【スミレの心、スミレの気持ち!】

あるとき、神様が庭に入ってみると、
神さまが植え育てられた草木たちが、
今にも枯れそうにしおれているのを見ました。

神さまは、そのわけを尋ねました。

すると、ツツジは
「私は松のようにもっと背が高くなりたいと悩んでいるのです」
と、元気なく答えました。

松の木は、
「私は葡萄のように甘い実を結びたいのです」
と悲しんでいました。

葡萄の木も
「私は、杉のようにもっとまっすぐに立ちたいのです」
と不満をもらしていました。
庭のすべてが、そんな有様だったのです。

最後に神さまは、路肩で小さな花をつけているスミレをみつけました。

このスミレだけは不思議に元気よく、輝いて花を咲かせているのでした。

神さまはうれしくなって、スミレに話しかけました。
「やあ、スミレ、お前だけは元気でいてくれてうれしいよ」

スミレは答えました。

「はい、神さま。私は取るに足らぬ小さな花ですけれど、
 あなたは小さなスミレの花を見たくて、私を植えて下さり、
 最高のお世話をしてくださっています。

 わたしはわたしにいただいた恵みを大切にして、
 スミレであることを喜び誇りながら、
 花を咲かせていこうと思うのです」

 これまでいろいろ、ありましたが、
  私はスミレとして生まれてきてよかったです。

  私は松さんのように背が高くありません。
  葡萄さんのようにみんなが喜ぶ甘い実もつけません。
  杉さんのようにまっすぐ立つこともできません。

  道端のすみっこの地面すれすれに目立たずにいると、
  ときどき踏んづけられることがあります。

  痛い思いをしても、ほとんど気づかれないので、
  謝ってくれる人も慰めてくれる人もいません。

  以前は、そんな自分を哀れに思うことがありました。

  嫌に思うこともありました。

  でも、私は私以外のものにはなれないことに気づいたのです。

  私はもう他の草木のようになりたいとは思いません。

  私は私のままでいいのです。

  私のままがいいのです。

  小さな私のためにも太陽は光を注ぎます。

  目立たない私のためにも空は雨を降らせます。

  私の周りにはおいしい空気がふんだんにあります。

  それがどんなに有難いことか、
  恵まれたことか、私にはわかってきたのです。

  私が花を咲かせると、喜んでくれる人がいるのも、
  うれしいことです。

  私にしか咲かせることのできない花だということも
  わかってきました。

  ときには、私のかたわらで足を止めて
  ひと休みする人もいて、びっくりすることもあります。

  「山路来て 何やらゆかし すみれ草」

      (松尾芭蕉)