Apex product 【Blog-41】

初春の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。 さて、このたび弊社は創立10周年を迎えるに至りました。 皆様方のご支援、ご厚情による賜物と深く感謝いたしております。
とうとう、10周年を迎えることができました。2013年の3月から数えて、10年が経ったわけです。どんなことでも、毎日10年やり続けられたら、一丁前になれるとある作家の方が言われていました。このことばを、一番信じていたのは、私達だったのかもしれません。大変なようで意外に短い期間のようでしたが、そして、とうとう待ち望んでいた10年に到達しました。これもひとえに皆様のおかげであると感謝をしております。の10年に向けて新しいスタートを切るにあたりどのようなことが必要になってきているかを日々考えてきました。私どもは伝えること、元気になること、頑張りたい人たちのきっかけとなり、力いっぱい背中を押す役割になることができますよう、幅広い視野を持ち常にチャレンジ精神を持って、皆様のご期待にお応えできるよう従業員一同最大限の努力をしてまいります。今後も格別のご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
2023年 3月吉日 Apex product 代表 柳伸雄

2023年

5月

28日

コンビニでコンドーム2箱を万引きか…85歳男を現行犯逮捕 会計せず店を出た男に女性店長が声をかけ通報

 岐阜市のコンビニで28日午前、コンドームを万引きした85歳の男が現行犯逮捕されました。  逮捕されたのは、住居不詳で自称・無職の85歳の男で、28日午前10時45分頃、岐阜市内のコンビニでコンドーム2箱1958円相当を万引きした窃盗の疑いです。  コンビニ店長の女性(50)が男が会計をせずに店を出ていくのに気付いて声をかけ、警察に通報しました。  調べに対して男は容疑を認めているということで、警察は詳しい動機などを調べています。

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2023年

5月

25日

17歳で極道の道に入った瓜田純士、組長との大ゲンカで小指なくす「くわえてちぎった」 5/24(水) 9:21ENCOUNT

歌舞伎町のTOHOシネマズ裏のローソンを見て思い出す

 ABEMAバラエティー番組『BAZOOKA!!!』の企画「瓜田純士という男!歌舞伎町で過激な半生を紐解く!」のYouTube映像が23日、公開された。

 今回の企画では、「BreakingDown」で活躍するアウトローのカリスマ・瓜田のルーツを東京・歌舞伎町を歩きながらひも解いていくというものだ。

 素行の悪さから中学は強制転校、17歳で極道の道に入った瓜田。歌舞伎町のTOHOシネマズの裏にあるローソン付近を歩くと自身の小指にまつわるエピソードを思い出す。

「いまローソンだけど、ここ昔アマンドっていうカフェだったんですよ。ここで当時の組長と電話をしてて、大けんかになって『今から指持ってくから待ってろよ』なんて啖呵(たんか)入っちゃって。そのあとに店員さんに包丁ありますか? って聞いて『ない』って言われた。店を出て、自分で小指をくわえてちぎった」

 落としきれなかったという小指。今度はコンビニで果物ナイフを購入しきれいに落としたという。

 この映像にファンからは「やっぱおもしれーな」「トーク力えげつない」「面白すぎるやろ」「歩くコンテンツだよな!!」「瓜田氏の話はスリルとお笑いが混ざっていて本当に面白い」などのコメントが寄せられている。ENCOUNT編集部

瓜田純士の“顔面タトゥーなし”時代の写真を妻が発掘 「綺麗で色気ヤバくて」と興奮

朝倉未来が社長を務める「BreakingDown」で大人気の“アウトローのカリスマ”瓜田純士の妻・麗子さんが17日、自身のツイッターを更新。顔面タトゥーの入っていない時代の瓜田を振り返っている。

「めっちゃカッコ良すぎて吹き出した」

 朝倉未来が社長を務める「BreakingDown」で大人気の“アウトローのカリスマ”瓜田純士の妻・麗子さんが17日、自身のツイッターを更新。顔面タトゥーの入っていない時代の瓜田を振り返っている。

 麗子さんは「画像整理してたら顔タトゥー無い時の純士が出てきた」と若かりしころの瓜田が白のパンツを着用し、バイクにまたがる姿を公開した。

 さらに「綺麗で色気ヤバくて めっちゃカッコ良すぎて吹き出した #瓜田純士 #イケメン」と振り返っていた。

 この投稿にファンからは「カッコいい」「素敵な夫婦」「ほんとですね」「モデルさんみたいですね」「男前」「優しい!」などの声が寄せられていた。

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2023年

5月

25日

菓子工場で男性従業員が死亡 「上半身が機械に巻き込まれた」 機械の清掃中か MBC南日本放送

鹿児島市の菓子製造会社で22日正午前、20代の男性従業員が機械に上半身を巻き込まれ、死亡しました。

警察や消防によりますと、22日午前11時50分ごろ、鹿児島市宇宿2丁目の菓子製造会社「オガワ食品」から「20代男性が上半身を機械に巻き込まれた」と119番通報がありました。

男性は、鹿児島市下福元町のパート従業員・川村直人さん(25)で、意識不明の状態で病院に搬送されましたが、およそ3時間後に死亡しました。機械は食品の生地をこねるためのもので、川村さんは定期的な清掃作業をしていたということです。

警察と消防が当時の詳しい状況などについて調べています。

(2023/05/22 19:48)

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2023年

5月

23日

ヤンキー全盛期、ボンタンを年間2万本売った衣服店の現在 新たな主力は“ボンタンジャージ”

黄色が目立つド派手な外観に「めざせいい男」のキャッチコピー。長野県小諸市の国道18号沿いに建つ「メンズショップ・タカノ」は、かつてはボンタンや短ラン、長ランといった変形学生服をメインに販売していた衣料品店だ。変形学生服のブームは1970年代~90年代前半まで続き、経営者の高野弘夫さんは「最盛期は変形学生ズボンを年間2万本売った」と懐かしむ。しかし、ブームが去った今、メンズショップ・タカノの店内に変形学生服はない。その代わりに「新しいファッション」としてジャージ生地の「ボンタンジャージ」を推している。 

ボンタンジャージは、高野さんの共同経営者で息子の光弘さんが店舗裏の工場で作るオリジナル商品。普段着でボンタンのデザインを楽しめるようにと、10年ほど前に売り出した。中高生でボンタンをはいていた世代が懐かしがって買っていく他、「東京リベンジャーズ」や「今日から俺は!!」の影響でヤンキーファッションに興味を持った若者も買っていく。高野さんは「5年ほど前から生産が追いつかない人気」と話す。ワタリ幅(もも幅)は40センチ、50センチ、60センチがあり、色は学生服をほうふつさせる黒の他に紫や赤、白、ピンクもある。

変形学生服は「俺が仕掛け人」 20年にわたり新デザインを提案

 ヤンキー文化の全盛期には、変形学生服やヤンキーグッズを求める中高生で店内はごった返したという。変形学生服を取り扱い始めた理由を高野さんに聞くと、「そもそも俺が変形学生服を作った仕掛け人」とニヤリ。高野さんによると、きっかけは1973年で、学生ズボンのデザインにスリムとストレートしかない時代。高野さんは「太めのバキータイプの学生ズボンがあれば売れる」と考え、岡山県内のメーカーにデザインを提案して発注した。すると、400本ものバギータイプの学生ズボンが送られてきた。「さすがに400本は売れない」と肩を落として店に出すと、「大ヒットで、あっと言う間に売り切れた」。  それ以来、メーカーに変形学生服のデザインを提案しては作ってもらい、店で販売するというサイクルを「20年ほど続けた」。3ヶ月に一度は新作を出す方針で、「ファイブタックのボンタンとか、学ランの襟の長さを変えるとか、存在しない物を作ってきた」と胸を張る。しかし、1990年代に入り、校則の厳格化やブレザータイプの制服導入などで変形学生服の需要は急減。高野さんはブレザー制服の生地でボンタンを作って販売するなど工夫したが、時代の流れにはあがらえなかった。高野さんは「世の中にない、変わった物を作ることが大事。その気持ちは今も変わらない」と話す。


チェーン付き裏ボタン

 44歳の記者の中学生時代(1990年代前半)はすでにヤンキーブームは下火。ボンタンや短ランを着る人はクラスに数人いるかどうかだった。そんな記者でも黒色のボンタンジャージを試着すると「ああ、懐かしい」と懐古厨になり、ワタリ幅50センチのボンタンジャージの購入を決定。そして店内を見渡すと、レジカウンター前に懐かしいヤンキーグッズがずらりと並んでいることに気付いた。なんと「チェーン付き裏ボタン」ではないか! 高野さんによると、メーカーが生産停止を決めた際に在庫を一括購入。「残っている分だけ」を販売しているといい、記者は迷わずこれも購入した。

中学生の息子用にヤンキーグッズを購入 息子の反応は…


チェーン付き裏ボタンを付けた学ランを着た記者。学ランは同僚の息子の私物を借りました。

 店内には、記者と同じように食い入るように「チェーン付き裏ボタン」を見つめるお客さんの姿が。「国道を通るたびにずっと気になっていた。やっと来店できた」と話してくれたのは、民宿と飲食店を経営する男性(52)。約100キロ離れた長野県野沢温泉村から自動車で来たという。男性は長野県松本市出身で、中学時代はセミ短ランと細めのボンタンでキメていた。「友達も先輩、後輩もみんな変形学生服。私はヤンキー(不良)ではなかったけど、みんなと同じファッションとして変形学生服を着ていた」。クラスのほぼ全員が変形学生服を着る。男性を含めた「ビー・バップ・ハイスクール」世代では、それが当たり前だったという。  男性は「昭和グッズが懐かしいですね」と話しながら、「夜露死苦」や「仏恥義理」「暴走天使」の文字がプリントされたTシャツも熱心に物色。そして、チェーン付き裏ボタンを「中学生の息子用に」と購入した。中学1年生の次男(12)は、藤原ヒロシさんを崇拝するファッションとおしゃれ好きで、「東京リベンジャーズ」などの影響でヤンキーファッションにも興味があるのだという。「気に入ってくれると思います」。男性は商品を手にうれしそうに店を去った。  取材を終えた日の夜。男性から記者の元にメールが届いた。そこには「プレゼントしたら学ランにさっそく装着」の文字とともに、自分の学ランにチェーン付き裏ボタンを着けてうれしそうに微笑む少年の写真が添えられていた。12歳の無垢な笑顔からは、ヤンキーは不良、古いといった概念などなく、純粋にかっこいいファッションとして接している様子が伝わってきた。昭和のヤンキーのセンス、まだまだ捨てたもんじゃない。(半田茂久)

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2023年

5月

22日

“手取り月10万円”70歳・ビル清掃の独居老人…安らぎゼロの老後生活に悲鳴「残ったのは住宅ローンだけ」【CFPが解説】

元自営業経営・いまは清掃アルバイト…働くシニアの「過酷な現実」

「月々の負担を抑えたい」…軽い気持ちで組んだ住宅ローンがアダに

年金受給までの期間にできるだけの準備を 

手取り7万円でも…74歳・女性「時給1,261円」で、なぜ「ビル清掃員」を続けるのか?

複数の会社が入っているオフィスビル。いつもキレイにしてくれてありがとう……とそう感謝するのは「ビルの清掃員の高齢女性」というパターンは多いのではないでしょうか。ただ、ふと疑問。「通常であれば年金を手にできる年齢なのに、なぜ働くのか」。その理由を紐解いていきましょう。

女性の高齢者が多い「ビルの清掃員」…その給与額は?

オフィス、商業施設、学校、病院……多くの人が利用する施設を、キレイにしてくれるビルの清掃員。よく目にするのは、女性、そして高齢者、というパターンが多いのではないでしょうか。

 

正社員のビル清掃員であれば、経験を積んだのち現場責任者になったりと、キャリアアップの道があります。また関連する資格として、厚生労働省が認定する技能検定「ビルクリーニング技能士」という資格も。ビルの所有者から委託を受けて行うビルクリーニング作業について必要な技能を評価する資格で、近年の合格率は3級で50%強、2級で40%強、1級で25%ほどです。

 

ただ学歴は高卒未満が5.5%、高卒が49.3%で、両社合わせて過半数。職に就く際に、学歴や資格を問われることはほとんどないため、高齢者や女性の割合が高くなる傾向にあります。

 

ビル清掃員として働くには、総合ビル管理会社や専門のビル清掃会社に雇用されるのが一般的で、提携先の建物で清掃を行います。清掃員の就業形態は、パートタイマーが圧倒的に多く63.9%。アルバイト(学生以外)14.8%を合わせると、8割近くにもなります。またパートタイマーの場合、1日数時間程度、週3~4日程度という短時間勤務のケースがほとんどです。

 

厚生労働省『令和3年 賃金構造基本統計調査』によると、ビル清掃員の平均年齢は男性52.2歳、女性55.3歳。月給は男性20.7歳、女性17.3万円。手取りにすると、それぞれ16万円、13万円ほど。年収は男性で291.3万円、女性で229.1万円です。

 

またパートタイマーの給与は、たとえば70代女性(平均年齢73.9歳、平均勤続年数10. 8年)であれば、平均時給は1,261円。1日あたり4.5時間、1ヵ月あたり15.4日労働。単純計算、月給は8.7万円、手取りにすると7.4万円、年収は121万円ほど。これが、毎日、いつの間にかオフィスなどをキレイにしてくれているビル清掃員の給与のイメージです。

なぜ高齢女性は「ビルの清掃員」を続けるのか?

パートであれば、時給1260円ほど、毎月7万円強を手にするビル清掃員。高齢女性というケースが多い職業ですが、そもそも、なぜ高齢者は働き続けるのでしょうか。日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデン、それぞれの国で60歳以上を対象に行った調査から紐解いていきましょう。

 

「収入を伴う仕事をしたい/続けたい」といった60歳以上の人にその理由を尋ねたところ、日本では過半数が「収入がほしいから」と回答。続いて2割強が「働くのは体によいから/老化を防げるから」と回答しています。

【日本の高齢者「なぜ収入を伴う仕事がしたいのか/続けたいのか?」】

収入がほしいから:51.0%

働くのは体にいいから/老化を防げるから:23.1%

仕事そのものが面白い/自分の活力になるから:15.8%

仕事を通じて友人や仲間を得ることができるから:6.9%

 

出所:内閣府『令和3年版高齢社会白書(全体版)』

 

一方、米国やドイツ、スウェーデンといった欧米諸国では「収入がほしいから」の理由は、それぞれ32.2%、35.5%、25.1%と、日本と比べて圧倒的に低く、その分、「仕事がおもしろいから」という理由が多くなっています。

 

なぜ日本の高齢者は「収入」を理由に働き続けるのか……そのヒントは、高齢者の主な収入源からみてとれます。

 

日本の場合、「仕事による収入」が20.8%、「公的年金」が67.4%、「その他」が11.8%。一方、アメリカでは「仕事による収入」が17.3%、「公的年金」が53.5%、「その他」が29.2%。「その他」は、いわゆる資産形成によって得られる部分で、預貯金のほか投資などで運用してきた部分です。自己責任の国で、公的年金に頼れる部分が小さいため、「どうにかして殖やす」ということが根付いています。

 

日本では高齢化が進み、徐々に公的年金に頼ることができないようになってきています。その解決策として、働き続けることを選択しているわけです。

 

資産形成の重要性が叫ばれるようになり、多くの人が自分なりの投資に挑戦しているものの、すでに高齢者の人たち、そしてもうすぐ高齢者になる人たちは、タイムオーバー。選択肢はひとつしかありません。

年金月10万円・持ち家なし「75歳の独居老人」が直面する破綻の悲劇…おひとり様が生きていくために必要な「本当の最低額」

生涯未婚率が上昇傾向にあります。そこで不安視されているのは老後のお金問題。「1人の力で生きていく」ため必要な金額は? シビアすぎる現実がありました。

日本で増加中のおひとり様…老後はいくらあれば生きていける?

一生、ひとりで生きていく……そんなおひとり様が増えています。2020年に行われた国勢調査によると、男性の生涯未婚率は28.25%、女性の生涯未婚率は17.25%。ここでいう生涯未婚率は、一生、結婚しないまま生涯を終えた人ではなく、50歳になった時点で一度も結婚したことがない人の割合なので、厳密なものではありませんが、50歳を過ぎてから初婚というケースは稀なので近しい数値だといえるでしょう。つまり、男性の4人に1人以上が、女性の6人に1人以上が「生涯独身を貫く」といえるのです。

 

あえて独り身なのか、それとも願わず独り身なのか、人それぞれですが、おひとり様で不安になるのが老後の生活。いったいどれくらいあれば生きていけるのだろう……そんなことを考えると、夜も眠れなくなります。

 

総務省『家計調査 家計収支編』(2022年平均)によると、65歳以上単身高齢者の消費支出は14万9,208円。月々15万円を工面できれば、平均的な生活ができる、ということになります。

【単身高齢者の1ヵ月の生活費】

消費支出:149,208円(148,918円/148,971円)

(内訳)

食料:38,729円(40,938円/37,542円)

住居:13,530円(14,242円/13,141円)

光熱・水道:15,014円(14,748円/15,143円)

家具・家事用品:6,284円(4,631円/7,119円)

被服及び履物:3,632円(2,146円/4,388円)

保健医療:8,358円(8,124円/8,447円)

交通・通信:15,511円(19,409円/13,423円)

教養娯楽:15,501円(16,287円/15,041円)

その他の消費支出:32,648円(28,393円/34,727円)

 

出所:総務省『家計調査 家計収支編』(2022年平均)より

※数値は左より、単身65歳以上(単身男性65歳以上/単身女性65歳以上)

 

厚生労働省によると、厚生年金受給者の平均年金受取額は、65歳以上男性で17万円、女性で10万円ほど。そこから保険料等引かれることを考えると、元会社員・公務員の男性で、月々4万円、女性で月10万円ほど、また国民年金受給者であれば月12万円ほど貯蓄で補填して生活していくことになります。

「75歳おひとり様」が生きていくのに「最もお金がかからない」都道府県は?

ただ老後の生活を語るうえでよく用いられる『家計調査』ですが、

 

――1人暮らしで月14万円? そんなに使わないでしょ

――足りなければ、節約すればいいだけの話

 

という声も。そこでみていきたいのが「最低生活費」。この水準を下回れば、生活保護の対象となるものです。

 

生活保護といっても家庭の状況によって支給される内容はさまざまですが、仮に75歳1人暮らしであれば、日常生活を送るのに必要な費用である「生活扶助」と、アパートなどの家賃などにあたる「住宅扶助」が受けられると考えられます。ただし持ち家の場合は住宅扶助は受けられません。

 

都道府県(県庁所在地)における、75歳、1人暮らしの場合の「生活扶助基準額」をみていくと、7都府県で7万1,900円と最も高く、33県で6万5,470円と最も低くなっています。その差は5,000円ほど。日本全国、都市であれば月7万円ほどあれば生活費は何とかなるといえそうです。

 

あと、おひとり様で心配なのが住まい。2人以上の高齢者世帯の持ち家率は9割を超えますが、おひとり様高齢者の場合は6割程度。多くのおひとり様高齢者は家賃の心配もしなければなりません。

 

家賃の地域差は大きく、「住宅扶助基準額」が最も大きいのは「東京都」で5万3,700円。一方で最も安いのは「山梨県」「徳島県」「大分県」で2万9,000円。その差、2万5,000円ほどとなります。

 

そして「生活扶助基準額」+「住宅扶助基準額」の合計である生活保護費が最も高いのが「東京都」で12万5,600円。貯蓄なしのおひとり様高齢者は、持ち家でなければ生きていくのはしんどそうです。

 

一方、最も安いのが、先ほどの3県で9万4,470円。貯蓄なし・家なしのおひとり様の場合、逆算で年金11万円ほどあれば、この3都市でなんとか生きていけると考えられます。

 

ただし厚生年金受給者で年金月11万円未満は488万人で全体の30.2%。このなかに該当者がどれほどいるか分かりませんが、貯蓄なし・家なしのおひとり様がこの日本で生きていくのは、かなりしんどいことであることは確かなよう。おひとり様といっても、状況によって最低生活費もさまざま。悲しい末路を辿ることのないよう、万全に備えて老後生活を迎えたいものです。

「凍死も覚悟」年金月6万円・70歳ホテル清掃員「電気代破産」の危機…ギリギリ生活にトドメを刺したのは【FPが解説】

モノだけでなく光熱費の大高騰など、値上げラッシュが家計を圧迫しています。なかでも特に厳しい生活を強いられているのは、年金生活の高齢者です。本記事では、年金月6万円・70歳ホテル清掃員のAさんの事例を1級FPの川淵ゆかり氏が解説します。

東北地方に住む70歳のAさん…夫はすでに他界

Aさんは70歳の東北地方に住む女性です。22歳のときに3歳年上の小さな書店を営む男性(自営業)と結婚し、2児をもうけました。Aさんの夫は68歳のときに病気により亡くなってしまい、その後は1人で元店舗兼自宅(住宅ローンは完済済み)に住んでいます。2人の息子(46歳・44歳)はそれぞれ東京と大阪で就職し、年に1度か2度、孫を連れてやってくる程度です。同居を勧めてくれることもありましたが、この地方から出たことのないAさんは、住み慣れた家を離れるのも抵抗があり、嫁との同居も気が進みません。

 

書店は駅の近くにあり、若いころは経営も順調で、家族4人で楽しく暮らしていましたが、子どもが独立したころから本の売れ行きも悪くなってしまい、Aさんの夫が65歳になると同時に店を畳み、老後の生活に入って3年ほどで夫は他界してしまいます。

70歳を迎えたAさんがホテル清掃員として働き始めた理由

お店は畳みましたが改築もせずにそのままの状態で、Aさんの自宅はこのお店の奥まった所に続いています。店舗の入口部分が広いために冬場は寒く暖房費が馬鹿にならないのと、自宅が奥にあるため日が当たりづらく薄暗いため、1日中電気を付けているために電気代もかかります。Aさんの家に限らず、東北地方は全国的に見て日照時間が短いため、どうしても照明を付けている時間が長くなります。

 

店舗の改装などにお金もかかった過去もあり、預貯金もそれほどないのが現実で、自分自身の国民年金(月額約6.4万円)と息子達からのわずかな仕送りでしばらくは生活を続けていましたが、夫が亡くなり年金も自分の分だけとなってしまったことから、知り合いの紹介で、駅の近くのビジネスホテルに清掃員として働き始めました。運動にもなるし、外に出れば暖房費や電気代も節約になるだろう、と考えていたAさんですが、新型コロナウィルスの影響で家計は大きく変わってしまいます。

勤務先休業、電気・ガス・灯油の値上げ、さらなる追い打ち…「もう生きていけない」

感染拡大防止の観点からホテルの営業が休止となり、仕事が無くなる日も出てきました。そんな日は、家に居るしかないのですが、家に居るとその分、照明や暖房費にお金がかかってしまいます。収入は減るうえ、光熱費は嵩み、Aさんは買い物に出る気持ちにもなれません。

 

さらに息子たちの会社も影響を受けていて厳しいのか、仕送りの間隔も開いてきました。そして昨年(2022年)は、原油高や円安により最終的に2万822品目、値上げ率平均14%という記録的な値上げが家計を襲います。また、食料品だけでなく、電気・ガス・灯油の大幅値上げにも苦しめられます。

 

Aさんは、結婚当初から家計簿をかかさず付けていました。いつもはしないことですが、思わず過去3年分の家計簿を引っ張り出し、支出の金額の変化をチェックしてみました。いまのところ食料品等はなんとか工夫と我慢で抑えることもできますが、光熱費は簡単にいかず、昨年と比べて3割~4割も支出が増えていることに気が付き、値上げの恐ろしさに愕然となりました。

 

そして、光熱費の高騰に苦しんでいるところに、今年(2023年)の冬には10年に1度といわれる大寒波がやってきます。低い気温の日が続き、水道管が凍る家も続出しましたが、Aさんが困ったのは大雪です。Aさんの住む地方は雪も多いため、除雪が必要ですが、屋根の雪下ろしも必要な場合があります。

 

まだまだ雪かきは自信がありますが、屋根の雪下ろしはさすがにできないため、業者に依頼をします。危険な作業のため、2人で来て数時間かけて作業をするので、1回につき、20,000~30,000円程度かかります(地域や家の大きさ、雪の量によって変わります)が、これが何度か続いてしまうといまのAさんにとってはさすがに死活問題です。

 

地方に永住を希望する人も増えましたが、もし雪のある地方へ移住することを検討している場合は、こういった費用も必要なことを覚悟しておいてください。

インフレに備えられていない高齢者たち

さて、公的年金はインフレ率の分だけ上昇するわけでもありませんし、銀行預金の金利もビクともしないほど超低金利です。投資のリスクを取りにくい高齢者にとって、これはかなり不利になります。インフレはモノの価値が上がってお金の価値を下げてしまうので、インフレが続くほど預貯金があってもその価値をどんどん下げていってしまいます。高齢者の方でタンス預金をする方も多いですが、インフレ時期に価値を下げるだけでなく、盗難のリスクも大きくなるので注意が必要です。

 

現役時代から投資に慣れておくことや、生涯の働き方計画(ジョブプラン)を立てておくことがインフレ対策となります。雪も落ち着いたころ、Aさんに話を伺いました。

 

「値上げは40年以上も前に何度か経験したけど、高度成長期でお店の景気もよかったからそれほど気にならなかった。銀行にお金を預けっぱなしでも増えていった。その後は苦しい時期もあったけれど、新型コロナ辺りからは予想もできないくらい生活がどんどん変わっていってしまった。光熱費を気にしながら暖房やストーブを使っていたので、特に寒さが厳しい日は凍死を覚悟した日もあった。この年でこれだけ厳しいと、これから先、本当に生きていけないような気がする……」Aさんのような高齢者は今後も増えていくと思われます。

 

 

川淵 ゆかり

川淵ゆかり事務所

代表

都道府県別「75歳・おひとり様高齢者」最低生活費<2022年4月データを基にした概算値>

都道府県別「75歳・おひとり様高齢者」最低生活費…1位~同率19位

都道府県別「75歳・おひとり様高齢者」最低生活費…同率22位~同率45位

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2023年

5月

21日

「子を叱るのは親の責任」世界遺産の神社に置き紙

【「子を叱るのは親の責任」世界遺産の神社に置き紙】
https://yuru2club.com/wp/?p=4461
世界遺産にも登録されている京都の「宇治上神社」。
この神社が作った参拝者向けの紙が話題になっています。
「小さなお子様をお連れの親御様へ」と題したメッセージ。
内容についてネット上では
「当然のこと」
「ここまでの注意書きが必要とは」
といった声が上がっています。
神職はどんな思いで書いたのか? 
A4サイズの1枚の紙
 
神社建築では日本最古の本殿がある宇治上神社。
お守りなどが並んでいる棚のあたりに、
神社の説明文などとともにA4サイズの紙が置いてあります。
そこには、こう書かれています。
「ここは神社です。皆様が心を静めてお参りをされる場所です。
 テーマパークでもファミリーレストランでもありません。
 サービス業ではないのです。
『お客様は神様』の自論は通用しません。
 本当の神様は目の前においでです。
 当然、不敬な行動は叱ります。
 親御さんがお子様をしっかり御監督なさって下さい。
 お子様を叱るのは、親の責任ですし、親が不行き届きで、
 周りの人に叱っていただいたなら、逆切れではなく、
『ありがとうございます』です。
 自分本位な考えの大人になられないように、
 正しい教育で共にお子様の健やかなる成長を見守りましょう」
この貼り紙、どんな思いで書かれたものなのか? 
神職の片岡剛さんに話を聞きました。
書かれたその紙も一緒にご覧ください。

書いたきっかけを教えてください

「世界遺産になってから参拝者も増えています。  そんな中、私たちが子どもを注意すると、  逆にその親から苦情を言われるケースが増えてきたためです。  他の参拝者のためにも、守っていただきたい  一般的なことを書きました」

 ――どんな思いを込めたのでしょうか

「子どもの頃にやりたいことをやって、  そのまま大きくなったら大変なことになりかねません。  子どものうちに、しっかりと親や周囲の大人が  教えることが必要だということが伝わればと思っています」

 ――文字の色やフォントを変えたり、「お客様は神様」という表現を引き合いに出したり、工夫されていますね

「当たり前のことを当たり前に書いても  読んでもらえないと思ったからです。  気にとめてもらえないし、  堅い内容だと読むのがしんどくなりますから。  ただ、この紙は神社の紹介文などと一緒に置いてあるもので、  大々的に訴えているわけではありません」

 ――「神社に限らず、世間一般に当てはまる指摘だ」といった声もあります

「子どもたちは宝です。  健全に育つように周りの大人が見守っていける、  そんな社会であったらいいなと思います」

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2023年

5月

20日

パスワードを自分の目標にしたら人生が変わったよ!

【パスワードを自分の目標にしたら人生が変わったよ!】
https://yuru2club.com/wp/?p=4477
パソコンを使用するときに行う「パスワード入力」。
この面倒なパスワード入力の作業に一手間を加えることで
「人生を変えた」という方がいます。
上海在住で、デジタルデザイナーのマウリシオさん(Mauricio Estrella)が、
アイディアなどを共有していくサイト『Medium』内で書いた
「人生を変える方法」が話題になっています。
その方法とは、「パソコンのパスワードを自分の目標に変える」だけ。
マウリシオさんは当時妻と離婚したばかりで、自暴自棄になっていました。
「なぜ彼女は僕をこんな目に合わせたんだ」
と離婚を彼女のせいにしながら日々を送っていたある朝、
デスクのパソコンに目をやるとこんな表示がスクリーンに現れました。
「パスワードの有効期限が切れました。
『パスワードの変更』を押してパスワードの変更をしてください。」
彼の会社のパスワードには規則がたくさんある上に、
30日毎の更新をしなければならないため、彼はこのメッセージが大嫌いでした。
いつものようにパスワードを考えていると、
お世話になっていた前の上司がやっていた方法を彼は思い出します。
その上司は自分のパスワードをその時の
「やることリスト」に関連したものにしていました。
そこで、マウリシオさんはそれを元にパスワードを
「自分の現在の目標」にすることにしました。
そして彼は最初のパスワードをこれに設定します。

Forgive@h3r(彼女を許す)

マウリシオさんはパソコンがロックされるたび、 スクリーンセーバーにしていた彼女との写真が現れるたび、 ランチから帰ってくるたびに、 「彼女を許す」と毎日打ち続けました。

毎日パスワードを打ち込みながら、 自分に「彼女を許す」ように言い聞かせていました。

すると、このシンプルな行動のお陰で、 驚くほど離婚の傷が癒えていったのです。

そして1ヶ月後、またパソコンがパスワードの更新を求めてきました。

そこで長年達成できていなかった 「Quit@smoking4ever(タバコをすぱっとやめる)」 にパスワードを設定しました。

するとなにが起こったでしょうか。

今まで何をやってもやめられなかったタバコが、たった一晩でやめられたのです。

もちろん1ヶ月間は大変だったそうですが、 タイプし続けることでモチベーションを維持し続けることが出来たそうです。

そしてその一ヶ月後、再びパスワードを決めました。

次は「Save4trip@thailand(タイ旅行のために貯金をする)」。

そして3ヶ月後、彼は念願のタイ旅行を実現できたのです。

【今までの2年間で彼が作ったパスワードとその結果】

1.Forgive@her(彼女を許す) ← 成功。これがすべての始まりでした。 2.Quit@smoking4ever(タバコをすっぱりとやめる) ← 成功。 3.Save4trip@thailand(タイ旅行のために貯金する) ← 成功。 4.Eat2times@day(1日2食にする) ← 失敗。まだ太ってます。 5.Sleep@before12 (12時前には布団に入る)← 成功。 6.Ask@her4date(彼女をデートに誘う) ← 成功。また僕は恋に落ちました。 7.No@drinking2months(2ヶ月禁酒をする) ← 成功。体調がすごく良くなりました! 8.MovE@togeth3r (彼女と引っ越しをする)← 成功。 9.Get@c4t!(ネコを飼う) ← 成功。すごく美しいネコを飼っています。 10.Facetime2mom@sunday(日曜に母とFaceTimeをする) ← 成功。毎週、母とは電話をしています。

マウリシオさんは言っています。

「一日に何回も入力するパスワードを自分の目標に設定することで、  パスワードを入力するたびにそれを思い出し、  あなたの行動に大きな影響を与えることが出来ます」

「自分が何のために努力しているのか」 「どこを目指して努力しているのか」を 「日常的に打ち込むパスワード」を使って確認することはとても有効なのです。

そんな彼の今のパスワードは 「Save4@ring(指輪のために貯金をする)」

あなたもパスワードを使って、人生を変えてみては?

【追記】ちなみに彼のページの最後にはこんな更新がありました。

2014年6月21日更新:彼女が「イエス」と言ってくれました。

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2023年

5月

19日

アスベスト除去に伊野尾と魔裟斗が密着! 解体キングダム 毎週水曜[総合]午後7:57

耐火・耐熱に優れ、長年、家屋やビルに広く使用されてきたアスベスト。戦後、日本に輸入されたアスベストは1000万tを超えるとも言われている。しかし、吸引すると肺がんなど健康被害を引き起こすことが判明。解体工事の際には、わずかなアスベストも飛散させずに除去しなければならず、職人たちにとってはまさに“最大の難敵”と化している。アスベスト除去の最前線に、伊野尾 慧と魔裟斗が潜入。職人たちの驚きの作業に迫る!

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2023年

5月

18日

全国の長渕剛ファンの思いが形に 母との思い出つづった散文、指宿・宮ケ浜の石碑に刻む

 長渕剛さん

南日本新聞 | 鹿児島

 長渕剛さんの散文を刻んだ石碑=指宿市の宮ケ浜海岸

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2023年

5月

17日

【貴方を家族にむかえる時】青空と向日葵の会

あなたを家族に迎える時
すごく悩んだし、戸惑いもあった
保護犬(猫
身体も心もたくさん傷ついていたよね
私達であなたの心も癒してあげたい
あなたを見て強く、強く思ったよ
そして君を迎えた今、
あなたを救ったはずが
私達の方が君に救われてる事に気付いたの
あなたのあくび、寝息、柔らかな毛並み
すべてがいとおしくて
毎日忙しくてそれでもおんなじ日がなくて
癒されてるなんてそんな単純なことではなくて
大きな存在となり
私たちの人生の一部となった
保護犬(猫)を迎えて、かわいそうな保護っ子を
救った
はじめはそう思っていたけれど
今は過保護っ子
救ったのではなく救われている日々がある
どうか新しい家族をお迎えするときは
保護犬猫の里親になる選択を
“一匹の犬(猫)を救っても世界は
変わらないが
その一匹の犬(猫)の世界は永遠に変わるだろう”
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2023年

5月

17日

全国初!「リラックマ」が一日署長 愛らしいしぐさで交通安全アピール 市原署がキャンペーン。

市原署の浜田憲明署長から、一日署長に委嘱されるリラックマ=市原市のアリオ市原

市原署の一日署長を務めるリラックマ=市原市のアリオ市原

 

 

 

 市原署(浜田憲明署長)は、かわいいクマのキャラクター「リラックマ」を一日署長に任命し、春の全国交通安全運動(11~20日)のキャンペーンを展開した。

 

 リラックマは、「癒やされる」と大人気の縫いぐるみで、今年が生誕20周年。一日署長を務めるのは全国初という。

 キャンペーンは市原市のショッピングモール・アリオ市原で行われ、市や市地域交通安全活動推進委員協議会、市原交通安全協会、市原地区安全運転管理者協議会などが参加。

 大歓声に包まれステージに登場したリラックマは、愛らしい仕草をしながら、「慌てずに、ゆとりを持って運転を」とリラックスした雰囲気を醸し出していた。

 会場では、交通ルールや警察業務などに関するクイズ大会や市消防局音楽隊のミニコンサートも開かれ、多くの子どもたちが交通安全意識を高めていた。

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2023年

5月

17日

”いってらっしゃい”のひと言 。青空と向日葵の会

【”いってらっしゃい”のひと言】
https://yuru2club.com/wp/?p=4509
もう二十年位前の話です。
私は小さい頃、両親が離婚し、どっちの親も私を引き取ろうとせず、
施設に預けられ、そこで育てられました。
そして三歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです。
当時の私はその自覚などしておらず、記憶は無く、
その親を本当の親と思って中学二年まで過ごしてきました。
そして、突然の父との別れが訪れました。
脳梗塞で帰らぬ人になったのです。
そして、そんな最悪の時に、
「私とその親は家族ではない」
ということを、親戚の口から偶然にも知ってしまったのです。
葬儀のあと、私は母を問い詰め、本当のことを聞きました。
その時を境に、私は母を嫌いになりました。
死んだ父でさえも嫌いになりました。
たぶん、裏切られたとか思ったんでしょう。
元々家は裕福ではありませんでした。
ですから父が死んでしまった後は、
母が働きに出ざるを得ませんでした。
母は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きました。
それもこれも全て、私のためのものでした。
ですが、当時の私には、
それすらもうっとうしく思えてなりませんでした。
時には、登校の時間と母が市場から帰ってくる時間がちょうど重なることがあります。
友達と登校していた私は、ボロボロになった母と家族であるということを
友達に知られたくありません。
「いってらっしゃい」
と言う母を無視しては、友達に
「誰あれ、気持ち悪いんだけど」
という悪口すら言っていたものでした。
それを察してか、次の日に母はわざと目を伏せ、
足早に私とすれ違っていきました。
それでも、母は何一つ文句をいわず働いてくれていました。
そんな日が一ヶ月くらい続いたと記憶しています。
そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる母とすれ違いました。
当然無言です。
その姿はなんとも淋しく、哀しく、辛そうに見えたのです。
涙が溢れました。

はぐしゃぐしゃに泣きました。

私は一体何をしているのか。

ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人に、 私は何をうっとうしく思っているのかと、凄まじい後悔が私を襲いました。

私は友達の目も気にせず、母に駆け寄りました。

でも、何を言っていいかわかりませんでした。

その時、ふと口をついた言葉が 「いってきます」 でした。

言えた言葉はたったそれだけでした。

でも、母は一瞬驚き、そして泣きました。

そして、何度も何度も 「いってらっしゃい。」 と言ってくれました。

私が友達の元へ戻ったあとも、母は私を見ながら手を振って 「いってらっしゃい。」 と言ってくれていました。

今では、彼女こそが本当の私の母親です。

たとえ戸籍上はどうあれ、そう思っています。

恩は返しきれないくらいあります。

母は 「それが親の勤めだよ。」 と言いますが、でも、じゃあ今度は子として、 私が親の面倒を見ていきたいです。

この人が母親で、最高に良かったと思います。

http://kandoustory.con-ple.com/いってきます-266.html

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2023年

5月

14日

高島屋新宿店でプロレス 特設リングの肉弾戦に大きな声援

DDTプロレスリングの人気レスラーが熱闘を繰り広げた

百貨店でプロレス催事 企画の狙いを高島屋新宿店に聞く


DDTプロレスリング image by: 高島屋
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2023年

5月

11日

気づいてあげられなくて、ごめんな・・・。青空と向日葵の会

【気づいてあげられなくて、ごめんな・・・】
https://yuru2club.com/wp/?p=4167
私がその先生に出会ったのは中学校一年生の時だった。
先生は私のクラスの担任だった。
明るくて元気いっぱい。
けれど怒るときはものすごい勢いで怒る。
そんなパワフルな先生が、私はとっても好きだった。
この先生が担任で本当によかったと思った。
一年生の後半ごろ、私はいじめを受けた。
どんなものだったかは敢えて言わない。
とてもつらかったのを覚えている。
だけど、先生をはじめとしたどの人物にも言えなかった。
私は小学校の頃にもいじめを受けていて、
それを解決するのがどれだけ面倒くさいか知っていたからだ。
いじめっ子と何度も話し合いをさせられる。
だけど、そんなことをしたって彼らの性格が直る訳でもない。
時間の無駄だと思った。
誰かに言ったら話し合いをしなければならない。
とにかくそれが嫌だったから、私はひたすら我慢した。
そんなあるとき、私は先生に呼び出された。
なんだろうと思って行ってみると、いじめのことがばれていた。
誰かが先生に言ったらしい。
仕方がないから白状した。
すると先生は私の話を頷きながら聞いてくれて、
途中で顔をしかめたりもしていた。
話が終わると、
「大体わかったよ。その人たちにはがっつり言っておかなきゃな…」
険しい顔で先生が言った。
どうやら、彼らとの話し合いをさせるつもりはないらしい。
私は内心喜んだ。
だがその気持ちは、先生の次の言葉にかき消されることになる。

んで黙っていたの?」

追求という形ではなく、純粋な疑問形だった。

私はうまく答えられなかった。

「めんどくさい」 では済まされない。

私が黙っていると、 「気づいてあげられなくて、ごめんな…」 しんみりとした、先生の声が聞こえた。

あのパワフルな先生から出たものとは思えないほど。 何も言えなかった。

申し訳ない気持ちで、胸が張り裂けそうになった。

恐る恐る顔色をうかがってみると、先生の目には涙が浮かんでいた。

私が先生の涙を見たのは、これが最初で最後だ。

いじめの問題はみごと解決した。

いじめっ子たちは言葉通りがっつり叱られたらしく、 以後は本当におとなしくしていた。

私の気持ちを尊重して、先生は親にもいじめのことを言わなかった。

最後までいい人だと思った。

私が中学二年生に進級して以来、その先生と関わることはなかった。

ただ、廊下でその先生とすれ違うたび、いつも胸が痛んだ。

先生の涙は、 中学校はとっくに卒業した今も忘れられない。

たぶんこれからも 。

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2023年

5月

07日

【ファーストクラス】青空と向日葵の会

ファーストクラス
「ちょっとスチュワーデスさん!
席を変えてちょうだい」
ヨハネスブルグ発の混んだ飛行機の中で、白人中年女性の乗客が叫んだ。
「何かありましたか?」
「あなた、解らないの? 黒人なんかの隣には座りたくないのよ!こんな人、迷惑だわ」
女性の隣では、黒人男性が憮然とした顔で座っている。
「お客様、少々お待ち下さいませ。空いている席を確認して来ます」
乗務員は足早に立ち去り、周囲の乗客はざわざわと不穏な空気。
暫くして乗務員が戻って来た。
「お待たせしました。ファーストクラスに一つ空きがありますので、どうぞそちらへ。
本来ならこういうことは出来ないのですが、隣の席がこんな人では確かに迷惑でしょうと、機長が特別に許可しました。さ、どうぞ」
周囲の乗客は、にこやかに黒人男性を見送った。
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2023年

5月

07日

北島三郎「足の指7本骨折」で車椅子生活も「年間1億円の種馬ビジネス」は盤石

 歌手生活60周年を超える北島三郎(86才)の「終活」がいよいよ大詰めを迎えているようだ。3月末に、北島音楽事務所に所属する北山たけし(49才)をはじめベテランの原田悠里(68才)、山口ひろみ(47才)、大江裕(33才)という4人の北島ファミリーが独立し、同時に27年にわたってホストを務めてきた音楽番組『サブちゃんと歌仲間』(BSテレ東)が終了した。

【写真4枚】顔をくしゃっとさせて笑う北島三郎。黒と銀の装飾車椅子にて。他、歌う姿も

「2016年に頚椎症性脊髄症の手術、2019年には自宅で転倒し両足の指を7本折るケガをしてから、車いす生活が続いています。昨年大晦日に、『年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京系)に2年ぶりに出演しましたが、その時も車いすでした。弟子たちの独立や事務所の縮小などは、数年前から徐々に準備を進めていたようです」(芸能関係者)

 その陰で、北島は別の「整理」も進めているという。音楽関係者が明かす。

「サブちゃんは、2017年の有馬記念など大きなレースで優勝したキタサンブラックをはじめ、“キタサン”の冠号がつく競走馬を所有してきた有名馬主です。キタサンブラックが勝利したときには、競馬場で『まつり』を披露しファンサービスするのが恒例でした。

 北島音楽事務所の法人名義で6頭ほど現役の競走馬を所有していますが、ほかの馬主や牧場への移籍の手続きを始めていると聞いています」

 北島が馬主になったのはデビューして間もない頃だ。

「“所有している馬はすべて自分の子供たち”と話し、馬たちが一生懸命走る姿に自分を重ね合わせ、それを励みに歌手活動を続けてきたほど。サブちゃんの人生は馬と共に歩んできたようなものです。その馬を手放すのは寂しいでしょうが、やはり年齢的に色んなことを考えなければならなくなってきたようです」(前出・音楽関係者)

 一方、引退後の種牡馬の“権利”の保有は続けるという。北島が「神様からの贈り物」と呼ぶキタサンブラックは、獲得賞金総額は18億7684万円(JRA歴代2位)という“孝行息子”で、2018年から種牡馬生活に入っている。

 人気の競走馬は引退後、“種牡馬シンジケート”と呼ばれる株に分割され、株の持ち主がそれぞれ種牡馬の所有権を持つ。キタサンブラックは引退後に、総額13億5000万円の種牡馬シンジケートが組まれたという。競馬関係者が話す。

「1口2250万円で、全60口。北島さんは10口ほど所有しているといいます。初年度の種付料は500万円でしたが、昨年の年度代表馬のイクイノックスは初年度産駒。有馬記念を親子制覇したことで今年の種付料は倍の1000万円に上昇しました。また3月にドバイシーマクラシックを制しGIで3勝目をあげたので、種付料は来年さらに上がります。

 1年のうち2~3か月の種付シーズンだけで、多い馬だと200回以上種付に臨みます。諸経費を引いた後の種付料は、所有口数に応じて分配される仕組みのため、北島さんには、今後も毎年1億円以上が入ってくる計算になる」

 体調を崩してリハビリをしていた時も、北島の心の支えは愛馬たちだった。キタサンブラックの“親孝行”はまだまだ続く。

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2023年

5月

07日

美女4000人に30億円貢いだ「好色資産家」の“不審すぎる遺書”〈個人の全財産を田辺市にキフする〉

〈紀州のドン・ファン死亡事件〉遺産総額約50億円のはずが…自宅の大型金庫に残されていなかった“消えたカネの行方” から続く

 美女4000人に30億円貢いだ「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助氏(当時77歳)。彼が不審な死を遂げ、元妻・須藤早貴氏(当時25歳/以下さっちゃん)が殺人容疑で逮捕されて2年が経つ。稀代の「好色資産家」が遺した30億円とも50億円とも言われる遺産はどのような行方を辿ったのだろうか。ここでは『 紀州のドン・ファン殺害「真犯人」の正体 ゴーストライターが見た全真相 』より一部抜粋。カネは誰の手に――。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

「社長は若くて清純そうなホステスが大好きでした」

 もちろん、財産には不動産もある。これがまた、ややこしい。

「田辺市内にいろいろ持っているのはもちろん、和歌山市内にも不動産があるようだし、もっと言えば全国の債権者から『借金のカタ』に差し押さえた不動産もある。弁護士たちは書類を必死に探して、不動産資産の全貌を掴もうとしていますが、大変な作業だと思いますよ」(会社関係者)

 私が地道に取材してわかった範囲で、田辺市内のドン・ファンの不動産をチェックしてみた。

 田辺市内の中心部、津波の被害も心配なさそうな小高い場所に建つ、鉄筋コンクリート造りの3階建てマンション。そのマンションの名称を見て、私はニヤリとしてしまった。

「マンション ピロポ」

 看板にはそう記されていた。

 アプリコの従業員たちは誰も「ピロポ」の意味を知らなかったが、ピロポとは、六本木でも一流として知られる瀬里奈グループが持っている高級クラブの名前だ。現在は銀座に移動して「銀座クラブ ピロポ」として営業している。社長の古くからの知人が言う。

「社長はピロポが大好きで、この店の若くて清純そうなホステスを何人も口説いていたんです」

確認できただけでも、田辺市内に賃貸用のピロポマンションは5棟ほどある。それらマンションだけでなく、田辺市内の重厚な日本家屋も売りに出されていた。これは貸金のカタに差し押さえたものだろう。他にも、田辺市の隣町の中古住宅には、かつて社長の会社のイメージガールだった西川(現・仁支川)峰子さんの写真入りの看板が置かれ、「売家」と書かれていた。

 もう一つ、バカにできないのが社長の「コレクション」だ。社長は無数の絵画や貴金属を集めていたことでも知られている。

「シャガールやルノワールに、藤田嗣治の絵画もある。ニセモノか本物かわからない品もありますが、寝室に飾っていたルノワールと藤田は本物でしょう。絵画と貴金属をあわせれば、総額は軽く5億円を超えるはずです」(会社関係者)

遺産は確実に30億円は超える。元妻が手にするのは…

 全国に散らばる不動産、銀行預金に株の証券、未回収の貸金に絵画と貴金属、さらに現金として手もとに置いていた2億円(現在行方不明だが)。それに加えて、会社の資産として現金と不動産がある。

 ドン・ファンの資産を、会社関係者が総括する。

「一部報道では50億円と言われていましたが、50億はないとしても30億円は確実にいくと思います。さっちゃんの法定相続分は4分の3ですから、20億円以上の遺産を手にすることになりますね」

 ところがここに来て、話がそう単純に進まない事態となっている。

 ドン・ファンの「遺言書」なるものが8月に裁判所に提出されたのだ。内容は、「全財産を郷里の田辺市に寄付する」というものだ。

 社長の遺言書が存在するということは、6月以降、いくつかの週刊誌が報じてきた。だがそれらの記事はいずれも遺言書の描写があいまいで、記者が遺言書の現物を見ていないことが明らかだった。おそらく、「遺言書がある」という情報だけを聞いて記事にしたのだろう。何者かが、意図を持ってリークしたとしか思えない。

 私はその遺言書の現物のコピーを入手し、フライデー9月21日発売号で写真として掲載した。左ページがそれだが、遺言書にはこう書かれている。

〈〈いごん

  個人の全財産を田辺市にキフする

  アンカーアプリコの清算をたのム

    平成25年2月8日

       野崎幸助

   〇〇〇〇殿〉〉

 他の週刊誌の記者が現物を見ていないと私が確信するのは、この遺言が、全文真っ赤な字で書かれているからだ。そんな異様な遺言書があるだろうか。他の週刊誌の記事は、文字が赤いことに一言も触れていない。現物を見ていて、そのことに触れないことはありえないだろう。

 〇〇〇〇の部分は、実際にはある人物の名前が記されている。

 その人物M氏は、たしかに社長とは30年来の知人で、アプリコの取締役にも名を連ねている。ちなみにアンカーというのは、ドン・ファンが経営していた貸金業の会社の名前だ。

この遺言状はホンモノなのだろうか

 社長の古い知人から事情を訊いた。

「M氏によると、今から5年前の2013年(平成25年)に、ドン・ファンがこの遺言書を突然郵送してきたというのです。すぐにM氏が真意を確認したら、ドン・ファンは『まだまだ死ぬつもりはないが、万が一のときには自分の財産を郷里の発展に役立ててもらいたい』と語ったそうです」

 私の知る限り、およそドン・ファンが言いそうにないセリフだ。それは置いておくとしても、なぜ死後2ヵ月以上経ってからこの遺言が出てきたのか。知人が続ける。

「M氏はとりあえず遺言書を保管していたが、そのうちその存在をすっかり忘れていたそうです。ドン・ファンが急死して、葬儀も終わってしばらくたった6月10日頃、M氏は急に遺言のことを思い出し、弁護士に相談した。そして8月3日、その弁護士がM氏の代理人として、遺言書を田辺の家庭裁判所に提出したのです」

 今後、遺言が本物なのかどうか、家庭裁判所で「検認」手続きが行われる。ただ、そこで本物だと認められても、全額が遺言どおり田辺市に寄付されることにはならない。妻のさっちゃんが「遺留分」を請求すれば、法定相続分の半分を相続することができるからだ。

 ドン・ファンの遺産が30億円とすると、もしこの遺言が本物であるなら、さっちゃんの相続分は半分の15億円になる。兄弟姉妹には遺留分が認められていないため、4分の3の半分ではなく、全体の半分になるのだ。現状の相続分である22.5億円に比べると、7億円以上減額されることになる。そして前述したように、兄弟姉妹の取り分はゼロになる。

 はたして、さっちゃんと兄弟姉妹は、それを素直に受け入れるのか。

 そもそも、M氏の言っていることをすべて信じていいのか。

 筆跡は確かにドン・ファンのものに似ているが、このまますんなりとはいかないと私は思っている。

遺言状にある最も不自然な点とは――?

 まず、遺言書の出方があまりにも不自然だ。

 M氏は通夜、葬儀の間も「親父(M氏は社長のことを、社長不在のときだけ親しさを誇示するようにそう呼んでいた)は遺言を残すようなタマじゃないよ」と何度も言っていたし、M氏以外の誰一人として社長が遺言を書いていたことを知る者はいない。

 また、文字の筆跡は似ているが、文章全体から受ける印象が、ドン・ファンが書いたものとは異なる。

 社長が書く文章は一つ一つの字がバラバラで、さらに下に行くにつれ字が左に流れていくのが特徴だ。だがこの「いごん」は整然とまっすぐ字が並んでいる。

 そもそも社長を知る者で、社長が遺言を残すタイプだと言い切る者は皆無だろう。自分が死ぬことなど露ほども考えないのが、ドン・ファンの性格なのだ。しかもこの遺言書は、いちばん大事だったイブについてまったく言及していない。

 さらに、「いごん」というのは法律用語であり、一般人には馴染みがない。このように、納得できない部分が多すぎるのだ。

(吉田 隆)

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2023年

5月

07日

【東京ガスCM】最後の大会、後で応援行くからね。青空と向日葵の会

【東京ガスCM】最後の大会、後で応援行くからね
https://yuru2club.com/wp/?p=3760
母「後で応援行くからね」
娘「来なくていいから」
負けられなかった、…絶対に。
負けたくなかった、…絶対に。
負けて悔しいのに涙が出ない。
母「お帰り、ね、先にあっちで出しちゃえば?汗とか全部」
なぜ母は、私のことをこんなに分かってるんだろう。
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2023年

5月

03日

ごみ収集業者なのに「女性の求人応募者が絶えない」納得の理由

従業員の4割以上が子育て世代の女性

会社の敷地内に保育園を完備

“何かあった”時は同僚がサポートしてくれる体制

月に30人以上の応募者が

キャリアと子育ての両立が可能

3Kのイメージを払拭したい

日刊SPA!


■株式会社タイヨーについて( http://www.taiyo-net.co.jp)1951年に設立、約70年にわたり広島市を中心に一般廃棄物、産業廃棄物の収集・運搬及び処理を事業とし、近年は循環型社会構築のため、各種リサイクル事業を展開。

「タイヨー」の名は、文字どおり「太陽」のように明るく暖かく、人々に愛され、必要とされる会社になりたいという気持ちをこめて社名とした。広島市とその近辺では、 澄んだ青空のような青緑の地に虹とお日さまの「ニコニコマーク」がついたパッカー車を目にする機会も多い。

ゴミ収集業界の新テーマソング『はじまりのうた』4月24日にネット配信イベントを開催!

「キツい・汚い・危険」から「キレイはキモチよくてカッコイイ!」へ。
“新しい3K”のゴミ収集業を目指す株式会社タイヨー(広島県広島市 代表取締役:元山 琢然)では、創業70周年を迎えた記念にテーマソング『はじまりのうた』を4月24日にリリース。
同日、ネットで生配信するお披露目イベントをYoutube『タイヨーちゃんねる』にて開催することとしました。
楽曲『はじまりのうた』はシンガーソングライターHIPPYさんに楽曲を提供していただき、ゴミ収集員として啓蒙活動を広げるマシンガンズ滝沢秀一さんも監修として参加。

2月26日付リリース(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000008.000055104.html)で既報の通り、株式会社タイヨーからは「新しい3Kプロジェクトチーム」も加わり、共に作詞をするなどして制作を進めてきました。

楽曲と同時に取り組んでいたオリジナルPV撮影も4月24日付でリリースいたします。

『はじまりのうた』
作詞:HIPPY with 新しい3Kプロジェクトチーム
作曲:HIPPY
編曲:はら かなこ
企画監修:滝沢 秀一(マシンガンズ)

こちらの楽曲PVは、弊社従業員が出演し、撮影をいたしました。

日頃の業務を別の角度から見ることにより、男性従業員の斎藤は「あらためて重要な仕事だと思いました」と語り、一方、女性従業員の内藤も「普段は誰かに説明しづらい大変なゴミ収集の様子や、そこで頑張る方がいることを皆さまに知っていただけたら嬉しいです」と充実した心持ちでいます。
また、4月24日の楽曲リリースと同時に、ネット上で生配信イベントも行います。

弊社『タイヨーちゃんねる(Youtube)』にて11時から約30分の放送を予定しており、楽曲を制作していただいたHIPPYさんはじめ、滝沢秀一さんや編曲担当はらかなこさんなど中心メンバーが出演。
制作にあたっての苦労話や熱い思いな​ども語っていただきます。
当日はどなたでも、以下のURLからイベントをご覧いただけますので、皆さまどうぞご参加ください。

日時:2022年4月24日(日)11時~(約30分の予定)
配信:Youtube 『タイヨーちゃんねる』にて
出演:HIPPYさん・滝沢秀一さん・はらかなこさん ※住本 明日香さん
URL:https://youtu.be/2539pW0Ix6Y
※イベント終了後に30分程度の取材対応時間を設ける予定です

また、楽曲『はじまりのうた』についてはイベント当日から無料ダウンロードができるようにします。

株式会社タイヨーの公式ホームページ(https://www.taiyo-net.co.jp/)にてご用意させていただきますので、ダウンロード後は皆さまご自由にご利用ください。

HIPPYさんにご協力いただき、新しい3Kの賛同者様には曲の使用許諾をフリーとさせていただきました。
社会を支えるエッセンシャルワーカーの皆さまの応援に役立てたく、使用後は「こんなところでこんな形で利用しました!」というご一報をプロジェクトチーム(株式会社タイヨー内 info@taiyo-net.co.jp)までいただけると幸いです。

なお、タイヨープロジェクトチームでは、今回の楽曲リリースに合わせて、独自のミュージックビデオ『はじまりのうた ~Taiyo version~』を制作しています。

ゴミ収集業にある様々なエピソードや従業員の思いを映像化したバージョンで、『はじまりのうた』に合わせて各シーンを挿入。日頃から現場で働くタイヨースタッフのリアルな視点を作品化しています。
本作にはHIPPYさんや滝沢さんがご出演されていますが公式PVではなく、それ以外の全ての登場人物はタイヨー関係者が熱演したものです。

『はじまりのうた』が、文字通り“始まり”となり。
ゴミ収集員だけでなく数多のエッセンシャルワーカーの皆さんが、より誇りを持って生きられる世界になってほしい。
そんな願いから今後も「新しい3Kプロジェクト」を進めて参ります。

メディア各社の皆様には、是非この機会に今回の取り組みについて御取材いただきますよう、宜しくお願い致します。

【会社概要】
会社名/株式会社タイヨー
設立/昭和21年(1946)
代表取締役/元山 琢然
資本金/4300万円
従業員数/85人
本社所在地/〒736-0082
広島市安芸区船越南5丁目11-1
事業内容/一般廃棄物の収集運搬
産業廃棄物の収集・運搬・処分
各種リサイクル処理

■この件についてのお問い合わせ先
株式会社タイヨー「新しい3Kプロジェクトメンバー」
電話082-824-0110(月曜~土曜日 午前8時~午後7時)
e-mail:info@taiyo-net.co.jp
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2023年

5月

03日

現役鳶工事会社社長(中卒)が語るあなたの知らない中卒鳶職人の世界

「中卒だけど鳶職として働いていく事はできるの?」

中卒で仕事を探しているあなたはこんな不安を抱えているかもしれません。

結論、中卒で鳶職になる事は出来ます。

この記事を書いている私自身も中卒で鳶職人になり、その後独立をして年収1000万円を超えました。

簡単なことばかりではありませんでしたが今では経営者として多くの従業員を抱え、誇りを持って鳶職の務め果たしています。

そこで今回は「中卒で鳶の世界に入り込んだ私が独立して年収1000万円を超えるまでの話」をします。

私の経歴をみて「鳶の世界は可能性にみちている」ということを少しでも感じてもらえると嬉しいです。

1. 中卒で鳶工事会社社長になった男の話

まずはじめに、中卒で鳶職人になってとても幸せな人生を送っている人物の中から、僕がもっともよく知る人物、そう僕自身のお話を簡単にさせてください。

1.1 学生時代(〜17歳)

子どもの頃の僕は泣き虫で、高いところがとても苦手な子どもでした(だったようです)

  • 押入れの上の段に乗せられただけで大泣きする。
  • お父さんの肩車で泣く。
  • 小学生の頃家族でキャンプに行って、少し高いところから川に飛び込むみたいなのも、1歳年下の弟(現在うちの会社のNO2です)は普通にできるのに、僕はビビって全くできない。
  • ジェットコースターに乗れるようになったのは中学生になってから。

などなど、この手の話はいくらでもあります。

ちなみに僕は、おじいちゃんも、お父さんも、お父さんのお兄さん達4人(僕からすると叔父さん達)も全員鳶職人という『鳶一族みたいな家系』に産まれました。

小学校時代はいわゆる野球少年で、当時のジャイアンツの4番バッター原辰徳選手が僕にとってのヒーローでした。そんな僕でしたので、小学校の卒業文集の『将来の夢』という作文には『プロ野球選手になってジャイアンツの4番打者になる』と書いていました。

が、中学に入学すると一転、友達に誘われるがままなぜかバスケ部に入学します。中学生活はとても楽しい3年間でした。部活も楽しいし、勉強もそれなりにできたし、女の子にもモテました(笑)

中学に入ってからは割と早い段階で『将来は鳶職人になる』と決めていました。父親やおじさん達を見て純粋にカッコいいなぁと憧れを持っていたのだと思います。中学校の卒業文集には『将来の夢は日本一の鳶職人になること』と、おそらく日本中でただ一人と思えるような夢を書いています。

職人になるなら学歴なんて意味が無い。1日でも早く働いて技術を身につけようと中3の夏休みくらいまで思っていました。

が、2学期に入った頃に『やっぱり高校だけ行こうかな』と考え直すようになります。いくつか理由はあったのですが、一番大きな理由は『夏休みが無くなるのは辛すぎる』という何ともヘタレな理由でした。

そもそも進学なんて全く考えていなかったので、塾にも夏期講習にも行ったことがありません。というか、何なら家で宿題すらしたことないくらいです。ただ、幸いなことに?持って生まれた地頭の良さから(自分で言うな)勉強はそれなりにできたので、都立高校の普通科を一校のみ受験し、余裕で合格し高校へ進学しました。

高校生活は中学時代に比べるとあまり楽しいものではありませんでした。部活には入らず、地元のステーキハウスでアルバイトをし、稼いだお金で原付を買ったり、洋服を買ったりというのが楽しかった記憶はあります。2年生になる頃には『こんな毎日に意味ないなぁ』と強く思うようになり、1学期が終わるところで高校を少し早めに卒業し鳶職人になる決意をします。

1.2 職人時代(17歳〜26歳)

全く同じタイミングで1歳年下の弟も高校を辞めます。理由は単純で『兄貴よりすごい鳶職人になるためには先を越される訳にはいかない』と言うただそれだけの理由です。弟は僕など比べ物にならないくらいの負けず嫌いで、僕以上に鳶一族のDNAをたっぷりと受け継いでいる才能の持ち主です。

全く同時期に鳶職人になった僕たちは、当時父親が経営する(と言っても個人事業に毛が生えた程度の)会社に就職し、中卒という肩書など物ともせず1日も早く一人前の鳶職人になるべく互いに切磋琢磨しました。

お互い20歳になる頃には職長として現場を任されるようになります。今の時代ではちょっと考えられませんね。バブル景気に沸くこの当時だったからこそ僕らみたいな若造が職長になることも許される空気があったのだと思います。

この頃はとにかく忙しかった。『今月は3日も休めたね!』と喜んだり、日勤と夜勤の掛け持ちで月に35日分の給料をもらったなんてこともありました。ブラックを通り越して漆黒です(笑)

そんな環境でしたので鳶職人としての技術を身につけるのも、職長としての経験を積むのもめちゃくちゃハイペースでした。当時は辛く感じることもありましたが、今思えばとても恵まれた環境だったと思います。ものごとなんでもそうですが、狂ったようにやる時期がないと一流にはなれませんから、、、

バブル期の日本は今思えば異常な事の連続でした。父親の車が仕事用のハイエースから、セドリックに変わり、シーマに代わり、BMW7シリーズに変わり、そのBMWも当時一番グレードの高いものに変わる。

家だって借家住まいが建売りに変わり、なぜか伊豆高原に敷地200坪の6LDKサウナ付き豪邸を建てるみたいな、よく分からない変化をします。

そんなことが数年のうちに起きるのです。

鳶の親方が札束握りしめてヤナセ(当時メルセデスを扱っていたカーディーラー)に行って、『これをくれ!』と現金でベンツSクラスを買って行ったなんて話も聞いたことがあります。

そんなある日、僕にとっては青天の霹靂とも言える大きな事件が起きます

1.3 経営者時代(26歳〜現在)

あれは僕が鳶職人になって9年目の26歳になって半年くらい経った頃、経営者である父親が音信不通になります。簡単に説明するとバブルがはじけ放漫経営で散財を続けていた父親が借金で首が回らなくなり姿をくらましたということがある日突然起きたのです。

会社のお金も家や車も当然差し押さえられましたが、幸いなことにその頃には仕事に関わることはほとんど僕が行っていたので、弟と共に当時数名いた社員(5.60代のおじさんばかり)を引き連れ、別会社を起こして細々と事業を始めるところから僕の経営者人生は始まります。

独立当初は仕事を確保するのに必死で、小さな工事でも改修の足場でもなんでもやりました。一つ一つの仕事をプライドを持って誠実に行うことで信用が増え、少しずつ大きな現場を任せてもらえるようになります。27年経った今では東京駅の目の前で高さ250mを超える超高層ビルの工事に携われるようにまでなっています。

僕自身は30歳を過ぎたあたりから、意識的に現場から離れて経営者としての仕事に専念するようにしました。鳶の事業を成長させるのはもちろん、鳶工事とは別の事業も手掛けるようにしました。頂点から谷底に転落する父親の姿を間近で見ていたので、絶対に倒産しない会社を作ろうという意識が強かったのだと思います。事業の中には今も続けているうまくいったものもあれば、そうでないものもたくさんあります。

『よく次から次へと新しいことにチャレンジできるね。怖くないの?』みたいなことを聞かれることがあります。

実はあまり怖くないんです。

持って生まれた性格や育ってきた環境も影響しているのでしょうが、一番の理由は『最悪全部失敗しても、鳶職人に戻れば家族を養うくらいのことはできる』という自信があるからなんだと思います。

鳶職人として一流になれば、日本全国(あるいは世界でも)どこでだって仕事に就くことができます。これこそが手に職を付ける職人という生き方最大のメリットです。

現在、経営者人生も27年になりました。会社を支えてくれる素晴らしい社員達、僕を支えてくれる家族に恵まれとても充実した毎日を送っています。

鳶職人という生き方が万人に合うとは思いませんが、(僕と同じように)鳶職人だからこそ輝けるという人は少なからずいると思います。

様々な事情から中卒で社会に出る人たちが、やりがいを持って働ける職業に就けることを願っています。

2. 中卒でも鳶職人になれる4つの理由

この章では具体的な事実を元に、中卒でも鳶職人になれる4つの理由をお伝えします。
あなたの考えが『中卒でも鳶職人になれるのか?』から『中卒こそ鳶職人になったほうがいい!』へ、きっと変わります。

2.1 中卒で鳶職人になっている人はたくさんいる

現場の主役とも言える鳶職人の中には中卒で活躍している人が沢山います。

残念ながら日本全体での統計データなどは見つけられませんでしたが、うちの会社に現在所属する日本人社員の最終学歴を見ると

中卒     25.0%
高校中退   37.5%
高卒     31.3%
専門卒以上  6.3%

となっており、半数以上が高校中退も含めた中卒です。
おそらく日本全体のデータと比較してもそんなに大きくズレることは無いはずです。

(高校中退も含めた)中卒者が多い理由ですが、僕が考える理由としては

  • そもそも中卒で働ける仕事が少ない
  • 学歴不問のイメージが強い
  • 中卒で鳶職をしている先輩などが活躍している様子を聞いたことがある

などが挙げられます。

また、『中卒や高校中退だから鳶職人になった』ではなく、『鳶職人になるなら学歴なんて関係ないから高校に行かなかった、途中で辞めた』という、積極的中卒者も少なからず存在します。

先述の通り、僕自身も鳶になることは中学時代から決めていて、中学卒業したらすぐに働こうと思っていましたが、直前になって『長期の夏休みが無くなるのは辛すぎる!』と言う、なんともヘタレな理由から高校進学をしたものの、『鳶職人になるなら高校に通っても意味無いな、1日でも早く仕事を始めるべきだな』と思い直し、高校2年の1学期を終えて鳶職人になることを決意し高校を中退したという経緯があります。

そしてこの決断は、人生における最も重要な(正しい)決断の1つだったと今でも思っています。

2.2 中卒は先輩から歓迎されやすい

『中卒の自分が会社に受け入れてもらえるのか?』
『先輩たちの迷惑にしかならないのではないか?』

そんな不安を抱える人も多いと思います。

うちの会社では今まで多くの中卒者を受け入れてきましたが、中卒者は会社からも先輩たちからもとても歓迎されやすいです。

  • 鳶職人にはリーダーシップのあるアニキ肌の人が多いので、単純に頼りなさげな中卒新人を一人前に育ててあげたくなる
  • 中卒は親や学校の先生以外には社会との接点がないので、先輩の言うことをそのまま受け入れる素直な子が多い
  • 先輩たちの中にも中卒者が多いので不安な気持ちが分かる

などが理由としては考えられます。

年齢的にも社会経験的にも乏しい中卒者が一生懸命働く姿は、それだけでみんなから応援をしてもらえる立派な理由になり得るのでしょう。

不安な気持ちを乗り越えて一歩踏み出せば、思っていたよりずっと歓迎されているんだということがきっと実感できるはずです。

2.3 学歴が全く関係ない

皆さんがイメージされる通り、鳶職人の世界では学歴は評価されません。

というと『バカでもできるのが職人』と勘違いされる方もいるようですが、最終的に優秀な職人や職長(現場毎に会社の代表として仕事を任される管理職)になれる人は地頭の良い人ばかりです。

僕が思う地頭の良さとは、学校のお勉強のように『答えが必ずある問題を解く能力』とは少し違っていて、『用意された答えが無い問題点に対して最善の解決策を導き出せる能力』のことだと考えています。

そして、この地頭の良い人というのは高学歴の人の中にも、低学歴の人の中にも同じような割合で一定数いると思っています。

せっかく持った地頭の良さを『学歴というフィルター』を通してでしか評価してもらえない職種や会社が多い中、鳶職人なら純粋に地頭の良さで勝負することが可能なので、有名大学を卒業していようが、中卒であろうが関係なく評価してもらえる点で中卒者にこそ有利な(不利な点が少ない)就職先であると言えます。

2.4 中卒で働いた場合の初任給が高い

中学を卒業してすぐに働き出した場合の初任給の平均月額は15万円程度だと言われています。

今まで学生だった人からすると15万円は高額に感じるかもしれませんが、高卒の平均約18万円、大卒の平均約22万円と比較するとけして高い給料とは言えません。

その点鳶職人(他、建設業の職人全般)であれば中卒者でも月給20万円を超える求人を見かけます。

鳶職人の学歴不問は初任給にも反映されています。

その後の昇給なども学歴に関係なく実力本位ですので、中卒者にとって鳶職人は魅力的な就職先の1つだと言えそうです。


3. 高卒(大卒)よりも中卒の方が有利な点

学歴が不利にならないどころか、少しでも早いうちに始めた方がメリットが大きいのも鳶職人の世界です。職人になるなら中卒の方が有利と思える理由をお伝えします。

3.1 早く始めた方が覚えが良い

これはスポーツなどをイメージしてもらうと分かりやすいのですが、単純に若いうちから始めた方が上達するスピードや上級者になれる可能性が高いですよね?

プロ野球選手やプロサッカー選手、オリンピックに出場するアスリートのほとんどは幼少期からそのスポーツを行っています。

これらの事実は優れたアスリートになるためには、少しでも若いうちから始める事が大事だということを端的に物語っています。

プロアスリートと比較するのは少しおこがましいかも知れませんが、我々鳶職人も似ている点はあって、15歳から始めるのと23歳から始めるのでは基本的動作を習得するまでのスピードや上達具合に少なからず差が出ます。

鳶職人という道を選ぶのであれば『1日でも早く始めること』それ自体が大きなアドバンテージになります。

3.2 若いうちに経験年数を稼げる

中卒で鳶職人を始めると、(当たり前ですが)若いうちに経験年数を稼ぐことができます。

それの何が良いのか?

鳶職人として仕事の幅を広げるためには様々な資格を取得する必要がありますが、資格の中には『◯年以上の実務経験』という要件が設けられているものがあります。

鳶に必要な足場の組み立て解体や鉄骨建て方などの作業主任者という資格を受講するためには3年以上の実務経験が、また国家資格である1級鳶技能士を受講するためには7年以上の実務経験が必要です(鳶技能士は3級から順番に合格することで短縮することも可能)

単純にとび1級を受講しようとすると、中卒なら22歳で可能ですが、大卒だと30歳近くの年齢になります。

もう1つ、僕が考える大きな点としては将来独立をすることになった場合です。

自ら事業主となって鳶工事業を行う場合は『建設業許可』を取得する必要があります。

この建設業許可を取得する条件の1つに『主任技術者』の配置があり、主任技術者の要件を満たすためには10年以上の実務経験が必要になります(他に建築士や施工管理技士の資格を取るなどの方法もあります)

独立時に自分が主任技術者の要件を満たしていなければ、別に条件を満たすものを雇用する必要が出てきます。

中卒なら最短25歳で主任技術者の要件を満たし、スムーズに建設業許可を取得し独立をすることが可能です。

以上のような理由から、若いうちに経験年数を稼げるという意味でも中卒は有利に働きます。

3.3 中卒は3,000万円得をする⁈

ここでは中卒で鳶職人になる場合と、高卒、大卒で鳶職人になる場合を経済的な収支という視点で比較してみます。

前提条件として、各年齢時における給料は弊社の賃金表をベースに概算値を入力しています。
高校の学費は文科省調査データ(公立高校46万円、私立高校97万円)を参考に70万円としました。
大学学費等も同じく文科省調査データを参考に120万円としました(大学は私立と公立また学部などによって差が大きいです)

それでは下の表をご覧ください。

年齢

中卒

高卒

大卒

16歳

給料

2,400,000

高校学費

-700,000

高校学費

-700,000

17歳

給料

2,700,000

高校学費

-700,000

高校学費

-700,000

18歳

給料

3,000,000

高校学費

-700,000

高校学費

-700,000

19歳

給料

3,300,000

給料

2,700,000

大学学費

-1,200,000

20歳

給料

3,600,000

給料

3,000,000

大学学費

-1,200,000

21歳

給料

3,900,000

給料

3,300,000

大学学費

-1,200,000

22歳

給料

4,100,000

給料

3,600,000

大学学費

-1,200,000

23歳

給料

4,300,000

給料

3,900,000

給料

3,000,000

収支合計

27,300,000

14,400,000

-3,900,000

差額

0

-12,900,000

-31,200,000

中卒は16歳から23歳までの8年間働いたことで得られるであろう収入を記載していて、合計で2,730万円になります。

高卒は16歳から18歳の3年間は学費を支払い、19歳から23歳までの5年間は収入を記載しています。8年間の収支で1,440万円のプラスになります。

大卒は16歳から22歳までの7年間学費を支払い、23歳1年間で得られる収入を記載しています。8年間の収支は学費の割合が大きいため390万円のマイナスになります。

この表で注目したい点が2つあります。

1点目は23歳時点での年収の差です。
中卒と高卒で40万円、中卒と大卒だと130万円も年収に差がつきます。一般的には職人以外の職業では中々このような差にはならないでしょう。

2点目は表の一番下の8年間の収支部分です。
16歳から23歳までの8年間の経済的収支の差が中卒と高卒で1,290万円、中卒と大卒だと3,120万円にもなります。

郊外なら家やマンションが買えてしまうレベルの非常に大きな差です。

また、大学進学者の奨学金平均借入額が324.3万円というデータもあります。

大学を卒業した時点で300万円以上の借金を抱え、就職後に給料から返済していく負担の大きさがたびたびメディアなどでも取り上げられています。

もちろん目的を持って大学へ進学し、学びを生かして希望の職業に就くという選択肢は素晴らしいことだと思います。

一方、『みんな進学してるから』という理由で進学を選択する人も多いようですが、経済的な収支の差は思った以上に大きなものになるという点も十分考慮に入れる必要がありそうです。

4. 中卒で鳶職人になるために注意する点

ここまで中卒でも鳶職人になれる理由や、中卒こそ得られるメリットなどをお伝えしてきましたが、中卒ならではの注意すべき点もあるのでここでお伝えします。

4.1 18歳未満だと制限されることがある

労働基準法では18歳未満の者を『年少者』と定め、様々な保護規定を設けています。

  • 原則として時間外労働や休日労働の禁止
  • 深夜労働(午後10時から翌日午前5時)の禁止
  • 危険有害業務の禁止

危険有害業務の中には『有害物・危険物の取り扱い』などと並んで『高さが5m以上で墜落の恐れのある場所における業務』の規定があり厳しく制限されています。

鳶職人は足場の組み立てや鉄骨建て方など、多くの作業を5m以上の高所で行ないます。

ですが、中卒で鳶職人になった場合は最長で3年間(4月生まれであれば2年1ヶ月間)高さ5m未満の場所で行える鳶職の補助的作業のみを行うことになります。

僕自身は中卒で鳶職人になる場合の最大のハードルがこれだと思っています。

鳶職人になって半年くらいして、少し仕事に慣れてくると高所で仕事をしている先輩たちがとてもカッコ良く見えてきます。

完全な先輩であればまだしも、後から入社してきた高卒の後輩(年上だけど)まで高所で仕事をしだします。

『俺も一緒に高所で仕事をしたい』と思って当然の状態ですが、残念ながらできません(法律での制限ですから絶対に無理です)

ただこれには良い点もあって、2〜3年の間じっくりと補助作業をすることで気づけることや学べることが実はたくさんあります。

18歳になっていざ高所作業ができるようになった時に、その経験をしていない人たちとは明らかに違うブーストがかかると思います。

3年間補助作業が中心にならざるを得ないことは少し残念なことですが、良い面を見てポジティブに捉えることが大事です。

4.2 長期間の休みがなくなる

これは日本の会社であればほとんど全ての業種・会社で言えることですが、社会人になると学生の時のような長期休暇(夏休みのような)は取得できなくなります。

前述した通り、僕が一応高校だけは行っておこうと思った理由もこれでした、長期の夏休み無くなります、、、

そこで多くの大学生などは、就職前の学生最後の数ヶ月間を人生最後の長期休みと捉えて旅行に行きまくるなどして遊び倒します(笑)

しかし高卒や中卒などでは卒業から就職までの期間が短く、またアルバイトでお金を貯めるなどもし辛いためそのようなことはほとんどできません。

『社会に出るってそういうものです』と言ってしまえばそれまでですが、その切なさは僕自身が身をもって理解しています。


5. 中卒は特に会社選びが重要

これは中卒に限った話では無いかもしれませんが、就職をする上で『良い会社』を選ぶことはとても大切です。

一般的にはその会社の業務内容、仕事内容のほかに、給料、休日休暇、福利厚生、教育制度などを判断材料に会社を選ぶ人が多いようです。

中卒で鳶職人になろうと思った場合もそれらを基準に選ぶことになりますが、特に気をつけたい点がいくつかあるのでここであげたいと思います。

5.1 教育体制

残念ながら、いまだに職人の世界では『先輩の技を盗んで覚えろ』的な考え方が主流を占めていて、入社初日からいきなり現場に出て仕事をするのも割と普通のことです。

いくら座学で泳ぎ方の知識を得ても実際に泳げるようにはならないのと同じで、鳶職人の世界も現場で仕事をしながらでしか学べないことがほとんどではありますが、それでも例えば道具や材料の名前、基本的な作業に対する知識などを予備知識として学んだ上で現場に出るのと、そうで無いのとでは仕事の上達に差がつくのも事実です。

少なくとも未経験の就職者に対しては何らかの教育プログラムを持っているという会社に入社することが大事です。

5.2 サポート体制

少数ではありますが、鳶工事会社の中には未経験者に対して一定期間『専属の教育指導係』をつけて現場はもちろん、現場を離れた場所でも相談にのるなどのサポートを行っている会社があります。

特に中卒者の場合はアルバイト経験すら無いのが普通ですので、卒業後いきなり社会に出ることになり、毎日が初めての経験ばかりで不安の連続です。

中卒者に対しては仕事を教えるということ以上に、社会人としての基本を教えるなど、しっかりとしたサポート体制がある(制度までなくてもそのような考え方をしっかりと持った)会社を選ぶことも大事です。

5.3 休日・休暇

他の業界のほとんどが週休2日制のなか、建設業界はいまだに週休1日(日曜日のみが休み)で休日の面では大きく遅れをとっているという現状があります。

現場自体が日曜日のみ休みなので、そこで働く職人さんたちもそれに合わせて日曜のみ休みという体制を取らざるを得ない状態です。

ただしこの状態も少しずつ改善されてきており、数年以内には多くの現場が週休2日制に移行すると言われており、今は過渡期にある状態です。

鳶工事会社の中でも比較的大きな会社であれば、新入社員のみ週休2日制にするなどフレキシブルな働き方が可能な会社もあります。

また有給休暇についても確認しておきたいところです。

多くの鳶工事会社は有給休暇制度に消極的(ほとんど取らせていない)ですが、しっかり制度を整え100%消化を目標にしている会社もごく少数あります。

有給休暇は労働者の権利ですので、制度や実際の取得状況についてしっかりと確認しておきたいところです。

6. 中卒が活躍できる会社『日比建設』

僕が経営する日比建設では、今この瞬間も中卒の鳶職人が200mを超える超高層ビル現場などで仕事をしています。

彼らの活躍が会社の成長の原動力なので、社員にとって少しでも働きやすい会社にするべく様々な制度を取り入れています。

前章の『中卒は特に会社選びが重要』であげた3項目『教育体制』『サポート体制』『休日・休暇』についても入社後の育成プログラム『鳶大学』や一人ひとりに『専属教育係』をつける事、週休2日や有給休暇100%消化などを制度として行っています。

また、僕自身が中卒を断念した理由である長期夏休みについても『21日間夏休み制度』をというものを設けています。

文字通り、20歳の誕生日を迎えるその年まで(中卒であれば5年間、高卒であれば2年間)8月に連続3週間の夏休みを付与しています。

こういう制度がある会社であれば(たぶん日本でうちの会社だけだと思いますが)高校に進学した友達と一緒に夏休みを大いに楽しむことも可能です(それでも半分ですけどね)

大いに働き、大いに遊ぶことは僕自身も大切にしている事ですし、社員にも推奨しています。

ここで、実際にうちの会社で今も活躍してくれている中卒社員を紹介します。

現在39歳のO君は中卒で16歳の時にうちの会社に入社しました。

もともと持った地頭の良さを発揮して鳶職人としてメキメキと成長した彼は、20代のうちに職長を任せられるようになります。

職長業務(現場管理)と鳶職人としての能力というのはそれぞれ全く違う能力なのですが、彼は両方を高いレベルで備える日比建設随一のマルチプレイヤーです。

プライベートでは若くして結婚をし、20代でマイホームを購入し、3人の子どもの良き父親でもあります。

鳶職以外の仕事もやってみたいと2度会社を辞めた事がありますが、『やっぱり鳶職が好きだ』と2度とも復帰をしてくれていて現在に至ります。

日比建設の屋台骨を支える貴重な人材の一人です。

Y君も中卒でうちの会社に入社してきた1人です。

彼は中学校に入学して割と早い段階で友達関係が上手くいかずイジメを受け不登校になってしまいます。そのままほぼ3年間学校に行けない状態が続いたので、進学は諦め、たまたま『近所の会社だから』という理由でうちの会社の面接を受けます。

面接当日のことは今でも覚えています。先生に付き添われてきた彼は色白でひょろひょろ、とても口数の少ない印象でした。正直、鳶職人になるのは難しいかなぁと思いましたが、受け入れることにしました。

入社してからの彼は真面目にコツコツ仕事を続けます。優秀な先輩達に囲まれて仕事をしていく中、もともと頭の良い彼は仕事の覚えもとても早くできる仕事をどんどん増やし、重要な仕事も任されるようになります。体力も筋力もつけ、18歳になる頃には見た目も中身も立派な鳶職人に成長しました。

18歳の頃の僕とは比べ物にならないレベルです。

昨年、23歳になった彼は知り合いと共に独立をし、より厳しい環境で成長をするべく日々頑張っています。

23歳といえば大卒であれば社会人1年目ですが、彼は7年間職人としての技術を磨いた上でその若さで新しいステージに挑戦しています。

7. まとめ

文部科学省の『学校基本調査』によれば、令和3年度(2021年)の高校への進学率は98.9%となっています。

ごく少数である残り1.1%の生徒は様々な事情や理由により高校進学をせず就職など別の進路を選んだことになります。

また、同調査によると令和2年度に高校を中途退学した生徒の割合が1.1%との報告もあります。

1年で1.1%ということは3年間で3.3%ほどの生徒が中途退学していると予想されます。

高校へ進学しなかった1.1%と中途退学した3.3%を合わせた4.4%の人が学歴上は『中卒』として社会に出ている計算になります(のちに高卒認定試験を受けるなどして高卒資格を得る人もいると思いますが)

中卒者は現在の日本社会では超少数派です。

その超少数派が多数を占めるのが鳶職人の世界です。

鳶職人たちがいなければ、スカイツリーも六本木ヒルズも建ちません。

地上634mにあるスカイツリーの一番上の鉄骨を取り付けたのも鳶職人です(そして50%以上の確率で中卒です笑)

うちの会社の半数以上は中卒者だということは冒頭お伝えしましたが、彼らの大半は家族を持ち、子どもを育て、20代で家を持ち、仕事にプライベートに充実した毎日を送っています。

現場での彼らは昔職人だった僕から見てもめちゃくちゃカッコよく、スーパーマンのようです。

様々な理由から進学とは違う道を選択した中卒が輝ける世界、それが鳶職人の世界です。

日比靖仁

日比建設代表。
祖父、父親はもちろん叔父達まで、男は皆んな鳶職という鳶一族の家系に生まれる。
現在は鳶職以外に複数の事業を行う経営者。

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2023年

4月

30日

「サリンばら撒く」ツイッターに 船橋市議会立候補の25歳の女? 逮捕

ツイッターに「船橋駅構内にサリンをばらまきます」と書き込み、警察の業務を妨害した疑いで、市議会に立候補していた25歳の女が逮捕された。 自称・無職の山本深雪容疑者(25)は、4月30日午前11時半ごろ、ツイッターに「本日の13時ちょうどに船橋駅構内にサリンをばらまきます。わたしは令和の麻原彰晃です。これはハッタリでも何でもありません」と書き込み、警察の業務を妨害した疑いが持たれている。 警察は、船橋駅構内や周辺の警戒にあたった。 ツイッターを見た人から通報を受け、警察が山本容疑者の自宅に行き任意同行したという。 山本容疑者は4月の船橋市議会議員選挙に無所属で立候補し、落選していた。 山本容疑者は容疑を認めていて、警察は動機などを調べている。


❄山本深雪❄@船橋市受動喫煙対策活動家
@tukisirosabuaka
そうだ良い事考えた。どんどん万引きしよ。これなら怖くは無いから私にも出来そうだし、窃盗罪が成立するから簡単に逮捕して貰えるはず。よしっ!早速今から実行ー。早く逮捕されたい。
99
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❄山本深雪❄@船橋市受動喫煙対策活動家
@tukisirosabuaka
あと収支報告書ビリビリに破いて捨ててやったwww 選挙管理委員会ざまぁwwwwww
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❄山本深雪❄@船橋市受動喫煙対策活動家
@tukisirosabuaka
あと年間の贈与、110万超えるから贈与税発生するけど、確定申告もしない。法人税法違反での逮捕も希望します。
56
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船橋市議選で落選した山本深雪氏、意味深ツイート「これ全部一気飲みをして寝る事にします… 私はこの世を去ります。今まで楽しかった。またどこかで会いましょう」

逮捕されるのは難しいので、これ全部一気飲みをして寝る事にします。

今まで私とリアルでお話して下さった皆さん、ネットで絡んで下さった皆さん、それからアンチ連中も、本当にありがとうございました。

私はこの世を去ります。

今まで楽しかった。またどこかで会いましょう。

❄山本深雪❄

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2023年

4月

30日

手取り月25万円から“推し活”で投げ銭8万円…自宅を放火した53歳の男が抱えた「むなしさと不安」

手取り月25万円から“推し活”で投げ銭8万円…自宅を放火した53歳の男が抱えた「むなしさと不安」

 

「こんな歳でSNSアプリに入れあげてしまい、恥ずかしい」

東京地裁で証言台に座る53歳の男は、事件の背景についてそう明かした。

男が問われているのは、自宅アパートに火を付けた罪だ。男はライブ配信アプリを使った女性歌手への“推し活”にはまり、手取り月25万円から「投げ銭」として8万円をつぎ込むようになっていた。

その「むなしさと不安」が事件の引き金になってしまった。彼に一体、何があったのか?法廷で明らかになった。

コロナきっかけで“推し活”「お金なくなる不安」

2021年12月、都内の木造2階建てアパートで午前3時過ぎに火事が起きた。消防隊によって火はすぐに消し止められ、火元の部屋から男が助け出された。

男は、ひとりで暮らしていた会社員で、一時意識がない状態だったが回復した。男以外のケガ人はいなかった。

2023年4月24日の初公判で、53歳の被告は少しくぐもった声で「間違ってないと思います」と起訴内容を認めた。検察側は冒頭陳述で、被告が自殺をしようと考え、自分の部屋に灯油をまき火をつけた、と指摘。

被告が頭を悩ませていたのは、ライブ配信アプリの支払いだった。

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【被告人質問】
ーーライブ配信アプリ、いつ始めた?
2020年の10月頃。

ーーなぜ始めた?
コロナが流行り、外出や外食をしてコロナになると会社で示しがつかないと閉じこもりがちになった。スマホを見ていたらアプリに出会ってしまった。

ーー事件の前、何が不安だった?
(アプリを)辞められない不安と、お金がなくなる不安があった。

ーー借金はないはずだが?
(借金が)ふくれあがってしまった時、その場にいたくなかった。

被告の経済状況は苦しくなっていくばかりだった。手取りは約25万円。家賃(駐車場代込み)8万4000円、携帯代(離婚した妻と息子の分も含む3人分)約3万7000円を毎月払っていた。
事件前の数か月は、ライブ配信アプリに月8万円程をつぎ込み、貯蓄も減っていった。

【被告人質問】
ーーライブ配信アプリはどんなもの?
配信している人にコインみたいなものを投げて、それにより順位がつき、配信者の給料みたいになるものです。

ーーいわゆる“推し”がいた?
はい、歌をうたっている人が好きで、推していました。

人気ライブ配信“投げ銭”めぐる相談増加「やめたいけど、やめられない」

ライブ配信者に対して金や購入したギフトを贈る「投げ銭」。
被告は20代の女性歌手を“推す”中で「投げ銭」を繰り返していった

【被告人質問】
ーーどんな魅力があった?
リスナーの間でも順位があり、いっぱい投げれば上位になったり、ハンドルネームを連呼してもらったりして、それが生きがいになっちゃった。

ーー月に8万円の「投げ銭」、高額では?
際限なしに投げられて、上限がないんです。

 

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コロナで在宅時間が増え、人気に火が付いたライブ配信アプリ。
国民生活センターによると、ライブ配信アプリの「投げ銭」をめぐる相談やトラブルはここ数年増加している。

「のめりこんでしまい、高額の課金を払えなくなった」「子どもが親のクレジットカードを勝手に使い、投げ銭をしていた」などの相談が寄せられているという。
“推し”を応援する気持ちを「投げ銭」という形で表せるのも人気の理由とみられているが、被告のように“沼”から抜け出せなくなる人も少なくないようだ。

裁判員裁判として審理される中、女性裁判員は、こんな質問をぶつけた。

【被告人質問】
ーー“推し”の活動を「生きがい」と話しましたが、“推し活”を続けることで自殺をやめることにつながらなかった?
いや、でも…タダではないので。やめたいけど、やめられなくて。

修繕費600万円「親にアダルトDVD見られたくない」放火の代償

ハンコ関連の会社に勤務し、同僚や上司から「とても真面目で、親切な人」と評価されていた被告。ただ、本人は「仕事の将来も不安だった」と証言した。

【被告人質問】
ーー収入で不安な点は?
若い頃は残業があり、月によっては給料も多く、無駄遣いをしても取り戻せた。だが、コロナで仕事自体少なくなった。

ーーハンコをなくそうという動きもあるが?
3月・4月は、子どもにハンコを送るイベントで毎年忙しい時期。だが、学校関係者の中で「送ってもしょうがないのでは」と考える動きもあり、(仕事が)なくなるのではないかと不安になった。

現場のアパートには被告以外に9人が暮らし、高齢の住人も多かった。ひとり暮らしの90歳の女性は身体が不自由で、火事に気づいたものの部屋に留まっていた。

【被告人質問】
ーー火をつけたら他の住人が危険だとは?
申し訳ないですが、自分が死ぬことに精一杯で、他のことは考えられなかった。

ーーほかにも自殺の方法はあるが、なぜ放火?
いかがわしい持ち物があり、死んで見られたくなくて、一緒に燃えてほしいと思いました。

ーー具体的には?
DVDみたいな。

ーーアダルトDVD?
そうです。

ーー誰の目を気にした?
・・・親ですよね。

当時、被告の高齢の母親は、車イス生活の父親と重度の知的障害がある兄を1人で介護していた。
被告の部屋で焼損したのは床の一部(0.0133㎡)だったが、壁やふすまが焦げ、窓ガラスが割れるなどして、修繕には600万円がかかった。
それでも、大家は被害届けを出さなかった。

検察側によると、修繕費の大部分を保険でカバーできたことや、被告の母親が荷物の撤去費用などを払ったことに加えて「介護で大変な母親に負担をかけるのは忍びない」との思いからだったという。

母親の願い「普通に生きて」執行猶予付き判決

「離婚して、守るべき家族もいなかった」
被告は当時をこう振り返った。

だが、裁判を通して家族想いの一面もうかがえた。証人として出廷した被告の母親は「住人と大家さんに大変申し訳ない」と謝罪したうえで息子への思いを語った。

【母親への証人尋問】
ーー事件前、被告人は実家に来ていた?
月に1度くらい来て、主人の通院に付き添って介護したり、車が好きな長男のためにドライブに連れて行ってくれたりしていました。

ーー今後、被告人に望むことは?
普通に働いて、普通に生きていってほしいと思います。

検察側が懲役5年を求刑する中、迎えた4月28日の判決。懲役3年、執行猶予5年が言い渡された。東京地裁は「大惨事になっていた可能性も否定できず、住人の生命、身体や所有者の財産を危険にさらす行為」と非難した。

一方で、犯行の経緯や動機について、こう言及した。

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裁判長「コロナ禍の孤独感やライブ配信アプリに没頭したことに感じたむなしさ、貯金の減少に対する漠然とした不安など、ある程度理解できる」

被告が反省していることや、母親や会社の同僚が定期的に連絡を取り、様子を見ていくと約束していることなどを理由に執行猶予付きの判決とした。

裁判長「執行猶予は、許されたということではありません。放火だけではなく、世の中にある、ありとあらゆる罪を犯してしまうと、執行猶予が取り消されることを覚悟してほしいと思います」

最後に裁判長が戒めると、被告は無言でうなずいた。

(TBSテレビ社会部 司法記者クラブ 高橋史子)

日本の部長は「タイより年収が低い」の衝撃的事実 「安いニッポン」は現実になっている 2023/04/29 17:00

「日本企業の部長クラスの年収は、タイよりも低い」
経済産業省が2022年5月に発表した「未来人材ビジョン」という報告書が衝撃的な事実を明らかにし、各メディアを賑わせました。日本は「アメリカや中国に負けている」などというレベルではなく、これまで後ろを走る国だと思っていた「東南アジアにも負けている」――元・LinkedIn日本代表の村上 臣氏はそう言います。同氏の新刊『稼ぎ方2.0』から一部抜粋、編集してお届けします。

安いニッポン

元・LinkedIn日本代表として、キャリアに関する発信を続けている私は、「今こそ、誰もが会社の外にもキャリアを持つ必要がある」と訴えています。

なぜ今、会社の外にもキャリアを持たなければならないのか。ひとつの根本的な理由は、「1社で働いているだけでは給料が増えないから」です。

日本の平均給与(実質)の推移を見ていくと、1992年に472.5万円のピークを迎え、以降は徐々に下がっています。2009年にはリーマンショックの影響で421.1万円まで下がり、そこから少し持ち直してはいますが、2018年時点で433.3万円。ピーク時から40万円近く下がっています。

「失われた30年」という言葉があるように、日本はバブル崩壊後、現在に至るまで長期的な経済低迷を続けています。日経平均株価は1989年に3万8915円の史上最高値をつけてから、一度も高値を更新していません。

もちろん国もこの状況を黙って見過ごしているわけではなく、「生産性を向上させよう」「イノベーションが経済成長のカギ」みたいなことを主張してはいます。

 

けれども、実際には景気回復に向けた展望は見えていません。このまま失われた40年、50年が続く可能性も現実味を帯びています。

皆さんも薄々感じているとは思いますが、このまま給料は増えないと考えるのが現実的ではないでしょうか。

日本の平均年収は「シンガポール」「タイ」より低い?

そもそも、どうして日本で働く人たちの給料がずっと上がらないのでしょうか。原因は諸説あり、簡単に説明することはできません。ただ、あえて主な原因を挙げるとすると、第一に日本の国際競争力の低下があります。

かつての日本企業はグローバルな競争で強さを発揮してきましたが、バブル崩壊以降は徐々に新興国に追いつかれる状況が目立つようになりました。GDPは2011年に中国に抜かれ、一人当たりGDPも韓国や台湾に追い抜かれようとしています。

今までは、グローバルで稼いだお金を給料として従業員に還元していたわけですが、国際競争力が低下した結果、それができなくなっているわけです。このまま国際競争力が低下すれば、給料が増えないどころか、減る危険性も考えられます。

そして、将来の日本を担う子どもたちを育成する「教育」の面でも、日本の国際競争力の低下は如実に表れています。イギリスの教育専門誌であるタイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)が世界の大学の中から104の国と地域の1799校を独自の基準でランク付けした「世界大学ランキング」というものがあります。

この2023年版において、日本からランクインしたのは117校。その中で日本のトップは東京大学の39位。2021年版の36位、22年版の35位から順位を下げています。日本で2番目の京都大学は68位であり、200位以内に入っているのは、東大と京大の2校にとどまっています。

ちなみに、ほかに500位台を上回った日本の大学は、東北大学(201〜250位)、大阪大学(251位〜300位)、名古屋大学・東京工業大学(いずれも301位〜350位)となっています。200位以内に中国から11校が、韓国から6校がランクインしているのと比較すると、ずいぶん寂しい結果です。

そんな日本の国際競争力低下を反映し、今や日本人の給料よりも、タイやシンガポールといった東南アジアの国々の給料が高くなっているという話もあります。経済産業省によると、日本の大企業の部長職の平均年収は約1714万円。一見すると高そうに思えますが、アメリカ(約3399万円)、シンガポール(約3136万円)、タイ(約2053万円)と比べると、かなり低い水準です。

OECDが発表している平均賃金を見ても、日本は34カ国中24位と低迷しています。韓国(19位)には2013年に抜かれていますし、ここ数年ではスロベニア、リトアニアといった中東欧の国々にも抜かれている状況です。

ちなみに、このランキングは円安が加速する前の2021年時点の為替レートで計算されており、現在の為替水準に置き換えると、日本の低落傾向は決定的になると見られています。

実際に、日本の給料が一向に上がらないため、日本に出稼ぎに来ていた外国人が母国に戻ってしまう動きが出てきています。例えば、日本では近年ベトナム人労働者の数が急増してきましたが、もはや日本で働く金銭的なメリットは薄れつつあります。

 

日本とベトナムで大きな収入の差はなくなっている

経済発展が著しいホーチミンやハノイといった大都市では、日本とベトナムで大きな収入の差はなくなっています。しかも、ベトナムではこれから年10%くらい給料が上がっていくと見込まれています。あと10年もすれば両国の給料には決定的な差がつく可能性が大です。だったら、母国に帰って普通に働こうと考えるベトナム人が増えるのは当然の成り行きです。

海外からの出稼ぎが減少するのと対照的に、「安いニッポン」に見切りをつけて、海外に出稼ぎに行く人たちも出始めています。日本では低賃金で働いていた寿司職人や美容師などが、アメリカやシンガポール、オーストラリアなどに渡り、収入が数倍になったという話を頻繁に聞くようになっています。

特にワーキングホリデーの制度を利用できるオーストラリア、カナダといった国では、アルバイトをしながら旅行を楽しみ、なおかつ給料の半分くらいを貯金するような日本の若者がいます。

もちろん海外では給料だけでなく物価も高いわけですが、上手にやりくりすれば1カ月20万円くらいは貯金ができます。日本で月収20万円で働いていた人にとっては、どちらが魅力的な労働環境であるかは一目瞭然です。

これまでの日本では、手に職をつけるタイプの仕事をする人たちは、若い頃に下積みをコツコツとこなし、いずれ独立して自分の会社や店を持つというモチベーションを持っていました。

しかし、これからは専門学校で基礎的なスキルを身に付けたあと、すぐに海外を目指すという動きが加速するかもしれません。少なくとも、今、一流の寿司職人はこぞってニューヨークを目指しています。気がつけば、一線級の職人たちはみんな海外で働いているといった状況が現実のものになるかもしれないのです。

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2023年

4月

30日

警視庁23歳の美人巡査がヤクザに惚れてすべてを失うまで 新宿署の「ともちん」と呼ばれて

父も警官の厳格な家庭

出会いは取調室の中だった。窓のない狭い部屋の中で向き合う二人。一目惚れしたのは女のほうだった。

「見習い」として取り調べに立ち会った女性巡査は、男の威圧するような鋭い目に動くことができなくなった。2017年、季節は夏。

二人の関係が発覚したのはそれから約半年後のこと。3月19日、交際していた住吉会系暴力団組員の男に捜査情報を漏らしたとして、新宿署の女性巡査T子(23歳)が書類送検された。

警視庁は停職6ヵ月の懲戒処分とし、T子は同日付で依願退職している。

そもそも二人はなぜ交際することになったのか。当時、T子は留置管理課に所属していたが、かねてより組織犯罪対策課への配属を希望しており、昨年7月から「見習い」として組織犯罪対策課の捜査の講習を受けていた。

「23歳で新宿署という大規模署の組対の見習いを認められたのは、将来を嘱望されていたからです。

T子の父親は警視庁生活安全部生活経済課の現職警部。キャリアではありませんが、生活経済課は生安部の花形部署です。父親が『デキる』捜査員だということもあり期待されていたのでしょう」(全国紙社会部記者)

警部の父親を持ち、厳格な家庭で育ったT子。警視庁担当記者によれば、合気道有段者で勝ち気な性格。メガネをかけているものの、目鼻立ちはくっきりしており、かなりの美人だという。高校時代の友人は語る。

「高校生の頃は、おとなしいタイプでしたが、顔が当時AKB48で人気のあった板野友美さんに似ていたため、クラスでは『ともちん』と呼ばれていました。

水泳部に所属しており、部活動には熱心に取り組んでいたので、夏の水泳の授業では目立っていましたね。泳ぎが速いということもありますが、彼女の水着姿に釘付けになる男子もたくさんいましたよ」

男の取り調べに立ち会ったのは「組対」での講習が始まって間もないころ。まだ経験も少ない取り調べの現場。緊張していたことは想像に難くない。

男は住吉会三次団体の32歳の独身組員だった。

「EXILEにいてもおかしくないような色男で、その組のイケメンと言えば真っ先にその男が思い浮かぶほど。趣味はキックボクシングでガタイがよく、背も高かった」(事情通)

真面目に生きてきたT子の前に突如として現れたイケメンヤクザ。自分とはまったく違う境遇の男と恋に落ちるのに時間はかからなかった。

10月下旬のこと、最初に男に公用の「携帯電話」で連絡をとったのはT子のほうだった。警視庁は職務上、話を聞くためだったと説明している。

「月が変わり、今度は男が頻繁に電話するようになり、ことあるごとにデートに誘いました。

T子は警察官という身分上、最初は断っていましたが、何度も誘われるうちに、11月下旬に初めて食事をしました。その際、交際を求められ、そのまま男女の仲になったのです」(前出・全国紙社会部記者)

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女性警察官とヤクザの許されざる恋。仕事一筋だった生活が一変した。もしかしたら自分は利用されているのではないか。いや、一人の女性として彼は自分を愛してくれているはず。

いけないことをしているとはわかっていても、気持ちを抑えるのは難しかったろう。そうしたT子の様子を男が見逃すはずはなかった。

カネも貢いでいた

昨年12月、男は女性巡査に「自分が捜査対象になっている事件はあるか」と尋ねた。T子は男が傷害事件の容疑者の一人であることを知っていたが、答えられるはずもなく、あいまいな返事でごまかしていた。ギリギリの自制心は残っていた。

それでも、しつこく聞き続ける男。

「捜査が進めば、自分たちの関係が公になってしまうかもしれない。そうなれば、警察官を続けることはできない」

そう考えたT子は男を信じ、ある賭けに出た。

「捜査情報を教えれば、男も交際の事実を黙っていてくれるのではないか」

男が自分との関係継続を望んでいるなら、きっとそうするはずだ。まだ「見習い」でたいした情報は得られない身のT子は、上司の目を盗み、こっそりと捜査書類を覗き込んだ。

自分たちの関係はバレていないようだった。ホッと胸をなでおろす。すぐに男に電話をかけて、事件の罪名、捜査の進捗状況を教えた。警察官が容疑者に捜査内容を話す。超えてはいけない一線だった。

年が明け、男の要求はさらにエスカレートしていった。捜査情報を尋ねるだけでなく、カネを無心するようになった。額は数万円から数十万円とどんどん膨れ上がり、その総額は100万円にものぼった。

別件でバレた

「やはり自分は利用されていただけなのか」T子の気持ちは急激に冷めてゆき、まもなく交際を解消することとなった。

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新宿署の「ともちん」にとっては高い授業料となったが、本来ならばこれですべては闇の中、終わる話のはずだった。しかし、想定外の出来事が起こった。

「男の弟が別件で逮捕され、取り調べで、『俺のアニキはヤクザで、そのオンナは刑事だぞ』と言い出したのです」(捜査関係者)

そこで新宿署はT子について張り込みも含めた捜査を開始した。

さらにこの捜査の過程で新たな事実が発覚することとなる。

「内偵捜査が入り、行動確認していたところ、その最中に現職の警視庁の警察官と一緒にホテルに入るところを目撃されています。しかも、その現職警察官は妻子持ちなので、いわゆる不倫です」(前出・捜査関係者)

職務規定違反を犯すほど男に入れあげたのに、結局、利用されただけだったT子。

ポッカリと空いた心の穴を、他の男性と付き合うことで埋めようとしたのかもしれない。

その後、警視庁が事情聴取したところ、T子はすべてを認め、秘密漏洩が発覚した。

現在、T子は実家に引きこもっている。暗い部屋の中、何を考えているのだろうか。もう、父のような立派な警察官になるという夢が叶うことはない。

「週刊現代」2018年4月7日号より

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2023年

4月

30日

「ここは、地獄か?」川崎の不良社会と社会問題の中で生きる人々

社会問題と社会運動の歴史がセットになった街・川崎。2015年に川崎市中1男子生徒殺害事件や川崎市簡易宿泊所火災といった事件・事故が立て続けに発生したこの街には何があるのだろうか。

その背景には「現代日本が抱える大きな問題がある」と言うのは、『ルポ 川崎』著者の磯部涼さんだ。「ここは、地獄か?」という刺激的な帯も目を引くこの本は、発売から半年以上経っても話題になり売れ続けている。

日本の大問題とは何か? 川崎の街から、問題の見えなさ、が見えてくる――。

 

(聞き手:望月優大)

――『ルポ 川崎』、おもしろく読ませていただきました。まず、取材の拠点となっている川崎区という街について教えていただけますでしょうか。

磯部 地元の不良少年たちは「川崎はしがらみばっかりでクソだ」と言いつつ、「人情味があって暖かい」とも表現します。それは決して矛盾しているわけではなく、どちらも同地が持っている側面だと思います。

――川崎区は田舎でもなく都会でもない。濃い部分と薄い部分、明るい部分と暗い部分が混ざり合っているような印象があります。歴史的にはどういう成り立ちなのでしょうか?

磯部 東京と横浜という大都市に挟まれているという意味では、インナーシティと言えそうです。臨海部には工場が連なっており、京浜工業地帯の要として、戦前/戦中は軍需産業、戦後は復興を支え、日本の経済成長に大きく貢献してきました。

そして、その工場で働くために全国各地から人が集まり、労働者の街として栄えてきたという歴史があります。川崎駅周辺では彼らのためにいわゆる「飲む、打つ、買う」の商売が発展し、それを仕切るためにヤクザの力が強くなった。

労働者の中には朝鮮半島からやってきたひとたちもいて、彼らは日本人が住まない湿地帯にバラック小屋を建てコミュニティを形成していきました。今でも臨海部の街、池上町に行くとまるで迷路のようなつくりに面影が伺えます。

また、工場地帯の負の側面として、住民は公害に苦しみ、長い訴訟を闘いました。在日コリアンに対する風当たりも強かったため、集住地域・桜本の川崎教会が中心となって反差別運動を起こしました。

――社会問題と社会運動の歴史がセットになっている街なんですね。

磯部 やはりそこにも2面性があるというか、近現代日本の発展と歪みを双方、体現しているんですね。あるいは、川崎区は面積の半分近くが工場地区で、その他の地区はそんなに広くないですが、そこにも様々な側面があり、凝縮度がすごい。

例えば、最近はラゾーナ川崎プラザやリニューアル・オープンしたアトレ川崎といった商業施設が賑わう一方で、そのすぐ近くには日進町という旧びたドヤ街がある。

ラゾーナもアトレも駅直結なので、ほとんどの買い物客はそこに足を運ぶどころか存在を知ることすらないでしょうが、横にはまったく違う世界が広がっている。

近年、社会問題の不可視化を指摘するひとは多いですが、そういった傾向を象徴している街だとも言えます。

――光と闇が表裏一体なわけですね……。

磯部 かつては川崎区と言うと、「公害の街」「ヤクザの街」「ホームレスの街」という印象を持っていたひとも多かった。

しかし、最近はジェントリフィケーションが進み、「きれいで安全になった」という声も聞かれます。ラゾーナの他にもハロウィンパレードが有名になり、明るい面がフォーカスされることも増えてきました。

しかし、それによって、川崎が抱えてきた問題が解決したわけではありません。

ホームレスも減ったわけではなく、街なかにいさせてもらえなくなって川沿いに住まいを移しただけだったりする。あるいは、行政の指導により生活保護を受け、日進町に立ち並ぶ簡易宿泊所に移ったひとも多い。

それを改善とみなす向きもあるでしょうが、簡易宿泊所は収容数を増やすために違法建築を行い、そのせいで、2015年5月に大規模な火災が起こった際、火の回りが早くなった。

結果、11人もの方が亡くなりましたが、そのほとんどが高齢者の生活保護受給者で、助かった方も行くあてがないので再び簡易宿泊所に戻ることを希望した、という報道が、当時、驚きを持って受け取られました。彼らは川崎の街、ひいては日本の発展を支えてこられた方々です。

第2次産業は全国的に下り坂で、ラゾーナも工場跡地に建てられているわけですが、日進町には時代の移り変わりの中で取り残された問題が確かに存在していると言えます。

――2015年2月には「川崎市中1男子生徒殺害事件」という出来事が起きました。

磯部 この事件の陰惨さもまた話題になりました。そして、犯人グループの中にフィリピンにルーツを持つ少年がいたことから、排外主義者によるヘイト・デモが川崎区で頻繁に行われるようになりました。

自分としても、中1男子生徒殺害と簡易宿泊所火災というふたつの事件が、川崎区に足を運ぶきっかけとなりました。

要するに、1つの小さな街で起きた陰惨な事件の背景に、現代日本が抱える大きな問題がある。それをルポルタージュとして描けないだろうかと考えたのです。

写真=細倉真弓

「BAD HOP」という希望

――本書では、ラッパーも数多く登場していますね。

磯部 自分は、音楽ライターを始めた90年代の終わり頃から、ラップ・ミュージックについて取材してきました。その中で"川崎"というキーワードが浮上してきたのが2012年頃。

昨今のラップ・ブームの火付け役となった「高校RAP選手権」というテレビ番組があるんですが、2012年7月に放送された第1回の決勝戦で戦ったT-Pablow(当時はK-九)とLIL MANが二人とも川崎区出身だったんですね。

彼らに取材をしたところ、「高校生RAP選手権」に出場していたのにもかかわらず、実際は高校生ではなかった。もちろん、第1回出場時の年齢は14歳とか15歳とかなのですが、中学卒業後は進学ではなくアウトローの道を選び、さらにそこから抜け出す手段がラップだったのです。

その後、T-Pablowや彼が率いるBAD HOPが成功したことで、川崎区の子供たちが次々にラップを始め、同地はラップ・ミュージックの新しい聖地として盛り上がっていきます。

さきほどの事件が日本の暗部を象徴しているのだとすれば、過酷な環境で育ち、しかし、ラップによってそこから抜け出そうと試行錯誤するBAD HOPは一条の光なのではないか。彼らを中心に据えれば問題だけでなく、希望も描けるのではないか、という思いもありました。

BAD HOPを牽引するYZERR(左)とT-Pablow(右)(写真=細倉真弓)

――本の帯の「ここは、地獄か?」というコピーにも象徴されていますね。とくに近年は、都市のきれいな部分とそうでないところの分断が起きていて……。

磯部 暴力団が取り締りの強化によって不況産業化したことも、地元の不良に影響を与えています。上納金の取り立てが不良少年にまで回ってくるようになり、彼らの中には引ったくりや強盗をすることでそれを賄おうとする者もいました。

――タバコ屋に入って……というエピソードも書かれていましたね。

磯部 ええ、タバコ屋の閉店後を狙って強盗を繰り返していたら、ある夜、隠れていた店員にバットで思いっきり顔を殴られてグシャグシャになってしまうという……。

2010年前後の話なんですが、暴力団に金が回らなくなっていた背景には、2008年に起きたアメリカ発の金融危機、リーマンショックの影響がじわじわと川崎の街にまで下りてきたということがあります。

だから、大きな経済構造の話と、小さな街の不良少年の置かれている状況が、実は繋がっているのです。要するに彼らの話を描くことで、時代を描くことも出来る。

川崎市と川崎区のあいだ

――『ルポ 川崎』では不良少年やアンダーグラウンドなシーンが多く取り上げられていますが、川崎にはこういった描写だと少し見えづらい優等生というか普通の子たちも暮らしているんですよね?

磯部 もちろん、川崎区の子供たちが全員、筋金入りの不良というわけではありません。ただ、傾向として、特に臨海部にはいわゆるヤンキー中学が多かった。勉強ができる子供の中には地元の中学校に行きたくないという思いで、頑張って東京の進学校へ行くケースもあった。

ただ、地元でソーシャル・ワークをしているひとたちからは、近年、見た目がいわゆるヤンキーの子供は少なくなって、不良なのかそうではないのか分かりにくくなったと聞きます。それによって目をかけるべき子供も分かりにくくなった。ヤンキーの格好というのは、言わば「オレは問題を抱えている」というサインですからね。

あるいは、川崎市中1男子生徒殺害事件の犯人グループの少年たちは、地元の不良の輪から弾かれた、不良の落ちこぼれでした。上納金の話もそうですが、不良の社会は普通の社会よりも厳しいと言えます。

時折、この本は不良を美化しているという批判をもらいますが、むしろ、強固なピラミッド型の縦社会に属している彼らを、旧来的なシステムの中でもがく日本人の象徴だと捉えているんですね。

不良たちは学校という息苦しい場所に反抗して外に飛び出して、自分たちの世界をつくっているはずなのに、さらに厳しい規律に縛られていることも多い。

まぁ、僕自身は不良ではなかったので、その見方に若干のロマンチシズムが介在していることも確かだと思いますが。

写真=岩本良介

――川崎の中でもさらに狭いコミュニティの中で生きているんですね。

磯部 そうですね。川崎区の中でも、桜本や浜町といったさらに狭いエリアでコミュニティが形成されていたり、すぐ隣の横浜市鶴見区との間で暴走族の抗争が起こったり。

不良というタイプではないですが、本にも出てくるラッパーで在日コリアンのFUNI(フニ)さんは、子どものころに多文化地区・桜本から同じ川崎区の大師町に引っ越したところ、まるでプールの底がガクっと深くなったように疎外感が強まったと言っていました。

歩いていける距離ですが、桜本と違って在日コリアンが少ないので、雰囲気がまったく異なって感じられたようです。

――彼らには「"川崎"に属している」という意識はあるのでしょうか?

磯部 川崎区の不良たちが言う「川崎」は、大抵、「川崎区」を差します。彼らは「川崎市民」というアイデンティティは持っていません。

というか不良に限らず、川崎は縦に細長かったり、東京や横浜に容易に出られることで「市」としての統一感に欠けているようなところはありますね。

例えば、版元の営業の方が、近年、開発が目覚ましい川崎市中原区の武蔵小杉にある本屋さんにこの本を持っていったところ、「うちは"川崎"じゃないんで」と言われたそうです。

川崎区とは世界が違うということだと思いますが、実際、武蔵小杉のひとの中には地元を"川崎"ではなく"ムサコ"と呼ぶひとも多い。

武蔵小杉は南部、あるいは中部に括られます。もともと、北部はニュータウン、南部は工場地帯として発展してきたので性格が全く違う。

"川崎"はふたつの顔を持っているわけですが、武蔵小杉の発展にしても、川崎駅前の再開発にしても、その北部的なものが段々と南部に降りてきているとも言える。

問題が見えないという問題

――川崎の子どもたちには、経済的に苦しかったりひとり親だったり外国人とのミックスだったりする子たちも多いとのことですが、それは一般的な生活の中でも目立って感じられる程度のものですか?

磯部 桜本にある川崎教会の初代牧師、李仁夏(イ・インハ)さんは同地や浜町、池上町などを"おおひん地区"と呼び、貧困や差別などの課題を抱える地区と位置付けて解決に取り組んでいました。

そこは、もともと在日コリアンの集住地域だったのですが、近年は中国やフィリピン、ペルーやブラジルなどからの流入者も増え、多文化地区の様相を呈しています。

さらに、コリアン系のひととフィリピン系のひとが結婚したり、ルーツが混ざり始めてもいる。

――川崎のきれいな側面に惹かれて新しく入ってくる人たちは、すぐ近くに様々な境遇の人々、様々なルーツを持った人々が暮らしていることに気づいているんでしょうか?

磯部 かつては"朝鮮部落"(ここで言う"部落"はいわゆる被差別部落ではなく、"集落"の意味)と呼ばれる在日コリアンの集住地域だった池上町も、最近は新築のアパートが建ち、区外から若い夫婦が引っ越してきています。また、川崎市中1生徒殺害事件の現場はタワーマンションの目の前です。

新住民たちの中にはそこがどういった歴史を持った土地なのか気にしていないひとも多い。例えば職場が東京にあって、家は寝に帰るだけだったら、地元は関係ないですからね。

――タワーマンションの世界と、男子生徒殺害事件が起きた世界とが同じ生活圏の中で地続きになっている……。

磯部 最初の方で挙げたラゾーナと日進町の関係もそうですが、開発によって進む問題の不可視化は、現代の貧困にも通じる話です。昔は困窮状態にあるひとは見た目で分かりましたが、今は言わば見えない貧困が増えている。

おおひん地区の子供たちの拠り所となっているコミュニティ・センター「ふれあい館」の職員の方が見た目は普通なんだけれども「ちょっと雰囲気がおかしいな」と思う子供についていったら、狭いワンルームに家族7~8人でぎゅうぎゅうに暮らしていたことがあったと言っていました。

かつては地域全体が貧困状態にあったのである種の一体感を持っていたのですが、徐々に問題が解決していくにつれて、貧困に取り残されたひとが孤立してしまうという新たな問題が浮上します。

川崎区の臨海部にしても、この本を読んで足を運んでみたら「全然、綺麗じゃないか」と思うかもしれませんが、その問題の見えなさこそが問題の複雑化を表しているとも言えるんですね。

写真=細倉真弓

――ふれあい館の話が出ましたが、川崎では社会問題に取り組む活動は活発なのでしょうか?

磯部 そうですね。最初の方で言ったように、問題があるからこそ、それを解決するための運動も起こってきました。

ふれあい館の母体である青丘社は、先程も名前を挙げた、桜本にある川崎教会の初代牧師だった在日コリアン1世の李仁夏(イ・インハ)さんが立ち上げた組織です。

彼は自分の子どもを保育園に入れようとした際、「そっちの人は取らない」と差別を受けたことをきっかけに、私設保育園を立ち上げました。

ただ、朝鮮ルーツの子供だけを受け入れたわけではなく、地元の共働き家庭、全てに門徒を開いた。その多文化共生思想は、桜本のみならず川崎の市政にも影響を与えています。

――何人かキーパーソンがいて、文化を作ってきたんですね。

磯部 はい。脳性麻痺者による運動団体である青い芝の会が、車椅子利用者の乗車を拒否したバス会社を相手に起こした有名なバス闘争も同地が舞台でした。川崎を日本の市民運動を象徴する場所として捉えることも出来る。

住民は長い公害訴訟を闘ってきて、状況は改善していますが、BAD HOPのメンバーたちは産業道路という空気が悪いことで有名な道路沿いで育ったので、今でも肌荒れが酷かったり、喘息を患っていたり、影響が残っていると言います。

そして、貧困家庭に育ち、不良のしがらみに捕われてきたBAD HOPは、その経験を歌うことで、地元のみならず、日本全国の少年少女に希望を与えています。

彼らを始めとした川崎区の人々を通して日本が抱える問題や、それを解決するための糸口について考えられるのではないでしょうか。

商品の説明

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

磯部/涼

1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽やそれらと社会との関わりについて執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。

 

著者について

磯部涼(いそべ・りょう)

1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽やそれらと社会との関わりについて執筆。

著書に『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)、『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、

共著に九龍ジョーとの『遊びつかれた朝に』(Pヴァイン)、大田和俊之、吉田雅史との『ラップは何を映しているのか』(毎日新聞出版)、

編著に『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共に河出書房新社)などがある。

--このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。

 

内容(「BOOK」データベースより)

ここは、地獄か?工業都市・川崎で中1殺害事件をはじめ凄惨な出来事が続いたのは、偶然ではない―。その街のラップからヤクザ、ドラッグ、売春、貧困、人種差別までドキュメントし、ニッポンの病巣をえぐる! --このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。

メディア掲載レビューほか

“日本のディストピア"川崎をユートピアへと変える人々の戦い

2015年に起きた、凄惨な川崎中一殺害事件の生々しいレポートから始まるこの本は、人口150万人に達する川崎市という街のにおいまで伝わってくる。ニュータウンの北部と、工場地帯の南部。その二つのエリアの生き方が共存する都市。確かにこの本で語られる「川崎」は、多様性が押し詰められた今の日本の縮図なのかもしれない。

高度経済成長で発展した工場地帯から立ち上る白煙の描写と「飲む、打つ、買う」で成長した飲み屋街や風俗産業、ヤクザやハードな裏稼業、人種のるつぼで生きてきた人々の克明なルポは、まさに日本産ディストピアだ。正直、北関東でサラリーマン生活をしながらラップをしていた自分にとって川崎は「ヒップホップイベントがよく行われるクラブチッタがある場所」程度の認識だった。だが、未来を描くことも難しい、困窮した人々の生活の克明なエピソードには衝撃を受けた。

第一回高校生RAP選手権準優勝者・LIL MAN。SCARSの発起人・A-THUG。FLY BOY RECORDSなど、ヒップホップでは馴染みある、そうそうたるアーティストが「川崎」を証言して行く。そんな音楽家達と並んで、フォーク・シンガーの友川カズキ氏が鍋を突つきながら語る40年前の「川崎」は、自分もどこか懐かしく感じた。

日本産ディストピアと書いたが、自分が一番心に残ったのは、むしろそのディストピアをユートピアに変えようとしている人々だった。桜本フェスを主催する川崎区の「ふれあい館」。ヘイト・デモに抗う人々。そのエネルギーの根幹にはいつも「音楽」があるという事実には非常に納得し、共感した。そして今、日本を席巻するラップグループに成長したBAD HOPの2人のリーダー、T-PablowとYZERRの証言がこの本の締め括りになっているのが、暗澹たる将来ばかりが見えるこの国で、ユートピアに向かおうと必死に戦う、「川崎」の明るい将来を示唆しているように感じた。

評者:DOTAMA

(週刊文春 2018年3月22日号掲載)

--このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。

 

出版社からのコメント

物議をかもしたサイゾー本誌のルポ連載を大幅に加筆し、書籍化。

上から目線の若者論、ヤンキー論、郊外論を一蹴する、苛烈なルポルタージュが誕生!

川崎の刺激的な写真も多数収録。

--このテキストは、tankobon_softcover版に関連付けられています。

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2023年

4月

30日

“矢が刺さったネコ”見つかる…警察が捜索 埼玉・熊谷市

埼玉・熊谷市で、矢が刺さったネコが見つかり警察が捜索している。 29日夕方、熊谷市の住宅で、住人の女性から「ネコの体に矢が刺さっている」と110番通報があった。 【画像】矢が刺さったネコ(視聴者撮影) 警察によると、ネコの胴体に長さ10数センチの矢が刺さっていて、そのまま走り去った。この猫は2023年3月、近くの河川敷で衰弱してたため、この家で時折エサをあげていたという。 警察はネコを保護するため、30日朝から周辺を捜索している。

猫に自作の“吹き矢”でけがさせる「遊び半分でやった」64歳男逮捕

先月29日、埼玉県熊谷市で背中に矢が刺さった猫が見つかった事件で、自作の吹き矢で猫にけがをさせたとして、64歳の無職の男が逮捕されました。

動物愛護法違反の疑いで逮捕されたのは、熊谷市の無職・田口富夫容疑者(64)です。

警察によりますと、田口容疑者は先月、熊谷市の河川敷で、自分で作った鉄製の吹き矢を猫の背中に当てて、けがをさせた疑いがもたれています。

取り調べに対し、田口容疑者は「自分で作った吹き矢で猫を射っていましたが、軽い気持ちで遊び半分でやっていました」と容疑を認めているということです。

警察によりますと、去年夏ごろにこの河川敷で、「吹き矢をしている人がいて危ない」と通報があり、段ボールに向けて吹き矢をしていた田口容疑者を警察官が口頭で注意していたということです。

その際の矢が、今回、猫に刺さっていた矢と似ていたことなどから田口容疑者が浮上し、自宅からは鉄製の吹き筒数本と吹き矢数十本が押収されたということです。

けがをした猫はその後、矢を抜く手術が行われ、けがが治るまでには5日ほどかかる見込みで、現在は動物病院で保護されているということです。

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2023年

4月

29日

愛知・我が子の遺体を庭に埋めた元保育士「月100万円貢いでいた」メンズ地下アイドルの“闇”

皆川琴美容疑者(フェイスブックより)© 週刊女性PRIME

 愛知県警常滑署は4月18日、同県名古屋市中区に住む職業不詳の皆川琴美容疑者(29)を、実家の庭に嬰児(えいじ)(年齢不詳の女児)の遺体を土中に埋めたとして、死体遺棄の疑いで逮捕した。

「18日の午前中に庭の草むしりをしていた65歳の母親が発見して、容疑者の弟に連絡。その後、弟が110番通報した。遺体は裸のままピンク色のタオルに包まれていた。警察は容疑者が4月中旬に遺棄したとみて捜査を進めており、取り調べに対して皆川容疑者は“間違いありません”と素直に容疑を認めているといいます」(全国紙社会部記者)

 皆川容疑者は常滑市で共働きの両親の間に生まれ、地元の公立の小・中・高校に通っていた。

「父親は会社員で、地元の子どもたちにサッカーを教えるような活発な方。母親はパート勤めしながら琴ちゃんを車で地元の高校まで送っていました。琴ちゃんは幼いころから控えめないい子で、成績も優秀でしたよ。高校卒業後は私立大学の幼児教育科へ進学したけど、父親が精神的な病気で働けなくなって、大学には奨学金を借りて行っていた。母親は懸命に家計を支えていました」(近所の住民)

優等生を変えた“2年前の家出”

 大学時代、容疑者は弓道部などで青春を謳歌し、卒業後は同大学に職員として就職。その後、実家からそれほど遠くない保育園に保育士として勤務していたが……。

「両親と琴ちゃん、弟の一家4人で生活していたんですが、2年ほど前に琴ちゃんも弟も家を出て行った。弟は勤務先が遠いから家を出たんだけど、琴ちゃんのことはわからなくて……。でも、どこかに就職したという話はないし、家を出る理由なんて、あとは男ができたぐらいしかないでしょ。全然帰省していなかったみたいですよ」(前出・近所の住民)

 捜査関係者によると、嬰児の体重は2000gから2500gほどと新生児の平均体重より軽く、予定より早く出産した可能性があるという。

「道ならぬ恋でできた子だったのか、別れた男との子だったのか……。琴ちゃんは優しいから、親に心配をかけたくない一心だったのかも。かわいそう。妊娠させた男も罪を問われるべきよ!」

 と、母親の知人は声を荒げた。嬰児の父親を探るため、名古屋市中区にある容疑者の自宅マンションを取材した。駅近で1K、家賃は月6万円。だが、容疑者は一人暮らしで、“無責任男”の情報はナシ。真相は闇の中か……と思われたが、取材を進める中である情報を手に入れた。

「皆川さんは、複数の“夜のお店”で働いていました。身籠ったのは、そこで出会った男性の子だと聞いていますが、具体的には誰の子かもわからないみたいで……」(容疑者の知人)

 大学職員や保育士の仕事をしていた容疑者が、なぜ“夜の店”で働くことになったのか。

実は、彼女は男性地下アイドル・Aさんの熱狂的なファンだったんです。2017年ころからハマって、Aさんが所属するグループのイベントには、日本中の会場を周ってすべて参加していたほど。お金もかなりつぎ込んでいて、自らは携帯代や光熱費すら払えず、家の電気を止められたことが何度もあった。一人暮らししていた場所も、アイドルグループが定期的に公演を行っていた会場からとても近いところです」(同・知人)

月に100万円を「貢いでいた」

 実家を出て、かなりの金額を“推し”に貢いでいたという容疑者。関係者に話を聞いたところ、さらなる詳細が明らかになった。

「Aさんのグループは名古屋の地下アイドルの草分け的な存在で、もともとすごく人気がありました。でも、昨今のアイドルブームに乗って新しいグループが増えてくうちに、“ライバル”たちにどんどん人気を奪われていってしまい、今年に入ってからついに解散することに。最後のほうはCDなども思うように売れず、古くから推している“古参ファン”の人たちは、かなり必死になって応援していました」(ライブハウス関係者、以下同)

 具体的には、どのように“必死”だったのか。

「ファンが大勢いるグループは当然CDの売れ行きも期待できますが、少ない人数を相手に枚数を売るためには、1人1人に“大量購入”してもらうことが必要になります。その単位はもちろん人にもよりますが、近年のAさんのグループでは1人で1000枚、金額にして数十万円分を購入するファンもふつうにいました。中でも皆川容疑者は、月に100万円ぐらい“貢いでいた”と聞いています

 そんなファンたちへの“見返り”はというと……。

「地下アイドル界では、CDの購入特典や、それ自体に数千円の値段をつける形で“チェキ撮影会”が行われるのが定番。熱心なファンは1人で何周もします。Aさんのグループに関して言うと、数年前に比べてそういったイベント時のファンとの距離が明らかに近くなっていました。チェキ撮影の際、ハグしたり顔を寄せたり、頭や身体をメンバーのほうから触れに行くこともしばしばありました

 その背景には、グループを運営する事務所の“不振”が関係していた。

まるで“ホスト”のような運営

「その事務所にはガールズグループも所属しているんですが、そっちの運営もなかなかうまくいっていない状況。コンセプトカフェなど飲食業に挑戦したこともありましたが、どうやらすべてこけてしまったみたい。もともとはAさんのグループがいちばんの稼ぎ頭だったけど、最後のほうは、1000人ほど入る会場でイベントをやってもお客さんは200人程度まで落ち込んでいました。

 そんな事情もあって、Aさんのグループはまるで“ホスト”のような運営をしていた。“ガチ恋営業”というか、“近い距離でファンをその気にさせて、お金を使わせてなんぼ”みたいな。ホストクラブに通うお客さんが、夜の仕事に手を出すのもよくある話。太客に貢がせてお金を稼ごうとする運営の仕方には、少なからず問題があったと思います

 メンズ地下アイドルの“闇”にハマり、大金を貢ぐため夜の世界に飛び込んだ結果、悲惨な事件を起こすことになってしまった皆川容疑者。彼女が推していたというAは、事件のことを知っているのか。

「Aくんは、ニュースを見て事件を知ったみたい。容疑者が夜の店で働いていたことはなんとなく察していたようだけど、グループで活動していた当時は“貢がせる”という事務所の方針に従うことしかできず……。本心では、そんなやり方に嫌気がさしていると話していました。Aくんや事務所は、今回の事件で警察から事情聴取を受けたとも聞いています」(Aの知人)

 前出の関係者は、悲劇の内幕についてこう話す。

「死体遺棄に関しては容疑者の責任だと思いますが、その引き金になったのは地下アイドルが所属する事務所の“運営の仕方”の問題だと思います。経営不振に陥った事務所が利益を生むために、まずはメンバーに負担をかけて近い距離での“ガチ恋営業”をさせ、そしてファンに大金を注ぎ込ませる。一度その悪循環にハマると、抜け出すのはなかなか難しい。これ以上、そんな“闇”のせいで容疑者や被害者が出ないことを祈ります」

 平穏な生活を送る1人の女性が堕ちた“沼”。“推し”と過ごす夢のような時間の果てには、身を滅ぼす“悪夢”が待っていた――。

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2023年

4月

29日

施工不良で大和ハウスなどに約3億円請求 三重・志摩のマンション管理組合が提訴、ひび割れが続発

 

 鉄筋のかぶり厚不足が原因で、コンクリート片の落下などが相次いでいる──。三重県志摩市に立つマンションの管理組合が、販売者の大和ハウス工業と施工者の三井住友建設(建設当時は住友建設)に対し、不法行為責任などに基づき約3億円の損害賠償を求める裁判を津地方裁判所に起こした。提訴は3月2日付。

 問題のマンションは、1997年に竣工した「ロイヤルヴァンベール志摩大王崎」。鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)造の14階建てで、低層階でも海の眺望を楽しめるリゾートマンションとして建設された〔写真1〕。

〔写真1〕修繕後もコンクリート片の落下が相次ぐ