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自転車のロードレースで起きた前代未聞の追悼レース

【自転車のロードレースで起きた前代未聞の追悼レース】
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ツール・ド・フランスに代表される自転車のロードレースでは、
現在ヘルメットの着用が義務付けられています。
このきっかけの一つになったのが、
1995年のツール・ド・フランスで起こった悲劇的な事故でした。
イタリア出身のロードレーサー、ファビオ・カサルテッリは、
1992年にバルセロナオリンピックの自転車個人ロードレースで金メダルを獲得し、
プロのレーサーとして、将来を嘱望されていました。
その後、1993年にプロに転向した彼は、
1995年に自身初となるツール・ド・フランスに出場します。
このころ、まだレース中のヘルメット装着は義務付けられてはおらず、
カサルテッリもまた、ヘルメットをせずに出場していました。
しかし、それが悲劇を生んでしまいます。
それは、7月18日のピレネー山脈の山岳ステージで起こりました。
急勾配の下りカーブで、彼は他の数人の選手とともに落車し、
運悪く道路沿いの縁石で顔と頭を強打。
ヘリコプターで緊急輸送されるも、収容先の病院で死亡が確認されました。
さて、この事故の翌日は、ピレネーで行われるレースの最終日でした。
選手たちは、カサルテッリのために1分間の黙とうを捧げ、自転車を漕ぎ始めました。
そのとき、自転車レースでは、前代未聞の光景が繰り広げられました。
主催者側も観客もあっと驚くことになります。

転車レースといえば、1秒を争う競争です。

にもかかわらず、選手たちはアタックをしかけようとはしませんでした。

カサルテッリが所属していたチームが横一列になって走り、 他の選手たちはそれを追おうともしません。

そして、そのままゴールという異例の展開になったのです。

この結果を受けて主催者側は、全選手が同一タイムでゴールしたとして、 その日のレースを総合成績に加えないことにします。

ただ、そのレース自体の成績は認められ、優勝賞金などは予定通り、 1位になったカサルテッリ所属のチームに支払われることになりました。

そして賞金のすべてはチームによって、カサルテッリの家族に贈られたのです。

チームメイトはもちろん、彼のチームを追わなかった参加選手全員にとって、 このレースはカサルテッリの妻、そして3歳の子どものためのものだったのです。

参考本:ちょっといい話 佐藤光浩(アルファポリス文庫)