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暴力団取材の第一人者が考える「ヤクザの親分に必要な資質」…修羅の世界で組長がその地位まで登りつめられる理由

日本最大の組織暴力と真っ向から立ち向かい続けたジャーナリスト溝口敦氏の半世紀にわたる戦いを記録した話題作『喰うか喰われるか 私の山口組体験』。同作の文庫化を記念して、溝口氏が山一抗争真っ只中に著した『ヤクザと抗争現場 溝口敦の極私的取材帳』から、珠玉のエピソードを公開する。今回は同書から「ヤクザの親分に必要な資質」についての貴重な証言を抜粋してご紹介しよう。

刑務所でどう過ごすかがヤクザの将来を決める

頭のよさは親分になるためには不可欠だろうが、かといって頭がいいから親分になれるというものではない。何か他の要素が必要なはずである。

体力はどうか。ケンカの強さはある程度必要な時期があるかもしれないが、体力となるとあまり関係なさそうである。かなり小男や優男がいる。さすがに骨組みの細い腺病質タイプは見かけないが、体格的には一般人と同じである。

やはりヤクザの学校は少年院や刑務所の中である。ある組長がつくづく述懐していたが、刑務所でどう過ごすかがヤクザの将来を決めるという。後に親分といわれるような層はほとんどが刑務所の中で本を読み、勉強する。ある組長は服役中の若い衆に英会話を覚えろと勧めている。決して刑務所での服役を無駄には過ごさせまいとするわけである。

ぼくの接したかぎり、組長といわれるほどの人は全部が全部といっていいほど、頭のよさを感じさせる。特に目につくのは記憶力で、古い事件の年月はもちろん、何日ということまで特定できる人がいる。

 

新聞や雑誌をよく読んでいるな、と舌を巻かせる人もいる。組長の一人から「赤旗」の切抜きを示され、この事件の裏は面白いと教えられたことがある。さらに入り乱れた人間関係や金の出入りに関し、正確に摑んでいる組長が多い。さすがに情報通である。

 

「運」は大きな要素

親分はどの点に優れて、親分になれたのか。統率力とか決断力、運とか積極性、いろいろな要素が働いてなれただろうと想像がつくだけである。親分のタイプはさまざまで、共通性を拾うのは難しい。強いていえば外向的、強い自己愛、派手好み、交際を重んずる、などの点だろうか。

ある組長は組長になれた理由に、運を挙げている。運はたしかに大きな要素のはずである。というのはヤクザの多くは暴力的な場所に身をさらすことが多く、危険性が高い。加えて不規則な生活で疾病率も高い。

しかも罪を得て、長期の社会不在も経験する。そのため競争から脱落する者も多く、気がついたら巡り合わせで組長というケースはままある。実際、ヤクザの世界は一般より世代交替が激しく、たとえば山口組の直系組長の顔ぶれなどは田岡時代に限っても、相当の変動ぶりである。

カリスマ性を持ったヤクザの組長はなぜ生まれるのか…大きく作用する3つの要素

なぜ一般人まで尊敬したのか

ヤクザの組長によくいわれるカリスマ性については、感じたことがない。立派な人だとか、謙虚な人柄だとは思っても、それ以上の感銘は受けたことがない。
 
山口組の故田岡一雄は、関東の親分たちの間でさえ、二度と出ない偉大な人とされている。正直、そうかなと今もって半信半疑である。なるほど戦後の混乱期に三代目を襲名、美空ひばりを見出して神戸芸能をつくり、船内荷役に手を伸ばして全港振を牛耳ったことは誰にでもできることではない。

しかも山口組をいつか日本最大の暴力団に仕立て上げ、長期にわたって、彼の死の後までその地位を維持しつづけてきた。個人的にも日本刀で大長八郎を斬り殺して刑に服してからは、まるで刑に服さなかった。ベラミ事件で首を撃たれてカスリ傷ですんだ。報復は大阪戦争といわれるまでに激しく、相手を屈伏させた。

たいしたことといえば、その通りだろうが、だからといって偉大という感想は持ちにくい。時代にかなっていたこと、合理的に指導したこと、運がよかったことの三つが、大きく作用しただろうと思うばかりである。

戦後すぐに「正業を持て」と配下を指導したのは、経済面で合理的だったこと、ある面、先見性として働いたことは疑いを容れない。

おそらく、いわれるカリスマ性とは、彼のたくらみがほどほどに成功したこと、それを周囲が見て尊敬したこと、後輩や他団体、一般人までその尊敬にならったこと──という風に徐々に膨らんでいったにちがいない。

カリスマ性と時代背景

三代目の特質として他に筋を重んじたこともあげられよう。が、これも合理精神の産物である。明友会事件や大阪戦争で多大の犠牲を惜しまず報復したことは一見、経済的には非合理に見えようが、ヤクザとしての体面を保つことが左右する将来を考えれば、経済的にも合理的な行為である。

警察にさんざん叩かれても山口組を解散せず、看板さえおろさなかったことも同様である。このムダとも見えた頑張りが、この世界で山口組をより大きくさせたことは確かである。

で、山口組に例をとれば、親分の特質として、非常に長い目で見た合理性にたけていなければならないといえそうである。それ以外のことはたいして必要がないように思える。

しかし見逃せないのは、山口組三代目にいわれるカリスマ性はあくまでも時代を背景としていた点である。今のヤクザはどんなに頑張っても、焼跡、闇市、朝鮮特需、経済復興、高度成長といった時代を生きるわけにいかない。三代目のカリスマ性は激動の時代を勝ち抜いてきたことに多く発している。

もちろん今のヤクザも今を背景として生きていくわけだが、さて三代目の時代と比べて、変化の幅が狭いことは否定できまい。こういう先が見えて、将来が前もって分かってしまうような時代に親分になろうというのは、たいへんな難事のはずである。