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一瞬で100億円超が紙くず、1レースで800億円の売り上げも「悲喜こもごも馬券伝説」

競馬は美しいサラブレッドたちの競争を見て、応援するスポーツとしての側面もあるが、やはり馬券が伴うギャンブルとしての側面があるのも事実。今回はそんな馬券に関するエピソードをいくつか紹介しようと思う。

人気ゲーム『ウマ娘』の影響もあるのか、近年は馬券の売り上げも一時の落ち込みから回復傾向。海外G1である凱旋門賞(2022年度)のJRA馬券売り上げは64億9599万2800円と海外馬券発売レース史上最高額を記録するなど明るいニュースが続いている。

 とはいえ、馬券売り上げが飛び抜けて高かったのは1990年代だ。80年代後半にバブル景気とオグリキャップ登場による競馬ブーム到来が相乗効果を発揮し、90年代はJRAの年間馬券売り上げは3兆円を超えるのが当たり前。1997年には年間最高となる4兆6億6166万3100円を売り上げた。

【ギネスにも乗った最高売上の有馬記念は?】

 そのピークとも言えるのが、1996年の有馬記念。有馬記念といえば普段は競馬を見ない人たちもなんとなく馬券を買ってしまうお祭りムード満載となるため売り上げは毎年好調ではあるが、この年は1レースだけで875億104万円の売り上げを叩きだし、世界最高記録としてギネスブックにも掲載された。ちなみに当時は三連単はおろか三連複もない時代。もし導入されていれば売り上げは飛躍的に伸びていたに違いない。

 なお1番人気でこのレースを制したのは、先日に『ウマ娘』にも実装されたばかりのサクラローレル。2着には3番人気のマーベラスサンデーが入り、馬連は払い戻し900円の堅い決着だった。ただし3着は14番人気のマイネルブリッジだったため、三連単があれば高配当だったろう(2番人気のマヤノトップガンは7着だった)。

【100億円以上の馬券が一瞬で紙くずに】

 1番人気に応えたサクラローレルとは逆に、G1レースで大本命が飛べば多額の馬券が紙くずとなり果てるのも競馬。91年の天皇賞(秋)で単勝支持率43%の大本命に推されたメジロマックイーンは圧倒的な強さを見せて1位入線を果たしたものの、他馬への進路妨害があったとしてまさかの最下位(18着)降着。これによって推定144億円の当たり馬券が一転してゴミとなったと言われている。

このマックイーンの件はいったんは当たったと思わせるぬか喜びが罪作りだったわけだが、一瞬にして夢も希望も打ち砕かれたのが2015年の宝塚記念。3連覇がかかっていた大本命のゴールドシップがスタートで飛び上がるように大きく出遅れ、この一瞬で推定120億円の馬券は事実上の紙くずと化した(ゴールドシップは15着に惨敗)。

 また、上記2頭のインパクトには及ばないものの、2002年の菊花賞では1番人気に推されていた皐月賞馬ノーリーズンに騎乗していた武豊騎手がスタート直後に落馬失格に。2019年の有馬記念では単勝オッズ1.5倍の断然人気に推された最強牝馬アーモンドアイが9着と惨敗し、200億円近くが吹っ飛んだと言われている。

【大赤字の競馬場で1日8億円を売り上げた救世主】

 日本の競馬はJRAが主催する、いわゆる中央競馬だけではない。NAR(地方競馬全国協会)が管轄の地方競馬でも令和4年度の総売上金額が過去最高の1兆703億5968万3860円に達するなど、競馬場閉鎖が続いた冬の時代から脱却しつつある。

 かつて廃止の瀬戸際まで追い込まれていた高知競馬に救世主として登場したのが、日本全国にとどろくブームを巻き起こしたハルウララだった。累積赤字が88億円にも達していたとされる高知競馬がなんとか話題作りをと注目したのが、負け続けても走り続けたハルウララ。100敗してもひたむきに走る姿に励まされたという声が全国から届き、グッズの売り上げなどで高知競馬に貢献していた。そのハルウララに武豊騎手が騎乗した2004年3月22日は、交流重賞の黒船賞が行われたこともあって1日の売り上げが8億6904万円にもなったという。

 現在は競馬は見て楽しむというカジュアル層も多いが、やはり馬券を買って「推し馬」を応援すると熱の入り方も違ってくるというもの。折りしも、もうすぐダービーという競馬の祭典がやってくる。懐と相談して節度を保ちつつ馬券デビューしてみてはどうだろうか。(文・杉山貴宏)