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もう現地に来ないで大丈夫です。と言われるまで、何年でも東日本大震災の復興ボランティアバスは、走り続ける。皆さんは知ってましたか。12年休まず毎月走ってます。ボランティアの皆様、本当にありがとうございます。東北の仲間に変わりお礼をお伝え致します。Apex product

2万2000人以上が犠牲になった東日本大震災の発生から、きょうで12年です。被災地はきょう一日、犠牲となった人たちへの鎮魂の祈りに包まれます。震災で今なお200人以上が行方不明となっている宮城県南三陸町では、きのう、警察が行方不明者の捜索を行いました。南三陸警察署地域課 丹野 勉 課長「帰りを待つ家族が多数いる状況にある。何か少しでも手がかりとなるものを見つけられるように捜索していきたい」年3月11日に発生した東日本大震災。マグニチュード9.0、最大震度7の地震と津波により、関連死も含めて1万9765人が亡くなり、2553人が行方不明のままとなっています。また、福島第一原発事故の影響などで、今もおよそ3万1000人が避難生活を送っています。一方で、トリチウムを含んだ処理水の海洋放出は春から夏ごろ行われる予定です。震災発生から12年、被災地はきょう一日、鎮魂の祈りに包まれます。▼TBS NEWS DIG 公式サイト https://newsdig.tbs.co.jp/▼チャンネル登録をお願いします!://www.youtube.com/channel/UC6AG81pAkf6Lbi_1VC5NmPA?sub_confirmation=1▼情報提供はこちらから「TBSインサイダーズ」://www.tbs.co.jp/news_sp/tbs-insiders.html▼映像提供はこちらから「TBSスクープ投稿」://www.tbs.co.jp/news_sp/toukou.html

茨城県水戸市の観光バス会社は震災により通常業務が実施不可能となり、4月から現在に至るまで宮城県へボランティアバスを、営利を求めない価格設定で運行している。日本全国を始め、アフリカやトルコ、インド、イギリスなどからの参加者やリピーターも多い。また平行して被災地に行けない子供達に土のう袋に応援の絵を描いてもらって現地で使用する「思いやりの心育成プロジエクト」や、津波で流された仙石線の線路跡に菜の花を咲かせる「幸せの黄色い菜の花大作戦」等、行っている。

NHK総合 【おはよう日本】
経験・教訓・伝え続ける・ボランティアバス・12年の思い 

昨年の東日本大震災は、私達の茨城県にも甚大な被害をもたらせました。突然襲った未曾有の大災害に、大混乱していたことを思い出します。停電する中で、たまたま観光バスを所有していた私達は、観光バスのテレビを利用し、情報収集に努めました。

そのテレビから映し出される映像は、現実とは思えない、あまりにも残酷すぎるものでした。

 

私たちの茨城でも、立て続けにくる余震に怯えながら、ただ時を過ごしていましたが、報道され流れる宮城・岩手の映像には、あまりにも辛いものがありました。

弊社には気仙沼出身の女子社員がおり、気仙沼が火の海となっている映像に家族への心配が募りました。幸い一週間位後に、無事の確認がとれスタッフー同安堵した事を覚えています。

そんな中、私自身、長年青年会議所(JC)活動を通して交流を続けてきた石巻が、甚大な被害を受けている状況を知りました。2週間位経って、やっと石巻の仲間達と連絡が取れた中で、改めて震災の及ぼした被害が、あまりにひどすぎる事を理解致しました。

そして、青年会議所の仲間と一緒に、取り急ぎ用意できた自転車や燃料など可能な限り持っていけるものを届けに行きました。長年交流し愛着のある石巻は、私の知っている石巻とは全く違う街になっていました。

しかし、そんな中でも石巻の仲間達は、自らも被災し家も流され、会社を失い、多くの友人や知人、身内を亡くしながらも、地元の為にいち早く立ち上がり、地元の方々の為に頑張る姿に涙が止まりませんでした。

そして、一番私が、お世話になってきた先輩が、津波で犠牲になった事を知り、もう涙を止める事は出来ませんでした。

その数日後、再度石巻に入り、一緒に作業を手伝いながら亡くなった先輩の為に…そして頑張る多くの人達の為に何か出来る事は?…そう考え、茨城県社会福祉協議会さんの多大なる協力を得ながら始める事が出来たのが、ボランティアバスの運行でした。

昨年の4月29日に運行を開始させて頂いたボランティアバスは、茨城県内のみならず全国各地や海外からも多くの皆様に参加を頂いております。一年で約12000名様のご参加を頂きながら、現在も運行を継続させて頂いてる事に、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

ご参加下さる皆様方以外にも、私達のボランティアバスを多くの方々が支えて下さっています。

子供達が被災地に心を届ける「思いやりの心育成プロジェクト」に使う土のう袋は、青年会議所(JC)の先輩方を中心に2万枚以上の寄付を頂きました。

また被災地を花で彩る「夢いっぱい1愛いっぱい!花いっぱい!プロジェクト」や「菜の花大作戦」には、全国から多くの皆様のご支援ご協力を頂き、取組ませて頂く事が出来ています。

被災地の復旧復興は、まだまだだと感じています。被災地の方々に心からの笑顔が戻るその日まで…支えて下さる皆様と共に「邪魔だから来るな!」と叱られるその時まで、心を寄せながら、これからも取組んで参りたいと思います。

本当に支えて下さる、全ての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

立ち上がろう茨城!日本中の笑顔の為に…

立ち上がろう日本!世界中の笑顔の為に…

心でつなぐ…「さわやかな風」作戦!

 

本当にありがとうございます。

 

石塚観光
(石塚サン・トラベル株式会社)
 代表取締役 綿引 薫

〈忘れてはならない震災の教訓〉釜石の子供たちを救った〝津波てんでんこ〟と危機管理

東北地方を中心に甚大な被害をもたらし、日本全土を揺るがした東日本大震災が発生してから、早くも12年が経ちました。しかし2万人以上の死者・行方不明者を出したこの歴史的大地震が残した傷跡は、未だ癒えたとは言えません。翻って、いまを生きる私たちが忘れてはならない教訓は何でしょうか。震災当時、学校管理下になかった5人を除く児童・生徒約3000人が津波から逃げ切り、「釜石の奇跡」と称賛された岩手県釜石市の防災教育。その功労者である防災研究者の片田敏孝さん(群馬大学大学院教授)のお話から考えます。

釜石の奇跡はかくて起こった

防災研究者として多くの被災現場を見てきた片田さんが、釜石市での防災教育に着手したのは2006年でした。過去に市を襲った災害を現実として教える傍ら、〝避難三原則〟として次の3つ――「想定にとらわれるな」「その状況下において最善を尽くせ」「率先避難者たれ」――を伝え、学校の子供たち、またその保護者に身を守る重要性を力説。そして授業の最後に、こう問い掛けたそうです。(以下、記事より抜粋)


〈片田〉
学校での防災教育は、年間5時間から十数時間行ったが、子供たちに教えたことを彼らの中だけで完結させてしまうと、家庭や地域へと広まってはいかない。そこで私は授業の最後に次のことを問い掛けた。

「君たちは先生が教えてきたとおり、学校で地震に遭えば絶対に逃げてくれると思う。だけど、君たちが逃げた後に、お父さんやお母さんはどうするだろう?」

すると、子供たちの表情は一斉に曇る。お父さんやお母さんは自分のことを大事に思うがゆえに、学校まで自分を迎えに来るであろうこと、そしてその帰結がどうなるかが想像できるからである。私は続けてこう話をした。

「きょう家に帰ったら、お父さんやお母さんに君たちが教えてあげるんだ。『いざという時は、僕は必ず逃げるから、お父さんやお母さんも必ず逃げてほしい』と。そのことを心から信じてくれるまでちゃんと伝えるんだ」

その日は授業参観日だったため、子供たちだけがいる場でそう言い聞かせた一方、保護者が集まっている場所へも行き、次のように話をした。

「私が行った授業を踏まえ、子供たちはきょう、“いざという時は、僕は必ず逃げるから、お父さんやお母さんも必ず逃げてね”と一所懸命に言うと思う。

あの子たちは、お父さんお母さんが、自分のことを心配してくれるがゆえに命を落としてしまいはしないかと心配している。でも皆さんも、子供たちが絶対に逃げてくれると信用できないと、自分一人で逃げるという決断がなかなかできないだろう。だから、その確信が持てるまで、きょうは十分話し合ってほしい」

そして最後にこんな話をした。

東北地方には“津波てんでんこ”という言い伝えがある。津波がきたら、てんでんばらばらに逃げないと家族や地域が全滅してしまうという教訓だ。

しかし、これを本当に実行できるだろうか。私にも娘が一人いるが、例えば地震がきて娘が瓦礫の下敷きになっていたとしたら、たとえ津波がくることが分かっていたとしても、たぶん私は逃げないと思う。どう考えても逃げることなどできない。

にもかかわらず、先人はなぜこんな言葉を残してくれたのだろう。私はその真意を考えた。おそらくこの言葉には、津波襲来のたびに、家族の絆がかえって一家の滅亡を導くという不幸な結果が繰り返されてきたことが背景にある。その苦渋に満ちた思いとともに我々の先人が残してくれたのが、“津波てんでんこ”という言葉ではないか。

その意味するところは、老いも若きも、一人ひとりが自分の命に責任を持てということ。そしていま一つの意味は、家族同士がお互いに信じ合っていることが大事だということではないだろうか。

子供は、お母さんは必ず後からちゃんと迎えに来てくれると、お母さんを信頼して逃げる。一方、お母さんは、子供を迎えに行きたいが、我が子は絶対逃げてくれているという信頼のもと、勇気を持って逃げる。これは家族がお互いに信用し合っていなければできない。“津波てんでんこ”とは、自分の命に責任を持つということだけではなく、それを家族が信じ合っている。そんな家庭を築いておけ、という意味ではないだろうか

今回の震災で、釜石では市全体で約1300人が亡くなったが、学校の管理下になかった5人を除いては全員が生き残ってくれた。さらにその3000人の小・中学生の親を調べてみると、亡くなったのは40人程度で、全体から見ても少ない数となった。これは子供を通じて行った親や地域への防災教育の取り組みや“津波てんでんこ”の話がうまく伝わった結果ではないかと感じている。

危機管理の本質とは

今回の一連の出来事は“釜石の奇跡”といわれるが、私は奇跡というよりも、自分自身で命を守り抜くという姿勢を示してくれた子供たちを褒めてやりたいと思う。そして彼らの姿勢や行動は、いまの日本の防災現場においても強く求められるものだと感じている。

我々日本人は、自分の命を守るということに対して他人任せになってしまっている部分が多く、身の危険をほとんど感じることもなく平和に暮らしている。

しかし、今回の震災を通じて、自分たちがいかに無防備な中に生きてきたか、またそういう姿勢でいることがいかに脆弱なものであるかを思い知らされたのではないかと思う。

私の知り合いにアメリカで長年暮らしてきた友人がいるが、彼は学校で

「街で一人倒れているのを見たら助けろ。二人倒れていたら気をつけろ。三人倒れていたら逃げろ」

と教わったという。アメリカ人は、そのように危険と向かい合わせで暮らしながら、自分の命を守り抜いていく姿勢がいかに大切かを、学校でも教わっている。

日本ではそうした教育がほとんどなされていないが、これほど自然の豊かな国で暮らすということは、本来、危険と向かい合って生きていることに他ならない。

先ほど非常ベルの話を例に挙げたが、人間はリスク情報をなかなか真っ当に処理することができない生き物である。例えば、交通事故で年間約4000人が亡くなっていると聞いても、自分自身が交通事故で死ぬと思う人はほとんどいない。ところが、宝くじの一等賞が4000人に当たると聞けば、妙に自分が当たるような気がする。

その確率が同じであったとしても、自分にとって都合のよい情報は大きく見積もり、都合の悪い情報は小さく見積もるという“正常化の偏見”がそうさせるのである。

かく言う私もその例に漏れないが、基本的にリスクに備えようとしない、もしくは備えることができない自分自身をどう律するか。それこそが危機管理の本質であり、いざという時のために備えておくという姿勢の問題であると言えるだろう。


 (本記事は『致知』2011年8月号 特集「リーダーの器量」から一部抜粋・編集したものです)

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コメント: 1
  • #1

    名無し (土曜日, 11 3月 2023 12:09)

    強くなることはないです。
    弱い自分に苦しむことが大事なことなんです。
    人間は元々弱い生き物なんです。
    それなのに心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする。
    強くなるということは鈍くなるということなんです。痛みに鈍感になるということなんです。
    自分の痛みに鈍感になると人の痛みにも鈍感になる。自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する。痛みに鈍感になり優しさを失う。
    いいんですよ。弱いまんまで。
    自分の弱さと向き合いそれを大事になさい。
    人間は弱いままでいいんです。
    いつまでも弱い者が手を取り合い生きていく社会こそが素晴らしい。