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「男はつらいよ」の寅さんはヤクザではない…似ているようでまるで違う「テキヤ」と「暴力団」の決定的な違い

お祭りや縁日で屋台をだし、さまざまな商品を販売している「テキヤ」とはどんな存在なのか。龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員の廣末登さんは「暴力団と同一視されることもあるが、実態はまったく違う。多くのテキヤは非合法なことはしておらず、一つひとつの商品を対面で売っているだけだ」という――。
※本稿は、廣末登『テキヤの掟』(角川新書)の一部を再編集したものです。

暴力団とテキヤはまったく別の存在

暴力団とテキヤを同一視することは誤りである。

ヤクザは人気商売であり、地域密着型の「裏のサービス業」だが、テキヤは売る商品を持っている。顔が見えない商売ではなく、一つひとつの商品を対面で売って、100円、200円の利益で細々と商売している。だから、テキヤは暴力団や博徒を指して「稼業違い」という。

もっとも、極東会のように、戦後の動乱期、闇市に従事していたテキヤが経済成長期に暴力団化し、現在、暴力団として活動している団体もあることは事実だ。

いわゆるテキヤ系暴力団だが、総じてテキヤは非合法なことはしていない。むしろ、神社仏閣における「お祭り」の名脇役であるといえる。

(筆者註:極東会は、1993年の暴力団との抗争を経て、当局から指定される指定暴力団となり、もともとの稼業であるテキヤとは完全に袂を分かつことになった)

2011年の12月下旬から筆者は地元のテキヤ組織に入り(求人誌のアルバイトで応募)、断続的に商売に従事したことがある。その時の経験を振り返っても、彼らテキヤは非合法なことは何もしていなかった。強いていえば、労働基準法に抵触する時間外労働くらいのものである。

恐れるのは、暴対法ではなく食品衛生法

筆者がマスコミで話をすると、「暴力団博士」と呼ばれることしばしばであるが、筆者はヤクザの飯を食ったことはない。しかし、テキヤには一宿一飯の世話になった。

手前味噌で恐縮だが、百貨店のセールや北九州市小倉の魚町銀天街にあった雑貨店の客引きでタンカバイに慣れていたお陰もあり、ほかの三寸より多く売り上げたから、祭りの最終日に親分代行からわざわざ礼を言われたし、給料袋に5万円ほど多く入っていた。何と、由緒ある旅人さんからスカウトまでされる始末である。

ヤクザなら「縄張り」と称すところを、テキヤは「庭場」と呼ぶ(すべてのテキヤが庭持ちではない。)

物を売るという、実体のある商売でしかカネを儲けない。恐れるのは、暴対法ではなく食品衛生法であり、保健所に頭が上がらない。

ヤクザは「天照大神」、テキヤは「神農黄帝」

かなりシンドイ肉体労働に、幹部であっても従事する。さらに言うと、裏社会で調査の場数を踏んできた筆者は、覚せい剤などの違法薬物使用には鼻が利く方だが、多忙なタカマチの日に、15時間労働でへとへとになりながら違法薬物を用いている若い者を見たことがない。

何より、神農であるテキヤは祀神(祭神のこと)が違う。

神農
神農(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

テキヤの盃事の儀式には、中国神話の農業の神である神農と、中国の伝説の帝王で医学の祖とされる黄帝、「神農黄帝」の軸を掲げる(ヤクザの場合は「天照大神」を中央に掲げ、「八幡神」、「春日大社」を左右に掲げる)。

[筆者註:テキヤは自らを神農と名乗るとともに、神農を崇める。テキヤの業界を神農会と呼ぶ。この神農とは「古代中国の伝説的な人とも神ともつかない存在で、『淮南子』などに出てくる。頭に角がある姿で描かれるテキヤの間では、良薬になる植物を発見するために自らの命の危険を冒して、さまざまな植物を毒見した神とされている。現在でもテキヤの一部が神農を崇めるのは、彼らの系譜につながる古い時代のテキヤが薬草を商っていた名残とされている」(厚香苗『テキヤ稼業のフォークロア』青弓社、2012年、29頁)]

寅さんはテキヤであってヤクザではない

テキヤはヤクザか――現時点では筆者の見解とは異なる意見もある。たとえば、溝口敦氏の『暴力団』(新潮新書、2011年)では、以下のように書かれている。

人気の映画『男はつらいよ』の寅さんこと、車寅次郎は暴力団の組員なのでしょうか。テキ屋が彼の稼業ですから、今の法律では確かに暴力団に分類されます……まじめに街商をやっている人たちを、一律に暴力団とみなして祭礼の境内などから追い払えば、お祭りだって楽しくなくなってしまう、という声はとても多く、地域によっては警察も見て見ぬ振りをしているのです。(20頁)

これは体感的には納得するが、得心できない。実際、縁日の雑踏を、これでもかという威圧的な人数で警察官がパトロールしていたが、こちらから挨拶をしても、返事を返されたためしがない。

ただ、溝口氏は関東在住だから、テキヤ系指定暴力団の極東会に目が慣れているのでヤクザ色が強く感じられるのかもしれない。西日本のテキヤは、行政の厳しい規制にも従順であり、商売にも熱心に取り組むし、指定暴力団でもないから、当局の目も関東に比べると緩やかなようだ。

こうした傾向を象徴する出来事が、朝日新聞の記事になった(「朝日新聞デジタル」2019年1月28日)。代々木公園の平日(ヒラビ=常設屋台)摘発である。暴排における当局の本気度と、異例とはいえ、テキヤの肩身の狭さを象徴する出来事であった。

同様の取り締まり強化が、他所の地域に飛び火しないことを祈るばかりである。

反社じゃないのに排除される

テキヤへの締め付けは、誰にとっても益がない。

たとえば、筆者の生活する福岡市では、九州の夜の街を代表する中洲のイベント「中洲まつり」がある。このイベントも、数年前からテキヤの屋台が姿を消し、素人の飲食ワゴンなるものが台頭した。

お祭りのプロであるテキヤの声も響かず、品揃えも十分でないため、祭の殷賑いんしんが半減し、博多っ子も「今日は何がありよっと? あ、中洲まつりね」という具合である。

この飲食ワゴンを出しているのは中洲に店を出している飲食店などである。これは、出店者側も面倒この上ない。自分の店舗を二の次にして、慣れぬ出店に人員を割かねばならないからである。

ヤクザとの接点

襲名披露(襲名式)、縁組の盃をはじめとする盃事については、テキヤ自身のものと、テキヤが助っ人に呼ばれる場合の解説をする必要がある。

前者はテキヤの代目披露や兄弟盃等の儀式である。

後者は、テキヤがヤクザに依頼されて媒酌人を務める盃事である。

テキヤ自体も、盃事は稼業上欠かすことはできないが、ヤクザは尚更である。作法に則って盛大にやるのが襲名披露であり、当代の親分から次の親分候補に代を授受する跡目公式発表の式である。

こうした神事は、古式に則って行われるが、格式張っているから作法通りにできる人間が、そんじょそこらには居ない。そこで、テキヤの出番である。

廣末登『テキヤの掟』(角川新書)
廣末登『テキヤの掟』(角川新書)

テキヤは寺社仏閣に馴染みがあり、そうした修業が行き届いているから、ヤクザの盃事があると、媒酌人として白羽の矢が立てられる。

もちろん、寺社仏閣を庭場とし、テキヤ社会の社交性の上に立って、諸披露の式を行ってきたテキヤからしたらお家芸であるし、商売の邪魔をされないためにも、大なり小なり関係する相手ということもあり、作法に長けた幹部が、若い助手を連れて媒酌人の任を果たす。

東京では、浅草の雷門を本拠地とする丁字家会が有名で、吉田五郎最高顧問は「平成の名媒酌人」と呼ばれ、六代目山口組、五代目稲川会、六代目松葉会、四代目道仁会など大組織の媒酌を行っている。

テキヤ=まっとうな商売人

いずれにせよ、テキヤとヤクザの関係とは、筆者が知る限り、ここに紹介した程度である。

威勢のいい祭りの担い手は古今東西テキヤであった。テキヤは商売をしてナンボの稼業人であるし、雰囲気作りの達人である。シャブの売買やミカジメ料の徴収、キリトリ(債権回収)などで違法にシノいでいる訳ではない。テキヤ、すなわち

「香具師は稼業人である。一個百円、二百円の商品を販売し生業となしている。いわゆる商いであり、商人である。稼いでいる人、稼業人である」(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、1990年、25頁)。

テキヤを経験した筆者は、その経験に基づき、テキヤを暴力団のうちに数えることには納得ができない。日本の文化の一部である縁日を風化させないためにも、当局には「見て見ぬ振り」の姿勢を、これからも踏襲して頂きたいものである。