【火垂るの墓】の野坂昭如氏、逝く。

【火垂るの墓】の野坂昭如氏、逝く。

言いたいことは、たくさんあったろう。

上の妹を病気で、1945年の神戸大空襲で養父を、下の妹を疎開先の福井県で栄養失調で亡くした。後に福井県で妹を亡くした経験から贖罪のつもりで『火垂るの墓』を記した。つまり清太のモデルが彼自身で、節子のモデルは妹ということである。


 世の中は移りゆくもの。ぼくの生きた80余年は猛スピードで変化を遂げた。うわべにしろ、飢えは遠ざかった。なるほど便利になった。で、めでたしめでたしか。ぼくには到底そうは思えない。末期の目で眺めれば、先行き暗くてよく見えない。

 敗戦直後から日本人は本当によくがんばったと思う。まずは人間らしい生活を営むことから始まり、豊かさを目指し、生活水準はたちまち戦前を越えて、高速道路、高層ビルの立ち並ぶ日本が出来上った。高度経済成長を支える柱として、原発の必要性がいわれ、うわべ民間会社、実は国の御旗のもと、原発政策は推し進められた。当初懸念されていた原発のマイナス点は、文明の利器の恩恵のもと無視され続け、小さな島国はいつの間にか原発列島と化していた。この原発、当初から事故だらけ、さらにどの国もあまりに危険と早々に撤退した高速増殖炉に目をつけ、原子力の平和利用をたかだかとうたい、スレスレの事故を繰り返しながら、これについては隠蔽。商業用プルトニウムと軍事用のそれとは異なるという説もあるが、どちらにしても原爆の材料であることに違いはない。世界はそれを承知。日本だけ、事故だらけ、先行きの見込み立たぬまま、今なお莫大な金をかけながら維持し続けている。

 2011年3月11日の東日本大震災を受けて直後の日本人は、自然の脅威にさらされ、人間が自然の中のちっぽけな存在に過ぎないことを自覚させられた。福島第一原発の事故では、原発、放射能の恐さを思い知らされた。人間がコントロール出来ないものだとよく判った。仕事を奪われ、生活を変えざるをえない、未だ避難を強いられている人たちがいる。一生戻れない人がいる。事故当初しきりに伝えられた、安全は保たれている、放射性物質の放出によって、直ちに体に異変をきたすことはないという東京電力及びお上の言葉は、希望的観測に過ぎず、もはやこれを誰も鵜呑みにしてはいない。

 ぼくらは連日、数値に敏感になり、汚染水についてその現状を固唾を飲んで見つめていた。半年、一年、二年と震災から日が経つにつれ、再稼働ありきの動きが目立つ。電力の不足が経済活動の妨げになる、経済こそ大事、今後のために必要不可欠だという。あの原発事故は、日本のエネルギーをどうするか、お上任せだった原子力発電について、国民が自ら考えるきっかけになりえた。

今はどうか。福島の事故は国がどうにかすると思い込んでいる。原発列島、便利さと引き換えに増え続ける放射性廃棄物の量は限界をこえなお、ぼくらはどうにかなる、誰かが何とかしてくれると、楽観主義で過ごそうとしている。だがそれは無責任主義と同義語である。

 原発について推し進めてきたお上、再稼働にしゃかりきになっているのもお上、はっきり言って原発についてほぼ素人の政治家が、今後の方針を決めるなど、土台無理なのだ。無責任もいいところ。それを見ている国民も同罪。

 安倍首相は国民の命と平和な暮らしを守る責任があるといい、集団的自衛権の行使容認を決めてしまった。抑止力を強化するのだという。曖昧な抑止力ほど危ないものはない。何にしろ、一旦、力というものを持てば、使ってみたくなるのが人間。国民の生命、財産、日本の将来に関わる大事な問題を20人足らずの閣議で決める、これは暴挙といっていい。これについても世間は何やら物騒だと眉をしかめる程度。

《原発も集団的自衛権の行使も、被害を被るのはぼくらの子や孫、
 またその子供たちである。
 ぼくらには駄目なものは駄目という責任がある。》

今が良ければという思考停止はもう通らない。日本は今、薄氷の上に佇んでいるようなもの。その足元を少しでも丈夫にして、次世代に引き渡すことが、生きている人間の本来の仕事である。

(通販生活への寄稿)

のさか・あきゆき●1930年、神奈川県生まれ。早稲田大学文学部仏文科に在学中、さまざまな職業を遍歴。67年「アメリカひじき」「火垂るの墓」で直木賞受賞。タレント、作詞家、政治家(参議院議員)など多岐にわたり活躍する。

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高畑勲監督「戦争による弱者の悲劇描ききった」
野坂昭如さんの直木賞受賞作で戦災孤児の悲劇を描いた「火垂るの墓」をアニメ映画化した高畑勲監督は次のようなコメントを発表しました。


「野坂昭如さんはきっといま、久々に肉体から解き放たれて楽天的になり、日本国中を、沖縄を、自由に羽ばたきながら飛び回り、日本を戦争の道へ引きずり込ませまいと頑張っている人々を、大声で歌って踊って、力強く励ましてくれているにちがいない、と私は思います。野坂昭如さんの『火垂るの墓』と『戦争童話集』は、戦争に巻き込まれた弱者の悲劇を描ききった不朽の名作です。私たちは『火垂るの墓』をアニメ映画化できてほんとうによかったと、野坂昭如さんに心から感謝しています。」

「火垂るの墓」は、野坂氏の直木賞受賞作品。
《清太のモデルが彼自身で、節子のモデルは妹ということである》

 北川 高嗣

野坂昭如が死の4ヵ月前に綴った、安保法制と戦争への危機感「安倍政権は戦前にそっくり」「国民よ、騙されるな」

2015.12.10.  リテラ

 12月9日、作家の野坂昭如が心不全のため都内病院で亡くなった。85歳だった。

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 野坂昭如といえば、大島渚・小山明子夫妻の結婚30周年を祝うパーティーで大島渚と大乱闘を繰り広げたり、ブルーフィルム製作を営む青年たちを主人公にした小説『エロ事師たち』(新潮社)を出版したり、編集長を務めていた月刊誌「面白半分」(株式会社面白半分)に永井荷風『四畳半襖の下張』を全文掲載してわいせつ文書販売の罪で起訴されたりと、マルチな分野で才能を発揮しながら、つねに冗談とも本気ともつかぬ、軽妙かつ過激な言動で世間をアジテートしてきた。

 そんな野坂が人生を懸けて表現し続けてきたものがある、それは「平和」への願いだ。

 自身が体験した悲惨な戦争体験から、戦争の恐ろしさ・平和の大切さを発信し続ける姿勢は、最晩年になっても変わることはなかった。本稿では、そんな野坂昭如が最期に残した言葉を紹介したいと思う。

 野坂昭如、最期の平和へのメッセージ。それは、「サンデー毎日」(毎日新聞出版)2015年8月23日号に寄稿された文章「二度と戦争をしないことが死者への礼儀だ」であった。

 野坂昭如の代表作といえば、1967年に発表され直木賞を受賞し、88年に高畑勲によってアニメ映画化された『火垂るの墓』があげられる。この物語が彼の実体験をベースに書かれていることはよく知られている話だが、まず彼は『火垂るの墓』についてこのように綴っている。

〈ぼくは焼け野原の上をさまよった。地獄を見た。空襲ですべて失い、幼い妹を連れ逃げた先が福井、戦後すぐから福井で妹が亡くなるまでの明け暮れについてを、「火垂るの墓」という30枚ほどの小説にした。空襲で家を焼かれ一家離散、生きのびた妹は、やがてぼくの腕の中で死んだ。小説はぼくの体験を下敷きにしてはいるが、自己弁護が強く、うしろめたさが残る。自分では読み返すことが出来ない。それでも戦争の悲惨さを少しでも伝えられればと思い、ぼくは書き続けてきた。文字なり喋ることだけで、何かを伝えるのは難しい。それでもやっぱりぼくは今も戦争にこだわっている〉

 戦争とはどれだけ酷く、悲しいものなのか。野坂は次のように言葉を重ねる。実際に戦争を体験し、その悲しみを身体に刻み込んできた彼から放たれるメッセージには並々ならぬ重みがある。

〈戦争は人間を無茶苦茶にしてしまう。人間を残酷にする。人間が狂う。だが人間は戦争をする。出刃包丁で殺そうが、核兵器で殺そうが同じことである。戦場で殺し合いをする兵士が、家では良き父であり、夫である。これがあたり前なのだ〉
〈戦争は人間を人間でなくす。では獣になるのか。これは獣に失礼。獣は意味のない無駄な殺し合いをしない。人間だけが戦争をするのだ。今を生きる日本人は、かつて戦争へと突き進んでいった人間たちと、どこがどう違うのか。何も変わりはしない。だからこそ戦争の虚しさを伝え続ける必要がある〉

「かつて戦争へと突き進んでいった人間たちと今を生きる日本人は何も変わらない」。この夏、我が国が「戦争のできる国」へと大きく舵を切った後に読むと、より考えさせられる言葉だ。この一文が象徴しているように、強硬なプロセスで採決された安保法制と安倍政権のやり方に対し、野坂は怒りを隠さない。

〈安保法案は衆院で強行採決された。じゅうぶんに審議は尽くされたという。審議尽くされたはずが、国民の大多数は説明不十分だと受けとめている。国民、学者、専門家から批判の声があがるが、お上はこれを無視。安倍首相をはじめ、政権側は、衆院に送り、今後国民にしっかり説明していくとのたまう。だが国会は説明の場ではない〉

 続けて野坂は、表現・マスコミに関わる者として、今のメディアを取り巻く環境を戦前のそれと重ね合わせる。

〈安保法がこのまま成立すれば、やがて看板はともかく、軍法会議設立も不思議じゃない。これは両輪の如きものとも言える。すでに特定秘密保護法が施行され、さっそくの言論弾圧。そのうち再びの徴兵制へと続くだろう。
 言論弾圧が進めば、反戦的言辞を弄する者は処罰される。すでにマスコミにも大本営発表的傾向がみられる。これがこのまま続けば国民の国防意識を急速に高めることも可能。たちまち軍事体制が世間の暮らしの仕組みの上に及んでくる。戦争ならば覚悟しなければならない。往年の国民精神総動員令がよみがえる〉

 彼が主張する戦前と今の類似点は、報道に対する圧力だけではない。国民の声は無視、まるで独裁者のように振る舞う政府の姿勢も戦前そっくりだと野坂は語る。

〈かつて軍国主義は軍隊が専横をほしいままにし、頂点に立つ何人かが協議。制度を整え、戦争を準備した。強力な指導者の登場は挙国一致体制が前提。今は軍国主義の世の中ではない。だが、世間が反対しようと無謀であろうと、無理のごり押しを平気でする。決めたらひたすら突き進む。この政府の姿勢は、かつてとそっくり〉

 戦後70年の節目にして、戦前のような状況に戻ろうとしている日本。無論、このことは国民の我々にとって絵空事ではない。彼は次のように警鐘を鳴らす。

〈日本が戦争出来る国になる以上、戦争を想定した上での都市のあり方、疎開や備蓄、あらゆることを考えておかなければならない。積極的平和主義など姑息な言い方はやめて、安倍首相は国民にとって戦争というものが、どういうものかを、論理的に説明すべきだろう。本質を語らずうわべばかり〉

 死のわずか4ヵ月前、安倍政権による“戦争のできる国”づくりに対する危機感を訴えていた野坂。先の戦争を知っているからこその危機感だろう。11月30日に亡くなった水木しげるもそうだが、先の戦争を体験し、その悲しみを伝え続けた世代が次々と鬼籍に入っている。それにつれて、この国は戦争の恐ろしさ・悲しさを忘れつつある。

 戦争の犠牲となった人々、また、その悲しみを戦後70年間抱え続けた人々、そんな先人たちのためにも、いま一度「平和」への誓いを新たにしなければならない、と野坂は綴る。そんな野坂昭如の最期のメッセージをあらためて噛み締めたい。

〈戦争で多くの命を失った。飢えに泣いた。大きな犠牲の上に、今の日本がある。二度と日本が戦争をしないよう、そのためにどう生きていくかを問題とする。これこそが死者に対しての礼儀だろう。そして、戦後に生まれ、今を生きる者にも責任はある。繁栄の世を築いたのは戦後がむしゃらに働いた先人たちである。その恩恵を享受した自分たちは後世に何をのこすのか〉
〈どんな戦争も自衛のため、といって始まる。そして苦しむのは、世間一般の人々なのだ。騙されるな。このままでは70年間の犠牲者たちへ、顔向け出来ない〉
(新田 樹)