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上岡龍太郎さん死去 81歳 『ナイトスクープ』初代局長として活躍

 タレントの上岡龍太郎さんが5月19日に、大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため死去した。81歳だった。

【写真】息子は映画監督の小林聖太郎監督

 本人の強い意向により、ごく限られた身内で密葬を済ませており、お別れの会なども固辞したいとの旨を伝えていたという。

 上岡さんは1942年生まれ。59年に横山パンチの芸名で、横山ノック・フックとのトリオ芸人・漫画トリオとしてデビューした。1988年にはABC『探偵!ナイトスクープ』の初代局長として活躍し、読売テレビ『鶴瓶上岡パペポTV』では、笑福亭鶴瓶とのトークで好評を博した。2000年に芸能界を引退し、その後は公の場に姿を見せることはほとんどなかった。

■上岡龍太郎さん家族からのコメント
お世話になった方々にも突然のお知らせとなってしまったことを深くお詫びいたします。昨年秋頃、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開で母も私もまだ気持が追いついていない状態です。
とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。
弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。縁を授けてくださった皆様方に深く感謝いたします。

【ピンクの大砲と共に!師匠逝く】
幼い頃、青春時代、
軽快なトークと歯に着せぬ発言で関西のお笑い界の重鎮
上岡龍太郎氏。
鶴瓶師匠→マラソンしていたらバカにしていたのにホノルルマラソン完走し、タバコ辞めるやつは『アホ!』と言っていたのに健康的になり、卑弥呼といえば魏志倭人伝と九州説で熱くなられていました。
ノックは無用や花のカンピューター大作戦
そして探偵ナイトスクープ楽しませていただきました。
ピンクの大砲はパペポTVの後ろのセットで藤山寛美師匠が、大砲は人を殺す戦争の道具
しかしパペポTVのピンクの大砲は上岡龍太郎さんと鶴瓶師匠の軽快なトークの大砲
平和な笑いを届ける素晴らしいセットと絶賛でした。
ピンクの大砲と天井から落ちてきた宮本
知らない人いたら駿河学伝説
見てください。

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」「恵まれない天才、私が上岡龍太郎です」立て板の水の話術に酔っておりました。

「探偵ナイトスクープ」の局長を務め、あの辛口で探偵をバッサリ切る面白さは忘れられません。
芸能界も潔く引退され、当時は多くタレント、視聴者も残念な想いもありましたが、結果的には勇退されて今では良かったと思います。
たくさんのタレントさんが上岡さんに鍛えられ、また楽しい番組を提供して下さった事にお礼をお伝え致します。
そして、最後まで上岡龍太郎さんらしくあっさりとこの世を去られたことも見事でした。
楽しい時間をありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。加齢なる親父より
「😥訃報」
若い頃に見ていた、よみうりテレビ制作のパペポテレビ。
台本無しの、鶴瓶さんとのトークが、本当に面白くて大好きな番組でした。
その上岡さんが、芸能界を辞めてから久しくなりましたが、肺がんの為、お亡くなりになりました。
享年81歳でした。
心より、お悔やみ致します。
故やしきたかじんさん以来、大変ショックです。😥

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コメント: 34
  • #1

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:40)

    突然の訃報に驚きました。
    今の芸能界には不世出の方だった。
    しかし、ご家族のコメントが素晴らしい。内容からご子息かと思いますが、さすが上岡龍太郎の息子という文章です。
    ご冥福をお祈りいたします。

  • #2

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:40)

    正義感の強い、忖度しない方だった印象です。
    この方の番組は全て面白かった。
    この人の番組を見られる年代に生まれてよかったと思います。
    心よりご冥福をお祈りします。

  • #3

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:41)

    引退なさって何年になりますかね
    現役時代は歯に衣着せぬトークなんだけど
    芸人として笑いの要素を外さないのが好きでした。
    色々とコンプラが叫ばれる今にあって
    上岡さんならどんな風に番組を作られるのか
    なんて思った事もありました。
    謹んでご冥福をお祈りします

  • #4

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:42)

    大ファンでした。
    友人が若い時に間質性肺炎で亡くなったのですが、肺がコンクリートの様にカチカチになって息が出来なくなって水の中で溺れる様な感覚になっていくと聞きました。
    上岡さんや藤本義一さんがテレビに出てらした頃は関西のテレビもピリッとしてて面白かったですね。
    ご冥福をお祈りします。

  • #5

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:43)

    20年以上前、小娘だった私は1人で飛行機に乗るため伊丹空港にいたました。悪天候でごった返す空港内の売店でレジに並んでいたら、サラリーマンのグループが私を突き飛ばして割り込んできました。あまりのことに声を失っていると後方から「いい大人がみっともない、お嬢さんに失礼です!列の後ろに並びなさい」と、注意してくれました。
    その方は神岡龍太郎さんでした。
    ご冥福をお祈りいたします。

  • #6

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:44)

    23年前、スッパリと引退されたんですよね〜。
    ハッキリ物言う性格で好き嫌いが分かれるタイプでしたが、人気者として長く活躍されました。
    漫画トリオでは横山ノックさんと、後年は単独や島田紳助さんと組んで色々な番組の司会をされました。
    探偵ナイトスクープや上岡龍太郎にはダマされないぞ、よみうり制作のEXテレビが代表作でした。
    ノック先生と酒を交わしながら、思い出話をして下さい。
    ここに謹んで哀悼の意を表します。

  • #7

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:45)

    関西人にとっては、やしきたかじんさんや上沼恵美子さんと並ぶ偉大なるレジェンド。
    突然で驚きましたが、芸の引き際同様、人生の引き際も、ある意味上岡さんらしく潔いなと思いました。
    お悔やみとか、しんみりした感じでなく、人生終了お疲れさまでしたと申し上げたいと思います。

  • #8

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:45)

    東北の人間ですが、
    上京して初めてパペポを観て、どハマりしました。
    どこまでも明るい鶴瓶さんと、独自の理論を押し通し、論破するというスタイルの上岡さんの組み合わせが最高で毎週楽しみにしてました。
    最期まで上岡さんらしいですが、
    きっと今頃ノックさんと昔ばなしに花を咲かせてることでしょう。
    安らかに。
    楽しい青春をありがとうです。

  • #9

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:46)

    私がしっかりとお話しているお姿を拝見したのは奇しくも横山ノックさんのお別れの会の映像。
    立て板に水とはまさにこの方の弁舌であるな、と昔より関心しておりました。
    上岡さんのナイトスクープ時代は辛辣なコメントも何とも言えぬケレン味で、とかくワクワクして拝見したものでした。
    パペポTVでも鶴瓶師匠が必死に上岡さんに追いすがる、それを上岡さんが笑いながらさばいていく、そんな流れに思いました。
    芸能界の退き方、またその後の動きは潔さの塊でしたね。
    芸人たるものは何たるかを身をもってご存知だった最後の芸人さんだと私は思っております。
    謹んで御霊のご平安を祈念申し上げます。
    非科学的な事は大変嫌う方とは存じますが、申し訳ございませんね。

  • #10

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:47)

    本当に驚きました。なんとも表現が難しい唯一無二の方で、とても知的で、その博識をもとに抜群の喋りで笑いを生み出し魅了させてくれた、とんでもない方でした。
    喋りも品のある関西弁で、そこもまた他の関西芸人とは一線を画していたと思います。
    芸人として、表舞台に立つ人間として完全に引退されたものの、時折先輩の方のご不幸があった際に注目されるなど、やはりその存在感や影響力は今でも強かった印象です。
    それだけとても魅力的な方だと思っていました。本当に残念です。心より、ご冥福をお祈りいたします。

  • #11

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:48)

    45歳の私にとってはやはり漫画トリオではなく、上岡龍太郎さんになってから。

    探偵ナイトスクープとパペポTV。

    ある年のパペポTVの年末特番。

    死ぬほど笑いました。
    今までの人生で、あの時ほど笑ったことは後にも先にもないと断言出来ます。

    ノック師匠の弔辞は涙の中に毒と笑いがあり、上岡龍太郎さんの真骨頂でした。

    でも、上岡龍太郎の弔辞を読める人は誰もいないでしょう。

    上岡龍太郎という芸人を知ることが出来た世代で幸せだったと、今、この訃報に接して改めて思います。

    上岡龍太郎さん、ありがとうございました。

    ノック師匠と天国でまた楽しくやって下さい。

    合掌

  • #12

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:49)

    上岡さんには沢山笑わせてもらいましたが、意外と笑い話は思い出せませんが『多くのカップルは結婚式が幸せの始まりだと思ってるから現実とのギャップに耐えられず離婚してしまう。この人とだったら苦労を共に出来ると思う人と結婚するから長年一緒にいれるもの。』と話してたことがずっと心に残ってます。
    引退されてから上岡節が聞けなくなり寂しかったですが、今は甥っ子ミキの二人のお笑いにとても癒されてます。
    心よりご冥福をお祈りします。

  • #13

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:50)

    テレビ、ラジオで芸人さんが活躍する今のフォーマットの基礎を作ったような人で、島田紳助さんや松本人志さんらからも尊敬された人。
    長く続いた鶴瓶上岡パペポTVはフリートーク番組の最高傑作でした。
    知的なボケから容赦のないツッコミと多彩な話芸と共に、自分を曲げることを良しとせず収録中の番組から退場したり仕事に対する姿勢の半端な共演者をとことん追い込んだりということもありました。
    「僕の芸は21世紀には通用しない」と引退された年齢は今の松本人志さんより若い58歳でした。
    パペポの最終回では、「本当は皆様に深々頭を下げて沢山の感謝を述べたいけど、今までの芸風からしてそれもどうかと思うのでこのままで去らせていただきます(意訳)」と最後までカッコいい芸人さんでした。

  • #14

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:51)

    上岡龍太郎さんの死去は本当に悲しいです。
    やしきたかじんさん依頼のショックです。
    昔のエピソードで、上岡龍太郎さんの息子が、「親子丼ぶりを見て、これは親子丼ではなく、他人ドンだ!」と言って困らせたことがあるそうです。何故かと聞くと、この鶏と卵が本当の親子と言う証明が無い!と言って上岡龍太郎さんを困らせたことがったと聞いたことが有ります。上岡龍太郎さんの子供らしいと思ったことが有ります。
    ご冥福をお祈りいたします。

  • #15

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:52)

    東京なんか行くかいなと言いながら数年後に東京で何本もレギュラーをやるようになり、「東京は大阪とはギャラのゼロの数3つ違います」と当時吉本社長の林裕章に伝え、吉本は本気で東京本社設置を急いだ(その結果がフジテレビの横澤彪を専務として招聘することに繋がる)。
    正義感が強いところを見せながら、言ったことと真逆のことをすることもよくあった。でも、あれは全部確信犯だったんだろうと思えるほど、上岡師匠はクレバーだったと思う。
    人間的にも慕われる人だったんだろう。パペポTVは「鶴+龍」と名前を変えていたが、最終回にはさんまと紳助が、吉本に相談もせず、ノーギャラで駆けつけてトークをしている(さんまとショージもいたが)。
    テレビの全盛期がたけしの言うように大橋巨泉なのだとしたら、大阪のテレビの全盛期は上岡龍太郎からやしきたかじんであって、大阪テレビ文化を東京に発信したのは上岡龍太郎だったんだろうなぁ。

  • #16

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:55)

    引退して20年、まさに宣言通りの余生を送った人生でした。
    芸能界に限らす、政界にも財界にも、引退後に、顧問とか、相談役とか、参与とかの肩書で後輩たちに介入して老害をまき散らす人がいるのに、上岡龍太郎さんは、引退後はメディアへの露出を控え、後輩のやり方に口出しをすることもなく、逆に島田紳助さん時のようにアドバイスする立場に徹したことには、頭が下がります。
    自分も叶うものなら上岡さんのような余生を過ごしたいと考えています。
    ご冥福をお祈りします。

  • #17

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:56)

    長く昭和のテレビで活躍されていて自分が小さい頃はよくテレビで見ていた方なので本物にびっくりしました。
    当時でもヒヤヒヤするぐらい舌鋒鋭かったですね
    特に心霊などオカルトものに対しては完全に否定的なスタンスでかなり過激な物言いされてた記憶があります
    大阪の地名の話になって「西天満東って何アレ?それはもう天満やん」で爆笑したのを思い出しました

    沢山楽しませて頂きありがとうございました
    ご冥福をお祈りします

  • #18

    名無し (金曜日, 02 6月 2023)

    確固たる意志を持った人というイメージですね。
    そのため、逆にどうしても矛盾や自分に不都合なことが生じるんです。なので、強弁、ともすれば屁理屈に近い弁舌で相手を言い負かしてしまう。そこには豊富な知識が背景にあるので、その場ではどうしても穴を見つけられない。あとになって考えてみれば、あれ?おかしくない?となることも多かった。下手すると、自分の主張が氏の主張と入れ替わってることもあった。
    そんな上岡局長は、やはり一番局長らしい局長でしたね。先代、現局長もそれなりに趣があって良いのですけど、単なるご意見番ではなく、しっかり番組を方向付けていたのは、上岡さんが一番でした。
    アホバカ分布図しかり、小枝の幽霊事件しかりです。
    今野ナイトスクープも面白いですが、上岡局長時代を凌ぐことはないでしょうね。

    合掌

  • #19

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 12:59)

    上岡さんがお亡くなりなったなんて、驚きで不思議な思い。
    上岡さんのラジオのヘビーリスナーだったから「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」「恵まれない天才、私が上岡龍太郎です」立て板の水の話術に酔っておりました。天国でノック先生、たかじんさん、米朝師匠、藤本義一さんらと日本を見ながらどんな話しているのかな。
    よく、甲子園のライトスタンドでご家族とタイガースを応援してる姿もお見かけしました。もう少し延命されていたら、今年の秋にAREを見れたのにと残念でなりません。どこかのTV局で追悼番組しないかな。合掌。

  • #20

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:01)

    上岡さんを初めて知ったのは、CBCラジオのばつぐんジョッキーと言う番組でした。
    多分あの頃は、横山ノックさんが政治家になり漫画トリオでの活動をしなくなった頃だったのかなと思います。
    まだ子供の頃だったのですが、切れの言い話し方が、訳がわからないことも 何か面白かった。
    月曜パーソナリティーの板東英次さんの中日びいきと木曜の上岡さんの阪神びいきで、バトルしていたのが、とても懐かしいです。
    その後全国的にブレイクしていかれたのも、当然だと思ってました。
    ファンでしたので残念です。
    ご冥福をお祈りします。

  • #21

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:02)

    上岡さんの言葉で忘れられないのがあります。テレビ版組が何かは忘れたんですけどお笑い芸能人が100万からが大金って言った言葉に対して上岡さんはすかさず、僕は初任給が10万の方がいらっしゃってその方は初めて働いてもらったお金です!そのお金こそ大金だと思います!って言われて子供ながら感動を覚えました。

  • #22

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:03)

    学生のころノックさんと司会をしていた「ノックは無用」「ラブアタック」など関西にいたこともあるけど、いつも見ていました。ビシッと厳しい言い回しでしたが、頑張ってる後輩たちには厳しくとも暖かい助言となっていたと思います。55歳で引退、その後表立った活動は一切されなかった、男のロマンというかその生き方は見習いたいです。

  • #23

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:04)

    自分の亡くなった父親が商売の付き合いで上岡さんと知り合いで、
    ただの個人事業者だった父親をソフトボールに誘ってくれたりしていたそうです。
    すごく公平で、付き合いも分け隔てない良い人だと若い頃に聞きました。
    パペポTVも何度か収録見に行きました。
    完全引退も残念でしたが、惜しまれます。
    ご冥福をお祈りします。

  • #24

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:05)

    中2の時にMBS毎日放送ラジオだったかメインパーソナリティされてる電リク番組に「燃えよドラゴンズ」リクエストしたらたまたまその日のゲストが板東英二さんという事もありその年(1976年)のバージョン「燃えよガッツだドラゴンズ」かけていただきました。上岡さん曰く「関西で中日応援するなんて変わった人ですね」(笑)
    謹んでご冥福をお祈りいたします。

  • #25

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:06)

    心霊やオカルトを一切信じないという一貫した姿勢。
    その点は妥協がなくて好きでした。
    占いがいかにいいかげんかということはEXテレビで、
    落語家桂小枝と江川卓が同日に生まれ、いかに人生が違うのかできずかされました。
    ひとり語りもうまく、一時間語るだけの会も面白かったです。
    今必要な人は、上岡さんのような芸人のように思います。
    長年日本を語ってほしかったですが、早期リタイヤが惜しいところです。

      謹んでご冥福をお祈りします。                合掌

  • #26

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:07)

    ご冥福をお祈りします。

    ご子息様の飾らない言葉の端々から、互いを認め合う親子関係だった事を窺い知る事が出来ました。

    随分昔の芸能人の様に記憶も薄れる程ではありますが、名声は大きくはっきりと憶えています。
    寡黙な面も有った反面、ご自身の最期には頑な信念をも感じさせます。人生の晩年、心豊かに生きられたお姿が目に浮かびます。
    安らかにさようなら。

  • #27

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:08)

    時代を先取りする先見の明、物事の本質を捉え、妥協しない姿勢は清々しかったです。
    私達ドンドコリスナーは、敬意を込めて「龍ちゃん」と呼んでました。
    ご自身の事は「敵に回すと手強いけど、味方に付けると弱いよ」と仰ってました。
    引退されるにも、お亡くなりになるのも早過ぎました。

    心よりご冥福をお祈りします。

  • #28

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:09)

    天才上岡龍太郎って呼ばれ方がピッタリでした。50代の私が小学校時代、土曜帰ってきてノックは無用見ながら昼ごはん食べるのが楽しみでした。ノックさんのフォンテーヌもおもろかったし、上岡さんがおらんかったらハチャメチャやけど、全部キレイにまとめとったなあ。子どもでもすごい人やなあってわかった。探偵ナイトスクープも私にとって上岡さん以上の司会はおらん。そして、ノックさん葬式の弔辞、泣いたなあ。ほんまにカッコいい人やった。涙が止まりません。お疲れ様でした。

  • #29

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:10)

    子供の頃初めてTVで見た時、授業参観に行って来た話をしてらっしゃって「自分の子供以外みんなアホばっかりだった」と言うのでビックリして「なんて人だ」と思ったがその歯に衣着せぬ物言いに次第に惹かれていった。

    日曜日に有賀さつきさんと共演していた「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」は毎週楽しみに見ていました。
    また当時、人気絶頂にもかかわらず2000年で引退すると言い出し、「まさか」と思っていたけど本当に引退し、その後表舞台に出て来ないところもカッコ良くて好きでした。
    謹んでご冥福をお祈りいたします。

  • #30

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:12)

    父に対する思い強く共感します。
    私もこの春父を看取りました。
    痛い?辛い?と聞いても
    痛くない。全然大丈夫と言い続け旅立ちました。
    きっと父自身もいつまでも元気な自分でいたい、
    子供には弱い部分を見せたくないと思ったのかなと理解しています。
    たぶん、きっと自分もそんなふうに振る舞ってしまう気がしています。
    お悔やみを申し上げご冥福をお祈りします。

  • #31

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:13)

    テレビ時代の終演や芸能界と反社会的勢力との癒着を遥か昔に予言していた所に、この人が伝説と呼ばれた真髄があると思うが、盟友だった島田紳助がそれで引退した時の胸中はいかなるものだっただろうか。
    横山ノックへのお別れの言葉も記憶に新しい。
    果たして、今の芸人にあれだけの弔辞を送ることができる人はいるだろうか。
    長い間、お疲れさまでした。

  • #32

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:15)

    上岡龍太郎さんのエピソードで、自分の弟子が遅刻しても怒らない、芸人なんて社会で務まらない奴等が来る世界だからと。ただ、遅刻の理由がつまらなかったら怒る、芸人として面白い言い訳をしたら許すと言っていたのが記憶に残ります。
    宣言通り引退してから本当に表舞台から消えた潔さ、好きな芸人さんでした。
    ご冥福をお祈り致します。

  • #33

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:16)

    一緒にお仕事をさせていただいたことがあります。
    今で言うならひろゆきの立ち位置、いわゆるオピニオンリーダー的な役割も担われていた方です。凄く腰が低い紳士でした。まさに今のコンプラ時代きピッタリなのに!個人的にはまた復帰して欲しかった。

  • #34

    名無し (金曜日, 02 6月 2023 13:18)

    パペポTVが大好きで収録の観覧にも行きました。○禁がテレビで初めて使われたのがパペポだとも言われていました。当時は上岡さん、鶴瓶さんの二人ともがタバコを吸いながらトークをするなど今では考えられない、でもそれだからこそ本音のトークが聞ける最高におもしろい番組でした。残念で仕方ありません。ご冥福をお祈りいたします。