに幅広い支援を続けていける事が、ハタチ基金最大の強みです。
 
ハタチ基金では定期的に活動についてご報告します。
・年に1回、会計活動報告書を発行
・活動報告とともにご支援者の皆様と復興支援を考えるイベントを開催
・WebサイトやTwitter、Facebook、メールマガジンなどで子どもたちの近況を報告
 
≪東日本大震災の被災地の子どもたちへの継続的なご支援をお願いいたします。≫
 
 
※公益社団法人であるハタチ基金へのご寄付は税制優遇の対象となります。

今村代表メッセージ

震災の痛みを強さに。

被災地の子どもたちに心を寄せて下さりありがとうございます。

震災直後のように、多くの人が町を訪れ、人が行き交う風景を見ることも少なくなってきた今、「被災者とよばれたくない」「かわいそうだと思われたくない」子どもたちからそんな声が聞こえることも、少なくありません。

一度地獄を見た子どもたちだからこそ、見えづらくなってきた心の痛みをそっと支えることで、それを強みに変えていけるのではないでしょうか。

被災地の人づくりは未来の日本の社会づくりだと思うのです。

代表理事今村久美

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2023年

2月

14日

2023年2月14日火曜日 バレンタインデー。毎年、義理チョコ沢山、ありがとうございます。皆さん優しいお姉様達で、感謝感謝です。Apex product

松ちゃん・チョコと、あられ、ありがとうございます

※  松ちゃん、いつも色々ご馳走様です。自分も歳ですが、松ちゃんも元気そうですが

無理しないで身体大切に長生きして下さい。今年は、有志会 皆んなで花見行きたいですね。

下坂さん。チョコと、ワイン、ありがとうございます。

※ 下坂さん。ありがとうございます。毎年、毎回、色々なイベントで、心温まる品物を送って頂きましてすみません。

ご夫婦仲良く支え合って長生きして下さい。また、みんなでカラオケ行って、ビール🍺ガッツリ呑みまくりましょうね!

せっちゃん、ドーナツ・BODYsoap・チョコ、ありがとうございます。

※  せっちゃんいつもご馳走様です。行くたびに色々頂きありがとうございます😊

甘い物ばかり食べて身体壊さないで下さいね。たまには、ゆっくり休んで旅行でも行ってストレス発散して下さい。じゃ、またお店で会いましょう。

なおちゃん、チョコありがとうございます。

※  なかなか、お会い出来ませんが、土曜日は、通常休みで都合が悪い時が多いので

平日に、たけちゃんと来る時があったら連絡下さい。めちゃくちゃ、お二人共、歌が上手いので楽しみにしてますね。

所長様、チョコありがとうございます。

※  お疲れ様です。毎月、色々、高価な物を頂き感謝してます。無理しないで下さいね。3人で昼飯食べるのも、10年経ちましたね。早いものです。これからも、末永くお付き合いの程宜しくお願い致します。

ヒロちゃん、チョコありがとうございます。

※  たまにしかお店に顔出しませんが、素晴らしく性格が良いので、甘えてばかりですみません。誰よりも苦労人ですから、誰よりも幸せになって下さい。まだまだ、若いですが、身体に気をつけて無理しないでお稼ぎ下さい。

井上さん、チョコありがとうございます。

※  なかなかお会い出来ないのに、ありがとうございます。たいしたお返しは出来ませんが3/14日ホワイトデー、楽しみにしていて下さい。土曜日は、休みで店に行けないので逢えませんが、たまに、平日合ったら、お二人でジュエットしていたのを見て微笑ましく思いました。また、皆んなで、小旅行したいですね。小関さんに宜しく。

姉ちゃん。チョコありがとう!!

※  姉ちゃんありがとう。長い付き合いになりましたねー。何がそうさせているか分かりませんが?まあ、腐れ縁とでも言うのでしょう(笑)場面場面、俺の人生のターニングポイントで必ず登場するから不思議です。人として尊敬してます。ご夫婦仲良く、下坂さん夫婦の様に、カッコよく長生きして下さい。また、トコトン馬鹿話をつまみに呑みまくりましょう!🤗

ルナちゃん(斉藤さんの二女)手作りチョコ、ありがとう。

※  よく出来ましたね。美味しかったですよ。ありがとうね。


お父さんも、幸せにならないとしょうがないが、先ずは、自分の幸せを1番に考えて

行動して下さい。周りに迷惑だけは掛けないで自由に己の信じた道を歩んで下さい。

陰ながら応援してますよ。

バレンタインデーの由来

バレンタインデーは英語でSt Valentine’s Dayと言い、直訳すると「聖バレンタインの日」です。
バレンタインは、3世紀ごろローマに実在したキリスト教の聖職者です。
当時ローマでは、家族の恋しさを理由に士気が下がることを恐れた皇帝クラウディウス2世によって、兵士の結婚が禁止されていました。悲しむ兵士たちを憐れんだバレンタインはこの令に背き、結婚を望む恋人たちに密かに結婚式を執り行っていました。
しかし、その事実が皇帝に知れてしまい、バレンタインは投獄されてしまいます。さらに、当時のローマではキリスト教が迫害されていたため、皇帝はバレンタインに罪を認めさせるだけではなく、改宗をも迫ろうとしました。
この命令に応じず、獄中でも変わらず神の愛を説き続けたバレンタインは、269年2月14日にとうとう処刑されてしまいます。
その後、バレンタインは恋人たちの守護聖人として崇められ、2月14日を聖バレンタインの日として祝うようになったのです。

日本と世界のバレンタイン

「女性が男性にチョコレートを贈る日」として定着しているバレンタインデーですが、実はこれは日本独自の文化です。
アメリカでは、男性から女性に向けて花とカードを贈るのが主な習慣となっています。
ヨーロッパ各国では、カップルでお互いにプレゼントを贈り合うことが多いようです。
では、一体なぜ日本ではバレンタインデーの贈り物としてチョコレートが定着しているのでしょうか? 諸説ありますが、イギリスの老舗チョコレート会社キャドバリー社が19世紀後半から販売を始めた「バレンタインデー用のチョコレートボックス」に着想を得て、昭和33年頃にチョコレート会社が行ったキャンペーンが元で広まったとされています。

いかがでしたか?
バレンタインデーは、殉教した聖バレンタインを悼み、恋人たちが愛を誓い合う日だったのですね。
今では、「義理チョコ」「友チョコ」「逆チョコ」なども登場し、恋人に限らず、大切な人へチョコレートを贈る日として定着してきている日本のバレンタインデー。
今年は、誰にどんなチョコレートを贈りますか?

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2023年

2月

14日

【2月14日は、煮干しの日】Apex product

【食事】
だしを上手に活用しましょう。
明日2月14日はバレンタインデーで、チョコレートが思い浮かびますが、実は煮干の日でもあります。
全国煮干協会が1994(平成6)年5月に制定したもので、に(2)ぼ(1=棒)し(4)の語呂合わせだそうです。
煮干しといえばそのまま食べても、お出汁を取ってもおいしいですね。
小腹がすいた時、ケーキやスナック菓子に手が伸びてしまう糖尿病患者さんには、血糖コントロールのためにも煮干しをおやつにでき、タンパク質、ミネラルなどの栄養も取れます。
また、出汁をとることで料理に旨味が増し、塩分を減らすこともできます。
ところで、糖尿病で食事療法中の皆様はどんなことに気をつけていますか。
甘いものを控えたり、揚げ物などカロリーの高いものを減らしたりしていることと思いますが、一番大切なのはバランスの良い食事です。
また、糖尿病患者さんは甘いものを控えるのに気を取られがちですが、塩分の摂りすぎにも注意が必要です。
塩分の摂りすぎは糖尿病患者さんに多く合併する高血圧症にも良くないほか、糖尿病の三大合併症の一つである糖尿病腎症を悪化させる原因になります。
塩分の摂りすぎを防ぐには、減塩の商品を活用する、醤油やドレッシングやソースなどの調味料を使いすぎないなどとともに、味付けは出汁を活用する、ことが有効です。
おやつにもなり出汁も取れる煮干しは強い味方ですね。
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2023年

2月

15日

詰め方がエグいのよ…赤ずきんちゃん、「どうして?」が止まらない ねぇねぇ、早くなんか言いなよ

<こやま・こーたろー>
 漫画家。「違和感」を作風とし、漫画家のSNS「コミチ」やTwitterで毎日4コマ漫画を発信中。前後関係を無視したセリフや、突拍子もない理不尽な展開が得意。初の書籍「デリシャス・サンド・ウィッチーズ」(扶桑社)発売中。Twitterアカウントは@MG_kotaro

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2023年

2月

18日

スシローが「外食テロ」に打ち勝てた決定的な理由 続発する「外食テロ」に勝つ企業、沈む企業の差 西山 守 : マーケティングコンサルタント、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授

回転寿司チェーン「スシロー」の店内で、客による迷惑行為の動画がSNSで拡散した問題。スシローに限らず、外食産業全体に大きな波紋を呼んでいる。

直近でも、「餃子の王将」が客の迷惑行為を踏まえて、店内のテーブルに置くギョーザのたれなどの調味料を撤去すると発表。マクドナルドにおいても、店舗で客がアクリル板をなめる動画やハンバーガーにゴキブリの死骸が混入したとするツイッターへの投稿が拡散して問題になっている。

「迷惑行為」の連鎖は、依然として止まらない状況だ。一方で、外食系企業に対する顧客、消費者の意識は変わってきており、企業側を擁護する意見が強くなってきている。さらに、企業側も過去のトラブルから学び、過去に比べればリスク対応が巧みになりつつあるようにも見える。

特に、今回の一件でスシローが取った一連の対応は、非常に適切なものであったといえる。本稿では、スシロー事件を中心に、外食・食品に関するトラブルの変化と、外食産業のリスクマネジメントについて考えてみたい。

つねにリスクにさらされてきた外食・食品業界

外食・食品業界は、消費者の日常に深く関わるものであり、特に衛生や安全面に関心を強く持たれやすい。それだけに、過去には何度も、ときに企業の存続が脅かされるほどの重大リスクに直面してきた。

重大リスクには、今回の「迷惑行為」など食品そのものに問題が発生して消費者に直接害が及びかねないものから、従業員が関係する事件や事故まで、内容はさまざまある。

かつて大手外食チェーンのハンバーガーに「ミミズの肉が使われている」という荒唐無稽な「都市伝説」がアメリカ起点で流布したが、これは1978年から始まったといわれる。

2000年以降の日本に限定して見ていくと、雪印乳業を破綻に追い込むきっかけとなった中毒事件が起きたのが2000年。船場吉兆、不二家、赤福、「白い恋人」などの食品偽装が相次いで発覚したのが2007年。

翌年の2008年にはJTフーズの冷凍食品への農薬混入問題が起きている。さらに。2013年には、アクリフーズ冷凍食品農薬混入事件が起きたが、それと並行して飲食店や小売店「バイトテロ」が相次いで発生した。コンビニの従業員がアイスクリームケースの中に入っている姿を撮影して投稿するなど、社会問題化したので記憶にある人も多いだろう。

2014年には、まるか食品のカップ焼きそば「ペヤング」の異物混入、2014年~2015年にかけてはマクドナルドにおける異物混入が大きな問題となるなど、SNS上でさまざまな「異物混入」に関する話題が拡散した。

2018年~2019年にかけては「バイトテロ」が再び活発化。

昨年2022年には、スシローがおとり広告で消費者庁から措置命令を受けたり、「大阪王将」の元従業員が衛生管理に関する告発投稿をツイッターで行うなどの問題が起きており、やはり飲食店がらみの不祥事や炎上事件が多く見られている。

実は、飲食業界の不祥事、炎上事件は、一見すると同じようなものに見えても、時代による特徴が見られる。

トレンドの転換点となっていると筆者が考えるのが、2013年、2018年である。

2013年以前は、問題が顕在化するきっかけとなるのは、内部告発、メディア報道、お客様相談窓口が中心だった。ところが、同年には、「バカッター」というネットスラングが生まれたことに象徴されるように、多くの飲食店をめぐるトラブルは、ツイッターが着火点となっている。

東日本大震災が発生した2011年には、SNSが「情報インフラ」として普及し、自治体が情報提供のために活用したり、人々が被災者支援を行ったりしていたが、時間が経つに伴い、誹謗中傷や過激な言動を行って注目を浴びようとする動きも見られるようになったのである。

一方で、2018年から再活発化したバイトテロの多くは、動画共有サイトに迷惑動画がアップされ、SNSで拡散していることが多い。進研ゼミが小学生に対して行った「将来つきたい職業」調査で、2019年には「YouTuber」が男子で1位となったことに象徴されるように、多くの一般人がYouTubeで動画配信を行うようになったのがちょうどこの時期である。

動画共有サイトとSNSとのセットで炎上する傾向は2023年にも引き継がれているが、「迷惑系YouTuber」と新型コロナウイルス収束の影響が加わっていると見られる。

 

過去のトラブルから“リスクマネジメント”を学んだ外食業界

企業や店舗によって差はあるが、大手の飲食チェーンは、一般に従業員教育、業務のマニュアル化が進んでおり、個人経営の飲食店や家庭での料理と比べても、衛生管理は厳しい傾向がある。

異物混入などの衛生問題は、100%防止することは難しく、発生確率は低くとも、店舗数が多いと一定数は出てきてしまう。そして、大手や有名店であればあるほど、それが動画共有サイトやSNSに投稿されやすく、拡散も起きやすい。

スシローで迷惑動画が投稿されたからといって、「スシローが不衛生」ということはまったくないのだが、拡散した情報によって、消費者はバイアスがかかってしまうのだ。

 

外食・食品企業をめぐる昨今の炎上事件の多くは、企業側の問題よりも、消費者、あるいは消費者を取り巻く情報環境の変化によって起きているといえる。

最近は、YouTuberの競争激化によって、問題行為で注目を集めようとする「迷惑系YouTuber」も存在する中、迷惑行為で注目を集めようとする「一般人」も出てきたというところだろう。

新型コロナウイルスの蔓延によって、人々の衛生意識は急速に高まったが、感染の収束で人々が外出するようになり、飲食店が目立ちたがり屋の顧客の標的にされるという事態になっている。

一方で、外食・食品業界側は、過去のトラブルの経験から学び、適切なリスク対応が行えるようになっているように見える。実際、直近の10年間を見る限り、消費者の生命や健康を害するような大きな不祥事はほとんどない。

「トラブルを起こさないように最大限の注意を払う」ということが、リスクマネジメントの大前提になるが、企業側がいくら気を付けていても、トラブルが発生するリスクはあるし、発生する可能性も高まっている。

トラブル発生時に取るべき対応策の「3原則」

トラブルが発生した時の対応策として、重要なポイントは下記の3点だと筆者は考えている。

1. (過剰ともいえるほどの)徹底した対策を講じる
2. 迷惑行為に対しては、厳然たる態度を取る
3. (自社ではなく)「顧客を守る」というスタンスを表明する

まさに、今回のスシローはこのような対応を取り、リスクを最小限にとどめたといえる。

1については、2014年の「ペヤング」の異物混入事件のケースが参考になるだろう。製造元であるまるか食品は、全商品の生産と販売を停止、販売停止中には、社長自身が小売店をお詫び行脚するという対応を行っている。

また2019年の大戸屋のバイトテロ時の対応も印象深い。このとき大戸屋は、従業員の再教育と店舗の清掃を行うとして、全店一斉休業を行っている。

トラブル自体が帳消しにされるわけではないが、企業側が「やりすぎ」と思われるほどの徹底した対応を打ち出し、本気度を示すことによって、顧客に対して「変わった」「これまでと違う」という印象付けをすることが可能になる。

2の「顧客による迷惑行為」については、従来、「企業側にも非はあった(「管理が不適切だった」等)」として、穏便に済まされることも多かった。しかし今、トレンドは変わりつつある。

スシローで迷惑行為を行ったのは高校生だったが、スシロー側は当事者とその保護者の謝罪を受け入れず、民事・刑事で法的措置をとる考えを示した。これまでであれば、「未成年に対して厳しすぎる」という批判も少なからず出たであろうが、今回はそうした意見は主流とはならなかった。

コロナ禍や物価高による苦境の中で、安価で質の高いサービスを行っている飲食チェーンに対して、消費者は同情的になっているし、「支援をしたい」という意識も生まれている。そこを敏感に読み取って対処したスシローの感性は見事だったというほかない。

3については、バイトや顧客などの第三者に非がある場合、企業側があまりに強く被害者だという態度を示しすぎると、「保身では」「企業側の対応も感じが悪い」と思われてしまい、批判を浴びてしまうことがある。

そこは、先述の2の話とも絡むのだが、企業側が「顧客を守る」ために最大限に対応を行っていることも示すことで、批判を回避しやすくなる。

たとえば餃子の王将の調味料の撤去は、顧客にとっては不便なことに違いない。しかし、撤去するのは、「(お店ではなく)迷惑行為を行う客から、ほかの客を守るため」と感じられれば、印象はまったく変わってくる。そうなれば目先の不便について、顧客は「自分のため」と受容しやすくなるだろう。

今後取るべきは、多方面に配慮した「アメとムチ」戦略

上記の「3原則」に加えて、著者がスシローの対応に関して、秀逸だと思ったことがある。それが、2月10日に、迷惑行為に対して「厳正に対処する」とする一方で、当事者に関して「直接的な危害となるような言動はお控えていただくよう伏してお願い申し上げます」という文書を発表している点である。つまり、加害者をひたすらに糾弾するのではなく、一定の配慮も示しているのだ。

実際、迷惑行為を行った高校生、および保護者に対して明らかに過剰なバッシングが行われており、高校生は高校を自主退学するまでに至っている。

スシロー側の要請は、公正で配慮が行き届いたものであるが、スシロー側が「高校生を追い込んだ」と批判されるのを回避するという効果ももたらしている。

SNSでは「#スシローを救いたい」のハッシュタグが拡散、著名人も擁護意見を表明したり、スシローの店舗を訪問して動画共有サイトやSNSにその様子をアップしたりする動きが巻き起こっている。

さらに。スシロー側はそれを受けて、2月13日~17日までの期間限定で「全品10%OFF」のキャンペーンを実施するという対応を行っている。

スシローの一連の対応は、「正しいことを、適切な方法で主張する」という正統的なやり方を踏襲しつつ、変化していく「世論」を捉え、各所に配慮しながら迅速に対応していくという点で、高度なリスクマネジメントを行ったといえるだろう。

スシローを始めとする、昨今の外食企業に対する一連の迷惑行為を、単なる「世間を騒がせたスキャンダル」としてではなく、「企業のリスク対応」という視点から見直すことで、改めて学ぶべき点は多々あることに気づかされる。

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2023年

2月

19日

王子ネピア 鼻セレブ「改名後」にヒットした商品。Apex product

商品の顔ともいうべき「商品名」。キャッチーでありつつ、購買意欲をそそる商品名が決まるまで、メーカーは試行錯誤を重ねている。しかし、中には世に出た後で“改名”し、バカ売れした商品も少なくない。(清談社 真島加代)

“改名”でヒット街道へ
「鼻セレブ」が日の目を見るまで

「ネピア モイスチャーティシュ」から「鼻セレブ」へ。改名とともに、うさぎやゴマフアザラシなどふわふわ系の動物パッケージに変更し、売り上げはなんと10倍に伸びた

 メーカーの汗と努力の結晶として、店頭に並ぶさまざまな商品。魅力的な商品名をつけることは重要なポイントとなる。その一方で、すでに販売されている商品の名前やコンセプトを丸ごと変えて売り上げがアップした商品も存在する。


 王子ネピアのボックスティシュ「鼻セレブ」。しっとりとした肌触りが人気の「鼻セレブ」、もとは「ネピア モイスチャーティシュ」という名前だった。

「『鼻セレブ』の前身である『ネピア モイスチャーティシュ』が発売された1996年は、今のように“保湿ティシュ”というカテゴリーが確立されていませんでした。パッケージも目立ちにくいデザインだったため、なかなか店頭で手にとっていただく機会に恵まれなかったんです」(王子ネピア コンシューマーマーケティング部・酒井亜紀氏)

 今でこそ市場が確立されている保湿ティシュだが、発売時はカテゴリーそのものの認知度が低く、売り上げにつながらなかった。その一方で、実際に使用しているユーザーからは好評だったという。

「お客さまからは『使用感がとてもいい』『パッケージのデザインも品のある美しい青色で高級感がある』など、好意的なお声をいただいていました。もちろん、品質には自信があったので、まだ保湿ティシュを使ったことがない人にも試していただけるように、ネーミングやデザインを思い切って変えることになったんです」(同)

 その後「ネピア モイスチャーティシュ」の企画部員・デザイナーが集まり、プロジェクトチームを結成。同商品の魅力である「しっとりふわふわなティシュ」であることや、「鼻などの肌当たりがやわらかい」ことがひと目でわかるデザインやネーミングを生み出すために、話し合いが重ねられた。

「企画会議では、代案となる商品名が100案近く挙げられました。その中のひとつに『鼻セレブ』があったんです。“鼻”というインパクトのある漢字と、高級感をあらわす“セレブ”を用いたことが当時の企画部長に響き、一気に商品化に向けて話が進みました」(同)

鼻セレブはなぜ甘い?値段は高いけど欲しくなる鼻セレブの魅力に迫る

鼻セレブといえば、言わずとしれた高級保湿ティッシュペーパーです。鼻セレブの最安値をスマートショッピングで調べてみると、なんと1箱約200円!通常5箱1パックで売られているティッシュペーパーが200円前後ということを考えると、普段使いのティッシュとしてはなかなか手がでませんが、その使い心地は病みつきで、鼻セレブが手放せない!という鼻炎持ちや花粉症の方も多いのではないでしょうか。実はその使い心地の秘密は、ふと鼻セレブが口に入ったときに感じた甘さにあります。今日はそんな鼻セレブの魅力や秘密にせまりつつ、少しでも安く鼻セレブを買うお得情報もあわせて紹介します。また、可愛い動物のパッケージで一躍有名になった鼻セレブですが、発売当初は見た目も名前も違う商品で、全くというほど売れなかったそうなんです。それがどうしてここまで人気になったのかや注目の新商品などについても紹介していきたいと思います。

高級保湿ティッシュの先駆け・鼻セレブ

鼻セレブの前身は、無地の水色の箱に商品名がプリントされただけの、その名も「モイスチャー・ティシュ」という商品でした。保湿ティッシュということをアピールするために、パッケージは水に濡れたイメージで水色にしたそうです。不評ではなかったものの、インパクトに欠けたため、同様の製品を後から出してきた他社にシェアを奪われる結果になってしまいました。
そこで、中身はそのままで、商品名とパッケージの全面刷新が行われて登場したのが「鼻セレブ」です。
ティッシュを使うシーンを考えると、花粉症や風邪で鼻をかむという行為が圧倒的に多いことから、とにかく「鼻」だけに使うことにこだわって商品のイメージは考えられていきました。簡単にテーブルなどを拭いたりしない「高級なティッシュ」であることをアピールするため、大手広告代理店の電通は、当時流行りが終わりかけていた「セレブ」という言葉をあえて使用して、商品名を「鼻セレブ」と名付けました。また、白い箱に可愛い柔らかそうな白い動物(発売当初はウサギ、アザラシ、ヤギの3種類。ヤギだけ目が怖いという理由からいつも売れ残ってしまったため、後にシロクマへと変更されました。)を大胆にプリントし、その鼻が目立つようなデザインのパッケージを考案し、今までに見たことのない可愛い鼻セレブは、爆発的な人気となりました。約9%だった保湿ティッシュ市場のシェアが、鼻セレブ発売後は約20%にまでなったのです。

鼻セレブはなんで甘いの?

鼻セレブの最大の特徴は、鼻をかんでも痛くならず、赤くならないということです。この理由は、「ダブル保湿」と「天然由来スクワラン配合」にあります。ダブル保湿とは、ソルビットと天然グリセリンという保湿成分のことです。吸湿性のあるソルビットが空気中の水分を取り込み、 天然グリセリンがその水分を保持します。鼻セレブを舐めると甘いとよく言われますが、それは天然の甘味成分であるこのソルビットが含まれているからなんです。また、スクワランとは、私たちの肌の皮脂成分として元々含まれている潤い成分のことです。鼻セレブには天然由来のスクワランが配合されており、ここにダブル保湿成分が加わったことで、いつ使用してもしっとりと柔らかい鼻ざわりが実現しました。

ティッシュだけじゃない!充実の商品ラインナップ

鼻セレブは有名キャラクターや企業とコラボレーションした箱のティッシュが有名ですが、他にも様々な商品が登場しています。その中からいくつかご紹介します。 

大人の鼻セレブ

かつて、2個セット3000円で即日完売した超鼻セレブを彷彿とさせる大人の鼻セレブは、贅沢な3枚重ねで鼻セレブ独自の極み保湿が特徴のティッシュです。スマートショッピングで検索すると、最安値はロハコで、1箱あたり445円と通常の鼻セレブの倍以上の値段となっています。

鼻セレブマスク

花粉もPM2.5も平均99%ブロックできる微粒子ブロックフィルターがついた高機能マスクです。3D形状持続シートと、新素材のリップキーパーで息苦しくなりがちな口元の空間を確保でき、1日中快適に着けていられます。ふつうサイズと小さめサイズの2種類が選べるのも嬉しいポイントです。

おしりセレブ

鼻セレブがトイレットペーパーになったのが、おしりセレブです。通常のトイレットペーパーと、トイレに流せるウエットタイプのトイレットペーパーがあります。ウエットタイプは、ノンアルコールなので赤ちゃんにも使えます。おしりふきとして使用して、そのままトイレに流せるのでとても便利です。
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2023年

2月

19日

『はだしのゲン』から今考える!! 皆さんも先人の苦労話を聞いてみましょう。本も読んでくださいね。 Apex product

はだしのゲンが削除されたのは、小銭稼ぎや鯉泥棒とかの些細な事象じゃないんじゃないのかな。  

話の中にも出てくる日本軍の中国での蛮行の話や戦後の朝鮮人の無法なおこないを六才の子供に理解されているけれどどうなんだろうね。日本軍の蛮行の話で思い浮かんだのは真逆な通州事件の話。 そして戦後朝鮮人の無法なおこないは止めにはいった民間の日本人が虐殺されている。今でも、TVで朝鮮人の犯罪行為は殺人や強姦などは歴史的にも些細なことと言い切る自称ジャーナリストと同じ何だよね。

それ以上に学校教育で日教祖の教師たちが事実をすり替えて教えていた内容そのもの。  

それは、お隣さんの慰安婦アニメと同じ何だよね。確かにはだしのゲンの描写の断片は見せるに正しいだろうけれどもっていく方向が志位体制の共産党とかぶるんだよね。

自分には、先代江戸家猫八師匠の兵隊として見てきた体験記の話のほうが心に来るんだよね。加齢なる親父より

「『はだしのゲン』教材から削除」で大論争 小銭稼ぎ、鯉泥棒の描写が「今の実態にそぐわない」に「当たり前じゃん」

 広島市の市立小学校で、平和教育の教材として使われている漫画『はだしのゲン』。しかし、4月から使われる教材では削除されることが、広島市の教育委員会で決まった。 『はだしのゲン』は、2012年に亡くなった漫画家・中沢啓治さんの被爆体験をもとにした作品。広島を舞台に、戦中・戦後の激動の時代を生き抜く主人公の姿を通して、被爆の悲惨さ、戦争の不条理や愚かさなどが描かれている。  教育委員会で問題とされたのは、主人公が街角で浪曲のまねごとをして小銭を稼ぐ場面と、栄養失調の母親に食べさせるために、池の鯉を盗む場面。なぜこういう状況になったのか、じっくりと理解して考えさせるためには時間が足りない――として、削除することになったという。SNSには 《『漫画』だからという理由だけで、大人の身勝手な理由で削除。広島市民として恥ずかしいし情けない》 《戦時中の話が現代の実態と合わないの当たり前じゃん。なぜ子供がそうせざるを得なかったかを事実から学ぶんやろ…》  と嘆く声があふれている。なかには 《核の廃絶を訴えて平和外交ができるのに、岸田首相の出身であり、かつ、被爆都市の広島がこのような選択をするのは愚の骨頂》 《広島サミットがあるからアメリカ様に忖度してるの?原爆落とされたことも無かったことにしたいのか》  と、広島を選挙区とする岸田文雄首相や、5月に開催されるG7広島サミットへの忖度ではないかという批判もある。  その一方で、削除に理解を示す意見も少なくない。 《この作品は作者が6歳の時の体験を元にしたノンフィクションの側面と、作者が傾倒した共産主義のプロパガンダ的な側面が有ります。政治的に偏った考えに基づいた作品を公立学校の副教材から外すのは致し方ないかなと私は思います》 《「はだしのゲンで被爆の実態に迫りにくい」は事実やろ。3巻からあと残り全部ヤクザ漫画やぞ》 《自分も少し読みましたけど、原爆の漫画と言う印象より戦後のハチャメチャな日本の描写と言う印象しか残っていません。原爆についてなら「黒い雨」を読んでもらうほうがよほど良くわかるのではと思います》  広島市教育委員会は、今回の決定について「作品自体を否定することではない」としているが、この作品に関しては、以前からさまざまな論争が起きている。  2012年には、島根県松江市で「間違った歴史認識を植えつける」として、学校の図書館に置かないよう求める陳情があった。松江市内の小中学校では閲覧制限がかけられたが、翌2013年、日本図書協会の要望もあり制限は撤廃された。  2013年には「差別的表現が多すぎる」として、大阪・泉佐野市長が学校の図書館から回収を要請。2014年には同市の校長会が「読むことさえできなくするのは子どもたちへの著しい人権侵害」として、回収撤回を要望。これを受け、図書は返却された。  多くの国で翻訳され、原爆の悲惨さを世界中で伝えてきた『はだしのゲン』。教材としての是非は別として、あの時代の「リアル」を伝える、唯一無二の存在ではないか――。

原爆をテーマに、勇気と感動を与え続けているロングセラー

「はだしのゲン」は、先生ご自身の被爆体験をもとに描かれた、中沢先生の代表作です。当初、週刊少年ジャンプ(集英社)上で連載が始まり、その後、刊行誌を変えながら連載は続きました。最初に単行本として発売したのが汐文社で、当時は、4巻までの発売でした。

中沢先生は、その後、東京へ来てからのゲンの活躍を描く予定でしたが、2009年正式に執筆を断念。最終的には10巻まで刊行されています。

最初に刊行された単行本である、オレンジの背表紙の「コミック版」と呼ばれるシリーズは、とくに公共図書館や学校図書館で広く普及し、多くの子どもたちに、核兵器の恐ろしさや平和のすばらしさを伝えました。

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    中沢啓治
    (なかざわ・けいじ)

    1939〜2012

    広島市出身。国民学校1年生だった6歳の時に被爆。父と姉、弟を失う。その後、漫画家を目指し上京。母の死へをきっかけに、原爆、反戦をテーマにした作品を書き始め、2009年の引退まで数多くの作品を残した。

    ■「はだしのゲン」との出会い

    中沢先生の代表作「はだしのゲン」は1972年に『週刊少年ジャンプ』(集英社)でなどでの連載後、汐文社で単行本化されました。
    ここでは「はだしのゲン」が汐文社で発刊されるまでのエピソードを紹介します。

     1975年1月に編集担当を拝命し、戸惑う私であったが、当時東京支社の代表を務めていた吉元尊則氏らとの企画会議でのアドバイスもあり、中沢啓治さんの「チンチン電車の歌」(赤旗日曜版連載)に目をつけた。ドキドキしながら当たって砕けろ!のつもりで、南砂町の都営住宅にお邪魔した。ここで、私と中沢さんとの奇跡の出会いがあった。中沢さんから「それも(『チンチン電車の歌』)出していいけれど、『はだしのゲン』を出して(出版)」と言われたのである。あまりのサプライズに、「原稿は、今ここにあるのでしょうか?連載元の集英社さんの意向は?」などと、震える声でお尋ねしたことを鮮明に覚えている。中沢さんには、その場で集英社の担当者に電話で確認をお願いした。

     気づいたときには、4つの大きな紙袋を抱えて東西線南砂町駅のホームに立っていた。原画1100枚ほどが入った袋の重さに気づいたのは、御茶ノ水駅から外神田にあった会社までの300mの道のりだった。当時京都本社にいる社長の反応は「そんな長いもん(長編、当時のコミックでは5巻程度)出せへんで!」だったが、全員20代の東京支社のスタッフは一致して「はだしのゲン」の出版を後押ししてくれた。1975年5月、「はだしのゲン」(全4巻)はついに単行本として世に出たのである。朝日新聞東京の社会部遊軍におられた横田喬さんにお会いし、出版の経緯や連載中の読者の反応などをお話した。朝日新聞東京本社発行の夕刊社会面に7段抜きの大きな記事が掲載された。これを機に読売や毎日など全国紙が次々と記事を掲載してくれたが、多くのパブリシティの効果を見込んで各2万部発行したものの、8月末時点で返品の山となり、半分ほどが倉庫に積み上げられた。

     そして、また奇跡が起きた。「3時のあなた」(フジTV系)だったと思うが、この番組で好意的に紹介され、くすぶっていた種火に一気に火がついたのである。その日の夕方から、取次の支店や書店から大量の注文が入り、その対応に追われて汐文社全体が大混乱、お祭りがやってきたときのように胸弾ませながら、仕事をする日々が翌年まで続いた。

    当時の担当編集者、堀尾眞誠氏(『子どもの本棚』中沢啓治追悼特集より抜粋)

    ■追悼コメント

    中沢啓治先生は2012年12月19日にこの世を去られました。
    ここでは中沢先生への追悼コメントを紹介します。

    ○汐文社社長、政門一芳
    「ご冥福を心よりお祈り申し上げます。父や母、姉、弟の命を奪った原爆を憎み、日本はもとより、世界中の人々に、漫画でその恐ろしさを訴え続けた中沢先生の遺志を継ぎ、汐文社は、核兵器の廃絶、世界平和への想いを、後世に伝え広げる使命を負っていきます。」

    ○「はだしのゲン」汐文社発刊当時の社長、吉元尊則(朝日新聞より)
    「1970年代半ば、子ども向きの漫画を描いてもらうつもりで訪ねたとき、押し入れをあけて「ぜひ読んで、単行本にしてほしい」と出してきた段ボール箱に入っていたのが「はだしのゲン」だった。被爆体験と、それでも人間は強く生きていくんだというメッセージを、漫画という彼ならではの技術で伝えた特異な人。彼が亡くなったことでまた一つ、原爆が遠のくことになる。」

    ○松井一実広島市長(読売新聞より)
    「原爆を忘れてはならないという強い信念で描かれた『はだしのゲン』は、国内外に被爆の惨状を伝え、若い世代に体験を直接語り継ぐ作品。『人類の最高の宝は平和』という思いは間違いなく次世代に受け継がれ、共有されるでしょう。」

    ○「はだしのゲン」週刊少年ジャンプ(集英社)連載時の担当編集者、山路則隆氏(毎日新聞より)
    「漫画を描くために、当時の体験を何度も頭のなかで再現するのだろう。1話を描き上げるごとに憔悴する先生の姿が残っている。少年誌に掲載されたことで、子どもたちが時代や原爆の問題を考えるきっかけになったと思う。」

    ○朝日新聞天声人語(12/26、抜粋)
    「「ゲン」は絵本も含めて1千万部を超え、18カ国語に翻訳された。生前最後の本になった『はだしのゲン わたしの遺書』(朝日学生新聞社)でささやかな喜びを述べている。国内の図書館で、表紙が手垢でぼろぼろになってベニヤ板で留めてある「ゲン」を見たそうだ。「うれしくてね。作者冥利に尽きます」。73歳の訃報に、多くの読者が胸に刻み直すことだろう。原爆の悲惨と、それでも麦のように伸びて生きる少年の姿を。」

江戸家猫八  動物鳴きまね芸・俳優

「お笑い三人組」の八ちゃん役で俳優としても全国的な人気を誇った。「江戸八丁荒らし」と呼ばれた初代江戸家猫八の6男に生まれ、初舞台は8歳だったという。戦前は、古川ロッパ一座で俳優修行を積んだが、後に兵隊として広島に駐屯し被爆した。戦後 江戸家猫八を襲名し、父親の墓の前で練習を重ねてやっとうぐいすが鳴けるようになったという。波乱万丈の人生が語られる。

1921‐2001年、東京都出身。初代江戸屋猫八をはじめとした、動物の声帯模写を得意とする物真似師。戦後、父の弟子であった二代目から父の芸を受け継ぐように勧められ、芸を学び、寄席修行を始めた。その後50年には三代目猫八を襲名。明るい人柄と、見事な声帯模写で幅広い世代の心をつかんだ。テレビでは、演芸番組で人気を博したほか、俳優として連続テレビ小説『マー姉ちゃん』などで好演。息子は四代目江戸家猫八、孫は二代目小猫を継承。

こんな落語家(はなしか)がいた―戦中・戦後の演芸視 単行本 – 2003/7/1  小島 貞二  (著)

 著者が亡くなったのは2003年、これが遺著となった。記者となって演芸関係の文筆に携わるようになるまで、漫画家、力士としての経歴を持つ。
 力士時代には安芸ノ海の付け人として、双葉山の連勝ストップの歴史的取組を間近に見た。慰問で満州に渡った志ん生と圓生が行方不明と楽屋の噂に聞き、甘粕理事の死に立ち会った芸人の実話を聞き、先々代の小さん(人間国宝になった五代目の前)が亡くなる場面に寄席で立会い、正岡容・安藤鶴夫・玉川一郎、三者三様の先輩芸評家と交流しながら、戦後のヒロポン禍、歌笑の爆発的人気、etc.を目撃した。
 この著者ならではの興味ぶかいエピソードが綴られています。

八重子夫人と猫八さん 1946年 (昭和21年) 頃ころ
猫八さんは、この頃、髪の毛が抜ぬけ落ち、
白血球は減へり続けていました。
提供/四代目江戸家猫八氏

*広島平和記念資料館のサイトより

三代目江戸家猫八と原爆。

 

 8月6日、広島に原爆が投下されて69年になる。

 芸人の中にも、あの時、あの場所にいた人がいる。

小島貞二著『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』(うなぎ書房)

 小島貞二著『こんな落語家がいた-戦中・戦後の演芸視-』は以前にも、“わらわし隊”のことや、バシー海峡、昔々亭桃太郎のことなどについてこの本から紹介したことがある。

 

 昭和二十年八月六日に日本軍の一兵士として広島にいた芸人について、本書から紹介したい。

 

猫八と原爆

 

 落語家ではないが、声色の江戸家猫八(三代目・岡田六郎)も出征芸人であった。

 それもヒロシマで原爆に遭っている。

 父が初代の猫八だから根っからの芸人であるが、二代目ではなく三代目。中に一人、二代目がいるのである。あとで書く。

 昭和十六年に古川ロッパ一座に入り、役者を演っているとき、赤紙が来る。骨と皮の体だから、召集など無縁と思っているところへ来たのだから、本人もおどろいたが、ロッパもあわてた。

 当時、満二十歳になる男子は、徴兵検査の義務があった。検査は甲種、第一乙、第二乙、丙種とあり、甲種は文句なしの壮丁だった。戦争末期には丙種だった歌笑にまで赤紙が来たのだから、仲間たちは「歌笑が兵隊じゃァ、日本も勝てないよな」と、小さな声でつぶやき合った。猫八はその第二乙だった。

 新潟の部隊に入り、南方だ北方だとあちこちを引っ張り廻されるうち、ようやく兵隊らしい体格になる。そして広島県宇品で終戦を迎える。

 根が芸能人だけに、部隊では重宝がられ、演芸大会にはいつも主役をつとめ、ロッパからの手紙も励みになる。東京大空襲(二十年三月十日)のあと、許可が出て東京に帰り、浜町の自宅の焼け跡を呆然と見る。

 あのヒロシマの日(二十年八月六日)のことは、猫八が自伝の中で書いている。その一冊『兵隊ぐらしとピカドン』(ポプラ社刊)によると、

  (中略)市内にはいると死体が横たわっている。トラックに何台ものせて

  太田川の土手へはこぶ。路上には、電信柱をささえるワイヤーロープに

  つかまったままで死んでいる人、川の中から上半身を水の上にだして

  虚空をつかむようにしてこう直している死者。水死体となって、川にういて

  いる男、女、そのなかには、牛や馬もまじっていた。

   キノコ雲はまだきえない。

   広島の上空のはんぶんに大雨がふったかと思えば、その反対側が

  晴れてお日さまが見える青空。気象の変化もともなった、まるで、

  キツネの嫁入りのアレである。

 そして、広島市内を歩く。

 その朝、猫八は宇品の兵舎にいた。爆音が響き、小さな落下傘が降った瞬間、ピカーッと光ってドーン。すぐ防空壕に飛び込み、五体満足を確認する。

「街の様子を見てこい!」

 という班長命令で飛び出したのが、前記のスケッチである。

 これがのち猫八の売りものの「原爆体験記」になる。芸術祭公演にも、テレビの演芸にもなり、多くの人に感動を与えた。

 

 猫八の原爆体験のことは、他の媒体でも知ることができる。前日八月五日の夜、猫八は演芸大会で優勝していたことなどを含め「ヒロシマ新聞」に掲載されている。「ヒロシマ新聞」の該当記事

 「ヒロシマ新聞」とは何か。同サイトから引用。

 

このサイトは被爆五十年目の年に制作されたヒロシマ新聞に、二〇〇五年に新たな情報を加え再構成したものです。ヒロシマ新聞とは、原爆投下で発行できなかった一九四五年八月七日付けの新聞を、現在の視点で取材、編集したものです。一日も早い核兵器廃絶を願って…。

 同サイトには、文章・写真の無断転載禁止と書かれているので転載はしないが、ぜひご覧のほどを。八月五日の演芸大会の優勝賞品の酒を抱えた猫八の写真もある。

 演芸大会の賞品の酒に酔って点呼に遅れたことが、もしかすると原爆の被害を少しは抑えることになったのかもしれないが、放射能が残る市内を歩いたことで、猫八は原爆症になっている。

 そして、あの日、ラバウルや北千島での恐怖体験をも上回る原爆被害の地獄絵を猫八は目の当たりにしたのだ。

 三代目猫八は当代の父で、初代の六男(だから本名が六郎)。私と同世代以上の方は、「お笑い三人組」の八ちゃんを思い出すだろうし、「鬼平犯科帳」の相模の彦十役の渋い演技に思いが至る方もいるだろう。

 大正十(1921)年十月一日生まれの岡田六郎は、あの時、宇品に駐屯する暁部隊の兵長として軍務に従事していた。満23歳の時だ。なお、暁部隊には丸山真男も所属していた。

 岡田六郎は戦後、原爆症に苦しんだ。そして、原爆投下直後の広島の惨状の記憶が、猫八のトラウマになっていたようだ。

 彼が意を決して戦争のこと原爆体験のことを語り出した(正式には「従軍被曝体験記」)のは昭和五十六(1981)年のことであり、『兵隊ぐらしとピカドン』が上梓されたのは昭和五十八年になってからである。

 四年前2010年8月のNHKの戦争特集の中で放送された「戦場の漫才師たち~わらわし隊の戦争~」を見て記事を書いたことがあるが、あの映像の中で戦争の悲惨さを語っていた森光子さん、玉川スミさん、喜味こいしさんは、みな旅立った。

 

 先代猫八、かつての岡田六郎兵長も平成十三(2001)年に八十歳の生涯を閉じた。

 広島平和記念資料館のサイトに、以前に開催された企画展の紹介ページが残っており、昭和二十一年頃の猫八が奥さんと一緒に移っている写真が掲載されている。このページには、喜味こいしさんの戦争体験も掲載されている。

広島平和記念資料館サイトの該当ページ

 

 

 明治、大正生れの方から戦争体験をお聴きする機会が次第に失われていく。

 先月下旬、広島に原爆を投下したB29爆撃機“エノラ・ゲイ”の12人の搭乗者のうち最後の生存者が亡くなったというニュースを目にした。93歳だったようだから、原爆投下時点で、猫八とほぼ同じ年齢だったことになる。

 二十代前半の若者が、一人は空から原爆を投下する役目を持ち、もう一人は投下後の悲惨な光景を目にすることになったわけだ。

 

 広島では、核兵器のない世界を訴えても戦争について語らない首相が式典に並んでいた。

 本当に核兵器のない世界を望むなら、その材料となるプルトニウムを算出する原発の存在も否定すべきだろうと思うが、日本の首相にはそのような想像力はないようだ。彼の信条は一つ。アメリカが喜ぶことをすること。広島と長崎に原爆を投下したアメリカにヨイショする幇間なのである。原爆を含む戦争の被害者の方々は、今の日本の首相をどう見ているだろうか。

 “わらわし隊”の人気者であったミス・ワナカは、敗戦の翌年に心臓発作で三十六歳の若さで亡くなった。ヒロポンで命を縮めたと言われる。私は、戦時中の大陸慰問の際にワカナの漫才で大笑いしていた数多くの兵士が、戦争の犠牲者になったことと、ワカナの戦後の早逝を、分けて考えることができない。

 戦争で亡くなった方も、肉体は生き残ったものの心の病に悩んだ人も、同じ戦争の犠牲者だと思う。

 イラク戦争に関連して中東に配備されていた自衛官の自殺者が非常に多いという統計がある。湾岸戦争、イラク戦争から帰還した米兵に自殺者が多いのは周知の事実である。私は、それらの人も広義の戦争犠牲者だと思っている。

 猫八は、貴重な映像を遺してくれた。昭和六十三年、六十七歳の時に収録されたものだ。

 広島平和資料館サイトの「平和データベース」の「被爆者証言ビデオ」で“岡田六郎”と検索してもらえれば、猫八の証言ビデオを見ることができる。

広島平和記念資料館・平和データベース

 三代目の江戸家猫八は、芸人として通常の高座やテレビで戦争の影を一切見せることはなかった。しかし、原爆症での苦しみは後々の人生まで残ったらしい。映像にあるように、ほんのちょっとの運命のすれ違いで、あの時に広島にはいなかったかもしれない。それでも、幸運にも芸人として生き残る道を歩むことができたことに感謝の思いがあったからこそ、敗戦後三十年以上も過ぎてから、戦争体験を伝えようとしたのだと思う。被爆者手帳を受けとったのは、昭和五十九年のことだった。

 戦争への記憶が薄れることを利用するかのように、日本が戦争のできる国になる準備を進める為政者がいる今だからこそ、反戦、非戦の声を絶やしてはならないだろう。猫八が伝えようとした記録も、貴重なものだと思う。

戦時演芸慰問団 「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争 (中公文庫) 文庫 – 2010/7/23     早坂 隆  (著)

著者の早坂隆氏自身が「プロローグ」の冒頭で記している、「これから記そうとしているのは、日中戦争にまつわる、ちょっと変わった類の物語だ。
『ちょっと変わっている』といっても、それは虚構や作り話ではない。あくまでも、本当にあった事実だけを扱ったノンフィクションである」という言葉どおり、
本書は当時のお笑い芸人が中心になって結成された、戦時慰問団「わらわし隊」の記録であるため、戦前・戦中の本でありながら、大いに楽しく
読める本でした。それでいて、当時の重要な事件・事柄にもしっかりと触れている大変重厚な本です。

まさに、「戦争の主役は、政治家や高級軍人ではなく、一般の庶民である。彼らの等身大の表情を淡々と描くことが、戦争の臭いや感触を理解するための
最良の方法であると思っている。これから紡ぎたいのは、人間味のある戦争の話だ。日中戦争における一種の異観と言ってもいい。戦中の日本人を
『天皇に洗脳されていた』『好戦的な軍国主義者』としか捉えきれていないような人にも、じっくり読んでいただけたら嬉しい。約70年も昔の日本人も、
平成を生きる私たちと大して変わらない社会集団だったという一側面を、感覚の受け皿として共有したい」とあるように、本書は生々しい話ばかりです。

「わらわし隊」の活躍については、本書の「柱」とも言うべき内容なので、何を紹介しても興味深い話ばかりなのですが、個人的に注目したいのが、
先述したように当時の事件や事柄にもしっかりとページを割いていたこと。とくに「南京なんたら」と呼ばれるものについては、当時の南京での
公演記録などがちゃんと残っていたので、「わらわし隊」の活躍を追いながら、当時の南京の真の「景色」がありありと浮かび上がる素晴らしい内容でした。

たとえば、国際安全区幹事でYMCA書記長のジョージ・フィッチが言う、「一日に1000件も強姦が続発」、「昼も夜も日本軍の暴行が続いた」などの証言。
早坂氏によれば、

「改めてわらわし隊の南京公演に関する複数の資料を点検していこう。わらわし隊の公演に主として使われたのは国民大会堂であり、収容人員は
中国側の資料によれば『2500人』である。この大会堂が連日、満員となっていた。この当時、南京にいた日本兵の数は約4000人。南京陥落戦の後、
つまり昭和12年の年末から昭和13年正月にかけて、既に多くの部隊が南京から他の戦場へと転進していた。その後も南京に留まっていたのは、
奈良の38連隊、津の33連隊が中心で、各連隊それぞれ約2000人、合わせて約4000人という人員である」

「南京で警備にあたっていた約4000人のうち、わらわし隊の舞台に約2500人が集まっていたことになる。実に駐留部隊の約62・5パーセントの
兵力が一ヵ所に集まり、しかも演芸を観て腹をよじって笑っていた。それが昭和13年1月23日~27日にあった南京の本当の光景だ。
これが『何千という婦人が強姦され、十万以上の人々が殺害され、無数の財産が盗まれたり、焼かれたりした』最中の景色と言えるだろうか」と
検証を進めてゆきます。

また、早坂氏は南京攻略戦の前後に起こったと言われる「ダイギャクサツ」についても、多くの犠牲者が出たことは、いくつもの文献を調べて
「明らかである」と断りを入れたうえで、

「ただ、それにしても、それらが『虐殺』と言われる行為に相当するものなのかどうかについては、極めて冷静な議論が必要である。一般的に
『虐殺』とは『一般市民、子女といった非戦闘員、武器や戦闘服を捨て戦闘の意志を放棄した人々を殺害する行為』と定義される。通常の戦闘行為の
結果によって発生した戦闘員の犠牲者については、通常『虐殺』とは言わない」

「さらに、南京での『捕虜の虐殺』が問題視されることも多いが、軍服を脱ぎ捨てた所謂『便衣兵』の処刑については、便衣兵自体が国際法違反であり、
ハーグ陸戦法規(1907年)の保護を受ける資格がないという議論も無視することができない」

「道徳的には『<戦死体>も<虐殺死体>も、同じ死体だ』ということになろう。それは道徳や倫理の世界でならそれで正解だ。私も感情的には
そう思う部分もある。しかし、南京陥落を巡る歴史認識が、既に政治的、外交的意味合いを有している現在、この問題はあくまで『当時の戦時国際法に
違反するか否か』という文脈でとらえていく必要がある。通常、二国間の軍隊による戦闘は、それがいくら大規模な犠牲者を出したとしても、
それだけでは戦時国際法の違反にはならない。戦争そのものを犯罪とする法規もない」と、詳細に解説します。

本書で早坂氏が使用している資料は、検閲される必要もない「わらわし隊」の記録が中心なので(中には中国側の資料もある)、芸人の彼ら彼女たちが
実際に見た南京の「景色」、戦争の「景色」というものは、早坂氏が「プロローグ」で語っていた暗黒史観に囚われているヒトたちの主観的な「景色」とは
真逆の、すがすがしさすら感じる生の「景色」でした(囚われているというか耽溺しているんでしょうね)。

さらに、巻末の麻木久仁子の解説も ъ(゚Д゚)グッジョブ!! 本書に収められている、早坂氏が中国で体験した「お約束」とも言うべきエピソードを
引き合いに出して、

「この時、日本人の一青年として早坂さんはどうしたか。親の世代でさえ戦後生まれ、団塊ジュニアの早坂さんが、歴史とどう向き合うべきかという
問いと真摯に向き合う姿に好感が持てる。歴史を現代の価値観で判断したり断罪すべきではないという信念がよく分かるエピソードだ」と、
惜しみない賞賛を送っています。

さすがはこの人、かつてはTBSラジオ「バトルトークレディオ・アクセス」の金曜日担当として、相方の日刊ゲンダイ元・編集長の二木啓孝を、
毎週あやしていただけはあります。この解説のお言葉、後継番組をやっているチキチキバンバンに是非とも聞かせてやりたいものです。

本書は、本当に一風変わった前線と銃後のノンフィクションです。この手の本、それなりに読んできましたが、「お笑い芸人」の視点から見た
「戦争」という、大変面白いテーマなので、知らなかったエピソードが山のようにありました。近代以降の我が国の歴史(文化史とともに)を深く、
そして面白く知ることができるので、死んでもオススメの一冊。

新しい戦前・新しい中世・新しい江戸 時代のポイントを鋭くついたタモリ発言 歴史は繰り返すのか

タモリの発言「新しい戦前」が話題に

1月13日(日本時間1月14日)に日米首脳が会談。日米同盟を一層強化していく方針で一致した(写真:ロイター/アフロ)

「新しい中世」という言葉

「新しい江戸」かもしれない

駿府城公園内の本丸跡にある徳川家康の銅像。家康の幕府樹立に始まる江戸時代は約260年続いた(写真:アフロ)

歴史には相似の状況が現れる

16 コメント

2023年

2月

20日

戦争の愚かさを伝えた漫画家 『松本零士さん(85歳)死去 急性心不全 ご冥福をお祈り致します。Apex product 社員一同

※ 私は、個人的には、男おいどんが、好きでした。若い頃、3畳の汚い下宿で、漫画と同じ様なキノコ・サルマタケが出て来た時にはさすがに笑いました。パンツでは無いですが、敷きっぱなしのコタツ布団の下から怪しげなキノコが顔を出したのです。でも皆んなそんな生活だったから自分が特別貧乏で苦労してるとは、思って無く楽しく仲間と過ごしてました( ´艸`)


後は、やはり、メーテルが彼女だったらいいなぁと、男達が集まると必ずそんな話してました。理想の彼女像だったのですね。きっと。そうですね~後、思い出は、やはり、宇宙戦艦ヤマトですね。ぶっ飛んでましたねー。戦艦ヤマトが宇宙船❓どんなストーリーなんだ。ワクワクしたものです。

でも初めてテレビで放送された時は、視聴率も悪くパッとしなかったらしいです。

私はテククワンからファンでしたよ。再放送で大ヒットしましたね。当時はそう言った漫画がいっぱいありましたね。
松本零士先生は、戦争の愚かさを、999で、戦艦ヤマトで、訴えていたのでしょう。先人の生きたかった今を描いていたのが読み取れて素晴らしいメッセージ性があるから、ついつい読んだり見たりしていたのだと思います。

残念ではありますが永遠に私達の心に残るでしょう。宇宙に旅立った松本零士先生のご冥福をお祈り申し上げます。Apex product 社員一同

「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」などの作品で知られる漫画家の松本零士(まつもと・れいじ)さん(本名・晟=あきら)が2月13日午前11時0分、急性心不全のため、都内の病院で亡くなった。85歳だった。20日、東映が発表した。告別式は近親者のみですでに執り行っており、喪主は妻で漫画家の牧美也子さんが務めた。

 所属する零時社の代表取締役で、長女の松本摩紀子氏もコメントを発表。「漫画家松本零士が、星の海に旅立ちました。漫画家として物語を描き続けることに思いを馳(は)せ駆け抜けた、幸せな人生だったと思います。『遠く時の輪の接する処で、また巡り会える』と松本は常々申しておりました。私たちもその言葉を信じ、その日を楽しみにしています。これまで応援くださいましたファンの皆さま、作品を世に送り出してくださいました関係各社の皆さま、お世話になりました各自治体ならびに各団体の皆さま、若かりし頃から共に切磋琢磨(せっさたくま)してくださった漫画家の先生方、そして旅立ちにあたりサポートしてくださいました病院の皆さま、心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました」とつづった。
 松本さんは、1938年(昭13)1月25日生まれで、福岡県久留米市出身。6歳の頃から絵を描き始め、9歳で運命的な本(「新寶島」「月世界紳士」いずれも著者は手塚治虫氏)との出会いをきっかけに漫画を描き始め、15歳の時に投稿作「蜜蜂の冒険」が「漫画少年」で受賞掲載され、商業誌デビュー。実質的な漫画家デビューは1957年「少女」掲載の「黒い花びら」で、しばらくは少女漫画誌での執筆が続いた。
 1968年に青年漫画誌が誕生し始めたころ、「漫画ゴラク」に「セクサロイド」を発表。以降、青年漫画誌での執筆が増え、少年・青年漫画のジャンルで活躍し、「男おいどん」「ガンフロンティア」「宇宙戦艦ヤマト」「クイーンエメラルダス」「ザ・コックピットシリーズ」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「銀河鉄道999」「新竹取物語1000年女王」など数々のヒット作を生み出した。
 19年11月、「宇宙海賊キャプテンハーロック」が、イタリアでのテレビ放送40周年を迎えて訪れたイタリア・トリノで倒れたこともあったが、帰国後は回復。東映によると、最近体調を崩し、年齢を考慮して入院していたという。

愛すべきは「男おいどん」 
四畳半とサルマタに埋もれた押し入れ。主食はラーメンライス(時々生卵付き)、永遠の美女西尾さん、 
男の意地を貫いても何もできないままに今日も日がくれる。 
ハーロックもトチローもメーテルも、おいどんが四畳半で見た夢なのかも知れないがパラレルワールドでは現実になる。加齢なる親父より

『男おいどん』は、四畳半の下宿である「下宿館」における主人公、大山昇太をはじめとする若者たちの青春群像を描いた松本零士の漫画。『週刊少年マガジン』誌上で1971年5月9日号から1973年8月5日号まで連載された。第三回講談社出版文化賞児童まんが部門受賞。 

概要・あらすじ

大山昇太は、中学校卒業後、大志を抱いて九州から上京する。昼間はアルバイト、夜は夜間高校に通うも、トラブル続きで、どちらの道も閉ざされてしまう。オンボロアパート「下宿館」の四畳半で、金も無い、腕力も無い、彼女もいない、という絶望的な状況の中、昇太は、男の意地と根性で生き抜いていくのだった。

 

登場人物・キャラクター

 

 大山 昇太 (おおやま のぼった)

 

九州弁を使い、一人称は「おいどん」。中学卒業後、立身出世を夢見て上京。昼間は町工場でバイトし生活費と学費を稼ぎ、夜は定時制高校に通う。だが、トラブル続きで、バイトをクビになり、学校も休学せざるを得なくなる。上京して3、4年経つが、ボロアパートの下宿館の西向き四畳半で極貧生活を続けている。 家財道具も売り払ってしまい、財産は数十枚の汚れた縞パンツのみ。無芸大食、人畜無害、痩身短躯、ド近眼なれど、プライドは高く、意地っ張りである。正義感が強く、喧嘩っ早いのだが、腕力は滅法弱い。風呂嫌いで数ヶ月は入らなくても平気。こんな男だが、母性本能をくすぐるのか、なぜか興味を持ち優しくしてくれる女性は数多い。 だが、所詮は代用品か暇つぶし程度でしかなく、悲恋に終わることが多い。父親と弟の大山太が、時折上京し、下宿を訪ねに来る。

 

 山田 マス (やまだ ます)

 

下宿館の女主人。夫に先立たれ、たった一人で下宿を切り盛りしている。様々な若者の成功や挫折を見続けており、下宿人達には、厳しいながらも情愛を持って接している。家賃滞納の常習者である大山昇太には、手を焼いているが、危急の際には、食料や資金の援助を惜しまない。料理も上手く、不気味なキノコ、サルマタケですら多種多様のメニューに変えてしまう。 トラブルの際には、ホウキや包丁を振り回して雄々しく立ち回る。姪に沖野奈美という美女がおり、一時期下宿館で暮らしていた。

 

 紅楽園のおっさん (こうらくえんのおっさん)

 

大山昇太がよく通う中華料理店の店主。妻と二人三脚で経営し、出前も行っている。名物はラーメンライス。大山昇太を「おいどん」と呼び、その生き様を高く評価している。大山が困窮している時には、食事をご馳走したり、アルバイトとして雇ったりと、何かと世話を焼いてくれる。 さらに大山が落ち込んでいる際には、酒を振る舞い、自らもくだを巻き、暴れる。大山が、たまに売りつけに来る不気味なキノコ・サルマタケも買い取るものの消費できず、逆に繁茂させてしまっている。

 

 トリ

 

『男おいどん』に登場する鳥類。大山昇太が自室で飼っているペット兼非常食。大山の部屋のお向かいに住んでいた浅野さんから貰い受けた。南米からタンカーの船員が連れて来たものらしく、種類は不明。物まねが上手く、レコーダーのように聞いた言葉を再生できる。普段は罵声や悪態を吐き散らす。空を飛ぶことも出来るが、基本、大山の四畳半に棲み着いている。 食欲は旺盛で、不気味なキノコ・サルマタケやインキンタムシの薬までも好んで食す。

 

 パンツがたき

 

下宿館に隣接するアパートの浪人生。すでに5年も浪人しているらしい。大山昇太の部屋がすぐ近くのため、大山が騒ぐ度に、勉強の邪魔だと、パンツの塊やパンツで包んだコーラ瓶を窓から投げ込んでくる。対する大山は、汚れたパンツの巨大な塊を「集合力」と称して投げ込み勝利することが多い。 この乱戦にトリが加わると、対抗意識を燃やしてネコを飼うなどしている。大山と同様の縞のパンツを愛用しており、すでに混在して区別は付いていない。実は体を壊しており、一旦帰郷するが、しばらくして復帰する。意外にも彼女がいる。

 

 サルマタケ

 

『男おいどん』に登場するキノコ。大山昇太の押し入れに繁茂する不気味なキノコ。押し入れに詰め込まれたパンツが作り出した高温多湿な環境により出現した。長雨などで水分を吸収すると数倍に大成長を遂げる。困窮時には大山の貴重な栄養源となる。ゆえに大山はサルマタケの栽培法や栄養分析の物理学的解説、料理法48コースなど研究に余念が無い。 それなりに美味らしく、生息地を知る前には下宿館の人間たちが、男女問わず一度は食している。その勢いは留まることを知らず、部屋から庭へ拡大し、隣の下宿まで脅かすまでになっている。

 

 伊藤 朝香 (いとう あさか)

 

大山昇太が働いていた大町工場の事務の女の子。大山に好意を抱いており、兄の形見のドストエフスキー作『罪と罰』を貸してくれた。工場をクビになった大山を心配するが、自らも工場を辞め、結婚のため故郷へ帰る。夫との間に子供をもうけるが、度々工場や大山のアパートに挨拶に来る。

 西尾 令子 (にしお れいこ)

練馬美大の学生で、シュールレアリズムの画家を目指し、下宿館に暮らす。大山昇太をヌードモデルのアルバイトに誘うが、逆に屈辱を味あわせてしまったことを後悔する。その後は、何かと大山の世話を焼き、パンツの山を洗濯したり、パンツを縫い合わせて布団を作ってくれたりもした。 だが、大山に対しては弟的な愛情止まりで、美大を中退した後に、松尾という高校の同級生と結婚する。その後もプレゼントを贈るなどして、ことある毎に大山を激励する。自ら下宿館を訪ねることもあり、変わらない大山の若さを羨んでいた。

 

 中原 薰子 (なかはら のぶこ)

 

ボロアパート下宿館に暮らす女子大生。育ちが良いように見えるが、実家は下町の長屋育ちで苦学生でもある。コンタクトレンズを着用しており、大山昇太同様の近眼である。男の兄弟が多いため、大山のパンツの後片付けなど器用にこなす。大山に好意を寄せ、初キスの相手でもある。 京都の壬生大学の相良勇という恋人がおり、結婚して彼の実家のある京都へ移った。

 

 林 厚子 (はやし あつこ)

 

あまり美人ではないが、さっぱりした性格の女の子。人前で男性に恥をかかせず、花を持たせる優しい心の持ち主。女性ながらインキンタムシに感染している。実は、古武道研究会の副部長で、男相手に組み打ちをやるためインキンタムシが移ってしまった。特効薬マセトローションを分けてくれた大山に恩義を感じ、ケンカ技を習得するように勧めている。 老朽化した下宿館を後にして、新築アパートへ引っ越していった。

 

場所

 下宿館 (げしゅくかん)

 

『男おいどん』に登場するアパート。瓦葺きの二階建てアパート。主に学生や予備校生が利用する。洗面所とトイレは共同で、風呂は無く、住民は主に銭湯を利用する。1階には、大家の山田マスが住んでおり、住民に食堂や風呂を開放することもある。24時間住民が出入りできるように、原則として玄関の鍵はかけないので、泥棒が侵入したことも多い。 かなり古く傷んでおり、大山昇太が騒動を起こす度に天井が落ち、床が抜ける。大山は、階段を上ってすぐの西向きの部屋に住んでいる。この部屋から不気味なキノコ・サルマタケが無限に繁殖している。大山の向かいの部屋には、なぜか美人が下宿することが多い。

 

その他キーワード

 

 インキンタムシ

 

『男おいどん』に登場する皮膚病。大山昇太の陰部を冒す皮膚病で、常に激しい痒みをもたらしている。作中に登場する『家の医学』によれば、インキンとタムシは別の疾病である。インキンは陰嚢部分の乾燥性の湿疹で皮膚が剥げる。タムシは白癬菌というカビによるものである。治療法としては、大山はマセトローションという軟膏を愛用していた。 大山を媒介として、下宿館の男性のほとんどがインキンタムシに感染している。

 

 縞パンツ (しまぱんつ)

 

『男おいどん』に登場する下着。大山昇太が愛用しており、サルマタと呼称されることもある。近所の用品店で安売りのものを買ったり、実家から贈られてきたりと、常に数十枚備蓄している。大山が自ら洗濯することは希で、夏季は押し入れの中で蒸れて異臭を放ち、不気味なキノコ・サルマタケとインキンタムシの温床となっている。 冬季には水分が凍り付き、岩のような塊となってしまうこともある。大山は、パンツの山の中にくるまって布団代わりにして睡眠することが多い。

 

 守り神 (まもりがみ)

 

『男おいどん』に登場する学帽と学生服。大山昇太が中学時代に着ていたもので、上京の際に母親がお守りを縫い付けてくれた。大山は、これを「守り神」と称して大事に押し入れの奥にしまっており、挫けそうになった時に出してきては、誓いを新たにしている。

4月5日(水)発売
「キネマ旬報4月下旬特別号」
巻頭:松本零士追悼特集
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2023年

2月

26日

〜浅草寺本尊御示現 浅草神社宮神輿「堂上げ・堂下げ」のご案内〜

〜浅草寺本尊御示現 浅草神社宮神輿「堂上げ・堂下げ」のご案内〜
令和5年3月17日(金)・18日(土)の2日間にて執り行われます。
ここ数年コロナ禍により中止されていた宮神輿の「堂上げ・堂下げ」を本年は行う運びとなりました!
この祭事は、浅草神社の宮神輿3基にお移りになった三社様が浅草寺本堂に籠られ、観音様と一晩をお過ごしになります。
江戸時代以前の祭礼形式の一部を現代に復元させようと、平成の御代よりこの行事が斎行されています。
2日間の予定は以下となります。
3月17日(金)
午後5時〜 浅草神社宮神輿「神霊入れの儀」 於:浅草神社境内
午後5時50分〜 移御行列発進
午後6時〜 宮神輿3基堂上げ 
午後6時30分 浅草寺一山式衆読経
3月18日(土)
午前9時 浅草神社宮司祝詞奏上 於:浅草寺本堂 
午前9時5分 浅草寺一山式衆読経
午前9時15分〜 宮神輿3基堂下げ
午前9時35分 神事びんざさら舞奉納 於:浅草寺本堂前
午前9時45分〜 庭祭礼〜町中移御
(浅草寺本堂を一周した後、二天門〜馬道通り〜言問通り〜浅草通り〜江戸通り〜馬道通り〜二天門)
正午 宮入り渡御
午後5時〜 浅草神社宮神輿「神霊返しの儀」 於:浅草神社境内
本年は18日が休日にあたる為、堂下げの後に宮神輿が浅草の町を移御します。
移御予定時刻はこちら↓
10時 二天門前交差点
10時10分 馬道交差点
10時30分 西浅草3丁目交差点
11時 寿4丁目交差点
11時15分 駒形橋西詰交差点
11時30分 二天門前交差点
11時45分 浅草神社鳥居前
※当日の状況によっては時間がずれる可能性もございます。
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2023年

2月

28日

2/28日は、桑田さん原ボウの結婚記念日です。おめでとうございます。

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2023年

2月

28日

「まっすぐ生きよう」長渕剛さんが高校生に弾き語りでエール

鹿児島出身のシンガーソングライター長渕剛さんが、卒業を控えた高校生にエールを贈りました。 

鹿児島女子高校の体育館に集まった、およそ700人の生徒たちを前に登場したのは…鹿児島出身のシンガーソングライター長渕剛さんです。 

コロナ禍で部活動や学校行事などを制限されてきた3年生に思い出を作ってもらおうと、「乾杯」など7曲を弾き語りで披露しました。長渕さんの大ファンという福永純一郎校長が話を持ち掛け実現しました。 

曲の間には生徒たちに熱いメッセージも贈られました。 

(長渕剛さん) 
「先生や親や仲間たちと約束したことは“まっすぐ生きよう”なって。僕は東京やどこに行っても、まっすぐ生きようって」 

(3年生) 
「最高でした。すごく盛り上がった」 
「心臓に響く感じですごかった」 
「まっすぐ生きようという言葉が印象に残った。そのとおり頑張っていきたい」 

(長渕さんの大ファン 福永純一郎・校長)「(文化祭で)ハーモニカとギターで歌うことがある。最後は涙が出そうだった」 

鹿児島女子高校をはじめ、県内の多くの公立高校では28日に卒業式です。

長渕剛「TSUYOSHI NAGABUCHI CONCERT TOUR 2022 REBORN with THE BAND」Blu-ray/DVDが LIVE ECで予約受付スタート!

ticket boardをご利用いただきましてありがとうございます

2022年6月から21会場で28公演が開催された長渕剛の全国ツアー「TSUYOSHI NAGABUCHI CONCERT TOUR 2022 REBORN with THE BAND」より、地元・鹿児島での公演を収録したLIVE Blu-ray/DVDがリリース!

LIVE ECでご予約いただくと「アクリルスマホスタンド」をプレゼント!
この機会をお見逃しなく!

※数量に達し次第終了となります

■LIVE EC予約受付期間:2023/03/16(木)23:59 まで
■発売日(お届け予定日):2023/04/19(水)
■価格:Blu-ray ¥9,900 (税込)/DVD ¥8,800(税込)

▼ご予約・詳細はこちら▼
https://live-ec.jp/tsuyoshinagabuchi/
※外部サイトに遷移します

長渕剛、全国ツアーで満員声出し解禁「日本の空に拳をたたき込む、大暴れしたい」

報知新聞社

伝説のアクション女優・志穂美悦子さん、67歳の今が「お美しい」…花創作家に転身、長渕剛との美人娘も話題

報知新聞社

長渕剛&志穂美悦子さんの34歳長女・文音、愛犬との美人ショット!「母そっくり」「最強なDNA」と話題

シンガー・ソングライター長渕剛、元女優・志穂美悦子さん夫妻の長女で、女優の文音(あやね、34)が28日までに自身のインスタグラムを更新し、愛犬との最新ショットを公開した。

文音は「らんちゃん10歳の誕生日 もう私の歳を追い越しちゃったね。時は永遠じゃないという事をこの子は身体全身で毎日伝えてくれています。まだ3歳とか4歳くらいに間違われるけど これからは関節に気を付けながら健康で長生きしようね」と愛犬の誕生日を祝福。

 「らん、おめでとう いつもいつも愛してる。これからもずっと一緒だ らんと私の温度差をお楽しみ下さい」「#shihpoolife」とふわふわの愛犬に顔を寄せた写真をアップし、「美人ふたり」「癒やされた」「可愛いらんちゃん」「幸せ感満載ですね」などの声が寄せられた。

 文音は明治学院大学国際学部国際学科卒。高校3年の時、演技のワークショップに参加し女優の道に。昨年9月2日には「この度私文音は“楽映舎WalaU”に所属したことをご報告します」と事務所移籍を報告するとともに、ロングヘアの近影を披露し「お母さんにそっくりです」「最強なDNA」の声が上がった。

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2023年

2月

28日

トラックドライバーをタダ働きさせる「パレット回収」の闇! カネにならない物流こそ光を当てるべきだ

生産・販売活動に伴う動脈物流に対し、返品や廃棄、リサイクルに係る静脈物流が、SDGsやESG経営・投資の文脈から重視されるようになってきた。

   「動脈物流」「静脈物流」とは?

 モノを作り、あるいは販売するための物流、すなわち生産活動や販売活動に伴って発生する物流は「動脈物流」と呼ばれる。対して、返品や廃棄、リサイクルなどに伴い発生する物流は「静脈物流」と呼ばれる。

 筆者(坂田良平、物流ジャーナリスト)が書いた記事も含め、世に出る物流関係のニュースは、ほとんどが動脈物流に関する記事であり、静脈物流に関する記事はとても少ない。少ないのだが、SDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会・企業統治)経営・投資などの観点から、最近では静脈物流の重要性が増している。

 静脈物流がなぜ重要なのか。2回に分けて解説する。

     静脈物流が注目される理由

 人間の体内において、酸素や栄養素を体の隅々まで供給する動脈に対し、静脈は二酸化炭素や老廃物を回収し、肺、肝臓、腎臓などに送り届け、再び血液をきれいな状態に戻す役目を担う。

「物流は産業の血液」と呼ばれる。産業において、「酸素」輸送にあたる動脈物流があるように、「産業の老廃物」、すなわち返品や廃棄物を輸送する静脈物流は、健全な経済活動を行う上では欠かせない。

 こういった生産・販売活動に伴う、返品、廃棄、リサイクル、リユースなどの輸送活動が静脈物流である。

 昨今、静脈物流が注目されるのは、SDGsやESG経営・投資など、社会全体が環境意識を高めていることが背景にある。

 SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)は、「『誰一人取り残さない(leave no one behind)』持続可能でよりよい社会の実現を目指す世界共通の目標」と定義されている。掲げられた17のゴールは、必ずしも環境だけを意識したものではなく、経済、社会にもフォーカスした包括的なものとなっている。

 ESGとは、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス / 管理・統治)の頭文字を取ったものである。

 ESG経営は、ESGの三要素に配慮した経営を指し、ESG投資は投資対象となる企業におけるESGの取り組み具合を投資基準として判断することを指す。

 ESG経営・投資は、財務諸表では表現しきれない、「良い企業」であるべく行っている企業努力に対し、ESGという切り口でフィルタリング、整理整頓し、評価する考え方であると言えよう。

 ただし、SDGs、ESG経営・投資といった観点で判断される、「良い企業である」という指標に対し、公式に認められた定量的評価手法やチェックシートは存在しない。存在しないから、各企業は頭をひねり、「○○のような取り組みを行えば、『社会や環境に配慮した良い企業である』と判断されるのではないだろうか?」と考えられる取り組みを手探りで行っているのが現状である。

 静脈物流も、こういった手探りの「良い企業を目指す」活動の一部に組み込まれることが多い。だからこその問題も生じている。

    静脈物流の課題とは

 動脈物流は生産や販売など、売り上げを生むための活動である。対して、静脈物流で運ばれるモノは、売り上げに直接的には貢献しないことがほとんどだ。売り上げがない、もしくはあってもごく少額であるため、利益はもちろん、輸送にかかるコストすら捻出できないケースが多い。

 これが、静脈物流における最大の課題である。

 例えば、パレットやかご台車、あるいは最近では通い箱(青果を始めとする生鮮食料品から海産物、部品などの工業製品まで幅広く使われている)と総称される使い回しが可能な輸送用の箱は、現在の物流には必須である。

 これらは配達先で貨物を卸され、あるいは開梱(かいこん)された後、再び出荷元へ戻されることになる。これが厄介なのだ。

「僕ばっかりパレット回収を押し付けられるって…。どう考えても不公平ですよね」。ある運送会社で聞いた愚痴である。

 配送をするたびにたまったパレット回収をすれば良いようなものだが、現実にはその後の配送、あるいは集荷の予定次第で、パレット回収ができないケースも少なくない。おのずと配達先には、空になったパレットがたまり、誰かがまとめて回収しに行くことになる。

 問題は、パレット回収に対して、歩合がつかないことである。この運送会社では、運賃の数%を歩合としてトラックドライバーに支給していたが、パレット回収には歩合がつかない。理由は運賃がもらえないからである。

もちろん、パレット回収に運賃を支払う荷主もゼロではない。だが多くの荷主は、「配達のついでにパレット回収してくださいよ」と運送会社にお願いし、運送会社側もそれを了承する。こうして、パレット回収という静脈物流が、タダ働き化(あるいは燃料代も出ないような低運賃化)するわけだ。

 燃料代や高速代をパレット回収に支出せざるをえない運送会社も災難だが、そのタダ働きを押し付けられるドライバーもかわいそうだ。こういった割に合わない仕事は、どうしても立場の弱い新人や、文句の言えないドライバーに偏りがちになる。

 SDGsやESG経営・投資の文脈で考えたとき、ワンウェイの使い捨て輸送資材ではなく、パレットや通い箱といった何度も使える輸送資材を使うのは正しい。

 だが、回収プロセスを適切に組み上げないと、無駄なコストを発生させたり、あるいは運送会社の犠牲行為を前提としたものになったりする。

     リサイクルやリユースにおける静脈物流

 

同じ容器包装ごみでも、紙パックやダンボール、アルミ缶・スチール缶は資源価値が高く有価で買い取ってもらえるが、ペットボトル、プラ包装容器、ガラスびんなどは、お金を払わないとリサイクルできない(画像:日本容器包装リサイクル協会)

 さらに悩ましいのは、廃棄やリサイクル、リユースなどに伴う輸送活動である。端的に言うと、同じごみでも、焼却処分するもの、リサイクルやリユースができるものの資源価値が高いものと低いものがあるからである。

 1997年に施行された容器包装リサイクル法では、分別収集および再商品化(リサイクル)の対象として以下を挙げている。

1.ペットボトル
2.プラスチック製容器包装
3.ガラスびん
4.紙製容器包装
5.紙パック
6.ダンボール
7.アルミ缶
8.スチール缶

このうち、資源価値が高く、買い取りをしてもらえるのは、5~8である。それ以外は、資源価値が低く、対価を払わないとリサイクルできない。

 ちなみに、(企業ではなく)個人が排出する上記ごみについては、容器メーカーや商品メーカーなどが収集およびリサイクルのためのコスト(再商品化委託料金)を供出し、それを公益財団法人日本容器包装リサイクル協会が、市区町村と再商品化事業者に再分配し、リサイクルしている。

 企業が排出する事業ごみや不用品の場合、廃棄・リサイクル・リユースにかかる費用は、原則企業自身が負担する必要がある。厄介なのは、その手配であり、采配である。

    「すべて廃棄」はNGへ

 「下手にリサイクルするよりも、すべて廃棄したほうがコストは安くつくよね」という声がある。もちろん、そういう面もあるだろう。

 製品製造に伴って生じた端材や規格外品などをリサイクルするケースでも、金属製品のメーカーでは、有価で買い取ってもらえる可能性が高いが、プラスチック製品の製造メーカーでは、逆に対価を支払わなければならない可能性が高い。

 だったらすべて廃棄した方がコストメリットはあるのだが、そうは問屋が卸さない。

・2030年までにワンウェイプラスチックを累積25%削減
・2030年までに容器包装の6割をリユース・リサイクル
・2035年までに使用済みプラスチックを100%リユース・リサイクル

 これは、2022年4月1日に施行されたプラスチック資源循環促進法(通称、プラ新法)で掲げられた、6つの中間目標(マイルストーン)のうちの3つである。

 もちろん、SDGsやESG経営・投資の観点からも、安易な廃棄処分は問題となる。

 「リサイクルするために対価を支払い、さらにごみを運ぶための輸送にも運賃を支払わなければならないのか」。これが今、企業に突きつけられた現実であり、静脈物流の課題である。

 次回の記事では、この課題をクリアした静脈物流の事例を紹介しよう。

坂田良平(物流ジャーナリスト)

Pavism代表。「主戦場は物流業界。生業はIT御用聞き」をキャッチコピーに、ライティングや、ITを活用した営業支援などを行っている。物流ジャーナリストとしては、連載『日本の物流現場から』(ビジネス+IT)他、物流メディア、企業オウンドメディアなど多方面で執筆を続けている。

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2023年

2月

28日

Hotel & Resorts MINAMIBOSO 30年前の思い出。クリスマスディナーショー。Apex product

※30年前の話です。10年間大和ハウス様の名義人だったので、毎年クリスマスディナーショウには、参加してました。記憶にある歌手は、山本譲二さん・美川憲一さん・細川たかしさん・長山洋子さん・川中美幸さん、こんな感じですが、まだ色々な豪華ゲストがいたと思います。忘れました。コンパニオンさんを沢山よんで大宴会をやり、1人40000円でゆっくり泊まって浴びるほど酒を飲み歌って踊って業者間の親睦を深めました。半分接待、半分遊び、そんな感覚で行ってました。
クリスマスディナーショウだけでは無く、新年回・忘年会・定例会・安全大会打ち上げ・ボーリング大会・ゴルフ会社・その他色々 参加させられて、余程の利益が無いと、赤字になります。皆んな大変でした。私も苦しい毎日でした。私は、他にも大手ハウスメーカー様(10社)とは当たり前にお付き合いしてましたが、1番厳しかったのがこの会社様でした。ありがとうございました。世間の厳しさを教えてくれて(笑)

よっちゃんと2人で行く時も有りました。ほろ酔いで露天風呂に入り夜空を見てると昨日までの嫌な事を忘れてまた明日から頑張れる気になりました。今思うと良くやってました。ハウスメーカーや、ゼネコンの理不尽なやり方に反発もしないで、夜中まで見積して寝ずに働いてました。
30社の協力会社様を食わせていかないとならないので、必死に仕事取ってました。身体も壊しましたし、協力会社様の裏切りもあり
辛い日々を過ごした時期も有りました。10年間なんとか頑張りましたが、力尽き辞める事にしました。さすがにハードでした。やると決めたら身体壊すまで邁進努力するタイプなので、もっとゆっくり先を見てやれば良かったと反省してます。協力会社様には大変申し訳ない事をしました。あの時はすみませんでした。30歳で偉そうに所長として嫌な事ばかり言って不愉快な奴でした。天狗になっていたのでしょう。大きな金を右から左に自由に出来ていたから勘違いしてました。今だったら、上手く指揮指導出来てコミニケーションも取れて楽しく仕事出来たのに残念です。
失敗の経験が多いから今があるのかとも思いますが。

まあ、話が脱線しましてが、
松崎しげるさんは、めちゃくちゃ良い人でしたよ。鳶松の社長の知り合いだったので、仲良くしてもらった事が1番の思い出です。
細川たかしさんは、よく千葉のゴルフ場に来てましたから、千葉のスナックでも会いました。普通に自分の歌を歌ってくれて、気さくな方でした。バーニングプロに在籍していた時に、小泉今日子さんも連れて呑んでた時は、ご迷惑になると思いましたがサインもらいました。川中美幸さんは、TVで見るより痩せて綺麗でした。歌やっぱり上手かった。
山本譲二さんとは、よっちゃんが、握手してましたね。少し恥ずかしがって写真撮ってもらってました(笑)まあ、色々な思い出のクリスマスディナーショウでした。皆様も良かったら行って見て下さい。コンサートやライヴとは違い、スターが身近に感じられるのでとても思い出に残りますよ。お勧め致します。加齢なる親父より

クリスマスディナーショー 2017年

 
今年のクリスマスは4名からなるThe Mint Factoryが華やかに見せて、聞かせて、盛り上げます。今宵限りのDisco & R&B LIVEをどうぞご一緒に楽しみましょう。
 
 

ショー + ディナーブッフェ + フリードリンク=12,000円

                        ※料金はサービス料・消費税込み
 
<The Mint Factory(ザ・ミントファクトリー)>
4名の女性ボーカル、リズムセッション、ホーンセクションで構成され、上質なショータイムをお届けするクラブバンドです。1970年~1980年代のDisco Song~90年台のR&B Soul Musicを基調にしており、4名からなるDivaがパワフルかつダンスフルにダンスフロアーを彩り、時には極上なバラードで紳士、淑女に語りかけます。The Mint Factoryは、銀座ケントス、横浜ケントスに毎月2回ほどゲスト出演しております。その他パーティーやイベント出演など、各方面で活躍中です。
 
【会場】南房総富浦ロイヤルホテル 1階ロイヤルホールにて 18:00~21:30分
    〒299-2404 千葉県南房総市富浦町多田良1212
【料金】お一人様12,000円(サービス料・消費税込み)
【電話】スマホの場合はここから直接電話できます⇒0470-33-3811
 

クリスマスパーティー特別宿泊プラン

 
お一人様一泊朝食付き/和室(喫煙または禁煙)または洋室(禁煙)
・2名~4名一室利用  7,000円
・1名一室利用    12,000円
    ※料金はサービス料・消費税込み

オールディーズ クリスマスパーティー2016

 
南房総富浦ロイヤルホテルのクリスマスパーティー
 
1950年~1960年代のオールディーズはもちろん
1970年~1980年代のソウル、ディスコ、ロックナンバーで
クリスマスをお楽しみください。
 
【開催場所】南房総富浦ロイヤルホテル 1階ロイヤルホールにて
【住所】〒299-2404 千葉県南房総市富浦町多田良1212
【開催日時】2016年12月6日(火)
      18:00~21:30
      1stステージ 18:30~
      2ndステージ 19:30~
      3rdステージ 20:45~
【お問い合わせ】南房総富浦ロイヤルホテル TEL:0470-33-3811
 南房総富浦ロイヤルホテル クリスマスパーティー 
 
【料金】  1人12,000円(消費税、サービス料込み)
      ショー+ディナーブッフェ+フリードリンク
      
  ※フリードリンクはホテル指定のドリンクとなります。
  ※20歳未満の方、お車等の運転をされる方へのお酒類のご提供はできません。
  ※写真、イラストはイメージです。
  ※チケットお申込後の変更・キャンセルはできません。
【出演】スカーフェイスについて
  結成は1992年バンド・リーダー宮川哲さんを中心に、男4名、女2名で構成。
 スカーフェイス・プロジェクトとして新宿ケントス等において、70’S~90’Sのロック、ポップス、
 R&B、ディスコ・クラシックス(アース・ウインド&ファイアー、K.C&ザ・サンシャイン・バンド、
 スティービー・ワンダー、ホイットニー・ヒューストン、イーグルス、デイープパープル etc…..)等の
 ヒットナンバーを、ホーンセクション、パーカッションを加え再現、総勢10名による熱いライヴを展開しています。   
 

クリスマスパーティー特別プラン

 
 お一人様1泊朝食付/和室(禁煙または喫煙)または洋室(禁煙)
 
 2名~4名1室利用  7,000円
 1名1室利用    12,000円

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2023年

3月

04日

BSプレミアムで「安全地帯 40周年記念コンサート」を放送へ。圧倒的な歌唱力とパワフルな演奏で心揺さぶるステージ。そして、玉置浩二の最新インタビューも!

安全地帯40周年記念コンサート
放送:3月11日(土)午後9時00分~10時00分
チャンネル:BSプレミアム
楽曲:「ワインレッドの心」「情熱」「悲しみにさよなら」「I Love Youからはじめよう」ほか

NHK BSプレミアムは3月11日に『安全地帯 40周年記念コンサート』を放送する。安全地帯は、去年、デビュー40周年という節目を迎え、2019年の阪神甲子園球場でのライブ以来3年ぶりにコンサートを開催した。年末には、1985年以来37年ぶりに『NHK 紅白歌合戦」に出場。田中裕二さん(Drums)が亡くなった直後に披露された力強いパフォーマンスは、大きな感動を呼んだ。
番組では、去年11月に4日間にわたって行われた40周年記念コンサートから、最終日の模様を、リハーサルや舞台裏の映像とともにたっぷり届けるほか、今年1月に収録したばかりの玉置浩二さんの最新インタビューもオンエア。仲間の逝去、バンドとして37年ぶりの紅白出場、そして「安全地帯」への今の思いを語った。
本番組は、2月4日(土)にBS4Kで放送されたもの。オンエア後、視聴者から、「BSプレミアムでも放送して欲しい」「素晴らしい番組だった。私たちにとっても、安全地帯は“たったひとつの青春”」などの声が数多く寄せられたことから、今回の放送が決まった。
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2023年

3月

07日

正しい恨みの晴らし方 (ポプラ新書) 中野信子

正しい恨みの晴らし方 
科学で読み解くネガティブ感情
中野信子、澤田匡人
ポプラ新書
ダラダラと読んでしまいましたが。
脳科学と心理学から「羨み」「妬み」やがて
「恨み」へという誰もがもつ感情を分析して
いる。
地球上の様々な生き物は子孫繁栄が
ほとんどながら、このような感情を強く
抱くのは人間だけで、その感情をどう
受け止めて、なんとかするか、抑えるかは
その人個人になってしまうようです。
そういう感情を持ちながらも
生き延びてる、生き残っていることを
感じましょうという結びが、感情抱いてて
どうして良いかという回答にならないの
ですが、それだけ脳や心理の世界は
奥深い、まだ突き詰めてないのかなと
読みながら感じました。
私事ですが、読みながら、
自分は日頃の受け止め方から
妬みの塊なんだなあと反省も
情けなさも思ったり〜

なぜ、あの人の不幸がこんなに
気持ちいいのだろう?

なぜ、あの「親友」の結婚を
心から祝福できないのだろう?

なぜ、同期の出世が
許せないのだろう?

***************

どんな人でも感じてしまう
「妬み」や「嫉妬」などのネガティブな感情。

そんなとき、
脳や心にはどんな変化が生じているのか、
どう対処すればいいのかを
ベストセラー「脳内麻薬」で知られる
脳科学者・中野信子さんと
気鋭の心理学者・澤田匡人さんが
それぞれの専門分野をもとに解き明かします。

既読スルー、芸能ゴシップ、忠臣蔵など
身近な題材や科学的な実験データをもとに
妬みや嫉妬をコントロールして有効に活用
する術を提案する画期的な一冊。

ネガティブ感情をコントロールできれば、
自分の力をより発揮できます。

恨み・妬み・嫉妬…を
理解し活用するための9章

第1章 恨まずにはいられない
第2章 妬みと羨みの心理学
第3章 妬みを感じるとき、脳では何が起こっているのか
第4章 正しさにこだわる人たち
第5章 正義という名の麻薬
第6章 愛が憎しみに変わるとき
第7章 嫉妬の脳科学
第8章 ネガティブ感情の意味
第9章 対談 私たちのネガティブ感情とのつき合い方

内容(「BOOK」データベースより)

ネガティブ感情をコントロールできれば、自分の力をより発揮できる!どんな人でも感じてしまう「妬み」や「嫉妬」。そんなとき、脳や心にはどんな変化が生じているのか、どう対処すればいいのかを気鋭の脳科学者と心理学者が解き明かします。既読スルー、芸能ゴシップ、忠臣蔵など身近な題材や科学的な実験データをもとに、妬みや嫉妬をコントロールして有効に活用する術を提案する画期的な一冊。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

中野/信子
脳科学者、医学博士。東京大学工学部卒業、東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年から2010年までフランス国立研究所で研究員として勤務。2013年から東日本国際大学客員教授、横浜市立大学客員准教授。研究のかたわら、さまざまなテレビ番組のコメンテーターとしても活動 

澤田/匡人
心理学者。博士(心理学)、臨床心理士、臨床発達心理士。筑波大学人間学類卒業、筑波大学大学院心理学研究科心理学専攻博士課程修了。2007年より宇都宮大学教育学部准教授。日本感情心理学会常任理事、栃木県いじめ問題対策連絡協議会副会長。いじめと感情の研究に取り組みながら、わかりやすい授業実践に関する研修や講演も行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2023年

3月

08日

3月7日(火)両国国技館  私の憧れ!!闘魂に別れを告げに来ました。Apex product

3月7日(火)両国国技館「アントニオ猪木 お別れの会」のご案内

2022年10月1日に逝去されましたアントニオ猪木さんの「お別れの会」について、謹んでお知らせ申し上げます。

第1部にて追悼式典を執り行います。第1部では、ご参列いただく方にお席を用意する兼ね合いでチケット制とさせていただきました。チケット料金には座席指定席券、献花用のお花、返礼品が含まれます。
沢山の方にご参列いただき滞りなく進行するため、何卒ご理解、ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

また第2部では、一般献花を受付いたします。第2部は、チケットをお持ちでない方もご参列いただけます。

◎「アントニオ猪木 お別れの会」概要
◆日 時  2023年3月7日(火) 
[第1部] 式典(ご案内状をお持ちの関係者/チケットをお持ちの一般の方)
   開場9時30分  開会11時00分  終了13時00分 予定
[第2部] 献花式(一般の方) 
     開場:14時00分  受付終了17時00分 予定 
  ※第1部終了後、献花台へご案内いたします。
  ※第2部の献花式はチケットをお持ちでない方もご参列いただけます。献花用の花はご持参ください。(近隣の生花店が少ないため、会場でも1本500円で販売することとなりました。数に限りがございますので売り切れの際にはご容赦ください)
◆会 場  両国国技館
◆アクセス 東京都墨田区横網1-3-28 
・JR総武線「両国」駅西口より徒歩2分
・都営地下鉄大江戸線「都営両国」駅A3出口より徒歩5分
◆主 催  新日本プロレスリング株式会社/株式会社猪木元気工場
◆協 力  株式会社テレビ朝日
◆後 援 東京スポーツ新聞社/ベースボール・マガジン社/スポーツニッポン新聞社/報知新聞社/デイリースポーツ/サンケイスポーツ/東京中日スポーツ/日刊スポーツ新聞社
◆発起人 

発起人代表 坂口征二(新日本プロレスリング株式会社相談役)

森喜朗(元内閣総理大臣) 
野田佳彦(元内閣総理大臣 衆議院議員) 
長浜博行(参議院副議長 参議院議員) 
馬場伸幸(日本維新の会代表 衆議院議員) 
玉木雄一郎(国民民主党代表 衆議院議員) 
鈴木宗男(参議院懲罰委員長 参議院議員)

(下記五十音順) 
石井和義(国際正道空手道連盟FIKA正道会館) 
石橋保彦(株式会社平和相談役) 
伊藤豊志雄(株式会社シーディーシー代表取締役社長) 
伊藤直樹(IKGプロモーション株式会社代表取締役社長) 
稲吉正樹(NOVAホールディングス株式会社代表取締役社長) 
江本孟紀(野球評論家) 
大塚直樹(株式会社タジマ代表取締役会長)
小川直也(小川道場代表) 
亀田興毅(3150FIGHTファウンダー) 
川村和弥(ショータイム代表) 
川村龍夫(株式会社ケイダッシュ代表取締役会長) 
木谷高明(株式会社ブシロード代表取締役社長) 
グレート小鹿(大日本プロレス会長) 
小島康江(株式会社創取締役会長) 
榊原信行(株式会社ドリームファクトリーワールドワイド代表取締役社長) 
坂口泰司(新日本プロモーション代表取締役社長) 
佐々木健介(元プロレスラー) 
佐山サトル(ストロングスタイルプロレス総監 初代タイガーマスク) 
杉本英雄(株式会社焼肉坂井ホールディングス代表取締役会長) 
関浩志(株式会社スーパーフォー代表取締役社長) 
高島宗一郎(福岡市長) 
高島英三郎(アントニオ猪木関西後援会) 
髙田延彦(髙田道場代表) 
竹田勝司(元ジャパンプロレス代表取締役) 
竹村冬美(株式会社ディー・テック・プロモーション代表取締役社長) 
田中敬子(力道山夫人) 
田中誠(有限会社一二三企画) 
長州力(元プロレスラー) 
蝶野正洋(アリストトリスト有限会社代表取締役) 
十枝利樹(オールジャパン・プロレスリング株式会社取締役) 
富野敏成(有限会社共同企画) 
長井力(株式会社ベストライフ代表取締役) 
長岡末治(株式会社デリチュース相談役) 
馳浩(石川県知事) 
張本勲(野球評論家) 
春次賢太朗(春次メディカルグループ理事長) 
藤波辰爾(ドラディション代表) 
藤原喜明(藤原組) 
古舘伊知郎(フリーアナウンサー) 
星野真二(新日企画) 
北斗晶(株式会社健介オフィス代表取締役) 
前田日明(リングスCEO) 
松下剛(株式会社MTG代表取締役)
松浪健四郎(学校法人日本体育大学理事長) 
丸藤正道(プロレスリング・ノア取締役副社長) 
武藤敬司(プロレスリング・ノア) 
森山幸則(NPO法人世界寛水流空手道理事長) 
山本英俊(円谷フィールズホールディングス代表取締役社長CEO)

<第1部> お別れの会 式典 ※ご案内状をお持ちの関係者/下記チケットをお持ちの一般の方
 開場9時30分  開会11時00分 終了13時00分 予定
◆一般チケット料金(消費税込み)
・1階枡席:10,000円 (1枡2人掛け:椅子設置)※完売
・2階指定席:10,000円 ※残りわずか 
★チケットは「イープラス」にて当日午前10時まで販売いたします。時間内であっても予定数に達し次第終了となります。
※全席指定 チケットに記載されている番号にご着席ください。
※料金はお一人様あたりの価格です。枡席もご参列される人数分の枚数をお買い求めください。(枡席も1枚のチケットでご参列いただけるのは1名様のみとなりますので、2名様でご参列の場合はチケットを2枚お買い求めください)
※枡席は1枡2人掛け(1つの枡に最大2名様)の設定です。1枚ご購入の場合は相席となります。

※当日に、献花用の花と返礼品(マフラータオル/メッセージカード)をお渡しいたします。 
※車椅子のお客様は「1階枡席」をお買い求めください。
◆チケット発売 2023年2月10日(金) 10時00分~ 
◆チケット発売所 ※各社WEBサイト、コンビニ店頭端末をご利用ください
 (ローソンチケット・チケットぴあは予定数終了となりました)
・ローソンチケット 
https://l-tike.com/ ローソン店頭Loppi、ミニストップ店頭Loppi
・チケットぴあ 
https://t.pia.jp/ セブンイレブン各店、ファミリーマート各店(決済・引取のみ可)
・イープラス          
https://eplus.jp/ ファミリーマート各店 ※当日午前10時まで販売(予定数に達し次第終了)   

【第1部ご参列の皆様へ】
※座席の前後左右に間隔(空席)を設けない通常通りの配置となります。
※ご来場の際には必ずマスクをご着用ください。
※東京都のガイドラインに沿って新型コロナウイルス感染予防対策を行います。
※中止・延期となった場合の払い戻しは行いますが、それ以外の理由でご購入後のキャンセル・返金・交換・変更等は原則としてお受けいたしかねます。
※チケットを紛失されたり、当日にお忘れになった場合など、いかなる理由でも再発行はいたしかねます。ご購入の証明があってもお席にはご案内いたしかねますので、大切に保管しお持ちください。
※当日に以下に該当する場合はご参列いただけません。
・当日または前日に発熱がある場合
(目安として37.5度以上、または37.5度未満でも平熱より1度以上高い)
・その他、新型コロナウイルスへの感染が疑われる症状がある場合
・新型コロナウイルス陽性判定を受け、保健所等により定められる療養期間が経過していない場合

<第2部> 献花式 ※一般の方 
開場:14時00分  受付終了17時00分 予定
◆第1部終了後、献花台へご案内いたします。

◆第2部の献花式にご参列の方は、献花用の花はご持参ください。(会場でのご用意はございません)なお、お花以外の御供物等はご辞退申し上げます。
※近隣に生花店が少ないため、会場でも献花用のお花(1本:500円)の販売を行うこととなりました。数に限りがございますので、途中で売り切れとなる可能性もございます。できるだけご持参いただけますようお願いいたします。(3月5日情報更新)
【第2部ご参列の皆様へ】
※返礼品等のお渡しはございません。
※当日は11時より第1部を執り行いますため、第2部にご参列の方は受付開始時刻14時以降にお越しください。
※当日の状況により開始時間や受付終了時間を変更することもございます。また、混雑や荒天等によりご参列の皆様の安全を確保できないと判断した場合は、入場制限を行う場合がございます。予めご了承ください。
※長時間お並びいただく可能性もございます。体調管理に十分ご注意ください。
※ご入場の際には必ずマスクをご着用ください。
※東京都のガイドラインに沿って新型コロナウイルス感染予防対策を行います。今後、政府および自治体が発表する各ガイドラインの変更や、感染状況に応じて、収容人数や運営上のルールを変更させていただく場合がございます。
※開催日当日に以下に該当する場合はご参列いただけません。
・当日または前日に発熱がある場合
(目安として37.5度以上、または37.5度未満でも平熱より1度以上高い)
・その他、新型コロナウイルスへの感染が疑われる症状がある場合
・新型コロナウイルス陽性判定を受け、保健所等により定められる療養期間が経過していない場合
※会場周辺での滞留は近隣住民の方のご迷惑となりますのでお控えください。

<会場へのご来場が困難な方>
インターネットにて、供花を受付いたします。
◆供花料 一口:6,000円
※後日、返礼品(マフラータオル/メッセージカード)をお送りいたします。
◆受付期間 2023年2月16日(木)14:00~2023年3月6日(月)11:59まで
◆URL https://shop.njpw.co.jp/products/4934062445 (受付開始時より表示されます)

◎お問い合わせ
株式会社猪木元気工場
https://www.inokigenki.com/contact
新日本プロレスリング株式会社 
https://sp.njpw.jp/contact/general/
※「新日本プロレス公式お問い合わせフォーム」より、お問い合わせ種別は「チケットについて」をお選びください。

去年10月に亡くなった元プロレスラーのアントニオ猪木さんのお別れの会が7日、東京 両国国技館で行われ、交流のあった人たちや多くのファンが別れを惜しみました。
アントニオ猪木さんは横浜市出身で、17歳でプロレス界に入ると、数々の名勝負でファンを魅了し、引退したあとも格闘技大会のプロデューサーを務めるなど、長年にわたって格闘技の発展に貢献してきました。

また、国会議員として独自の人脈を生かして活動するなど幅広く活躍してきましたが、去年10月、心不全のため79歳で亡くなりました。
7日は、東京の両国国技館で猪木さんのお別れの会が行われ、およそ4800人の参列者が黙とうする中、追悼のゴングが10回打ち鳴らされました。

藤波辰爾さん「私の永遠の師匠で不滅のヒーロー」

そして、親交のあった人たちが追悼のことばを述べ、このうちプロレスラーの藤波辰爾さんは「あなたに出会って私の人生は大きく変わりました。ともに練習し、タッグを組み、時には戦いましたが、私の永遠の師匠で不滅のヒーローです。ときどきリングに会いに来てください。いつでも帰りを待っています」と述べました。

また、猪木さんの試合で実況を担当した古舘伊知郎さんは「猪木さんの試合ではさまざまな物語が生まれてきました。これからも猪木さんのことを語り続けさせていただきます」とたたえました。

このあと、献花が行われ、会場中央に設けられたリングに参列者が赤い花を投げ入れるなどして別れを惜しんでいました。

アントニオ猪木お別れの会「1、2、3、ダァーッ!」締めはオカダ・カズチカ「様になってきた」

あいさつするオカダ・カズチカ(左)とアントニオ猪木さんの孫の尚登さん

<アントニオ猪木お別れの会>◇7日◇東京・両国国技館

猪木さんが72年に設立した新日本プロレスで現役のトップレスラーとして活躍するオカダ・カズチカ(35)が、孫の猪木ナオト(尚登)さんとともに代名詞のかけ声「1、2、3、ダァーッ!」でお別れの会を締めくくった。オカダは、囲み取材に応じ「様になってきたかな」と笑顔で振り返った。

アントニオ猪木さんの長女・寛子さん、初めて告白する「父」の偉大さ…「家庭を犠牲にした。でもそれが彼の良さだった」…お別れの会

 追悼式典には、遺族を代表して長女の寛子さん、猪木さんの実弟の啓介さんらが参列。プロレス界から武藤敬司氏、蝶野正洋、船木誠勝、新日本プロレスのオカダ・カズチカ、棚橋弘至、プロレスリング・ノアの清宮海斗、拳王、ストロングスタイルの間下隼人らが出席した。さらに一般の参列者をあわせ4800人が来場した。

 式典後、現在、ロサンゼルスに在住する長女の寛子さん(48)が猪木さんが亡くなった後、初めて報道陣の取材に応じた。

 「まだパパが亡くなったってことを落ち着いて考えてないし、時々ふっと悲しいなって感じています」

猪木さんと女優の倍賞美津子との間に1974年8月2日に生まれた寛子さん。子どものころの思い出をこう振り返った。

 「小さいときの思い出は、家にいないから“悲しいな。パパが恋しいな”って。ただ、(母方の)おじいちゃんとおばあちゃんに連れられてよく試合とか見にいっていました。おじいちゃんより、おばあちゃんが(プロレスが)好きで。私はおじいちゃんとよくラーメン食べて試合はあまり見てなかったんです」

 今、一番、思い出す父の姿は引退後にロスに住んでいた時のリラックスした笑顔だという。

 「思い出すのはロスに住んでいた時にご飯を食べにいった時のリラックスした(姿)。短パンとTシャツでよく棒を持ちながら道を歩いて、サンタモニカのビーチで“スティックマン”って言われて、みんなに“ハイ”って言いながら(歩いていました)」

 自分自身が年を重ねるごとに父の思いが分かった。

 「今、大人になって、(父は)すごい家庭を犠牲にした。でもそれが彼のよさだった。こんなにも大勢のファン、人たちを喜ばせて、それは家庭を犠牲にしないとできないことだって理解できているし。小さいときはどっか食べに言った時も誰かが写真を撮りに来たり、どうしてみんな撮りにこなきゃいけないのかな?って思っていたんです。今から思うと家庭に籠もって人生を過ごす人じゃかった」

 追悼式典は、最後にオカダ・カズチカと並んで次男の尚登さん(14)が「1、2、3ダァー」を天国へささげた。

 「彼にやりたいかやりたくないかを聞いて、彼がやりたいって言ったから、やらせました。もし、やりたくないって言ってたらやってなかったと思うし」とし、尚登さんと長男・寛太さん(20)の2人の子どもたちが祖父である猪木さんを尊敬していることを打ち明けた。

 「彼らは、小さい時からビデオを見てて“おじいちゃんがこういう技をやってるよ”とか話をしていて、私はそういう面で興味がなかったから。でも、私が言うより自分たちでビデオを探して。だから、大ファンです、子どもたちは」

 ロスの自宅には遺骨をおいて、毎朝、2人の子どもは「グッドモーニング」とあいさつしているという。尚登さんは、今、ロスでレスリングを学んでいる。将来は猪木さんのような格闘家、プロレスラーになる夢を打ち明けているという。

 「(次男はそう)言っているけど。最初は格闘技を練習していて、今後どうするかは彼が決めればいいこと」

 寛子さんは、母である倍賞美津子さんの猪木さんへの思いも明かした。

 「(母は)『素晴らしい人だったよ』って。最後まで連絡は取り合っていましたし」

 そして、猪木ファンへこうメッセージを残した。

 「みんな、つらいことがあったり思ったら、海を見てパパのことを思い出して、そのつらさを乗り越えて生きていてくれればいいなと思う」

 最後に寛子さんが思う「猪木イズム」をこう表現した。

 「最後まで、死ぬ間際までみんなのために何かをしてきた。最後までやり遂げることです」

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2023年

3月

08日

立花党首が辞任しNHK党は「政治家女子48党」に党名変更…ガーシー議員の「約束反故の責任取る」〝懲罰〟本会議欠席受けて

NHK党の立花孝志党首が8日、記者会見し、同党のガーシー参院議員が3月8日の参院本会議で陳謝すると約束したが、それが反故された責任を取るとして、党首を辞任することを明らかにした。海外に滞在しているガーシー議員は、国会欠席を続けた懲罰として8日の参院本会議で「議場での陳謝」を行うことが決まっていたが、結局、帰国せず本会議を欠席した。立花氏は会見の冒頭「本日付でNHK党の党首を辞任させていただく」と述べた。その理由として、「2月27日に、ガーシー参院議員が、参院に登院して陳謝をすると表明した。その前に、3月上旬には帰国して登院すると言っていた」とした上で、「約束が反故になったので、党の代表としては責任を取らないといけないということでの辞任だ」と説明した。立花氏の辞任を受け、国政政党のNHK党は、政党名を「政治家女子48党」に変更し、立花氏の後任となる党の代表者は、大津綾香氏が就任する。一方、NHK党は、国政政党ではなく政治団体として存続し、立花氏が代表を務める。立花氏は、ガーシー議員と最後に話したのは5日だとした上で、「最後まで待ったが、帰ってこなかったことは、残念というより、それはそれでいいと思っている」と述べた。 その上で「国会関係者、国民は、不快を持っている方が大勢いる」として、「日本流の責任を取るのは代表職を辞めることだと思うので、潔く辞めることになった」と述べた。(フジテレビ政治部)

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2023年

3月

09日

銚子電鉄 応援企画 頑張れ銚電(^^) Apex product

【銚電を応援!】
 
3月18日(土)~3月31日(金)に、銚子電鉄の応援企画として、春休みにレトロな鉄道文化をお楽しみいただけるプログラム「ロマンスカーミュージアムで銚子電鉄を応援しよう」を開催します🚞✨
 
3月18日(土)には、銚子電鉄・竹本社長による講演会を開催します。
従来の発想にとらわれないユニークなアイディアを繰り出し、これまで実施してきた涙と汗と笑いが交じった施策や、銚子電鉄の歴史などをお話しいただきます。
(※当館公式サイトより予約受付中)
 
また、3月19日(日)には、昔懐かしい硬券切符🎫にハサミを入れる「切符きり体験」や、銚子電鉄の運行を支える仕組み“タブレット交換”を、現役の銚子電鉄乗務員がレクチャーします🧑🏻‍✈️
さらに、経営危機を救った銚子電鉄の「ぬれ煎餅」などを販売するほか、煎餅の「手焼き体験」も…🍘🧡
 
春休みはロマンスカーミュージアムで貴重なレトロ体験をお楽しみください🥺☆
https://www.odakyu.jp/romancecarmuseum/news/choshi_romancecar_spring2023/
 
#ロマンスカーミュージアム #romancecarmuseum #小田急 #小田急電鉄 #odakyu #ロマンスカー #romancecar #鉄道 #電車 #train #鉄道博物館 #博物館 #海老名 #ebina #銚子電鉄 #銚電 #子鉄 #春休み #レトロ
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2023年

3月

09日

山梨県富士吉田にある「ほんちょう2丁目商店街」Apex product

まるで昭和にタイムスリップしたかのような街並みに、大迫力の富士山🗻
山梨県富士吉田にある「ほんちょう2丁目商店街」は、
人気の富士山ビュースポットとなっています。
通りに軒を連ねる商店街の味わいの中に現れる、大きくそびえたつ富士山はここだけで見れる光景✨
築80年の改装済みの日本スタイルの宿泊施設「HOSTEL SARUYA」に滞在して、
ノスタルジーを誘う街並みを散策しましょう!
-------
※ 富士吉田に引越されたらスローライフで第二の人生を生きて下さい。
人は関係ないので自分を一番に考えてお暮しください。また何処かで
お逢いしたら飲みましょうね。Apex product 代表 柳伸雄

ホステルアンドサロン SARUYAは、下吉田駅から徒歩5分です。築80年の改装済みの日本スタイルの宿泊施設で、無料Wi-Fiを提供しています。

お部屋は畳敷きで、布団が備わります。共用キッチン、シャワールーム、トイレ、コーヒーメーカー、電子レンジを提供しています。

ホステルアンドサロン SARUYAから富士急ハイランドまで2.3km、北口本宮冨士浅間神社まで2.6km、旧外川家住宅まで1.6km、忠霊塔まで1km、最寄り空港の羽田空港まで88kmです。

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2023年

3月

10日

ペーパーシティ 東京大空襲の記憶 PAPER CITY 80分 2023年2月25日公開  「是非、劇場でご覧ください。Apex product」

日本人が忘れかけている東京大空襲の悲劇 3人の生存者の記憶と証言を、ひとりのオーストラリア人映画監督が見つめる

1945年3月10日午前0時過ぎ、アメリカ軍の爆撃機が東京を襲撃し、木造の家屋や多くの紙材が密集していた街に火の粉を浴びせた。日の出までに10万人以上の死者を出し、東京の4分の1が焼失した史上最大の空襲だった。この凄まじい記憶が今もなお生存者の脳裏に焼きついている。戦争や空襲の記憶が失われつつある今、未曾有の悲劇の体験を後世に残そうとする生存者たちに肉薄する。本作は東京を拠点にするオーストラリア人映画監督エイドリアン・フランシスの長編ドキュメンタリー・デビュー作。この悲劇で私たちは何を記憶し、なぜ忘れようとしているのか。ロシアによるウクライナ侵攻から1年。戦争の影がしのび込んでくる今、生存者の体験と未来への思いを見つめる。

 

2021年/オーストラリア/80分/原題:Paper City/配給:フェザーフィルム

監督:エイドリアン・フランシス

出演:清岡美知子、星野弘、築山実

with english subtitles

▶︎2023年2月25日(土)より公開

 

監督プロフィール

エイドリアン・フランシス

1974年オーストラリア生まれ。メルボルン大学、ドキュメンタリー映画専攻を卒業。15年前から東京を拠点に活動。短編ドキュメンタリー『Lessons from the Night』はサンダンス映画祭でプレミア上映、2010年ベルリン映画祭のTalent Campusに招待された。初長編映画『Paper City』はメルボルン・ドキュメンタリー映画祭では2つの賞を受賞し、さらに2つの賞にノミネートされた。

監督のことば

初めて東京大空襲について学んだ時、たった一夜で10万人もの人が命を落としたいう、言葉を失うような事実を知りました。「歴史上もっとも破壊的な空襲」であったにも関わらず、東京の街にはその跡がほとんど残されていない、ということです。生存者は生きているのだろうか。語り継ぎたくなかったのだろうか。それとも、忘れてしまいたかったのだろうか。私は生存者の方々に連絡を取ることを決めました。オーストラリア人の私は、彼らに警戒されてしまうのではないかと不安でしたが、3人の生存者の方が当時の記憶や経験を語ってくれました。

東京大空襲、直前で「超高高度・昼」から「低空・深夜」の爆撃に変更した理由

1945年3月10日の深夜、米軍の爆撃機B-29により東京大空襲が行われた。一夜にして12万人の命が失われたと言われているが、正確な数字はいまだに判明していない。実は当初、B-29は超高高度1万メートルでの飛行を想定していたが、直前になって2000メートルに変更された。「低空」かつ「深夜」になった理由を明らかにする。

 ※本稿は、鈴木冬悠人『日本大空襲「実行犯」の告白~なぜ46万人は殺されたのか』(新潮新書)の一部を抜粋・編集したものです。 ● 東京大空襲実行の直前に 「超高高度」から「低空」へ転換 日本への焼夷弾爆撃は、入念に準備されていた。実験を繰り返し、最も効果的に街を焼き尽くす方法まで検証されていたのだ。あとは、どのように実行するか。それだけであった。その実行役を担うことになったのが、カーチス・ルメイだった。焼夷弾爆撃を成功させるための最後のカギとなる空爆計画。航空軍の命運を握る計画の策定は、38歳の指揮官の手に委ねられた。 アーノルドから焼夷弾爆撃の指令が下ってから10日あまり。ルメイは、どうすれば日本への空爆で成果を上げられるか考え続けていた。 大きな障害となっていたのは、気象状況だった。航空軍が爆撃を行っていた11月~2月の間、東京上空の天候は、常に厚い雲に覆われていた。B-29が超高高度から目視で爆撃できる日は、ひと月に7日程度しかなく、最悪の時期は3日しかなかった。さらに、天気に恵まれた日でもジェット気流に阻まれた。超高高度から目視で行う精密爆撃は、目的地が好天候であることを前提にしており、日本にはまったくこの条件が当てはまらなかった。 B-29の使用方法を変えなければ、成果をあげられない。1945年3月上旬、ルメイは、一つの答えにたどり着く。 「私は、日本の偵察写真をすべて確認している中で、あることに気付いた。ドイツ人が防衛で使っていたような低空用対空砲火は見当たらなかったのだ。このことに気付いたとき、自分の中で“これだ”と確信した。レーダーも使い物にならないことを知っていたので、気圧などを調整することで、B-29をできる限り低く飛ばせるようにした。私たちは、高すぎる位置から爆撃をしていて、私が思うには、そのせいでB-29に負担がかかりすぎていた」(肉声テープより) ルメイが思いついたのは、B-29を低空飛行させる爆撃計画。これまでの超高高度1万メートルを捨て、2000メートル付近まで高度をさげるという思い切った作戦だった。
 低空を飛べば、B-29を苦しめていた厚い雲も、ジェット気流の影響も避けることができた。しかも、エンジンへの負担も少なくなる。エンジントラブルが減れば、多くの機体が運用でき、大部隊を編成できる。さらに、低空飛行は燃料の消費を抑えられるので、その分だけ多くの爆弾を搭載することが可能になる。  多くのメリットがある一方で、大きなデメリットがあった。敵の反撃を受けるリスクだった。  「私は、部下がどのような反応を示すのか知るために、出し抜けに何人かに作戦を説明してみた。賛成する者もいたが、大部分は『それは自殺行為だ』と反対した。特にヨーロッパで飛行経験があった者は、低空飛行に対して拒否感が強かった。大きな賭けだという人もいたが、人の命を賭けるようなことはしない。私はこの件を、みなと話し合って、あらゆる角度から考えた。そして、最終的にやれるだろうと判断して決断したのだ。計算されたリスクは取るが、賭けではない」(カーチス・ルメイ、肉声テープより) ● 日本のレーダーの精度が低く 夜間ではあまり機能せずと判明  ルメイは、情報部から“日本の戦闘機部隊は脅威を与えるほどの能力ではない”という情報を得ていた。恐れていた高射砲についても、部下たちから寄せられる報告を基に、レーダーなどの精度が劣っているため、悪天候や夜間ではあまり機能しないことがわかっていた。  ルメイは、こうした情報を基にして、リスクを最小限に抑えるために作戦は夜間に決行することにした。夜間に飛行するとなれば、編隊を組むことは不可能だったため、単独爆撃となった。編隊を組まなければ、燃料も節約できる。焼夷弾を用いた空爆作戦の方針が決まった。  「私たちは、日本に焼夷弾を使えないかと常に考えていた。唯一残された手段が焼夷弾だったからだ。そのために予備実験も行って、焼夷弾の効果についてデータを集めていた。焼夷弾爆撃を有効に行うには、400機近くで大規模に行わないと成果が上がらないことが明らかだったが、それが集まることがわかったので実行することができた」(カーチス・ルメイ、肉声テープより)  ルメイの爆撃計画は、それまで航空軍が行ってきた超高高度からの昼間精密爆撃とは、理念も方法も、まったく異なるものだった。どうしてルメイは、従来とは違う爆撃方法を決断できたのか。解任の憂き目に遭ったハンセルは、ルメイの決定について、肉声テープの中で次のように振り返っている。  「低空でB-29を使うという作戦は、完全にルメイ一人の決断だったと思う。よく質問されることだが、私が同じ決断を下していたかと聞かれれば、率直に言ってその答えは『否』である。対空防御網の十分な知識もなしに、低高度で侵入することは非常に危険で勇敢なことだと思う。そして、その決断は、結果的には正しかった」
 ハンセルは、焼夷弾爆撃をどのように実行するか、その方法についてルメイの独創性を認めていた。リスクが大きな作戦であるため、ハンセル自身にはとても決断できないことだったという。その一方で、焼夷弾を使う空爆自体は、上層部からの命令に従っただけで新しい作戦ではないと証言している。  「B-29を使った焼夷弾による都市空爆については、ルメイ自身の決断ではなかった。それは少なくとも1年以上前の基本計画において、すでに考えられていたものである。  ご存じかもしれないが、我々は実際、実験のために日本風の村々を築き、焼夷弾を試してみた。つまり、そのアイデア自体は、彼の決断よりもずいぶん前に練られていた訳で、焼夷弾を持ち合わせていたという事実は、その決断が最後の最後に下されたというわけではないということを示している。  ただ、私たちは、『実際にその作戦が行われるべきではない』ということについて合意していた。それを昼間爆撃として、バラバラに行うということは非常に危険なことであった。敵の激しい反撃に遭う可能性があったからだ。だから、もしそれを行うのならば、記憶に残るように非常に大規模に、激しく行う必要があった。当時、私が指揮していた頃には、その準備ができなかったので、焼夷弾による攻撃を先送りにしてきたのである」(肉声テープより)  ハンセルの認識によれば、当初、焼夷弾による空爆は、危険を伴うため実行するべきではないとアーノルドらと合意していたという。危険に見合った成果を残すためには、大規模なB-29の部隊を編成して実行する必要があったが、ハンセルが指揮していた時には、その準備が整わず実現できなかった。だが、ルメイが指揮するようになってから、その状況が変わったというのだ。  「ルメイが実行する3月の東京大空襲までに3つの状況が偶然発生した。1つは、大規模な攻撃を実行できるだけの十分なB-29が揃ったこと。2つは、予測されていたほどには日本の空軍が強力なものではないことがわかったこと。3つは、私たちは、どのような精密爆撃の成功も見込めない日本の天候があることを知ったこと。こういったことをすべて考慮すると、その他の手段よりずっと容易で単純、そして安全な焼夷弾による空爆作戦について肯定的な結論が出てくるのは自然なことだった」(肉声テープより)  偶然にも、焼夷弾爆撃を実行するための条件が揃ったというのだ。もちろん、そのときの現場の指揮官が、リスクを冒す覚悟を持ったルメイであったことも大事な要素の一つだったのだろう。アーノルドが切羽詰まった状況に置かれていたこともある。いくつもの偶然が積み重なった。そして、史上最悪とも言える悲劇へと向かって転がっていったのだった。

説明 

内容紹介

半世紀ぶりに発掘された米将校246人、300時間の肉声テープが語る「大空襲」の真相。
第二次大戦末期、わずか一年足らずの空爆で約46万人もの命が奪われた。すでに敗色濃厚の日本に対して、なぜそれほど徹底的な爆撃がなされたのか。最大の理由は、空爆を実行したアメリカ航空軍の成り立ちにあった。当時、陸軍の下部組織という立場にあり、時に蔑まれてきた彼らが切望するものは何だったのか。半世紀ぶりに発掘された将校ら246人の肉声テープが浮き彫りにする「日本大空襲」の驚くべき真相とは。

私は貝になりたい        
著者     橋本忍     
朝日文庫新刊         
あらすじ
理髪店を営む清水豊松には、復員後妻子と共に平和に暮らしていた。しかしある日戦犯として逮捕され、絞首刑を言い渡されてしまう。自らの無実を信じ、妻が必死に集めた200人の助命嘆願書を携え、再審に臨んだ豊松に下された最終判決とは?50年前にTVで放送された不朽の名作。初の完全シナリオ集。
両親がよくTVをみていて私は、50代で本をよんでから、横浜の映画館でみました。戦後生まれの私にとって、戦犯とは、よくしらないでしたが、当時の戦争の傷跡や人間に対する残酷な世のなかであったと深くラストには、涙です。😭
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2023年

3月

10日

もう現地に来ないで大丈夫です。と言われるまで、何年でも東日本大震災の復興ボランティアバスは、走り続ける。皆さんは知ってましたか。12年休まず毎月走ってます。ボランティアの皆様、本当にありがとうございます。東北の仲間に変わりお礼をお伝え致します。Apex product

2万2000人以上が犠牲になった東日本大震災の発生から、きょうで12年です。被災地はきょう一日、犠牲となった人たちへの鎮魂の祈りに包まれます。震災で今なお200人以上が行方不明となっている宮城県南三陸町では、きのう、警察が行方不明者の捜索を行いました。南三陸警察署地域課 丹野 勉 課長「帰りを待つ家族が多数いる状況にある。何か少しでも手がかりとなるものを見つけられるように捜索していきたい」年3月11日に発生した東日本大震災。マグニチュード9.0、最大震度7の地震と津波により、関連死も含めて1万9765人が亡くなり、2553人が行方不明のままとなっています。また、福島第一原発事故の影響などで、今もおよそ3万1000人が避難生活を送っています。一方で、トリチウムを含んだ処理水の海洋放出は春から夏ごろ行われる予定です。震災発生から12年、被災地はきょう一日、鎮魂の祈りに包まれます。▼TBS NEWS DIG 公式サイト https://newsdig.tbs.co.jp/▼チャンネル登録をお願いします!://www.youtube.com/channel/UC6AG81pAkf6Lbi_1VC5NmPA?sub_confirmation=1▼情報提供はこちらから「TBSインサイダーズ」://www.tbs.co.jp/news_sp/tbs-insiders.html▼映像提供はこちらから「TBSスクープ投稿」://www.tbs.co.jp/news_sp/toukou.html

茨城県水戸市の観光バス会社は震災により通常業務が実施不可能となり、4月から現在に至るまで宮城県へボランティアバスを、営利を求めない価格設定で運行している。日本全国を始め、アフリカやトルコ、インド、イギリスなどからの参加者やリピーターも多い。また平行して被災地に行けない子供達に土のう袋に応援の絵を描いてもらって現地で使用する「思いやりの心育成プロジエクト」や、津波で流された仙石線の線路跡に菜の花を咲かせる「幸せの黄色い菜の花大作戦」等、行っている。

NHK総合 【おはよう日本】
経験・教訓・伝え続ける・ボランティアバス・12年の思い 

昨年の東日本大震災は、私達の茨城県にも甚大な被害をもたらせました。突然襲った未曾有の大災害に、大混乱していたことを思い出します。停電する中で、たまたま観光バスを所有していた私達は、観光バスのテレビを利用し、情報収集に努めました。

そのテレビから映し出される映像は、現実とは思えない、あまりにも残酷すぎるものでした。

 

私たちの茨城でも、立て続けにくる余震に怯えながら、ただ時を過ごしていましたが、報道され流れる宮城・岩手の映像には、あまりにも辛いものがありました。

弊社には気仙沼出身の女子社員がおり、気仙沼が火の海となっている映像に家族への心配が募りました。幸い一週間位後に、無事の確認がとれスタッフー同安堵した事を覚えています。

そんな中、私自身、長年青年会議所(JC)活動を通して交流を続けてきた石巻が、甚大な被害を受けている状況を知りました。2週間位経って、やっと石巻の仲間達と連絡が取れた中で、改めて震災の及ぼした被害が、あまりにひどすぎる事を理解致しました。

そして、青年会議所の仲間と一緒に、取り急ぎ用意できた自転車や燃料など可能な限り持っていけるものを届けに行きました。長年交流し愛着のある石巻は、私の知っている石巻とは全く違う街になっていました。

しかし、そんな中でも石巻の仲間達は、自らも被災し家も流され、会社を失い、多くの友人や知人、身内を亡くしながらも、地元の為にいち早く立ち上がり、地元の方々の為に頑張る姿に涙が止まりませんでした。

そして、一番私が、お世話になってきた先輩が、津波で犠牲になった事を知り、もう涙を止める事は出来ませんでした。

その数日後、再度石巻に入り、一緒に作業を手伝いながら亡くなった先輩の為に…そして頑張る多くの人達の為に何か出来る事は?…そう考え、茨城県社会福祉協議会さんの多大なる協力を得ながら始める事が出来たのが、ボランティアバスの運行でした。

昨年の4月29日に運行を開始させて頂いたボランティアバスは、茨城県内のみならず全国各地や海外からも多くの皆様に参加を頂いております。一年で約12000名様のご参加を頂きながら、現在も運行を継続させて頂いてる事に、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

ご参加下さる皆様方以外にも、私達のボランティアバスを多くの方々が支えて下さっています。

子供達が被災地に心を届ける「思いやりの心育成プロジェクト」に使う土のう袋は、青年会議所(JC)の先輩方を中心に2万枚以上の寄付を頂きました。

また被災地を花で彩る「夢いっぱい1愛いっぱい!花いっぱい!プロジェクト」や「菜の花大作戦」には、全国から多くの皆様のご支援ご協力を頂き、取組ませて頂く事が出来ています。

被災地の復旧復興は、まだまだだと感じています。被災地の方々に心からの笑顔が戻るその日まで…支えて下さる皆様と共に「邪魔だから来るな!」と叱られるその時まで、心を寄せながら、これからも取組んで参りたいと思います。

本当に支えて下さる、全ての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

立ち上がろう茨城!日本中の笑顔の為に…

立ち上がろう日本!世界中の笑顔の為に…

心でつなぐ…「さわやかな風」作戦!

 

本当にありがとうございます。

 

石塚観光
(石塚サン・トラベル株式会社)
 代表取締役 綿引 薫

〈忘れてはならない震災の教訓〉釜石の子供たちを救った〝津波てんでんこ〟と危機管理

東北地方を中心に甚大な被害をもたらし、日本全土を揺るがした東日本大震災が発生してから、早くも12年が経ちました。しかし2万人以上の死者・行方不明者を出したこの歴史的大地震が残した傷跡は、未だ癒えたとは言えません。翻って、いまを生きる私たちが忘れてはならない教訓は何でしょうか。震災当時、学校管理下になかった5人を除く児童・生徒約3000人が津波から逃げ切り、「釜石の奇跡」と称賛された岩手県釜石市の防災教育。その功労者である防災研究者の片田敏孝さん(群馬大学大学院教授)のお話から考えます。

釜石の奇跡はかくて起こった

防災研究者として多くの被災現場を見てきた片田さんが、釜石市での防災教育に着手したのは2006年でした。過去に市を襲った災害を現実として教える傍ら、〝避難三原則〟として次の3つ――「想定にとらわれるな」「その状況下において最善を尽くせ」「率先避難者たれ」――を伝え、学校の子供たち、またその保護者に身を守る重要性を力説。そして授業の最後に、こう問い掛けたそうです。(以下、記事より抜粋)


〈片田〉
学校での防災教育は、年間5時間から十数時間行ったが、子供たちに教えたことを彼らの中だけで完結させてしまうと、家庭や地域へと広まってはいかない。そこで私は授業の最後に次のことを問い掛けた。

「君たちは先生が教えてきたとおり、学校で地震に遭えば絶対に逃げてくれると思う。だけど、君たちが逃げた後に、お父さんやお母さんはどうするだろう?」

すると、子供たちの表情は一斉に曇る。お父さんやお母さんは自分のことを大事に思うがゆえに、学校まで自分を迎えに来るであろうこと、そしてその帰結がどうなるかが想像できるからである。私は続けてこう話をした。

「きょう家に帰ったら、お父さんやお母さんに君たちが教えてあげるんだ。『いざという時は、僕は必ず逃げるから、お父さんやお母さんも必ず逃げてほしい』と。そのことを心から信じてくれるまでちゃんと伝えるんだ」

その日は授業参観日だったため、子供たちだけがいる場でそう言い聞かせた一方、保護者が集まっている場所へも行き、次のように話をした。

「私が行った授業を踏まえ、子供たちはきょう、“いざという時は、僕は必ず逃げるから、お父さんやお母さんも必ず逃げてね”と一所懸命に言うと思う。

あの子たちは、お父さんお母さんが、自分のことを心配してくれるがゆえに命を落としてしまいはしないかと心配している。でも皆さんも、子供たちが絶対に逃げてくれると信用できないと、自分一人で逃げるという決断がなかなかできないだろう。だから、その確信が持てるまで、きょうは十分話し合ってほしい」

そして最後にこんな話をした。

東北地方には“津波てんでんこ”という言い伝えがある。津波がきたら、てんでんばらばらに逃げないと家族や地域が全滅してしまうという教訓だ。

しかし、これを本当に実行できるだろうか。私にも娘が一人いるが、例えば地震がきて娘が瓦礫の下敷きになっていたとしたら、たとえ津波がくることが分かっていたとしても、たぶん私は逃げないと思う。どう考えても逃げることなどできない。

にもかかわらず、先人はなぜこんな言葉を残してくれたのだろう。私はその真意を考えた。おそらくこの言葉には、津波襲来のたびに、家族の絆がかえって一家の滅亡を導くという不幸な結果が繰り返されてきたことが背景にある。その苦渋に満ちた思いとともに我々の先人が残してくれたのが、“津波てんでんこ”という言葉ではないか。

その意味するところは、老いも若きも、一人ひとりが自分の命に責任を持てということ。そしていま一つの意味は、家族同士がお互いに信じ合っていることが大事だということではないだろうか。

子供は、お母さんは必ず後からちゃんと迎えに来てくれると、お母さんを信頼して逃げる。一方、お母さんは、子供を迎えに行きたいが、我が子は絶対逃げてくれているという信頼のもと、勇気を持って逃げる。これは家族がお互いに信用し合っていなければできない。“津波てんでんこ”とは、自分の命に責任を持つということだけではなく、それを家族が信じ合っている。そんな家庭を築いておけ、という意味ではないだろうか

今回の震災で、釜石では市全体で約1300人が亡くなったが、学校の管理下になかった5人を除いては全員が生き残ってくれた。さらにその3000人の小・中学生の親を調べてみると、亡くなったのは40人程度で、全体から見ても少ない数となった。これは子供を通じて行った親や地域への防災教育の取り組みや“津波てんでんこ”の話がうまく伝わった結果ではないかと感じている。

危機管理の本質とは

今回の一連の出来事は“釜石の奇跡”といわれるが、私は奇跡というよりも、自分自身で命を守り抜くという姿勢を示してくれた子供たちを褒めてやりたいと思う。そして彼らの姿勢や行動は、いまの日本の防災現場においても強く求められるものだと感じている。

我々日本人は、自分の命を守るということに対して他人任せになってしまっている部分が多く、身の危険をほとんど感じることもなく平和に暮らしている。

しかし、今回の震災を通じて、自分たちがいかに無防備な中に生きてきたか、またそういう姿勢でいることがいかに脆弱なものであるかを思い知らされたのではないかと思う。

私の知り合いにアメリカで長年暮らしてきた友人がいるが、彼は学校で

「街で一人倒れているのを見たら助けろ。二人倒れていたら気をつけろ。三人倒れていたら逃げろ」

と教わったという。アメリカ人は、そのように危険と向かい合わせで暮らしながら、自分の命を守り抜いていく姿勢がいかに大切かを、学校でも教わっている。

日本ではそうした教育がほとんどなされていないが、これほど自然の豊かな国で暮らすということは、本来、危険と向かい合って生きていることに他ならない。

先ほど非常ベルの話を例に挙げたが、人間はリスク情報をなかなか真っ当に処理することができない生き物である。例えば、交通事故で年間約4000人が亡くなっていると聞いても、自分自身が交通事故で死ぬと思う人はほとんどいない。ところが、宝くじの一等賞が4000人に当たると聞けば、妙に自分が当たるような気がする。

その確率が同じであったとしても、自分にとって都合のよい情報は大きく見積もり、都合の悪い情報は小さく見積もるという“正常化の偏見”がそうさせるのである。

かく言う私もその例に漏れないが、基本的にリスクに備えようとしない、もしくは備えることができない自分自身をどう律するか。それこそが危機管理の本質であり、いざという時のために備えておくという姿勢の問題であると言えるだろう。


 (本記事は『致知』2011年8月号 特集「リーダーの器量」から一部抜粋・編集したものです)

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2023年

3月

11日

くら寿司ペロペロ男「父親は会社のお偉いさん」「ホストの“体験入店荒らし”やってた」知人が明かす素顔

飲食店での“迷惑行為”で初の逮捕者

ドン横、トー横、大阪のグリコ上…フラフラしていた

父親と思われる人物は直撃に「まったくの別人」

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2023年

3月

11日

ANN報道特別番組 東日本大震災から12年 ~未来へ つなげる~ 2023年3月11日(土) 午後2:30~3:30放送 (忘れないで下さい。Apex product)

 あの日から12年―。街の復興は進んだが、震災の記憶を消してはいけない。今こそ、必要なのは“つなげる”事では…。被災地の今と“つなげて”あの日を思い出す。被災者に寄り添い、心を“つなげる“そして、 東日本大震災、関東大震災の2つの悲惨な経験を防災に“つなげる”未曾有の災害から学び、未来へ つなげる番組に…。 
出演者
小木逸平 森川夕貴
(テレビ朝日アナウンサー)
番組概要

「被災地・被災者の“今”」

岩手朝日テレビ企画 「次の津波への備え」
 岩手県は、去年9月、日本海溝・千島海溝沿いを震源とする最大クラスの地震が発生した際、東日本大震災の死者・行方不明者あわせた6254人を超える7100人が死亡するとの被害想定を公表した。中でも、最も大きい被害が想定されているのが久慈市。およそ1億5000万円かけて海沿いに作られた高さ9mの津波避難タワーは、想定される津波の高さが最大で16mになることから、避難場所から外された。次の津波への備えは…。 

東日本放送企画 「被災者の“心の復興“」
 宮城県女川町は、12年で町のインフラ整備が進み、ほぼ復旧した。一方で、大切な家族を捜し続けている被災者も・・・。高松康雄さんの妻・祐子さんは、当時津波にのまれ、今も行方不明のまま。妻を自分の手で捜そうと、高松さんは自ら潜水士の資格をとった。高松さんの捜索活動に密着し、今の海中の様子と共にお伝えする。被災者の心の復興に必要なことは...。

福島放送企画 「原発処理水の海洋放出」
 12年で、徐々にだが確実に復興してきた福島の漁業。震災前に比べ、水揚げ量は遠く及ばないが、ヒラメなど価格が戻ってきている魚種もあるという。そんな中、福島第一原発から出る処理水の海洋放出が早ければ、春にも予定されている。福島の漁業にどのような影響を及ぼすのか?福島・相馬市の若手漁師を取材。海洋放出をどう見ているのか?さらに、原発内での処理水をめぐる現状も取材する。

「佐々木朗希投手の12年」

 去年、完全試合を達成し、侍ジャパンでも活躍が期待される佐々木朗希投手。2011年3月、9歳の時に、地元の岩手・陸前高田市で被災し、父と祖父母を亡くした。その後の12年をどんな思いで野球に打ち込んできたのか?佐々木朗希投手の元チームメイトたちが語った。

「火災旋風の脅威」

 津波の被害を受けた宮城県気仙沼市では、当時、市街地で火災が発生。4日後には「火災旋風」のような、竜巻状の火柱が目撃された。今年は関東大震災から100年の節目の年でもあるが、その時大きな被害をもたらしたのも「火災旋風」だ。今後、起こりうる首都直下地震でも、同時に起こる多発火災により発生が懸念されている。専門家の協力のもと実験施設で「火災旋風」を再現。その脅威とともに、身を守る術をお伝えする。

<東日本大震災から12年>到着30分で発見した1歳半の女の子の遺体…「逃げ遅れた人がいる!」救助に向かった自衛隊OBの“残酷すぎる結末”

到着30分で見つけた1歳半の女の子の遺体

「お母さんと妹をかえしてくれてありがとう」

このままでは道路が通れず、捜索できない。どうする…?

備品が散乱した中から見えた突き出した手や足

定置網が瓦礫と化した家に絡みつき捜索を妨げた

そしてOBは帰って来なかった