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これからは「年金繰り下げ」が増える その理由とは…

公的年金をもらい始める年齢、そして働き方も多様化しつつある

今月は年金について考えています。私たち個人のレベルでは「年金破綻論」はもう卒業して(破綻などしないので)、年金制度と現実的にどう向き合うかを考えるべきです。

これから、真剣に考えるべきテーマのひとつは「繰り下げ受給」で年金を受け取る選択肢です。

現状はほとんどいない

公的年金は今、標準的な受け取り開始年齢が65歳です。「60~64歳」に受け取り始める繰り上げ受給と、「66~70歳(来年4月からは75歳)」に受け取り始める繰り下げ受給方式があります。

早くもらい始める繰り上げの場合、ただ早くもらえるわけではなく減額というデメリットを伴います。遅くもらい始める繰り下げ方式を選べば、無年金の期間を過ごした見返りとして増額された年金をもらえます。

この減額率や増額率は一生涯固定されます。たとえば70歳まで5年間、無年金で過ごし初めて公的年金を受け始めると年金額は42%アップします。単純計算では12年もらえば無年金であった分の元が取れます。そして標準的な長生きをすればおおむね損がないように設計されており、それ以上は長生きするほど得をします(税・社会保険負担が増額する分もあるので単純にはいえませんが、将来の制度改正の可能性は不透明ですから、もらい始める段階で試算記事などを参考にしてください)。

ところが繰り上げして減額された年金をもらう人の割合は高くとも、繰り下げの利用率は低いことが長年指摘されてきました。厚生労働省の「厚生年金保険・国民年金事業の概況(令和元年度)」によれば、国民年金分の受給権者3392万人のうち、繰り上げを選択した人が12.3%、繰り下げを選択した人は1.5%だったそうです。

この数字だけをみると国民の判断は合理的ではないように思います。なぜそうなるのでしょうか。

「特別支給の老齢厚生年金」時代は終わる

これは「厚生年金が65歳への切り替え段階」であった今まではやむを得ないことだったと思います。なぜなら60~64歳は経過措置とはいえ公的年金をもらい始めてしまいます。「特別支給の老齢厚生年金」です。1985年の法改正によって厚生年金保険の受給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられたことによって導入された経過措置です。しかし「65歳以降はこれまでもらっていた年金をゼロ円に戻して繰り下げを目指す」というのは心理的にも難しいことでしょう。

ほとんどの場合、すでにその年金収入を生活資金として織り込んでいますから、いきなりゼロ円になるのは困ってしまいます。

行動ファイナンス的にいえば、現状維持バイアスが働くということでしょう。年金をもらい始めるという大きな変化がやってきた後、それが日常になってきたところをあえて、ストップするという決断はしにくいのです。

しかも65歳になると年金請求の書類が届きます。届けば記載して返送するものと考えるのは当然です。実は繰り下げを希望する場合、年金請求書を出さない仕組みなのですが、「ここで書類を返さない選択肢もある」と考えるのはなかなか難しいと思います。しかも「消えた年金問題」などとメディアで騒がれたこともあり、もらってしまおうと考えるのもやむを得ないことです。

しばしば、年金制度に対する広報などの周知不足が問題であるとされていましたが、65歳受給開始への移行期間においては繰り下げを選択すること自体が難しい時代であったといえます。

「65歳から年金」世代は繰り下げを真剣に考え始める

この問題はこれから5~10年で一気に変化する可能性がある、と考えています。なぜなら「最初から年金は65歳から」という発想を持っている世代がこれからは増加していくからです。

まだ年金をもらっていない人が「もらい始めるタイミングを遅くする選択肢がある」と考えるのなら中立的に判断しやすくなります。

これからの世代は、65歳以降の雇用状況、個人年金等の受け取り状況、取り崩しの余地がある資産の状況などを勘案しながら、「65歳から普通にもらうか」「繰り下げを考えて増額を試みるか」を選ぶことができるようになります。

今まで繰り上げ選択をしていた人たちの多くは自営業者であったと推定されていますが(厚生年金の受給権がある人は年金をもらえたので繰り上げ率はほとんどゼロに近かった)、この繰り上げ選択率も調査ごとに1ポイントの減少がみられており、「年金は65歳から」に意識がシフトしているとみられます。

今では「ねんきん定期便」で繰り下げの効能を紹介するような図版も追加され、PRも行われています。

1%台をなかなか上回ることのできなかった繰り下げ年金の選択率は、あっという間に上昇に転じていくことになるはずです。

働き方の多様性・リタイア後の夢とのバランスを考える

「年金繰り下げ受給時代」は多様性が尊重される時代の反映でもあります。シニアの働き方は多様化しています。

60歳前と同じ仕事をして同じ報酬をもらうパターンもあれば、年収が下がってしまうので年金をもらう必要があるパターンもあります。定期収入としての年金を増やすため、あえて数年は自己資金の取り崩しだけで暮らし、繰り下げ受給による年金増額で経済的余裕を確保する選択肢も生まれます。

逆に、本人の健康状況やリタイア後の夢などを考慮し「健康だがあえてリタイアする」という自由も担保されます。

全国民に対し一律に70歳受給開始にするような政策も考えられたかもしれませんが、公的年金はむしろ多様性の尊重を選んだといえるわけです。

これは年金の破綻リスクとは無関係です。私たちが自分の生き方、働き方を見据えながら、何歳から年金をもらうか考えることのできる社会になってきたのです。

年金改革節目の年 20年かけ「65歳以降」が完了

今月は「ねんきん月間」として国がいろんな広報に取り組む月です。そこで「Life is MONEY」でも公的年金制度と私たちの生活について考えてみたいと思います。

私たちを陰から支える年金という仕組み

公的年金制度ほど理解が十分でない割に国民の関心が高く、結果として不満を感じさせている社会制度はないと思います。

現役世代のうち、保険料を引かれている数十年のあいだは基本的にメリットを実感することができません。むしろ年収の9.15%が保険料として引かれるのは厳しい負担に思えます(同額の会社負担を加えた年収の18.3%が厚生年金保険料率)。

年金制度は障害年金や遺族年金など、リスクに備える社会保障としても大きな役割を担っていますが、なかなかその役割を実感できません。利用することになるのはごく一部の人々だからです。

老後に年金をもらい始めてからも、国が終身で年金を支給してくれるという大きなメリットは60~70代ではなかなか実感できません。結果として100歳を超えて大往生を迎えるときには実感するかもしれませんが、それを言葉にする余裕はないでしょう。

仮に夫婦の年金額が月20万円とすれば、平均的な老後を20年としても4800万円の給付、夫婦ともに健康で30年の老後があれば7200万円の給付を受けるわけですが、7200万円が預金として積まれるわけではありません。そのほとんどすべてが、日々の日常生活費として使われていくので、これまたなかなかメリットを実感できません。

それでも、公的年金制度が存在しなかったら、あるいは改革が行われていなかったら、私たちの人生設計はまったく違ったものとなるでしょう。現役時代は「老後に1億(20万円×12カ月×40年)」を目指して貯蓄に取り組む必要がありますし(2000万円ではなく!)、実行できなかった場合、永遠に働き続けるか極貧の生活を送るしかありません。

年金制度は、陰から私たちを支える大事な仕組みであるわけです。

年金制度の標準受け取り開始年齢は65歳に

今世紀に入ってから長い時間をかけて「60歳から受け取れる厚生年金」を「65歳から受け取れる厚生年金」にシフトする取り組みが進められました。

1994年および2000年の年金制度改正を受けて行われたもので、それまでは60歳から「国民年金相当分+厚生年金相当分」をもらえる制度を、2段階で65歳からもらう制度にシフトしてきました。

第1段階は「国民年金相当分を65歳へ引き上げる」取り組みです。昭和16年(1941年)4月2日生まれ以降の人から始まりました。昭和16年4月2日生まれの人が60歳になったのが2001年4月ですから、まさに今世紀に入ってからのことです(女性は5年遅れで実施)。

第2段階は「厚生年金相当分を65歳へ引き上げる」取り組みで昭和28年(1953年)4月2日生まれ以降の人から始まりました。生年2年ごとに1歳、受給開始年齢が繰り上がっていきました。

そして、昭和36年(1961年)4月2日生まれ以降、つまり、2021年4月2日以降に60歳を迎えた男性から「国民年金も厚生年金も65歳から」という切り替えが完了したことになります(女性は5年遅れということになっていますので、昭和41年=1966年4月2日生まれ以降からが対象です)。

今年はまさに公的年金制度改革の節目の年となりました。公的年金制度が「65歳から受け取るのが基本」という制度への移行を完成させたといえるのです。

20年で社会は大きく変化

この20年は大きな社会変化があった20年でもありました。

まず、この20年は「団塊世代の引退」という人口動態的な大転換が起きました。戦後の日本の経済的発展を支えてきた「働き手」であり、年齢層ではもっとも多い世代でした。第1次ベビーブームでは3年間で800万人が出生したとされますが(2020年の出生数は84万人とされますので大きな違いです)、この世代が一気に引退し「年金生活」に入ったわけです。

そして、60代でも元気で過ごせる長寿健康社会が到来しました。健康寿命の延びは著しく、70歳でも元気に活動できる時代がやってきました。20年前と比べて5~10歳くらい高齢者の身体は若返っているという調査もあるそうです。

65歳まで働ける高齢者雇用制度の環境整備も進みました。これは公的年金が65歳開始になるのと同期した取り組みでしたが、今や民間企業の現実は年金制度や高齢者雇用法制を先行しています。70歳を過ぎても働ける企業は増加し、すでに3割を超えているといわれます。

公的年金制度や高齢者雇用制度は、こうした時代背景を踏まえて、最低限度行うべき改革をなんとかギリギリ間に合わせることができた、といえます。

これがもし、60歳から受け始める制度を維持し続け、年金財政破綻のリスクを高め続けた(あるいは無制限に保険料率を高め続けた)としたら、今はどうなっていたでしょうか。

基本的に破綻しない制度、批判でむしろ強い制度に

この20年は公的年金に関する批判が相次いだ時期でもありました。雑誌や新聞、テレビでは年金批判があふれ、破綻する可能性を報じました。

20年代には公的年金の積立金は底をつく、という主張をしていた批判本もあります。現実には今、公的年金全体で200兆円以上の資産があるわけで、予想はずいぶん外れていることになりますが、悪い印象は強く国民の心に刻まれてしまいました。

公的年金批判、年金破綻論のほとんどは不適当な論説でしたが、好意的に解釈すれば、その批判精神が年金制度改正に織り込まれてきたことで、破綻のリスクが回避されたともいえます。破綻論者は実は、問題提起をすることで年金破綻しないかじ取りに協力していた、というわけです。

いずれにせよ、破綻そのものを論じるステージはもう終わりました。ここからは給付水準の維持や負担の不公平感の解消などにリソースを割くステージに入っているわけです。

公的年金について私たちはどう向き合うのか、来週以降も考えてみたいと思います。