説明
内容紹介
通り抜ける音が、巷の情動に響きわたる
数十年の停滞ののち再起した、路上の巡回広告業ちんどん屋。大阪の路地裏、震災後の仮設住宅、脱原発集会など、様々な場に集う情緒、力、関係が、〈ヒビキ〉によってあらわになる。初のちんどん屋研究書。
◇推薦の辞より
彼女の質問は、実にきめ細かく執拗だった。
出版を心から喜ぶ。
――林幸治郎(ちんどん通信社創始者)
本書は刺激的な議論に満ちている。
〔ちんどんは〕洋楽受容の歴史のど真ん中にある。
――大熊ワタル(音楽家/文筆家)
◇解説より
ヒビキは現場の人を繫ぎ、歴史の蓄積を縫い合わせ、情動を活性化する……本書はちんどん屋を見たことのない読者に向けて、今日的な音楽/音響研究の諸テーマへと導くのに巧みだが、彼らを見聞きし、よく知っているつもりの日本人読者にとっても新たな発見に富むだろう。
――細川周平(音楽学者)
◇本文「プロローグ」より
ある日、私はこの〔渋谷のスクランブル〕交差点を歩いていた。心身ともにかなり弱っていたときだったこともあり、至るところに氾濫する消費主義の感覚的標徴に圧倒され、すでに経験していた孤独の感覚がさらにはっきりと浮き彫りになった。そんな中、突然、交差点を横切ってそれぞれの道を歩く人の波の中で、大阪でインタビューをしたちんどん屋の林幸治郎の言葉がよみがえってきた。
「家の中にいる人に聞かせているのよ。……街中ハッピーな人はいないよ。あんまりね。……鬱の人が〔家から〕出てくるような音を〔出さなきゃいけない〕」。
インタビューのときは、その発言はなんだか悲観的なように聞こえた。もしかして、自分自身の苦難を大阪都市部の見えない聴衆に投影しているのではないかとさえ思った。
でも、そのとき、交差点の途中で、私は突然、林と同じように世界が聞こえたのだ。この群衆の中で孤独の重さを感じていたのは私だけではないだろう。ちんどん屋の実践者がどのように社会関係やその断絶を「聞いている」のか、私はそのとき理解した。……ちんどん屋の音の労働は、ある社会的つながりに関する哲学に深く根ざしていることに気づいたのだ。
……彼らの仕事が作り出そうとする音のアフォーダンス(環境が生み出す能力)に注目することで、公共空間をいかに理解しうるのか、そして、ちんどん屋の音が響く都市空間においていかなる社会的結合と断絶が生起しているのか、ということを考察していきたい。
推薦の辞――林幸治郎/大熊ワタル
日本語版への謝辞――阿部万里江
プロローグ 始まり
序章 ちんどん屋の響き
第1章 歩く歴史
第2章 魅惑を上演する
第3章 想像共感の音を出す
第4章 ちんどん屋を政治化する
第5章 沈黙の響き
エピローグ 響きのアフォーダンス
付録/注
解説 響け、ちんどん世界――細川周平
訳者あとがき
参考文献/事項索引/人名索引
著者について
著者 阿部万里江(あべ まりえ)
1979年生まれ。エスノミュージコロジスト(民族音楽学者)。ボストン大学音楽学科教授。専門はサウンド・スタディーズ、人文地理学、音の政治学、ポピュラー音楽研究など。神奈川県川崎市で幼少期を過ごし、ドイツ・デュッセルドルフのインターナショナル・スクール(高校)を卒業後、スワースモア大学で文化人類学・エスノミュージコロジーを専攻。カリフォルニア州立大学バークレー校大学院(エスノミュージコロジー)修士・博士課程修了。ハーバード大学ライシャワーセンター博士研究員(2010年)、国際日本文化研究センター客員研究員(2018年)。研究のかたわらアコーディオン奏者として様々なジャンルのバンドとレコーディング・ツアー活動。主な共演者や所属バンドはDebo Band、Japanese Elephants、Fred Frith、Carla Kihlstedt、Jinta-la-Mvta、地中池、エチオピアジアなど。
訳者 輪島裕介(わじま ゆうすけ)
1974年石川県金沢市生まれ。音楽学者。大阪大学文学部・大学院人文学研究科教授。専門はポピュラー音楽研究、近現代音曲史、アフロ・ブラジル音楽研究。東京大学文学部、同大学院人文社会系研究科(美学芸術学)博士課程修了。博士(文学)。2010年に刊行した『創られた「日本の心」神話―「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書)で、2011年度の国際ポピュラー音楽学会賞、サントリー学芸賞を受賞。著書に『踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽』(NHK出版新書)など。
最盛期に2500人いたチンドン屋 現在「プロ」は50~60人ほど
「さあさあ、皆さま~。ちんどん鈴乃家からご宣伝でございます~」
とある日曜日の昼すぎ、福岡・高宮商店街の噴水広場でパレードが始まった。この日は子供たちの参加を募ったイベントで、チンドン太鼓を鳴らす新井理恵子さん(36)を先頭に、賑やかに隊列が練り歩く。近くを通るタクシーの運転手も車を停め、煙草をふかしながら懐かしそうに目を細めて眺めている。
チンドン屋の発祥は江戸時代。「飴売り」が滑稽な格好をして、落語の寄席の口上を真似て飴を売っていたのが始まりとされる。その後、人目を引く派手な衣装を身にまとった「広告宣伝業」へと役割を変え、最盛期の昭和20~30年代には全国に2500人いた。
だが、テレビ、ラジオの普及とともに衰退、現在ではチンドン屋で生計を立てているのは全国で50~60人ほどだ。新井さんは大学時代に友人に誘われたアルバイトがきっかけでこの世界に入り、27歳の時に「鈴乃家」を創業した。
「この仕事で何より大事なのは集客です。踊りや南京玉すだれ、とにかく人目を引くための芸を磨いています」(新井さん)
撮影■江森康之
※週刊ポスト2015年4月24日号
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