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「親だと思ったことはない。刺し殺したいです」母親に愛されず「悪に染まりかけた少年」を救った“ある女性”との出会い。

「私は決して見捨てない」――2度の服役を経験したが、獄中出産を機に更生し、今では建設請負会社社長として働く異色の経営者・廣瀬伸恵(ひろせ・のぶえ)さん。
 刑務所の出所者を従業員に雇い始めた頃、彼女はある17歳の少年と出会う。実の家族から虐待を受け、「親だと思ったことはない。刺し殺したいです」とまで言い切る彼の荒んだ心をどう救ったのか? ノンフィクション作家の北尾トロ氏による新刊『人生上等! 未来なら変えられる』より一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
くそガキ、気に食わねえな
 廣瀬が出所者の受け入れに興味を持ったのは事業を始めて1、2年たった頃で、動機は決してホメられたものではなかった。思うように従業員が集まらず、集まったとしても定着せず、困っていたのである。
 応募者に年長者は少なく、十代半ばのヤンチャな少年や、何かでしくじってムショ暮らしを経験してきた男たちが中心。出所を控えた人に声をかけておけば大伸興業で働いてもらえるのではないかと考えた。定職に就くことさえ苦労することは自分もよく知っている。
 この時点でもまだ、人の役に立とうという発想はなかった。欲しいのは頭数(あたまかず)。仕事は入ってくるのに、出せる人数が足りないのが悩みのタネだったのだ。やるからには上を目指す。納豆ご飯を食べられることをありがたく感じる時期は終わっていた。
「お金、好きだからね。出所者に目をつける業者なんかいないだろうから私の独占じゃんって、儲ける気満々。ところが、どうしたらいいかもわからないわけですよ。ひらめきが実を結ぶのは数年後のことで、私がいまのようになるにはいくつか決定的な出来事があったんです。その最初のやつがこの時期にやってきました。アイツとの出会いが私の人生を変えたんです」
 話はここからが本番だと言わんばかりである。こちらが驚くようなことも顔色ひとつ変えずに話す廣瀬が力をこめる出来事とは。今度はいかなるドラマを聞かされるのだろうか。
闇金をやめて1カ月もしないうちに逮捕される
 アイツとは、大伸ワークサポート取締役の原田健一(仮名)のことである。まだ20代だが、廣瀬の右腕的存在のひとりで、鋭い眼光が印象的。よく廣瀬宅へ食事にくるので何度か会っていたが、見ず知らずの僕やカメラマンのカンゴローを警戒しているようなので、話しかけるのを遠慮していた。
「大伸興業を設立して2年目のとき、うちにいたヤンチャな子の紹介で入ってきたんですよ。そのとき原田は17歳。いまだに目つきは悪いけど、もっと鋭かった。話しかけても無視するか『はぁ?』とかで、トゲのある子。礼儀作法もなってないから『このくそガキ、気に食わねえな』と好きじゃなかった。お互い、あいつは嫌いだと思っている関係」
 当時もいまも、従業員には宿なしが多いため、廣瀬は資金の余裕ができると最優先で従業員を住まわせる寮を用意した。原田は2DKのアパートをほかの従業員とシェアする形で使い、そこから仕事に行くので、事務所にいることの多い廣瀬と毎日顔を合わせるわけではなかったが、それにしても態度が悪かったらしい。手料理をふるまっても、黙々と食べて帰るだけだった。
「友だちとは喋るのに、私には“話しかけるなオーラ”が出ている。人間嫌いな性格で、様子をうかがうし、バリアを張るんです。どうせシカトされるか睨まれるだけなので、私も挨拶しなくなっちゃった。このときは、『俺は闇金をやる』とか言って1年続かないくらいでやめたんです。そうしたら1カ月もしないうちに捕まったんですよね」
 汗水たらして働くよりラクして稼ぎたかったのだろうが、うまくいかなかったのだ。犯罪慣れしている廣瀬にとってはどうでもいい部類の事件。嫌ってもいたから心配さえしなかった。
廣瀬が驚いた「虐待」の事実
 そんな彼女のもとへ、保護司から連絡が入った。拘置所に収監されている原田についての問い合わせである。働いていた職場の代表ということで名前が出たのだろう。
「廣瀬さんは原田君がどういう家庭環境で生まれ育ったか聞いたことがありますか」
 幼い頃から虐待を受けてきたことなど、廣瀬の知らないことを保護司は語り、とてもじゃないけど実家には戻せないという。その内容は、少々のことでは微動だにしない廣瀬の心を揺るがすほど衝撃的なものだった。
「知らなかった。あの子、私と口をきかないんですよ」
答えながら思う。家庭環境がそれほどひどければ人間不信にもなるだろう……。トゲのある態度には、人間不信にならざるをえない理由があったのだ。
「彼もまた雇ってもらいたがっているし、どうでしょうかね」
「本人がやりたいと言うなら、うちはいいですよ」
 そう答えるしかないというより、そう答えるべきだと、廣瀬の母性が訴えかけてくる。実家に戻れば確実にまた荒れるのは目に見えていた。好き嫌いを言っている場合ではないのだ。
悔いを残さないように決めた“覚悟”
「親御さんが当てにならないのでぜひお願いしたい。ただ、未成年だから保護者が必要で、本来は親なんだけど、どうだろう、親代わりとして家庭裁判所の審判に出てもらえませんか」
「わかりました。原田がそれでいいと言うなら引き受けます」
 情状証人や身元引受人は経験済みだから要領もわかる。だが、電話を切ったあとで、それだけでは不足な気がした。大伸興業で再雇用するだけでは、一時的な避難先にはなれても、また出ていってしまいかねない。
 それはあの子の問題だと突き放す気にはなれなかった。雇い主としての責任感で、菓子折りを持って謝罪に行ったり、証人として情状酌量を求めたこれまでのケースと今回は違う。事情を知った上で身元引受人になるからには、人と人として、立場抜きでとことんつきあう覚悟を決めないとダメだ。それでも嫌い合うままなら仕方がないが、中途半端なことをしたら悔いを残す。
 そうだ、自分が捕まったとき、親が面会にきてくれたことがとても嬉しかったのを覚えている。私も原田に会いに行こう。親の愛情を受けてこなかったあの子に、私なりの親らしいことをすることによって、変わってくれたらいいな……。
おまえの母ちゃんになってやる
 仲の悪かったふたりが面会室で向き合う。奇妙な感じだ。廣瀬の気持ちは伝わったのだろうか。
 これが成功したのだ。原田は照れているような、はにかんだような笑顔を見せて、初めておだやかに話をすることができた。
「面会にまできてくれるとは思わなかった」
「いや、くるよ。おまえ、いろいろあったんだな」
 ことば数は多くなくても気持ちが通じ合う感触を廣瀬は得た。突っ張っていても、原田は人の心をちゃんと持っていて、ただ寂しいだけだったり、悪ぶっていただけなのだ。
「出たら戻っておいでね。アパートを用意して待ってるから」
 審理の結果、少年院送りにはならず、鑑別所で約1カ月過ごしたあとに出てくることができた。以前とは別人のように喋るようになり、仕事のことからプライベートなことまで、ざっくばらんな話ができるようにもなった。比例するように、仕事への取り組み方も真剣になっていく。
 心を開いてくれたのだ、と思った。かたくなに自分を拒否していた原田が、少しずつではあっても、自分を開放しようとしているのがわかる。私のしたことが彼をいいほうに変える一助となったのなら、なんて素晴らしいことだろう。
 もしかしたら、私はこの子と出会うべくして出会ったのではないか。目標のないまま流れに身を任せ、目先のことだけ考えて生きてきたけれど、あなたにもできることがある、こういうことをしていきなさいと神様が教えてくれているのではないだろうか。
原田が親を憎む理由
 原田の変化を確認した廣瀬は、腫れ物に触るように接するのを意識的にやめた。私はこの子を信頼できるようになったし、信頼してほしいと願っている。では、どうするのがいいか。すべてオープンにすることだ。普段通りが一番いい。
 ある日、ふたりで話し込むうちに原田の家庭のことになった。親のことをどう思っているか尋ねると、眉ひとつ動かさずにこう言った。
「親だと思ったことはない。刺し殺したいです」
 そこまで憎んでいるのか。
「母親が死んだら喜びますね。葬式は黒いネクタイじゃないですか。でも俺にとっては喜ばしいことだから、白いネクタイをして出席してやるんですよ」
 悲しくて涙があふれそうになった廣瀬は、忘れようにも忘れられないことばを、原田に向かって放った。
「そんなこと言うなよ。じゃあわかった。産みの親はその人だけど、私があんたの育ての親になってやっから」
 原田の顔がパァッと明るくなる。
「おまえの母ちゃんになってやる。これからは私が親だかんな!」
“息子”として仕事とプライベートの両面で支える存在に
「それを言ってからは、彼がせがれのように思えてきて、彼も私のことを本当の母親のように慕ってくれるようになった。それで私、こういう生き方もありだと思ったの。『こういう子たちはたくさんいる。その子たちの力になってあげられるかもしれないな』と思ったのはそのときから」
 原田は現場で腕を上げるとともに、人懐っこいとはいえないまでも、ほかの従業員とのコミュニケーションを取るようになり、実力で取締役に抜擢された。“息子”として、仕事とプライベートの両面で廣瀬を支える存在になっていった。
 有言実行タイプの廣瀬は、原田の親にも何度か会いに行き、家族仲の悪さや、ゴミ屋敷と化した実家を確認。ますます本気で、母ちゃんは自分だと思うようになったそうだ。
ここまでの関係になれたのは今日まで原田のほかに数名だけ。こっちがその気になっても、やめたり、行方不明になったり、ケンカ別れで終わったり、いい方向にいかないケースもある。
「このくそガキ」「うるせぇくそババア」
 原田とは、いまだに年に2回くらいは大ゲンカするという。もめたら最後、お互いに遠慮なしのバトルが繰り広げられるのだ。1年前のケンカを再現するとこんな感じになる。原田は体調を崩してうつ気味になり、仕事に出られない状態が続いて食事もろくにとらず、アパートの家賃も払えないので、廣瀬の自宅に住み込んでいた。母ちゃんとしては心配な状況だが、調子の良くなってきた原田は女遊びにうつつをぬかしているように見えたので、廣瀬の堪忍袋の緒が切れた。
「おまえね、そうやってタダ飯食って、なのに女遊びしてふざけんじゃねえ。しかもバイクを買うってどういうことだ」
「バイクに乗って何が悪いんだよ」
「優先順位が違うんだ。そういうのは仕事に出てからにしろ」
「俺はまだ病気で、治りかけているときに女と遊んだって、母ちゃんに関係ねえだろ」
 言ってはならないひと言が拍車をかける。
「関係なくねえんだ、このくそガキ」
「うるせぇくそババア」
「じゃあもういいよ、さようなら」
 まるで本物の親子ゲンカである。
大切なのは、お互いのすべてをさらけ出す姿勢
「親子の縁を築けたと思っていた人とも、あっさりこれで終わりなんですね」
 絶縁さえ匂わせる展開に、このままでいいのかと周囲がざわめいても、廣瀬の怒りは収まらない。
「わかりました。俺、出ていきますから」
「達者でやれよ」
 結果、原田は家出。いつもはケンカの翌日に仲直りするのだが、このときは3日間帰ってこなかったという。
生意気な少年との出会いによって発見した進むべき道
「体調のことがあるからさすがに心配になったけど、謝りにきて、それで解決。私、そんなことで終わっちゃうつきあいはしてこなかったつもりでいるから、仲直りできるかどうかなんて疑うこともないんだよね」
ケンカとなれば命がけで、相手を叩きつぶすまでやめようとしなかった廣瀬は、どんなに激しくぶつかり合っても壊れないどころか、お互いのいいところも悪いところもさらけ出してわかり合おうとするのだ。
 変わったのは原田だけではなかった。廣瀬もまた、口をきかない生意気な少年との出会いによって、進むべき道を発見していったのだと思う。
「あの子とはそうなっちゃいましたね。私のことはうるせえババアだと思っているんじゃないかな。でも、あの日のは『おまえの母ちゃんになってやる』が噓じゃないことは、わかってくれていると信じたいな。そうだ、原田からも話を聞いてみてくださいよ」

「あんた、過去がひどすぎるよ」10代で暴走族総長、薬物売買で2度服役したことも…社会復帰した女性を苦しめた「日本の不寛容」

 前科や前歴がある人を従業員として雇い入れるため、「協力雇用主」に登録しようとした経営者の廣瀬伸恵(ひろせ・のぶえ)さん。ところが、いざ地元の就労支援担当者を訪問すると、暴走族総長、売人で2度の服役、ヤクザとの付き合いなど“過去の自分”が大きな壁として立ちはだかる……。
 この新しい試練を、彼女はどう乗り越えたのか? 北尾トロ氏による新刊『人生上等! 未来なら変えられる』より一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
「過去がひどすぎるよ」
 正規のルートで出所者を雇い入れることができ、国から支援まで受けられるなんて、まさに廣瀬のためにあるような仕組みではないか。
 が、登録すれば自動的に人が来るわけではない。協力雇用主になった当初、廣瀬は地元の就労支援担当者にこう言われた。
「オレは悪いけど、廣瀬さんのこと、半分しか信用してないかんな。過去がひどすぎるよ。どこにいっても、あんたのことは悪い話しか聞かないんだよ」
 また新しい試練だ。廣瀬は裏で暴力団とつながっている、あいつは女ヤクザだという風評。何かしようとすると必ず過去を云々されて“とおせんぼう”され、起業してからやってきたことは評価されない。あまりの悔しさに感情的になり、泣いて抗議したが相手にされなかった。結果はやはり、待てど暮らせど応募者ゼロ。
 それでも廣瀬はあきらめず、誰かの知り合いが刑務所にいると聞けば手紙を書き、そこを出たら働かないかと呼びかけたりしていた。
出所後、社会にはじかれて挫折を経験
「だって私は本当にそういう人が欲しいと思ってる。私は自分が出所者だし、そういう友だちや知人がたくさんいるじゃない。いい会社だという評価を得たいがために形だけ登録している会社とは違うんだよ」
 協力雇用主には数万社が登録しているものの、実際に受け入れ実績のある会社は1割に満たないのが現状だ。
「今度こそちゃんとやろうと意気込んで出所しても、社会全体がそういう人をはじく傾向があるじゃないですか。私もそれで挫折してきました。だからこそ受け入れたい。うちの従業員は過去のある人ばかりだから大丈夫だよ、隠し事なしのオープンでいいんだよ。そういう環境で、毎日おいしいご飯が出てくるとなったら、きっと違うんじゃないかなと思う。それに、私自身にもそういう人に囲まれていることで自分らしくいられる実感があった」
 冷たくあしらわれても、協力雇用主としての活動が自分と会社の将来を照らす光になるという確信は揺らがなかった。
受け入れ開始
 怒ったり笑ったり、くるくる表情を変えつつ喋る廣瀬を前に、僕とカンゴローは感慨深い気分になっていた。この人はついに、困っている人を助けることが自分を助けることにもなる、という境地に達したのだ。
「考え方の問題かもしれないけど、自分にフィットすることをしようとするとき、何かが逆転して、過去が生かされる感じがします。私は昔ヤンチャをしていた。捕まって刑務所に入った。獄中出産で我が子と数分しか一緒にいられなかった。みんな事実で、取り返しがつかない。曲がりなりにもそこから立ち上がっても、あんたは信用できないと言われる。だけど、過去が全部無駄で無意味かといえば、そんなことはないと思う。
 協力雇用主になったら、いいも悪いも含めた経験を生かして、私にしかできない更生のお手伝いができるんじゃないかと思ったの。こっちは真剣なんだよ。くそー、なんとかならねえかなと悶々としてました」
いい意味であきらめの悪い廣瀬に耳寄りな話が舞い込んだのは2018年の春。地元の暴走族からヤクザになり覚せい剤で逮捕され、現在は薬物依存者のサポートに人生を捧げている先輩の遊佐学(ゆさ・まなぶ)から、刑務所や少年院などにいる受刑者のための就職雑誌を作った人がいると聞かされたのだ。
「学とは売人時代に、どっちがいいブツを扱っているとか競ったりしてたんですが、いまでは『オレはまじめに生きてるから』『私も更生保護とかやってるんだよ』みたいな関係になっています。彼の紹介なら間違いないとお会いしたのが『Chance!!』を創刊したばかりの、私の人生を決定的に変えてくれた三宅晶子さんだったんです」
マイナーな求人雑誌に可能性を感じ、求人掲載を申し出る
 廣瀬には出所後、建設業との出合いや会社の分裂騒動など何度かの節目があるが、最重要人物は誰かと問われたら、この人以外にはいないという。『Chance!!』創刊号を見た廣瀬は衝撃を受け、初対面で意気投合。すぐに募集広告掲載を申し出た。
 募集方法に飢えていたとはいえ、金を払って広告を出すのは冒険だ。創刊されたばかりで海のものとも山のものともつかない『Chance!!』には“「絶対にやり直す」という覚悟のある人と、それを応援する企業のための求人誌”というキャッチフレーズがついていた。
 いまでこそ季刊誌として号を重ね、募集企業も増えて知名度も上がってきた同誌だが、創刊号は薄く、情報量も少なかった。少年院や刑務所にいて出所後の仕事を探したい受刑者に向けて、協力雇用主が人材募集広告を出す無料の雑誌で、発行部数はわずか150部。一般の目には触れないマイナー雑誌のどこに、廣瀬は可能性を感じたのだろう。
「発想もいいと思ったけど、三宅さん自身かな。商売人の匂いがしなかった。かといって、自己犠牲の精神で作っているわけではなく、ビジネスとして考えている。ニーズがあるのに、出所者が仕事を探せる媒体がない。だったら私が作ってみようと思うのは簡単でも、実際にやるのがいかに大変かは想像できました。でも、やったでしょ。この女はガッツがある、大したもんだと思って」
 大伸ワークサポートの募集広告が掲載された第2号が発刊されると、ポツポツと反響が届き始めた。僕はこの雑誌を実質的にひとりで作っている三宅に会ったとき、当時の印象を尋ねてみた。
「わずか2ページの募集広告なのに、大伸ワークサポートの魅力が伝わってくる内容で、応募者たちへの熱意を感じました。たとえば写真にしても、現場で働いているところと併せて社員旅行やバーベキューなど楽しそうな場面が載せられている。その後わかってくるのですが、出所後の職を探そうとする受刑者たちは、給与や仕事内容だけではなく、職場の雰囲気を気にしているんです。とくに家庭的な温かさに飢えていますから効果絶大だったと思います。もうひとつは廣瀬さんからのメッセージですよね。あれは素晴らしかった」
「私は決して見捨てたり見放したりしません!」
 そこには、社長自身が元暴走族総長で逮捕歴、刑務所の入所歴があることが記され、文末は出所後の生活に不安を抱く受刑者たちが「ほぉ」と感嘆の息を漏らしてしまいそうな一節で締めくくられていた。
〈私は決して見捨てたり見放したりしません! 私自身もやり直すことができたのだから、人は誰かの支えで必ずやり直すことができるのです。その支えになることができたら、こんなに嬉しいことはありません〉
 つたないなりに雇用主としての覚悟と気合を伝えたかったと廣瀬は照れるが、僕が受刑者としてこの文章に触れたら信じてみたいと思うだろう。
「三宅さんからもいいと言われて、その後もずっと使っているんですが、受刑者から届く手紙にも『この文章で社長の人柄がわかりました』とか『ここに行こうと思いました』と書かれていることが多いですね」
見下されても警戒されても、へこたれずにやってきた。大きな家族みたいな小さな会社を作り、男たちの胃袋をがっちりつかんで、みんなの母ちゃんになろうとしてきた。敷地にプレハブを建て、新しい仲間を受け入れる準備をしてきた。
「彼女に会わなかったら、いまの私には絶対なれてない」
 足りないのは、「私があなたを待っている」と呼びかけるツールだけだった。過去は変えることができないけれど、未来は変えられる。その手伝いをしたいと伝える手段がなかった。
 そんなとき、困っている廣瀬に手を差し伸べるように『Chance!!』が創刊された。これは運命だ。チャンス到来だ。
 ほしくてたまらなかったのに、手に入れることが叶わなかった最後のピースが、カチッと音を立てて埋まり、パズルが完成した。
「たくさんの反響をいただいて、軸足が定まったというのかな。私は見捨てませんと宣言したんだから、あとはやるだけでした。三宅さんには感謝しかありません。奇跡が起きたんだと思う。彼女に会わなかったら、いまの私には絶対なれてない」
 絶妙のタイミングで出会ったふたりの友情は雑誌編集長とクライアントの垣根を超えて深まっていった。僕が「親友ですね」と言ったら「そうじゃなくて戦友」と訂正されるくらいに。
やられたらやり返すのではなく、いずれ来る別れをどう迎えるか
『Chance!!』の評判は協力雇用主と受刑者に口コミで広がり、最新号が出るたびに厚みを増しながら継続。編集未経験でおぼつかなかった技術も向上し、エンタメ要素まで備えた雑誌になった。媒体としてのユニークさもさることながら、公的機関がなしえなかった方法で受刑者の社会復帰を支援する三宅自身も注目の存在となっている。
「私ね、どうしたらいいかわからなくなると相談するんですよ。夜中に電話して泣きながら愚痴ったり、迷惑かけてばかりなの。でも、彼女は私が喋り疲れるまで、納得するまで、電話を切らずに何時間でも聞いてくれる」
 廣瀬は、よほどのことがないかぎりは社員の前で涙を見せないようにしている。でも、タフな社長にも泣きたい夜はある。弱い部分をさらけ出し、救いを求めたいときがある。
「たとえばね……、私は社員に期待しすぎて、一緒にずっと会社を盛り上げていけるんじゃないかと錯覚を起こしがちだった。それで急にやめたり、裏切られたりすると、心が病んでしまう。そういう話をしたときに、なぐさめてくれるだけでも嬉しいですよね。
 でも、三宅さんは『がんばって』なんて言わないのよ。それは違う、やられたらやり返すんじゃなくて、いずれはくる別れをどう迎えるかが問題だよと言うのよ。『別れるとき、どんなに理不尽なことをされても、笑顔で見送ることを私は徹底している。それがカッコいい女だ』と。実際、見てると実践しているからね。そういうひと言が胸に響くことが多くて真似させてもらってます」
包丁振りまわしたら、私は刃を握る
『Chance!!』の応募者には、廣瀬が自ら面会に出向き、問題がないと思えれば出所後の雇用について仮契約を結ぶ。出所のタイミングは受刑者ごとに違うので、いつからでも受け入れられるのが、建設業などかぎられた業種に協力雇用主が集中する理由だ。
しかし当初は、出所者雇い入れ実績がない大伸には、保護観察所などから待ったがかかった。ちゃんと面倒を見られるのか、身元引受人として適切なのか。会社の状況をチェックするためにきた保護観察官にダメ出しをされ、採用不可にされてしまったのである。
 保護観察所は、犯罪をした人や非行のある少年が社会の中で更生するように、指導(指導監督)と支援(補導援護)を行う機関。地方裁判所の管轄区域ごとに置かれ、全国に50カ所(各都府県一カ所・北海道は4カ所)ある。
 保護観察官は全国に約1000人いるが、それだけでは間に合わないので、民間ボランティアである全国約4万8000人の保護司と協働して、少年院仮出所者と成人の仮釈放者の立ち直りを助けるのだ。雇い入れる企業が、仮出所者や仮釈放者にふさわしいところかどうかを見極めることも彼らの役割のひとつである。
 採用不可にされたときは、どういうことかと尋ねても教えてもらえずいら立ったが、いまとなっては実績のない会社に慎重な対応をするのはいいことだと考え方が変わった。甘い考えで協力雇用主となり、すぐ解雇してしまうなど責任を放棄する企業が後を絶たないからである。
 ようやく受け入れることを許されたのは、乳児院と養護施設で育つ間に数多くの問題を起こし、出所しても、どこの更生保護施設からも受け入れ拒否され、行く当てのない高野(仮名)という10代の男性。応募を受けて受け入れの意思を示すと、保護観察所の係員は廣瀬が女だからか、やや見下した態度で皮肉を言った。
「廣瀬さん、あの子は今回、包丁を振りまわして捕まっているんだけど、そういうことをしたらあなたはどうしますか」
係員は、目の前にいるのがどんな女かわかっていなかったのだ。
「こういうことをしてはいけない」というのを教えていきたい
「包丁ですか、私、そんなの(刃を)握っちゃいますよ。ケガしてもいいんで、振りまわすと危ないんだとわからせないと。私が握って血が出れば『ね、痛そうでしょ』と言えるじゃないですか」
「え? じゃあ大丈夫……なんですね」
 これで係員を突破し、2度の面接を経て雇い入れにこぎつけた。面接でも、高野に告げたそうだ。
「あんたがもし包丁振りまわしたら、私は握るからね。私はその包丁を握って、人を傷つけたら痛いこと、手から血が出ることを証明する。私はあんたのことを自分の子どもみたいに思って受け入れるつもりだ。警察呼ぶとかじゃなくて、こういうことをしてはいけないというのを教えていきたいんだ」
 高野からは、そんなことを言う人には会ったことがないと驚かれたらしい。廣瀬の強みはマニュアルには載っていない自分のことばを相手にぶつけられることだと僕は思う。その方法は、目ヂカラに物を言わせ心と心をぶつけ合う正攻法。何かのはずみで自分が包丁を手にしたら本当に握る人だ、と感じたから高野は信用したのだ。
あの高野を立ち直らせた社長なら…
 入社した高野は周囲の心配をよそに、包丁を振りまわすことなくまじめに働き始めた。高野の抱えている闇が孤独であることをいち早く見極めた廣瀬が、社員たちになじませることに力を注いだことが功を奏したのだ。すると、高野の行いが品行方正とまではいかなかったが許容範囲に収まっていたことで、保護観察所の廣瀬を見る目が変わってくる。
「保護観察所の地区担当者から信用されたことが大きかった。“あの高野を立ち直らせた社長”ってことになってスムーズに受け入れができるようになりました」
『Chance!!』が発行されるたびに応募者がたくさん現れ、2年もすると毎月のように出所者を迎えに行くようになってきた。長続きしない人もいるけれど、大伸は地元を代表する協力雇用主になっていく。実績ができてくると、あれほど冷たくされたハローワークまで「なんとかそちらで引き受けてもらえないか」とていねいに頼んでくるようになった。
「ほかでは受け入れてもらえそうにない人も、大伸なら雇ってくれるだろう、みたいになっていきました。ダメな子はどこへ行ってもダメなんで、過大評価されても困るんだけどね」
 そう言いつつも、頼まれると断れない姉御肌。2020年代に入ると、採用内定者の出所ラッシュも起きてきて、号によっては『Chance!!』への広告掲載を見合わせなければならないほどの人気企業になっている。
「いまでは(採用の)一般募集はしなくなり、社員の出所者率が高いことが会社の特色になっちゃいましたね。そうそう、うちの社員旅行っておもしろくて、必ずホテルを借り切りにするんです。なぜかわかります?」
 酔っぱらってケンカが起きるからだろうか。
「そんなの、うちでは日常です。そうじゃなくて入れ墨やタトゥーが入った従業員がたくさんいるから、宿ごと借り切らないと温泉に入れないの」

人生上等!未来なら変えられる

 

出版社からの内容紹介

 

過去は変えられないけど、未来なら変えられる!

レディース暴走族「魔罹唖」の総長は、刑務所出所者たちのマリアになった。

二度の服役経験がある建設請負会社社長、廣瀬伸恵の激動の痛快半生を描く。

映画やドラマを上回るようなスピードで悪の道を突っ走った彼女は、中学2年生で家出、温泉街のコンパニオン、ヤクザによる監禁を経験する。その後レディース暴走族「魔罹唖」を結成。暴力もいとわず組織を大きくした。

やがて覚せい剤の売人になり二度服役。だが二度目の服役中に獄中出産すると、子どものためにと、がらりと生き方を変えた。

ところが、まっとうな仕事をしたくても、職場で素性がばれると居場所がなくなる。ようやく受け入れてくれたのは、建設業界。やがて建設請負会社を起業し、さまざまな出会いにも恵まれ、刑務所の出所者を雇用するようになる。

裏切られることも多いが「私は決して見捨てない」と、従業員のために寮を確保し、毎日ご飯をつくる。いまでは従業員のほとんどが出所者だ。

長年裁判傍聴を続け、犯罪者に慣れている著者の北尾トロにとってさえも、廣瀬の生き方は驚きだった。廣瀬が悪に走り、劇的な更生を遂げたのはなぜか。相棒のカメラマン、中川カンゴローとともに、その核心に迫り、軽妙な筆致で綴る。また犯罪を生み、更生を阻む社会の現状も問う。

 

(目次より抜粋)  

第一章 悪の道

ヤンキー入門、レディース暴走族『魔罹唖』の誕生 ほか

第二章 女子刑務所は修羅の花園

売人”明美”の逮捕、獄中出産 ほか

第三章 おまえの母ちゃんになってやる

仲間から家族へ、運命の出会い ほか

第四章 私は決して見捨てない

出所者を迎えに、『Chance!!』到来 ほか

 

北尾トロ(きたおとろ)

ノンフィクション作家。1958年福岡県生まれ。2010年にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、15年まで編集長を務める。2014年より町中華探検隊を結成。また猟師としても活動中。著書に『夕陽に赤い町中華』(集英社インターナショナル)、『犬と歩けばワンダフル』(集英社)、『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(文春文庫)、『猟師になりたい!』(角川文庫)など多数。

 

廣瀬伸恵(ひろせのぶえ)

(株)大伸ワークサポート代表取締役。1978年栃木県生まれ。中学2年生で家出。1996年レディース暴走族『魔罹唖』を結成、初代総長になる。覚せい剤売人として、2度服役。獄中出産を機に更生し、2010年建設請負業、大伸興業、2012年株式会社大伸ワークサポートを起こす。2018年、刑務所の出所者を雇い入れる協力雇用主に。以来、多くの出所者を雇用する。

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コメント: 17
  • #1

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 12:57)

    シャブの売人は普通のばあさんが多い
    街の至る所に覚せい剤を禁ずる看板がある
    日本最大のドヤ街、大阪市西成区あいりん地区には多くの覚せい剤中毒者がいる。そこに住み、『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)を出版した國友公司氏は、「ある覚せい剤中毒者と仲良くなったが、彼は一貫して『覚せい剤だけは絶対にやるな』と言っていた」という――。
    ■朝6時からそわそわしっぱなしの青山さんという男

    大学を7年かけて卒業するも、就職できずに無職となった当時25歳の私が流れ着いたのは、日本最大のドヤ街、大阪市西成区あいりん地区だった。取材のためであるならば、覚せい剤に手を出すことも辞さない――そんなことを考えていた当時の若い私であるが、この街で出会った青山という男との出会いにより、その考えを改めることになった。

    青山さんとは、西成の飯場で出会った。飯場の労働者たちは早朝起床し、バンに乗り込み、尼崎にある解体現場へと向かう。

    「俺そっちのバンに乗りますわ。あっち、中が狭いんですわ。いや後ろの席でええ、タイヤの上でええ。坂本さん(仲間の労働者)と國やんがいる方に乗りますわ。ええでしょ? 問題ないやろ?」

  • #2

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:04)


    最初に言い渡しで罪名、刑期、罪を犯した動機やら聞かれるだろ
    そして称呼番号も決まる
    「はい、今日からあなたは342番ね」
    それから所持品検査して官服に着替えて 新入部屋へご案内

  • #3

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:05)


    入所した日には性器と肛門を検査されます。
    これは全受刑者例外なくです。

  • #4

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:06)

    出所しました^ - ^なんか色々書かれてるけど実際には検査も義務的な感じだったと思います→yuidayoラインしてくれたら一緒に明るい人生歩みたい。男女問いませんが女性であれば栃木入ってた方いる?あたし3年少しお世話になってたーはなそ

  • #5

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:08)

    女子刑務所へ送られることなく拘置所で衛生係で復縁し刑期の60%で仮釈放♪

  • #6

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:12)

    詐欺、覚醒剤…女子刑務所から仮出所する3人に密着「こういう現実を見て何かを感じてもらえたら」

    8月2日(金)の金曜プレミアムは、『今日、刑務所を出ます〜やり直したいオンナたち〜』(フジテレビ系、20:00〜)が放送される。番組進行は、伊藤利尋(フジテレビアナウンサー)と宮澤智(フジテレビアナウンサー)が担当。ゲストに、カンニング竹山、くわばたりえ、池田美優、鈴木裕也(医師)、鈴木淳也(弁護士)、ケイコ(NPO法人 岐阜ダルク)、を迎える。放送を前に、ウエマツヨシキ(UBURU)プロデューサーからコメントが到着した。

    日本では毎年数万人の受刑者が、刑務所から社会に出ている。出所する人々には、当然のことながら一人ひとりの人生があり、様々な事情を抱えて生きている。そんな出所者たちが刑務所から社会に出た後にいったいどのような生活を送り、どのようにして人生を再スタートさせているのだろうか? この番組では、日本全国78ある刑務所のうち11か所あるという女子刑務所から仮出所する3人の女性達に、総密着日数553日間もの長期密着を行い、日本のテレビカメラとして初めて、受刑者の姿を刑務所の中から外に出るまでの一連を追った。

    恋のもつれで摂食障害になり、その結果、万引きをやめられなくなった窃盗の常習犯、親友から1.4億円もの金をだまし取った詐欺師、17歳で出産後、5度に渡って刑務所に入った覚醒剤の常習犯……。3人の女性がそれぞれ犯した様々な罪で刑に服し、そして社会に出ることになった女性たちにはいったいどのような人生が待っているのだろうか。553日にも及ぶ長期密着、データにして数十テラバイト分の素材をつなぎ合わせることでその壮絶でリアルな姿が見えてきた。

  • #7

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:13)

    刑務官「身体検査〜!全員衣服を脱いで並びなさい!パンツも脱いで裸になりなさい!!」
    刑務官「足を拡げて前かがみになりなさい!お尻を突き出しなさい!両手でお尻を拡げてお尻の穴を見せなさい!!」

  • #8

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:15)

    手錠と腰縄をつけての獄中出産……女社長が壮絶な半生を振り返る
    8/30(金) 18:20配信トレンドニュース(GYAO)
    手錠と腰縄をつけての獄中出産……女社長が壮絶な半生を振り返る
    獄中出産を経験した人が『じっくり聞いタロウ』に登場
    過去2度の服役を経験し、現在は元受刑者を雇用する建設会社を経営している廣瀬伸恵さんが、壮絶な半生を語った。服役中の出産についても振り返った。

    元全国指名手配犯の女社長が、獄中出産を語る>>

    8月29日放送のテレビ東京系『じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜』に廣瀬さんが出演。建設会社を立ち上げ、元受刑者を積極的に雇用するようになった理由を語った。実は若いころの廣瀬さんは、暴走族のレディース総長を務めるほどの不良だったそう。やがて暴力団と関係を持ち、地元の栃木では知らない人がいないほど有名な薬物の売人だったことを明かした。

    廣瀬さん自身も薬物を使用して、覚せい剤所持で逮捕された。出所後もまた薬物に手を出してしまい、再び逮捕。全国指名手配されて、8カ月間の逃亡生活も過ごした。そんな廣瀬さんは、2度目の服役中に出産を経験した。「手錠と腰縄をつけた状態での出産だった」そうで、生まれたばかりの子供はすぐに乳児院に送られてしまい、ほとんど抱くことはできなかったという。そこで初めて後悔の念を覚えたという廣瀬さんの、その後の人生についても語られている。

    (文/沢野奈津夫@HEW)

  • #9

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:17)

    女子受刑者「便水(ベンスイ)願いま〜す!大便(ダイベン)で〜す!」
    女性刑務官「くっさぁ〜!あんた便秘なんちゃうの(笑)」

  • #10

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:18)

    覚醒剤で逮捕4回、通算服役12年。塀の外からはわからない「女子刑務所」の日常…
    社会 2018/7/25  ダヴィンチニュース

    『女子刑務所ライフ!』(イースト・プレス)

    私は、覚せい剤取締法違反で過去に4回逮捕され、1回目は執行猶予でしたが、その後に合計で12年間の懲役を経験しました。
     女子刑務所の実態を描いたエッセイとして、『女子刑務所へ入っていました』(竹書房)が話題になっている。そして、負けず劣らず面白いのが本書『女子刑務所ライフ!』(イースト・プレス)だ。本書の著者の中野瑠美さんは、現在、ラウンジ経営や文筆業で生計を立てており、立派に更正したといえる。当時を振り返り、女子刑務所の環境を「反省できる雰囲気ではない」と言い切ってしまう関西人らしい正直さが本書の大きな魅力である。
     たとえば、本書では普通の女性受刑者なら「言いにくい」と感じるような事柄でもズバズバと解説していく。裁判を経て刑務所に収容されるまでの流れも丁寧に描かれているが、やはり一般の読者が気になるのは「塀の中」の生活だろう。1日8時間の刑務作業を行いながら、トイレに行くのにも許可が要る刑務所では、当然、受刑者たちのストレスが最大限にたまっていく。では、彼女たちはどうやってストレスを解消しているのか? 答えは、「いじめ」である。
    「私は関わらないようにしていた」という注釈つきだが、著者が語っていく女子刑務所のいじめは、陰湿であると同時に、「なんだかショボいなあ」と思わずにはいられない。「生意気な口をきいた」程度でいじめは開始され、大勢でシカトしたり、すれ違うときにぶつかったりするのだ。まるで子供である。逆をいえば、そんなことをせずにはいられなくなるほど、刑務所の空気はピリピリしているのであろう。

  • #11

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:19)

    毎日がこんな具合なので、運動会のような行事が開かれるととたんに修羅場となる。著者も「独居房」行きを覚悟のうえで、自分をいじめていた受刑者を靴で殴りにいったという。それだけでは収まらず、作業場を破壊し、警備隊に連行されても抵抗してしまい、懲罰が長引いてしまった。こうしたエピソードを笑い話として語れるところに、著者の豪快な性格がうかがえる。
     一方で、刑務所にも楽しみはある。規則と監視でがんじがらめにされた毎日で、食事は心の支えだ。本書でも、食べ物に関する思い出話が満載である。とはいえ、いわゆる「ごちそう」は出てこない。いかにして、質素な刑務所メニューを「グルメ」に変えるかが刑務所生活のポイントなのだ。ごはんに飽きると「胃が痛い」と嘘をついておかゆにしてもらったり、集会で配られたお菓子をたくさんほおばって口の中が切れたり、努力が涙ぐましい。
     また、男性のいない女子刑務所において、同性愛に目覚めた受刑者たちのエピソードも衝撃的である。「オトコ」と呼ばれた彼女たちは、相手役である「ネコ」を求め、ときにはセクハラまがいの行為にも走っていた。著者もお風呂場などで被害に遭っていたという。ちなみに、若くてかわいい新入りが入ってくると、オトコたちも髪型を必死で整えるなど「ガチで恋愛モード」に突入するのだとか。

    この記事で紹介した書籍

    女子刑務所ライフ!
    作家:中野瑠美 出版社:イースト・プレス

  • #12

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:21)

    女子刑務所って類別ありますか? まあ類別はあるだろうけど初犯はどの刑務所で累犯はどの刑務所って分け方じゃないって聞きましたが…男子は少年刑務所と初犯刑務所と累計犯とロングこれとは別に交通刑務所と医療刑務所と其々別れているけど、女子刑務所はごちゃまぜだから刑事事件の受刑者は勿論交通刑務所も兼ねているから禁固刑の者もいると聞いていました。  

  • #13

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:22)

    俺は 対人関係が嫌やったから、作業拒否を繰り返して昼夜独居だったよ�
    なんであんなに周りに気を遣わんといけんのんやろ思うて
    それなら誰も周りに人がおらん独居しかないやん。
    独居なら、いつトイレに行こうが 屁をしようが関係ないやん
    なーんも全然周りに気を使わんでええからね�

    官に反抗的にしとけば 独居に入れられるから〜

  • #14

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:24)

    ある女子刑務所だが、
    作業拒否をすると、
    二種手錠(革手錠)させられ、保護室に入れられるらしい。
    二種手錠されると、食事は犬食い、大小便垂れ流しになるから、かなり苦しいらしい。

    対人関係を嫌がり作業拒否する女子受刑者が多いので、より厳しい懲罰を与えているようだ。

  • #15

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:27)

    手で尻たぶを掴んでお尻をおもいっきり拡げます。
    女性刑務官が肛門に顔を近づけライトで照らして検査します。
    目視で検査した後、細長いガラス棒を肛門に突っ込みます。
    中でグリグリかき回し、肛門、直腸内に不正に物品を持ち込んでいないか厳しく検査します。
    施設によりけりですが、ゴム手袋をした刑務官が肛門に指を突っ込んで中でグリグリかき回して検査することもあります。

  • #16

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:30)

    辺野古移設で反対運動してたら、捕まりました。
    ちなみに、麓刑務所では政治犯はいじめの対象になりますか?

  • #17

    名無し (月曜日, 20 3月 2023 13:34)

    全国の女子刑務所は定員超過が続く。近年の収容率は120%。受刑者は「いろんな人がいて口げんかにもなる」と明かす。刑務作業のない土日祝日は一日の大半を居室で過ごす。「長い連休はきつい」(辻本)。居室の変更を願い出られても回答は「我慢」だ。

     過剰収容の一因は覚せい剤取締法違反と窃盗での服役の多さ。全国統計では両罪名で全体の76%を占め、累犯も多い。

     「犯罪学校」。女子刑務所をそう例える刑務官もいる。男子の受刑者は犯罪傾向の進度ごとに刑務所が分かれるが、女子は初犯から累犯までを一つの施設に収容する。覚せい剤の仕入れ先などの「裏街道」情報が“先輩”から伝えられる。