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「負けたら一気飲みで服を脱ごうよ」…歌舞伎町・マッチングでぼったくり「勧誘役の女」美しき素顔写真 2023年04月07日 | 社会・事件

「払えないならコンビニでカネを下ろせ!」

「このまま家に帰さないぞ、オラッ!」

バーの店員は、こう怒鳴って客から高額な代金を要求していたという。

警視庁保安課は4月6日、東京都ぼったくり条例違反(不当な料金等の取り立て禁止)の疑いで新宿・歌舞伎町のバーの従業員ら男女16人を逮捕したと発表した。従業員は19歳から34歳。逮捕された女はマッチングアプリで知り合った男性客を店に呼び、酒を飲ませ数十万円を払わせていたとされる。被害にあった男性は少なくとも5人だ。

「女はマッチングアプリで出会った男性と、JR新宿駅などで待ち合わせ。従業員であることを隠し、『行きたい店があるんだ』と言って働いているバーに誘っていたそうです。

店は『5000円で飲み放題』と説明し、客をカードゲームに参加させます。女は『負けたらショット一気飲みで服を脱いでいこうよ』と誘い、客を泥酔させていたとか。中には100杯近いショットを一気飲みさせられた客もいるそうです」(全国紙社会部記者)

保険証をコピーし自宅まで押しかけ

「5000円で飲み放題」をうたいながら、男性客が飲んだショットはシステムに含まれていなかった。

「ショットの料金は、1杯3000円以上したそうです。店は痕跡が残るのを恐れカード払いは拒否。受けつけたのは現金のみでした。数十万円を請求され、スグにキャッシュで払える人はほとんどいないでしょう。中には30万円以上を要求された客もいるとか。

従業員たちは泥酔した客を囲んで、こう脅したそうです。『コンビニに行ってカネを下ろしてこい!』『払うまで帰さないぞ!』と。それでも現金が足りない場合は、宝石店に行ってカードで購入させた貴金属を奪っていたと聞いています。中には保険証や運転免許証をコピーされ、自宅まで押しかけられるケースもあったそうです」(同前)

歌舞伎町では、マッチングアプリを利用したぼったくり犯罪が多発している。警視庁によると、被害総額は今年だけで約5700万円にのぼるという。

「男性客には下心があるので、女性から『会いたい』と誘われると応じてしまいがちです。『あの店に行きたい』と言われると、女性の歓心を得ようとついて行ってしまう。

しかしぼったくりバーに一度入ってしまうと、犯罪から逃れることは困難でしょう。客1人に対し複数の従業員がいるうえ、密室なのですから。見知らぬ女性からの誘惑には、乗らないことが重要だと思います」(歌舞伎町に詳しいライター)

ぼったくりバーの中には、普段は開けていない店も多い。従業員の女が男性を連れて来る時だけ店の営業を装い、他の客を入れないようにしているのだ。

 

マッチングの女性と…請求33万!歌舞伎町「ぼったくり驚愕手口」 2022年10月12日 | 社会・事件

「近くにイイ店があるんだ」

女性は、出会ったばかりの男性をこう言って誘ったという。指定した店に入ると、女性は慣れた様子でドリンクを次々と注文。「5000円で飲み放題」という説明だったが、男性が請求されたのは33万円もの高額だった――。

10月7日、無許可で女性従業員を接待させた風営法違反の疑いで東京・新宿歌舞伎町のバーを経営する得地一輝容疑者(26)が逮捕された。男性客をぼったくり、法外なカネを要求していたという。犯行に利用されたのは、マッチングアプリだ。

「女性従業員がスタッフであることを隠し、マッチングアプリで知り合った男性を店に誘っていたんです。男性は女性とデートのつもりで店に行き、30万円を超える高額な請求を受けていた。店は『飲み放題』としながらも、『女性が頼んだ分は別料金』と主張していました。

女性従業員は『私も親に連絡しておカネを用意する』『ATMで下ろしてくる』などと、自分も被害者のように装い外に出るも、店には戻ってこなかったそうです。女性従業員は請求額の10%から15%を報酬として受け取り、月に70万円ほどを稼いでいました」(全国紙社会部記者)

1杯2500円の「抹茶ハイ」を次々と……

9月中旬、捜査員は若い女性従業員が、店近くのファーストフード店前で男性と待ち合わせしているのを確認。店内に入ると接待行為が行われていたため、得地容疑者ら男性5人、女性1人を現行犯逮捕した。ぼったくりには、驚きの手口が使われていたという。

「通常ならこの店の代金は、おつまみ代やチャージ料を入れても1万5000円程度だったようです。しかし、女性従業員が頼む『抹茶ハイ』は法外な値段でした。1杯2500円でアルコールが入っていないため、女性は次から次へと注文。いつの間にか、高額になっているという仕組みです。

こうしたやり口で、月に800万円以上売り上げていたとみられています。調べに対し、得地容疑者は『今は何も話したくありません』と黙秘。警察は、判明している以外にも被害者がいるとみて捜査を進めています」(同前)

歌舞伎町では、ぼったくり被害が大きな問題となっている。15年には1000件を超える被害届が警察に寄せられた。厳しい取り締まりにより一時沈静化するも、再び被害が急増。最近では今回のようにマッチングアプリを使った、新たな犯行手口も増えている。

女性従業員と客が…「飲食店」で行われた「公然わいせつ」の中身 2022年11月09日 | 社会・事件

「飲食店なのに、わいせつな行為が行われている」

警視庁保安課に、複数の情報提供があったのは今年6月だ。同課はスグに内偵捜査を開始。店内で行われていたのは、驚きの公然わいせつだった

摘発された飲食店は、東京都渋谷区道玄坂にある「スッキリ」。11月5日に警視庁が捜査をすると、20代の女性従業員が30代の男性客相手に性的サービスをしていたという。警察は、当該の2人や店長の関根和平容疑者(29)ら8人を公然わいせつの疑いで現行犯逮捕する。性的サービスを行っていた女性従業員と男性客は、処分保留で釈放された。

「『スッキリ』は実質ピンクサロンですが、社交飲食店(キャバクラなど)に該当する風営法1号営業の許可しか得ていませんでした。男性客の大半が20代から30代の若者です。

女性従業員の年齢は18歳から25歳で、70人ほどが所属していました。キャッチコピーは『申し訳ございません。当店カワイイ子しか在籍していません』。店は女子大生やフリーターを中心にネットでスタッフを募集し、秋には運動会にちなみ体操着、冬にはサンタクロースやトナカイなどの衣装を着せていたようです」(全国紙社会部記者)

半年で売り上げ1億5000万円

「スッキリ」は、性的サービスを受けられることで人気の店だった。1日の来店者は多い時で200人近くに。料金は7000円から1万8000円で、女性従業員の指名は無料。警視庁によると、今年5月から1億5000万円もの売り上げがあったという。

「逮捕された関根容疑者らは、いずれも性的サービスを行ったことを認めています。警察には、こう供述しているとか。『公然わいせつは営業システムの一環だった』『客から要望があれば全裸になるよう女性従業員を指導していた』と」(同前)

11月5日の犯行発覚当時、店内ではどんな公然わいせつが行われていたのだろうか。

「現行犯逮捕された女性従業員と男性客は、いずれも全裸だったそうです。性的サービスが行われていたのはボックス席ですが、扉はなく周囲からよく見えるように隣席との仕切りは、あえて低くしてあったとか。サービス内容は、通路からも丸見えでした。

店内には、ボックス席が9つあります。事件当日は、15人の女性従業員が働いていました。毎日のように公然わいせつが行われていたのでしょう。関根容疑者らは、調べに対し『席の中が見える構造のため、いずれ摘発を受けると思っていた』と話しているそうです」(同前)

警視庁は、違法わいせつ行為を行っている店の摘発に力をそそいでいる。

覚醒剤に暴力団…紅白歌手の娘が告白「性の玩具にされた壮絶半生」 ノンフィクション作家・石井光太が日本社会の深層に迫る! 2022年10月01日 | 社会・事件

NHK紅白歌合戦に、2度にわたって出演して一世を風靡した歌手がいる。映画で、テレビで、舞台で、スポットライトを浴び、華やかな芸能人生を過ごした。

だが、その陰で、彼女の一人娘は、10代の頃から20年以上も覚醒剤に溺れ、暴力団組員の性の玩具となるような人生を過ごしてきた。

その娘の言葉である。

「10代~40代までずっと覚醒剤をやっていました。10代の時からヤクザとの付き合いはありましたし、連れ回されたり、捕まって刑務所へ行ったりしたこともあります。そんな私の人生が、歌手だった母の影響と無関係でなかったことはわかっています。もう、その母と会うことも話すこともできませんが……」

芸能人の家庭崩壊、親子の確執は、これまで様々な形で報じられてきた。ただ、子供自身が犯した罪や暴力団との関係性も含めてすべてを赤裸々に語ることはごく稀だ。

その言葉に耳を傾けることで、1つの時代のあり方、1つの家庭のあり方について目を向けてみたい。

古賀政男の寵愛を受け……

高野香瞳(仮名)が東京の新宿にある病院で生まれたのは、74年のことだった。

彼女の母親は、「最後の芸者歌手」と呼ばれた、神楽坂浮子。58年と61年にNHK紅白歌合戦に出場している。代表曲に『十九の春』『三味線フラ』などがあり、絶頂期の50年代~60年代には多数の映画にも出演した。

もともと芸者歌手とは、花街で歌謡曲をうたう芸者のことを示していた。そこからデビューする歌手もいたほどだ。ただ、戦後になると、芸者経験のないまま、芸者の格好をしてうたう歌手も同じように呼ばれるようになり、一世を風靡する。

神楽坂浮子は、学生時代に人気を博していた神楽坂はん子に憧れ、高校を中退して歌手を目指した。

神楽坂はん子は、戦前から戦後にかけて活躍した作曲家の古賀政男(国民栄誉賞)の寵愛を受けてデビューした歌手だった。浮子はその古賀の門下に入り、はん子の妹分として10代で芸者歌手としてデビュー、20歳でNHK紅白歌合戦に初出場した。

最初の結婚は、25歳の年で、相手は一般の男性だった。間もなく、子供が生まれたものの、金銭感覚のズレから離婚。芸能人として振る舞うことが好きだった彼女は、1日で夫の月給以上の浪費をすることもあり、夫婦間にひずみが生じたらしい。

その後、浮子はヒモのような男と付き合っているうちに妊娠し、再婚することになる。この時に生まれたのが、先述の高野香瞳だった。

香瞳の誕生後間もなく、2人は離婚することになる。夫が浮子の名前を利用して方々で膨大な借金をつくり、そのまま行方をくらましたのである。浮子は新宿にあった100坪の家を売ってその借金を返済する。

香瞳は語る。

「母は2度目の結婚の時には芸能界を引退していましたから、借金の返済で家も貯金もすべてを失いました。それで小学生だった義兄と、幼い私をシングルマザーとして育てることになったのです。

生活費をどうしていたのかは知りません。おそらく昔の知名度をつかって、方々で営業みたいなことをしたり、パトロンみたいな人に支援してもらったりしていたんだと思います」

浮子はマンションの更新に合わせて2年ごとに引っ越しをしていた。家では家政婦を雇って子供たちの面倒を見させ、あまり帰ってこなかったという。

おそらく夜の街で営業をしていたか、パトロンと会っていたかして、生活費を手に入れていたのだろう。

香瞳によれば、浮子を1度も「母親」と感じたことはなかったそうだ。彼女は母親の役割を捨て、「芸能人」として生きる女だったのだ。

娘は外出時の「アクセサリー」

たとえば、浮子は香瞳を連れて舞台などへ出かける時は、ブランド品に身を包んで、娘にも自分の高価なバッグを持たせた。行く先々で羽振り良く振る舞い、娘と仲の良いところをアピールする。

だが、一旦家に帰ると、別人のようになって娘からバッグを奪い、目も合わせようとしなかった。娘に話しかけられても返事すらしないことも多く、服も靴も買い与えようとしない。彼女にとって娘は、外へ出る時の「アクセサリー」のようなものでしかなかったのだ。

香瞳は言う。

「母は自分のことにしか興味がなく、娘の私にはまったく関心を持っていませんでした。外に出る時に『行ってきます』と言っても返事をしてくれないので、気づいてもらうためにドアを思い切り閉めて出ていくのが習慣になっていました。物心ついた時からそうだったので、周りから『神楽坂浮子の娘』と言われても、嬉しいと思ったことがありません」

生活は、家政婦に支えられていたが、精神的にはネグレクトの状態にあったのだろう。

さらに香瞳には別の心の傷を負っていた。4歳くらいの時と、小学2年の時に、2度にわたって見知らぬ男性から性的ないたずらを受けていたのだ。父親を知らない香瞳にとって、大人の男からの性犯罪はトラウマとなり、今に至るまで彼女を苦しませた。

浮子は、母親としてそんな娘の心の傷に目を向けようとはしなかった。そして小学生だった彼女にこう言い放ったのである。

「私には私の人生があるし、あんたにはあんたの人生があるの。私はあんたの人生に干渉しないから、あんたも私の人生に干渉しないで!」

香瞳はこの言葉を聞いて、自分と母親との間に決定的な溝があることを突き付けられた。

なぜ、浮子は実の子をそこまで突き放したのだろう。香瞳は、裏切られた多くの体験が彼女をそうさせたのではないかと考えている。

若くして名声を博した彼女は、金銭的トラブルなどが原因で親族とはほぼ絶縁状態にあった。その上、夫からも裏切られて財産を根こそぎ持っていかれた。

また、香瞳が小学生の時、浮子が子宮筋腫の治療を受けることになり、病院に付き添ったことがあった。この時、浮子は問診票に「妊娠7回、出産2回」と書き込んでいたそうだ。それだけ多くの男性に翻弄された人生を歩んできたのだろう。

香瞳は、こうしたことによって、浮子は実の娘にすら心を閉ざし、自分のためにしか生きなくなったのだと考えているのだ。

小学5年の時、そんな生活が突然一変する。

浮子が突然、1人で都内の高級住宅地のマンションに引っ越してしまったのだ。マンションは、当時の愛人だった大企業の社長に購入してもらったものだった。当然そこは、愛人との密会の場所となった。

母親に会えるのは愛人がいない時だけ

これによって、香瞳は兄とともに近くのマンションに子供だけで生活するように告げられた。与えられたお金で食べ物を買い、母親に会いに行けるのは愛人がいない時に限られた。

小学校の卒業式を迎える頃、香瞳は母親に何かを期待する気持ちが完全に消え失せていた。何かを望んで裏切られ、傷つくことの方が怖かったのだ。

母親は、コネをつかってそんな娘を私立の中高一貫の学校へ進学させた。学校に寮があり、そこに入れたがったのだ。おそらく愛人との暮らしの中で、子供が邪魔になったのだろう。大学生になった兄も自立させられていた。

中高一貫校の寮に入ったことで、香瞳は生活態度を急変させた。簡単に言えば、グレたのだ。母親から愛情を受けられなかったことの反動だったにちがいない。

中1で煙草を吸いはじめ、中2からはシンナーをはじめた。やがて学校をサボるようになり、毎日のように電車に乗って新宿へ行ってシンナーを買った。そして、そこで知り合った密売人の暴力団組員と付き合うようになる。

香瞳は言う。

「マンションに売人のヤクザが2人で住んでいました。私は学校の寮に帰らず、その家に泊まるようになりました。私の他にもう1人ヤクザの女もいましたし、他にもいろんなヤクザが出入りしていました。売人だったんで、仕事をしていない時は、ずっとシンナーを吸っているような感じでした」

紅白歌手の娘が、暴力団組員のアヘン窟のようなところで暮らしているとなれば、それだけで大きなニュースになる。

母親の浮子はその事実を知るが、一般には考えられない行動に出る。そこからはじまる、香瞳の無限地獄のような日々については、【後編】で詳しく見ていきたい。

  • 取材・文:石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。

暴力団に身を売り…紅白歌手の娘「弔問客なく遺骨も行方不明の母」 ノンフィクション作家・石井光太が日本社会の深層に迫る! 2022年10月01日 | 社会・事件

NHK紅白歌合戦に2度の出場経験のある神楽坂浮子。

その娘である高野香瞳(仮名)が覚醒剤の地獄へと落ちていった事実を【前編:紅白歌手の娘が告白「性の玩具にされた壮絶半生」】に引き続いて見ていきたい。

神楽坂浮子が香瞳を東京から追い出すように、私立の中高一貫校の寮に入れたのには、2つ理由があった。

1つは自分のパトロンである大企業の社長と心置きなく過ごすため、2つめは社長の支援でオープンした都内のフレンチレストランのオーナーとして働くためだ。

このフレンチレストランは、ほぼ会員制となっており、産業界から芸能界まで多くの有名人がやってきた。浮子はかつての名声をつかって、そこを社交場のようにしていたらしい。

他方、学校の寮から抜け出した香瞳は、先述のように密売人の暴力団組員と同棲していた。幼い頃に2度も経験した性犯罪、母親からの長年にわたるネグレクト、そして家から引き離された孤独が、彼女をそのような自暴自棄の行為に駆り立てたのだろう。

「母は『かわいそうな人』」

母親の浮子は学校から連絡を受け、ひそかに香瞳の行動を探って事実を把握した。だが、彼女は娘を暴力団組員から引き離すどころか、注意することさえしなかった。そしてあろうことか、夏休みになって家に帰ってきた香瞳がシンナーの臭いをまき散らしていても気づかないふりをしていたそうだ。

香瞳は語る。

「母は娘である私とさえ向き合えないんです。自分のことで頭がいっぱいで、人とどうかかわればいいのかわからないし、興味がない。私が逮捕されて面倒なことになるくらいなら、黙っていた方が楽って考えていたのかもしれません。こうなると母親じゃないですよね。私は母への復讐でグレていたわけではありませんでした。母が相手にしてくれないから、別のところに関心が向いているっていう感じです。それがヤクザだったってことです。

中学生くらいの頃からは、母のことを『かわいそうな人』と感じていました。人と向き合えない、かわいそうな人ってことです。そうやって客観視することで、逆に私としては気持ちが楽になっていた面もありました」

母親に愛情を求めれば、かならず裏切られてつらい思いをする。だからこそ、香瞳は母を「かわいそうな人」と考え、距離を置こうとしていたのだろう。

高校卒業後、香瞳はまたもや母親のコネで東北の大学へ進学する。だが、1年弱で中退。そして六本木にあった有名な高級クラブでキャストとして働きだす。

この店は六本木の中でも特に格が高く、大物芸能人が毎日のように出入りしていた。だが、

そこで働くキャストは所詮20歳そこそこの若者でしかない。豪華絢爛な店内では品よく振舞っていても、店が終われば当時流行っていたチーマーたちとつるみ、ディスコやクラブで踊り明かす日々だった。

 

香瞳が覚醒剤の使用をはじめるのは、そんな人間関係の中だった。店のキャストの大半は覚醒剤を常用していた。キャストのグループによって入手経路は異なったが、香瞳はあるキャストの女性から回してもらっていた。

「コギャルやチーマーやサーファーが全盛の時代だったから、クスリが蔓延していたんです。当時はスピードって呼んでいて、アブリでやっていた。芸能人やモデルの友達もたくさんいて、毎日パーティーしているみたいな気分でした」

そんな中で、香瞳は芸能事務所に登録し、自らモデルの男性との同棲をはじめる。気がつけば、自分もまた芸能の道に片足を突っ込むことになったのである。

だが、それは歓楽街での遊びの延長に過ぎず、本気で芸能界へ入って成り上がるのだという強い信念はなかった。モデルの男性の方も、母親である神楽坂浮子というネームバリューを利用したいという不純な気持ちがあったようだ。

同棲をはじめて間もなく、香瞳はモデルの男性から心理的虐待を受け、心を病むようになっていく。気がつけば、睡眠障害からはじまり、うつ病のような状態になって、希死念慮に捕らわれて度々リストカットをしていた。

クスリをやりたい

このままでは自分が壊れてしまう。香瞳はそう我に返ると、母親の浮子が暮らすマンションへ逃げ込んだ。

浮子はそんな娘を快く迎えることはしなかった。浮子にとって香瞳はアクセサリーのようなものだ。モデルの男性と華やかに結婚してくれればいいが、心を病んでボロボロになって帰ってきた娘を受け入れる気にはなれなかった。

マンションで香瞳は何度も浮子と衝突。精神的に参っていたこともあり、ついにはほとんど着の身着のままでマンションを飛び出す。その時、脳裏をよぎったのが、次のような思いだった。

――クスリをやりたい。

絶望に陥った時、夜の街で覚えた覚醒剤の快楽がフラッシュバックしたのだ。向かったのは、新宿の密売者のところだった。

若い女性であれば、性行為と引き換えに覚醒剤や寝る場所を手に入れることができるのが薬物の恐ろしいところだ。彼女は他に頼る人もいなかったことで、暴力団とかかわりのある密売者との関係を深めていく。

だが、密売人の男との関係がうまくいくはずがない。気がつけば、彼女は密売者の言いなりになって方々から多額の借金を背負わされていた。そしていつしかホテトルの仕事をするようになる。

そんな地獄のような日々の中で、彼女は覚醒剤の影響もあって正常な思考ができない状態になっていたのだろう。現状から抜け出したいと思った時、ホテトルの仕事で知り合った、暴力団幹部に助けを求めてしまったのだ。

これでは飛んで火に入る夏の虫だ。暴力団は彼女を関西に呼び寄せると、そのまま注射器で覚醒剤をやらせ、「シャブ漬け」の状態にする。そしてあちらこちらを連れ回し、ひたすら性の玩具として利用したのだ。

夜の街に蔓延する覚醒剤の地獄を絵に書いたようなパターンだ。それ以降、彼女は20年以上にわたって、大勢の暴力団組員と関係を持ち、覚醒剤と性行為、それに多様な犯罪に明け暮れる。抜け出したくても、覚醒剤によってまともな思考をすることができず、底なしの沼に沈んでいくことしかできなかったのだろう。

香瞳は語る。

「マンションを飛び出して以来、母とは関係はなくなりました。何度か電話などで話したことはありますが、基本的には絶縁に近い状態です。

母はフレンチレストランの経営から離れた後、紅白出場歌手という名声をつかって芸者関係の仕事をしていたようですが、詳しいことはまったく知りません。そっちに何かしらのコネがあって、細々と食べさせてもらっていたんだと思います。まぁ、本人は最後まで芸能人『神楽坂浮子』として生きたんじゃないでしょうか。あの人は、そう生きることしかできなかったんだと思います」

香瞳は香瞳で暴力団組員らと犯罪を重ねる日々を過ごしていたが、13年のある日、自治体の職員から電話がかかってきた。その職員は次のように語った。

「お母様が亡くなりました。生前、お母様は生活保護を受けてらっしゃって、うちの方で支援させていただいていました。お兄様に連絡したのですがご遺体をお引き取りにならないということだったので、妹様の方でお引き取りいただけないでしょうか」

火葬場に1人……

突然のことだったが、香瞳は「わかりました」と答えて火葬場へ行った。

火葬場には、弔問客の姿はまったくなかった。香瞳1人だったのである。同情心はなかった。ただ、あれだけ有名だったのに、寂しい最期だという思いしかなかった。

それから9年、現在、香瞳は関東を離れ、遠く離れた地で暮らしている。数年前に様々なトラブルが重なり、東京を脱して別の町で暮らしているのだ。そんな彼女は母親との関係をどう思っているのだろうか。

香瞳は語る。

「結局、母は誰にも心を開かずに、芸能人として生きる人生をまっとうしたんじゃないかなって思っています。母と私は血がつながっていますが、彼女は最後まで私にとって母親ではなく、1人の芸能人でした。最初から別々の人生だったんでしょう。

私は別に恨んではいません。むしろ、母が芸能人だったおかげで、進学にせよ、友人関係にせよ、得したことはたくさんありました。そういう意味では、母には良い経験をさせてもらったって思います。そこだけは、ありがとうねって」

そうは言うものの、彼女が10代以降に道を踏み外したのは、明らかに母親の影響が大きい。それについて怒りはないのだろうか。

彼女は言う。

「母に対して怒りを覚えて生きていくのはつらいんですよ。自分自身がつらくなる。だったら、チャラい感覚で『別々の人生だったよね、良いもの食べさせてくれてありがとう』くらいに思っていた方が楽。それが、今の私の生き方なんです」

自分の人生を親のせいにして恨みながら生きていくのがつらいという気持ちはわかる。だからこそ、まったく異なる人生だったと切り分けた方が楽なのだろう。

これは有名人の親を持つ子供だけでなく、親に恵まれなかった子供たちにも通じることではないか。どこかで切り離して考えなければ、自分の心が保てないのだ。

今、神楽坂浮子の遺骨はどうなっているか。

香瞳は「知らない」と答えた。1度は遺骨を受け取ったものの、刑務所に入った際に知人に預けたところ、ある事情から音信不通になってしまったのだそうだ。相手は反社会的な人間だったというから、おそらく遺骨は捨てられたのだろう。

神楽坂浮子は本当に自分のことしか考えられなかったのか、なぜ人に対して心を閉ざしつづけたのか、どんな人生を歩みたかったのか……。今となっては、その答えは見つからない。

明らかなのは、栄光の頂点を極めた女性歌手が大きな孤独を抱えたまま、ほとんど誰にも知られずにこの世を去っていったということだけだ。

  • 取材・文:石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。